メキシコ合衆国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

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国名:メキシコ合衆国(Mexico United States)

首都:メキシコシティ(Mexico City)

人口:128,649,565人(2021年推定)

面積:1,972,550㎢(日本の5.2倍)

気候:概ね熱帯気候
・気温は地域によって大きく異なる。
・西部のソノラ砂漠周辺は寒暖の差が大きい。(年間最低8~25℃、年間最高:25~50℃)
・降水量は地域によって大きく異なる。少ない地域は200mm以下、多い地域は2,000mmを超える。
・北部の観光のおすすめ時期は3月~4月と9月~10月。
・南部の観光のおすすめ時期は11月~4月。

・標高2,000m以上の地域が多い。
世界で最も多様な気候を持つ国のひとつ
・生物多様性ランキングの上位国。20万種以上の野生生物が確認されている。

経済:
・開発途上国
GDPは1兆760億ドル(2020年推定)
・中米最大の経済規模を誇る。
貧困ライン以下の生活を送っている市民は人口の約42%
・極貧ライン以下の生活を送っている市民は人口の約7%。
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはアメリカ(80%)、カナダ(3%)、中国(2%)。

・主要輸入パートナーはアメリカ(50%)、中国(17%)、日本(4%)。
・失業率は経済協力開発機構(OECD)の中で最も低いが、不完全雇用率が高く、貧困ライン以下で生活している市民の割合が高い。
・深刻な所得格差に悩まされており、低所得者層は政府に強い不信感を抱いている。

人種(民族):
・ヨーロッパ系メキシコ人 47%(2018年推定)
・メスティーソ 25%
・先住民族 21%
・アジア系メキシコ人 1%
・アフリカ系メキシコ人 0.1%
・不明 1%

言語:
・スペイン語 92.7%(2010年推定)
・スペイン語と先住民族の言語のミックス 5.7%
・先住民族の言語 0.8%
・その他 0.8%

宗教:
・ローマカトリック 82.7%(2010年推定)
・福音協会 5%
・ペンテコステ派 1.6%
・エホバの証人 1.4%
・その他 1.9%
・無宗教 4.7%
・不明 2.7%

メキシコ合衆国

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大統領:アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(Andrés Manuel López Obrador)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は6年。再選不可。
・上院(元老院)の議員定数は128人。任期は6年。
・下院(代議員)の議員定数は500人。任期は3年。
・主要政党は制度的革命党(PRI)、国民行動党(PAN)、民主革命党(PRD)、国立再生運動(MORENA)。
・軍事政権時代の反省に基づき、大統領の再選を憲法で禁止した。
・憲法に従い民主的な選挙を行っているが、国民の70%以上は選挙の透明性を疑っている。
・2018年の大統領選挙で圧勝したオブラドールは左派。左派政党の勝利は約70年ぶりだった。
・一部の議員は麻薬カルテルとのつながりを指摘されている。

法律:メキシコ合衆国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・南部の先住民コミュニティや貧しい都市近郊での治安活動において深刻な権力の乱用が報告されている。
麻薬カルテルとの戦いが最大の懸案事項
・2006年頃から始まった麻薬戦争の死亡者は12万人以上、行方不明者は数万人と伝えられているが、正確な数字は政府も把握できていない。
・治安部隊は麻薬カルテルの構成員を厳しく取り締まり、麻薬戦争開始以来、少なくとも30,000人を殺害したと伝えられている。
・殺人事件の大半は未解決。
・麻薬カルテルに批判的な政治家や公務員は困難に直面する。

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渡航情報:
外務省ホームページ
・渡航中止勧告発令中(2021年4月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年4月時点)

治安:悪い
・近年テロ事件は発生していない。
・麻薬カルテル関連の凶悪事件が一部の州で頻繁に発生している。
・強殺、殺人、強盗、強姦などの凶悪事件の発生率は年々増加している。
南部の治安は特に悪いので注意が必要
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・麻薬カルテルのテリトリーには近づかないこと。
・麻薬カルテルは重武装している可能性が高く、極めて危険。
・スリ、引ったくり、置き引きに注意。
・強盗に遭遇した時は抵抗せず、金目の物は全て渡すこと。

