26日、「アルゼンチンの伝説」の死を悼む会葬者たちが首都ブエノスアイレスの路上で突然暴れ出したため、警察はゴム弾と催涙ガスで応戦、ディエゴ・マラドーナ氏に敬意を表すよう警告した。
市民はマラドーナ氏の最後の姿を一目見ようと、駅から同氏の自宅まで長い列を作った。
アルゼンチンはコロナウイルスの第二波で大打撃を受け、多くの地域が現在も封鎖されている。
ジョンズ・ホプキンズ大学のまとめによると、アルゼンチンの累計感染者数は140万人、累計死亡者数は約38,000人、26日の新規陽性者数は9,043人、死亡者は227人だった。
警察が会葬者に対して行動を起こした理由は明らかにされていない。地元メディアによると、負傷者も確認されているという。
ABCニュースはブエノスアイレス警察に経緯の説明を求めたが、回答はなかった。
アルゼンチンのウォルド・デ・ペドロ内務大臣は声明の中で、「市長と治安当局責任者が引き起こしたこの狂気を止めるよう要求する」と述べた。
何百万もの市民がマラドーナ氏の死を悼み、各地の道路、歩道、商店街、飲食店、カフェ、公園、広場、スタジアム、そして同氏の自宅周辺に集まり、祈りを捧げている。
マラドーナ氏の自宅周辺はファンが残した花輪で埋め尽くされていた。
25日、アルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領はマラドーナ氏の功績を称え、3日間の追悼を宣言した。
マラドーナ氏のスポークスマンはAP通信の取材に対し、「彼はブエノスアイレスの病院で脳外科の手術を受け、退院から2週間後に心臓発作を起こし、亡くなった」と語った。
1960年10月にビージャフィオリートで生まれたマラドーナ氏は10代前半でプロに転向。アルゼンチンジュニアーズとボカジュニアーズでキャリアを積んだのち、FCバルセロナやナポリなどのヨーロッパの強豪クラブでプレーした。
アルゼンチンのスポーツライター、アレハンドロ・アポ氏は25日に、「ディエゴがナポリのアパートで遊んでいたとき、窓の外にはいつも大勢のファンがいたことを覚えている」と語った。
1986年のワールドカップ、マラドーナ氏率いるアルゼンチン代表は初めて世界の頂点に立った。準々決勝のイングランド戦で見せて「神の手」は、ワールドカップ史上最大のプレーとして今なお語り継がれている。
同氏のキャリアにはスキャンダルもつきまとった。
現役時代のコカイン使用、その影響で心臓に問題を抱え、2000年と2004年に入院。その後、薬物は克服したと主張し、「コカインは最もタフなライバルだった」と述べている。
また、1994年のワールドカップでは薬物検査で陽性反応を示し、大会から追放された。
自由を謳歌するマラドーナ氏は、アルゼンチン国民に夢と希望とサッカーへの愛を与え、欠かすことのできない存在になった。
作家のロベルト・フォンタナローザ氏は次のように述べている。
「ディエゴがしたことは私にとって重要ではない。彼が私の人生に与えた影響が重要だ」
マラドーナ氏はアルゼンチン国民、ひとりひとりの人生に大きな影響を与えた。