マリ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:マリ共和国(Republic of Mali)

首都:バマコ(Bamako)

人口:19,553,397人(2021年推定)

面積:1,240,000㎢(日本の3.3倍)

気候:砂漠気候と熱帯気候
・北部の砂漠エリアの夏はとても暑いが、冬の夜はかなり冷え込む。
・サハラ砂漠の夏場の平均気温は最低が27~30℃、最高は40~50℃。
・サハラ砂漠の冬場の平均気温は最低が11~17℃、最高は25~30℃。
・年間降水量は地域によって異なり、南部のサバンナ地帯は600mmを超える。
・中央部(半砂漠地帯)の夏場の平均気温は最低が25~27℃、最高は40~45℃。

・中央部(半砂漠地帯)の冬場の平均気温は最低が13~18℃、最高は30~37℃。
・最南端エリアの年間降水量は1,000mmを超えることも珍しくない。
・観光に適した時期は12月~2月。

経済:
・後発開発途上国
GDPは176億ドル(2020年推定)
・主要産業は農業とサービス業。
・主要輸出パートナーはスイス(32%)、UAE(15%)、ブルキナファソ(8%)
・主要輸入パートナーはセネガル(24%)、中国(13%)、コートジボワール(7%)
・主要輸出品は綿、金、家畜。

・世界で最も貧しい国のひとつ。
・世界銀行、アフリカ開発銀行、アラブ基金、西側諸国などから毎年支援を受けている。
・農業分野は総労働力の70%、GDPの42%を占めている。
・主要農作物はトウモロコシ、米、キビ、ソルガム、マンゴー、綿、スイカ、玉ねぎ、オクラなど。
・人口の35~40%が貧困ライン以下の生活を送っている。

人種(民族):
・バンバラ族 33.3%(2018年推定)
・フラニ族 13.3%
・ソニンケ族 9.8%
・セネ族 9.6%
・マンディンカ族 8.8%
・ドゴン族 8.7%
・ソンガイ族 5.9%
・ボボ族 2.1%
・トゥアレグ族 1.7%
・その他の先住民族 6%
・その他 0.7%

言語:
・フランス語(公用語)
・バンバラ語
・アラビア語
・英語
・先住民族の言語(80種類以上)

宗教:
・イスラム教 94.8%(2009年推定)
・キリスト教 2.4%
・アニミスト 2%
・無宗教 0.5%
・不明 0.3%

マリ共和国

政治(目次に戻る

暫定大統領:アシミ・ゴイタ(Assimi Goïta)
暫定首相:空席

政治体制:共和制
・国家元首は大統領、任期は5年、1回再選可能。
・一院制、議員定数は147人、任期は5年。
・2020年8月の軍事クーデターで政府と議会は解散した。
・2021年5月の軍事クーデターで暫定政府と暫定議会は解散した。
・2022年2月までに民主的な選挙で新議会と政府を設置する予定。
・イスラムジハード組織はマリ政府の存在を認めていない。
・軍事政権は北部地域の支配権をジハード組織と争っている。
・国際社会は2013年の議会選挙と2018年の大統領選挙を民主的と認めた。

法律:マリ共和国の憲法
・基本的人権と司法の独立を保障している。
・憲法裁判所と反逆罪などの罪を犯した政府高官を裁く高等法院がある。
・イスラムジハード組織は共和国の憲法を認めていない。
・市民の半数以上は公正な裁判にアクセスできないと伝えられており、各地で私刑が横行している。
・司法は軍事政権に都合の良い判決を下す。

2021年5月26日/マリ、首都バマコ、暫定大統領に就任したアシミ・ゴイタ大佐(ゲッティイメージズ/AFP通信)

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年5月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年5月時点)

治安:極めて悪い
・自爆テロや大量殺人などの凶悪事件が各地で発生している。
・イスラム国(IS)やアルカイダ関連のイスラムジハード組織が活発に活動している。
・北部サヘル地域は世界で最も危険なエリアのひとつ。
・イスラムジハード軍関連の武装集団が全国各地で大量殺人、処刑、強殺、殺人、強盗、誘拐、レイプなどの凶悪犯罪を繰り返している。
・サヘル地域の紛争(内戦)が収束する見通しは立っていない。
・軍と治安部隊は軍事政権の管理下に置かれており、取り締まりは極めて厳しい。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・銃火器が大量に流通しており、誰が武装しているか分からない。
・キャッシュカードやパスポートは安全な場所に保管し、極力持ち歩かない。

