EU「域内製造」法案、英国が参加を要請、中国依存の低減と経済安全保障、浮上している主な課題
2026年9月時点で問題となっているEUの「域内製造」政策は、単純な保護主義政策として捉えるよりも、欧州の産業基盤を再構築し、域外への戦略的依存を抑制する経済安全保障政策として理解する必要がある。
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現状(2026年9月時点)
2026年9月時点で、欧州連合は域内の製造能力を強化し、重要技術や部品の域外依存を抑えるための「産業加速法」をめぐる制度設計を進めている。この法案は2026年3月に欧州委員会が公表したもので、自動車、電池、再生可能エネルギー関連などの戦略分野を対象に、域内生産の拡大と脱炭素化を同時に進めることを狙った政策である。
この動きが英国で大きな関心を集めているのは、英国が欧州連合から離脱した後も、自動車産業を中心として欧州連合との製造・部品供給網が極めて深く結び付いているためである。英国自動車工業会によれば、英国と欧州連合の自動車関連取引は年間約800億ユーロに達しており、英国と欧州連合は双方にとって最大級の自動車輸出市場となっている。
とりわけ問題となっているのが、産業加速法に盛り込まれた「欧州製」を重視する仕組みである。公共調達、購入補助、税制上の優遇措置などにおいて欧州域内で生産された製品や部品を優先する制度が導入されれば、英国で製造された自動車や部品が、欧州連合市場において相対的に不利な扱いを受ける可能性がある。
英国側はこの問題について、単純な関税撤廃や欧州単一市場への復帰を求めているわけではない。むしろ英国の自動車、部品、電池などについて、欧州連合域内で生産された製品と同等に扱う「信頼できるパートナー」としての地位を制度上確保することを求めている。
英国政府も2026年を通じて欧州連合側と協議を続けており、英国議会への政府答弁では、産業加速法案はなお最終化されておらず、英国の自動車産業と欧州連合との統合された供給網への影響を検討していると説明している。したがって、2026年9月現在の状況を「英国が欧州連合の域内製造制度への正式参加を決めた」と理解するのは正確ではなく、英国を欧州製と同等に扱うための制度的な妥協点を模索している段階と位置付けるべきである。
背景:EUの狙いと英国の「参加要請」
欧州連合が域内製造を強化する背景には、単なる保護主義では説明できない複数の要因が存在する。新型コロナウイルス感染症の流行、ロシアによるウクライナ侵攻、エネルギー価格の変動、米中対立の長期化などによって、特定地域に重要部品や原材料を依存することが産業政策だけでなく経済安全保障上の問題として認識されるようになったからである。
特に自動車産業では、電気自動車への移行に伴って従来のエンジン中心の供給網が大きく変化している。電池セル、電池材料、半導体、電子部品などの重要性が高まり、欧州域外、とりわけ中国を含む域外供給網への依存をどこまで許容するかが、欧州の産業競争力を左右する問題となっている。
欧州委員会の産業加速法は、こうした状況を踏まえ、戦略分野における域内生産能力を高めるとともに、公共支援を通じて欧州で生産された製品への需要を形成する方向を打ち出している。欧州自動車工業会も、域外への戦略的依存を低減し、欧州の製造基盤を強化するという法案の目的そのものについては支持を表明している。
ただし、ここには政策上の矛盾も存在する。域内製造を急速に拡大しようとすれば、現在の供給能力では必要な部品を十分に調達できず、かえって生産コストの上昇や供給不足を招く可能性があるためである。
この点は自動車産業にとって特に重要である。2026年9月に公表された欧州自動車工業会の調査では、現在の生産能力を前提とした場合、欧州で製造される中型・大型トラックの約半数が、提案されている電池の域内調達要件を満たせない可能性が示された。つまり「中国依存を減らす」という政策目的そのものは理解できても、域内供給網が十分に育つ前に厳格な現地調達条件を導入すれば、欧州企業自身が制度上の制約を受ける可能性がある。
ここから英国問題が浮上する。英国は欧州連合の加盟国ではないものの、英国で生産された車両や部品が欧州の製造工程に入り、逆に欧州製部品が英国の工場で使用されるという相互依存が続いているためである。
したがって英国が求めているのは、欧州連合の経済安全保障政策そのものへの反対ではない。むしろ英国側は、欧州連合が中国などへの依存を減らすという目的を実現するためにも、既存の英欧サプライチェーンを分断せず、英国を「信頼できる域外パートナー」として扱うことが合理的だと主張しているのである。英国自動車工業会は、英国の自動車生産が欧州連合域内で約240億ユーロの経済活動と25万人の雇用を支えているとの分析を2026年9月に公表している。
中国依存の低減と経済安全保障
欧州連合が「域内製造」を重視する最大の理由の1つは、中国を中心とする域外供給網への依存が、単なる貿易問題ではなく経済安全保障上のリスクになったことである。新型コロナウイルス感染症による供給網の寸断、ロシアによるウクライナ侵攻後のエネルギー危機、米中対立の長期化などを経験した欧州では、重要部品や戦略物資を特定の国・地域に過度に依存することへの警戒が強まっている。
