目次
歴史
・1990年~2008年
・2008年8月~9月(南オセチア紛争)
・2008年9月~現在
基本情報(目次に戻る
国名:南オセチア共和国(South Ossetia)
首都:ツヒンヴァリ(Tskhinvali)
人口:53,532人(2015年推定)
面積:3,900㎢(滋賀県とほぼ同じ)
気候:大陸性気候
・年間降水量は1,500mm前後。
・首都ツヒンヴァリの夏場の平均気温は最低が15~18℃、最高は22~24℃。
・首都ツヒンヴァリの冬場の平均気温は最低が2~7℃、最高は8~14℃。
・ロシアとの国境付近はかなり寒い。
・観光に最適な時期は6月~10月。
経済:
・後発開発途上国
・GDPは1億ドル(2017年推定)
・主要産業は農業。
・主要輸出パートナーはロシア(100%)
・主要輸入パートナーはロシア(100%)
・主要輸出品は小麦粉、ブドウ、その他の果物。
・人口の大部分は自給自足農家。
・ロシアの資金提供に大きく依存している。
・一人当たりGDPは周辺国の中でもっとも低く、国民の大多数が貧しい生活を余儀なくされている。
・製造業は国内に20ほどある小さな工場で構成されている。
・ジョージアは南オセチアへの電力供給を遮断している。
・ロシアとジョージアを結ぶロキトンネルの管理が主要な収入源のひとつ。
人種:
・オセチア人 89.9%(2015年国勢調査)
・ジョージア人 7.4%
・ロシア人 1.1%
・アルメニア人 0.7%
・その他 0.8%
言語:
・オセチア語(公用語)
・ジョージア語
・ロシア語
・その他
宗教:
・キリスト教 99.5%(CIAワールドファクトブック推定)
・イスラム教 0.4%
・その他 0.1%
南オセチア共和国、首都ツヒンヴァリ
政治(目次に戻る
大統領:アナトリー・ビビロフ(Anatoly Bibilov)
首相:ゲンナジー・ベコエフ(Gennady Bekoyev)
政治体制:共和制
・西側諸国は南オセチアを国家として認めておらず、分離主義組織と見なしている。
・南オセチアを国家として認めている国はロシア、ベネズエラ、ナウル、シリア。
・ジョージア、南オセチア、アブハジアをめぐる政治紛争は解決していない。
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・議会の定数は34人、任期は5年。
・与党の統一オセチア党は2019年の議会選挙で過半数を失った。
・ジョージア政府との協議はほぼ行き詰まっている。
法律:南オセチアの憲法
・2001年施行。
・基本的人権を保障している。
・2008年に独立を宣言した。
・ジョージアのEU監視ミッションは2008年からジョージア、南オセチア、そしてロシアの国境の監視している。
・ロシアは南オセチアに少しずつ侵攻している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年8月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年8月時点)
治安:悪い
・近年、自爆テロや大量殺人などの凶悪事件は発生していない。
・反政府勢力やイスラムジハード組織の活動は報告されていない。
・ジョージアと南オセチアの国境は確立しておらず、国境付近では小競り合いが続いている。
・2008年の軍事衝突の戦闘地周辺には不発弾が残っており、危険。
・ロシアから南オセチアに入国しジョージアの国境を越えると逮捕される。
・ジョージアから南オセチアに入国することは一応可能だが、何かしらの理由で逮捕される可能性がある。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・治安当局の目につく行動は避けること。
・地域の境界線付近をウロウロしない。
・流しのタクシーには乗車しない。無許可タクシーは危険。
・ロシアを含むいくつかの国は南オセチアの独立を認めているが、西側諸国は南オセチア政府を分離主義勢力と見なしている。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は数社活動している。日刊紙はない。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はない。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局はない。
・報道と言論の自由を保障していない。
・主要メディア媒体はテレビ。
・国営テレビはロシアのテレビ番組を放送している。
・インターネットの普及率は40~45%。
・検閲はないと伝えられている。
・海外のジャーナリストはほとんど活動していない。
【国営メディア/設立年】
・南オセチアTV 1992年
【民間メディア】
・ー
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:ー位
・軍人数:16,000人(推定)
即戦力 2,500人
予備兵 13,500人
準軍組織 0人
・ロシア軍:3,569,000人
即戦力 1,014,000
予備兵 2,000,000
準軍組織 555,000
・陸軍と空軍を保有。
・軍の一部をロシア軍の指揮下に置く協定に合意した。
・国防予算:2,000万ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1990年~2008年
・1990年:ジョージア・ソビエト社会主義共和国の南オセチアで生活する住民は約10万人と推定されていた。
・1991年1月5日:南オセチア紛争勃発。(ジョージア軍vs南オセチアの反政府勢力)
・1991年1月6日:ジョージア軍は南オセチアのツキンバリに侵攻し、反政府勢力と衝突した。
・1991年3月23日:ソビエトの最高指導者、ボリス・エリツィンはジョージア北東部と南オセチアからソビエト軍を撤退させ、地域の平和を回復するためにジョージアにソビエトとの合同警察を創設する協定に合意した。
・1991年3月24日:ジョージアと南オセチアの反政府勢力が一時的な停戦協定に合意。ジョージア軍はツキンバリなどの市街地から撤退した。
・1991年4月9日:ジョージアがソビエト連邦から独立。
・1991年6月:ジョージア軍は南オセチアのツヒンヴァリの住居約80%を破壊し、電力を遮断し、地域への立ち入りを禁じた。