2020年9月25日/マリ、首都バマコ、バ・ヌダ前大統領(右)(AP通信)

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は40社以上。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は1局。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は150局以上。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府に批判的なジャーナリストは嫌がらせに直面する可能性がある。
・主要メディア媒体はラジオ。
・フランスのテレビとラジオを受信できる。
・インターネットの普及率は低い。
・インターネットにアクセスできる地域は限られている。
・検閲はない。

【国営メディア/設立年】
・公共放送ORTM 1983年

【民間メディア】
・アフリカブル

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:105位

・軍人数:18,000人(推定)
  即戦力 10,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 8,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:6,500万ドル(推定)

マリ共和国/国防軍の兵士たち

歴史(目次に戻る

1700年代

・1700年代、現在のマリ共和国を含む西アフリカはモンゴル帝国の支配下に名目上は置かれていたが、現地はほとんど占領されておらず、先住民族で主に構成される王国は自由に生活していた。

・1753年、現在のマリ西部にカルタ王国と呼ばれる新国家が樹立された。

1800年代

・1818年、フラニ族で構成されるマアジナ王国が内陸部の一部地域を占領し、独立国家の設立を宣言。

・1854年、トゥクロール帝国の指導者ウマール・トールはマリ西部の支配者であるカルタ報告を打ち破った。

・1862年、トゥクロール帝国は内陸部のマアジナ王国との戦争を制し、フラニ族を領土外に追放した。

・1892年、マリはフランスの植民地下に置かれたが、先住民族たちはフランス政府が任命した文民総督に抵抗し続けた。

・1898年、フランスがマリ全土を征服。以来、マリはフランス領マリと呼ばれるようになった。

マリ共和国/半砂漠エリアの幹線道路

1900年~第一次世界大戦

・マリは第一次世界大戦に関与していない。

・1905年、フランスはマリを含む西アフリカの支配を確立した。

・フランス領マリはフランス領西アフリカ連邦の一部として統治され、西アフリカ沿岸のフランス植民地に労働力を供給した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・マリは第二次世界大戦に関与していない。

・1939年9月、第二次世界大戦勃発。フランスはイギリスと共にナチスドイツに宣戦布告した。

・1940年5月、ナチスがオランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻。

・1940年6月、ナチスがパリに侵攻。フランス政府は議会を解散したうえで、ドイツに休戦を申し入れた。

・フランス軍はナチスに屈し、土地の大半をドイツとイタリアに割譲したが、フランスは主権国家として存続することを認められた。しかしパリを含む主要都市はナチスの事実上の支配下に置かれた。これに伴い、マリも一時的にナチスの支配下に置かれることになった。

・1945年9月、第二次世界大戦終結。

マリ共和国/サヘル地域で活動するフランス軍の兵士

終戦~現在

・1959年、スーダン共和国、セネガル共和国、フランス領マリがマリ連邦を形成した。

・1960年3月31日、フランスがマリ連邦の完全な独立を承認。

・1960年6月20日、マリ連邦がフランスから独立、モディボ・ケイタが初代大統領に就任した。

・1960年8月、セネガル共和国がマリ連邦から離脱。

・1960年9月22日、分裂を余儀なくされたマリ連邦は国名を「マリ共和国」に変更した。

・1968年11月、ムーサ・トラオレ中尉率いる若手将校グループがクーデターを決行。ケイタ大統領は失脚した。

・トラオレ中尉は14人の軍関係者で構成される国民解放軍事委員会 (CMLN) を設立し、議長に就任した。その後、軍の指導者たちは経済改革を開始したが、極めて脆弱なマリの経済は一向に改善せず、激しい内部闘争とイスラムジハード軍の事実上の支配下に置かれているサヘル地域の爆発的な抵抗に直面した。

