SHARE:

コラム:アメリカ建国250年、ベトナム戦争終結から1990年代

1975年から1990年代に至るアメリカの歴史は、敗北と再生、自信喪失と覇権確立という対照的な要素が交錯する過程であった。
米国の歴史、1990年代(Getty Images)
現状(2026年1月時点)

2026年1月時点のアメリカ合衆国は、冷戦終結後に確立した「唯一の超大国」という地位をすでに相対化されつつある段階にある。中国の台頭、ロシアの再軍事化、グローバル・サウスの存在感の増大などにより、国際秩序は多極化の様相を呈している。一方で、アメリカは依然として軍事力、金融、テクノロジー、文化の各分野で突出した影響力を保持している。

しかし、この現状は突然生まれたものではない。1975年のベトナム戦争終結以降、アメリカは深刻な挫折、経済的混乱、価値観の動揺を経験しながらも、1980年代の再浮上、1990年代の繁栄を通じて、冷戦後秩序を主導する国家へと変貌していった。本稿では、その約四半世紀に及ぶ変遷を詳細に検討する。


ベトナム戦争終結(1975年)

1975年4月30日、北ベトナム軍がサイゴンを制圧し、南ベトナム政権は崩壊した。これにより、1950年代から段階的に介入を深めてきたアメリカのベトナム戦争は、事実上の敗北という形で終結した。

この敗戦は、アメリカ史上きわめて異例の出来事であった。第二次世界大戦以降、アメリカは「自由世界の守護者」として数々の戦争や介入に勝利してきたが、ベトナムでは軍事的優位にもかかわらず政治的目的を達成できなかった。58,000人を超える米兵が命を落とし、国内では反戦運動が社会を二分した。

戦争の終結は、単なる外交・軍事上の失敗にとどまらず、アメリカ人の自己認識そのものを揺るがす転換点となった。


「唯一の超大国」へと上り詰める激動の時代

皮肉なことに、ベトナム戦争終結から約15年後、アメリカは再び世界で圧倒的な地位を占めるようになる。その過程は一直線ではなく、深い混乱と試行錯誤を伴うものであった。

1970年代後半から1980年代にかけて、アメリカは経済、外交、軍事、文化の各分野で再編を迫られた。国内では政府への不信が広がり、国際的にはソ連との冷戦構造が続く中で、自国の役割を再定義する必要に直面した。この「迷いの時代」を乗り越えた結果として、1990年代の「アメリカの一極支配」が成立する。


1970年代後半:自信喪失と「ベトナム・シンドローム」

ベトナム戦争後、アメリカ社会には「ベトナム・シンドローム」と呼ばれる心理的後遺症が広がった。これは、大規模な海外軍事介入に対する国民的忌避感を指す概念であり、政策決定にも強い影響を与えた。

議会は大統領の戦争権限を制限するため、1973年に戦争権限法を制定した。これは、行政府による軍事行動を民主的統制の下に置こうとする試みであり、ベトナムの反省を制度化したものといえる。

同時に、ウォーターゲート事件によるニクソン大統領の辞任(1974年)は、政府への信頼をさらに失墜させ、アメリカ社会全体に深いシニシズムをもたらした。


混迷のフォード・カーター政権

ニクソン辞任後に就任したフォード大統領は、国家の信頼回復を目指したが、明確な指導力を発揮するには至らなかった。続くカーター政権(1977–1981年)は、「人権外交」を掲げ、道徳的価値を外交の中心に据えようとした点で画期的であった。

しかし、その理想主義は厳しい国際現実の前で限界を露呈した。とりわけ、外交と経済の両面で深刻な試練に直面する。


経済では「スタグフレーション(不況下のインフレ)」に苦しむ

1970年代のアメリカ経済は、「スタグフレーション」という未曾有の現象に直面した。これは、経済成長の停滞と高インフレが同時に進行する状態であり、従来のケインズ経済学では十分に説明できなかった。

1973年と1979年の二度にわたるオイルショックは、エネルギー価格の高騰を通じてインフレを悪化させ、失業率も上昇した。実質賃金は伸び悩み、中産階級の生活は圧迫された。