自動車産業は、この問題を象徴する分野である。電気自動車への転換によって、従来のエンジンや変速機を中心とした産業構造から、電池、電池材料、電子部品、半導体、ソフトウエアなどを組み合わせる産業構造へ変化しており、中国企業が強い分野との接点が急速に増えている。
欧州連合にとって問題なのは、中国製品が安価であることだけではない。電池などの重要部品について域外企業への依存が高まれば、外交関係や輸出規制、原材料価格、物流障害などによって欧州の製造業が直接影響を受ける可能性があるためである。
こうした背景から、2026年3月に欧州委員会が公表した産業加速法案は、戦略的分野の域内生産能力と脱炭素化を同時に促進する制度として位置付けられている。法案では、公共調達や補助制度などを通じて欧州域内で製造された製品への需要を形成し、域外依存を低減する方向が示されている。
ただし、ここで注意すべきなのは、「中国製品を排除すれば欧州の産業が強くなる」という単純な構図ではないことである。欧州企業自身が中国を含む世界的な供給網に組み込まれているため、域外依存を急激に縮小すると、部品価格の上昇や調達先不足によって欧州メーカーの競争力を逆に低下させる可能性がある。
この問題は、英国を欧州連合の域内製造政策にどう位置付けるかという問題にも直結する。英国は欧州連合から離脱したものの、自動車産業では欧州各国との部品供給、生産、販売が複雑に結び付いており、英国を制度上の「域外」として扱うことが、欧州連合自身の供給網強化という目的と矛盾する可能性がある。
2026年9月時点で英国政府は、欧州連合の産業加速法案について、英国の自動車産業と英欧の統合された供給網に不利益を生じさせないよう欧州委員会、加盟国、欧州議会議員などと協議している。英国政府自身も、法案はまだ立法過程にあり、内容が変更される可能性があると説明している。
英国の危機感と参加要請
英国の危機感を理解するには、英国の自動車産業が「英国だけで完結する産業」ではないことを押さえる必要がある。英国で組み立てられる自動車には欧州各国から供給される部品が使われる一方、英国で製造された車両や部品も欧州各国へ輸出されており、英欧間では年間約800億ユーロ規模の自動車関連貿易が行われている。
そのため、欧州連合が補助金や公共調達などで「欧州製」を優先する仕組みを導入した場合、英国企業が単純に「外国企業」として扱われれば、英国だけでなく欧州側にも影響が及ぶ可能性がある。英国自動車工業会は、英国が制度から除外されれば、英国企業の競争力や生産規模だけでなく、欧州全体の自動車産業にも影響が及ぶとの見方を示している。
特に重要なのが電気自動車である。英国と欧州連合の間では、2027年1月から電気自動車に関する原産地規則がさらに厳しくなる予定であり、英国政府は産業加速法への対応と並行して、この原産地規則についても実務的な解決策を求めている。つまり英国にとっては、今回の「域内製造」問題が単独の新法案ではなく、電気自動車への移行、原産地規則、関税、補助制度という複数の問題が重なったものとなっている。
英国政府が2026年9月に示している立場は、欧州単一市場への復帰そのものを要求するものではない。英国政府は、英欧の自動車供給網について「摩擦のない貿易」と相互利益の確保を重視し、英国を欧州連合の産業加速法の対象に含めることを明確な交渉課題としている。
この要求には、英国側から見た現実的な計算もある。英国が欧州連合の制度から外れれば、欧州域内で販売される英国製自動車や部品が、域内企業と比較して補助制度や公共調達で不利になる可能性があり、その場合、英国企業が生産拠点や投資先として英国を選択する魅力が低下する可能性があるからである。
一方、欧州連合側にも英国を簡単に特別扱いできない事情がある。英国は欧州連合加盟国ではなく、英国企業を域内企業と同等に扱うことになれば、他の域外国からも同様の待遇を求められる可能性があるためである。
この問題は、経済合理性と制度的一貫性の衝突として捉える必要がある。英国を含めれば英欧の既存サプライチェーンを維持しやすくなる一方、加盟国と非加盟国の区別が曖昧になれば、欧州連合が目指す「域内製造」の政策的意味そのものが弱まる可能性がある。
したがって、英国の「参加要請」は、欧州連合への再加入を求めるものとは異なる。より限定的には、英国を欧州連合の制度上の加盟国ではないまま、一定の条件を満たす「信頼できる供給パートナー」として扱い、欧州の製造網の一部に組み込むことを求める交渉と見ることができる。
この構図が今後の焦点になる。欧州連合が中国依存を低減するために域内製造を強化するほど、英国を排除することによる供給網の分断コストも大きくなり得るからである。
一方で、英国側も「英国製だから欧州製と同じに扱うべきだ」と主張するだけでは交渉が成立しにくい。中国など域外勢力への依存を抑えるという欧州連合の目的を共有し、原材料の追跡、供給網の透明性、投資規則、補助金、原産地確認などでどこまで同じ基準を受け入れられるかが、今後の交渉を左右することになる。