・1991年12月25日:ソビエト連邦崩壊。
・1992年春:ロシアが散発的に南オセチア紛争に関与してことで、戦闘は再び激化した。
・1992年6月:ジョージアのエドゥアルド・シェワルナゼ大統領は南オセチア紛争の終結を望み、ロシアが仲介したソチ協定に署名した。この協定により、南オセチアはジョージアに支配されている地域と、南オセチア政府が支配する地域に分けられた。
・1992年6月24日:南オセチア紛争終結。南オセチアの反政府勢力の勝利。これにより、南オセチアはジョージアから事実上独立したが、国際社会はジョージアをひとつの国家と見なした。
<1991年の南オセチア紛争>
・両軍参加者:3,000~7,000人(推定)
・両軍負傷者:1,000~2,000人(推定)
・両軍死亡者:1,000~1,500人(推定)
・1996年:エルグネティ市場創設。ジョージアと南オセチアの主要な取引所として多くの人々に利用された。
・1996年5月16日:ジョージアと南オセチアがロシアの首都モスクワで「安全と信頼の構築を提供するための措置」に関する覚書に署名した。この覚書は、ジョージアと南オセチアの分離主義者との和解に向けた第一歩と見なされた。
・1996年11月:大統領選挙。リュドヴィク・チビロフが大統領に就任した。
・2004年:ジョージアの新大統領ミヘイル・サアカシュビリは、ジョージアから分離した南オセチアを政府の管理下に戻すと主張した。
・2004年6月:ジョージアのサアカシュビリ大統領は南オセチアとジョージアの主要な貿易拠点であったエルグネティ市場を閉鎖した。
・2004年7月7日:ジョージア軍の兵士約50人は、南オセチアに駐留していたロシアの警備当局を撃退した。
・2004年7月8日:南オセチアの武装勢力はジョージア軍の兵士約50人を拘束した。
・2004年7月9日:南オセチアは拘束したジョージア軍の兵士の大半を解放した。
・2004年7月11日:ジョージアのサアカシュビリ大統領は演説で、「南オセチア危機はジョージア人とオセチア人の問題ではなく、ジョージアとロシアの問題」と述べ、ロシア政府を非難した。
・2004年8月5日:ロシア下院はジョージア軍の政治的行動を受け、南オセチアとアブハジア(ジョージアから事実上独立)周辺の状況の悪化に関する公式声明を発表した。下院は声明の中で、「ロシア市民の生命が危険にさらされた場合、当局は適切な行動を取る」と警告した。
・2004年8月10日:南オセチアのツヒンヴァリ北部で大規模な火災が発生。南オセチア当局はジョージア人が放火したと主張し、緊張が高まった。
・2004年8月13日:南オセチアとジョージアが停戦協定に合意。
・2004年8月19日:南オセチアとジョージアの停戦協定が発効。
・2004年8月24日:ジョージア議会の防衛安全委員会の委員長はテレビインタビューの中で、ロシア軍はジョージアに対する空爆をいつでも開始できると述べた。
・2004年11月5日:南オセチアとジョージアの指導者はロシアのソチで開催されたハイレベル会談で、紛争地帯の非軍事化に関する合意に達した。しかし、協定署名後も戦闘は続いた。
・2005年1月26日:ジョージアのサアカシュビリ大統領はストラスブールで開催された欧州評議会会議の中で、南オセチア紛争の解決に向けた新しい方針を発表した。
・2006年9月3日:南オセチアの武装勢力は、ジョージアの国防大臣イラクリー・オクルアシュビリが搭乗するヘリコプターを銃撃した。ヘリコプターはジョージア政府の領土に無事着陸した。
・2006年10月31日:南オセチアの警察はジョージアのジャワ地区で男性4人を殺害したと明らかにした。当局によると、4人はアサルトライフル、銃、グレネードランチャー、爆発装置、過激派であることを示す所持品、ジャワ地区の地図、ロシアの平和維持軍の制服などを所持していたという。これらの調査結果により、4人は南オセチアに対するテロ攻撃を計画していたジョージアのチェチェン人と結論付けられ、南オセチア政府は、「ジョージア政府はテロ攻撃を実行するためにチェチェンの傭兵を雇った」と非難した。
・2006年11月:大統領選挙。再選を果たしたエドゥアルド・ココイティ大統領はジョージアから完全に独立すると宣言した。
・2007年3月29日:ロシアの外務省は南オセチアの一部にジョージアの行政機関を設置するというジョージア政府の計画は「脆弱な停戦協定を打ち砕き、混乱につながるだろう」と警告した。
・2007年5月10日:ジョージア政府は南オセチアに設置した暫定行政機関の長にドミトリー・サナコエフを任命した。
・2007年5月11日:南オセチアの武装勢力は紛争地帯周辺の町や村を封鎖し、ジョージア政府が南オセチアに設置した暫定行政機関の撤退を要求した。
・2007年7月24日:ジョージア政府は南オセチアの地位を定義するために創設された委員会の会合を開催した。
・2007年8月6日:ジョージアの首都トビリシから約65kmの地点に位置する村にミサイルが着弾。ジョージア政府はロシア軍の戦闘機SU-24フェンサーが領空を侵犯し、戦術誘導ミサイルを発射したと主張した。
・2008年2月:南オセチアとアブハジアの指導者はハイレベル会談の中で、「ロシアは両国との関係を再構築するべきである」と宣言した。
・2008年3月1日:ロシアは元シベリア軍管区副司令官のヴァシーリー・ルネフ将軍を南オセチアの国防相に任命した。また南オセチアとアブハジアの武装勢力はコソボの先例を引用して、「ロシアと国際社会は両国の独立を正式に認めなければならない」と公式に宣言した。
・2008年3月2日:ロシアのNATO大使は、ジョージアのNATO加盟の動きは、南オセチアとアブハジアの独立に向けた攻勢を強化する可能性があると警告した。
・2008年3月6日:ロシアは1996年にアブハジアに課した独立国家共同体(CIS)制裁を解除し、「ジョージアはこの地域の経済的および社会的プログラムの実施を妨げ、アブハジアの人々に不利益を与えている」と宣言した。
・2008年3月13日:CISは国際社会に認められていない南オセチア、アブハジア、沿ドニエストルが独立に向けた動きを加速させようとしていることに懸念を表明した。
・2008年3月21日:ロシア下院は政府と大統領に、南オセチアとアブハジアの独立の承認を検討するよう求める決議を可決した。
