目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:アルゼンチン共和国(Republic of Argentina)
首都:ブエノスアイレス(Buenos Aires)
人口:45,479,118人(2021年推定)
面積:2,780,400㎢(日本の7.4倍)
気候:地域によって大きく異なる
・冬の気候は北部は穏やか、中央部は涼しく、南部は寒い。
・北部は1年を通して暑く、湿度が高く、降水量が多い。
・南部の夏は暖かく、冬は寒い。また1年を通して強風が吹いており、世界で最も季節間の降水量差が大きい。
・年間降雨量は地域によって大きく異なる。
・アンデス山脈の麓の山岳地域は1年を通して涼しい。
・アンデス山脈の最高峰は1年を通して雪に覆われている。
・首都ブエノスアイレスやサン・フストさどの都市圏は1年を通して暑い。
・南極大陸への玄関口。
経済:
・開発途上国
・GDPは4,445億ドル(2019年推定)
・経済規模はブラジルに次いで南米第2位。
・主要産業はサービス業と製造業。
・軍事政権から新自由主義体制に移行したが、1990年代から深刻な不況に突入し、2001年にデフォルトした。(2001年GDP:約3,000億ドル→2002年GDP:約1,100億ドル)
・経済は2002年のどん底から順調に回復した。(2002年の貧困率:54%、2013年の貧困率5%)
・軍事政権崩壊以来、インフレに悩まされている。
・深刻な所得格差に悩まされている。
・最も裕福な層の所得は最も貧しい層の約16倍。(2010年調査)
・貧困ライン以下の生活を送っている市民の割合は総人口の約33%。
人種:
・メスティーソ 97.2%(2010年国勢調査)
・アメリカ人 2.4%
・アフリカ人 0.4%
言語:
・スペイン語(公用語)
・英語
・イタリア語
・ドイツ語
・フランス語
・先住民族の言語
宗教:
・キリスト教 76%(2010年推定)
・無宗教 21%
・イスラム教 1%
・ヒンドゥー教 1%
・その他 1%
アルゼンチン共和国
政治(目次に戻る
大統領:アルベルト・フェルナンデス(Alberto Fernández)
内閣首席大臣:サンティアゴ・カフィエロ(Santiago Cafiero)
政治体制:立憲共和制
・国家元首は大統領、任期は4年。
・二院制。
・上院の議員定数は72議席、任期は6年。
・代議院(下院)の議員定数は257議席、任期は4年。
・軍事独裁政権崩壊以降は、民主的な選挙を継続している。
・国政選挙における男女平等を課す法案を2017年に可決した。
・上院の第一党はフレンテ・デ・トドス。
・下院の第一党はフレンテ・デ・トドス。
・G-15およびG-20のメンバー。
法律:アルゼンチン共和国の暫定憲法
・司法の独立を保障している。
・女性の権利(選挙権、労働同一賃金、子供に対する権利など)を保障している。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・注意情報発令中(2021年2月時点)
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年2月時点)
治安:普通
・近年テロ事件は発生していない。
・銃器を使った犯罪(殺人、強盗、誘拐)が多発している。
・流しのタクシーには乗車しないこと。
・高級腕時計や貴金属類は身につけない方がよい。
・ギャングの活動エリアには近づかないこと。
・麻薬組織の活動エリアには近づかないこと。
・スリや置き引きに注意。
・隣国との国境付近には近づかない方がよい。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は150社以上。
・国営テレビ局以上は1社。
・民間テレビ局はケーブルテレビを含めると数百局。
・ラジオ局は100局以上。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネットの普及率は35~40%。
・検閲はない。
・調査によると、市民の大半が政府およびメディアを信用していないという。
【国営メディア/設立年】
・アルゼンチン公共放送(TVP) 1951年
【民間メディア】
・エルヌエベ
・エル・トレス
・テレフェ
・アメリカテレビ
・その他多数