メキシコ合衆国/麻薬カルテル

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は100社以上。
・国営テレビ局は2社。
・民間テレビ局は872局。
・ラジオ局は2,000局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は高い。
・検閲はない。
・メキシコの通信サービス市場はアメリカとブラジルに次ぐ規模。
・麻薬カルテルに批判的なジャーナリストは困難に直面する。

【国営メディア/設立年】
・メキシコ州立公共放送システム 1959年
カナルワンス 1959年

【民間メディア】
・Azteca Uno
・Las Estrellas
・Imagen Televisión
・Canal 5
・Azteca 7
・XHTVM-TDT
・a+
・その他多数

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2021年軍事力ランキング:46位

・軍人数:417,000人(推定)
  即戦力 275,000人
  予備兵 82,000人
  準軍組織 60,000人

・陸海空軍を保有。

・国防予算:44億ドル(推定)

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1700年代

・1700年代、現在のメキシコとその他の中央アメリカ諸国はスペインの植民地下に置かれていた。

・中央アメリカに移住したスペイン人は、スペインの文化とキリスト教を先住民族に伝えた。

・スペイン人は移民と一緒にアフリカの奴隷を送り込み、主に農作業に従事させた。

・メキシコは植民地時代に、17世紀の尼僧ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス、ルイス・デア・ラルコンの文学、大聖堂、記念碑、砦、プエブラ、その他の重要な文化財を生み出した。それらは現在、ユネスコ世界遺産に登録されている。

・1700年代後半、アメリカ生まれのメスティーソ(先住民民族とスペイン人の混血)や先住民族たちはしばしばスペインの支配に反対し、地方自治を独占した一部の移民スペイン人に対する抗議や暴力を主導した。

・多くのメスティーソはアメリカと同じようにメキシコもスペインから独立すべきと信じていた。

・スペインに対する独立運動を主導したカトリックの司祭、ミゲル・イダルゴ・イ・コスティリャ神父は、「メキシコ独立の父」として記憶されている。

メキシコ合衆国/ビーチ

1800年代

・1800年代初頭、メキシコの反乱軍はアメリカとフランスの革命に触発され、スペインの自治政府軍に対抗する準備を本格的に開始した。

・1808年、ナポレオンのスペイン侵攻に伴い、スペイン王カール4世が退位を余儀なくされた。同じ頃、スペイン自治政府のホセ・デ・イトゥリガライ副王は、メキシコシティの市議会にアメリカ生まれのメスティーソの支援を受ける暫定的なメキシコ自治政府の形成を提案したが、反乱軍はこれを却下した。

・1808年9月、メキシコ反乱軍の指導者、ガブリエル・J・デ・イェルモはイトゥリガライ副王に対するクーデターを決行し、拘束に成功した。これに伴い、アメリカ生まれのメスティーソ、フランシスコ・ハビエル・デ・リザナ・イ・ボーモンが自治政府の指導者に就任した。

・1809年7月、スペイン軍が自治政府を奪取し、フランシスコ・ハビエル・ベネガスが新副王に就任した。

・1810年9月14日、ミゲル・イダルゴ・イ・コスティリャ神父はイダルゴの村の住民に武装するよう呼びかけた。この時、スペイン本土はフランス軍の侵略に屈し、スペイン王は国外に追放されていた。

・1810年9月16日、メキシコ独立戦争勃発。(メキシコ反乱軍vsスペイン)

・1811年7月31日、ミゲル・イダルゴ・イ・コスティリャ神父が銃殺刑に処される。反乱軍の新指導者に就任したイグナシオ・ロペス・ラヨンは、南部の主要都市に対する攻撃を開始した。

・1813年11月6日、反乱軍議会がスペインからの独立を宣言する法的文書に署名した。(チルパンシンゴ会議)

・1815年12月22日、反乱軍の指導者のひとり、ホセ・マリア・モレロスが銃殺刑に処される。この処刑で反乱軍は最前線の指導者を失い、混乱状態に陥った。

・1820年、反乱軍の指導者、フアン・ルイス・デ・アポダカはフィリピン系メキシコ人主体のゲリラ軍をメキシコシティに派遣した。このゲリラ軍は3倍以上の規模の自治政府軍を打倒し、反乱軍の士気を大きく向上させた。