浮上している主な課題
EUの「域内製造」政策と英国の参加要請をめぐる問題は、単純に英国を制度に含めるか除外するかという二者択一ではない。実際には、EUが域内産業を保護・育成しながら中国などへの依存を減らすという政策目的と、英国を含む既存の欧州サプライチェーンを維持する必要性をどう両立させるかが核心となる。
特に問題となるのは、自動車産業が国境を越えた分業によって成立していることである。英国とEUの自動車産業では、車両そのものだけでなく、エンジン、電池、電子部品、素材などが複数の国を経由して生産されるため、「EU域内で製造されたもの」と「域外で製造されたもの」を明確に線引きするほど、実際の生産構造との間に摩擦が生じやすくなる。
① 通商政策のギャップと「中国の迂回ルート」リスク
英国をEUの「域内製造」に準じて扱う場合、EU側が警戒するのが、英国を経由した中国製品の流入である。英国がEU加盟国ではない以上、EUとは異なる通商政策を採用できるため、英国が中国製部品や製品に対してEUより緩やかな市場開放政策を取れば、英国を経由してEU市場へ製品が入る「迂回ルート」が生じる可能性がある。
この問題は、自動車産業では特に重要である。電気自動車の普及に伴って電池や重要部品の比重が高まるなか、EUが中国への依存度を低下させようとしているにもかかわらず、英国を通じて中国由来の部品がEUの供給網に入り込めば、域内製造政策の実効性が低下するためである。
EUにとって重要なのは、単に「英国で組み立てられた製品かどうか」ではなく、製品の価値がどこで生み出され、重要部品がどこから調達されているのかを把握することである。したがって英国を優遇する場合でも、原材料や部品の原産地確認、供給網の透明性、域外からの資本参加などについて、EU側が一定の条件を求める可能性は高い。
ここにはEUの政策上の難しさがある。中国への依存を減らすことを理由に厳しい域内調達要件を導入すれば、EU企業自身が必要な部品を確保できなくなる可能性があり、逆に要件を緩和しすぎれば、中国依存を低減するという政策目的が弱まるからである。
2026年9月に欧州自動車工業会が公表した分析は、この問題を具体的に示している。同団体の調査では、現在の供給能力を前提とすると、欧州で製造される中型・大型トラックの約半数が、提案されている電池の域内調達要件を満たせない可能性があるとされた。
これは、域内製造政策が「域外依存の削減」と「域内産業への供給確保」という2つの目的を同時に追求していることによる構造的な問題である。欧州で十分な電池生産能力が形成される前に現地調達要件だけを厳格化すれば、企業は高価な部品を調達するか、生産計画そのものを変更する必要に迫られる可能性がある。
そのため、英国の参加を認めるかどうかについても、政治的なEU加盟国・非加盟国という区分だけでなく、英国がEUの経済安全保障上の基準をどこまで共有できるかが重要になる。
② 関税同盟の再加入をめぐる政治的摩擦
もう1つの問題は、英国のEU離脱によって生じた制度上の距離である。英国はEU加盟国ではなく、関税同盟にも参加していないため、EUと英国の間では原則として離脱後の協定に基づく通商ルールが適用される。
そのため、「英国製品をEU域内製品と同じように扱う」という要求を実現するには、単純な制度変更では済まない可能性がある。特に関税、原産地規則、補助金、公共調達、製品基準など複数の制度を整合させる必要があり、実質的な市場統合をどこまで進めるかという政治問題に発展しやすい。
英国にとっても、関税同盟への再加入を含む大幅な制度変更には慎重にならざるを得ない。EU離脱後の英国の通商政策は、英国自身が独立して他国と協定を結べることを重要な柱としてきたため、EUの通商政策に再び拘束される制度をどこまで受け入れるかは、経済問題だけではなく政治的な問題でもある。
一方、EU側にも英国に特別な地位を与えることへの慎重論がある。EU加盟国ではない英国に対して域内企業と同等の扱いを広範囲に認めれば、他の域外国からも同様の待遇を求められる可能性があり、EUの産業政策における「域内」という概念が曖昧になるからである。
したがって、現在の争点を「英国がEUに戻るかどうか」と捉えるのは適切ではない。現実的な論点は、英国の独立した通商政策を維持しながら、EUが経済安全保障上必要と考える分野について、英国にEU加盟国に近い水準の規則を受け入れさせられるかという点にある。
③ サプライチェーンの混乱と自動車産業への懸念
最も直接的な経済的問題は、制度変更によって既存のサプライチェーンが混乱する可能性である。自動車産業では1台の車両を完成させるまでに多数の部品が必要であり、その一部について域内製造を義務付ければ、企業は調達先の変更を迫られる可能性がある。
問題は、単に新しい部品メーカーを探せば解決するものではない。自動車部品には安全性や品質、耐久性などに関する厳格な基準があり、供給企業を変更する場合には設計変更、試験、認証、生産設備の変更などに時間と費用が必要となる。