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:42位
・軍人数:115,250人(推定)
即戦力 84,000人
予備兵 0人
準軍組織 31,250人
・陸海空軍を保有。
・国防予算:42億ドル(推定)
歴史(目次に戻る
1700年代
・1700年代、アルゼンチンはスペインの植民地下に置かれていた。
・1770年代、スペインは現在のアルゼンチンおよび周辺国を統治するリオ・デ・ラ・プラタ王朝を設立した。現在のアルゼンチン人、ウルグアイ人、パラグアイ人、ボリビア人の先祖の多くがこの王朝の出身と考えられている。
・スペインはラテンアメリカの貿易およびインフラの整備を加速させた。
・1700年代後半、港湾都市に発展しつつあったブエノスアイレスなどでスペインからの独立を求める運動が本格化した。
1800年代
・1810年5月18日、アルゼンチン独立戦争勃発。(革命軍vsリオ・デ・ラ・プラタ王朝)
・両軍の戦いは現在のアルゼンチン、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビアなどで展開された。
・1810年5月25日、リオ・デ・ラ・プラタ王朝の総督が解任される。(五月革命)
・1814年、アルゼンチン内戦勃発。(連邦支持勢力vs統一派勢力)
・1816年7月9日、「アルゼンチン共和国」が独立を宣言。
・1817年、革命軍は北部の王朝軍を打ち負かし、チリの独立を後押しした。その後、新たな戦いがペルー周辺で発生し、革命軍はペルーの独立にも大きく貢献した。
・1818年4月5日、アルゼンチン独立戦争終結。スペインはアルゼンチン共和国の独立を認め、奴隷制を部分的に廃止した。
・1825年2月2日、イギリスがアルゼンチンの独立を公式に認める。それに伴い両国は友好、商取引、および航海に関する条約に署名した。
・1852年、ブエノスアイレス州が独立を宣言。しかし、アルゼンチンと諸外国はこれを認めなかった。
・1853年5月1日、憲法制定。
・1861年9月17日、パボンの戦い勃発。(ブエノスアイレス州vsアルゼンチン)戦いは半日足らずで終わり、ブエノスアイレス州が決定的な勝利を収めた。
<パボンの戦い>
両軍参加者:35,000~40,000人(推定)
両軍負傷者:1,000~1,500人(推定)
両軍死亡者:1,000~1,500人(推定)
・1862年、パボンの戦いを制したブエノスアイレス州政府はアルゼンチンに復帰し、バルトロメ・ミトル州知事が初代大統領に就任した。
・1864年10月、パラグアイ戦争勃発。(ブラジル&アルゼンチン&ウルグアイ連合軍vsパラグアイ)
・1870年3月、パラグアイ戦争終結、連合軍が勝利した。その後三国同盟条約は廃止され、一部地域の国境が確立した。
・1873年、欧米を中心とする金融危機が発生。フランスとイギリスはこの年から「大不況」に直面し、その影響はアルゼンチンにも波及した。
・1874年、ニコラス・アベラネダが大統領に就任。
・1880年、アルゼンチン内戦終結。ブエノスアイレス州は一時的に独立を宣言したが、連邦政府はこれを却下し、ブエノスアイレスはアルゼンチン共和国に正式に組み込まれた。
・1880年、国民自治党のフリオ・アルヘンティーノ・ロカが大統領に就任。国民自治党は自由主義的な経済政策を強調し、ヨーロッパから積極的に移民を受け入れた。
・1888年、国民自治党のミゲル・アンヘル・フアレス・セルマンが大統領に就任。
・1890年、国民自治党のカルロス・ペレグリーニが大統領に就任。
・国民自治党の政策により、アルゼンチンの人口は1910年頃までに約5倍、経済規模は約15倍に増加した。また、小麦や冷凍牛肉などの輸出が爆発的に増加したことで、世界を代表する輸出国のひとつになった。
1900年~第一次世界大戦
・アルゼンチンは第一次世界大戦に関与していない。
・1910年、国民自治党のロケ・サエンス・ペーニャが大統領に就任。
・1914年8月9日、ペーニャ大統領死去。
・1916年、急進市民同盟のイポリト・イリゴイエンが初の民主的な選挙で大統領に就任。
・イリゴイエン大統領は「貧しい人々の父」と呼ばれ、工場の改善、労働時間の規制、義務教育などの進歩的な社会改革を推進し、労働者階級の生活水準を向上させた。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・1919年1月、アルゼンチン地域労働者連盟のゼネストに軍が反発し、銃撃戦に発展した。戦闘は1週間ほど続き、700人以上が死亡、4,000人以上が負傷した。
