ガイアナ共和国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦

  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:ガイアナ共和国(Republic of Guyana)

首都:ジョージタウン(Georgetown)

人口:743,700人(2019年推定)

面積:214,970㎢(本州とほぼ同じ)

気候:熱帯気候
・雨季は11月~1月と4月~8月。
・乾期は2月~3月と9月~10月。
・5月~8月は特に雨の多い季節で、かなりむし暑い。
・気温は1年を通して安定している。(最低:24~26℃、最高:29~32℃)
・国土の大半は熱帯雨林。
・年間降雨量は地域によって異なるが、1,500mm以下の地域は少ない。雨の多い地域は安定して3,000mmを超える。
・ハリケーンの影響を受けにくい国。
・生水は飲まないこと。
・虫よけ対策を忘れないこと。蚊に刺されるとマラリアに感染する可能性あり。

経済:
・開発途上国
GDPは52億ドル(2019年推定)
・世界で最も急速に成長している国のひとつ。
・過去10年間の平均GDP成長率は4.2%。
・2019年から石油の生産を開始した。
・主要産業はサービス業と農業。
・主要輸出パートナーはカナダ(25%)、アメリカ(17%)、パナマ(10%)。
・主要輸入パートナーはトリニダード・トバゴ(28%)、アメリカ(27%)、中国(9%)。
・主要農作物はサトウキビ、米、ナスビ、パイナップル。
・インフラは沿岸部に集中しており、内陸の熱帯雨林エリアはほぼ未開発。
・貧困ライン以下で生活している市民の割合は30~35%(2010年推定)。
・失業率は12.2%(2018年調査)。

人種:
・インド人 39.83%(2012年国勢調査)
・黒人 29.25%
・アフロガイアナ人 19.88%
・先住民族 10.51%
・その他 0.5%

言語:
・英語(公用語)
・ガイアナクレオール語
・カリブヒンドゥスターニ―語
・スペイン語
・ポルトガル語
・ブラジル語
・フランス語

宗教:
・キリスト教 63%(2012年国勢調査)
・ヒンドゥー教 24.8%
・イスラム教 6.8%
・その他 2.6%
・無宗教 3.1%

ガイアナ共和国

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大統領:イルファーン・アリ(Irfaan Ali)
首相:マーク・フィリップス(Mark Phillips)

政治体制:共和制
・国家元首は大統領。任期は5年。
・一院制。複数政党制。
・議員定数は65人。任期は5年。
・最高意思決定機関は議会。
・第一党は人民進歩党(2021年3月時点)。
・ベネズエラとエセキボ川西岸地域の領有権を争っている。

法律:ガイアナ共和国の憲法
・司法の独立を保障している。
・LGBTの権利を保障していない。
・同性愛行為は終身刑を科される可能性がある。
アナルセックスまたはオーラルセックスを行った者は終身刑を科される可能性がある。(同性異性を問わず)

2020年2月/ガイアナ共和国、首都ジョージタウン、イルファーン・アリ大統領(ロイター通信)

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渡航情報:
外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年3月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年3月時点)

治安:悪い
・近年テロ事件は発生していない。
・イスラム過激派組織や反政府政府組織の活動は確認されていない。
銃器や薬物が広く流通している
・強殺、殺人、強盗、強姦などの凶悪事件が多発している。
・高級腕時計や貴金属類は身につけないこと。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・置き引き、引ったくり、スリに注意。
・南米の麻薬カルテルとつながりのある組織や個人が複数活動している。
・麻薬の購入を持ちかけられたら速やかに撤退すること。
・パスポートは不用意に持ち歩かず、金庫などで厳重に保管すること。

マスメディア(目次に戻る

・新聞社は複数社あると伝えられている。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は数局。
・国営ラジオ局は1局。
・民間ラジオ局は数局。
・報道と言論の自由を保障しているが、政府および与党に批判的なジャーナリストは嫌がらせを受ける。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は約40%。
・検閲はない。
・2017年に施行された放送法により、民間メディアは1日1時間政府が指定する番組を放送しなければならなくなった。

【国営メディア/設立年】
・NCNガイアナ 1970年頃

【民間メディア】
・StabroekNews
・KaieteurNews
・iNewsGuyana
・その他

ガイアナ共和国/ビーチ

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2021年軍事力ランキング:ー位

・軍人数:2,500人(推定)
  即戦力 2,500人
  予備兵 0人
  準軍組織 0人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:6,000万ドル(推定)