とりわけ電気自動車では電池が重要である。欧州で電池の域内生産を拡大することはEUの長期的な産業政策として合理性を持つ一方、域内生産能力が需要を十分に満たせない段階で厳格な現地調達規則を導入すれば、自動車メーカーの生産コストを押し上げる可能性がある。
欧州自動車工業会が示したトラック向け電池の調達能力に関する分析は、その懸念を裏付ける材料となる。同団体は、域内調達要件が欧州の現在の生産能力を上回る可能性を指摘しており、政策目標と産業の実際の供給能力との間にギャップがあることを示している。
英国側から見れば、この問題はさらに複雑になる。英国の自動車産業はEU市場との相互依存度が高く、英国製部品や完成車がEUの制度変更によって不利になれば、英国企業の問題にとどまらず、EU側の自動車メーカーや部品メーカーにも影響が及ぶ可能性がある。
英国自動車工業会は2026年9月、英国の自動車生産がEU域内で約240億ユーロの経済活動と25万人の雇用を支えているとの調査結果を公表した。これは同団体が委託した分析による推計であり、政策変更によってその全額が失われることを意味するものではないが、英EU自動車産業の結び付きの大きさを示す材料にはなる。
したがって、EUが英国を域外として厳格に扱えば英国企業に負担が集中するとは限らない。英国から部品を調達しているEU企業も供給先の変更を迫られたり、調達コストの上昇に直面したりする可能性があるためである。
ここに今回の問題の本質がある。EUが中国依存を低減し、域内製造を強化するために英国を制度上切り離せば、EUが既に持っている欧州域内の供給網まで弱体化させる可能性がある一方、英国を広く「欧州製」と同等に扱えば、域内製造政策の境界が曖昧になり、中国など域外からの迂回流入を防ぐことが難しくなる。
つまり、EUと英国の交渉では、「英国を域内に入れるか、域外に置くか」ではなく、「どの分野について、どの条件を満たした英国製品を欧州製と同等に扱うのか」という制度設計が中心的な論点になると考えられる。
EUと英国の間で今後焦点となるのは、英国をEUの「域内製造」政策に全面的に組み込むかどうかではなく、一定の条件を満たした英国企業や英国製品を、どこまでEU域内製品に準じて扱うかという制度設計である。英国はEU加盟国ではないため、域内市場への完全な復帰とは異なる限定的な協力枠組みを構築することが、現実的な選択肢となる。
その背景には、EU自身が英国との産業関係を完全に切り離すことによって得られる利益が限定的であるという事情がある。英国はEU離脱後も欧州の自動車産業に組み込まれており、英国で生産された部品や完成車を一方的に「域外製品」として扱えば、英国企業だけでなくEU側の自動車メーカーや部品メーカーにも調達上の負担が生じる可能性がある。
一方、EUが英国を無条件に域内製品と同じ扱いにすれば、域内製造を優先する政策の境界が曖昧になる。特に中国など域外からの部品を英国経由でEU市場へ流入させることを防ぐためには、英国に対して原産地や供給網について一定の透明性を求める必要がある。
「信頼できるパートナー」としての妥協点の模索
こうした状況を踏まえると、妥協点として考えられるのが、英国を「信頼できるパートナー」として位置付ける方式である。これは英国をEU加盟国と同じ法的地位に戻すものではなく、自動車、電池、重要部品など特定の戦略分野について、英国が一定の条件を満たす場合に限ってEU域内と同等またはそれに近い扱いを認める考え方である。
その際の条件として重要になるのが、原産地規則の整合性である。英国で最終組み立てを行ったという事実だけではなく、主要部品や原材料がどこから調達されたのかを確認できる仕組みが必要になるためである。
さらに、補助金や公共支援に関する透明性も重要になる。EUが域内企業に対して産業政策上の支援を行う一方、英国企業だけが異なる規則の下で大規模な支援を受ければ、EU域内企業との競争条件に差が生じる可能性があるからである。
そのため、英国側がEUとの協力を深める場合には、EUの産業政策そのものを受け入れるというよりも、経済安全保障に直結する部分について規則を近づけるという限定的なアプローチが考えられる。自動車や電池といった分野に対象を絞れば、英国の通商政策上の独立性を残しながら、英EU間のサプライチェーンを維持する余地が広がる。
英国側にとっても、この方式には一定の合理性がある。EUとの制度的距離を完全になくすことなく、英国企業が欧州市場で不必要な不利益を受けることを回避できるためである。
ただし、この妥協には制度運用上のコストが伴う。どの部品を「欧州製」と認めるのか、どの程度の域内付加価値が必要なのか、中国など第三国からの部品をどこまで許容するのかを細かく決めなければならないからである。
英国の通商・産業戦略の微調整圧力
今回の問題は、英国の通商政策そのものにも修正圧力を与えている。EU離脱後の英国は、EU以外の国・地域との貿易関係を拡大し、自国で独立した通商政策を行うことを重視してきたが、製造業についてはEU市場との結び付きが依然として極めて大きい。
