コラム:スポーツ選手への誹謗中傷、現代社会特有の問題
SNS上のスポーツ選手に対する誹謗中傷は、匿名性・即時性が相互作用した現代社会特有の問題である。
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現状(2026年2月時点)
近年、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)はスポーツ界にとって不可欠な広報・ファン交流の場となっている一方で、スポーツ選手や関係者に向けた誹謗中傷・暴言・脅迫が重大な社会問題となっている。SNSの匿名性・拡散力は、選手とファンを直接つなぐ利点と同時に、攻撃的な言動が容易に表現・共有される負の側面を持つ。特に世界的競技大会やプロリーグの試合後には、成績評価に伴う否定的感情がネット空間で蓄積・顕在化し、選手の人格権や精神的安全を侵害するケースが増加している。こうした傾向が、スポーツ界・法制度・政府機関による対応構築を促している。
スポーツ選手への誹謗中傷(総論)
SNS上での誹謗中傷とは、特定の個人に対して侮辱・名誉棄損・人格否定・嫌がらせを行う投稿・コメント・メッセージの総称であり、固定的な定義はプラットフォームや法域により多様であるものの、一般に以下を含む。
侮辱的表現:人格・能力を否定する言説
名誉棄損表現:事実に反する悪意のある言及
脅迫・暴言:死ね、消えろ等の直接的攻撃
差別表現:性別・人種・宗教等に基づく蔑視
SNSでの誹謗中傷は、投稿者が匿名である場合が多く、特定・責任追及が困難なことが多い。さらにSNSプラットフォームによる取り締まりや削除対応の遅延、発信者情報開示の法的・技術的制約(ログ保存期間等)により、被害救済が困難であるという問題も顕在化している。
誹謗中傷の現状と内容
スポーツ選手への誹謗中傷は、競技レベル・国際大会を問わず日常的に発生する。パリ2024オリンピックでも、SNS上での選手・審判への攻撃的なコメントが多発し、国際オリンピック委員会(IOC)はSNS投稿の問題提起と警告を発出した事例が報告されている。
国際的調査によると、2024年パリ大会期間中のアスリートのSNS投稿に対して大量の攻撃的コメントが確認され、多くが人種差別的・性的な内容を含んでいることが報告されている。
国内では、プロスポーツチーム・選手団に対する誹謗中傷がSNSで頻発し、一部チームは法的措置の検討・表明を行っている。たとえば複数のJリーグクラブが所属選手・家族へのSNS誹謗中傷について法的対応を示唆している。
攻撃の激化
SNS上の攻撃性は、単なる批評を超えるケースが増えている。特にスポーツ賭博市場の拡大に伴い、ギャンブルに結び付いた誹謗中傷の増加傾向が国際的にも指摘されている。海外では、結果に失望した賭け客がSNS上で選手への攻撃を行い、試合パフォーマンスとギャンブルの結果を関連付けた暴言が確認されている。
アメリカや欧州では、女性選手への差別的・性的嫌がらせが賭博絡みで特に顕著であり、ギャンブル関連のSNS投稿が誹謗中傷全体の大きな割合を占めるという。
スポーツ賭博の影響
スポーツ賭博はグローバルに合法化が進む一方で、試合結果への感情的反応を誘発しやすい。SNSはその感情の受け皿として機能し、負けたギャンブラーが選手個人への攻撃に転じるケースが世界的に報告されている。
スポーツ賭博とオンライン誹謗中傷の関係は、匿名性と即時性を併せ持つSNSの特徴とも相性が良く、特にマイクロベット(インゲーム賭け)など新たな賭け形態が誹謗中傷の誘発要因として指摘されている。
深刻な精神的ダメージ
SNS上の誹謗中傷は選手に深刻な精神的ダメージをもたらす。IOCアスリート委員会は、SNS上の否定的コメントにより選手がSNSから退く事案や、精神的健康への悪影響があると警告した。
心理学的研究でも、オンラインハラスメントは被害者の精神的苦痛・不安増大・スポーツ離脱につながる傾向が確認されており、とりわけ性・人種等の差別的攻撃は心理的負担が大きいという分析が存在する。