歴史(目次に戻る

1700年代

・1700年代、現在のガイアナ共和国と周辺地域はオランダの支配下に置かれていた。

・オランダはエセキボ川沿いに貿易拠点となる町を建設し、支配体制を確立した。

・1741年、デメララと呼ばれる居住エリア(現在の首都ジョージタウン)が整備される。オランダ人の商人、王国関係者、アフリカなどから移送された奴隷たちはここで生活した。

・1773年、ガイアナはオランダ西インド会社の管理下に置かれた。(土地の所有者はオランダ王国)

・先住民族たちはオランダ人が整備したプランテーションでの労働に適応できなかった。また、ヨーロッパから持ち込まれた病気で大勢が死亡し、深刻な労働力不足が発生した。

1600年代後半から1700年代後半の間に奴隷になった先住民族は約5万人と推定されている

・1770年代、ベルビセ地域でオランダに対する大規模な反乱が発生し、約3,000人の奴隷が逃げ出したと伝えられている。アフリカの奴隷で構成された反乱軍はオランダ人に襲いかかったが、近隣のヨーロッパ諸国がオランダを支援し、反乱は抑え込まれた。

・1781年、イギリス軍がガイアナの主要都市を占領。しかし、オランダと同盟を結んだフランス軍はイギリス軍をみごとに打ち破り、支配権を奪取した。

・土地を支配したフランスはデメララ川沿いに町を整備し、ロンシャンと名付けた。

・1784年、イギリス軍かフランスからガイアナの支配権の一部を奪取。英仏間の戦争は過熱し、先住民族は激しい戦いに巻き込まれた。

1800年代

・1803年、イギリス軍が沿岸地域の主要都市を制圧。

・1814年、イギリスとオランダがロンドン条約を締結。これにより、現在のガイアナ共和国の一部は正式にイギリスの植民地になった。

・1831年、イギリスはガイアナとその周辺地域を「英領ギアナ」として統一した

・当時、ベネズエラを支配していたスペインは、英領ギアナとベネズエラの国境に異議を唱えたが、ロンドン条約の締結には反対しなかった。

・1840年代、ベネズエラの自治政府は英領ギアナが自国の領土を占領したと主張し、抗議活動を開始した。これを受け、イギリスとスペインは国境問題の解決に向けた交渉を開始したが、妥協には至らなかった。

・1850年代、ベネズエラとの国境付近で金鉱が見つかる。イギリスは金鉱近くにギアナ領鉱業会社を設置し、土地の所有権を奪取した。これにベネズエラの自治政府は猛反発し、スペインに仲裁を提案したが、イギリスは訴えを全て無視した。

・1887年、ベネズエラがイギリスとの国交を断絶し、アメリカに支援を求める。一方、イギリスは英領ギアナの金鉱と沿岸部のインフラ開発を進めた。

・アメリカのグロバー・クリーブランド大統領はイギリスに軍事介入も辞さないと圧力をかけ、国境問題の解決を命じた。

・1897年、イギリスが英領ギアナの国境問題に関する国際裁判所の介入に同意。

・1899年、国際裁判所は国境付近の領土の約94%を英領ギアナの土地と認めた。この判決にベネズエラは強く反発したが、アメリカの圧力に屈し、受け入れることに同意した。

ガイアナ共和国/熱帯雨林と滝

1900年~第一次世界大戦

・1905年11月、首都ジョージタウンの荷役労働者たちが賃金の引き上げを求めるストライキを決行。イギリスの支援を受ける経営者は英軍に支援を要請した。

・1905年12月1日、経営者の支援要請を受けたイギリスの軍と警察は荷役労働者の抗議を厳しく取り締まり、ストライキの終了を拒否した者たちを銃撃した。一連の取り締まりで少なくとも7人が死亡し、数十人が重軽傷を負ったと伝えられている。(ブラックフライデー)

・1914年7月、第一次世界大戦勃発。

・英領ギアナの先住民と奴隷の血を引く黒人たちはイギリス軍に加わり、中央同盟国と戦った。

・1917年、イギリスはガイアナを含む東インド地域からの徴兵を禁止した。

・1918年11月、第一次世界大戦終結。戦争で犠牲になったガイアナ人の正確な数は分かっていない。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・英領ギアナは第二次世界大戦に関与していない。