・2008年4月3日:ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は南オセチアとアブハジアの指導者に書簡を送り、両指導者を大統領と呼んだうえで、ロシアの支援を約束すると公式に宣言した。
・2008年4月16日:ウラジーミル・プーチン大統領は南オセチアとアブハジアの武装勢力が発行したいくつかの文書を承認し、貿易を含む問題の解決に向けて協力すると発表した。
・2008年4月20日:ジョージアの非武装無人航空機(UAV)がアブハジアの紛争地帯で撃墜された。アブハジアの副国防相ギャリー・クパルバは声明で、「ドローンはアブハジア空軍のL-39航空機が撃墜した」と説明したが、ジョージアはロシア軍の戦闘機が領空を侵犯してドローンを撃墜したと主張した。
・2008年4月21日:ロシア外務省はジョージアのドローンがアブハジアの領土に侵入したことを非難し、「ジョージア政府は1994年のモスクワ協定およびアブハジアに関する国連決議に違反した」と述べた。
・2008年4月23日:国連安全保障理事会の非公開会合がニューヨークの国連本部で開催された。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツは、アブハジアの領土におけるロシア軍の行動に懸念を表明し、ロシア政府に行動自粛を求める共同声明を発表した。
・2008年5月初旬:ロシアとアブハジア当局は、ジョージアの偵察ドローン2機がアブハジアの領空に侵入したため撃墜したと述べた。しかし、ジョージア政府はこの主張を否定し、「ロシアは軍事介入するためにジョージアを挑発している」と非難した。
・2008年5月18日:ジョージアはアブハジアの国境沿いで活動していたロシアの平和維持軍関係者と思われる男を拘束したと発表した。
・2008年5月21日:アブハジアの国境近くで激しい銃撃が報告された。
・2008年5月26日:国連の調査チームは4月20日に発生したドローン撃墜事件の調査結果を公表した。国連はジョージアのドローンを撃墜したのはロシアの戦闘機と結論づけたが、ロシア政府は報告書を破り捨てた。
・2008年5月31日:ロシアはアブハジアの鉄道を修理するために非武装と思われる部隊を派遣した。
・2008年6月13日:ロシアの鉄道修理部隊はアブハジア鉄道の区間で対戦車地雷を発見したと主張した。ロシア政府はその後の声明で、「対戦車地雷はロシア連邦に対する破壊的なテロ行為に等しく、関与した者は厳しく罰せられるだろう」と述べた。
・2008年6月15日:主要メディアは、ロシア軍はアブハジアのオチャムチラ地区にあるアグベディア村の近くに軍事基地を建設し、部隊を配備したと報じたが、ロシア政府はこの報道を否定した。
・2008年6月17日:ロシア外務省はジョージアとアブハジアの紛争地帯における平和維持活動を検討するというジョージア議会の提案は紛争を凍結解除し、「コーカサス地域は新たなフェーズに突入する可能性がある」と警告した。
・2008年6月17日:ジョージア軍はアブハジアの紛争地帯で活動していたロシアの平和維持軍兵士4人を拘束した。
・2008年6月18日:アブハジアの武装勢力は鉄道の修理現場近くで2度爆発が発生し、ロシアの鉄道修理部隊は治安を強化したと発表した。アブハジアの武装警察によると、爆発はロシアの鉄道修理部隊を狙っていたという。
・2008年6月23日:ジョージアのグリゴル・ヴァシャゼ副外相とロシアのグリゴリー・カラーシン副外相が会談。南オセチアとアブハジアの状況を含む問題について協議した。
・2008年6月23日:アフハジア当局は、ロシアの鉄道修理部隊が修理した鉄道は、ロシアのソチで2014年に開催される冬季五輪の建設資材の輸送に使用されるだろうと述べた。
・2008年6月30日:アブハジアの領土で爆弾が原因と思われる爆発が2度発生し、民間人少なくとも8人が負傷した。アブハジアの武装勢力はテロ攻撃をジョージア政府の犯行と主張したが、ジョージアは関与を否定したうえで、国境を完全封鎖すると脅した。
・2008年7月5日:ロシアは北コーカサスでコーカサスフロンティア2008と呼ばれる軍事演習を開始した。
・2008年7月8日:米国務省はジョージア政府とアブハジア当局に和平に向けた協議を再開するよう求めた。
・2008年7月14日:アブハジアの指導者セルゲイ・バガプシュは、コーカサスのドイツ外務省特使であるハンス・ディーター・ルーカスと会談し、アブハジアの和平計画を説明した。
・2008年7月15日:NATOはロシア軍の戦闘機がジョージアの領空を繰り返し侵犯していることに強い懸念を示した。
・2008年7月15日:米軍とロシア軍が北コーカサスで軍事演習を開始。
・2008年7月24日:ロシア国防省はアブハジアの鉄道修理作業はほぼ完了したと発表し、現地に駐留したロシアの鉄道修理部隊は8月初旬に機関すると述べた。
・2008年7月25日:南オセチアの武装勢力は、ジョージア・南オセチア会議を開催するという欧州安全保障協力機構(OSCE)の提案を拒否した。
・2008年7月30日:アブハジアに駐留していたロシアの鉄道修理部隊が本国への撤退を開始。なお、南オセチア紛争勃発後、ロシア軍は修理した鉄道を利用して兵士と兵器をアブハジアに移送した。
・2008年8月1日:南オセチア紛争勃発。(南オセチア・アブハジア・ロシア連合軍vsジョージア)
2008年8月~9月(南オセチア紛争)
・8月1日午前8時:南オセチアのツヒンヴァリを巡回していたジョージア警察のパトカーが爆破され、警察官5人が負傷した。ロシアの平和維持軍によると、爆弾には122mm砲弾が使用されていたという。
・8月1日午後6時:ロシアの平和維持軍は、南オセチアのプリシ村の近くでジョージアの狙撃兵が南オセチア民兵1人を射殺したと発表した。
・8月1日:南オセチアの武装勢力は国境付近のジョージアの村に対する砲撃を開始した。
・8月1日遅く:過去4年間で最悪の暴力が南オセチアで発生。南オセチア当局は民兵6人がジョージア軍に殺害され、少なくとも15人が負傷したと報告した。一方、ジョージアの内務省は国境近くの村(ゼモニコジ、クヴェモニコジ、ヌリ、エルグネティが砲撃を受けたと述べた。
・8月2日:ジョージアの国防省は南オセチアの砲撃にのみ反撃していると主張したうえで、ロシア軍がジョージアの村に対する砲撃に関与している可能性があると指摘した。
・8月3日:ロシア政府は声明で、南オセチアの状況は確実に悪化していると述べた。南オセチアの住民はロシアへの避難を開始した。国連難民高等弁務官によると、8月初旬に南オセチアの難民約1,100人がバスで北オセチアに到着したという。