この経済的苦境は、政府の無力感を象徴するものとして国民に受け止められ、政治的変革への欲求を高める要因となった。


外交ではイラン人質事件(1979年)やソ連のアフガニスタン侵攻に直面

1979年、イラン革命によって親米政権が崩壊し、同年11月にはテヘランのアメリカ大使館が占拠され、52人の外交官が人質となった。この事件は444日間にわたり続き、アメリカの威信を著しく損なった。

同年末には、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、デタント(緊張緩和)は事実上崩壊した。カーター政権は対抗措置としてモスクワ五輪のボイコットなどを実施したが、決定的な影響力を行使することはできなかった。


社会の変化、ヒッピー文化が衰退、環境保護や女性解放運動が定着

1970年代後半になると、1960年代を象徴したヒッピー文化や急進的なカウンターカルチャーは衰退した。一方で、その遺産は社会制度として定着していく。

環境保護運動は、環境保護庁(EPA)の設立や各種環境法の整備を通じて制度化された。また、女性解放運動は、雇用機会均等や教育機会の拡大といった具体的成果を上げ、アメリカ社会の構造を着実に変化させた。


1980年代:レーガンの登場と「強いアメリカ」の再建

1981年に就任したロナルド・レーガン大統領は、1970年代の「弱いアメリカ」像を否定し、国家の自信回復を前面に打ち出した。彼は政府を問題の原因と位置づけ、市場と個人の活力を重視する保守主義的転換を主導した。


レーガノミクス、大幅な減税と規制緩和、軍事費の拡大を柱とする経済政策を推進

レーガノミクスの核心は、供給側経済学に基づく大規模減税、規制緩和、軍事費拡大であった。これにより企業投資は活性化し、1980年代半ば以降、経済成長は回復基調に乗った。

一方で、減税と軍拡の組み合わせは財政赤字を急増させ、アメリカは世界最大の債務国となった。また、労働組合の影響力低下と金融化の進展により、貧富の差も拡大した。


新冷戦と対話、歴史的な核軍縮(INF条約)に合意

レーガン政権前半は対ソ強硬路線をとり、「悪の帝国」発言に象徴される新冷戦が展開された。しかし、ゴルバチョフ書記長の登場以降、両国は対話路線へと転じる。

1987年に締結されたINF条約は、中距離核戦力を全廃する史上初の核軍縮合意であり、冷戦終結への道を開いた。


1980年代末〜1990年代初頭:冷戦の終結と新たな紛争

1989年のベルリンの壁崩壊、1991年のソ連崩壊により、冷戦は終結した。アメリカはイデオロギー上の最大の敵を失い、国際秩序の主導権を握る。

同時に、冷戦後の地域紛争への対応が新たな課題となった。


湾岸戦争(1991年)、イラクのクウェート侵攻、「ベトナムのトラウマ」を軍事的には払拭

1990年のイラクによるクウェート侵攻に対し、アメリカは多国籍軍を率いて湾岸戦争を戦った。短期間で圧倒的勝利を収めたこの戦争は、ハイテク兵器と限定戦争の成功例として評価され、「ベトナム・シンドローム」を軍事的には克服したと受け止められた。


1990年代:グローバル化と経済的繁栄(クリントン時代)

1993年に就任したビル・クリントン大統領は、冷戦後の世界で経済競争力を国家戦略の中心に据えた。財政規律と市場重視の政策により、1990年代後半には戦後最長級の経済好況を実現した。


IT革命、インターネットの普及とともにハイテク産業が急成長、輝かしい90年代

インターネットの商業利用解禁、シリコンバレーの急成長、IT企業の勃興により、アメリカ経済は新たな成長エンジンを獲得した。生産性は向上し、失業率は低下、財政黒字も達成された。


外交の転換、かつての敵国であったベトナムと国交を回復(1995年)

1995年、アメリカはベトナムと国交を正常化した。これは、ベトナム戦争という長い歴史的対立に終止符を打つ象徴的出来事であり、冷戦後外交の柔軟性を示した。


世界貿易センター爆破事件(1993年)やオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(1995年)など国内外のテロの脅威が顕在化

一方で、1990年代には新たな脅威も顕在化した。国際テロや国内過激主義による無差別攻撃は、冷戦後の安全保障環境の複雑化を示していた。


まとめ

1975年から1990年代に至るアメリカの歴史は、敗北と再生、自信喪失と覇権確立という対照的な要素が交錯する過程であった。ベトナム戦争の教訓は、軍事、政治、社会の各側面に深く刻まれ、その後の政策形成に長期的影響を与えた。