スポーツ界の対策
スポーツ業界内部では、誹謗中傷に対する組織的な対策が重要な課題となっている。プロリーグや選手会、国際団体は包括的な対応の構築を進めている。
24時間監視とAIの活用
SNS上の誹謗中傷に対しては、AIを活用した検出・対応システムの導入が進む。日本プロ野球選手会はクライマックスシリーズ・日本シリーズの期間でSNS誹謗中傷を自動検出し、通報・削除要請・発信者情報開示支援を行うシステムを導入した。
また、日本企業が試合文脈を理解して誹謗中傷だけを抽出するAIモデレーション技術を開発しており、選手保護に資する技術的基盤が整いつつある。
こうしたAIの活用は、24時間体制で大量投稿をモニタリングする必要があるSNS対応において重要である。
競技団体による共同声明と相談窓口
スポーツ団体は誹謗中傷防止の声明を発出し、相談窓口を設置するなど選手支援体制を整えつつある。国際テニス連盟(ITF)や女子テニス協会(WTA)は、誹謗中傷に関与したアカウントをプラットフォームに報告し、アカウント停止や大会参加禁止等の対応を求める運動を展開している。
国内でも、スポーツ団体・選手会が誹謗中傷対応窓口を設け、発信者情報開示や刑事告訴の相談支援を行っている例が確認されている。
法的措置の強化
誹謗中傷に対する法的対応は、刑事責任・民事責任の両面から進展している。SNS上の誹謗中傷は侮辱罪・名誉棄損罪に該当し得るだけでなく、発信者情報開示請求や損害賠償請求など民事裁判が進められている。
主な法的・公的動き
日本では「プロバイダ責任制限法」や、SNS運営会社に対する削除要請義務化等の制度改革が進行している。特に大規模SNS事業者には誹謗中傷投稿への迅速対応が求められている。
ガイドラインの策定
スポーツ団体・SNSプラットフォーム・政府機関が連携して、SNSの健全な利用に関するガイドラインの策定が進んでいる。これには、誹謗中傷の定義・対応フロー・プラットフォームの通報・削除基準等が含まれている。
第三者機関の設立
専門第三者機関による監視・助言機能の構築が議論されている。独立した機関はSNSプラットフォームと連携し誹謗中傷投稿の特定・分析・対策立案を行う可能性がある。
各国政府の対応
欧米を中心に、SNS誹謗中傷対策への法整備が進む。英国ではオンライン安全法によりプラットフォーム責任が強化され、誹謗中傷投稿の削除・アカウント停止が義務化された。
米国でも議会でSNS誹謗中傷・スポーツ賭博関連規制の提案が行われており、プラットフォーム責任や賭博業界との連携強化が論点となっている。
日本政府の対応
日本国内でもSNS誹謗中傷対策の強化が進行し、SNS運営者への削除要請制度や発信者情報開示請求の運用改善が進められている。スポーツ選手保護の観点から、国会審議や行政ガイドライン策定が継続的に行われている。
今後の展望
SNSとスポーツ界は不可分な関係であり、誹謗中傷対策は単なる抑止策ではなく、選手の安全・健全なファン文化の形成につながる課題である。今後の展望として以下が期待される。
AIと人間のハイブリッド監視体制の高度化
プラットフォームとスポーツ団体の連携強化
国際的な誹謗中傷対策の標準化
教育・啓発活動による根本的な意識改革
まとめ
SNS上のスポーツ選手に対する誹謗中傷は、匿名性・即時性が相互作用した現代社会特有の問題である。誹謗中傷は選手の人格権・精神的健康を侵害し、スポーツ文化全体の健全性を損なう可能性がある。スポーツ界・法制度・技術基盤・プラットフォーム・政府が連携して対応を強化し、誹謗中傷を削減し、安全なデジタル環境を構築することが求められている。
参考・引用リスト
Reuters / ニュース: BetMGMがスポーツ賭博アカウント利用者の選手への嫌がらせ禁止ポリシーを導入(2026年)
Reuters / ニュース: Olympic medalist Gabby Thomasへの嫌がらせ報道(2025年)
