ネパール暴動の死者72人に、SNS禁止令デモ
この事件はネパールにおける言論の自由や民主主義の健全性について重要な議論を呼び起こし、今後の政治的な課題として残ることとなった。
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ネパール保健省は14日、先週の暴動による死者数が72人に増加したと発表した。地元当局は反汚職抗議活動中に放火された政府機関、住宅、その他建物を捜索し、遺体を回収している。
政府は今月初め、フェイスブックやX(旧ツイッター)、ユーチューブを含む大半のソーシャルメディアプラットフォームを遮断。国内で広く利用されている約20のSNSに対し、企業登録を行うよう通知した。
ティックトック、バイバーおよびその他3つのプラットフォームは国内に連絡事務所または窓口を設置し、政府への登録を済ませているため、運営が許可されていた。
政府はSNS各社に対し、国内に事務所または窓口を設置するよう求めてきた。
学生を含む多くの若者たちがこの禁止令に激怒し、抗議デモを開始。一部が暴徒化し、政府庁舎や政治家の自宅などに火を放った。
この暴動を受け、オリ(Khadga Prasad Oli)首相は辞任。複数の閣僚が暴徒に襲われる恐れがあるとして、ヘリコプターでの避難を呼びなくされた。
12日に元最高裁判所長官のカルキ(Sushila Karki、73歳)氏が同国初の女性首相に就任。秩序の回復と汚職のない未来を求める抗議者の要求に対応すると約束し、夜間外出禁止令も解除した。
治安部隊は催涙ガスやゴム弾で暴徒を追い払おうとしたが、一部が最高裁判所、議会、警察署、政治家の自宅、民間企業などの建物に放火。被害が拡大した。
保健省の報道官は声明で、「ショッピングモールや住宅、その他建物で新たに20人余りの遺体が見つかった」と述べた。
同省が13日に更新した死者数は51人であった。負傷者数は2113人となっている。
議会は解散済み。26年3月5日に総選挙が行われる予定だ。
この出来事は政府の政策に対する市民の強い反発を象徴するものとなり、国内外で大きな注目を浴びた。SNSを利用した情報発信が広まる中で、政府が導入したこの禁止令は言論の自由や民主主義に対する深刻な懸念を引き起こし、市民の反発を招くこととなった。
1. SNS禁止令の背景
政府がSNS禁止令を発令した背景には、急速に広がるインターネットの利用と、それに伴う情報の拡散がある。特に、SNSは市民による政治的な意見交換や、反政府的な運動の拡大に重要な役割を果たしていた。しかし、政府はSNSを利用したデモ活動や政府に対する批判が増加する中で、これを抑え込むために規制を強化する必要があると判断した。
政府側の主張はSNSが虚偽情報やデマ、ヘイトスピーチの拡散を助長しており、社会的な混乱や暴力を引き起こす原因となっているというものだった。特に、若者や市民団体がSNSを通じて反政府運動を行う場面が目立ち、政府の統制力が問われるようになっていた。また、SNSが情報戦の一環として使われることが増え、政権にとっては治安や社会秩序を保つためのリスクが高まっていると感じられた。
そのため、政府はSNSの使用を一時的に制限し、特定のソーシャルメディアプラットフォームへのアクセスを禁止する命令を出した。この措置は、特に若年層を中心に強い反発を招くこととなった。
2. デモの発生
SNS禁止令が発令されると、まず首都カトマンズを中心に、SNSを積極的に利用していた若者や市民団体の間で強い反発の声が上がった。SNSは政治活動や社会運動にとって重要なツールであり、情報共有の手段として欠かせない存在となっていた。特に、民主主義を支持する市民や反政府的な意見を持つグループにとって、SNSは重要な意見表明の場であり、その制限は言論の自由を侵害するものであるとの批判が強まった。
デモの呼びかけはSNSを利用できない状況にも関わらず、既存のメディアやネットワークを通じて広まり、多くの市民が参加した。デモの目的は、政府のSNS禁止令を撤回させること、言論の自由と情報の自由を守ること、そして民主主義を守ることにあった。参加者は、「自由を守れ」「SNS禁止を撤回せよ」といったスローガンを掲げて、政府に対する強い抗議を表明した。
最初は平和的なデモであったが、次第に参加者の数が増加し、デモは激しさを増していった。特に若者や学生が多く参加しており、彼らは政府に対して強い不満を持っていた。デモはカトマンズだけでなく、ネパール全土に広がり、主要都市でも抗議行動が行われるようになった。
3. 暴動への発展
デモの規模が拡大する中で、政府側の対応も厳しくなった。警察や治安部隊はデモ参加者に対して強硬な手段を取るようになり、催涙ガスや放水車を使用してデモ隊を排除しようとした。これに対して参加者はさらに激しく反発し、衝突が頻発するようになった。
一部の過激な参加者は警察の対応に対して石を投げたり、車両を壊したりするなど、暴力的な行動に出た。このような行動が暴動に発展し、デモ隊と警察の間で激しい衝突が起こった。特にカトマンズの中心部では、店舗や公共施設が破壊され、混乱が広がった。警察の弾圧に対して参加者はさらに過激化し、暴力的な行動がエスカレートしたため、治安の維持が困難な状況となった。
暴動の拡大に伴い、政府は軍を動員することを決定し、カトマンズの主要道路や広場には軍の車両や兵士が配置された。また、通信の遮断やSNSへのアクセス制限がさらに強化され、デモの拡大を防ごうとする政府の対応が続いた。しかし、通信手段を断たれた市民は逆に怒りを強め、抗議行動が過激化する一因となった。
4. 政府の対応と国際的な反応
暴動が広がる中で、政府は国内外からの圧力に直面することとなった。国内では、民主主義や人権の擁護を求める声が高まり、国際人権団体や外国政府はネパール政府に対して暴力の鎮圧を避け、対話を促すように求めた。特に、言論の自由を守ることが求められ、SNS禁止令の撤回や、国民の権利を尊重する形での対応を求める声明が相次いだ。
一方、ネパール政府は「国内の秩序を守るため」に必要な措置を取ったと主張し、暴動に対する厳しい対応を正当化しようとした。しかし、国内外からの反発が高まり、政府は次第にSNS制限を一部緩和する姿勢を見せ始めた。
5. 結果と今後の展望
最終的に暴動は収束したが、SNS禁止令に対する抗議は収束することなく、引き続き議論を呼び続けた。政府は一部のメディアと市民団体の圧力を受けて、SNS禁止令を段階的に解除することを発表したが、完全に解除するには至らなかった。
この事件はネパールにおける言論の自由や民主主義の健全性について重要な議論を呼び起こし、今後の政治的な課題として残ることとなった。また、SNSを規制しようとする政府の方針に対する市民の反発は今後も続く可能性があり、ネパール社会における言論の自由の保障を巡る戦いは、引き続き続くことが予想される。
今回のデモと暴動は政府の統制と市民の自由の間での緊張を象徴する出来事であり、今後のネパール政治における重要な転換点となるだろう。