コラム:SNSでの誹謗中傷と名誉棄損、現状と課題
誹謗中傷はSNS時代の社会問題であり、被害は精神的・社会的な深刻さを伴う。メディアや調査では炎上事案が継続的に報告されている。
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1. 日本の現状(2025年11月時点)
2020年代を通じてSNS利用者の増加とともに、個人や企業がSNS上で受ける誹謗中傷や炎上事案は継続的に社会問題となっている。2025年の各種集計でも炎上や誹謗中傷に関する事案は依然として発生しており、特に著名人・企業アカウントに加えて一般人が被害者となるケースも確認されている。メディアや調査機関の報告によると、2025年上半期における「炎上」事案数は依然として多く、月ごとに変動があるが、年単位で見ると増減がありつつもネット上の攻撃的な投稿は社会的影響を与え続けている。専門家は、SNSのアルゴリズムや拡散構造が炎上を加速させる一因であると分析している。
また、法制度面ではプロバイダ責任制限法(プロバイダ責任法)の改正や発信者情報開示に関する最高裁判決、各種ガイドラインの整備などが進んでおり、被害者が発信者を特定しやすくする運用や手続きの整備が一定の進展を見せている。ただし、開示の範囲や手続きに関しては実務上の争点や慎重論も残っている。
一方で、削除要請や開示請求が容易になった結果として表現の自由との調整や濫用防止、誤った開示判断による人権侵害の懸念も指摘されている。学術論考や法律実務の分析では、裁判所が「侵害関連通信」や「ログイン通信」といった技術的情報の範囲をどのように解釈するかが実務上の鍵であるとされる。
2. SNSでの誹謗中傷とは
誹謗中傷とは、特定の個人・集団に向けて事実に基づかない悪評や侮蔑、攻撃的・中傷的な言動を行うことを指す。SNS上では匿名アカウントやなりすまし、拡散(リツイート、シェア)を通じて短時間で多数に届く点が特徴である。誹謗中傷の実例としては、虚偽の犯罪告発、プライベート情報の暴露(いわゆる“リーク”)、性的中傷、人格否定の書き込みなどが挙げられる。
誹謗中傷は必ずしも刑事責任に直結するわけではないが、被害者の社会生活・精神健康・就労に重大な悪影響を及ぼす点で民事上の損害賠償請求や削除要求、さらには刑事手続の対象となる場合がある。最近の事例分析では、炎上が原因で当事者が自殺を含む深刻な結果に至るケースも報告されており、社会的危機としての関心が高い。
3. 名誉毀損罪や侮辱罪といった法的な責任を伴う行為
日本の刑法は名誉に対する罪として「名誉毀損」(刑法第230条)と「侮辱」(刑法第231条)を定めている。名誉毀損は「公然と事実を摘示して人の名誉を毀損した者」を処罰するものであり(刑法230条)、事実の摘示が要件となる。侮辱は事実の摘示を要しないで公然と人を侮辱した場合に処罰される(刑法231条)。刑法(e-Gov)や法務省の解説・通達により、法定刑や成立要件、親告罪か否かなどの要点は整理されている。
具体的には、名誉毀損罪の法定刑は(原則として)三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金と規定されている(ただし諸事情により量刑は変動し得る)。侮辱罪は1年以下の懲役・禁錮、30万円以下の罰金等があり、両者は公共性や被害態様に応じて運用される。刑事責任の成立は検察官の処分(不起訴・起訴)や裁判の判断に依存するため、実際の処罰件数は統計上は限定的であるが、近年はSNS発信に対する刑事手続きの運用が注目される。
なお、名誉毀損には違法性阻却事由(例えば真実性の証明がある場合に公務や公共の利益に資する形での摘示が許容されることがある)も問題となる。被害者が逮捕や告訴に至らせるか否か、また公表された事実が公益性を有するかどうかについては、表現の自由との調整が求められる。
4. 誹謗中傷と名誉毀損の違い