・1974年、新憲法施行。トラオレ議長は一党独裁体制から文民政府への移行を約束したが、軍はその後も権力を維持した。

・1977年5月、ケイタ前大統領が刑務所で死亡し、マリ全土で抗議活動が発生した。

・1979年6月、一党独裁体制下で大統領選挙と議会選挙が行われ、ムーサ・トラオレ議長が投票率99.99%で新大統領に就任した。

・1985年12月25日、マリとブルキナファソは鉱物の豊富なアガシェストリップ地域の主権を主張し、衝突した。一連の戦闘はクリスマス戦争と呼ばれ、12月30日に停戦した。

・1991年3月、軍事クーデター発生。激しい反政府運動が4日ほど続いた後、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領警備隊長率いる軍人グループがトラオレ大統領を逮捕し、憲法を停止した。

・1991年8月、新憲法の草案、政党憲章、選挙法を協議する全国会議が開催された。

・1992年1月12日、新憲法の是非を問う国民投票が行われ、賛成多数で承認された。

・1992年6月8日、初の民主的な大統領選挙で勝利したアルファ・ウマル・コナレが大統領に就任した。

・1995年、トゥアレグ族との和平協定締結。これにより、国外に避難していた難民数千人の帰国が実現した。

・1999年、前大統領のムーサ・トラオレは汚職罪で死刑判決を受けたが、コナレ大統領は終身刑に減刑するよう命じた。

・1999年10月、北部サヘル地域でクンタ族の過激派組織とアラブ人コミュニティが衝突。数人が死亡したと伝えられている。

・2000年2月、コナレ大統領は元国際通貨基金(IMF)のマンデ・シディベを首相に指名した。

・2001年12月、南西部で建設が進められていたマナンタリ水力発電ダムが完成。

・2002年4月、大統領選挙。アマドゥ・トゥマニ・トゥーレが勝利。コナレ大統領はマリで初めて任期を満了した大統領になった。

・2002年9月、フランスがマリ政府の負債の約40%(約100億円)の放棄に合意。

・2002年10月、議会選挙。単独過半数を獲得した政党はおらず、挙国一致内閣(連立政権)が発足した。

・2003年8月、西部地域で活動するイスラム過激派グループとの衝突により、少なくとも10人が死亡した。

・2004年4月、アフメド・モハメド・アグ・ハマニ首相が辞任。ウスマーヌ・イスーフィ・メガが後任に選ばれる。

・2004年9月、イナゴの大量発生により農作物が深刻な被害を受ける。その年の穀物の収穫量は前年から約45%減少した。

・2005年6月、世界食糧計画(WFP)はマリで深刻な食糧危機が発生すると警告した。

・2006年6月、政府は北部サヘル地域の自治の強化を求めるトゥアレグ族の反政府勢力との和平協定に合意した。反政府勢力は5月に北部キダルの町で武器を略奪し、新たな反乱の恐れが高まっていた。

・2007年4月、大統領選挙。現職のトゥーレ大統領が再選を決める。

・2007年7月、挙国一致内閣の民主進捗同盟(ADP)は議会での影響力をさらに強め、完全なる文民政府の確立に向けた動きを加速させると宣言した。

・2007年8月、トゥアレグ族の反政府勢力がニジェールとアルジェリアの国境付近で国軍兵士複数名を誘拐。

・2008年4月、政府とトゥアレグ族の反政府勢力が新たな和平協定に合意。

・2008年5月、トゥアレグ族の反政府勢力が北東部の軍基地を急襲し、兵士17人を殺害した。

・2008年12月、トゥアレグ族の反政府勢力がサヘル地域の軍事基地を急襲。兵士20人を殺害し、数人を人質に取った。

・2009年2月、政府は最も影響力の強いトゥアレグ族反乱グループの基地を全て制圧したと発表した。発表から1週間後、グループの兵士約700人が和平協定の復帰を祝う式典で武器を放棄した。

・2009年5月、アルジェリア政府はアルカイダ関連のイスラム過激派組織に対する共同作戦に向けて、マリへの軍事支援を開始した。

・2009年8月、マリ議会が女性の権利を強化する法案を可決。一部の保守的なイスラム教徒はこれに激しく反発し、各地で暴動が発生した。

・2010年4月、マリ、アルジェリア、モーリタニア、ニジェールは、アルカイダを含むイスラム過激派組織に立ち向かう合同司令部を設立した。

・2011年10月、サヘル地域のアザワドに拠点を置くトゥアレグ族の軍事組織、アザワド解放民族運動(MNLA)が設立される。

・2012年1月、サヘル地域でMNLAが新たな反乱を引き起こし、民間人数千人が隣国モーリタニアに避難した。

・2012年1月16日、「マリ北部紛争」勃発。MNLAは政府とアルカイダ系イスラムジハード軍に宣戦布告した。

・2012年3月22日、軍事クーデター発生。軍のアマドゥ・サノゴ大佐はトゥーレ大統領を追放したうえで、「政府はMNLAとの紛争に効果的に対処しなかった」と主張した。これにアフリカ連合(AU)は強く反発し、マリをブロックから一時的に除外すると発表した。