・8月4日:南オセチアの指導者エドゥアルド・ココイティは北オセチアの民兵約300人が現地に到着し、さらに北コーカサス全域から数千人が南オセチアに向かっていると述べた。
・8月4日:ジョージアの政府高官が南オセチアを訪問し、停戦に向けた直接会談を提案しようとしたが、南オセチア当局はこの高官を追い払った。
・8月5日:ジョージア政府は南オセチアの武装勢力の攻撃を紹介するメディアと外交官を対象とした現地案内ツアーを開催した。一方、ロシア政府は、南オセチアの支援を開始すると宣言した。
・8月5日:ロシアの南オセチア特使、ドミトリー・メドエフは、ロシアの平和維持軍が北オセチアなどから南オセチアに到着しつつあると発表した。メドエフは記者団に対し、「北コーカサスとモスクワは南オセチアを助ける準備ができている」と述べた。
・8月5日:南オセチア、ジョージア、そしてロシアは、8月7日に三か国会談を行うことで合意した。
・8月6日:南オセチアの報道情報委員会は、南オセチアが8月7日にツヒンヴァリで開催されるジョージアとの会談に同意したと発表した。しかし、南オセチアはその後、二国間協議への参加を拒否した。
・8月6日:約1週間前にジョージア軍の兵士29人を殺害したという南オセチア当局の主張を証明する証拠は発見されなかった。
・8月7日午前6時:南オセチアのツヒンヴァリおよびその周辺地域で戦闘が本格化。ジャーナリストによると、アサルトライフル、迫撃砲、グレネードランチャーなどの使用を確認したという。
・8月7日午前6時:ジョージアの諜報機関はロシア軍がロキトンネルから南オセチアに入ったと報告した。
・8月7日午後2時頃:南オセチアの武装勢力が砲撃を再開し、アヴネヴィの町でジョージア軍の兵士2人を殺害した。ジョージア政府によると、南オセチアとの紛争で兵士が死亡したのは10年以上ぶりだったという。
・8月7日午後2時30分頃:ジョージア軍の戦車、122mm榴弾砲、203mm自走砲が南オセチアの領土近くに設置されたため、武装勢力は追加攻撃を思いとどまった。
・8月7日午後4時:ジョージアの外交官テムール・イアコバシュビリは、南オセチアとロシアの外交官と会談するためにツヒンヴァリを訪問した。しかし、ロシアの外交官は現れず、南オセチアは交渉を拒否した。イアコバシュビリ外交官は代わりにロシア軍のマラート・クラフメートフ将軍と会談したが、南オセチアの攻撃はやまず、死傷者は増加した。
・8月7日午後6時頃:ロシア軍はOSCEに、ジョージア軍の大砲が南オセチアの町ケタグロボに着弾し、多数の負傷者が出たと述べた。
・8月7日午後7時10分:ジョージアのサアカシュビリ大統領はテレビ演説の中で、軍に停戦を命じた。現地メディアによると、南オセチアの紛争地帯で生活する住民が両軍の激しい戦闘に巻き込まれたという。サアカシュビリ大統領は、あらゆる手段を駆使して交渉を呼びかけ、南オセチアの自治を再提案し、ロシアがその解決策の保証人になるべきと訴えた。
・ロシアはサアカシュビリ大統領の停戦要求をジョージア軍の配備を進める時間稼ぎと見なした。一方、南オセチアの武装勢力はジョージア軍の攻撃が収まったことを受け、ジョージアの町タマラシェニとプリシを砲撃した。また武装勢力は、ジョージアが設置した南オセチア暫定行政機関のあるアヴネヴィと警察署を破壊した。
・武装勢力の攻撃は激しさを増し、紛争地域の住民は避難を余儀なくされた。ジョージアのエカテリネ・トケシェラシビリ外相はアメリカのダニエル・フリード国務長官との電話会談で、ロシア軍の戦車が南オセチアに向かっていると伝えた。フリード国務長官はその後の声明で、戦争は避けなければならないと警告した。
・ジョージア軍は武装勢力の砲撃を受けたことで反撃を開始した。軍の責任者であるマムカ・クラシュビリは地元メディアの取材に対し、「南オセチアの一方的な停戦違反が新たな戦闘を引き起こした」と述べた。
・ジョージア政府は武装勢力に対する作戦は「永続的な平和」を確立すると主張し、南オセチアのロシア特使であるドミトリー・メドエフは、サアカシュビリ大統領の停戦発表を「煙幕」と非難した。
・8月7日午後11時頃:国連安全保障理事会の緊急会合が始まる。
・8月8日午前0時30分頃:ロシアの報道によると、ジョージア軍は民間人の避難ルートに大砲を撃ち込んだという。他の主要メディアは事実かどうかは不明と報じた。
・8月8日午前1時頃:ジョージアは国連安保理の緊急会合のフォローアップに参加したが、敵対行為の終結を求める共同声明はまとまらなかった。
・8月8日午前1時頃:ジョージア政府はロシア軍の兵士数百人と兵器類がロキトンネルを通過して南オセチアに入ったと報告した。
・8月8日午前4時45分:ジョージアの再統合問題担当大臣は声明で、ツヒンヴァリは敵兵にほぼ包囲されたと発表した。大臣は声明の中で、「ジョージアは破壊と犠牲者の増加を望んでおらず、南オセチアの指導者と停戦について直接協議する用意ができている」と述べた。
・8月8日午前5時頃:アブハジアとジョージアの境界付近に不特定多数のアブハジア軍が配備された。
・8月8日午前5時30分頃:ジョージア政府はロシア軍が南オセチアの紛争地域に入ったと発表した。
・8月8日午前6時頃:主要メディアはアブハジア軍の大隊がジョージアとの国境に向けて移動を開始したと報じた。一方、北オセチアのタイムラズ・マムスロフ大統領は、ジョージア軍の戦闘機が紛争地域近くを移動していた北オセチアの平和維持部隊を攻撃したと述べた。
・8月8日午前8時25分:ジョージアのテレビ局は、ジョージア軍がツヒンヴァリを占領したと発表した。別のメディアは、ジョージア軍が南オセチアの8つの村を確保したと報じた。
・8月8日午前8時30分頃:国連のロシア特使ヴィタリー・チュルキンは国連安全保障理事会の緊急会合後の会見で、「一部の加盟国は紛争地域に停戦を命じる強制力のある行動を拒否するだろう」と述べた。
・8月8日午前10時頃:ジョージア軍はロシア軍のSu-24戦闘機3機がジョージアの領空に侵入したと報告した。このうち1機がカレリの町にある警察署近くを空爆し、民間人数人が負傷した。
・8月8日午前10時頃:北京夏季五輪の開会式に出席するために中国を訪問していたロシアのウラジーミル・プーチン首相は、ジョージア政府の攻撃的な行動を非難し、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領と電話会談したと明らかにした。プーチン大統領は記者団に対し、南オセチアに対するジョージアの侵略はロシアの「反応」を招くと脅迫した。