「誹謗中傷」は広義の概念であり、侮辱的な発言や悪口、虚偽の流布などを含む行為の総称である。一方で「名誉毀損」は刑法上の具体的な構成要件を満たすと認められた場合に成立する法的概念である。すなわち、誹謗中傷のうち「公然と事実を摘示して人の名誉を害する」行為があれば名誉毀損罪の要件に該当する可能性があるし、事実の摘示がなくても公然と侮辱するだけで侮辱罪に該当する場合がある。実務上は、「被害の程度」「拡散の範囲」「記載内容の具体性と真偽」「投稿者の意図」などを総合して刑事・民事上の帰結が判断される。
5. 名誉毀損が成立するための要件
名誉毀損が成立するために通説的に必要とされる要件は主に次の三つである(実務・学説による整理)。
公然性(公然と)
発言・記載が不特定多数の人が認識可能な状態であること。SNSでは公開アカウント、リツイート、スクリーンショットの拡散などが「公然性」を満たし得る。DMや非公開グループ内だけのやり取りは一般に公然性を欠く場合が多いが、外部に流出すれば事情は変わる。公然性の判断では、投稿の公開設定や拡散可能性、受け手の範囲などが考慮される。事実の摘示(具体的事実の提示)
名誉毀損は「事実の摘示」を要する(ただし死者の名誉に関しては例外規定がある)。「Aは窃盗をした」「Bは不倫をしている」といった具体的な事実関係の提示があれば事実の摘示に当たる。単なる評価的表現や意見(例:「嫌いだ」「感じが悪い」)は原則として事実の摘示には当たらないが、発言の文脈によっては事実の暗示に当たることがあるため注意が必要である。名誉の毀損(社会的評価の低下)
摘示された事実により、その人の社会的評価が低下する程度の不利益が生じたこと。評価の低下は客観的・主観的両面で判断される。例えば「犯罪者である」との虚偽事実の流布は明確に社会的評価を下げる。名誉毀損の成立は、単なる侮蔑的言辞を超え、実際に社会的評価を損なう程度あるいはその蓋然性があれば成立しうる。
加えて、違法性の有無(公益性・真実性が認められるか等)や故意・過失などの主観的要素、被害の回復可能性等も刑事・民事の判断で重要になる。
6. 公然性の解釈(実務上のポイント)
SNSにおける「公然性」は、プラットフォームの公開設定やアカウントの性格、拡散の可能性等を総合的に判断して認定される。例えばX(旧ツイッター)の公開ツイート、Facebookの公開投稿、YouTubeの公開動画は典型的に公然性を有する。スクリーンショットを転載された場合や、掲示板から転載された場合も公然性が肯定されることが多い。
近年の裁判例では、ログイン情報や通信ログ等の「侵害関連通信」に関する最高裁判所の解釈が注目されている。最高裁判決は発信者情報開示請求の際にどのログを開示対象とするかについて判断指針を与え、実務での運用に影響を与えている。これにより、誰がどの端末・アカウントから投稿したのかを特定する手続きの可否が実務上重要な争点となっている。
7. 事実の摘示と真実性の立証
名誉毀損で問題となる「事実の摘示」は必ずしも真偽を問わない(刑法230条は「その事実の有無にかかわらず」罰する趣旨を含む文言を持つ)が、被告が「真実であること」を証明できれば違法性が阻却される場合がある(特に公共の利益に資する場合に限るなどの制約あり)。したがって、投稿者にとって「真実性の立証」は重要な防御手段となるが、立証は困難であることが多い。
また、死者の名誉に関する扱いは特別であり、死者については虚偽の事実を摘示した場合でなければ処罰されないと定められている(刑法230条ただし書)。この点は実務上の特別扱いとなっている。
8. 法的措置(全体像)
被害を受けた際に取り得る主な法的措置は以下の通りである。順序や選択は事案により異なるが、一般的には迅速な証拠保存→削除依頼→発信者情報開示請求→民事・刑事手続という流れが多い。
8.1 投稿の削除依頼(コンテンツプロバイダへの要請)