特に自動車産業では、EU市場へのアクセスだけでなく、EU域内の部品供給網との接続が英国の生産活動を支える重要な要素となっている。そのため英国政府には、世界各国との通商関係を拡大する政策と、EUとの産業規則を可能な範囲で接近させる政策を同時に進める必要が生じている。
これは英国にとって単純な政策変更ではない。EUとの規則を近づければ英国の独自性が弱まる可能性がある一方、EUとの制度的距離を広げれば英国企業が欧州市場で不利になる可能性があるためである。
電気自動車についても同様である。英国政府はEUとの間で電気自動車に関する原産地規則などをめぐる協議を続けており、2027年以降の制度変更が自動車産業に与える影響を抑えることが重要な政策課題となっている。英国議会への政府答弁でも、EUの産業加速法と自動車産業の統合された供給網について協議を続けていることが示されている。
したがって英国は今後、EUへの全面的な再統合ではなく、産業政策上重要な分野についてEUとの規制協力を深める方向へ政策を微調整する可能性がある。これは英国の通商政策をEU中心に戻すこととは異なり、経済安全保障と産業競争力に関係する領域だけを選択的に接近させる動きと見ることができる。
今後の展望
2026年9月時点では、EUの産業加速法は立法過程にあり、最終的な制度内容は確定していない。このため、英国の扱いについても現段階で最終的な結論が出たとみなすことはできず、今後の法案修正やEU・英国間の協議が重要になる。
今後の最大の焦点は、EUが「域内製造」の定義をどこまで厳格に設定するかである。域内調達比率を高く設定すれば中国などへの依存を抑制しやすくなる一方、現在の欧州の供給能力では対応できない分野が生じる可能性があり、企業の生産コストを押し上げる危険がある。
反対に、域外企業や英国企業に広い例外を認めれば、供給網の柔軟性は高まるものの、EUの産業政策そのものが弱くなる可能性がある。特に中国製部品の間接的な流入をどのように防ぐかは、英国を制度に組み込む場合の重要な条件となる。
この意味で、今後の制度は「完全な域内製造」か「自由な国際調達」かという二択にはならない可能性が高い。戦略的に重要な部品について域内生産を優先しながら、供給能力が不足する分野では英国など信頼性の高いパートナーからの調達を認めるという、段階的な制度設計が焦点になると考えられる。
また、EUの政策が実際に成功するかどうかは、規制だけでなく域内の生産能力をどれだけ増強できるかにも左右される。欧州の電池、半導体、重要素材などの生産能力が拡大しなければ、域内調達規則を厳しくするだけでは企業の競争力を維持できない。
したがって、EUの「域内製造」政策は、関税や原産地規則だけでなく、研究開発、設備投資、エネルギー価格、電力供給、物流、人材育成などを含む総合的な産業政策として評価する必要がある。域内製造を増やす政策と、企業が域内で生産する経済的インセンティブを高める政策が同時に進まなければ、制度だけが先行する危険がある。
英国にとっても同様である。EU市場へのアクセスを維持するだけでなく、電池や重要部品などの国内生産能力をどこまで確保できるかが、自動車産業の中長期的な競争力を左右することになる。
現時点で最も重要なのは、EUと英国が相互の産業構造を考慮しながら、経済安全保障とサプライチェーンの効率性を両立できる制度を構築できるかどうかである。EUにとって英国は加盟国ではないが、欧州の製造網から簡単に切り離せる存在でもなく、英国にとってEUは離脱後も無視できない最大級の産業・貿易圏である。
したがって今後の交渉では、「英国をEU域内に戻す」という発想よりも、「EUの安全保障上の基準を満たす英国企業をどの範囲で欧州の産業基盤として扱うか」という実務的な議論が中心になるとみられる。
まとめ
2026年9月時点で問題となっているEUの「域内製造」政策は、単純な保護主義政策として捉えるよりも、欧州の産業基盤を再構築し、域外への戦略的依存を抑制する経済安全保障政策として理解する必要がある。欧州委員会は2026年3月、「産業加速法」を提案し、鉄鋼、セメント、アルミニウム、自動車、脱炭素技術などの戦略分野について、公共調達や公的支援に「EU製」や低炭素という条件を組み込む方向を示した。
背景には、中国をはじめとする域外供給網への依存に対するEUの警戒がある。新型コロナウイルス感染症、ロシアによるウクライナ侵攻、エネルギー危機などを経験した欧州では、重要な製品や部品を特定地域に依存することが、価格や物流だけでなく経済安全保障にも関わる問題として認識されるようになった。
自動車産業はその影響を最も受けやすい分野の1つである。電気自動車への移行によって電池や電池材料、電子部品などの重要性が増す一方、こうした分野では中国企業の存在感が大きく、EUが域内生産を強化しようとする理由となっている。
しかし、域内製造を強化するほど、英国との関係が難しくなるという逆説が生じる。英国はEUを離脱したものの、自動車産業では英国とEUの製造・部品供給網が密接に結び付いており、英国を単純な「域外」として扱えば、英国企業だけでなくEU企業にも調達や生産面で影響が及ぶ可能性がある。