1990年代の繁栄は、こうした試練を乗り越えた結果として達成されたものであり、同時に21世紀の新たな課題の前触れでもあった。


参考・引用リスト

  • ジョン・ルイス・ギャディス『冷戦史』

  • ポール・ケネディ『大国の興亡』

  • メルヴィン・レフラー編『The Cambridge History of the Cold War』

  • アメリカ合衆国国勢調査局(U.S. Census Bureau)

  • 国際通貨基金(IMF)統計資料

  • ブルッキングス研究所 政策分析レポート

  • ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト各種特集記事


追記:1980年代以降の米ソ関係と「唯一の超大国」アメリカの光と影

1.1980年代から1990年代の米ソ関係――対立から協調、そして非対称な関係へ

新冷戦の激化と構造的限界

1980年代初頭の米ソ関係は、緊張緩和(デタント)期の終焉を受け、再び対立が先鋭化した段階から始まる。レーガン政権はソ連を「悪の帝国」と断じ、軍事費を大幅に拡大し、戦略防衛構想(SDI)を打ち出した。これは単なるイデオロギー的対決ではなく、ソ連経済の構造的弱点を突く戦略でもあった。

ソ連側は、計画経済の停滞、技術革新の遅れ、アフガニスタン侵攻による国際的孤立など、複合的な危機を抱えていた。軍拡競争を継続する余力はすでになく、米国との競争は次第に非対称なものとなっていく。

ゴルバチョフの登場と関係転換

1985年にゴルバチョフが書記長に就任すると、米ソ関係は質的転換を迎える。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)は、国内改革であると同時に、対米関係改善を前提とした戦略であった。

米ソ首脳会談は頻繁に開催され、1987年のINF条約は、核兵器を「制限」するのではなく「廃棄」する初の合意となった。ここで重要なのは、冷戦終結が軍事的敗北によってではなく、政治的・経済的持続不可能性によって生じた点である。

冷戦終結後の米露関係の非対称性

1991年のソ連崩壊後、米露関係はもはや「二大超大国の対等な競争」ではなくなった。ロシアは市場経済化と国家再建に苦しみ、米国は国際秩序を主導する圧倒的優位国となった。

この非対称性は、1990年代の一見協調的な関係の背後に、潜在的な不満と屈辱感を蓄積させることになる。この点は、21世紀に入ってからの米露対立を理解する上で重要な前史となる。


2.米国が「唯一の超大国」となったことの弊害

権力集中と戦略的過信

冷戦終結後、アメリカは軍事、経済、政治、文化のすべてにおいて比類なき影響力を持つ「唯一の超大国」となった。この状況は、国際秩序の安定を一定程度もたらした一方で、深刻な弊害も生んだ。

最大の問題は、戦略的過信である。対抗勢力の消滅は、政策決定者に「代替案のない優位性」という錯覚をもたらし、軍事力行使のハードルを下げる傾向を生んだ。湾岸戦争の成功体験は、ハイテク兵器と限定戦争による迅速な勝利というイメージを固定化した。

国際制度軽視と単独行動主義の萌芽

唯一の超大国という地位は、国際制度を通じた協調よりも、単独行動の誘惑を強めた。1990年代にはまだ顕在化していないものの、国連や多国間枠組みを「制約」と見なす思考が徐々に形成されていく。

この傾向は、冷戦期に共有されていた「相互抑止」という規律を失った結果でもあった。敵が存在しない世界では、自己制約が弱まりやすい。

国内問題の相対的軽視

覇権国家となったアメリカは、国際的責任を優先するあまり、国内の社会的不平等や産業空洞化といった構造問題を後景化させた。1990年代の好況はこれらの問題を覆い隠したが、貧富の差の拡大や地域間格差は解消されなかった。


3.米国と国際社会の関係――「覇権国」と「公共財提供者」の間で

冷戦後秩序とアメリカの役割

冷戦後、アメリカは自由貿易、民主主義、人権、市場経済を基軸とする国際秩序の中心的担い手となった。世界貿易機関(WTO)、国際金融機関、安全保障同盟網は、アメリカの主導の下で機能した。

