◎現地メディアによると、大統領官邸近くでは何時間にもわたって激しい銃撃戦が繰り広げられたという。
2021年9月5日/ギニア、首都コナクリ、政権奪取を宣言したギニア軍の兵士(ギニアテレビ/Getty Images/AFP通信)

9月5日、ギニア軍の大佐は国営テレビで国の支配権を掌握し、政府を解散させたと宣言した。

ギニア軍のママディ・ドゥンボウヤ大佐は全国放送の中で政府に代わる国の最高機関、全国集会開発委員会を設立したと述べ、民主主義を回復すると誓った。

しかし、ギニア国防省は5日、首都コナクリの大統領官邸で発生した反乱は鎮圧されたと声明を発表した。

現地メディアによると、大統領官邸近くでは何時間にもわたって激しい銃撃戦が繰り広げられたという。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は軍事クーデターを非難し、アルファ・コンデ大統領の即時釈放を要求した。

国軍の特殊部隊を率いるドゥンボウヤ大佐は汚職、管理ミス、貧困が蔓延しているため、国を乗っ取ったと主張した。また、政府に代わる全国集会開発委員会は憲法を破棄し、国境を1週間閉鎖し、新しいより包括的な新憲法を作るための協議を開始すると述べた。

ソーシャルメディアには拘束されたと思われるコンデ大統領の写真と映像が複数共有されている。

一方、国防省はコンデ大統領に忠誠を誓う別の部隊が脅威を封じ込めたと述べたが、事実かどうかは不明。軍当局者はロイター通信に対し、「大統領官邸に続く唯一のルート(橋)は封鎖され、重武装した兵士が配備された」と語った。

一部の現地メディアは国軍の兵士3人が死亡したと報じている。

ドゥンボウヤ大佐は1958年の独立以来、国の経済は低迷し続けていると述べ、国民の利益のために行動したと強調した。「私たちの道路、私たちの病院を見てください。私たちは目を覚まさなければなりません...」

ギニアは天然資源の豊富な国だが、長年の管理ミス、汚職、不安の影響で経済は低迷し、世界で最も貧しい国のひとつから抜け出せずにいる。

ギニア軍の故ランサナ・コンテ大佐は1984年に政権を掌握し、約24年間軍事独裁体制を維持した。しかし、コンテ大佐が亡くなった直後に軍事クーデターが発生し、その後紆余曲折を経て2010年に独立以来初となる自由で公正な選挙が行われた。

2010年の大統領選挙で初当選を果たしたコンデ大統領は昨年、大統領の任期を5年から6年に変更し、任期制限をリセットする憲法改正国民投票を実施し、その後の大統領選挙で3度目の当選を果たした。

国民投票と大統領選挙は物議を醸し、選挙結果に抗議する激しい暴動が全国各地で発生した。

スポンサーリンク