2026年9月時点で英国政府は、産業加速法についてEU側と協議し、英国を制度の対象に含めることを求めている。英国政府は、自動車分野についてEUとの摩擦の少ない貿易と密接な供給網の維持を重要課題と位置付け、2027年1月に予定される電気自動車の原産地規則変更についても解決策を模索している。
一方で、英国をEU製品と同等に扱うことには、EU側にも慎重になる理由がある。英国がEU加盟国ではなく独自の通商政策を持つ以上、英国を通じて中国など域外からの製品や部品がEU市場に流入する「迂回ルート」が形成されれば、EUが進める域外依存低減策の実効性が低下するためである。
したがって、今後の焦点は英国をEUの「域内」に戻すかどうかではなく、英国がどのような条件を満たせばEU域内企業と同等に扱われるのかという制度設計になる可能性が高い。原産地規則、供給網の透明性、重要部品の調達先、補助金、公共調達などについてEUと英国のルールをどこまで接近させるかが重要になる。
同時に、EU自身にも域内調達を急激に拡大することへのリスクがある。欧州自動車工業会が2026年9月に公表した調査では、産業加速法案に盛り込まれた電池の域内調達条件が現在導入された場合、欧州で生産される中型・大型トラックの約半数が条件を満たせない可能性が示された。これは、政策目標としての域内製造強化と、実際の欧州域内の供給能力との間にまだ相当の差が存在することを示している。
さらに同団体が公表した別の分析では、電池について段階的に域内部品の要件を高める案が示されており、2027~2028年ごろから第1段階、2030~2031年ごろからさらに厳しい第2段階へ移行する想定が示されている。域内の電池生産能力が要件の拡大に追い付かなければ、自動車メーカーの調達コスト上昇や生産計画への影響につながる可能性がある。
このため、EUの政策が成功するかどうかは、規制の厳しさだけで決まらない。電池、半導体、重要素材などの域内生産能力を実際に拡大できるか、エネルギー価格や設備投資環境を改善できるか、そして域内企業が中国や米国などの企業と競争できるコスト構造を構築できるかが重要になる。
英国側にも同様の課題がある。EU市場へのアクセスを確保するだけではなく、英国国内の電池や自動車部品の生産能力を維持・拡大しなければ、EUとの制度的な合意を得ても産業競争力を十分に確保できない。
英国自動車工業会は2026年9月、英国の自動車生産がEU域内で約240億ユーロの経済活動と25万人の雇用を直接支えているとの分析を公表した。また、英国からEUへの自動車輸出がEU域内で約56億ユーロの財・サービス需要を生み出し、約5万8000人の雇用を支えているとの推計も示している。これらは業界団体による分析であり、政策変更によってこれらの経済効果がそのまま失われることを意味するものではないが、英EU間の自動車産業の相互依存を示す材料となる。
以上を踏まえると、最も現実的な方向性として考えられるのは、英国をEU加盟国と同じ法的地位に戻すことではなく、戦略分野について一定の条件を満たす英国製品をEU製品と同等に扱う仕組みである。ただし、それを実現するには英国側にも原産地、供給網の透明性、経済安全保障などについてEUとの制度的な整合性を高める対応が求められる。
2026年9月現在、産業加速法は最終的な法律として成立しておらず、EUの立法過程で内容が変更される可能性がある。英国政府も9月18日の議会答弁で、法案はなお変更され得る段階にあると説明しており、現時点で英国の扱いが最終決定されたとみることはできない。
今後の交渉では、EUが中国などへの依存低減を優先しながら、英国との既存サプライチェーンをどこまで維持するかが最大の論点になる。EU側にとって英国は域外の競争相手である一方、欧州産業の一部を構成する重要な供給パートナーでもあるという二重の位置付けにある。
英国にとっては、EUとの距離を完全に広げることと、EU市場への再統合を進めることの中間に位置する政策が必要になる可能性がある。すなわち、通商政策上の独立性を維持しながら、自動車、電池、重要素材などについてはEUとの規則を接近させるという選択肢である。
ただし、EUと英国の協力が進んだとしても、中国依存という問題そのものが解決するわけではない。域外依存を本当に低下させるためには、欧州域内で代替生産能力を育成し、企業が価格競争力を失わずに域内調達を増やせる環境を整える必要がある。
最終的には、「域内製造」と「国際分業」を対立する概念として扱うのではなく、経済安全保障上重要な分野では域内・信頼できるパートナーからの調達を優先し、それ以外では国際的な供給網を活用するという複層的な産業政策が求められる。EUと英国の問題は、その具体的な境界線をどこに設定するかという試金石になる。
今回の問題は、英国のEU離脱後の関係をめぐる新たな局面でもある。EUが中国依存を低減するために「欧州製」を重視するほど、英国との産業的な結び付きをどう扱うかが避けられない問題となり、英国側もEU市場との関係を完全に切り離すことが難しいためである。
