目次
歴史
・1700年代
・1800年代
・1900年~第一次世界大戦
・第一次世界大戦~第二次世界大戦
・終戦から現在
基本情報(目次に戻る
国名:アンティグア・バーブーダ(Antigua and Barbuda)
首都:セントジョンズ(St. John's)
人口:96,286人(2018年推定)
面積:443㎢(愛媛県松山市とほぼ同じ)
気候:熱帯気候
・乾期は1月~4月。
・雨季は6月~11月。
・一年中高温多湿でかなりむし暑い。
・気温は1年を通して安定している。(最低:23~26℃、最高:28~31℃)
・最高標高点はオバマ山の402m。
・年間降雨量はほとんどの地域で1,000~1,300mm。
・ハリケーンシーズンは8月~10月。
・観光におすすめの時期は比較的涼しく乾燥している12月~4月。
・海で遊ぶ場合は、離岸流に注意。
経済:
・開発途上国
・GDPは14億ドル(2020年推定)
・主要産業はサービス業と製造業。
・主要輸出パートナーはポーランド(62%)、カメルーン(10%)、アメリカ(5%)
・主要輸入パートナーはアメリカ(20%)、シンガポール(12%)、ドイツ(11%)
・主要輸出品は石油製品、寝具、工芸品、食品、動物など。
・観光業がGDPの半分以上を占めている。
・国連のマネーロンダリング防止法に最初に署名した。
・2000年以来、マネーロンダリングと麻薬の密売に目を光らせている。
・農作物と魚介類はほとんど国内で消費される。
・コロナウイルスの影響で観光業が深刻な影響を受け、2020年のGDPは前年から約20%縮小した。
人種:
・アフリカ系 87.3%(2019年世界人口レビュー推定)
・アフリカ系と先住民族の混血 4.7%
・ヒスパニック系 2.7%
・白人 1.6%
・その他 2.7%
・不明 0.9%
言語:
・英語(公用語)
・アンティグア・クレオール語
宗教:
・プロテスタント 68.3%(2011年推定)
・ローマカトリック 8.2%
・その他 12.2%
・不明 5.5%
・無宗教 5.9%
アンティグア・バーブーダ
政治(目次に戻る
君主:エリザベス2世(Elizabeth II)
総督:ロドニー・ウィリアムズ(Rodney Williams)
首相:ガストン・ブラウン(Gaston Browne)
政治体制:連邦君主制
・イギリス連邦加盟国。
・国家元首はエリザベス2世。
・君主と総督の権限は限られている。
・二院制。
・上院の議員定数は17人。任期は5年。
・衆議院(下院)の議員定数と任期は上院と同じ。
・1951年の総選挙以来、アンティグア労働党の一強体制が続いている。
法律:アンティグア・バーブーダの憲法
・イギリスのコモンローに基づいている。
・司法の独立を保障している。
・同性の性行為は違法。法律には明記されていないが、刑務所に収監される可能性が高い。
・ソドミー法(肛門性交を禁止する法律)の廃止に向けた手続きを進めている。
渡航情報(目次に戻る
渡航情報:
・外務省ホームページ
・コロナウイルス注意情報発令中(2021年4月時点)
治安:普通
・近年、国内で自爆テロなどの凶悪事件は発生していない。
・イスラムジハード組織や反政府勢力の活動は報告されていない。
・高級腕時計や貴金属類は持ち歩かない方がよい。
・スリ、置き引き、引ったくりに注意。
・流しのタクシーには乗車しない方がよい。
・殺人、武装強盗、レイプ事件などが複数報告されている。
・深夜の繁華街には近づかない方がよい。ストリートパーティーには特に注意。
・深夜に一人で出歩かない。特に女性は注意。
マスメディア(目次に戻る
・新聞社は3社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局はなし。
・国営ラジオ局は1社。
・民間ラジオ局は3局。
・報道と言論の自由を保障している。
・主要メディア媒体はテレビ。
・インターネット普及率は70~80%。
・検閲はない。
・イギリスのBBCワールドニュースラジオを聴ける。
【国営メディア/設立年】
・ABSテレビ・ラジオ 1970年
【民間メディア】
・ー
軍隊(目次に戻る
2021年軍事力ランキング:ー位
・軍人数:315人(推定)
即戦力 240人
予備兵 75人
準軍組織 0人
・世界最小の軍隊のひとつ。
・国内のセキュリティ、薬物密輸の防止、漁業権の保護と支援、海洋汚染の防止、捜索救助、政府プログラムの支援、自然災害時の救援などを行っている。
・国防予算:900万ドル(推定)
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1700年代