・1918年末、港湾労働者などを代表する英領ギアナ労働組合(BGLU)結成。BGLUの加盟者は順調に増加し、1920年初頭に13,000人を超えた。

・1921年、英領ギアナ自治政府は労働組合条例に基づき、BGLUに法的地位を付与した。

・1931年に結成された英領ギアナ労働者連盟は、国内で働く全ての市民の労働条件改善を目指した。

・1930年代、世界恐慌の影響で英領ギアナの輸出は大幅に縮小し、国内の農家や企業に深刻な影響を与えた。

・砂糖、米、ボーキサイトなどの主要な輸出品は取引価格の暴落に直面し、失業率は急上昇した。

・1930年代半ば、全国の労働者たちが労働環境の改善を求め、暴力的なデモを決行した。

・1938年、西インド王立委員会(通称モイン委員会)が英領ギアナの労働者に関するレポートを発表。委員会は土地を所有できない女性や他の様々な条件を見直すよう促し、労働組合の活動を奨励した。しかし、第二次世界大戦が勃発したため、条件の見直しはすぐには行われなかった。

・1941年、アメリカが英領ギアナ国内に空軍基地(現在のタイムリ空港)を建設。

終戦~現在

・1950年1月1日、先住民族と黒人の主導する初の政党、人民進歩党(PPP)が誕生した。

・1950年末、イギリス政府は英領ギアナの自治政府に成人参政権と閣僚制度を採用するよう促した。

・1953年初頭、議会選挙。PPPは24議席中18議席を獲得し、イギリス政府直轄の統一国民党を圧倒した。

・1953年5月30日、チェディ・ジェーガンが初代首相に就任。

・1953年10月8日、PPPが労使関係法を施行。これは表面上は組合内の対立を減らすことを目的としていたが、野党はPPPが植民地の経済および生活を支配しようとしていると非難した。

・1953年10月9日、イギリス議会が英領ギアナの憲法の一時停止を承認。憲法停止後、英領ギアナは保守的な政治家、ビジネスマン、公務員などの小グループで構成された暫定政府の管理下に置かれた

・1957年、人民国民会議(PNC)誕生

・1957年、議会選挙。PPPが24議席中15議席を獲得し、チェディ・ジェーガンが首相に返り咲いた。

・ジェーガン首相はスターリン、毛沢東、フィデル・カストロを称賛し、英領ギアナもマルクス・レーニン主義に移行しなければならないと主張した。しかし、イギリスはギアナの社会主義化を拒否し、ジェーガン首相の政策を抑制した。

・1961年、議会選挙。PPPが野党勢力に圧勝。ジェーガン首相の再選が決まった。

・アメリカはジェーガン首相にキューバとの貿易を停止するよう要請したが、ギアナ政府はこれを拒否した。さらに、ジェーガン首相はチェ・ゲバラと会談したうえでキューバとの関係を強化し、ハンガリーおよび東ドイツと貿易協定を締結した。

・1964年3月、PPPの政策に反対する大規模なストライキが発生。ジェーガン首相はこれに抑え込む労働関係法案を議会に提出した。

・1964年4月5日、労働関係法案に反対する暴動が全国各地で発生。

・1964年4月18日、労働関係法案に反対する暴動がゼネラル・ストライキに発展。英領ギアナの経済は深刻な影響を受けた。

・1964年5月22日、全国の州知事が非常事態を宣言。

・1964年6月、州知事はジェーガン首相から全権を奪取し、イギリス政府に支援を要請した。一連の抗議の死亡者は160人以上、数千人が負傷し、数千の家屋が破壊された。

・1964年10月、議会選挙。PPPは議席の46%を獲得した。これに対し、議席の40%を獲得した野党の人民国民会議(PNC)は他の政党と速やかに連立し、政権を奪取した。