したがって、2026年9月時点で最も重要なのは、英国がEUの「域内製造」に参加できるかという一点だけではない。むしろ、経済安全保障、域内産業育成、英EUサプライチェーン、対中国依存低減、自由貿易という複数の目的を、どのような制度で同時に成立させるのかという点に、この問題の本質がある。
参考・引用リスト
- 欧州委員会「産業加速法」2026年3月4日。戦略分野の産業能力と脱炭素化を促進する法案の原文・関連資料。
- 欧州委員会「欧州産業の強化と雇用創出に向けた産業加速法案」2026年3月4日。対象分野や「EU製」・低炭素要件の概要。
- 英国議会「EUの産業加速法と英国自動車産業への影響に関する政府答弁」2026年9月18日。英国政府のEUとの協議状況、2027年の電気自動車原産地規則への対応。
- 英国議会「英国自動車産業の供給網と産業加速法に関する政府答弁」2026年9月18日。英国政府がEUとの摩擦の少ない自動車貿易と英国の制度参加を重視していることを確認できる資料。
- 欧州自動車工業会「域内調達規則が欧州トラック製造に与える課題」2026年9月25日。電池の域内調達要件と欧州の現在の供給能力との関係を分析した資料。
- 欧州自動車工業会「欧州の電池生産能力と産業加速法の域内調達需要」2026年9月22日。電池の域内調達要件を段階的に強化する場合の供給能力を分析した資料。
- 英国自動車製造販売業者協会「英国自動車産業がEU経済に与える経済効果」2026年9月22日。英EU自動車産業の相互依存関係についての業界分析。
- 英国政府「産業能力・脱炭素化に関する欧州連合規則案の説明資料」2026年5月8日。英国政府による産業加速法案の制度的整理。
- ロイター通信「EUの『欧州製』法案と英国が懸念する理由」2026年9月22日。法案の主要内容、英国自動車産業への影響、EU内での制度設計をめぐる議論を報道。
- フィナンシャル・タイムズ「英国とEUの『欧州製』政策をめぐる協議」2026年9月。英国の参加要請とEU・英国関係への影響について報道。
追記:EUの「域内製造」政策とトランプ米政権の関係
EUの「域内製造」政策とトランプ米政権の通商政策は、表面的には別々の動きに見えるが、実際には共通する国際環境の中で形成されている。EUは2026年3月に「産業加速法案」を公表し、2035年までに製造業がEU域内総生産に占める比率を2024年の14.3%から20%へ引き上げる目標を掲げた一方、トランプ米政権は関税を通じて米国内の製造業や供給網を強化する政策を進めている。
1. 共通するのは「域外依存の低減」
EUの政策の出発点には、中国を中心とする域外供給網への依存を減らし、戦略的自立性と経済安全保障を高めるという考えがある。EUは自動車、電池、重要素材、半導体、脱炭素技術などを戦略分野と位置付け、公共調達や公的支援に「EU製」や低炭素製品を優先する仕組みを導入しようとしている。
トランプ米政権も、関税や国内生産への投資促進を通じて、外国への過度な依存を縮小する方向を取っている。したがって、EUと米国は手段や制度こそ異なるものの、「重要産業を国外の供給網だけに依存しない」という問題意識では接近している。
ただし、ここには重要な違いがある。EUの「域内製造」は単一市場全体の製造能力を高めることを目的とし、加盟国間の産業分業を維持しながら域外依存を低減する政策であるのに対し、トランプ政権の政策では米国国内への生産移転を促すことがより強く意識されている。
2. トランプ政権の関税政策がEUの産業政策を刺激する側面
EUにとって米国は最大級の輸出市場であり、米国の関税政策は欧州企業の投資判断や生産拠点の選択に直接影響する。2025年8月のEU・米国間の枠組み合意では、米国がEU産品の多くについて15%を上限とする関税体系を設定する一方、EUは米国の工業製品に対する関税撤廃などを約束した。2026年6月にはEU理事会が、この合意に基づくEU側の関税措置を正式に承認している。
この状況は、EU企業にとって米国市場へのアクセスを維持する一方、米国側の政策変更に左右されるリスクを残すものでもある。EUが「域内製造」を強化する背景には中国への依存だけでなく、米国を含む域外国の政策変更によって欧州企業の供給網や輸出条件が変化するリスクへの対応という側面もある。
つまり、EUの戦略的自立性は中国だけを対象にした概念ではない。米国とは安全保障上の同盟関係を維持しながらも、欧州の産業政策を米国の通商政策に全面的に依存させないことが、EUにとって重要になっている。
3. 「EU製」と「米国製」の競争という構図
産業加速法案では、公共調達や公的支援に「EU製」や低炭素という条件を組み込むことが提案されている。対象には鉄鋼、セメント、アルミニウム、自動車、脱炭素技術などが含まれ、EUは巨大な公共調達市場を利用して域内企業への需要を創出しようとしている。
この仕組みは、トランプ政権の関税政策とは異なる。米国の関税が「外国から米国へ入る製品」の価格条件を変える政策であるのに対し、EUの制度は「欧州域内で生産された製品への需要」を公共支出などによって形成する政策だからである。