・1821年9月27日、メキシコ独立戦争終結。コルドバ条約締結によるメキシコ第一帝政が誕生した。

<メキシコ独立戦争>
・両軍参加者:数百万人
・両軍負傷者:数十万人
・両軍死亡者:25万~50万人(推定)

・1821年9月28日、メキシコ帝国独立宣言署名式。38人の臨時政府当局者が独立宣言書に署名し、「メキシコ帝国」は独立を宣言した。

・1822年7月、アグスティン・デ・イトゥルビデがメキシコ帝国の初代皇帝に就任。君主制を確立した。

・1823年5月、軍事クーデター発生。君主制に反対するアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ大佐はイトゥルビデ帝政を打倒し、イトゥルビデ皇帝はヨーロッパに逃亡した。

・1824年7月、サンタ・アナ大佐はヨーロッパから帰還したイトゥルビデ皇帝を拘束し、処刑した。サンタ・アナ大佐は君主制ではなく共和制を採用すると宣言し、議会の再開を他の指導者に要請した。

・1824年10月4日、暫定議会が新憲法を批准。これにより、メキシコ帝国は国名を「メキシコ共和国」に変更し、君主制は廃止された。

・1835年10月23日、軍事クーデター発生。アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍は共和国憲法を廃止した。

・1836年12月30日、新憲法施行。メキシコ共和国は国名を「メキシコ中央集権共和国」に変更した。

・1836年~1840年、各地で半軍事政権に対する反乱が発生し、テキサス(現在の米テキサス州)とカリフォルニア(現在の米カリフォルニア州)などの自治政府がメキシコから独立した。

・1845年、アメリカがテキサスの併合を宣言。メキシコはこれに猛反発し、緊張が劇的に高まった。

・1846年4月25日、アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)勃発。メキシコ軍とアメリカ軍はリオグランデの北で初めて衝突し、少なくとも100人が死亡したと伝えられている。

・1846年5月13日、アメリカがメキシコに宣戦布告。

・1848年2月2日、アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)終結。両国はグアダルーペイダルゴ条約に調印し、メキシコとテキサス間の紛争は終結した。

<アメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)>
・両軍参加者:約15万人(推定)
・両軍負傷者:10,000~15,000人(推定)
・両軍死亡者:約7,000人(推定)
・民間人死亡者:40,000~50,000人(推定)

・アメリカ・メキシコ戦争終結後も、半軍事政権に反対する戦闘は続いた。

・1857年2月5日、レフォルマ戦争勃発。(メキシコ保守派勢力vsリベラル派勢力)

・1860年12月、レフォルマ戦争終結、リベラル派が勝利し、ベニート・フアレス将軍が大統領に就任した。しかし、この時すでに保守派はフランスの協力を得て君主制を確立するための行動を開始していた。

・1862年5月5日、フランスは債務を返済できないフアレス政権に圧力をかけ、議会を解散するよう命じた。

・1864年4月10日、フランスの支援を受け、マクシミリアン1世が皇帝に就任。メキシコ中央集権共和国は国名を「メキシコ帝国」に変更し、立憲君主制への移行を宣言した。

・1867年7月、マクシミリアン帝政は外国勢力の圧力に屈し崩壊。その後、マクシミリアン1世は処刑され、立憲君主制は廃止された。

・1867年12月1日、憲法改正。メキシコ共和国は復興した。

・1876年1月、軍事クーデター発生。ポルフィリオ・ディアス将軍が新大統領に就任した。

・ディアス大統領は鋭敏な軍事リベラル指導者であり、イギリスとアメリカなどの外国投資を積極的に受け入れ、国のインフラを大幅に改善させた

・1880年、ディアス大統領は軍のマヌエル・ゴンザレスに大統領職を譲り、将軍に復帰した。

・1884年、ゴンザレス大統領はディアス将軍に大統領職を譲り、元帥に就任した。

・1880年代後半、税収の増加と行政の改善により、メキシコの治安、公衆衛生、鉄道、鉱業、産業、外国貿易、および国の財政は劇的に改善した。また、ディアス大統領は軍隊を近代化し、市民の資産を狙う盗賊を厳しく取り締まった。これらの政策により、メキシコ経済は一気に成長し、1910年まで年率プラス2.3%の成長を達成した。