・1700年代、アンティグア・バーブーダはイギリスの植民地下に置かれていた。
・イギリスのクリストファー・コドリントンはアンティグアに最初の大規模な砂糖農園を設立し、先住民族を労働者として雇った。
・1720年代、アンティグアの砂糖産業の収益性は大きく上昇し、多くの入植者が他の作物を砂糖の生産に置き換えた。
・1730年代、アフリカから移送された奴隷たちは砂糖産業の発展に貢献し、小規模な砂糖農家でも奴隷を使うことが一般的になった。
・奴隷の移送は1700年代半ば以降、ほとんど行われなくなったが、人口は自然に増加した。
・1700年代後半にアフリカから移送された奴隷は150人程度と伝えられている。
・1790年代、強制労働に反対する奴隷たちはアンティグアの各地で反乱を起こしたが、イギリスの治安部隊はこれを打倒し、首謀者と反抗的な奴隷を処刑した。
1800年代
・1833年、かつてない規模の奴隷反乱がカリブ海全域で発生したため、イギリス自治政府は多くの奴隷に自由を与えたが、アンティグアは含まれていなかった。
・1834年、アンティグアの自治政府は奴隷に自由を与える決議案を可決し、イギリス政府もこれを認めた。しかし、解放された奴隷たちに島の限られた農地を購入する資金力はなく、多くが砂糖農園で働き続け、一部はスラム街で別の奴隷労働に従事せざるを得なかった。
・解放された奴隷たちの生活は農地の不足、信用の欠如、製造業ではなく農業に基づいて構築された経済の影響で一向に改善されず、多くが劣悪な労働条件で働き続けた。
・沿岸地域に建設されたイギリス海軍の基地周辺には住民が集まり、街は少しずつ拡張された。この時、軍の活動を支えたイングリッシュハーバー造船所は多くの元奴隷労働者を雇ったと伝えられている。
・1840年代、元奴隷の生活は1843年の地震や1847年のハリケーンなどの自然災害で悪化し、餓死する者もいた。
・1852年、ポルトガルの自治地域のひとつ、マデイラで深刻な飢饉が発生したため、約2,500人のポルトガル人労働者がアンティグアに移住し、その多くが中小企業を設立して中産階級の仲間入りを果たした。
・ポルトガル人の移住に伴い、中東出身者がアンティグアで働くようになった。なお、中東出身者たちは様々な地域から来たと伝えられているが、当時は主にシリア人と呼ばれていた。
・1860年代、優秀なアイルランドの移民たちは砂糖農園の監督者になり、その多くがアフリカ人との間に子供を授かった。
1900年~第一次世界大戦
・アンティグアは第一次世界大戦に関与していない。
・1900年代初頭、5つの異なる移民グループはランク分けされ、最下層の黒人は劣悪な環境で働くことを強制された。
・イギリス人とアフリカ人の混血、ムラートの労働環境は比較的恵まれていた。白人は混血の子供に教育と訓練を提供したため、ムラートは黒人より高い地位を得やすかった。
・ムラートは黒人とは異なる生活を送り、自然と区別されるようになった。結果、多くのムラートは、白人に近い地位への主張を正当化するイデオロギーを生み出した。このイデオロギーは、当時のイギリスの白人至上主義に近かったと伝えられている。
・1910年代、劣悪な環境で働く黒人労働者たちは各地で抗議活動を行ったが、主に白人とムラートで構成される治安部隊はこれを厳しく取り締まった。
第一次世界大戦~第二次世界大戦
・アンティグアは第二次世界大戦に関与していない。
・1920年代、一部の島で鉱石の発掘を推進したが、事業は思うように発展せず、1929年に終了した。なお、発掘の舞台になったいくつかの島は現在も無人島のままである。
・1939年、自治政府の王立委員会が労働組合の結成を承認。以降、黒人の労働環境は少しずつ改善した。
終戦~現在
・1958年1月、カリブ海の島々で構成される西インド諸島連邦が形成され、アンティグアもこれに加わった。(加盟国:アンティグア・バーブーダ、バルバドス、ドミニカ、グレナダ、ジャマイカ、セントクリストファーネイビス、セントルシア、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、トリニダードトバゴ)
・1961年、ジャマイカが西インド諸島連邦に不満を表明した。
<ジャマイカの訴え>
・連邦議会の議席のシェアが少なかった。
・ジャマイカの市民は、小さな島々が比較的裕福なジャマイカの富を枯渇させると信じていた。
・ジャマイカは他の島々と離れており、疎外感を感じていた。
・島間の競争の影響で関係がギスギスしていた。
・1962年5月、西インド諸島連邦解散。