しかし、両者の結果には一定の類似性が生じる可能性がある。米国が関税によって米国内生産を促し、EUが公共調達や補助制度によってEU域内生産を促せば、企業にとっては世界全体で最も効率的な場所に生産を集中させる従来型の国際分業よりも、主要市場の内部に生産拠点を置くことの重要性が高まる。
これは世界の自動車産業にとって大きな構造変化となり得る。米国市場向けは米国内、EU市場向けはEU域内という形で生産拠点が地域ごとに分散すれば、企業は効率性だけでなく、関税、原産地規則、補助金、公共調達制度などを考慮して投資先を決定する必要がある。
4. それでもEUと米国は完全に対立しているわけではない
重要なのは、EUの「域内製造」政策を反米政策と理解しないことである。EUは産業加速法案の説明において、世界に対して開かれた市場であり続けることを明確にしており、相互の市場アクセスを提供する国については公共調達での扱いを改善する仕組みも盛り込んでいる。
実際、EUと米国は2025年8月の貿易枠組みを通じて、関税と市場アクセスをめぐる一定の合意を形成している。2026年6月のEU理事会の説明でも、EUは米国との安定的で予見可能な大西洋間貿易関係を維持する一方、EU企業と経済的利益を保護するための安全弁も設けている。
したがってEUの政策は、「米国から欧州を守る」というより、米国、中国など特定の域外国の政策に左右されにくい欧州産業基盤を構築することと見る方が正確である。
5. 中国をめぐるEU・米国の共通点と相違点
中国への対応ではEUとトランプ政権の方向性が重なる部分がある。EUは中国を含む域外供給網への戦略的依存を問題視し、トランプ政権も中国との貿易・技術関係を安全保障上の問題として扱っているためである。
しかし、政策手段は大きく異なる。EUは「中国を排除する」ことだけを目的としているわけではなく、供給源を多様化し、域内生産能力を増やし、信頼できる国との貿易関係を維持するという方向を取っている。EU理事会も戦略的自立性を「他国への依存を減らす」だけではなく、投資と貿易による多様な国際パートナーシップを構築することと位置付けている。
この点でEUの政策は、単純な保護主義とは区別する必要がある。EUは域内製造を増やそうとする一方、外国投資や国際貿易そのものを否定しておらず、相互主義と経済安全保障を条件として国際市場との接続を維持しようとしている。
6. 自動車産業では米国・EU・中国の3極競争へ
この問題が最も鮮明に表れるのが自動車産業である。EUは中国製電気自動車や電池への依存を抑えながら域内の電池・自動車製造能力を強化し、米国は関税や国内投資を通じて米国内の製造基盤を強化しようとしている。
その結果、自動車メーカーは「最も安く生産できる場所」を選ぶだけでは不十分になる。EU向け、米国向け、中国向けなど、それぞれの市場に適合する生産拠点と部品供給網を構築する必要が生じるからである。
ここで英国の問題も再び重要になる。EUと英国が自動車分野で制度的な協力を深めることができれば、欧州の製造網を維持しながら米国・中国とは異なる地域的な産業基盤を形成できる可能性がある。
7. EUにとっての最大の課題
もっとも、EUには大きな制約がある。米国や中国に比べて欧州ではエネルギーコスト、規制、生産能力、投資環境などが企業競争力を左右するため、「EU製」という条件だけで域内企業の国際競争力を高められるわけではない。
そのため欧州委員会は、産業加速法案を単なる域内調達政策ではなく、許認可の迅速化、産業集積地の整備、外国投資への条件設定、低炭素技術への需要創出などを組み合わせた政策として設計している。製造業のGDP比率を2035年までに20%へ引き上げるという目標も、その総合政策の一部である。
したがって、トランプ政権の関税政策がEUの「域内製造」を直接生み出したという因果関係を設定するのは適切ではない。より正確には、米国、中国、ロシアなどをめぐる国際環境の変化によって、EUが経済安全保障と産業競争力を同時に強化する必要性を認識し、その一環として「域内製造」政策を強化していると理解すべきである。
最後に
EUとトランプ米政権の政策には、「外国への過度な依存を減らし、自国・域内の製造能力を強化する」という共通点がある。しかし、EUは加盟国による単一市場を基盤とし、米国は自国市場を中心として政策を展開しているため、制度上の性格は異なる。
今後の世界経済では、米国、中国、EUという3つの巨大市場が、それぞれの産業政策と経済安全保障政策を強める可能性がある。その結果、自由貿易と国際分業を前提として構築されてきたサプライチェーンは、効率性だけでなく「どの市場に、どの国の企業が、どの程度の域内付加価値を持つ製品を供給できるか」という政治・安全保障上の条件によって再編される可能性がある。
EUの「域内製造」政策は、この世界的な変化に対する欧州側の回答の1つである。そしてトランプ政権の関税・国内製造政策との関係を見ることで、この政策が中国対策だけではなく、米国を含む世界的な産業政策競争の中でEU自身の交渉力と供給能力を高めようとする動きでもあることが見えてくる。