・1890年代、メキシコ経済は外国の投資と自由貿易で大きく成長し、1894年には初めて財政黒字を達成した。しかし、食糧価格の高騰を抑えることには失敗し、人口の大多数を占める低所得者層の生活は困窮した。

1900年~第一次世界大戦

・メキシコは第一次世界大戦に関与していない。

・1907年、NY証券取引所の株価暴落に伴い、メキシコで採掘される金、銀、銅、亜鉛、その他の金属の需要が劇的に減少した。その後、混乱は他の輸出品にも拡大し、ディアス大統領に対する市民の不満は急速に高まった。

・1908年~1909年、メキシコは不況に陥り、楽観主義のディアス政権に対する市民の不満はさらに高まった。

・1910年11月20日、革命軍がディアス政権に宣戦布告。革命軍は全国各地で反乱を起こした。(メキシコ革命)

・1911年10月、大統領選挙。フランシスコ・イグナシオ・マデロ・ゴンサレスが決定的な勝利を収め、ディアス大統領は敗北した。

・1913年2月22日、軍事クーデター発生。ディアス前大統領の甥、フェリックス・ディアスをリーダーとする武装勢力がゴンサレス大統領を襲撃。暗殺に成功し、ビクトリアーノ・ウエルタ将軍が大統領に就任した。

・1914年4月、アメリカ軍がメキシコに侵攻。ウエルタ大統領に圧力をかけ、革命軍は勢いを取り戻した。

・1914年7月、ウエルタ大統領が辞任、海外に亡命した。

・1914年8月、革命軍のリーダーたちは大統領の座をめぐる戦闘を開始した。

・1917年2月5日、革命軍の指導者のひとり、ベヌスティアーノ・カランザ自称大統領が新憲法を公布。この憲法は1990年代に大幅に見直される。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・1920年5月21日、カランザ自称大統領が暗殺される。アドルフォ・デ・ラ・フエルタが暫定大統領に就任し、メキシコ革命(内戦)は終結した。

<メキシコ革命(内戦)>
・両軍参加者:50万~60万人(推定)
・両軍負傷者:分からない
・両軍死亡者:2万~3万人(推定)
・民間人死亡者:70万~270万人(推定)

・1920年6月、大統領選挙。アルバロ・オブレゴンが大統領に就任した。オブレゴン大統領は賢い政治家であり、実業家としても成功していた。

・オブレゴン政権は保守的な聖職者と一部の裕福な土地所有者を除いて、メキシコ市民の不満に対処し、経済回復に尽力した。

・1924年、大統領選挙。オブレゴン大統領は平和的に退任し、プルタルコ・エリアス・カレスが新大統領に就任した。カレス大統領は政治に大きな影響を与えるカトリック教会への弾圧を開始した。

・1926年、クリステロ戦争勃発。(メキシコ政府vs宗教の自由を防衛する革命軍)

・1929年、クリステロ戦争終結。メキシコ政府は宗教革命軍との和平協定に合意し、カトリック教会は活動再開を許可された。

<クリステロ戦争>
・両軍参加者:10万~15万人(推定)
・両軍負傷者:数万人
・両軍死亡者:8万~10万人(推定)
・民間人死亡者:20万~25万人(推定)

・1934年~1938年、ラサロ・カルデナス大統領は石油産業と電力産業を国有化し、国立工科大学を設立し、土地改革と子供たちへの教科書の配布(無料)を開始した。また独裁的な野心を持つ最後の将軍、カレスを追放し、軍隊を政治から排除することに成功した。

・1941年12月7日、マヌエル・アビラカマチョ大統領は真珠湾攻撃発生直後にアメリカに連絡を入れ、連合軍に軍隊を派遣すると約束した。

・メキシコの原子科学者、ホセ・ラファエル・ベハラーノは、マンハッタン計画(原子爆弾開発プログラム)に関わったと伝えられている。

・ほとんどの中南米諸国は連合国側で戦争に参加したが、海外に軍隊を派遣した国はメキシコとブラジルだけだった。

終戦~現在

・1940年~1970年、メキシコの経済は目覚ましい成長を遂げた。太平洋戦争でアメリカ軍との連携を強調したアビラカマチョ大統領のおかげでメキシコとアメリカの関係は強化され、大きな経済的利益をもたらした。