・8月8日午前11時頃:ジョージア政府はロシア軍のSu-24戦闘機3機がジョージアの領空に侵入したと報告した。
・8月8日午前11時30分頃:ロシアのSu-24戦闘機4機がジョージアのゴリ市近くを空爆。死傷者はいなかったと伝えられている。
・ジョージアの内務省は声明で、「ジョージア軍がツヒンヴァリを破壊したというロシアの報道は誤りであり、ジョージア政府は民間人に避難する時間を与え、必要な場合はツキンバリに移動する」と主張した。一方、ロシア軍はジョージア軍の攻撃で数人が死亡したと発表したが、事実か否かは不明。
・8月8日午前11時38分:ジョージアのサアカシュビリ大統領は、ロシア軍の大規模な軍事侵略に対応するために予備軍を動員すると発表し、ロシア政府に砲撃を止めるよう求めた。これに対しロシア国防省は、ロシア軍の戦闘機がジョージアの領空で撃墜されたという主張を却下し、サアカシュビリ大統領の要求を「挑発」と呼んだ。
・8月8日午後2時15分:ジョージア政府はツヒンヴァリの民間人の避難を進めるために、ロシア軍に3時間の停戦を申し出たと発表した。
・8月8日午後2時30分:ロシア軍の現地司令官マラート・クラフメートフ将軍はジョージア政府の停戦要求を「嘘」と非難し、「ジョージア軍は民間人のために行動していない」と述べた。
・8月8日午後3時頃:ロシアのメドヴェージェフ大統領は安全保障評議会の緊急会議を召集し、南オセチア紛争について議論した。
・8月8日午後4時頃:ジョージアの内務省は、ロシア軍の戦闘機2機が首都トビリシの近くにあるバジアニ軍事基地を空爆したと発表した。死傷者はいなかったと伝えられている。
・8月8日午後4時頃:ロシア軍の大隊と戦車部隊がロキトンネルを通過し、ツヒンヴァリに向かって進んでいることが判明した。
・8月8日午後5時頃:ロシア軍の戦車部隊がツヒンヴァリを迂回し、ジョージア軍の基地への砲撃を開始した。南オセチアの指導者アナトリー・バランケビッチ事務局長は、ジョージア軍がツヒンヴァリから撤退し始めたと述べた。
・ロシア軍の司令官イゴール・コナシェンコフは、兵士10人以上が死亡し、約30人が負傷したと発表した。一方、ロシア軍はジョージアの首都トビリシ近くにあるマルネウリ軍用飛行場を空爆し、空港職員3人を殺害した。
・8月8日午後7時頃:ロシアのジャーナリストは、南オセチア軍が地域の主要道路を奪還し、ロシア軍の戦車部隊はツヒンヴァリの市街地に向けて移動していると報じた。
・8月8日午後7時30分頃:主要メディアはジョージア軍がツヒンヴァリからの撤退を開始したと報じた。一方、ロシア軍の司令官マラート・クラフメートフ将軍は声明で、「ツヒンヴァリはジョージアの激しい空爆にさらされ、ほぼ完全に破壊された」と主張した。
・8月8日午後7時35分頃:ロシア軍の戦闘機が南オセチアの領土内にいたジョージア軍を空爆し、少なくとも5人が負傷した。
・8月8日午後8時頃:フランス通信社は、ジョージア国家安全保障会議はロシア軍の戦車部隊が南オセチアの領土に入ったという報告が事実であると確認されれば、ジョージアはロシアとの戦争に入ったと宣言すると警告したと報じた。
・8月8日午後8時20分頃:北コーカサス軍事地区は、ロシアの戦車部隊がツヒンヴァリに入ったと報告した。南オセチア当局は午後6時まで停戦を約束したにもかかわらず、ジョージア軍はツヒンヴァリに対する攻撃を継続したと主張した。一方、ロシア国防省は、南オセチア軍を支援するために南オセチアに援軍を送ったと述べた。
・デイリーテレグラフ紙は、ロシア軍の兵士が前進するにつれて、ツヒンヴァリでの戦闘は激化し、ジョージア軍は撤退を余儀なくされたと報じた。
・ロシアのメディアは、ロシア軍とジョージア軍の激しい戦闘は数時間続き、ロシア軍はツヒンヴァリの南郊外でジョージア軍と報じた。その後、ロシア軍は8日遅くの声明で、兵士12人が殺害され、少なくとも150人が負傷したと述べた。
・ジョージアの安全保障理事会議長カカ・ロマイアは、ジョージア軍の兵士1,000人がイラクから帰還するとロイター通信に語った。報道によると、米軍はジョージア軍の兵士をジョージアに移送したという。米国当局は声明で、米軍は兵士の移送を支援したと強調した。
・8月8日午後9時頃:ジョージアのサーカシヴィリ大統領は、ロシア軍が西部の都市ポティを空爆したという報告を受け、戒厳令を宣言すると述べた。
・8月9日未明:ジョージアの外務省はロシア軍が西部の都市ポティを壊滅させたと述べた。
・8月9日午前5時30分頃:ジョージアのサーカシヴィリ大統領は議会に戒厳令の発動を承認するよう要求した。議会はこの要求を速やかに承認し、「ジョージアはロシアとの戦争状態に突入した」と述べた。
・8月9日午前6時頃:ロイター通信は、ロシア軍の戦闘機2機がジョージア軍の野営地を爆撃したと報じた。
・8月9日午前9時頃:ロシアのメドヴェージェフ大統領は声明で、「ロシアはジョージアに南オセチアとアブハジアとの平和を受け入れさせるための活動(侵攻)を開始した」と述べた。
・8月9日午前11時30分頃:ロシア政府は、軍の空挺部隊をツヒンヴァリに配備したと報告した。また、ジョージア軍との衝突で兵士15人が死亡し、少なくとも150人が負傷したことも明らかにした。
・8月9日正午頃:ジョージアのサアカシュビリ大統領は停戦と地域の分離を提案した。ジョージア安全保障理事会のアレキサンダー・ロマイアは、「この提案はジョージア軍がツヒンヴァリから撤退することを意味する」と述べた。
・8月9日午後4時頃:ジョージアの地元メディアは、ロシア軍のウラジーミル・ボルディレフ将軍率いる第58部隊がツキンバリのジョージア軍を一掃し、負傷した兵士と民間人の避難を促していると報じた。
・ジョージア政府はロシア軍の戦闘機12機がアブハジアの領土内にあるジョージアの支配地域コドリ渓谷を空爆したと報告した。アブハジアの武装勢力はロシア軍の支援を受け、地上戦を優位に進めることができた。
・アブハジアの武装勢力は声明で、「アブハジアは南オセチアと条約を結んでおり、ジョージア軍に真の脅威をもたらした」と述べた。ジョージアの地元メディアも、ロシア軍はコドリ渓谷を激しく爆撃していると報じた。
