米国の新聞衰退、地域社会の生活や文化としての役割薄れる
近年、多くの新聞社が印刷部数を削減し、地域の地方紙では週数日の発行に縮小する動きが広がっている。
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米国で伝統的な新聞の発行部数が急速に減少し、単に情報を伝えるメディアとしてだけでなく、地域社会の生活や文化の一部としての役割も薄れつつあることが注目されている。近年、多くの新聞社が印刷部数を削減し、地域の地方紙では週数日の発行に縮小する動きが広がっている。こうした動きは、新聞を日常的に利用してきた人々の生活にも影響を及ぼしている。
新聞は長らくニュースを読むだけでなく、家庭でのさまざまな用途に使われてきた。子どもが学校での出来事を家族と共有したり、スポーツの試合結果やコミックを楽しんだりする日課だったと、多くの人が振り返る。また、新聞紙は魚や日用品を包んだり、窓を掃除したり、動物のケージの敷物として利用されたり、さらにはトイレの紙代わりにされたりするなど、その物理的な存在そのものが生活の道具として重宝されてきた。
しかし、過去20年間で約3,500紙もの新聞が廃刊に追い込まれ、2025年には週平均で2紙が閉鎖したと報告されている。多くの印刷媒体は経営の圧迫を受け、オンライン中心の報道へと転換を進めている。これにより地域住民が日々のニュースに触れる習慣や、新聞を通じて共有してきた思い出や社会的結びつきも変容しつつある。
専門家はこの現象を、単なるメディアの変化ではなく米国社会全体の生活様式やコミュニケーションのあり方の変化として位置づける。新聞が生活の場から姿を消すことは、情報を得る手段がデジタルへ移行するだけでなく、人々のニュースへの接し方や注意の向け方にも影響を与えるという見方もある。スウェーデンのメディア研究者は、子どもたちが家庭で印刷された新聞や雑誌に触れ、偶然にニュースに接することでニュースを読む習慣が形成されてきたが、スマートフォン中心の情報取得ではこうした偶発的な接点が失われると指摘する。
また、新聞が生活の中で果たしてきた役割の消失は、環境面や経済面でも新たな課題を生んでいる。印刷物の削減は紙資源の節約につながる一方、オンラインショッピングの増加に伴う包装材の増加や、大規模データセンターのエネルギー消費の増大など、別の形で資源や環境への負担が発生しているとの指摘もある。
例えば、ネブラスカ州にある野生動物リハビリセンターでは、毎年数千頭の動物を世話するために古新聞を使っているが、印刷物の入手が困難になれば代替品の購入コストが年間1万ドルを超える可能性もあると経営者は懸念を示している。
過去に大部数を誇った新聞の例としては、オマハの「ワールド・ヘラルド」があり、かつては一日に複数版を発行していたが、現在の購読世帯数は2005年の約19万人から大きく減少している。このような長年の紙媒体の衰退は、報道業界の経済的な変化だけでなく、地域社会の歴史や文化としての役割にも影響を与え続けている。
新聞の物理的存在は「新聞が情報を伝える」という機能を超え、人々の生活や社会的結びつきの象徴でもあった。その衰退は社会のデジタル化とともに避けられない流れと見る向きもあるが、多くの人々にとって、人生の一部としての新聞の存在が失われることは、日常の質や人々のコミュニケーションのあり方にも影響を与えているといえよう。