・1958年12月30日、メキシコの民間船がグアテマラの海域に進入。グアテマラ空軍は漁船団を攻撃し、少なくとも3人の漁師が死亡した。(メキシコ・グアテマラ紛争危機)

・1959年9月15日、メキシコとグアテマラが停戦協定に合意。紛争はギリギリのところで回避された。

・1968年10月2日、メキシコ五輪の実施に反対する大規模な抗議活動が発生し、政府軍は民間人350~400人を殺害した。なお、抗議者に参加した民間人は、ほとんど低所得者層だったと伝えられている。

・1968年10月12日、メキシコ五輪開幕。

・1976年と1982年の経済危機に伴い、政府は国内の銀行を全て国有化した。

・1985年9月19日、メキシコシティでM8.0の地震が発生。5,000~45,000人が死亡し、30,000人以上が負傷した。経済損失額は30億~40億ドルと見積もられている。

・1988年12月、大統領選挙。カルロス・サリナス・デ・ゴルタリが大統領に就任した。

・1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)に加盟。

・1995年、エルネスト・セディージョ大統領はペソの突然の切り下げが引き起こした通貨危機に直面した。これを受け、アメリカは最初に公開市場でペソを500億ドル融資保証として購入し、経済危機の食い止めに迅速に介入した。結果、ペソはどうにか安定を取り戻した。

・2006年12月、大統領選挙。フェリペ・デ・ヘスス・カルデロン・ヒノホサが大統領に就任。カルデロン大統領は就任直後に麻薬カルテルへの大規模な攻撃を命じた。

・麻薬取締局を強化するというカルデロン政権の決定は、連邦政府と麻薬カルテルの爆発的な紛争を引き起こした。

・メキシコは中南米を代表する麻薬生産・輸送国であり、毎年アメリカに密輸されているコカインの90%(推定)がメキシコを通過している。

・2018年、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領は麻薬カルテルへのアプローチを「銃声ではなく抱擁」に変更すると発表した。しかし、この政策は効果がなく、麻薬戦争の死亡者数は急増した。

・2019年10月、シナロア州のダウンタウンが無差別砲撃地帯になったため、政府は麻薬王エルチャポの息子を刑務所から解放した。

<メキシコ麻薬戦争>
・参加者:分からない
・負傷者:数万人
・死亡者:数万人

メキシコ合衆国/首都メキシコシティ

文化(目次に戻る

・先住民族の文化とスペインの文化が融合している。

・アメリカとヨーロッパの影響を強く受けている。

・人口の95%はキリスト教徒。

・アフリカ系とアジア系メキシコ人に対する差別や暴力が深刻な社会問題になっている。

・34の遺構や施設が世界遺産に登録されている。(アメリカ大陸最多)

・死者の日(11月1日~2日)の期間中に開催されるイベントは特に有名。

・メキシコ料理はユネスコ無形文化遺産に登録されている。代表料理はタコス、エンチラーダ、モーレ、アトレ、タマーレ、ポソレ。

・メキシコ料理に欠かせない穀物はトウモロコシ。メキシコ人はトウモロコシが大好き。

メキシコ合衆国/死者の日

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・人気スポーツはボクシング、サッカー、野球、バスケットボール、アメフト、闘牛、闘鶏など。

・メキシコシティに世界最大の闘牛場プラザメキシコがある。

・中米を代表するスポーツ強豪国。

・1968年にオリンピックを主催した。

・1970年と1986年にFIFAW杯を主催した。

・オリンピックでのメダル獲得数は69個。(金:13個、銀:24個、銅:32個)

・冬季オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・メキシカンリーグ(野球)はMLBに次ぐ人気プロリーグのひとつ。

【有名スポーツ選手】

・ウーゴ・サンチェス(Hugo Sánchez)サッカー選手。スペインリーグで得点王を獲得した。

・マリア・エスピノーザ(María Espinoza)テコンドー選手。オリンピック金メダリスト。

メキシコ合衆国/サッカースタジアム

その他(目次に戻る

・世界で最も多様な気候を持つ国のひとつ。

麻薬カルテルとの戦いに悩まされている

メキシコ合衆国/タコス
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