・1921年、労働法と最低賃金法制定。ストライキ権などが確立した。
・1922年6月、国営石油会社YPFを創設。
・1930年、軍事クーデター発生。イリゴイエン大統領は追放され、ホセ・フェリクス・ウリブル将軍が大統領に就任した。
・ウリブル大統領はアナキストやその他の極左グループを厳しく取り締まり、約2,000人を処刑したと伝えられている。
・1932年、アグスティン・ペドロ・フストが秘密選挙で大統領に就任。
・1933年5月1日、イギリスとアルゼンチンがロカ・ランシマン条約を締結。
・1938年、ロベルト・マリア・オルティスが大統領に就任。
・1942年、オルティス大統領が体調不良を理由に辞任。ラモン・カスティージョ副大統領が権力を引き継いだ。
・1943年6月4日、軍事クーデター勃発。カスティージョ大統領は軍の圧力に屈し、辞任した。
・1943年6月7日、ファシストのペドロ・パブロ・ラミレス将軍が大統領に就任した。
・1945年3月27日、アルゼンチンは第二次世界大戦でも中立を守っていたが、真珠湾攻撃後にアメリカから枢軸国に宣戦布告するよう圧力を受け、従った。
・1945年9月、第二次世界大戦終結。
終戦~現在
・1946年、フアン・ペロン将軍が大統領に就任。
・ペロン大統領のイデオロギーは「ペロニズム」と呼ばれ、妻のエバ・ペロンと共に国を改革した。
・ペロン大統領は孤立主義的な外交政策を展開し、他国の政治および経済干渉を減らした。結果、支出のみが拡大し、壊滅的なインフレにつながった。
・ペロン大統領は野党勢力を投獄したのち拷問し、有能な野党顧問を打ち負かした。
・1955年9月、クーデター勃発。ペロン大統領は追放され、スペインで余生を過ごした。
・1955年11月、ペドロ・エウヘニオ・アランブル将軍が大統領に就任。
・アランブル大統領は反ペロニズム政策を推し進めた。
・1958年、アルトゥーロ・フロンディジが民主的な選挙で大統領に就任。
・1962年、軍事クーデター勃発。フロンディジ大統領は追放された。その後、軍は副大統領のホセ・マリア・グイドを大統領に指名した。
・1962年9月、海軍が反乱を起こし政権奪取を狙った。しかし、反乱は鎮圧され、海軍は政治に対する影響力を完全に失った。
・1963年、人民党のアルトゥーロ・ウンベルト・イリアが民主的な選挙で大統領に就任。
・1966年6月28日、軍事クーデター勃発。イリア大統領は打ち負かされ、フアン・カルロス・オンガニア将軍が大統領に就任した。(アルゼンチン革命)
・オンガニアの経済大臣、アダルベルト・クリーガー・ヴァセナは賃金の凍結と通貨の40%切り下げを命じた。これにより、アルゼンチンの経済、特に農業部門は大きな影響を受けた。
・オンガニア大統領は労働法を一時停止し、国営企業の独占を確立し、ストライキ権を廃止し、家賃を支払わなかった者を追放できる法律を施行した。
・1966年7月、オンガニア大統領はブエノスアイレス大学などの教育施設の撤去を命じた。
・1969年4月、共産革命党の元メンバーらで構成された組織(FAL)が武装蜂起を起こし、各地でゲリラ作戦を展開した。
・1971年3月、アレハンドロ・ラヌッセ将軍が大統領に就任。
・1973年3月11日、10年ぶりの民主的な総選挙を実施。エクトル・ホセ・カンポラが大統領に就任した。
・1973年の石油危機は、アルゼンチン石油依存経済に大きな影響を与え、全国各地で紛争やストライキが発生した。
・1973年7月13日、カンポラ大統領と副大統領が辞任。
・1973年10月、フアン・ペロン将軍がスペインから帰還し、大統領に就任。「ペロニズム」復活を宣言した。
・1974年7月1日、ペロン大統領死去。妻のイサベル・マルティネス・デ・ペロンが大統領に就任し、ペロニズムを継承した。
・デ・ペロン大統領は政治に不慣れだった。
・1976年3月24日、軍事クーデター勃発。デ・ペロン大統領は追放された。
・1976年3月29日、ホルヘ・ラファエル・ビデラ司令官が大統領に就任した。
・独裁者のビデラ大統領は「国家再編プロセス」と呼ばれた粛正で学生、過激派、労働組合員、作家、ジャーナリスト、芸術家、そしてペロニストゲリラを打ち負かした。このプロセスの死者数は3万~5万人と考えられている。