Nippon.com「SNS時代の負の側面とスポーツ界の対応」
新日本法規WEB「SNS上のアスリートに対する誹謗中傷具体事案と法的分析」
新日本法規WEB「国内におけるアスリートへの誹謗中傷問題への対応」
新日本法規WEB「SNS上の誹謗中傷への法的対応」
World Athletics報告「オンライン虐待調査(Paris 2024)」
その他新聞・オンライン媒体報道(朝日新聞等)
追記:スポーツ選手へのSNS誹謗中傷の詳細分析
本追記では、スポーツ種目ごとの誹謗中傷傾向と分析、具体的法的措置の手続き、そして“誹謗中傷が刑事・民事上の犯罪となる法的根拠”を体系的に整理する。現状と取り組みを深く理解するための補完的内容である。
1. 特定競技ごとの誹謗中傷傾向と統計データ
1-1. テニス
テニスでは、世界の主要団体(International Tennis Federation、Women’s Tennis Association、All England Lawn Tennis Club、United States Tennis Association)が協力して行った調査で、2024年の大会期間中にAIツールで約2.47百万件の投稿を分析した結果、12,000件の誹謗中傷が検出され、そのうち約48%がギャンブルに関連した怒れる賭博者によるものと判定された。15件は刑事対応が必要と判断され法執行機関に報告された。男女ともに嫌がらせは発生しているが、賭博関連の動機が顕著であった。
さらに個別報道では、複数のトップ選手が脅迫や性的暴言を受けていることが明らかとなり、プロ選手の少なくとも458名が直接的なオンライン誹謗中傷の対象となったとの報道もある。賭博者が個人的な損失に対する怒りを選手に向けて発信している。
1-2. 陸上・オリンピック種目
World Athleticsによる4年にわたる調査では、主要大会においてSNS投稿約140万件をAIと人的分析で検討した結果、アスリートへのオンライン虐待には人種差別、性差別、性的表現を含む侮辱が継続的に存在すること、個々の身体的特徴や文化的背景に基づく誹謗が散見された。男女の属性や性的指向に関する差異も分析され、オンライン虐待は単なる試合パフォーマンス批判を超えた差別的要素を含むことが確認されている。
また過去のオリンピック大会では、女性アスリートへの誹謗中傷の大部分(87%)が女性選手に向けられたとの調査報告も存在し、性差別的誹謗がオンライン空間で極めて高い比率を占めていた。
1-3. NCAA(米大学スポーツ)における傾向
米国カレッジスポーツ団体NCAAのパイロット調査では、72,000件を超えるSNS投稿をAIで評価したところ、5,000件超が侮辱的、脅迫的なコンテンツと認定された。性差に基づく攻撃(19%)、賭博関連(12%)、人種差別(10%)が主要なカテゴリーであり、特に女性バスケットボール選手が男性よりも3倍近い誹謗を受けたという結果が示された。誹謗中傷は野球、バスケットボール、体操、サッカー、ソフトボール、バレーボールなど複数競技で発生している。
1-4. バスケットボール(NBA等)
NBAを対象にした学術研究でも、X(旧ツイッター)上の誹謗中傷には人種的侮辱、身体的特徴への嘲笑、性少数者への偏見表現が含まれ、特に人気選手が集中して攻撃対象となる傾向が示されている。これらはスポーツ特性だけでなく、フォロワー数や露出度が高い選手ほど過激な発言を受けやすいという傾向を明らかにしている。
1-5. 全体傾向
複数組織による世界的調査「Online Abuse in Sport Barometer Report 2024」では、調査対象の連盟の75%が競技者や家族に対する危害の脅迫が報告され、66%がSNSプラットフォームの対策不足を指摘、90%が問題の深刻さを懸念している。