被害者はまずプラットフォーム運営会社(コンテンツプロバイダ)に対して投稿の削除やアカウントの停止等を要請できる。多くのプラットフォームは利用規約に反する投稿を通報により削除する運用を持っている。削除は即時的な被害軽減に有効であるが、削除後もスクリーンショット等で拡散されるリスクは残る。プロバイダ側は通信の秘密や個人情報保護との兼ね合いから対応に慎重を要する場合がある。プラットフォームの対応速度や基準はまちまちであり、満足できない場合は法的手段に訴えることになる。
8.2 発信者情報開示請求(プロバイダ責任制限法に基づく)
被害者が投稿者を特定するためにプロバイダやプラットフォームに発信者情報の開示を求める手続きがある。プロバイダ責任制限法においては、発信者情報開示請求の制度が整備されており、一定の要件の下で開示が認められる。近年の法改正や最高裁判決によって、ログイン通信等の開示対象範囲や「侵害関連通信」の解釈が問題となり、裁判所が具体的判断基準を示す事例が増えている。発信者情報開示には裁判所での手続きが必要となる場合もあり、手続きの負担や開示基準の解釈が争点となることがある。
学術的な検討でも、発信者情報開示訴訟が裁判例の中心を占める傾向があり、被告側の十分な主張機会をどう担保するかが議論されている。裁判例の蓄積により、適法な引用・表現の範囲についても変化が見られる。
8.3 刑事告訴(警察・検察による捜査)
被害者は名誉毀損や侮辱について刑事告訴(準備手続として被害届の提出)を行い、警察の捜査や検察の判断により起訴される可能性がある。SNS発信が犯罪事実に該当すると判断されれば、捜査による発信者の特定や逮捕・送検に至る場合がある。ただし、名誉毀損の多くは親告罪扱い(例外あり)であったり、公益性等で不起訴になる場合もあるため、刑事化が必ず実現するわけではない。近年は被害の深刻化を受けて刑事手続が採用されるケースが注目されているが、統計上の処理は限定的である。
8.4 民事上の損害賠償請求・慰謝料請求
被害者は加害者(特定できた場合)に対して民事訴訟で損害賠償や慰謝料、謝罪広告の請求を行える。損害賠償の額は事案の悪質性、被害の程度、拡散範囲等による。裁判例では高額な慰謝料が認められるケースもある一方、慎重な判断がなされるケースもある。民事手続は被害回復を図る有力な手段だが、訴訟コスト・時間的負担が大きい点が課題である。
8.5 逮捕の可能性
侮辱・名誉毀損で逮捕に至るかどうかは事案の悪質性や証拠の確実性、被害の重大さによって判断される。重大な虚偽事実の流布や継続的な追及、組織的な中傷などの場合には捜査が入り逮捕されるケースがある。だが、逮捕はあくまで捜査機関の判断であり、実際の逮捕・起訴・有罪判決に至るかは個々の事案に依る。
9. 投稿の削除依頼・発信者情報開示請求の実務上の注意点
発信者情報開示請求や削除請求を行う際の実務的な注意点は次のとおりである。
証拠保存:削除される前にスクリーンショットやURL、投稿日時、投稿ID、リツイート数等を保存すること。証拠保全は後続の法的手続きで必須である。
コンテンツプラットフォームの対応基準:各社の利用規約・通報窓口に従い、削除申請を行う。対応が不十分な場合は弁護士を通じた正式な請求や仮処分を検討する。
発信者情報開示の法的要件:開示請求が認められるためには、権利侵害の存在が相当程度示されることや、開示請求に必要な範囲での情報の提示が必要である。最高裁の判断が示すように、ログイン通信等の開示範囲については「侵害関連通信」の考え方や時間的近接性が実務上の判断基準となる。
10. 刑事告訴・損害賠償請求・逮捕の実務
刑事手続を期待する場合、警察や検察が動くかどうかは事案の証拠性・被害の重大性に依存する。起訴されれば刑事裁判で有罪・無罪が争われ、罰則が科される可能性がある。民事上は慰謝料や損害賠償、差止請求、謝罪広告などが請求され得る。
なお、被害者が逮捕を期待しても、逮捕は捜査段階での判断であるため、必ず逮捕されるわけではない。弁護士と連携し、証拠の整理や相手方特定のための開示請求を迅速に行うことが重要である。
11. 問題点(総括)
SNSと法制度の現状には複数の問題点が存在する。
迅速性と追跡困難性のギャップ:SNS上の拡散は短時間で広がるが、法的手続き(開示請求・訴訟等)は時間を要するため、被害回復が追いつかない場合がある。