・ロシアのジョージア大使は声明で、ジョージア軍はツヒンヴァリの住民約2,000人とロシア軍の兵士13人を殺害したと発表した。これに対しジョージア政府は、「ロシア軍はツヒンヴァリの住民130人を殺し、700人以上に怪我を負わせた」と反論した。
・8月9日夕方:北京夏季五輪の開会式に出席したロシアのウラジーミル・プーチン首相が突然北オセチアを訪問。南オセチアに対するジョージアの攻撃を非難し、多くの民間人が殺されたと主張した。またプーチン大統領は、「南オセチアの領土におけるジョージア軍の行為は犯罪であり、ロシアはジョージア政府の主張を支持しないだろう」と述べ、南オセチアに約500億円を寄付すると発表した。
・8月9日午後8時頃:ジョージアの地元メディアは、ジョージア軍がロシアの戦闘機10機を撃墜したと報じた。しかし、ロシア軍当局は戦闘機2機の墜落を確認したが、撃墜はされていないと主張した。
・ジョージア政府は、ロシア軍が物資や援軍を運ぶために使用したロキトンネルを破壊したと報告したが、ロシア政府はこの主張を却下した。しかし、現地を取材した一部のメディアがロキトンネルが破壊されていることを確認した。
・ロシアの国連特使は、国連安全保障理事会の緊急会合で議論された敵対行為の停止を要求する勧告を拒否した。特使は会合後の声明で、「ジョージアの侵略軍は南オセチア固有の領土にとどまり続けている」と非難した。
・ジョージアの米国大使館は、8月10日に米国民を避難させる船団を派遣し、11日に新たな船団を送ると発表した。
・8月10日未明:ロイター通信によると、南オセチアの武装勢力は、ツヒンヴァリ南部郊外の戦闘は9日の深夜に終わったと述べたという。
・ジョージア国家安全保障評議会のアレクサンダー・ロマヤ事務局長は声明で、「ロシアは西洋社会の動きを阻止するために戦争を開始した」と述べ、「今ロシアを止めなければ、ロシア軍の戦車と戦闘員はヨーロッパの好きな地域に侵攻できると認めることになる」と警告した。
・8月10日早朝:ロシアのウラジーミル・プーチン首相とメドヴェージェフ大統領が会談。プーチン首相はジョージア軍の行動を調査するよう検察庁に命じ、ジョージア軍の軍事行動を「完全な大量虐殺」と呼んだ。その後、メドベージェフ大統領は、「南オセチアの平和を取り戻すための戦いは続き、ジョージアの犯罪者は罰せらるだろう」と述べ、ジョージア軍の大量虐殺を徹底的に調査し、国際法廷に申し入れると提案した。
・8月10日午前5時:ジョージアのサアカシュビリ大統領はジョージア軍に停戦を命じた。ジョージア内務省によると、ロシア軍の兵士約6,000人が陸路で南オセチアに入り、別の部隊の兵士約4,000人が海路で地域近くに移動したという。
・ジョージアの内務省は声明で、「ジョージア軍は南オセチアから完全撤退した」と述べたが、ロシア軍のウラジミール・イワノフ報道官は、「ジョージア軍は南オセチア固有の領土から撤退しておらず、戦闘は続いている」と主張した。
・アブハジアの指導者セルゲイ・バガプシュは、武装勢力の兵士1,000人をコドリ渓谷に派遣し、予備兵を動員すると発表した。またセルゲイ・バガプシュは、「アブハジアは秩序を強化する準備を進めており、ジョージア軍が抵抗した場合は敵の領土に侵攻する」と警告した。
・8月10日午前9時頃:アブハジアの武装勢力はジョージア軍の攻撃を「大量虐殺」と呼び、非難した。一方、ジョージア軍は、「ロシア軍はアブハジアに戦車150両と兵士1万人を派遣した」と非難した。
・8月10日正午頃:ジョージアの外務省は停戦交渉の準備はできていると発表した。しかしロシア政府は、ジョージア軍は撤退せず、新たな攻撃の準備を進めていると非難した。
・8月10日夕方:ロシア軍の兵士9,000人以上と装甲車両約350台がジョージアのスフミ空港に到着した。ロシアのメディアはその後、ロシア空挺軍司令官のヴァレリー・エヴトゥコビッチ中尉がアブハジアに到着したと報じた。
・国連安全保障理事会の緊急会合に出席した米国大使は記者団に、「ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相はライス国務長官にジョージアの大統領は国を去らねばならないと言った」と述べた。
・ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、ロシアの「平和作戦」はジョージアのサアカシュビリ大統領の辞任では解決しないと述べ、ジョージアが軍事力の不使用に関する合意に署名した場合、サアカシュビリ大統領の辞任の有無にかかわらず、南オセチアの平和は回復するだろうと述べた。
・8月11日午前3時15分:ロシア政府は声明で、「ジョージア政府は南オセチアで生活するロシア人の避難を認めなかった」と主張したが、ジョージアの内務省はこの主張を却下した。しかし、ロシアの外務省は南オセチアに閉じ込められたロシア人360人以上がジョージア政府の脅迫を受けたと反論した。
・8月11日午前:英ガーディアンによると、ロシア軍はジョージアの民間地域を無差別に空爆したという。アゼルバイジャンとの国境近くにある飛行場と首都トビリシのレーダー基地も空爆を受けた。
・アブハジアの軍指導者ミラブ・キシマリヤは、コドリ渓谷に残っているジョージア軍兵士を皆殺しにすると警告した。その後、アブハジアの支援に入ったロシア軍の司令官セルゲイ・チャバン少佐は、ジョージア軍に最後通告を出し、武装を解除させたと発表した。ジョージア軍当局は国連のオブザーバーを介して、アブハジア近郊のジョージア軍はロシアの武装解除要求を受け入れたと宣言した。
・8月11日正午頃:ロシアのメドヴェージェフ大統領は、南オセチアの領土を守り、平和を取り戻す作戦の大部分は完了したと述べた。ロシア軍の南オセチア部隊の副チーフ、アナトリイ・ノゴヴィツィン准将は声明で、南オセチアに侵攻したジョージア軍は包囲され、その後まもなく降伏したと発表した。
・ジョージア政府はロシア軍がさらに攻め込んでくる可能性があると警告し、首都トビリシの防衛体制を強化するよう軍に命じたと明らかにした。
・8月11日午後5時30分:国連安全保障理事会は非公開会合を開催した。ロシアの国連大使ヴィタリー・チャーキンは、フランスが作成した決議を受け入れないと宣言した。この文書は即時停戦とジョージアの領土の回復を提案していた。
・8月11日午後6時頃:ロシアのメディアは、ロシアに対するテロ攻撃を計画したとされるジョージア人9人が逮捕されたと報じた。