このようにスポーツ種目や大会種別によって対象・傾向は多様であるものの、性別・人種・賭博関連の動機付けが大きな要因であることが明確になっている。
2. 具体的な法的措置の手続き
SNS上の誹謗中傷に対する法的措置は、主に民事上の救済と刑事上の責任追及の双方で捉える必要がある。
2-1. 発信者情報開示請求
SNS運営会社(コンテンツプロバイダ)や通信事業者(アクセスプロバイダ)に対して、投稿者の識別情報を司法手続きに基づいて開示させる手続きである。通常は次の二段階で進められる。
コンテンツプロバイダへの開示請求:投稿のIPアドレス等の情報を請求
アクセスプロバイダへの開示請求:取得したIP等から氏名・住所等の個人情報を開示請求
このプロセスは投稿後の時間経過により通信ログが消去される可能性があるため、迅速な法的手続きの実施が実務上重要であり、投稿から2週間以内に請求開始が望ましいとされている。
2-2. 刑事告訴と刑法
日本における誹謗中傷は、刑法上の以下の罪に該当する可能性がある。
名誉毀損罪(刑法230条):事実を摘示して人の名誉を傷つける行為
侮辱罪(刑法231条):事実の有無を問わず公然と他人を侮辱する行為
信用毀損・偽計業務妨害罪(刑法233条):虚偽情報により信用や業務を害する行為
これらは刑事責任を伴い得る犯罪行為であり、被害者や関係者が警察に告訴することで捜査・起訴につながる。
2-3. 民事損害賠償請求
発信者情報を開示した後、その情報に基づき不法行為に基づく損害賠償請求を行うことが可能である。この際は、
被害投稿の証拠保全と削除請求
発信者個人の特定
精神的損害・名誉低下等の損害賠償根拠の主張
といった手続きが中心となる。
国内プロスポーツ界では、誹謗中傷投稿をしたアカウントに対して発信者情報開示命令申立てとその後の示談解決に成功した事例も報告されている。
3. 誹謗中傷は犯罪
SNS上での誹謗中傷行為は単なる批判や意見表明ではなく、名誉障害や侮辱の実行であり、刑法上の犯罪類型に該当し得る。刑法230条・231条の規定に基づき、投稿内容によっては刑事処罰の対象となる。発言者が匿名でも実際には法的責任を負うべきであり、プラットフォーム利用規約によるアカウント停止だけでなく、警察捜査や裁判所判断による処罰が可能である。
また、誹謗中傷が人の尊厳・人格権を侵害する行為である点は法理上も確立されており、民事法上の不法行為責任(民法709条)に基づく損害賠償責任が認められる。
追記まとめ
特定競技ごとの誹謗中傷傾向は、競技人気・賭博関連動機・性別・人種等の複合要因により異なるパターンを示している。テニスやNCAAスポーツではギャンブル関連の誹謗が顕著であり、世界的な調査でも広範囲にオンライン虐待が存在することが明らかになっている。
具体的な法的手続きは、発信者情報開示請求→刑事告訴・民事損害賠償という流れで行われ、誹謗中傷が刑事犯罪に該当する行為であるという法的根拠も明確である。
SNS時代のスポーツ界における誹謗中傷対策は、技術的・教育的・法的三角構造の強化により、より安全なデジタル環境を構築することが不可欠である。
参考・引用
Reuters: BetMGM bans harassment of athletes…(スポーツ賭博関連)
Reuters: Angry gamblers responsible for nearly half of social media player abuse(テニス誹謗中傷)
AP News: NCAA pilot study finds…(NCAA誹謗・統計)
Nippon.com: SNS時代のスポーツ誹謗中傷と対策)
新日本法規WEB記事(発信者情報開示等)
World Athletics Report / research(SNS虐待分析)
Online Abuse in Sport Barometer Report 2024(世界的HIB暴露)
Social media abuse against women athletes(性別差別的誹謗)
