コラム:日本で「排外主義」が広がった経緯
日本で排外主義が広がった経緯は、歴史的背景、制度的矛盾、情報環境、地域社会の問題が複合的に絡み合った結果である。
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日本において「排外主義」が注目されるようになったのは2000年代後半以降である。特にインターネットの普及とSNSの発展により、特定の外国人集団に対する批判や差別的言説が拡散しやすくなった。法務省の統計によると、2023年末の在留外国人数は約322万人であり、日本の総人口に占める割合は約2.5%に達している。この数字は1990年代の約100万人と比べると大幅な増加であり、日本社会における外国人の存在感は着実に高まっている。その一方で、外国人との共生に向けた制度的整備や国民の意識改革は十分に進んでおらず、摩擦や不安が排外主義的な声を高めている。
警察庁の犯罪統計をみると、2022年における刑法犯検挙人員のうち、外国人は全体の約2.3%に過ぎず、過去と比べて増加傾向は見られない。しかし、報道のされ方やSNS上での言説によって「外国人犯罪が急増している」との印象が拡散されている。こうした認識の歪みが、排外主義の温床となっている。また、内閣府が2021年に実施した世論調査では、「外国人労働者を今後さらに受け入れるべきか」という問いに対し、「受け入れるべきだ」と回答した割合は全体の25%程度にとどまり、「これ以上は増やすべきでない」とする回答が過半数を占めた。国民の中に根強い不安と抵抗感があることがうかがえる。
歴史的背景
日本の排外主義の根源には、近代以降の国家形成と民族観がある。明治期には欧米列強との不平等条約や治外法権問題を通じて「外国人に対する不信感」が醸成された。その後、国民国家を形成する過程で「単一民族国家」という自己認識が強調され、日本人の同質性が国家の統合原理とされた。これが異文化や異民族に対する警戒感や排他的態度につながった。
戦後の高度経済成長期においては、在日韓国・朝鮮人や中国人労働者が都市部や製造業で労働力を担ったが、社会的差別の対象とされた。また1990年代には、日系ブラジル人やペルー人が自動車産業を中心に大量に来日し、愛知県豊田市や群馬県大泉町などに定住した。しかし言語や教育、生活習慣の違いから地域社会との摩擦が生じ、外国人に対する偏見が強まった。これらの歴史的経緯は、日本社会における排外主義の基盤を形成している。
経緯
2000年代に入ると、日本は急速な少子高齢化と労働力不足に直面し、外国人労働者の受け入れを拡大した。技能実習制度や留学生制度がその代表であるが、これらは「労働力不足解消」を目的としながらも「移民政策ではない」と位置づけられてきた。この矛盾は、外国人を社会の一員として迎え入れるのではなく、一時的な労働力として扱う風潮を強めた。
その結果、外国人労働者は社会的権利が制限され、賃金格差や労働環境の問題が顕在化した。同時に、地域社会では教育や医療、福祉における支援体制が不足しており、外国人住民と地域住民の間に摩擦が生じた。こうした問題が、排外主義的な感情を誘発した。
さらに、2007年頃から「在日特権を許さない市民の会(在特会)」のような排外主義団体が活動を開始し、街宣活動やデモを通じて「反在日」「移民反対」を訴えた。インターネット上の動画共有サイトやSNSを通じて彼らの主張は拡散し、排外主義が可視化されるようになった。2010年代にはヘイトスピーチが社会問題化し、2016年に「ヘイトスピーチ解消法」が成立したが、法的拘束力に乏しく、実効性は限定的であった。
地域事例
排外主義が広がった経緯を具体的に理解するには、地域ごとの事例が重要である。例えば、群馬県大泉町はブラジル人住民の割合が人口の約15%に達し、日本有数の「外国人集住都市」となっている。ここではポルトガル語対応の教育や行政サービスが整備されているが、初期には学校の不就学児童が問題となり、地域住民との摩擦が起きた。また、ゴミ出しのルールや交通マナーをめぐるトラブルが報じられ、「外国人は地域の秩序を乱す」とのイメージが形成された。
愛知県豊田市でも、自動車産業の労働力として日系ブラジル人が集中し、経済的に重要な役割を果たした一方で、リーマンショック後の失業問題が深刻化した。多くの外国人労働者が生活困窮に陥り、生活保護の申請増加や治安不安が地域社会に広がった。これにより「外国人が社会保障を食いつぶす」という偏見が拡散された。
また、東京都新大久保は韓流ブームで観光地化したが、一方で「コリアンタウン」としての発展に反発するデモが2010年代前半に頻発した。ここでは在特会などによるヘイトデモが展開され、「外国人排斥」の象徴的な舞台となった。さらに川崎市では2019年にヘイトスピーチを直接規制する全国初の条例が施行され、排外主義的デモの抑止を目的とした取り組みが進んだ。地域ごとの対応に差があることも、全国的な排外主義の広がりを複雑にしている。
問題点
排外主義の広がりにはいくつかの深刻な問題がある。第一に、事実と乖離した情報に基づく偏見の強化である。統計的に外国人犯罪は全体のごく一部であり、むしろ減少傾向にあるにもかかわらず、特定の事件が大きく報じられることで「外国人=危険」という固定観念が形成されている。
第二に、制度的不備である。外国人労働者の権利保障が不十分であり、労働搾取や社会的孤立が排外主義を助長している。例えば技能実習制度では、低賃金や長時間労働、パスポートの取り上げなどの人権侵害が報告されている。こうした制度的問題は、外国人と日本人の双方に不満を蓄積させる。
第三に、政治的利用の問題がある。排外主義的な言説は一部の政治家や団体に利用され、支持を獲得する手段となっている。社会不安が高まると「移民が原因だ」とする単純な説明が受け入れられやすく、排外主義が強化される。欧州の極右政党のように、日本でも一部の政治勢力が排外主義的な言説を戦略的に活用している例がある。
第四に、地域社会の分断である。教育や福祉、住宅などで外国人住民が十分なサポートを受けられない場合、地域に孤立が生じ、相互理解が進まない。これが「外国人は日本社会に適応しない」という誤解を広げ、排外主義を正当化する口実となる。実際に文部科学省の調査では、外国籍の子どものうち約2万人が不就学状態にあると推計されており、教育機会の不足が社会的孤立を助長している。
考察
日本で排外主義が広がった経緯は、歴史的背景、制度的矛盾、情報環境、地域社会の問題が複合的に絡み合った結果である。特に、人口減少と労働力不足に直面する中で外国人の存在が不可欠となる一方、国民意識の中には「日本は単一民族国家であるべき」という幻想が依然として強く残っている。この矛盾が、排外主義を生み出す最大の要因といえる。
今後の課題は、外国人を一時的な労働力としてではなく、社会の構成員として受け入れる体制を整えることである。教育現場での多文化理解の推進、行政サービスの多言語化、メディアによるバランスの取れた報道が求められる。また、外国人自身が地域社会に積極的に参加できる仕組みを作ることも重要である。
さらに国際比較をすると、日本の排外主義は欧米の移民排斥運動と共通する点が多い。フランスやドイツでは難民受け入れをめぐり極右政党が台頭しており、米国ではトランプ政権下で反移民政策が強調された。日本は移民国家ではないと位置づけられてきたが、実態としては労働力を依存している以上、同様の課題に直面しているといえる。
排外主義の克服には時間がかかるが、日本社会が持続的に発展するためには避けて通れない課題である。外国人と日本人が共に暮らし、互いに信頼を築く社会モデルを構築できるかどうかが、日本の将来を左右するだろう。国際社会との連携や比較研究を通じて、日本独自の共生モデルを模索することが求められている。