・アブハジアに配備されたロシア軍はジョージア西部に進出し、地域の主要道路を占領し、ジャーナリストに地域から離れるよう命じた。
・ロシア軍はジョージア本土に侵攻するつもりはないと公式声明で述べたにもかかわらず、一部地域の警察署と軍事基地を占領した。
・8月11日午後8時頃:ジョージアのサアカシュビリ大統領は声明で、「ロシア軍はこの戦争で南オセチア、アブハジア、そしてジョージア全土を占領するつもりだった」と述べた。
<8月12日>
・フランス通信社は、米政府は8月上旬の時点で事態が切迫していることを確認できていたが、ロシアの侵攻のタイミングは完全に想定外だったと報じた。
・英ガーディアンは、ロシアの侵略をジョージアに「屈辱」を与えることを目的とした「懲罰的キャンペーン」と表現した。
・ニューヨーク・タイムズ紙は、「12日の朝までにジョージア軍は撤退し、ゴリから首都トビリシへの道は放棄された」と報じた。
・アブハジアの武装勢力は、コドリ渓谷からジョージア軍を追放する攻撃を開始したと述べ、ロシア軍は参加していないと強調した。
・ロシアのメドヴェージェフ大統領はジョージアでの軍事作戦を終了すると宣言した。しかし、ロシアの空襲はしばらくやまず、メドベージェフ大統領の宣言から1時間後にジョージアの都市ポティが空爆された。
・メドヴェージェフ大統領の軍事作戦終了宣言後、ゴリは初めてロシアの迫撃砲にさらされ、報道センターにいたオランダのジャーナリスト1人が死亡し、近隣の建物や小売店にも被害が出た。しかし、ロシア国防省は、宣言後も攻撃が収まらないという主張を却下し、それを「挑発」と呼んだ。
・アブハジアの武装勢力は、コドリ渓谷からジョージア軍を追い出すことに成功したと述べ、ロシア軍は関与しなかったと強調した。しかし、AP通信のジャーナリストはアブハジアの部隊に同行するロシア軍兵士の姿を確認していた。
・ジョージアのサアカシュビリ大統領はロシア軍を占領者と呼び、アブハジアと南オセチアの領土は占領されたと宣言した。また、ジョージアは独立国家共同体(CIS)から脱退すると発表し、国際司法裁判所に訴訟を起こすと誓った。
・フランスのサルコジ大統領はロシアとジョージアの停戦協定を仲介した。サルコジ大統領はモスクワでメドベージェフ大統領と会談した後の記者会見で、「停戦は合意に至ったものの、ロシアとジョージアはまだ和平合意に達していない」と述べた。
<8月13日>
・ジョージアの戦略的中心都市であるゴリの一部は停戦合意の数時間後、ロシアの戦車大隊に占領された。
・アブハジアの指導者セルゲイ・バガプシュは、ジョージア軍からコドリ渓谷を正式に奪還したと宣言した。
・英ガーディアンは停戦合意後も混乱は続いており、チェチェンや南オセチアの非正規軍は、ロシア軍の前進に合わせてジョージアの村を破壊し続けていると報じた。ノルウェーのジャーナリストもゴリの中心部で強盗被害に遭ったと伝えられている。
・ニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じたあるロシア兵は、「(ジョージアの)サアカシュビリ(大統領)が戦況を理解していなければ、私たちは首都トビリシから60kmほどの地点まで前進していただろう」と語った。
・ロシアの戦車部隊はゴリを離れて首都トビリシに向かい、その後、トビリシから車で約1時間ほどのところで野営した。これに対しジョージア軍は、トビリシ周辺の道路を封鎖し、防衛線の準備を始めた。
・アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は、人道支援という名目でジョージアに米軍を派遣した。ジョージアのサアカシュビリ大統領はこの動きを救援活動の「ターニングポイント」と呼び、歓迎した。
・米ブッシュ大統領は、ロシア軍は停戦合意に違反してジョージアにとどまり続けていると非難したが、ロシア政府は停戦合意を遵守していると主張した。ブッシュ大統領がジョージアを支援すると発表してから数時間後、ジョージア軍の当局者はロシア軍がゴリから撤退し始めたと報告した。
・主要メディアは、ロシア軍は停戦合意に違反していると一斉に報じたが、ロシア政府は「違反したのはジョージア軍」と主張した。アルジャジーラによると、ロシア軍は13日の時点でゴリから完全撤退したという。しかし、ゴリの市民はロシア軍兵士の姿を何度も確認していた。
<8月14日>
・主要メディアは、ゴリの治安は回復に向かっていると報じた。
・インテルファクス通信は、「ロシア軍はゴリの支配権をジョージア警察に返した」と報じた。
・ゴリでロシア軍と交渉していたジョージア国防評議会のアレキサンダー・ロマイア長官はテレビ演説の中で、ゴリの治安は回復しており、地域内にとどまっているロシア軍はパトロール以外の任務を行っていないと述べた。
・ジョージア当局とロシア軍はゴリで合同パトロールを行ったが、兵士の間でトラブルが発生し、中止された。これに伴い、ロシア軍はゴリの完全な引き渡しを延期した。ロシア政府は声明で、「ジョージアのサアカシュビリ大統領が米軍に支援を要請しなければトラブルは発生しなかった」と主張した。
・ゴリ近郊でグルジア警察とロシア軍の衝突が発生し、ロシア軍の戦車部隊が現地に派遣された。伝えられるところによると、ロシア軍はおそらくゴリ近くの軍事基地を爆破したという。
・ジョージア政府は、ロシア軍の支援を受ける南オセチアの住民と思われる人々が、ゴリと近くの村で略奪を続けていると報告した。
・ジョージアの町ポティの目撃者は、ロシアの戦車部隊が町に押し入り、インフラを破壊したと報告した。しかし、ロシア軍はこの主張した。
・ロシアのメドヴェージェフ大統領は南オセチアとアブハジアの指導者をモスクワに招き、会談した。
・ジョージア議会は、独立国家共同体(CIS)からの脱退決議案を可決した。
・米軍のC-17軍用機でジョージアの紛争地帯に人道支援を届けた。
<8月15日>
・ジョージアのサアカシュビリ大統領は、EUが仲介した停戦合意に署名した。サアカシュビリ大統領は署名後の演説でロシア人を「21世紀の野蛮人」と呼び、ロシアの軍事行動に適切に反応せず、ジョージアのNATO加盟を許可しなかった西側諸国を非難した。
・ドイツのアンゲラ・メルケル首相がロシアのソチを訪問し、メドヴェージェフ大統領と会談した。
・主要メディアは、ポーランドが米軍の支援を歓迎すると述べたことでロシア軍の脅威にさらされる可能性があると報じた。また、AP通信などは、ゴリにとどまり続けているロシア軍の動きが停戦合意が尊重されるかどうかを決めると報告した。