表現の自由との調整:開示や削除の要請が表現の自由を不当に制約する懸念があり、公益性や報道・引用の正当性をどう評価するかが難しい。最高裁判例や学説がこの点の基準設定に影響を与えている。
プラットフォーム側の対応のばらつき:各SNSの対応基準や削除の速さに差があり、国際的な企業ポリシーと日本法の実務運用との間に齟齬が生じる場合がある。
被害者の負担:開示請求や訴訟には費用と時間がかかるため、一般人被害者の救済に限界がある。専門家は簡易な救済制度や公的支援の必要性を指摘している。
技術的な匿名化手段の存在:VPNや匿名化技術により発信者特定が困難になる場合があり、立証が難航する。以上の問題が、被害者救済と表現の自由のバランスを取る上での現実的な障壁となっている。
12. 課題
今後の主要な課題は以下の通りである。
迅速な被害対応と法的手続きの効率化:投稿の即時的な削除や緊急の仮処分、簡易な発信者開示手続きの整備が求められる。改正法や手続きの簡素化が一つの方向であるが、濫用防止策も整備する必要がある。
技術的・制度的支援:被害者が証拠保全や法的手続きを速やかに行えるよう、公的な相談窓口や法的支援の充実が必要である。弁護士費用の負担軽減策や、非訟的救済手続きの整備を検討すべきである。
プラットフォームの責任と透明性:プラットフォーム側の対応基準を明確化し、削除・通報の運用の透明性を確保すること。欧米や他国での対応と比較したルール整備も検討されている。
教育・啓発:利用者のリテラシー向上、誹謗中傷の社会的影響に対する啓発、企業のSNS運用責任などの教育的施策が重要である。メディア・教育機関・民間団体が協力して対処する必要がある。
13. 今後の展望
今後予想される流れは次の通りである。
法的基盤の整備と判例の蓄積:最高裁判決や下級裁判所の判例が蓄積され、発信者情報開示の範囲や「侵害関連通信」の解釈がより明確化される見込みである。これにより発信者特定の実務手続きに一層の基準が与えられる。
プラットフォーム運用の改善:主要プラットフォームは、通報対応やAIを用いた有害投稿の自動検出・削除、被害者対応フローの改善を進めるだろう。だが、自動削除の誤判定や恣意的運用に対するチェックも重要になる。
被害者支援の制度化:公的支援や低コストでの法的救済ルート(例えば専門窓口や簡易裁判的な仕組み)の導入が検討される余地がある。これにより、一般人被害者の救済アクセスが向上する可能性がある。
社会的規範の進化:SNS利用に関する社会的な常識や企業のリスク管理が高度化し、誹謗中傷を抑制する文化的基盤が醸成されることが期待される。だが、アルゴリズムの収益構造やセンセーショナルな報道慣行が残る限り、炎上のリスクは続く。
14. まとめ(要点整理)
誹謗中傷はSNS時代の社会問題であり、被害は精神的・社会的な深刻さを伴う。メディアや調査では炎上事案が継続的に報告されている。
名誉毀損(刑法230条)や侮辱(刑法231条)は刑法上の規定であり、SNS上の発言が要件を満たせば刑事・民事責任が問われる。
名誉毀損成立の要件は「公然性」「事実の摘示」「名誉の毀損」であり、真実性や公益性が争点となる。
実務上は投稿の削除、発信者情報開示請求、刑事告訴、損害賠償請求という流れで救済を目指すが、手続きの時間や費用、表現の自由との調整等の課題が存在する。
今後は法的・制度的整備とプラットフォーム側の改善、被害者支援の充実、社会的啓発が重要である。
参考文献(抜粋)
刑法(e-Gov 法令検索)。刑法第230条(名誉毀損)等。
法務省資料(侮辱罪等に関する解説)。
最高裁判所・実務解説に関する解説(「侵害関連情報」の解釈と実務)。有斐閣オンライン等。
平澤卓人「SNS時代における引用の判断の変容?」(札幌大・論文、2025)。発信者情報開示訴訟の実務分析。
各種メディア調査(炎上件数分析、2025年)。(例:KESU、Siemple等の炎上データ分析)。
プロバイダ責任制限法関連ガイドライン(実務家向け解説)。