・2012年4月、MNLAがマリ北部を掌握。その後、独立を宣言した。

・2012年5月、トゥーレ前大統領の支持者らがクーデターを起こすも失敗に終わる。軍事政権は体制を確立したうえで、MNLAとの戦闘を本格化させると宣言した。

・2012年6月、MNLAとイスラムジハード軍のアンサール・ダインが合併し、マリ北部を新イスラム国家と呼び、完全なる独立を宣言。その後、新MNLAはマリの憲法を廃止し、イスラム法を採用すると主張した。北アフリカのアルカイダ系ジハード軍、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」はこの合併とイスラム法への移行を支持した。

・2012年7月、新MNLA、アンサール・ダイン、アルカイダ軍は北部の主要都市を征服した。

・2012年8月、シェイック・モディボ・ディアラ首相は反政府勢力に立ち向かう国家統一政府を樹立。軍事クーデターを率いたアマドゥ・サノゴ大佐の側近も閣僚に選ばれた。

・2012年10月、新MNLAが北部の支配力を強化。政府の管理下に置かれている南西部の目の前まで支配エリアを拡大した。

・2012年11月、国連とAUの支援を受ける西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、マリ北部の奪還に向けた軍事作戦の開始に合意した。

・2012年12月、シェイック・モディボ・ディアラ首相が辞任。現地メディアは、「ディアラ首相はECOWASの軍事介入に反対する軍指導者の圧力に屈し、辞任を強制された」と報じた。これを受け、国連とアメリカはマリの軍事政権に経済制裁を科すと圧力をかけた。

・2013年1月、イスラムジハード軍がマリ中央部の町コンナを占領し、首都への侵攻を開始。政府はフランスに助けを求め、エマニュエル・マクロン大統領は救援要請に応じた。その後、屈強なフランス軍は主要都市のガオとトンブクトゥを奪取し、1月末には新MNLAの最後の主要都市であるキダルを征服した。

・2013年4月、フランス軍がマリからの撤退任務を開始。アフリカ連合軍はマリの治安回復に向けた活動を支援すると約束した。

・2013年4月、国連安全保障理事会が国連平和維持ミッション(MINUSMA)のマリへの派遣を承認。

・2013年5月、国連はマリの再建に向けた40億ドルの支援を約束する。

・2013年6月、マリ政府はアザワド解放民族運動(MNLA)を含むトゥアレグ族の反政府勢力との和平協定に合意した。これにより、反政府勢力はフランス軍に征服された主要都市キダルの引き渡しを公式に認めた。

・2013年7月、大統領選挙。イブラヒム・ブーバカル・ケイタが勝利した。

・2013年8月、フランス政府はマリ北部の主権を公式にマリ・国連平和維持ミッションに引き継いだ。

・2013年9月、ケイタ大統領がオウマル・タタム・リーを首相に任命。

・2013年10月、政府軍とトゥアレグ族の分離主義者がサヘル地域で衝突し、地域の治安と和平協定を脅かす。

・2013年12月、議会選挙。ケイタ大統領率いるマリ連合(RPM)は147議席中115議席を獲得した。選挙後、フランス政府はマリの駐在軍を60%削減する計画を発表した。

・2014年4月、ケイタ大統領はトゥアレグ族との紛争悪化を考慮し、ライバルのムーサ・マラを新首相に任命した。

・2014年8月、フランスはマリ、ブルキナファソ、ニジェール、チャドに展開した兵士約3,000人にバルハン作戦の開始を指示。サヘル地域の対テロ作戦は強化された。

・2014年9月、政府とMNLAを含むトゥアレグ族の分離主義者は、サヘル地域の紛争を解決するための協議をアルジェリアで開始した。

・2014年10月、サヘル地域で国連平和維持軍の兵士9人が殺害される。

・2015年1月、保健大臣はエボラ出血熱の国内症例がゼロになったと述べた。

・2015年4月、サヘル地域の戦闘が激化。MNLAはティンブクトゥの町で国連平和維持軍と衝突し、その後レレの町を占領したうえで、親政府民兵との新たな戦闘を開始した。