この点において、アメリカは単なる覇権国ではなく、国際社会に「公共財」を提供する存在でもあった。安全保障の傘、基軸通貨ドル、自由貿易体制は、多くの国に恩恵をもたらした。

期待と反発の同時進行

しかし、アメリカ主導の秩序は、必然的に反発も生んだ。経済のグローバル化は一部の国や階層に利益を集中させ、文化的・政治的摩擦を拡大させた。アメリカ的価値観の普遍化は、ときに文化的帝国主義と受け止められた。

国際社会はアメリカに「指導力」と「自制」という相反する役割を同時に期待するようになり、この矛盾は次第に顕在化していく。

1990年代の限界とその後への伏線

1990年代は、アメリカと国際社会の関係が最も円滑に見えた時代であった。しかしその安定は、冷戦後秩序の過渡的均衡にすぎなかった。

国際テロの台頭、新興国の成長、ロシアの再主張といった要素は、すでにこの時代に兆候を見せており、唯一の超大国としてのアメリカの在り方そのものが問われる土台が形成されていた。


結論

1980年代から1990年代にかけての米ソ関係は、対立から協調、そして非対称な関係へと劇的に変化した。この変化の帰結として誕生した「唯一の超大国」アメリカは、国際秩序を安定させる力を持つ一方で、過信、制度軽視、国内問題の先送りという新たな脆弱性を内包することになった。

この時代は、アメリカの最盛期であると同時に、21世紀の困難が静かに準備された時代でもあったと言える。


国際政治学・冷戦史の観点からの理論的補強

――ベトナム戦争後から「唯一の超大国」形成期をどう理解するか

1.理論的枠組みの整理

本節で扱う時代を理論的に理解するためには、国際政治学における以下の主要理論が有効である。

第一に現実主義(リアリズム)、とりわけ構造的現実主義(ネオリアリズム)である。国家は無政府状態の国際システムにおいて生存と安全を最優先し、権力(パワー)の分配が行動を規定するという視点である。

第二に自由主義(リベラリズム)であり、国際制度、相互依存、民主主義の拡大が国家行動を制約し、協調を促進するという考え方である。

第三に構成主義であり、国家のアイデンティティ、規範、言説が国際政治を形成するという視点である。冷戦終結を「意味の変化」として捉える際に不可欠である。

以下では、これらの理論を交差させながら、1980年代から1990年代の米国の行動と国際秩序を分析する。


2.冷戦後期の米ソ関係と構造的現実主義

二極構造の安定性と限界

冷戦期の国際秩序は、ネオリアリズムが想定する「二極構造」に近かった。米ソ両国は核抑止による相互確証破壊(MAD)の下で直接衝突を回避し、構造的には安定していた。

しかし、1970年代後半から80年代にかけて、両極の能力の非対称化が進行した。アメリカは経済の柔軟性と技術革新力を保持していたのに対し、ソ連は計画経済の硬直性から脱却できなかった。この点は、単なる政策選択ではなく、国家の制度的構造に起因する問題であった。

構造的現実主義の観点からすれば、冷戦終結は「アメリカの勝利」というよりも、「ソ連が極として存続できなくなった結果」である。

軍拡競争と相対的パワー

レーガン政権による軍拡とSDI構想は、軍事的合理性以上に、ソ連の相対的パワーを削ぐ戦略的意味を持っていた。ソ連が同水準の競争に追随できないことを前提とした点で、これは典型的なパワー政治の応用である。

この過程は、冷戦終結が「和解」ではなく、「構造崩壊」によって生じたことを示している。


3.冷戦終結の「平和性」と構成主義的解釈

敵の再定義と規範の変化

冷戦終結が比較的平和的に進行した点は、現実主義だけでは十分に説明できない。ここで重要となるのが構成主義である。

ゴルバチョフ政権は、アメリカを「不可避の敵」ではなく「交渉可能な相手」と再定義した。これは単なる戦術ではなく、ソ連の国家アイデンティティの変容を意味していた。軍事力による安全保障から、国際協調による安全保障への転換である。