・1967年、アンティグア、ドミニカ、グレナダ、セントクリストファー・ネイビス・アンギラ、セントルシア、セントビンセントの6ヵ国で構成される西インド諸島法が可決された。これにより、イギリスは6か国に外務および防衛の責任と多くの自治権を与えた。
・1968年、西インド諸島法で自治と新しい憲法の施行を認められた6か国は西インド諸島の閣僚評議会、東カリブ海共通市場およびカリブ海自由貿易協会(CARIFTA)などに参加した。なお、加盟国の関係は東カリブ諸国機構(OECS)に置き換えられ、現在も続いている。
・1970年代、アンティグア労働党(ALP)と進歩的労働運動(PLM)が自治政府を取り仕切った。
・1981年11月1日、「アンティグア・バーブーダ」がイギリスから独立。イギリス連邦に加盟し、アンティグア労働党(ALP)のヴェア・バードが初代首相に就任した。
・1984年、議会選挙。ALPが過半数を獲得。
・1989年、議会選挙。ALPが17議席中15議席を獲得。
・1994年3月、議会選挙。ALPは経済発展の失敗や汚職で広範な批判に直面しながらも過半数を維持し、ヴェア・バード首相の息子のレスター・バードが新首相に就任した。
・1995年9月、カテゴリー4のハリケーンルイスがアンティグアを含むカリブ海の島々に大打撃を与えた。レスター・バード首相は声明で、島内の家屋の45%が崩壊し、電気と水道システムが停止したと発表した。死者は3人、負傷者は165人、約3,000人が住居を失い、被害総額は当時のGDPの約60%に相当する3億5,000万ドルに達した。
<ハリケーンルイスの被害総額(推定)>
・アンティグア・バーブーダ:3億5,000万ドル
・グアドループ:5,000万ドル
・ドミニカ:4,700万ドル
・モントセラト:2,000万ドル
・セントクリストファーネイビス:1億9,700万ドル
・サンマルタン:3億5,000万ドル
・シントマールテン:18億ドル
・プエルトリコ:2億ドル
・アメリカ:190万ドル
・ヴァージン諸島:3億ドル
・ニューファンドランド:50万ドル
・1997年、レスター・バード首相は、アンティグア北東部海岸のすぐ沖にある生態学的に重要な島々でマレーシアの開発業者によるプロジェクトを開始すると発表した。1,000室のホテル、ゴルフコース、世界クラスのカジノを建設するギアナ島開発プロジェクトは環境保護団体、議員、マスコミから幅広い批判を集め、地元住民が首相の兄弟を撃ち、混乱は最高潮に達した。その後、実行された開発は訴訟や政治問題に発展した。
・2004年、議会選挙。統一進歩党(UPP)が歴史的な勝利を収め、ボールドウィン・スペンサーが首相に就任した。
・2014年、議会選挙。ALPが政権を奪取し、ガストン・ブラウンが首相に就任した。
・2017年9月、カテゴリー5の巨大ハリケーンイルマがアンティグアを含むカリブ海の島々に接近し、壊滅的な被害をもたらした。ブラウン首相は島の建物とインフラの95%が破壊または損傷し、島のほぼ全員が政府の提供した施設に避難した。
<ハリケーンイルマの被害総額(推定)>
・アンティグア・バーブーダ:1億5,000万ドル
・バハマ:1億3,000万ドル
・アンギラ:2億9,000万ドル
・セントクリストファーネイビス:4,500万ドル
・サンマルタン:41億7,000万ドル
・シントマールテン:29億8,000万ドル
・プエルトリコ:10億ドル
・アメリカ:500億ドル
・イギリス領ヴァージン諸島:36億ドル
・キューバ:132億ドル
・タークス・カイコス諸島:5億ドル
・アメリカ領ヴァージン諸島:11億ドル
文化(目次に戻る
・イギリスと西アフリカの影響を強く受けている。
・先住民族の文化はほとんど文書化されておらず、分からないことが多い。
・人口の80%以上はアフリカの奴隷移民の子孫。
・若者はアメリカのポップカルチャーをこよなく愛している。
・料理はカリブ海、ヨーロッパ、西アフリカの影響を受けている。
・主食は米とコーンミール。主菜は肉全般、地元の魚介類、地元の野菜類、タマリンド、ラズベリーなど。
スポーツ(目次に戻る
・人気スポーツはクリケット、サッカー、ラグビー、ネットボール、陸上競技など。
・クリケット代表チームは2007年のワールドカップに出場した。
・2011年に結成されたサッカーのプロチーム、アンティグア・バーブーダFCは、アメリカの下位プロリーグのUSLプロでプレーしたことがある。
・オリンピックでメダルを獲得したことはない。
・冬季オリンピックに出場したことはない。
その他(目次に戻る
・カリブ海を代表するリゾート地のひとつ。
・コロナウイルスの影響で観光業が大打撃を受け、2020年のGDPは前年から約20%縮小した。