・人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、ロシア空軍はジョージアの民間人に対してクラスター爆弾を使ったと報告したが、ロシア国防省はこの主張を却下した。
<8月16日>
・ロシア軍がポティ港に入港。ロシア軍は占領していたポティ、ゴリ、セナキの軍事基地を破壊した。またロシア軍はポティ港に停泊していたジョージアの沿岸警備船16隻を押収した。
・ジョージアの外務省はロシア軍が東西を結ぶカスピ地区の主要な鉄道橋を破壊したと報告したが、ロシア政府はこの報告を却下した。しかし、橋の破壊によりアゼルバイジャンはジョージアに対する石油の輸出を停止し、アルメニアの物資供給も中断を余儀なくされた。
・ジョージアの外務省は、ロシア軍とアブハジアの武装勢力がジョージアの13の村とイングリ水力発電所を占領したと報告した。
・8月17日:ロシアのメドヴェージェフ大統領は、ロシア軍は8月18日に南オセチアへの撤退を開始するとフランスのサルコジに約束した。
・8月17日:ニューヨーク・タイムズ紙は、ロシア軍が南オセチアに戦術弾道ミサイル(OTR-21トーチカ)を配備したと報じた。
・8月18日:ロシア軍参謀本部のアナトリー・ノゴヴィツィン将軍は、ロシア軍はジョージアからの撤退任務を開始したと述べた。
・8月18日:ロシア軍はジョージアの中心地にとどまり、ゴリに頻繁に出入りしていたと伝えられている。
・8月19日:ウォール・ストリート・ジャーナルは、ロシア軍がポティ港を含む周辺地域の支配権を掌握したと報じた。ポティのジョージア兵はロシア軍に拘束され、セナキの軍事基地に移送された。また米軍のジープ5台に乗車していた当局者も拘束された。
・8月19日:ロシアのメドヴェージェフ大統領はフランスのサルコジ大統領に、ジョージアからの撤退は8月21日から22日までに完了すると約束していたが、少なくとも500人のロシア兵が南オセチアの国境付近にとどまっていた。
・8月20日:ジョージアの国連大使は安全保障理事会の会合の中で、ロシア軍は民間および軍事インフラを破壊し、サイバー攻撃も仕掛けてきたと報告したが、ロシア大使はこの主張を却下した。
・8月20日:フランスが起草した国連安保理決議はロシアの反対で可決されず、ロシア大使は会合の記者会見で、「ロシア軍は撤退任務を継続しており、決議は時間の無駄」と述べた。
・8月21日:ロシアの緊急事態省は声明で、「8月12日から20日の期間に兵士や関係者約18,000人がジョージアから帰国した」と発表した。
・8月21日:アメリカのブッシュ大統領はジョージアのサアカシュビリ大統領との電話会談の中で、「アメリカはロシアのジョージア包囲を終わらせるために行動している」と述べた。
・8月22日:ロシアはジョージアにとどまっていた部隊の大半をアブハジアと南オセチアに撤退させ、ジョージアの主要な高速道路は運用を再開した。
・8月22日:ロシア政府は軍の撤退任務完了を宣言し、ロシアは南オセチアとアブハジアの近くに設けられた緩衝地帯を恒久的に維持すると発表した。アメリカのブッシュ大統領とフランスのサルコジ大統領は、ロシアが停戦合意に準拠していないことに同意した。
・8月23日:ジョージア軍がゴリの基地に帰還。
・8月25日:ロシア議会(両院)は、アブハジアと南オセチアの独立を認めるようメドヴェージェフ大統領に求める決議案を全会一致で可決した。米国務省は決議を国際法違反と非難した。
・8月26日:ロシアのメドヴェージェフ大統領は、「南オセチア共和国」とアブハジア共和国の独立と主権国家であることを承認する大統領に署名した。
<2008年の南オセチア紛争>
・両軍参加者:10万人(推定)
・両軍負傷者:1,500~2,000人(推定)
・両軍死亡者:300~600人(推定)
・避難民:19万~23万人(推定)
2008年9月~現在
・2008年9月:アメリカがジョージアに対する10億ドルの経済援助プログラムを発表。
・2008年9月25日:ツヒンヴァリの郊外で爆弾が爆発し、南オセチアの住民1人が死亡した。
・2008年10月3日:南オセチアにあるロシアの軍事基地近くで自動車爆弾が爆発。ロシア兵7人が死亡し、7人が負傷した。ロシア政府はジョージア人がテロ攻撃を組織したと非難し、南オセチア政府は攻撃を「ジョージアの国家テロ」と呼んだ。
・2009年1月19日:ロシアのメドヴェージェフ大統領は、軍事生産物をジョージアに販売、供給、または譲渡することを禁じ、ジョージアとの軍事協力のためにロシアの鉄道、水域、空域を使用することを禁止する経済制裁決議に署名した。
・2009年1月23日:ロシア政府はアブハジアと南オセチアの国境付近におけるジョージア軍の活動が強化されていると懸念を表明した。
・2009年8月1日:過去数カ月の間に南オセチアとの行政境界を巡視していたジョージアの警察官28人が狙撃または地雷によって殺害された。
:2009年8月5日:ロシア政府は、アメリカはジョージアに大量の武器を提供し続けていると主張した。
・2017年:南オセチアの軍隊は、ロシア軍の一部に組み込まれた。
・2017年4月:大統領選挙。2014年から議会議長を務めていたナトリー・ビビロフが現職のレオニード・チビロフ大統領を破った。
文化(目次に戻る
・ロシアとジョージアの影響を強く受けている。
・オセチア人の伝統芸能は継承されている。
・教育施設、雇用、そして物資が不足している。
・南オセチアのオセチア人の大多数はキリスト教徒だが、北オセチア・アラニア共和国(ロシア)のオセチア人にはイスラム教徒が一定数いる。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、陸上競技など。
・国内にスポーツ施設はほとんどない。
・南オセチアサッカー連盟は独立サッカー連盟(CONIFA)に加盟しており、2013年に初めて対外試合を行った。
・サッカー代表チームは2014年のCONIFAワールドカップで国際デビューを果たした。
・FIFAワールドカップを含む主要な国際大会に出場することはできない。
・オリンピックに出場する資格がない。(国内オリンピック委員会がない)
その他(目次に戻る
・ジョージアとの戦争は終結したが、国境と領土をめぐる争いは解決していない。
・ロシアからの軍事的、政治的、財政的援助に大きく依存している。