アメリカ側もまた、ソ連を体制的に打倒すべき敵としてではなく、変化しうる存在として認識するようになった。この相互認識の変化が、武力衝突なき冷戦終結を可能にした。


4.「唯一の超大国」アメリカと覇権安定論

覇権安定論の適用

1990年代の国際秩序は、国際政治学でいう覇権安定論によって説明されることが多い。この理論は、圧倒的な覇権国が存在する場合、国際経済や安全保障は比較的安定するという主張である。

アメリカは、軍事的安全保障、自由貿易体制、基軸通貨ドルという三つの公共財を提供し、国際秩序の中核を担った。この点で、1990年代は覇権安定論が最も当てはまりやすい時代であった。

覇権の自己制約問題

しかし、覇権安定論には暗黙の前提がある。それは、覇権国が自制的に行動することである。唯一の超大国となったアメリカは、対抗勢力の不在ゆえに、自己制約を内在的に失いやすい立場に置かれた。

この問題は、国際制度を軽視する誘惑、軍事力への過信、価値観の普遍化という形で顕在化していく。


5.自由主義的国際秩序とその内在的矛盾

リベラル・インターナショナリズムの拡張

1990年代のアメリカ外交は、民主主義、市場経済、人権を普遍的価値として拡張するリベラル・インターナショナリズムに基づいていた。NATO拡大、自由貿易体制の強化、国際機関の活用はその典型である。

この秩序は、短期的には安定と繁栄をもたらした。

周縁化される敗者の問題

しかし、理論的には、自由主義的秩序は常に「敗者」を生む。ロシアは冷戦後秩序の形成において従属的立場に置かれ、中国やグローバル・サウス諸国も必ずしも平等な利益配分を享受したわけではなかった。

これらの不満は、秩序の外部からではなく、内部から蓄積されていく点に特徴がある。


6.「ベトナムの教訓」と軍事力行使の理論的再定義

ベトナム・シンドロームと限定戦争理論

ベトナム戦争後、アメリカは大規模地上戦を忌避し、明確な目的、圧倒的戦力、短期決戦を重視する方向へと軍事ドクトリンを転換した。これは、限定戦争理論と技術革新の結合である。

湾岸戦争は、その成功例として位置づけられ、「正しい条件下では軍事力は有効である」という新たな信念を生んだ。

理論的成功と長期的リスク

しかし、この成功は軍事力の政治的限界を過小評価する危険を内包していた。軍事的勝利と政治的安定は必ずしも一致しないという、ベトナムの最重要教訓は完全には克服されなかった。


7.理論的総括

国際政治学と冷戦史の観点から見た場合、1980年代から1990年代のアメリカは以下の三重構造の中にあった。

第一に、構造的現実主義が示すパワーの一極集中。
第二に、自由主義が構想した普遍的国際秩序の拡張。
第三に、構成主義が示す認識と規範の変化。

これらは相互に補完しつつも緊張関係にあり、その緊張は21世紀に入ってから顕在化することになる。


最後に

ベトナム戦争終結から1990年代に至るアメリカの歩みは、単なる国力の回復や勝利の物語ではない。それは、国際政治理論が想定する秩序の可能性と限界が、最も純粋な形で試された時代であった。

「唯一の超大国」としてのアメリカは、冷戦の終焉によって歴史の終点に立ったのではなく、新たな理論的・実践的課題の出発点に立ったにすぎなかった。


ウォーターゲート事件:ニクソン大統領 辞任演説(英文)

Address Announcing Decision To Resign the Office of President of the United States
August 8, 1974


My fellow Americans,

I come before you tonight to announce my decision to resign the Office of President of the United States.

I do so because I believe it is in the best interest of the Nation.

Throughout the long and difficult period of Watergate, I have felt it was my duty to persevere, to make every possible effort to complete the term of office to which you elected me.

In the past few days, however, it has become evident to me that I no longer have a strong enough political base in the Congress to justify continuing that effort.

In the past, whenever there was a choice between abandoning an effort and continuing it, I chose to continue it.

I believed that as long as there was a vital purpose to be served, it was right to persevere.

But now I am convinced that the time has come when I should no longer prolong the divisiveness and uncertainty that continue to exist.

Therefore, I shall resign the Presidency effective at noon tomorrow.

Vice President Ford will be sworn in as President at that hour in this office.