・1964年12月14日、フォーブス・バーナムが首相に就任。辞任を拒否したジェーガンは解任された。

・バーナム首相はキューバとの関係を断ち切り、アメリカに歩み寄った。

・1965年12月、カリブ海自由貿易協定に加盟。

・1966年5月26日、ガイアナがイギリスから独立。

・1968年、議会選挙。PNCが過半数を獲得した。選挙終了後、バーナム首相はガイアナを社会主義国家にすると発表した。

・1970年2月23日、憲法改正し共和制に移行。政府は「ガイアナ共和国」の誕生を宣言した。

・1970年5月、キューバとの国交を回復。アンゴラの独立戦争に向かうキューバ軍に拠点を提供した。

・1973年、議会選挙。PNCは票を操作し、野党を打ち負かした。

・バーナム大統領は独裁体制を確立しようとしたが、野党を完全に抑え込むことはできず、活動を容認した。

・1976年から1977年、砂糖の取引価格が暴落し、経済に深刻な影響を与える。

・1978年7月、第1回国民投票。バーナム大統領は有権者の71%が投票し、そのうち97%がPNCを支持したと宣言したが、見積もりによると投票率は10%ほどだったと伝えられている。野党は国民投票の結果を却下し、大規模な抗議活動を開始した。

・1978年11月、米サンフランシスコのカルト集団、「人民寺院農業プロジェクト(通称ジョーンズタウン)」で集団自殺事件が発生。909人がシアン化物中毒で死亡した。

・ジョーンズタウンに入った70人以上の個人は毒を強制的に注射され、犠牲者の3分の1(304人)は未成年者だった。また、銃とクロスボウで武装した警備員は、逃げた者を撃つよう命じられていた。なお、アメリカ政府はバーナム大統領とカルト集団のつながりを主張し、厳しい監視下に置いた。

・1979年、国内の治安は急速に悪化し、各地で殺人事件やテロが相次いだ。

・1980年、ガイアナの経済は急速に悪化し、公共サービス、インフラおよび市民の生活は最低水準まで低下した。地元メディアによると、ほぼ毎日停電が発生し、水道サービスはほぼ停止したという。一連の衰退は深刻な米、砂糖、食用油、ガソリン不足を引き起こし、闇市場が急速に発展した。

・1985年8月6日、バーナム大統領が病死。PNCのデスモンド・ホイトが大統領に就任した。

・1985年12月、議会選挙。PNCが不正選挙で野党を圧倒した。

・ホイト大統領は独裁体制での経済活性化を諦め、民主化への移行を開始した。

・1988年、ホイト政権は国内における外国企業の活動を認め、所有権に関連する規制を全て解除した

・1992年10月、議会選挙。PPPが政権を奪取し、チェディ・ジェーガン元首相が大統領に就任した。

・1997年3月6日、ジェーガン大統領が病死。サミュエル・ハインズ首相は憲法の規定従い新大統領に就任し、故ジェーガン大統領の妻、ジャネット・ジェーガンを新首相に任命した。

・1997年12月15日、大統領選挙。ジャネット・ジェイガンが大統領に就任した。

・1999年8月、ジャネット・ジェイガン大統領が体調不良を理由に辞任。バラット・ジャグデオが大統領職を引き継いだ。

・2001年3月、大統領選挙。ジャグデオ大統領が有効票の90%を獲得した。

・2005年1月、北部地域で豪雨による洪水が発生。沿岸地帯の浸水被害で少なくとも34人が死亡し、田んぼとサトウキビ畑の大部分が壊滅した。

・2008年5月、UNASUR構成条約に署名。

・2020年3月2日、大統領選挙。結果は同年8月3日に確定し、PPPのイルファーン・アリが大統領に就任した。

ガイアナ共和国/田んぼ(アラミー/BBCニュース)

文化(目次に戻る

・アフリカ、インド、アメリカ、イギリス、ポルトガルなど、他国の影響を強く受けている。

・ラテンアメリカで英語を公用語に指定している国はガイアナ共和国だけ。

・西洋のポップカルチャーを積極的に取り入れている。

・料理も他国の影響を強く受けており、多様。

・人気料理はカレー。インドと同じような作りのカレーを楽しめる。

・主食は米とパン。主菜は鶏肉、魚介類全般、キャッサバ、サトイモ。

・中華料理の人気が急上昇している。(特にテイクアウト)

ガイアナ共和国/カーニバル

スポーツ(目次に戻る

・一番スポーツはクリケット。

・その他の人気スポーツはバスケットボール、サッカー、バレーボール、競馬、ラグビーなど。

・オリンピックでのメダル獲得数は1個(銅メダル)。

・冬季オリンピックに出場したことはない。

その他(目次に戻る

半独裁体制終了以来、経済成長率は堅調に推移している

・ベネズエラとの国境問題は泥沼化しており、解決の見通しは立っていない。

ガイアナ共和国/首都ジョージタウンの市場
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