・1982年4月2日、フォークランド諸島侵攻。アルゼンチン海軍はイギリス領フォークランド諸島の政府庁舎に押し入り、制圧した。
・1982年4月3日、国連安全保障理事会がフォークランドを占領したアルゼンチン軍に撤退を求める。(決議502)
・軍事政権は世論のすさまじい圧力に屈し、憲法の基本的権利を徐々に回復させた。
・1983年10月、ラウル・アルフォンシンが民主的な選挙で大統領に就任。
・1985年5月2日、チリと平和友情条約を締結。
・1986年12月24日、フルストップ法可決。これにより、1983年12月10日以前に軍が関与したすべての行為に恩赦が与えられた。
・1989年、大統領選挙。カルロス・メネムが勝利した。
・メネム大統領はペロン元大統領が国有化した企業を民営化し、経済を活性化させ、1995年の大統領選挙で再選を果たした。
・1999年、大統領選挙。フェルナンド・デ・ラ・ルアが勝利した。
・デ・ラ・ルア大統領はIMFが後援する政府支出の削減、歳入の増加、州の歳入分配改革のプログラムに従い、連邦財政赤字を抑制し、労働市場の柔軟性とビジネス促進策を追求した。
・2001年11月1日、アルゼンチンペソが切り下げられ、銀行預金の大規模な引き出しと資本逃避を引き起こした。
・2001年12月、アルゼンチン経済は爆発的な勢いで急降下し、全国各地で暴動が発生した。一連の抗議の死者は数十人と伝えられている。
・2002年1月、エドゥアルド・ドゥハルデが大統領に就任。
・2002年7月、ペソの価値は以前の4分の1まで下落した。
・ドゥハルデ大統領は深刻なインフレ、抗議、失業と貧困に直面しながらも経済政策でインフレを抑制した。
・2003年12月、大統領選挙。ネストル・キルチネルが勝利した。
・キルチネル政権は対外債務を返済し、アルゼンチン経済をV字回復させた。
・2007年12月、大統領選挙。キルチネル大統領の妻、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネルが勝利した。(初の女性大統領)
・2010年10月27日、ネストル・キルチネル元大統領死去。
・2011年12月、大統領選挙。デ・キルチネル大統領が再選を果たした。
・2015年11月、大統領選挙。デ・キルチネル大統領の後任、マウリシオ・マクリが勝利した。
・マクリ大統領はパナマ文書で特定された政治指導者の1人であり、他の指導者が脱税に使用したオフショア会社に関わっていると特定されたが、有罪判決を受けていない。
・2019年、大統領選挙。アルベルト・フェルナンデスが現職のマクリ大統領を破った。
文化(目次に戻る
・先住民族とヨーロッパの様々な文化が混ざり合い、多様な文化を構築した。
・アメリカの文化の影響はあまり受けていないが、米ポップカルチャーの人気は極めて高い。
・三度の飯よりタンゴが好き。
・カーニバルが大好き。
・世界を代表するブドウの産地。(世界第5位)
・主食は米とパン。主菜は肉全般、ベーコン、ソーセージ、トウモロコシ、豆類、玉ねぎなど。
スポーツ(目次に戻る
・三度の飯よりサッカーが好き。
・三度の飯よりサッカー観戦が好き。
・国技はパト(ポロとバスケットボールの要素を組み合わせた競技)。ただし、人気はあまりない。
・その他の人気スポーツはバスケットボール、ラグビー、オートレース、フィールドホッケー、テニス、ボクシングなど。
・政府はスポーツの発展に情熱を注いでいる。
・オリンピックの獲得メダル数は74個。そのうち金メダルは21個。なお、冬季五輪でメダルを獲得したことはない。
・パラリンピックの獲得メダル数は146個。そのうち金メダルは30個。
【有名スポーツ選手】
・ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)サッカー選手、神の手。2020年没。
・リオネル・メッシ(Lionel Messi)サッカー選手、バロンドール6回。世界で最も有名なアスリートのひとり。キャリア獲得収入10億ドル以上。
・マヌ・ジノビリ(Manu Ginóbili)NBA選手、オリンピック金メダリスト、南米を代表するバスケットボール選手。
その他(目次に戻る
・サッカーに情熱を注いでいる。
・度重なる軍事クーデターを乗り越え、民主政権を確立した。