・2015年5月、フランス軍がサヘル地域のアルカイダ系ジハード軍の拠点を襲撃し、アマダ・アグ・ハマとイブラヒム・アグ・イナワレンを殺害した。二人はフランス国民の誘拐および殺害に関与したと伝えられていた。

・2015年5月、政府、いくつかの民兵組織、いくつかの反政府勢力がマリ北部紛争の終結に向けた和平協定に合意。しかし、戦闘は終息しなかった。

・2015年5月末、イスラムジハード軍のリーダー、アドナン・アブ・ワリド・アル・サーラウイは、イスラム国(IS) への忠誠とマリ政府を打倒すると誓った。その後、サーラウイの組織はサハラのイスラム国 (ISGS) として知られるようになった。

・2015年6月、政府とMNLAを含むトゥアレグ族の反政府勢力が数十年に及ぶ紛争を終結させることを目的とした新たな和平協定に署名。政府はトゥアレグ族に地域の自治権を与え、指導者の逮捕状を取り下げた。

・2015年8月、マリ中央部の町セヴァレのホテルでイスラムジハード軍と思われる兵士が民間人を襲撃し、少なくとも11人を殺害した。

・2015年11月、イスラムジハード軍の武装兵士が首都バマコのラディソン・ブル・ホテルを襲撃し、民間人22人を殺害した。

・2016年8月、国連平和維持軍の死亡者が100人を超える。

・2017年1月、和平協定の一環として設置された政府軍と元反政府勢力の軍事キャンプでイスラムジハード軍の自動車爆弾が爆発。少なくとも37人が死亡した。

・2017年2月、マリ軍の兵士とトゥアレグ族の民兵グループがサヘル地域の合同パトロールを実施。

・2017年3月、主要なイスラムジハード軍が合併。トゥアレグ族のジハード主義者イヤド・アグ・ガリをリーダーとするアルカイダ系組織、ヌスラト・アル・イスラム・ワル・ムスリムーン (JNIM) が結成された。

・2017年4月、ケイタ大統領が新政府の閣僚を発表。アブドゥライ・イドリッサ・メイガを首相に指名した。

・2017年6月、アルカイダと同盟を結ぶイスラムジハード軍が首都バマコの東にあるホテルを襲撃。民間人2人が死亡した。

・2018年1月、イスラムジハード軍がスンピの軍事基地を襲撃し、兵士14人を殺害した。また、他の地域では幹線道路に設置された地雷により、民間人26人が死亡した。

・2018年7月、大統領選挙。現職のケイタ大統領が再選。

・2020年8月、軍事クーデター発生。ケイタ大統領は数カ月にわたる抗議活動後に発生したクーデターで逮捕された。その後、軍はバ・ヌダウを暫定大統領に指名した。

・2021年5月25日、軍事クーデター発生。アシミ・ゴイタ大佐は、バ・ヌダウ暫定大統領とモクタール・ウアネ暫定首相を逮捕した。

文化(目次に戻る

・フランスと複数の先住民族の文化が入り混じっている。

・国内で確認された民族グループは80以上と伝えられている。なお、住民の99%はマンデ人。

・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。

・伝統的な祭り、ダンス、儀式が全国各地で開催されている。

・主食は米とキビ。主菜は鶏肉、羊肉、ホウレンソウ、バオバブ、トマト、ニジェール川で捕れる魚など。

マリ共和国/子供たち

スポーツ(目次に戻る

・人気スポーツはサッカー、バスケットボール、レスリング、陸上競技など。

・国内プロサッカーリーグ、マリ・プレミア・ディビジョンを運営している。

・ほとんどの町にサッカースタジアム(規模は大小さまざま)がある。

・オリンピックでメダルを獲得したことはない。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

・世界で最も貧しい国のひとつ。

サヘル地域の紛争(内戦)が収束する見通しは立っていない

マリ共和国/首都バマコ
スポンサーリンク