As I recall the highs and lows of my presidency, I have come to the conclusion that I must put the interest of America first.

America needs a full-time President and a full-time Congress, particularly at this time with problems we face at home and abroad.

To continue to fight through the months ahead for my personal vindication would almost totally absorb the time and attention of both the President and the Congress in a period when our entire focus should be on the great issues of peace abroad and prosperity without inflation at home.

I regret deeply any injuries that may have been done in the course of the events that led to this decision.

I would say only that if some of my judgments were wrong—and some were wrong—they were made in what I believed at the time to be the best interest of the Nation.

To those who have stood with me during these difficult months, to my family, my friends, to the many others who joined in supporting my cause because they believed it was right, I will be eternally grateful.

To those who have not felt able to support me, let me say I leave with no bitterness toward those who have opposed me.

So let us all remember why we are here in the first place.

We are here to continue the great experiment of self-government that began more than two centuries ago.

Our strength as a nation depends not on the wealth of our possessions, on the splendor of our cities, or on the might of our arms.

It depends on what we do with the freedom we have.

As I leave this office, I do so with the profound hope that the peace we have worked so hard to achieve, here and throughout the world, will endure.

I leave with confidence in the future of this great Nation.

God bless you and God bless the United States of America.


ニクソン大統領 辞任演説(和訳)

アメリカ国民の皆さん。

私は今夜、アメリカ合衆国大統領の職を辞任する決断を、皆さんにお伝えするため、ここに立っている。

この決断を下したのは、それが国家の最善の利益にかなうと信じるからである。

ウォーターゲートをめぐる長く困難な期間を通じて、私は、皆さんが私を選んでくれた任期を全うするため、あらゆる努力を尽くすことが自らの義務であると感じてきた。

しかし、ここ数日で、私はもはや、その努力を続けるだけの十分に強固な政治的基盤を議会に持っていないという事実を、はっきりと認識するに至った。

私はこれまで、努力を放棄するか、続けるかの選択に直面したとき、常に続ける道を選んできた。

果たすべき重要な目的がある限り、忍耐して努力を続けることが正しいと信じてきたからである。

しかし今や、私は、これ以上、国を分断し、不確実性を長引かせるべきではない時が来たと確信している。

したがって、私は明日正午をもって大統領職を辞任する。

その時刻に、この執務室において、副大統領フォードが大統領として宣誓を行う。

私の大統領職における成功と失敗の双方を振り返りながら、私は、アメリカの利益を最優先にすべきだという結論に達した。

アメリカには、全力で職務に当たる大統領と、全力で職務に当たる議会が必要である。とりわけ、国内外に多くの課題を抱える今、このことは重要である。

今後数か月にわたって、私自身の名誉回復のために闘い続けることは、大統領と議会の時間と注意のほとんどを奪ってしまうだろう。本来、私たちの全ての力は、国外における平和と、国内におけるインフレなき繁栄という重大な課題に向けられるべきである。

この決断に至るまでの過程で、何らかの傷が生じたとすれば、そのことを私は深く悔いている。

ただ一つ言えるのは、もし私の判断の中に誤りがあったとすれば――実際、誤りはあった――それらは当時、国家の最善の利益になると私が信じて下したものであった、ということである。

この困難な数か月の間、私と共に立ち続けてくれた人々、家族、友人、そしてそれが正しいと信じて私を支持してくれた多くの人々に、私は永遠の感謝を捧げたい。

また、私を支持することができなかった人々に対しても、私は何の恨みも抱かず、この職を去ることを伝えたい。

それでは、私たちはなぜここにいるのか、その原点を思い起こそうではないか。

私たちは、二世紀以上前に始まった偉大な自己統治の実験を継続するために、ここにいるのである。

国家の力は、私たちの持つ財産の豊かさや、都市の壮麗さ、あるいは軍事力の強大さによって決まるのではない。

それは、私たちが与えられた自由を、いかに用いるかにかかっている。

私はこの職を去るにあたり、ここアメリカ、そして世界全体において、私たちが懸命に築いてきた平和が、今後も続くことを心から願っている。

そして、この偉大な国家の未来に、確かな信頼を抱いて去る。

神のご加護が皆さんにありますように。
そして、アメリカ合衆国に神のご加護がありますように。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします