アフガニスタン・イスラム首長国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から2001年9月10日 
  ・2001年9月11日~現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:アフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate Afghanistan)

首都:カブール(Kabul)

人口:34,940,837人(2020年推定)

面積:652,225㎢(日本の1.72倍)

気候:大陸性気候

経済:
・後発開発途上国
・経済はほぼ機能しておらず壊滅状態。
GDPは約188億ドル
・失業率は不明。
・超インフォーマル経済。
・死亡率が高く、衛生環境は極めて悪い。
・2012年から原油生産を始めた。
・麻薬生産量世界一。収益はタリバンの重要な活動資金になっている。

人種
・パシュトゥーン人 38.5%(CIAワールドファクトブック推定)
・タジク人 21.3%
・ハザーラ人 24.5%
・ウズベク人 6.0%
・その他

言語:
・バシュトー語(公用語)
・ダリー語(公用語)
・ウズベク語
・英語
・トルクメン語
・アラビア語
・その他

宗教:
・スンニ派イスラム教 85~90%
・シーア派イスラム教 10~15%
・その他

アフガニスタン

政治(目次に戻る

タリバンの首長:ハイバトゥラー・アクンザダ(Hibatullah Akhundzada)
暫定首相:モハマド・ハッサン・アクンド(Mohammad Hassan Akhund)
暫定副首相:アブドゥル・ガニ・バラダール(Abdul Ghani Baradar)
暫定副首相:アブドゥル・サラム・ハナフィ(Abdul Salam Hanafi)

政治体制:イスラム法に基づく
・議会は2021年8月15日に消滅した。

法律:イスラム法
・2004年に独立した司法機関を設立した。
・刑務所は容疑者の拷問施設と呼ばれている。
・私刑がまかり通っていた。
・タリバン政権移行、現在の憲法がどのように扱われるかは不明。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年8月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年8月時点)

治安:極めて危険
・自爆テロや大量殺人などの凶悪事件が全国各地で多発している。
・反政府武装勢力やイスラムジハード組織が活発に活動している。
・タリバンやイスラム国(ISIS)を含むジハード軍は2021年8月15日にアフガニスタンを乗っ取った。
・米軍とNATO軍は2021年8月末までに完全撤退する予定。
・首都カブールの空港における商用便の運航は2021年8月15日に停止された。
・国境検問所はタリバンに占領されており、2021年8月15日時点で入国できるルートはない。

2021年6月23日/アフガニスタン、首都カブール、タリバンの侵攻に備える民兵たち(Getty Images/AFP通信)

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は3社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は200局以上あると伝えられている。
・国営ラジオ局はない。
・民間ラジオ局は250局以上。
・報道と言論の自由を保障しているが、タリバンに批判的なジャーナリストは何かしらの問題に直面する可能性がある。
・主要メディア媒体はラジオ。
・人気ソーシャルメディアはフェイスブック。
・インターネットの普及率は15~20%。
・検閲はない。
・タリバンはソーシャルメディアを積極的に活動している。
・CNN、BBC、Sky News、DD News、アルジャジーラなど、多くのグローバルニュース機関が首都カブールに地方支局を持っている。

【国営メディア/設立年】
・アフガニスタン国立テレビ 1978年

【民間メディア】
・ARIA TV
・Shamshad TV
・Sharq TV
・その他多数

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:75位

・軍人数:325,000人(推定)
  即戦力 175,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 150,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:40億ドル

2021年8月31日/アフガニスタン、首都カブールの国際空港、メディアの取材に応じるタリバン当局者(Kathy Gannon/AP通信)

歴史(目次に戻る

1700年代

・1704年:サファヴィー朝のシャー・フセインがカンダハール(アフガニスタンの一部)を支配した。

・1709年:アフガニスタン軍は、サファヴィー朝が派遣したペルシャ軍と戦い、打ち負かした。

・アフガニスタン南部のバシュトゥーン王国が独立を宣言。

・アフガニスタン軍とオスマン帝国が和平合意(ハマダーン条約)。

1800年代

・1800年代:イギリスとロシア帝国の衝突(グレートゲーム)がアフガニスタンに大きな影響を与えた。

・1839~1842年:第一次アングロアフガニスタン戦争。アフガン軍はイギリス軍に勝利した。

・1878~1880年:第二次アングロアフガニスタン戦争。アフガニスタンはイギリスの保護領になった。

・アフガニスタンの王、アブドゥル・ラーマン・カーンが現在のアフガニスタン国境を確立させた。なお、国境線を引いたのはイギリスとロシアである。

1900年~第一次世界大戦

・1900年代:国境確立、法制度の整備、そして政府の誕生により、アフガニスタンは国家として統一された。

・1901年:王位についたハビー・ブッラー・ハーンは第一次世界大戦への参加を拒否した。しかし、王の中立政策は国民に受け入れられず、政府内にも反発する者が多数いた。

・1919年2月:ハビー・ブッラー・ハーン国王暗殺。

・1919年8月19日:アングロアフガン条約に基づき、イギリスはアフガニスタンの独立を承認した。アマヌッラー・カーンが国王に就任した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・独立後、アフガニスタン政府はいくつかの改革に着手し、初等教育の義務化、男女共学の学校開設、女性の使用する伝統的なイスラム教のベール廃止などを実施した。

・1928年11月:アフガニスタン内戦勃発。(政府軍vs反政府勢力)

・1929年10月:アフガニスタン内戦終結。反政府勢力が勝利し、ハビー・ブッラー・カラカーニが指導者に就任した。

・1929年11月:アマヌッラー・カーン前国王の勢力が反政府勢力を打倒。指導者のハビー・ブッラー・カラカーニは処刑された。

・1933年:モハメッド・ザヒル・シャーが新国王に就任。

・第二次世界大戦中、アフガニスタン政府は国内で発生した内戦や反乱に振り回されていた。

終戦~2001年9月10日

・1953年:モハンマド・ダウド将軍が首相に就任。経済的および軍事的支援を受ける目的でソビエト連邦に接近した。政府はパルダ(女性を公の場から隔離する慣行)などを廃止し、社会改革を実行した。

・1963年:ダウド首相が反共産主義勢力の圧力に屈し、辞任。

・1964年:立憲君主制を導入し、政治の二極化が加速した。

・1973.年:暴力を伴わないクーデターで権力を掌握したモハマド・サルダール・ダウド・カーン前首相は立憲君主制と憲法を廃止したうえで初代大統領に就任し、アフガニスタン共和国の創設を宣言した。

・1978年:アフガニスタン人民民主党(PDPA)が軍事クーデターを起こし、大統領一家を暗殺。政権を打倒し、ヌール・モハマド・タラキが書記長に就任。国名をアフガニスタン民主共和国(DRA)に変更した。

・PDPAは意に反する知識人、宗教団体、その他反政府勢力と思われる者たちを投獄、拷問、殺害した。

・1979年:バルチャム派を支援するソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻(ソビエト戦争)。10万人以上の赤軍がバルチャム派をバックアップした。しかし、これに反発するアメリカ、パキスタン、中国、イラン、サウジアラビアはムジャヒディンへの武器供給を開始し、数百億ドル相当のミサイルや兵器を提供した。

・1985年:ムジャヒディンとパキスタンが対ソビエト同盟を締結。アフガニスタンの人口の半分が戦争の影響で国外避難民になり、その多くが隣国イランやパキスタンに逃亡した。

・1986年:アメリカはムジャヒディンへのスティンガーミサイル供給を開始し、ソビエトのヘリコプターガンシップを撃墜できるようにした。

・1986年:ソビエトの支援を受けるムハンマド・ナジーブッラーが指導者に就任。

・1988年:ソビエト戦争終結。アフガニスタン、ソビエト、パキスタン、そしてアメリカが和平協定に調印し、ソビエト軍は撤退を開始した。

・1989年:アフガンに展開した最後のソビエト軍が撤退。ムジャヒディンはムハンマド・ナジーブッラー政権打倒を目指し、内戦は続いた。

・1992年:ナジーブッラー政権は崩壊したが、内戦は続いた。

・1996年、パキスタンによる軍事支援とサウジアラビアによる財政支援を受けたタリバンが首都カブールを占領、「アフガニスタン・イスラム首長国」の創設を宣言した。

・タリバンは女性の労働と学習を禁止し、石打ちや即決処決を含むイスラム復讐法(ハムラビ法典)を導入した。

・1997年:パキスタンとサウジアラビアがタリバンを合法的な政府と認める。

・1998年:アメリカはアフリカの米国大使館を爆破したとされるアルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンの基地への空爆を開始した。

・1999年:国連はアフガニスタンにウサーマ・ビン・ラーディンの引き渡しを要求し、航空禁輸と経済制裁を科した。

・2001年9月9日:タリバンの主要反対勢力で北部同盟の指導者であるアフマド・シャー・マスードが暗殺される。

・2001年9月10日:タカール州のエシュカメシュ地区とチャル地区のタリバンと北部同盟が衝突。タリバン兵135人以上が死亡した。

ソビエト・アフガニスタン戦争/ソビエト軍の兵士(Getty Images/AFP通信)

2001年9月11日~現在

2001年

・9月11日:同時多発テロ発生。ニューヨーク市の世界貿易センターに民間旅客機2機が衝突し、乗客全員とビル内にいた2,500人以上が死亡した。

・9月12日:アメリカのジョージW.ブッシュ大統領は、テロリストとテロリストを抱える国家を標的とする「テロとの戦い」を開始すると宣言した。

・9月13日:コリン・パウエル米国務長官は、ウサーマ・ビン・ラーディンが9.11の唯一の首謀者ではないことを確認したと発表した。国連といくつかの外国援助機関はアフガニスタンに対するアメリカの空爆を恐れ、撤退した。

・9月14日:アフガニスタンの指導者たちは、アメリカが9.11の報復攻撃を行った場合、他の手段で復讐すると警告した。米国議会はジョージW.ブッシュ大統領に、9.11の攻撃を組織したテロリストに対して「必要かつ適切なすべての力」を使用することを許可した。

・9月15日:アフガニスタンの外交官は、ウサーマ・ビン・ラーディンは自由に国を離れることができるが、追放されることはないと述べた。

・9月16日:ウサーマ・ビン・ラーディンは9.11への関与を否定する声明を発表した。

・9月17日:イランの最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイは9.11を非難したうえで、アフガニスタンでの戦争に反対すると声明を発表した。

・9月18日:国連難民高等弁務官を務めていたルード・ルベルスは米国務省に対し、数百万人のアフガン人が飢餓に瀕しており、アメリカの攻撃はアフガニスタンに甚大な影響を与えると警告した。

・9月19日:ジョージW.ブッシュ大統領が「アフガニスタン戦闘地帯大統領令」を発表。アフガニスタン国内における米軍の活動が公式に決まった。

・9月20日:ジョージW.ブッシュ大統領は米国議会の演説で、タリバンにウサーマ・ビン・ラーディンの引き渡しとアルカイダの破壊を要求した。

・9月21日:アフガニスタン北部同盟はタリバンを領土内から追い払った。

・9月22日:アフガニスタン北部同盟の指導者モハメッド・ファヒムは、タジキスタンでロシア軍の高官と会談し、タリバンの扱いについて協議した。

・10月6日:現地時間午後9時、アメリカは同盟国イギリスと共にアフガニスタンへの攻撃を開始した。米軍はタリバンの軍事および通信施設とテロ容疑者の訓練キャンプに巡航ミサイルを撃ち込み、空爆した。

・10月11日:ジョージW.ブッシュ大統領は1995年以来となるゴールデンタイムの大統領記者会見を開催し、タリバンにメッセージを送った。「チャンスはまだあります。ウサーマ・ビン・ラーディン、アルカイダの高官や関係者、その他の凶悪犯や犯罪者を連れてきなさい...」

・11月8日:日本の自衛隊員数百人を乗せた3隻の軍艦がインド洋に向け出港した。日本の軍艦が他国の戦争に関与(非戦闘軍事支援)したのは第二次世界大戦以来初。

・11月12日:タリバンは北部同盟軍の前進に屈し、首都カブールを放棄した。(タリバン政権崩壊)

・11月14日:北部同盟は首都カブールを占領し、アフガニスタン北部のほぼすべてを支配下に置いた。

・11月25日:北部同盟は北部最後のタリバン要塞クンドゥーズ州の支配権を獲得した。しかし、すでにタリバンとアルカイダの戦闘員数千人はパキスタンに退避していた。

・12月17日:タリバン兵はトラボラの戦いで米軍と北部同盟連合軍に打ち負かされた。

・12月20日:国連安全保障理事会決議1386は、国連憲章に沿ってテロを根絶するための国際的な努力を支持し、2001年9月12日の決議1368を再確認した。

2002年

・1月3日〜14日:米軍の爆撃機がアフガニスタン東部のタリバンの拠点を爆撃した。

・1月9日:パキスタンを離陸した軍用機が墜落し、米海兵隊員7人が死亡した。

・1月27日:アメリカの特殊部隊は地元のアフガニスタン民兵を支援し、カンダハールの病院に収容されていたアルカイダの戦闘員6人を殺害した。

・2月2日:アフガニスタンの暫定指導者に就任したハミド・カルザイ大統領は、国の安定を脅かす暴力を調査する特別委員会を設立した。

・2月5日:アフガニスタンの暫定指導者ハミド・カルザイ大統領は国を再建するために「お互いの手を取り合う」よう呼びかけ、大統領宮殿にアフガニスタンの国旗を掲げた。(タリバンの国旗はすでに廃棄されていた)

・2月9日:カルザイ大統領は、北部のバグラン州とタカール州の州知事に、マウルヴィ・ジアウルハク・ハキヤルとサイード・イクラムディン・マソミを指名した。

・2月10日:カルザイ大統領はタリバンの兵士300人以上を解放し、別の仕事を探すよう促した。

・2月19日:米国防総省はカルザイ大統領率いるアフガン新政権に反対し、アフガニスタン民兵に対する空爆を命じた。米軍の作戦はタリバンとアルカイダに焦点を合わせていたが、この空爆で戦略が変わったことが示された。

・2月24日:ハミド・カルザイ大統領がイランのモハンマド・ハタミ大統領と会談し、アフガニスタン難民の将来を含む地域問題について意見を交換した。イランは5年間で5億6,000万ドルの復興支援を約束した。

・2月25日:新アフガニスタン軍の最初の部隊が首都カブールで訓練を開始した。米軍はアフガン軍の創設を支援していた。

・3月2日:第3特殊部隊の米陸軍准尉スタンリー・ハリマンと2人のアフガニスタン人が味方のガンシップに射殺された。ガンシップはハリマン准尉たちを敵兵と勘違いした。

・3月3日:アナコンダ作戦中に米軍のヘリコプターが撃墜され、米兵7人が死亡した。

・3月21日:ユニセフは「学校再開プロジェクト」に基づき、女子学生を含む多くの学生、学校、教師に多くの支援を提供した。

・3月28日:国連安全保障理事会はアフガニスタンにおける1年間の国連支援ミッションの創設を可決した。

・4月2日:パキスタンのムシャラフ大統領がカブールを訪問し、ハミド・カルザイ大統領と会談した。二人は両国の関係を修復し、アフガニスタンの回復を促進することに合意した。パキスタンの大統領がアフガニスタンを訪問したのは30年以上ぶりだった。

・4月13日:米軍のパトロール部隊がイスラム過激派組織の攻撃を受け、5人が死亡した。

・5月20日:日本はアフガニスタンとその周辺地域におけるアメリカ主導のテロ対策作戦への後方支援を6か月延長した。

・7月1日:ウルズガン州中部で米軍の爆撃機がアルカイダとタリバンの拠点とされる複合施設と村を攻撃した。アメリカは攻撃の正当性を主張したが、アフガニスタンは結婚披露宴に参加していた民間人48人が死亡し、117人が負傷したと発表した。

・8月7日:アルカイダの戦闘員がカブール南部郊外のアフガン軍基地を攻撃。少なくとも15人が死亡した。

・8月9日:都市ジャララバードの建設会社の倉庫近くで自動車爆弾が爆発し、25人が死亡、80人が負傷した。

・9月5日:カブールの市街地で自動車爆弾が爆発し、民間人30人以上が死亡した。

・10月28日:イラン政府は、ヘルマンド川から1秒あたり少なくとも26㎥の水をイランに提供すると約束した1972年の合意を尊重するようアフガニスタン政府に要求した。

・10月30日:アフガニスタンの国連使節であるラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会の演説で、「ハミド・カルザイ大統領率いる新アフガニスタン政府には、安全保障上の脅威を引き起こす根本的な問題に対処する手段や能力がない」と語った。

・11月10日:アフガニスタンに対する国際的な支援の一環として、高速道路の再建作業が始まった。

・11月11日:カブールで暴力的なデモが発生し、学生500人以上と治安当局が衝突した。学生たちは寮の食料不足と停電に抗議した。この衝突で学生4人が死亡し、数十人が負傷した。

・11月14日:カンダハール州とパキスタンのスピンボルダックを結ぶ高速道路の建設が始まった。

・11月28日:国連の管理下に置かれている軍縮委員会は、11月10日の軍縮計画開始以来、アフガニスタン北東部で6,000を超える小型武器と戦車30両を押収したと発表した。

・11月30日:アフガニスタンのアブドラ外相とロシアのイワノフ外相がモスクワで会談。両者は安全保障問題に焦点を当てた。

・12月10日:カブール北部の基地にあるアメリカの仮設刑務所で2人目の囚人が死亡した。(最初の囚人は12月3日に死亡)

2003年

・3月2日:ドイツはアフガニスタンからエリートKSK対テロ部隊を撤退させた。

・3月5日:米軍とイタリア軍の当局者は、アフガニスタン東部に配備された米兵約500人がイタリア兵に置きかわると発表した。

・3月8日:首都カブールのラジオ局が女性を意識したラジオプログラムの放送を開始した。

・3月9日:カルザイ大統領は声明で、「イラク戦争の回避を望んでいる」と述べた。

・3月13日:カルザイ大統領はアフガニスタンへの援助を増やすよう国際社会に呼びかけた。2002年の援助額は推定45億ドルほどだったが、政府は少なくとも150億ドルから200億ドルは必要と訴えた。

・3月19日:約200人で構成される米第82空挺師団が、カナダハール州の東約100kmに位置するサミガル山脈でヴァリアントストライク作戦を開始した。標的はウサーマ・ビン・ラーディンとアルカイダのメンバーだった。

・3月20日:イラク戦争始まる。アフガニスタンの国連事務所と大使館は、米軍のイラク侵攻を受け、安全保障上の懸念を理由に閉鎖された。

・3月21日:アフガニスタン政府はイラク戦争の即時終結をサダム・フセインに求めた。

・3月25日:サミガル山脈のヴァリアントストライク作戦を主導した米兵は4人の反政府勢力容疑者を捕らえ、武器を押収した。

・3月26日:日本政府はアフガニスタンに約2,000万ドルを寄付すると発表した。

・3月30日:アフガニスタン議会は憲法の草案をカルザイ大統領に提出した。

・4月15日:ユニセフは5歳未満の全ての指導を対象とするポリオワクチンキャンペーンを開始した。

・4月16日:北大西洋条約機構(NATO)は8月にアフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)の指揮を執ることに合意した。

・4月22日:カルザイ大統領を含むアフガニスタン政府高官がパキスタンのイスラマバードを訪問し、国境紛争、テロ、貿易、囚人の交換にパキスタン政府と協議した。

・4月29日:ベルギーの裁判所は、2001年9月9日に発生したアフガニスタン北部同盟の指導者アフマド・シャーマ・スード殺害事件の容疑者12人の裁判を開始した。

・4月30日:パキスタン当局はカラチでアルカイダの容疑者6人を逮捕したと発表した。

・5月1日:ドナルド・ラムズフェルド米国防長官がアフガニスタンを訪問。カブールでカルザイ大統領と会談した。

・5月7日: 国連のアフガニスタン特別代表ラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会に対し、「支援団体と支援労働者に対する反政府勢力の攻撃はアフガニスタンの将来に深刻な脅威をもたらす」と警告した。

・5月14日:イラン政府はアフガニスタンのバルフ州とヘラート州にある空港の再建を支援する協定に署名した。

・5月16日:アジア開発銀行はアフガニスタンの復興を支援する資金5億ドルを割り当てたと発表した。

・5月18日:アフガニスタン政府は2008年までに50,000人の国家警察と12,000人の国境警備隊を創設する訓練プログラムを開始した。

・6月5日:カルザイ大統領がイギリスを訪問。トニー・ブレア首相と会談した。

・6月6日:カルザイ大統領とエリザベス2世女王が会談。カルザイ大統領に名誉ナイト爵位を授与した。

・6月7日:カブールで爆発物を積んだタクシーがドイツのISAF職員を乗せたバスに衝突。ドイツ人4人が死亡し、20人以上が負傷した。

・6月18日:カルザイ大統領がイランを公式訪問した。

・6月25日:パクティア州の州都ガルデーズ近郊で米軍部隊が攻撃を受け、一等兵曹のトーマス・レッツァーが死亡し、数人が負傷した。

・6月27日:サマンガーン州の3つの村でタジク派とウズベク派が衝突、数十人が負傷した。

・6月28日:パクティカ州オルグンにある米軍基地の近くで車両が横転し、米兵1人が死亡した。

・6月29日:国際オリンピック委員会(IOC)はアフガニスタン代表の2004年アテネ五輪の出場を許可した。

・7月2日:アフガニスタン政府の支援に入った援軍約700人がアタガル山脈周辺で約60人のジハード勢力と激突。

・7月4日:トルクメニスタン政府はパキスタンとアフガニスタンに対し、世界で5番目に大きいガス田であるダウラタバードのアフガニスタン横断パイプラインの使用を保証した。

・7月7日:ニュージーランドのマーク・バートン国防相はNZL軍の兵士をアフガニスタンに12カ月間派遣すると発表した。部隊はセキュリティ環境の強化と復興に向けた活動を支援することになった。

・7月8日:パキスタン軍のアフガニスタン領土への侵入に抗議するデモ(2日目)が本格化し、500人近くが首都カブールにあるパキスタン大使館を攻撃した。大使館の2階オフィス、大使館の車の窓、テレビ、コンピュータ、建物の窓などが破壊された。

・7月10日:カンダハール州で爆弾の材料を大量に所持していた男が逮捕された。男はタリバンの元高官の兄弟と伝えられている。

・7月11日:パキスタン政府は8日に発生したアフガニスタンの大使館への攻撃を調停する国連の仲介を拒否した。

・7月12日:アフガニスタンのモハマド・カシム・ファヒム国防相は、ロシアの首都モスクワでウラジーミル・プーチン大統領と会談した。プーチン大統領はアフガニスタンの安定の重要性を再確認し、アフガン政府へのさらなる援助を約束した。

・7月14日:アフガニスタンのアブドラ・アブドラ外相がワシントンD.C.でコリン・パウエル国務長官と会談。

・7月16日:アフガニスタの兵士と警察約400人は、タリバンの戦闘員を匿ったとされるカンダハール州ゴラック地区の民家を捜索した。

・7月21日:カブールのパキスタン大使館が約2週間ぶりに再開。

・7月22日:ジャララバードで大規模な火災が発生し、地域の店舗や民家100戸以上が焼失した。

・7月24日:ベルギーのブリュッセルにあるサントクロワ教会でアフガニスタン難民200人以上がハンガーストライキを開始。難民たちはアフガニスタンに送還されるぐらいなら死ぬと主張した。

・7月27日:電気通信開発会社アフガニスタンは住民への無線電話サービスの提供を開始し、国営企業(アフガニスタン無線通信)の独占を打ち負かした。

・7月29日:国連難民高等弁務官(UNHCR)は、30万人以上のアフガニスタン難民が2003年に帰国したと発表した。

・7月31日:EUはアフガニスタン復興のために7,950万ユーロを寄付すると発表した。

・8月2日:アフガニスタン軍はジョージアン州の民兵数千人を武装解除するための作戦を開始した。

・8月3日:国連のアフガニスタン特使ラクダール・ブラヒミが、6人の委員で構成されるアフガニスタン選挙委員会と初めて会談した。

・8月6日:ヨーロッパからアフガニスタンへの直行便(民間旅客機)が首都カブールの空港に到着した。ヨーロッパからの直行便の運用はソビエトのアフガニスタン侵攻以来停止されていた。

・8月8日:武装勢力がクナル州東部アサダバードにある米軍基地にロケット弾を2発発射、死傷者や被害の報告はなかった。

・8月12日:カルザイ大統領は、親アフガニスタンの聖職者を殺害したタリバンの戦闘員を処刑すると誓った。

・8月13日:ヘルマンド州で運行中のバスが爆弾テロの標的になり、子供8人を含む17人が死亡した。

・8月17日: 200人以上の武装勢力がパキスタンから国境を越え、パクティカ州バーマル地区の警察署を襲撃。警察官8人を殺害した。アフガニスタン軍は武装勢力5人を殺害したが、その他は逃亡を許した。

・8月20日:ジャララバードに国内初のアフガン軍リクルートセンターがオープン。

・8月26日:米空軍はザーブル州のタリバン拠点を空爆し、少なくとも20人を殺害した。

・8月27日:武装勢力がパクティカ州の村シキンの近くに駐留していた連合軍を攻撃。

・8月28日:米空軍はザーブル州のタリバン拠点を戦闘機とヘリコプターで爆撃し、少なくとも40人を殺害した。

・8月31日:パクティア州で米軍と武装勢力が衝突。米兵2人と武装勢力の戦闘員4人が死亡した。

・9月2日:国連が平和維持ミッションの任務拡大を決議。ドイツ政府もアフガニスタンでの平和維持ミッションをカブール外に拡大することに合意した。

・9月5日:カナダのビル・グラハム外相とカルザイ大統領がカブールで会談。グラハム外相はカブールにカナダ大使館を開設(1979年のソビエト戦争以来閉鎖されていた)し、アフガニスタンの繊維製品の関税を引き下げる協定に署名した。

・9月7日:米国議会はアフガニスタンの活動予算(復興予算含む)に8億ドルを割り当てた。

・9月9日: 2001年に暗殺された北部同盟のアフマド・シャー・マスードを称える集会が開催され、10,000人以上が参加した。

・9月13日:イランとアフガニスタンが税関の協力を推進する覚書に署名した。

・9月14日:アフガニスタン政府は40万人以上の新たな雇用を見込む45億ドル相当の投資プロジェクトを承認したと発表した。

・9月23日:ジョージW.ブッシュ大統領が国連総会でアフガニスタンに関する演説を行った。

・9月24日:カルザイ大統領が国連総会で演説し、アフガニスタンへの広範な軍事的プレゼンスとカブール外への平和維持ミッションの拡大を求めた。

・9月30日: アフガニスタン中央銀行は、国民は米ドルやパキスタンルピーではなく、アフガニスタンの通貨を日常的に使用すべきであると発表した。

・10月2日:カブールで地雷が爆発。平和維持ミッションに参加していたカナダ兵2人が死亡し、3人が負傷した。

・10月4日:カブールのバグラム空軍基地近くで、クラスター爆弾解体中に爆発が発生。少なくとも6人が死亡し、7人が負傷した。

・10月5日:カルザイ大統領は2004年6月に政権奪取以来初の選挙を行うと提案した。

・10月10日:タリバンのメンバーを含む就任約40人が、カンダハール州の刑務所から脱獄した。

・10月11日:カルザイ大統領はクンドゥズ州の民兵の武装解除などを目的とした日本主導のプロジェクト(推定2億ドル)を承認した。

・10月13日:国連安全保障理事会は平和維持ミッションのカブール外への拡大を全会一致で承認した。

・10月20日:カブールの国連事務所近くで解雇されたアフガン兵数百人が抗議デモを行った。兵士たちは国防省の改革中に職を失ったと主張し、再雇用を要求した。

・10月21日:アフガニスタン政府はタリバンの元高官ワキル・アフマド・ムタワキルがバグラム空軍基地での拘留から解放されたと発表した。

・10月23日:反政府勢力がサマンガーン州ハイバクに向かっていたピックアップトラックにロケット弾を発射し、子供2人を含む10人が死亡した。

・10月24日:ドイツ議会はドイツ軍をアフガニスタンのクンドゥズ州に派遣すること法案を可決した。

・10月27日:パキスタン軍はアフガニスタンとの国境沿いに100以上の検問所を設置し、テロリストの入国を厳しく取り締まるパトロールを開始したと発表した。

・10月28日:国連難民高等弁務官はアフガニスタンに戻った国外避難民の数を発表した。インドから帰国した難民は約60万人、パキスタンは190万人を突破した。

・11月2日:15人の国連安全保障理事会メンバーの代表団を乗せた軍用機がパキスタンのイスラマバードからカブールの空港に到着した。

・11月12日:新しいテレビ局アイナがシェベルガーンからテスト放送を開始した。このチャンネルは、1日6時間放送され、300km圏内をカバーし、文化、社会、娯楽、政治、スポーツの番組をダリ語、パシュトゥー語、ウズベク語、トルクメン語で放送した。

・11月15日:米国の軍用機がパクティカ州バーマル地区を空爆、民間人6人が死亡した。

・11月16日:ガズニー州で国連難民高等弁務官の職員1人が殺害された。

・11月17日:国連は前日にガズニー州で国連難民高等弁務官の職員1人が殺害されたことを受けて、アフガニスタン南部と東部での活動を停止した。

・11月18日:アルカイダが自爆攻撃を開始する可能性があるとの警告を受けて、韓国はカブールの大使館を一時的に閉鎖し、外交官3人はパキスタンに避難した。韓国はアフガニスタンに兵士200人を派遣していた。

・11月27日: 米国上院議員のヒラリー・クリントンとジャック・リードがアフガニスタンで感謝祭を過ごした。

・11月29日:カルザイ大統領と米国中央軍のジョン・アビザイド将軍が会談。パキスタンから侵入する反政府勢力の取り締まりなどについて協議した。

・12月5日:カブールにあるトルコの建設会社の事務所に反政府勢力が乱入し、トルコ人2人とアフガニスタン人1人を誘拐した。3人は8日に解放された。

・12月6日:米軍はアフガニスタン東部と南部でアバランチ作戦(地上戦)を開始した。4つの歩兵大隊とアフガニスタン国軍および民兵からなる兵士2,000人以上が関与した。

・12月9日: ユニセフが2003年最後のポリオワクチン接種キャンペーンを開始した。19州で25,000人以上のボランティアが参加し、5歳未満の340万人にポリオワクチンが投与された。

・12月17日:カルザイ大統領は新憲法の策定の中で大統領の権限の見直し(強化)を求めたが、北部同盟の支持者たちはこれに強く反対した。

・12月18日:新憲法策定に伴い大統領権限の強化を求めたカルザイ大統領に対する広範な抗議デモが各地で開催された。

・12月27日:コーストの近くで反政府勢力がアフガニスタンの諜報員を襲撃。上級諜報員1人が死亡し、同僚2人が負傷した。

2004年

・1月4日:ロヤ・ジルガ(新憲法を審査する502人の委員)は、提案された憲法草案を採択した。

・1月6日:カンダハール州の軍事基地近くでリンゴのカートに隠された時限爆弾が爆発し、子供6人を含む少なくとも16人が死亡し、50人以上が負傷した。

・1月9日:パキスタンの南ワジリスタンにある軍キャンプにロケット弾が着弾し、パキスタン兵4人が死亡した。

・1月10日:カルザイ大統領は6月に行われる大統領選に立候補すると発表した。

・1月15日:アフガニスタンの国連特使ラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会に、政府とタリバンを含むジハード勢力との和平プロセスは全く進行しておらず、6月に予定されている大統領選を行うことは非現実的と警告した。

・1月17日:反政府勢力がカンダハール州でアフガニスタン軍の小隊を襲撃。反政府勢力の戦闘員3人と国軍兵士2人が死亡した。

・1月22日:カナダ兵100人がカブールに到着。6カ月間の平和維持ミッションを開始した。

・1月23日:イランは逮捕したアルカイダの容疑者12人を裁判にかけると発表した。

・1月26日:アフガニスタン保健省はユニセフと世界保健機関(WHO)の支援を受けて、5歳以下の児童約500万人を対象とする3日間の予防接種プログラムを開始した。

・1月27日:カナダの兵士ジェイミー・ブレンダン・マーフィーとアフガニスタンの民間人1人がカブールの自爆テロで死亡。カナダ兵3人と民間人9人が負傷した。

・1月28日:カブールで自動車爆弾が爆発。イギリス兵1人が死亡し、タリバンが犯行声明を発表した。

・1月29日:ガズニの軍事基地近くで爆発が発生、米兵8人が死亡し、少なくとも3人が負傷した。爆発はブービートラップによって引き起こされた可能性がある。

・2月2日:ホワイトハウスは教育、健康、インフラストラクチャ、およびアフガニスタン国軍への支援に焦点を当てた2005年の予算案を議会に提出した。なお、米軍作戦の新たな資金は含まれていなかった。

・2月7日:ミロス・クルスマノビッチ率いるアフガニスタン軍縮・復員・再統合プログラムは、約2,000人の民兵の武装解除を目的とする北部の軍縮作戦を開始した。

・2月8日:アフガニスタンの地域の代表200人以上がカブールに集まり、国内の麻薬対策を協議する国際会議に出席した。

・2月9日:NATOのヤープ・デ・フープ・シェファー事務局長がカブールを訪問し、カルザイ大統領と会談した。

・2月12日:パキスタンのペルベス・ムシャラフ大統領は、アフガニスタンで繰り広げられているテロは「パキスタン国内に逃げ込んだ」タリバンを含むジハード勢力の犯行と公の場で初めて認めた

・2月18日:タリバンの指導者ムラー・ダドゥラーは、6月に予定されている選挙に投票しないよう国民に警告した。

・2月27日:アフガニスタンはNATO、世界銀行、および国際民間航空機関からカブール国際空港の修理と更新のための援助(推定5,000万ドル)を受けることに合意した。

・2月28日:パキスタン軍は国境検問所を突っ切ろうとしたミニバスに発砲し、アフガニスタン人11人を射殺した。パキスタン当局は、ミニバスが最初に発砲したと主張した。

・3月3日:中国はカブールの中国大使館で、主要な灌漑(かんがい)再建プロジェクトへの支援を約束する契約に署名した。

・3月4日:反政府勢力はカンダハール州のアフガニスタン兵7人を殺害した。

・3月5日:米軍主導の連合軍はパキスタンとの国境近くに位置するオルガン近郊で反政府勢力の戦闘員9人を殺害した。

・3月7日:アフガニスタン政府はハジ・ムハンマド・モハキク計画大臣が大臣を辞任したと発表した。モハキクはカルザイ大統領の2004年6月の大統領選出馬に反対していた。

・3月9日:アフガニスタンのモハマド・ファヒム・カーン副首相兼国防相はトルコを訪れ、ベクディ・ゴヌル国防相と会談した。

・3月13日:反政府勢力がカンダハール州の政府機関を攻撃。アフガン兵1人と反政府勢力の戦闘員3人が死亡した。

・3月16日:パキスタン軍はアフガニスタンの国境に近い南ワジリスタンの山岳地帯でアルカイダに対する軍事作戦を開始した。戦闘の結果、パキスタン兵15人が死亡、22人が負傷、アルカイダと思われる反政府勢力の戦闘員24人が死亡した。

・3月17日:コリン・パウエル米国務長官がカブールを訪問し、カルザイ大統領と6月の選挙について協議した。

・3月19日:米軍がアフガニスタンのチャルチェノ地区の村を空爆、民間人6人が死亡し、7人が負傷した。

・3月20日:タリバンは3週間前に誘拐したトルコの高速道路技術者を殺害すると政府を脅迫し、ベティナ・ゴイスラード殺害で死刑を宣告されたタリバン兵2人を釈放するよう要求した。

・3月21日:アフガニスタンのミルワイス・サディク民間航空大臣は、ヘラート州を訪問中にロケット弾攻撃を受け死亡した。

・3月26日:国連安全保障理事会はアフガニスタンの国連支援ミッションをさらに1年延長する決議1536を満場一致で可決した。

・3月28日:カルザイ大統領は6月に予定されていた国政選挙を9月まで延期すると発表した。

・3月31日:米海兵隊の追加要員2,000人がアフガニスタンに到着。

・4月12日:イタリアのヴェローナでサッカーアフガニスタン代表の選手9人が亡命を求めてドイツとオランダに逃亡した。

・4月14日:タリバンはザブール州メザナ地区の高官と関係者数人を待ち伏せし、射殺した。

・4月16日:ナンガルハール州政府は、女性のテレビとラジオへの出演を禁じた。

・4月22日:ナンガルハール州政府はカルザイ大統領の圧力を受け、女性のテレビとラジオへの出演禁止命令を解除した。

・4月25日:カルザイ大統領がカンダハール州を約1年半ぶりに訪問。途中、手榴弾を持った男が逮捕された。

・4月30日:反政府勢力がカンダハール州パンジャウイ地区のアフガン軍を襲撃、兵士5人が死亡した。

・5月3日:カンダハール州を含む各地でアフガン兵20人以上の死亡が確認された。

・5月7日:カンダハール州の北に位置するシャーワリコット地区のビルをタリバンが襲撃。アフガン兵2人が死亡、6人が負傷した。

・5月15日:反政府勢力がヘルマンド州ギリシュク近郊で連合軍のパトロール部隊を襲撃。米兵1人が死亡し、2人が負傷した。

・5月18日:カタールのドーハで、アフガニスタン警察への財政、技術、人事関連の援助について話し合う2日間の国際フォーラムが開催された。

・5月21日:米軍ガンシップはホースト州タニ村を夜明け前に銃撃し、民間人3人を殺害した。

・5月26日:カルザイ大統領は、大統領選挙と議会選挙の公平および公正を保障する選挙法を制定した。

・6月2日:反政府勢力はバギス州カーナの近くで国境なき医師団の関係者を含む数人を殺害した。

・6月3日:国境なき医師団がアフガニスタンでの活動を中断。

・6月8日:米軍主導の連合軍とアフガン軍はザブール州デイチョッパン地区での1週間にわたる作戦を完了した。連合軍は反政府勢力の戦闘員73人を殺害し、少なくとも13人を拘束した。

・6月9日:中国の支援チームの職員11人がクンドゥズ州で武装した男たちに襲われ、殺害された。タリバンの報道官は関与を否定した。

・6月15日:カルザイ大統領が米国下院議会で演説、ジョージW.ブッシュ大統領とも会談した。

・6月18日:反政府勢力は中部地域でアフガニスタン人の通訳を殺害、米兵2人ニュージーランド兵2人が負傷した。

・6月24日:反政府勢力はクナル州で、米海兵隊員2人を殺害した。

・6月25日:反政府勢力はウルズガン州でバスの乗客16人を誘拐し、その後殺害した。

・6月26日:ジャララバードからシンワル地区に向かっていたミニバスに仕掛けられた爆弾が爆発し、国連職員2人が死亡した。

・7月4日:カルザイ大統領は米ペンシルベニア州フィラデルフィアの式典でフィラデルフィア自由メダルを授与された。

・7月6日:カルザイ大統領と国連が後援する選挙委員会のメンバーがカブールで会合。

・7月9日:アフガニスタン合同選挙管理機関は大統領選挙を10月9日、議会選挙を2005年春に行うと発表した。

・7月11日:ヘラート州の市街地で爆弾が爆発、6人が死亡、34人が負傷した。

・7月21日:反政府勢力はヘルマンド州でアフガン警察の警備員11人を殺害した。

・7月22日:反政府勢力はヘルマンド州でアフガン警察の治安部長と関係者10人を殺害した。

・7月27日:カルザイ大統領は10月9日の大統領選挙への立候補を正式に宣言した。

・7月28日:ガズニ州のモスクで爆弾が爆発、国連職員2人を含む6人が死亡した。

・8月1日:米軍とアフガニスタン国軍はホースト州ザワラ近郊で反政府勢力との戦闘を開始した。

・8月10日:アフガニスタンの選挙当局は、10月7日の大統領選挙への立候補を承認された候補者リストを公表した。

・8月12日:米軍のブラックホークがホースト州で墜落し、少なくとも兵士1人が死亡、14人が負傷した。

・8月17日:国連のコフィ・アナン事務総長は、アフガニスタンの国民990万人以上が選挙投票登録を終えたと国連安全保障理事会に報告した。

・8月23日:カルザイ大統領がパキスタンを訪問、ペルベス・ムシャラフ大統領と会談した。

・9月1日:アジア開発銀行は今後3年間で6億ドルをアフガニスタンに提供すると約束した。

・9月11日:ヘラート州のイスマーイール・ハーン州知事の解任に抗議する市民数十人がハーン州知事の自宅前に集まり、米軍とアフガニスタン軍に石を投げつけた。一連の抗議で2人が死亡、4人が負傷し、4人が逮捕された。

・9月12日:ヘラート州のイスマイル・カーン州知事の解任に抗議する市民数百人が国連事務所を襲撃し、少なくとも7人が死亡、数十人が負傷した。米特殊部隊はヘラート州から撤退した。

・9月21日:カルザイ大統領がニューヨークの国連総会の開会式に出席した。

・9月26日:イランは3月20日以来、3万人以上のアフガニスタン難民がイスファハン市を離れてアフガニスタンに帰国したと発表した。

・9月28日:大統領選挙に立候補したアブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍がシベルガンで集会を開き、選挙運動の問題について指摘した。

・10月7日:ロシア政府とフランス政府はアフガニスタンへの軍事輸送に関する協定に署名した。

・10月9日:アフガニスタン史上初の直接大統領選挙が行われ、ハミド・カルザイが大統領に選出された。

2005年

・2月:米議会代表団がアフガニスタンを訪問。共和党のジョン・マケイン上院議員(共和党)は、アフガニスタンに恒久的な米軍基地の建設するよう呼びかけた。

・3月:アメリカのリチャード・マイヤーズ統合参謀本部議長は、アフガニスタン国内に恒久的な米軍の軍事基地を建設できるかどうかを検討していると語った。

・3月末:米軍はアフガニスタンの2つの主要な空軍基地(カブールの北にあるバグラム空軍基地と南のカンダハール飛行場)に8,300万ドルを費やしたと発表した。

・4月:ドナルド・ラムズフェルド国防長官がカブールを訪問し、カルザイ大統領と会談した。両代表はアフガニスタンに米軍の恒久的な軍事基地を建設する可能性について示唆した。

・6月28日:レッドウィング作戦により、米兵19人と多くのタリバン戦闘員が死亡した。マーク・ウォールバーグ主演の映画ローン・サバイバー(2013)はレッド・ウィング作戦に基づいている。

・9月18日:33年ぶりの直接議会選挙。女性は議席の約28%を獲得した。投票率は約50%と推定され、2004年10月の大統領選挙よりもはるかに低かった。

2006年

・1月13日:中央情報局(CIA)がパキスタンの村ダマドラを空爆、少なくとも18人が死亡した。標的はアルカイダの次期指揮官と言われていたアイマン・ザワーヒリだったと伝えられているが、アメリカとパキスタンの当局者は地元の住民だけが死亡したことをその後認めた。

・2月1日:アフガニスタンと国際社会の今後5年間の枠組みであるアフガニスタン・コンパクトが策定された。

・3月6日:パキスタンのムシャラフ大統領は米ブッシュ大統領との首脳会談の中で、パキスタンからアフガニスタンに入国を試みる反政府勢力の戦闘員30,000人以上に対処しなければならないと説明した。また、国境周辺の国連平和維持軍とアフガニスタン軍が協力したとしても、パキスタンの国境付近にはそれをはるかに上回る武装勢力が潜伏していると警告した。

・3月29日:タリバンの戦闘員がNATO基地を襲撃し、アフガン兵8人、米兵1人、カナダ兵1人が死亡した。米軍の爆撃機はタリバン戦闘員の陣地を空爆し、少なくとも32人が死亡した。

・4月下旬:オランダ・AUS・アフガン連合部隊がタリバンの拠点に対する攻撃を開始。戦闘は7月16日まで続き、タリバンの戦闘員300人以上が死亡した。連合部隊ではオランダ兵1人が死亡、13人が負傷した。

・5月15日:タリバン崩壊以来最大の攻撃であるマウンテンスラスト作戦が始まる。

<マウンテンスラスト作戦の死亡者>
アフガン軍 107人
米軍 24人
英軍 6人
カナダ軍 4人
仏軍 2人
ルーマニア軍 1人
タリバン 1,134人

・5月29日:米軍車両の交通事故に反発する暴動が発生。アフガニスタン政府の推定によると、約20人が死亡したという。

・6月27日:連合軍はサンギン郊外の複合施設に潜伏しているタリバン指導者4人を拘束するイロイス作戦を実施した。戦闘の結果、タリバン指導者4人のうち2人は射殺され、残り2人は混乱に紛れて逃走した。

・7月:カナダ主導の連合部隊とパンジャウイ地区のタリバン戦闘員が衝突。戦闘は7月の第1フェーズと9月から10月の第2フェーズに分けられる。

<パンジャウイの戦いの死亡者>
カナダ軍 16人
米軍 2人
タリバン 1,000人以上

・9月2日:カナダ主導の連合部隊がメドゥーサ作戦を開始。戦闘は9月17日まで続き、その後のファルコンサミット作戦につながった。

<メドゥーサ作戦の死亡者>
英軍 14人
カナダ軍 12人
アフガン軍 3人
仏軍 1人
米軍 1人
タリバン 512人

・9月16日:NATO主導のマウンテンフューリー作戦が始まる。戦闘は2007年1月17日まで続き、連合部隊は東部州からタリバンの反乱軍を一掃した。学校、医療施設、裁判所などの復興プロジェクトを対象の州で実施することが目的。

<マウンテンフューリー作戦の死亡者>
NATO軍 107人
タリバン 1,131人

・10月:ドイツ軍の兵士が頭蓋骨にキスをする写真を公開、国際的な批判に直面した。一連のスキャンダルで兵士6人が停職になり、その後、合計23人が調査されていた。

・11月:国連安全保障理事会はタリバンの暴力の増加、違法薬物生産の増加、および脆弱な国家体制により、アフガニスタンは「失敗国家」になる可能性があると警告した。

・12月:カナダ主導の連合部隊が実施したメデューサ作戦で多くの民間人が死亡したことが明らかになった。NATOは10月の空爆で単一の拡大家族20人を含む民間人31人が死亡したと報告した。

2020年3月2日/アフガニスタンのアリンガル地区、タリバンの戦闘員(ゲッティイメージズ/ワリサ・バウン/NurPhoto)
2007年

・1月11日:NATO軍は進行中のマウンテンフューリー作戦で、タリバンの戦闘員150人を殺害した。

・1月31日:イギリス国内でテロを計画していた9人が逮捕された。容疑者たちはトニー・ブレア首相に、アフガニスタンとイラクからイギリス軍を撤退させるよう圧力をかけるつもりだった。

・2月14日:アメリカはタリバンの新たな攻撃に備えるために、第173空挺旅団をアフガニスタンに再配備した。

・2月14日:中国、インド、ロシアの外相がインドのニューデリーで会合し、アフガニスタンのテロ、麻薬密売、戦争に関して話し合った。

・2月18日:アフガニスタン南東部で連合軍のヘリコプターが墜落。米兵8人が死亡し、14人が負傷した。

・2月26日:イギリス政府がアフガニスタンに兵士1,400人を新たに派遣すると発表した。

・3月4日:タリバンはNATO国際治安支援部隊に所属するイギリス兵2人をヘルマンド州で殺害した。

・3月4日:米軍の小隊がジャララバードとパキスタン国境を結ぶ幹線道路で自動車爆弾攻撃に遭遇。米兵は周辺にいた民間人19人を殺害し、50人以上を負傷させた。事件後、アフガニスタン全土で広範な抗議デモが行われ、カルザイ大統領も米軍を批判した。

・3月10日:アメリカのブッシュ大統領は、イラクとアフガニスタンに米兵8,200人以上を追加派遣すると発表した。

・3月19日:タリバンはイタリアの日刊紙ラ・レプッブリカのジャーナリストであるダニエレ・マストロギアコモを解放した。

・3月27日:アメリカの地方裁判所は、イラクとアフガニスタンの元囚人9人が提起したドナルド・ラムズフェルド元国防長官に対する訴えを却下した。元囚人たちは逮捕後、拷問を含む違法な聴取を受けたと主張していた。

・4月3日:アフガニスタンが南アジア地域協力連合(SAARC)に加盟。

・4月8日、南部でタリバンの自動車爆弾が爆発、NATO軍の兵士7人が死亡した。

・4月14日:ホースト州で自爆テロ、民間人8人が死亡した。

・4月16日:北部クンドゥズ州で自爆テロ、アフガン警察の署員少なくとも10人が死亡した。

・4月17日:カンダハール州で自動車爆弾が爆発、ネパールの国連職員4人と運転手が死亡した。

・5月6日-ファラーフ州でタリバンとの衝突で8人のアフガニスタン警察が殺害され、少なくとも17人の武装勢力が殺害または負傷した。

・5月19日:北部クンドゥズ州で自爆テロ、ドイツ兵3人と民間人4人が死亡した。

・5月20日:パクティア州の州都ガルデーズで自爆テロ、民間人10人が死亡、32人が負傷した。

・5月30日:南部ヘルマンド州でNATO軍のミッションに参加していたチヌークヘリコプターが撃墜され、搭乗員7人(米兵5人、カナダ兵1人、イギリス兵1人)全員が死亡した。

・6月17日:連合軍はアルカイダの基地と疑われた施設を空爆し、反政府勢力の戦闘員数人と子供を含む民間人を殺害した。

・6月17日:首都カブールで警察バスが爆破され、少なくとも35人が死亡した。

・6月29日:連合軍は南部ヘルマンド州の村ハイデラバードを空爆し、タリバンの戦闘員35~85人と、子供を含む民間人45~100人を殺害した。

・7月10日:ウルズガン州で自爆テロ、民間人少なくとも17人が死亡し、NATO軍の兵士7人を含む30人が負傷した。

・7月21日:タリバンは誘拐した韓国人18人を殺害すると韓国政府を脅迫し、年末までにアフガニスタンから撤退するよう警告した。

・7月25日:タリバンは誘拐した韓国人23人のうち8人を釈放し、1人を処刑した。

・7月26日:米軍主導の連合部隊がヘルマンド州のタリバン戦闘員50人以上を殺害。

・7月30日:タリバンはアフガン軍に捕らえられた戦闘員の一部を釈放するよう要求した。アフガン当局はこの要求を却下したうえで、誘拐された韓国人を解放する促したが、タリバンは人質を処刑した。

・8月4日:アフガニスタンとパキスタンの国境近くで戦闘が発生。タリバンの戦闘員10人とパキスタン兵4人が死亡した。同日、パキスタン北西部フロンティア州で自殺車爆弾が爆発、6人が死亡した。

・8月5日:カルザイ大統領がアメリカを訪問。キャンプデービッドでブッシュ大統領と会談し、アフガニスタンの治安が悪化していることについて協議した。

・8月7日:バングラデシュの治安当局は、アフガニスタンに向かおうとしていた過激派組織の戦闘員24人をシャージャラル国際空港で逮捕した。

・8月12日:カンダハール州でタリバンとアフガンの治安部隊が衝突。タリバンの戦闘員9人と、警察官5人が死亡した。

・8月14日:タリバンはガルデーズ近くでポーランド兵1人を殺害。

・8月16日:ポーランド軍がナンガルケルの村を襲撃、妊婦と赤ちゃんを含む民間人8人が死亡した。その後、攻撃に関与したポーランド兵7人が戦争犯罪で起訴された。

・8月18日:カンダハール州で自爆テロ、民間人少なくとも15人が死亡した。

・8月28日:カンダハール州で大規模な戦闘が発生。タリバンの戦闘員少なくとも100人が死亡した。連合軍の死者は1人だった。

・9月2日:カンダハール州およびアルガンダーブ地域で激しい戦闘が発生。タリバンの戦闘員数百人が死亡した。

・9月11日:カナダのスティーブン・ハーパー首相は、アフガニスタンへのさらなる軍隊の派遣を却下した。

・9月12日:連合軍はラマダンの初日に合わせて発生したタリバンの攻撃を鎮圧し、戦闘員40人以上を殺害した。

・9月26日:ロバート・ゲーツ米国防長官は、イラク戦争の追加費用1,900億ドルを議会に要求した。

・9月27日:ヴァルダク州で国際赤十字の職員4人が誘拐された。

・10月2日:首都カブールで警察のバスに対する自爆テロ、少なくとも11人が死亡した。

・10月22日:ブッシュ大統領はイラクとアフガニスタンで進行中の戦争の追加予算1,893億ドルを議会に要求した。

・10月27日:米軍主導の連合部隊はヘルマンド州ムーサカラでタリバンの戦闘員80人を殺害した。

・11月6日:アフガニスタン北部で自爆テロが発生。少なくとも35人が死亡し、数十人が負傷した。

・11月10日:東部地域を巡回していたNATO軍が武装勢力の攻撃を受け、米兵6人が死亡した。

・11月12日:米国がヘルマンド州を空爆。武装勢力15人と民間人3人が死亡した。

・11月19日:ニームルーズ州で自爆テロ、知事の息子を含む民間人7人が死亡した。

・11月24日:首都カブールの町パグマンで自爆テロ、子供を含む民間人6人が死亡した。

・12月5日:自爆テロ犯が首都カブールの高速道路を走行していたアフガン軍のミニバスに特攻。アフガン兵6人を含む13人が死亡した。

2008年

・1月14日:タリバンが首都カブールのカブールセレナホテルを襲撃、民間人6人を殺害した。

・1月25日:クナル州のゴワルデシュ渓谷を巡回していたロバート・ジェームズ・ミラー軍曹率いる米軍とアフガン軍の小隊は武装勢力の攻撃に直面し、航空支援を要請した。ミラー軍曹は武装勢力100人以上を待ち伏せし、少なくとも10人を殺害し、米兵7人とアフガン兵15人の撤退をサポートし、死亡した。

・2月17日:カンダハール州で自爆テロ、民間人100人以上が死亡し、数百人が負傷する大惨事になった。タリバンは関与を否定している。

・2月18日:連合軍はタリバンの指導者アブドゥル・マティンと副司令官のひとりを殺害した。

・4月4日:独立国家共同体(CIS)議会のミハイル・クロトフ書記長は、アフガニスタン政府がCISに加盟したいという意向を示したと明らかにした。アフガニスタンは2006年からCIS議会のオブザーバーとして活動していた。

・4月27日:カルザイ大統領は、1992年の軍事パレード中、ムジャヒディンが当時のアフガニスタン共産党政府に発砲した事件に関与したという疑いから正式に逃れた。銃撃戦は15分ほど続き、少なくとも3人が死亡、10人以上が負傷した。

・4月29日:米海兵隊の大隊2,300人はタリバンの拠点のひとつであるヘルマンド州の町ガルムシルを襲撃した。

・5月13〜23日:ノルウェー主導の国連平和維持軍がバギス州で軍事作戦を実施。

・6月10日:米軍がパキスタンの国境の町ゴーラプライを空爆、イスラム過激派組織とつながりのあるパキスタン民兵11人が死亡した。

・6月13日:タリバンがサルポサ刑務所を襲撃し、囚人1,000人以上を解放した。

・6月27日:NATO軍はタリバンの攻撃を主導する計画立案者のひとり、ムラー・サディクラーを殺害した。

7月6日:米軍はナンガルハール州ハスカメイナ地区にある村を空爆し、少なくとも47人を殺害した。アフガニスタン政府は結婚式に出席していた子供を含む民間人47人が死亡したと明らかにしたが、米軍はこの主張を却下した。

・7月7日:首都カブールのインド大使館に爆弾を積み込んだ自動車が突っ込み、インド人4人を含む58人が爆死した。アメリカの諜報当局はパキスタンの諜報機関ISIが攻撃を計画したと示唆したが、パキスタン政府はこの主張を却下した。事件後、タリバンとアルカイダが犯行声明を発表した。

・7月12日:イギリスの特殊部隊がタリバンの主要指導者のひとりを殺害し、ヘルマンド州北部のタリバンの指揮命令系統に大きな影響を与えた。

・7月13日:タリバンの戦闘員がNATO基地を攻撃し、米兵9人を殺害した。その後、英軍の空爆により、ムーサカラ地区周辺でタリバン戦闘員を率いていた指導者アブドゥル・ラサクが死亡した。

・8月19日:タリバンはウズビン渓谷を巡回していたフランス兵10人を殺害した。

・8月22日:米軍主導の連合部隊がヘラート州アジザバード村を空爆、民間人78~92人が死亡した。

・8月27日:イギリス主導の連合部隊がカンダハール州とヘルマンド州のタリバン戦闘員に対するイーグル作戦を開始。攻撃は9月5日まで続いた。

<イーグル作戦の死亡者>
カナダ軍 1人
タリバン 200人以上

・9月3日:米軍の特殊部隊がパキスタンへのアングルエイダを襲撃。タリバンの戦闘員20人が死亡したと伝えられている。

・10月1日:米軍のデービッド・マッキエルナン将軍は、アフガニスタンの状況はさらに悪化する可能性があると警告した。マッキエルナン将軍は、アフガニスタンの国際部隊の戦力は不足しており、タリバンから領土を保持することは難しいと認め、追加の大隊20,000人を要求した。

・10月1日:米軍のドローンがパキスタン北西フロンティア州内の過激派の基地にミサイルを発射した。この攻撃の死者は6人と伝えられている。パキスタン政府は、「米軍は領空を侵犯した」と非難した。

・11月3日:米軍がカンダハール州シャーワリコット地区にあるウェッチバグトゥ村を空爆。結婚披露宴に出席していた子供を含む民間人37人とタリバンの戦闘員26人が死亡した。空爆後、カルザイ大統領はバラク・オバマ大統領に民間人の犠牲者を出さないよう要求した。

・12月11日:イギリス主導の連合部隊がヘルマンド州のタリバンに対するレッドダガー作戦を開始。戦闘は12月16日まで続いた。

<レッドダガー作戦の死亡者>
英軍 5人以上
タリバン 少なくとも100人

・12月19日:オバマ大統領はアフガニスタンに米兵3,000人を追加派遣すると発表した。

・12月30日:パキスタン軍はハイバル峠地域を支配するタリバンに対する攻撃を開始し、敵の物資供給ルートを遮断した。

2009年

・2009年2月6〜7日:英軍とアフガニスタン軍はヘルマンド州サンギン近郊でディーゼル作戦を実施した。

<レッドダガー作戦の死亡者>
タリバン 少なくとも20人

・2月11日:タリバンが首都カブールの政府機関を襲撃、職員と民間人21人が死亡、少なくとも57人が負傷した。

・3月30日:連合軍はヌーリスターン州ドアブのタリバン拠点施設を空爆、少なくとも100人が死亡したと伝えられている。

・5月4日:米軍はファラー州のガラニ村を空爆し、民間人86~147人を殺害した。アフガニスタン政府はこの空爆で子供93人が死亡したと述べたが、正確な死亡者数は分かっていない。

・7月2日:米軍主導の連合部隊はヘルマンド州のタリバンに対するカンジャー作戦を開始した。攻撃は8月20日まで続いた。

<カンジャー作戦の死亡者>
アフガン軍 2人
タリバン 49~62人

・9月:国際安全保障開発評議会はアフガニスタの情勢について、「タリバーンは国土の約80%で恒久的に存在している」と述べた。

・9月4日:NATO軍がタリバンに乗っ取られたクンドゥズ州の2台の燃料タンカーを空爆。タリバンの戦闘員だけでなく、民間人100人以上が死亡した。

・9月9日:英軍の特殊部隊とアフガニスタン軍はクンドゥズ州で捕らえられたジャーナリストのスティーブン・ファレルを救助する作戦を開始した。作戦は成功し、ファレルは救助され、多くのタリバン戦闘員が死亡した。

・10月:米兵の死亡者は10月だけで72人に達し、28日には8人が死亡した。

・12月1日:バラク・オバマ大統領はアフガンの駐留米軍を増強すると発表した。

・12月7日:カルザイ大統領はアフガン軍がタリバンと単独で対峙するには少なくとも5年かかるかもしれないと述べた。また、アフガンの治安当局はさらに15年から20年はアメリカの支援を必要とするだろうと述べ、米軍の駐留延長を促した。

・12月17日:フランス主導の連合部隊がウズビン渓谷のタリバン基地に対するセプテントリオン作戦を開始した。

・12月27日:NATO軍はクナル州ナラン地区のガジカーンゴンディ村を襲撃し、タリバンの戦闘員10人を殺害したと主張したが、その後の調査で犠牲者は地元の学生(12歳~18歳)だったことが明らかになった。アフガニスタン政府は攻撃を厳しく非難し、首都カブールなどで大規模な抗議デモが行われた。

2010年

・1月28日:英ロンドンのランカスターハウスでアフガニスタンに関する国際会議が開催され、70を超える国、国際機関の外相や上級代表が出席した。米英主導の代表団はタリバン政権追放後のアフガニスタンの民主化に向けたペータースベルク協定のさらなる進展について協議した。

・1月下旬:フランスのベルナール・クシュナー外相は、これ以上アフガニスタンに軍隊を派遣しないと述べた。フランス国内ではアフガン戦争に反対する抗議デモが各地で行われていた。

・2月初旬:アフガニスタン軍主導の連合部隊は、ヘルマンド州マルハ村近くのタリバン要塞に対するモシュタラク作戦を開始した。作戦には米兵4,000人を含むNATO軍の大隊が参加し、2001年以来最大の共同作戦になった。作戦は2010年12月7日まで続いた。

<モシュタラク作戦の死亡者>
米軍 45人
英軍 13人
アフガン軍 2人
タリバン 120人以上

・2月12日:米軍のレンジャー部隊はパクティア県カタバ村を襲撃し、タリバンの戦闘員5人を殺害したと主張したが、その後の調査で殺害されたのは乳児と少女を含む5人だったことが明らかになった。

・2月21日:米軍のヘリコプターがウルズガンを走行していたミニバス3台を爆撃。子供1人と女性4人を含む民間人27~33人が死亡した。アフガン政府は攻撃を「不当」と呼び、厳しく非難した。

・3月12日:英陸軍とヘルマンド州のアフガニスタン労働者が建設した道路が運用を開始した。

・4月:首都カブールの北に位置する山岳地帯でM5.3の地震が発生し、少なくとも7人が死亡したことが明らかになった。

・タリバンが国連平和維持軍とNATO軍に対する攻撃を強化。首都カブールのNATO軍小隊に対する自動車爆弾攻撃ではNATO兵6人を含む18人が死亡した。

・6月6日:アフガニスタン諜報機関国家保安局のアムルラ・サレ局長が辞任した。

・6月10日:カンダハール州南部アルガンダブ地区の結婚式場で自爆テロが発生。民間人少なくとも40人が死亡した。アフガニスタン当局はタリバンを非難したが、タリバンは関与を否定した。

・6月23日:米軍のスタンリーA.マクリスタル将軍は、オバマ政権を批判する物議を醸すコメントがローリング・ストーン誌に掲載されたことを受け、辞任した。

・7月20日:首都カブールでアフガニスタンについて協議する国際会議が開催された。70以上のパートナー国、国際および地域組織、金融機関の代表者はアフガニスタンの開発、統治、安定性を改善するための政府主導の計画を審議し、承認した。

・7月23日:NATO軍はヘルマンド州の村サンギンを空爆し、民間人30~50人を殺害した。アフガン軍はその後の調査で、死亡した民間人の大多数は子供と女性だったと明らかにした。

・7月25日:ウィキリークスはアフガニスタン戦争に関連する約9万件の漏洩文書をリリースした。

・8月:アフガニスタンで活動していたキリスト教の慈善団体は、医療援助チームのメンバー10人が殺害されたにもかかわらず、地域から離れるつもりはないと述べ、メンバーたちはイスラム教徒をキリスト教に改宗させるつもりはないと強調した。10人はヌーリスターン州の貧しい村に医療を提供する2週間の任務を終えた後、殺害された。事件後、タリバンは犯行声明を発表し、「外国のスパイはイスラム教徒を改宗させようとしている」と述べた。

・8月:カルザイ大統領の補佐官であり、国家安全保障会議の管理責任者を務めるモハメッド・ジア・サレヒは中央情報局(CIA)に長年携わっていたと報じられた。

・9月18日:アフガニスタン議会選挙。選挙管理当局は10月までに結果を公表すると発表した。

・9月:カンダハール州に焦点を当てた、ハンカリ作戦と呼ばれる米軍とアフガン軍の合同作戦が始まった。

・10月:拘置所でタリバンの囚人が死亡し、その後米兵が拘留された。囚人は銃撃を受け死亡したと伝えられている。

・10月:フランス政府は2011年にアフガニスタンから軍隊を撤退させるという決定とウサーマ・ビン・ラーディンの脅迫(フランス軍への攻撃強化を示唆)は関係ないと主張した。

・11月:ヒラリー・クリントン国務長官はカルザイ大統領がホワイトハウスに米軍の兵力削減を求め、タリバンとの和平交渉が決裂したにもかからず、オバマ政権の戦略を擁護した。

・11月:NATOとカルザイ大統領は会談の中で、2014年までに戦闘作戦を段階的に廃止することに合意した。

・11月14日:NATOの兵士7人が武装勢力の攻撃を受け死亡。

・12月:アフガニスタンの選挙委員会は9月18日の議会選挙の最終集計を承認し、タリバンの影響で住民の大多数が投票できなかったガズニ州の11議席すべてをハザラ少数民族の候補者に与えると発表した。しかし、司法長官は選挙結果を非合法と宣言したうえで、両選挙委員会(アフガンおよび国際)の当局者は賄賂を受け取り選挙結果を不正に操作したと述べ、刑事捜査を開始した。

・12月:バラク・オバマ大統領がアフガニスタンを電撃訪問し、米軍関係者にテロと戦う重要な任務は成功を収めていると語った。オバマ大統領はカルザイ大統領とも会談する予定だったが、悪天候の影響で中止になった。

・12月:米ホワイトハウスがアフガニスタン戦争の戦略的評価を公表。

・12月末:ヘルマンド州サンギン地区で自動車爆弾が爆発。ミニバスに乗っていた民間人少なくとも14人が死亡した。集中

2011年

・1月:アフガニスタンの米軍司令官は、2011年夏までに兵士の総数を削減するという計画が提案されたにもかかわらず、地域の戦闘部隊を維持しなければならないと主張した。

・1月:アルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンはフランスに宛てたメッセージの中で、アフガニスタンに仏軍を駐留させるというサルコジ大統領の決定はフランス人を殺すだろうと脅迫した。

・1月:カルザイ大統領は著名なアフガニスタンの医師とその妻、そして4人の子供が首都カブールのスーパーマーケットに対する自爆テロ攻撃に巻き込まれ死亡したと述べ、全ての犠牲者に哀悼の意を表した。事件後、タリバンは犯行声明を発表した。

・1月26日:アフガニスタン国民議会発足。選出された249人の国会議員の大半は、カルザイ大統領が式典を延期すると決定したにもかかわらずインターコンチネンタルカブール(ホテル)に集まり、議会の発足に関する協議を行った。

・2月:武装勢力が各地でテロを決行。カンダハール州の警察本部に対する自爆テロでは少なくとも19人が死亡し、49人が負傷した。ジャララバードでも自動車爆弾が爆発し、民間人38人が死亡、70人以上が負傷した。

・2月:カルザイ大統領はミュンヘンの国際会議から帰国後、連合軍は州の制度を構築する努力を弱体化させたと主張し、「連合軍は国の治安維持活動をアフガニスタン軍に引き継ぐべき」と述べた。

・2月:国連を含む関係機関と人権団体は、アフガニスタンは深刻な干ばつに直面する可能性があり、それにより数百万人の貧困層が飢え、燃料供給も不安定になると警告した。

・3月:アフガニスタン南東部に駐留する第101空挺師団は、タリバンの武器庫と春の一斉攻撃に向けた準備を阻止する掃討作戦を開始した。

・3月下旬:第2大隊、第327歩兵連隊、そして第101空挺師団はクナル州バラワラカレーバレーで大規模な対タリバン掃討作戦を開始した。

・4月11日:タリバンは連合軍に対する全国規模の攻撃、バドル作戦を開始すると発表した。

・5月1日:米海軍のネイビーシールズは、パキスタン首都イスラマバードから数キロの地点に位置するアボッタバードでアルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンを殺害した。

・5月21日:首都カブールのDaoud Khan軍病院で自爆テロ、6人が死亡、26人が負傷した。

・5月23日:クナル州で路傍爆弾が爆発、米兵4人が死亡し、1人が負傷した。

・5月28日:NATO軍は南部の武装勢力拠点を空爆し、子供12人と女性2人を含む多くの民間人が死亡したと明らかにした。

・6月:アルカイダとタリバンを監視する国連安全保障理事会制裁委員会のリチャード・バレットは、タリバンの戦闘員138人以上をブラックリストから削除するかどうかという提案が安全保障理事会に提示されると述べた。タリバンの和平交渉担当は制裁解除が和解を後押しすると主張した。ブラックリスト入りした個人は国外への旅行を禁じられ、銀行口座は凍結される。

・6月28日:武装勢力ハッカーニネットワークは、西洋人やVIPが頻繁に利用するインターコンチネンタルカブール(ホテル)を襲撃し、少なくとも9人を殺害した。

・7月:世界食糧計画(WFP)はアフガニスタンの国民200〜300万人が干ばつの影響で深刻な飢えに直面し、多くの食糧支援を必要としていると警告した。

・7月:武装勢力は東部と南部の攻撃でNATO軍の兵士4人を殺害、別の攻撃で警察官11人が死亡した。

・7月:NATO軍は各地で自爆テロや襲撃事件が相次いでいるにもかかわらず、北部の都市マザリシャリフの支配権をアフガン軍に移譲した。

・7月17日:武装勢力はカルザイ大統領の特別顧問などを歴任したジャン・モハマド・カーンを襲撃、殺害した。

・8月6日:タリバンはヴァルダク州を飛行していた米軍のヘリコプターにRPGを撃ち込み、米兵30人、民間通訳1人、アフガン兵7人を殺害した。

・8月11日:米軍は6日に撃墜されたヘリコプターの攻撃に対する報復としてタリバンの拠点を空爆、タリバン兵11人が死亡した。一方、南部州で路肩に設置された爆弾が爆発し、国連平和維持活動の兵士5人が死亡しました。

・9月13日:ハンガリーの特殊部隊とアフガニスタン国家警察は、ヴァルダク州メイデンシャー地区の武装勢力に対する作戦を開始した。

・9月13日:タリバンは首都カブールの米国大使館、国連平和維持軍本部、警察署周辺でテロを決行し、民間人11人と警察官4人を殺害。タリバンの戦闘員は10人死亡した。

・10月4日:アフガニスタンとインドは戦略的パートナーシップ協定に署名した。

・10月:アフガニスタン政府は過去10年間で最悪の干ばつに直面していると述べ、国際機関に1億4,200万ドルの支援を要求した。

・10月:国連の報告によると、アフガニスタンのアヘン生産は2011年だけで61%も急増したという。

・10月:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールの装甲シャトルバスを襲撃。アメリカ人12人が死亡した。

・10月30日:武装勢力がカンダハール州北部の連合軍基地を襲撃。オーストラリア兵3人とアフガニスタン人通訳1人が射殺された。

・11月:タリバン発祥地であるカンダハール州のアフガニスタン議会議員は、NATO軍から地域の治安責任を引き継ぐ準備はまだできていないと述べた。

・11月:アフガニスタンの近隣諸国は米軍撤退後のアフガニスタンの治安強化を目的とした「ロードマップ」に合意した。13カ国の外相がイスタンブールで採択した宣言は、「米軍は2014年までに完全撤退する」と想定しており、周辺地域の安定を目指す国際的な取り組みの第一歩と見なされた。

・12月6日:武装勢力は首都カブール、カンダハール州、マザリシャリフ州でテロ攻撃を実行し、子供を含むシーア派60人が死亡、推定200人が負傷した。事件後、アルカイダと同盟を結ぶ過激派組織Lashkar-e-Jhangvigが犯行声明を発表した。

・12月:タカール州北部タロカンで自爆テロ。葬儀の会葬者少なくとも10人が爆死した。

・12月:内務省は全国で複数の対テロ作戦を決行し、武装勢力の戦闘員30人を殺害したと発表した。

・12月:カルザイ大統領は、NATO軍主導の襲撃作戦による民間人の犠牲がアメリカとの戦略的パートナーシップに影響を与えていると警告した。

・12月:アフガニスタン政府は、アムダリヤ川流域における石油開発事業で中国石油天然気集団(CNPC)と契約を結んだ。この事業の収益は20年間で数十億ドルと見込まれている。

2012年

・1月3日:カンダハール州で自爆テロ、民間人4人と警察官1人が死亡した。

・1月20日:タリバンは反乱軍の施設と思われる建物に向けて米兵3人が立ち小便している姿をとらえた動画に激怒し、米軍指導部に新たな攻撃を実行すると示唆した。

・1月21日:フランス政府は東部カピサ州に駐留しているグワン部隊のフランス兵4人が殺害され、16人が負傷したことを明らかにした。この攻撃でフランスのアフガン撤退スケジュールは早まり、その後、サルコジ大統領は予定より1年早い2013年にアフガンから撤退する旨をNATOに要請すると発表した。

・1月31日:アフガニスタンのある女性は息子ではなく3人目の娘を生んだことで夫と義母から非難され、その後殺害された。このニュースは全世界に広がり、広範な怒りを引き起こした。

・2月1日:ロンドンタイムズ紙によると、パキスタンの支援を受けるタリバン指導部は、国際軍がアフガニスタンから撤退した後、政権を奪取すると主張したという。

・2月1日:パキスタン空軍はアフガニスタンとの国境近くのオラクザイ管区とクランエージェンシー地域の武装勢力を空爆し、31人を殺害したと発表した。

・2月4日:国連平和維持軍が2011年にアフガニスタン国内で死亡した民間人数を発表。確認された3,021人の大多数は武装勢力に責任があると述べた。

・2月10日:米国防省はアフガニスタンでナチスを連想させるポーズを取った海兵隊狙撃兵を調査し、適切に処理するよう命じた。

・2月21日:アフガニスタン国際治安支援部隊の長であるジョン・R・アレン将軍は、米空軍基地内でコーランが燃やされたという申し立てを調査するよう命じた。

・2月22日:首都カブールのバグラム空軍基地でコーランが燃やされた事件にアフガンの住民数百人が抗議。混乱は地域全体に広がり、カブールの米国大使館は一時的に封鎖された。

・2月23日:タリバンはコーラン燃焼事件で民間人6人が死亡したことを受け、国民に外国軍の基地を攻撃し西洋人を殺すよう命じた。

・2月23日:トルクメニスタンとの国境に設置されたノルウェー軍基地が民間人の攻撃を受ける。兵士の負傷は報告されていない。

・2月24日:コーラン燃焼事件に関連する抗議で少なくとも民間人12人が死亡した。

・2月25日:首都カブールの内務省内で米軍将校2人が殺害された。クンドゥズ州の抗議では民間人4人が死亡した。

・2月26日:フランスとドイツはカブールの内務省内で将校2人が殺害されたことを受け、アフガン政府施設から民間人スタッフを退避させた。

・2月27日:ジャララバードで自動車爆弾が爆発。民間人9人が死亡した。

・3月2日:アフガニスタン全国宗教評議会は、アフガンの女性​​は厳格な行動規範に従うべきとする決議をカルザイ大統領に提出した。決議は女性の権利活動家を激怒させた。(例:女性は学校、市場、オフィスなどで見知らぬ男性と交流してはならず、違反した場合、夫は妻を殴打できる)カルザイ大統領は評議会の決議を承認し、批判を引き起こした。

・3月11日:CNNニュースは、「カンダハール州のアロコザイ族とバラクザイ族の集落で子供9人と女性3人を含む民間人17人が米兵に殺害された」と報じた。国連平和維持軍の司令官ジョン・R・アレン将軍は民間人を狙ったものではないと主張したうえで、「平和維持軍はアフガニスタンの人々のために戦う」と述べた。

・3月11日:カンダハール州の民間人虐殺を受け、アフガン議会は「忍耐力を使い果たした」と述べ、米軍を非難した。カルザイ大統領も民間人への攻撃は許されないと非難し、タリバンは米軍を含むNATO軍に復讐すると誓った。NATO軍は事件を起こした兵士を尋問し、正義を追及すると約束した。

・4月:ファリヤブ州で自爆テロ、民間人12人が死亡し、数十人が負傷した。

・4月11日:カルザイ大統領は2014年の米軍完全撤退を考慮し、大統領選挙を2013年に1年前倒しする可能性があると述べた。

・5月1日:アメリカとアフガニスタンが戦略的パートナーシップ協定に署名。米軍は2014年までアフガニスタンに駐留することが決まった。

・5月13日:アフガニスタン最高平和評議会の主要メンバー1人が暗殺された。

・5月21日:NATOは米シカゴのNATOサミットでアフガンの出口戦略を承認した。これにより大多数の国連平和維持軍は2014年12月末までに撤退することが決まった。

・6月2日:英特殊部隊SASと米デルタフォースがアフガニスタンとタジキスタンの国境近くで共同作成を実施。武装勢力に誘拐された外国人援助スタッフ5人を救出した。

・7月7〜9日:アフガニスタンについて協議する東京会議が開催され、70か国以上が出席した。出席国はアフガニスタンに対する数十億ドルの援助を約束した。

・7月30日:ウルズガン州タリンコットのモスクで爆弾が爆発。モスクの管理者と州の裁判官が死亡し、数名が負傷した。

・8月10日:ヘルマンド州ガルムシル村にあるデリー基地内で生活することを許可されていた青年が銃を乱射し、非武装の米海兵隊員3人が殺害された。

・8月28日:米軍は南部ヘルマンド州でヘルマンドバイパー作戦を開始した。

・9月18日:アフガニスタン軍が対武装勢力作戦を開始。しかし、アフガン軍または警察の格好をした武装勢力戦闘員の反撃を受け、作戦は一時停止した。

・9月20日:米軍は軍需品約23,000品(戦闘機、戦車、ドローンなど)を撤収し、作戦強化前の戦力に戻った。

・10月1日:首都カブール近郊で自爆テロ、NATO軍の兵士3人、アフガニスタンの警察官4人、民間人7人が死亡し、数十人が負傷した。

・10月13日:首都カブール近郊で自爆テロ、米国諜報員2人とアフガン当局者4人が死亡した。

・11月23日:東部地域で自爆テロ、民間人3人が死亡し、NATO軍の兵士を含む90人以上が負傷した。

・12月2日:タリバンが東部のNATO軍基地を襲撃。アフガン兵3人が死亡し、多数のNATO兵が負傷した。

・12月8~9日:米海兵隊はタリバンに誘拐されたラグマン州のアメリカ人医師を救助した。

2013年

・1月6日:国境の町スピンボルダっくで自爆テロ、民間人4人が死亡した。

・1月16日:首都カブールのアフガニスタン国家保安局本部で自爆テロ、警備員が死亡し、17人が負傷した。

・1月26日:クンドゥズ州の市場で自爆、民間人少なくとも10人が死亡し、20人が負傷した。

・1月27日:アフガニスタン国家警察官少なくとも20人が自爆テロで死亡。カンダハール州の攻撃では警察官8人が射殺された。

・2月10日:米軍のジョセフ・F・ダンフォードJr将軍がNATO軍の指揮を引き継ぐ。

・2月13日:アフガニスタン当局はクナル州のNATO軍空爆により民間人10人が死亡し、子供3人を含む多くの民間人が負傷したと述べた。

・2月24日:カルザイ大統領は容疑者に対する米特殊部隊の拷問の申し立てを受け、米軍にヴァルダク州から撤退するよう命じた。

・2月27日:タリバンがガズニ州東部アンダル地区でアフガン政府職員(民兵含む)17人を殺害した。

・3月2日:ニュースウェブサイトTolo Newsによると、全パキスタンウレマ評議会のタヒル・アシュラフィは「米軍がアフガンにいる限り、武装勢力の自爆テロを支持する」と述べたという。しかし、アシュラフィはこの報道を否定した。

・3月9日:首都カブールとホースト州で自爆テロ、民間人少なくとも19人が死亡した。

・3月10日:カルザイ大統領は、米軍は2014年以降もアフガニスタン国内に軍隊の一部を残すために、タリバンと裏でつながっていると主張した。

・3月11日:過激派組織がヴァルダク州で連合軍部隊を襲撃。米兵2人とアフガン兵3人が殺害された。

・3月11日:カンダハール州ダマン地区で連合軍のヘリコプターが墜落、米兵5人が死亡した。

・3月13日:北部クンドゥズ州のゲームイベントで自爆テロ、地区の警察署長を含む10人が死亡した。

・3月25日:アメリカはアフガニスタンの主要な拘置施設であるバグラム刑務所をアフガン政府に引き渡すことに合意した。

・3月25日:ジョン・ケリー米国務長官がカルザイ大統領と会談、両国の関係について協議した。

・3月26日:オーストラリア政府はウロズガン州タリンコットの基地を閉鎖し、兵士の大多数を2013年末までに帰国させると発表した。

・3月26日:ジャララバードの警察署で自爆テロ、警察官5人、武装組織の戦闘員7人が死亡した。

・3月26日:タリバンがヘルマンド州ナドアリ地区のパトロール基地を襲撃。英兵1人が死亡し、アフガン兵9人が負傷した。

・3月31日:カルザイ大統領がカタールの首長シェイク・ハマド・ビン・ハリファ・アル・タニと会談。アフガニスタンの紛争解決に向け、ドーハにタリバンの事務所を開設する計画が協議された。

・4月3日:ファラー州の裁判所でタリバンの戦闘員が自爆。民間人40人以上が死亡、100人以上が負傷した。

・4月4日: NATO軍が東部ガズニ州のタリバン兵を空爆、少なくとも5人が死亡した。

・4月5日:東部ラグマン州アリンガー地区で自爆テロ、警察官1人が死亡し、民間人3人が負傷した。

・4月6日:首都カブール南部で自爆テロ。米兵3人、アフガニスタンの医師1人、民間人2人が死亡した。

・4月7日: NATO軍がクナル州のタリバン兵を空爆、少なくとも12人が死亡した。

・4月8日:カルザイ大統領はNATO軍のクナル州空爆で子供11人が死亡したという報告を受け、調査を命じた。

・4月8日:マイダンヴァルダク州で走行中のバスが爆発。民間人少なくとも9人が死亡、20人以上が負傷した。タリバンは関与を否定した。

・4月9日:東部でNATO軍のヘリコプターが墜落。米兵2人が死亡した。

・4月12日:武装勢力がクナル州東部でアフガン軍の小隊を襲撃。アフガン兵13人が殺された。

・4月24日:ジャララバード近郊でM5.7の地震が発生。33人が死亡、115人が負傷した。

・4月26日:南部を走行中のバスがタリバンの襲撃を受けたトラックに衝突し、乗客30人が死亡した。

・4月27日:南部で飛行機が墜落、NATO軍の兵士4人が死亡した。

・4月29日:ボーイング747がバグラム米軍基地の近くで墜落し、搭乗していたアメリカ人7人全員が死亡した。

・4月30日:首都カブールで自動車爆弾が爆発。NATO軍の兵士3人が死亡した。

・5月3日:アフガニスタンに向け飛行していた米軍の空中給油機がキルギスタン北部で墜落した。

・5月4日:カンダハール州で自爆テロ、米兵5人が死亡した。

・5月6日:武装勢力がアフガニスタン国境警備隊員1人とパキスタン軍兵士2人を殺害した。

・5月13日:武装勢力がヘルマンド州の国連平和維持軍基地を襲撃、ジョージア軍の兵士3人が死亡、数人が負傷した。

・5月14日:タリバンがカンダハール州で米兵4人を殺害。

・5月16日:首都カブールで自爆テロ、米兵4人とNATO職員1人を含む15人が死亡、39人が負傷した。

・5月24日:首都カブールで治安部隊とタリバンの戦闘が発生。警察官、ネパール軍の兵士、タリバンの戦闘員数十名が死亡した。

・5月29日:武装勢力がジャララバードの赤十字社施設を襲撃。

・6月3日:東部で自爆テロ、子供10人を含む少なくとも20人が死亡した。

・6月4日:アフガニスタン駐留に民間人を性的および人種的に虐待した英軍の兵士2人が軍法会議にかけられた。

・6月5日:米軍のロバート・ベイルズ軍曹は、アフガンの村で子供9人を含む民間人16人の殺害に関与したことを認め、死刑を回避した。

・6月6日:国連平和維持軍の基地でトラック爆弾が爆発。ジョージア軍の兵士7人が死亡、9人が負傷した。

・6月8日:東部パクティカ州に拠点を置く米国国際治安支援部隊の基地でテロ。アフガン軍の軍服を着た男が米兵3人を殺害した。

・6月10日:タリバンの戦闘員7人がカブールの国際空港を襲撃。建設中の5階建ての建物を占領したが、アフガニスタン治安部隊は建物を取り戻し、戦闘員7人全員を殺害した。軍と民間人の死傷者は確認されていない。

6月11日:首都カブールの最高裁判所近くで爆​​弾が爆発、8人が死亡、数十人が負傷した。

・6月18日:首都カブールで自動車爆弾が爆発、3人が死亡、6人が負傷した。

・6月18日:バグラム飛行場の近くで米兵4人が殺害された。

・6月25日:タリバン軍がカブールの大統領宮殿近くでテロ。死傷は確認されていない。

・7月2日:武装勢力がカブール北部のNATO本部を襲撃、少なくとも2人が死亡した。

・7月9日:アフガニスタンの兵士がスロバキア軍の兵士1人を殺害、6人を負傷させた。

・7月9日:首都カブールで自動車爆弾が爆発、民間人17人が死亡した。

・7月18日:ロガール州の米軍基地に向かっていたアフガン人スタッフ8人が武装勢力の襲撃を受け、全員死亡した。

・7月23日:アワルダック州で自爆テロ、米兵3人、アフガン兵4人、アフガン人通訳1人が死亡した。

・8月1日:NATOはアフガニスタンの警察官5人が死亡したナンガルハール州の空爆の調査を開始した。

・8月3日:ジャララバードのインド領事館近くで自爆テロ、子供9人が死亡した。

・8月5日:カンダハール州の市場で爆弾が爆発し、少なくとも4人が死亡した。

・8月5日:アフガニスタンとパキスタンで鉄砲水が発生、160人以上が死亡したと伝えられている。

・8月8日:ナンガルハール州のアフガン軍墓地で爆弾が爆発、少なくとも14人が死亡した。

・8月11日:パクティア州で自爆テロ、米兵3人が死亡した。

・8月11日:首都カブールの近郊で鉄砲水が発生、22人の死亡が確認された。

・8月17〜10日:武装勢力が西部の軍事施設を襲撃、アフガン兵10人が死亡した。

・8月23日:英軍の空挺部隊、米海兵隊、アフガニスタン軍で構成される連合部隊がヘルマンド州の武器取引を現場を襲撃。連合部隊はタリバンの戦闘員11人を殺害した。

・9月8日:タリバンが首都カブールの諜報機関施設を襲撃、アフガン兵4人を殺害した。

・9月13日:タリバンがヘラート州の米国領事館を襲撃、アフガン国家警察の警察官2人が死亡し、民間人20人が負傷した。

・9月15日:採炭場の崩壊事故で鉱山労働者少なくとも27人が死亡した。

・10月15日:ロガール州のモスクで爆弾が爆発、アルサラ・ジャマル州知事が死亡し、数人が負傷した。

・10月26日:首都カブール郊外でアフガニスタン軍と武装勢力が交戦。アフガン兵1人が死亡、数十人が負傷した。

・10月27日:東部地区で自動車爆弾が爆発、民間人18人が死亡した。

・10月28日:オーストラリアのトニー・アボット首相がアフガニスタンを訪問。

・11月13日:アヘンの収穫量が急増。ヘロインの販売はタリバンの主要資金源のひとつ。

・11月16日:首都カブールで爆弾を乗せた自動車が群集に突っ込み爆発、6人が死亡、20人が負傷した。

・12月6日:英海兵隊のアレクサンダー・ブラックマン軍曹は、非武装のアフガン市民の殺害に関する軍法会議で終身刑を言い渡された。

・12月15日:オーストラリア軍のアフガン撤退が完了。

・12月27日:自爆テロ犯が首都カブールの郊外で連合軍の小隊を襲撃、NATO軍の兵士少なくとも3人、警察官、その他数人が死亡した。

2014年

・1月6日:ガズニ州の検問所で自動車爆弾が爆発、警察官3人が死亡した。

・1月9日:アフガニスタン政府はタリバンの戦闘員72人を刑務所から釈放すると発表した。

・1月17日:首都カブールのレストランで自爆テロ、民間人21人が死亡した。

・1月26日:自爆テロ犯が首都カブールの軍用バスを襲撃、アフガン兵2人と民間人2人が死亡した。

・2月10日:首都カブールで自動車爆弾が爆発、国連平和維持軍の請負業者2人が死亡した。

・2月13日:アフガニスタン政府はパーワン拘留施設に収容されていた武装勢力の戦闘員65人を解放した。

・2月24日:連合軍はタリバンの上級司令官アシュマラー・シャヒーン・ブヒッタニを殺害した。

・3月6日: NATO軍がロガール州のアフガニスタン軍前哨基地を誤って空爆し、アフガン兵5人が死亡した。

・3月11日:武装集団が首都カブールのスウェーデンラジオ通信員ニルス・ホーナーを殺害した。

・3月12日:タリバンの戦闘員がカンダハール州の旧国家保安局本部を襲撃。事件発生直後、治安部隊は戦闘員3人を射殺した。タリバンは兵士4人と警察官5人を殺害したと主張したが、警察はこの主張を否定している。

・3月18日:首都カブールの市場で自動車爆弾が爆発、民間人15人が死亡、数十人が負傷した。

・3月20日:タリバンの戦闘員4人が首都カブールのセレナホテルを襲撃、外国人4人を含む少なくとも9人を殺害した。

・3月20日:自爆テロ犯がジャララバードの警察署を襲撃、少なくとも11人が死亡、22人が負傷した。

・4月2日:アフガン軍の軍服を着た自爆テロ犯が首都カブールの有権者登録事務所を襲撃、警察官6人が死亡した。

・4月4日:AP通信のジャーナリスト2人がホウスト州で警察の制服を着たアフガン人に撃たれた。ピューリッツァー賞を受賞したフォトジャーナリストのアーニャ・ニードリングハウスが死亡、もう一人も重症を負った。

・4月24日:アフガニスタン警察の警察官が首都カブールでアメリカ人医療スタッフ3人を射殺し、自殺した。

・4月26日:カンダハール州で国連平和維持軍のヘリコプターが墜落。イギリス人職員5人が死亡した。

・4月26日:北部地域で洪水が発生。120人以上が死亡した。

・ 4月26日:アフガニスタン大統領選挙。第1ラウンドで過半数を獲得した候補者はおらず、アブドラ・アブドラ前外相とアシュラフ・ガニーが第2ラウンドに進んだ。

・5月2日:バダフシャン州ホーボーバリクの町で地滑りが発生、少なくとも350人が死亡し、2,000人以上が行方不明になった。

・5月4日:アフガニスタン政府は地滑りの犠牲者を追悼すると宣言した。

・5月8日:北部国境近くのワジリスタンで自動車爆弾が爆発、パキスタン軍の兵士8人が死亡した。

・5月21日:タリバンがバダフシャン州とラグマン州を襲撃、警察官10人と民間人3人を殺害した。

・5月23日:武装勢力がヘラート州のインド領事館を襲撃。

・5月27日:バラク・オバマ大統領は12月の米軍撤退期限以降も、兵士9,800人をアフガン国内に1年とどめると発表した。

・5月27日:ホワイトハウスが中央情報局(CIA)の諜報員の氏名約6,000人分を誤って公開した。

・5月31日:アフガニスタンで捕虜になっていた唯一の米軍兵士ボウ・ベルグダール軍曹が、タリバンの囚人5人の解放と引き換えに釈放された。

・6月6日:アフガニスタン大統領選挙の最有力候補である国民連合のアブドラ・アブドラ元外相が自爆テロ攻撃から生還。

・6月7日:バグラーン州で鉄砲水が発生、少なくとも65人が死亡し、数千人が転居を余儀なくされた。

・6月9日:タリバンの戦闘員がNATOの支援部隊を襲撃。NATO軍兵士5人が死亡した。

・6月10日:NATO軍がザブール州で空爆の標的を誤り、米兵5人、アフガン兵1人、アフガン人通訳1人が死亡した。

・6月14日:アフガニスタン大統領選挙の第2ラウンド投票が始まる。選挙に反対するタリバンと武装勢力は全国で有権者数十人を殺害した。

・7月2日:自爆テロ犯が首都カブールのアフガニスタン空軍のバスを襲撃、少なくとも5人が死亡した。

・7月7日:大統領選挙第2ラウンドの暫定結果発表、元財務大臣のアシュラフ・ガニーが優勢。

・7月8日:タリバンは民間人10人、NATO軍のチェコ軍兵士4人、およびアフガンの警察官2人が殺害された中央部の攻撃を主導したと発表した。

・7月12日:アフガニスタン大統領選挙第2ラウンド。候補者のアブドラ・アブドラとアシュラフ・ガニーは再集計結果に合意したと伝えられた。

・7月15日:東部パクティカ州の市場で自動車爆弾が爆発、少なくとも89人が死亡し、数百人が負傷した。

・7月17日:タリバンがカブール国際空港で建設中の建物を一時的に占領、銃撃戦に発展した。

・7月22日:タリバンの自爆テロ犯がカブール国際空港の外で自爆し、外国人顧問3人とアフガン人通訳1人を殺害した。

・7月24日:ヘラート州で人道組織の一員として働いていたフィンランド人女性2人が射殺された。

・7月26日:武装勢力がゴール州でミニバスを占領、シーア派イスラム教徒14人を処刑した。

・7月29日:自爆テロ犯がカンダハール州の権力者であるハシュマト・カルザイを殺害した。

・8月5日:首都カブールのファヒーム元帥記念国防大学でアフガン軍兵士が銃を乱射、ハロルドJ.グリーン少将が射殺され、10人以上が負傷した。

・8月14日:ラグマン州で路傍爆弾が爆発、警察官3人が死亡し、4人が負傷した。

・8月23日:アフガニスタン大統領選挙第2ラウンド。候補者のアブドラ・アブドラとアシュラフ・ガニーは、ジョン・ケリー米国務長官の管理下における再集計作業に合意した。

・8月30日:タリバンの戦闘員がジャララバードの国家保安局施設を襲撃、少なくとも6人が死亡した。

・9月8日:カンダハール州南部で自爆テロ、州の警察署長が死亡した。

・9月16日:首都カブールで自動車爆弾が爆発、米陸軍少佐を含む連合軍兵士3人が死亡、5人が負傷した。

・9月21日:アフガニスタン大統領選挙第2ラウンド。候補者のアシュラフ・ガニーとアブドラ・アブドラが統一政府の樹立と権力共有協定に合意した。

・9月26日:タリバンがガズニ州アジリスタン地区の支配権を奪取。戦闘は約1週間続いた。

・9月29日:アシュラフ・ガニーが大統領に就任。

・9月30日:首都カブールで2回自爆テロが発生、民間人7人が死亡、アフガニ兵を含む21人が負傷した。

・9月30日:アメリカとアフガニスタンが二国間安全保障協定(BSA)に署名。NATOとアフガン政府は地位協定に署名した。

・10月1日:タリバンの自爆テロ犯がカブールでアフガニスタン軍の車列を襲撃、少なくとも7人が死亡、19人が負傷した。

・10月8日:ヘルマンド州で自爆テロ、少なくとも4人が死亡、16人が負傷した。

・10月13日:タリバンの戦闘員が北部のアフガン軍基地を襲撃、兵士22人が殺害された。

・10月14~15日:国家保安局がホースト州の特殊作戦でハッカーニネットワークの上級指導者2人を拘束。

・10月21日:首都カブールで路傍爆弾が爆発、アフガン兵少なくとも4人が死亡、民間人を含む12人が負傷した。

・10月26日:アフガニスタンに残っている最後の英軍基地キャンプバスティオンと、その隣にある米軍基地キャンプレザーネックがアフガニスタン政府に引き渡された。

・10月26日:アフガニスタンの諜報部隊と米国の特殊部隊がナンガルハール州ナジアン地区を襲撃し、アルカイダの上級指導者アブバラ・アル・クウェートを拘束した。

・11月10日:ジャララバードとロガール州で路傍爆弾が爆発、警察官10人が死亡した。

・11月18日:首都カブールで自爆テロ、民間人少なくとも2人が死亡した。

・11月23日:自爆テロ犯が南部で行われていたバレーボールの試合を襲撃、少なくとも45人が死亡、60人以上が負傷した。

・11月27日:首都カブールで自爆テロ、イギリス人を含む6人が死亡した。

・11月29日:中国のアフガン特使がペシャワールでタリバンの代表と会談したことを明らかにした。

・12月1日:バグラン州の部族の葬儀で自爆テロ、警察官2人を含む少なくとも9人が死亡した。

・12月2日:米軍がナンガルハル州の武装勢力を襲撃、戦闘員25人以上を殺害した。

・12月11日:タリバンの自爆テロ犯がカブール郊外の町タンギタラキルを襲撃、アフガン軍の兵士少なくとも6人が死亡した。

・12月13日:タリバンの戦闘員がカブール郊外で最高裁判所の事務局長を殺害した。

・12月25日:バラク・オバマ大統領は毎年恒例のクリスマスメッセージの中で、米軍の主要部隊のアフガン撤退を擁護した。

・12月28日:アフガニスタン戦争における国際治安部隊の戦闘任務が正式に終了した。

2015年

・1月5日:首都カブールのEU警察作戦本部近くでタリバンの自動車爆弾が爆発、少なくとも1人が死亡、5人が負傷した。

・1月14日:米軍のドローン攻撃でアルカイダの戦闘員少なくとも2人が死亡した。

・1月15日:アフガニスタンの治安当局は、2014年にパキスタンのペシャーワル学校で発生した虐殺に関与したとされるアフガン人5人を逮捕した。

・1月29日:タリバンの戦闘員が全国各地で攻撃を展開、少なくとも17人が殺害された。

・1月29日:首都カブールの国際空港で米兵の請負業者3人が殺害された。

・2月3~4日:アフガン軍、米軍、NATO軍がナンガルハール州で共同作戦を実施。2014年のペシャーワル学校虐殺に関与したとされるタリバンの戦闘員6人を拘束した。

・2月9日:米軍がヘルマンド州のイスラム国(ISIS)を空爆。副司令官と戦闘員5人を殺害した。

・2月25日:北東部の雪崩で少なくとも187人が死亡した。

・2月26日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールのトルコ政府車両を襲撃、少なくとも1人が死亡した。

・3月24日:アシュラフ・ガニー大統領とアブドラ・アブドラ外相が米国を訪問。バラク・オバマ大統領は、駐留米軍約9,800人を2015年までアフガン国内にとどめ、兵士の数を5,000人まで減らす計画を撤回した。

・4月18日:イスラム国の自爆テロ犯がジャララバードを襲撃、30人以上が死亡、100人以上が負傷した。

・4月24日:クンドゥズの戦い(アフガン米連合軍vsタリバン)が勃発。戦闘は10月まで続き、政府軍はクンドゥズ州をタリバンから取り戻した。

<クンドゥズの戦いの死亡者>
連合軍 非公開
タリバン 80~200人
民間人 848人

・5月13日:自爆テロ犯が首都カブールのパークパレスゲストハウスを襲撃。ノルウェーの特殊部隊が人質に取られたオーストラリア人37人を救出する中心的役割を果たした。

・5月下旬:中国のウルムチ市でアフガニスタンの平和使節とタリバンの代表者の秘密会談が行われたと伝えられている。

・6月22日:タリバンの戦闘員7人が首都カブールの議会近くで自動車爆弾を爆発させ、その後議会を襲撃。民間人2人が射殺され、30人以上が負傷した。タリバンの戦闘員も全員死亡。

・7月7日:米軍がイスラム国の上級司令官を含む戦闘部隊をドローンで空爆、殺害した。

・7月13日:ホースト州の基地キャンプチャップマンの近くで自動車爆弾が爆発、少なくとも33人が死亡した。

・7月20日:ロガール州でアフガン米連合軍と武装勢力が衝突。アフガン兵8人が死亡、5人が負傷した。

・8月7日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールを襲撃、民間人少なくとも50人が死亡、500人以上が負傷した。

・8月10日:タリバンの自爆テロ犯がカブールの国際空港の検問所を襲撃、少なくとも5人が死亡した。

・8月22日:武装勢力の自爆テロ犯がカブールのNATO軍車両を襲撃、兵士を含む12人が死亡、66人が負傷した。

・8月26日:ヘルマンド州で自爆テロ、NATO軍の兵士2人が死亡した。

・10月1日~4日:米軍はクンドゥズ州のタリバン基地を4日間で22回空爆した。

・10月2日:米軍のC-130航空機がジャララバード空港に墜落、乗組員12人が死亡した。

・10月3:米軍がクンドゥズ州で活動する国境なき医師団の医療センター近くにいた武装勢力を空爆、30人が死亡、30人以上が負傷した。

・10月10日:首都カブールのNATO軍本部でヘリコプターが着陸に失敗。NATO軍の要員5人が死亡した。

・10月7~11日:米軍がカンダハール州ショラバク地区のAQIS(インド亜大陸のアルカイダ)基地を63回空爆。アルカイダの戦闘員160人以上を殺害した。

・10月14日:タリバンがクンドゥズ州から撤退。

・10月15日:バラク・オバマ大統領はアフガンの駐留米軍9,800人を2016年まで維持し、2017年に5,500人まで減らすと発表した。

・10月20日:タリバンがヘルマンド州の町ババジを占領。

・10月26日:M7.5のヒンドゥークシュ地震が発生。アフガニスタン北東部で少なくとも260人が死亡した。

・11月25日:アフガニスタン軍はファリヤブ州パシュトゥンコット地区で撃墜されたヘリコプターの乗組員がタリバンに拘束されたことを受け、救出作戦を開始した。

・12月初旬:NATO軍はヘルマンド州マルハ、サンギン、ババジ地区などを空爆した。またNATO軍とアフガン軍はヘルマンド州の別の共同作戦で、タリバンに拘束された人質62人を救出した。

・12月5日:米軍のレンジャー部隊がアフガニスタンとパキスタンの国境近くで武装勢力と交戦。

・12月8日:タリバンがカンダハール空港を襲撃。タリバンの戦闘員9人を含む37人が死亡、35人が負傷した。

・12月11日:タリバンが首都カブールのスペイン大使館を襲撃、戦闘員を含む9人が死亡した。

・12月17日:米軍の特殊部隊グリーンベレーが、ヘルマンド州カーンネシンバレーのアフガン軍作戦に参加。武装勢力の戦闘員5人とアフガン兵2人が死亡した。

・12月21日:タリバンの自爆テロ犯がカンダハール空軍基地近くのNATO軍とアフガン軍合同パトロール部隊を襲撃、米兵6人が死亡した。

・12月25日:アシュラフ・ガニー大統領とインドのナレンドラ・モディ首相が会談。

2016年

・1月1日:首都カブールのレストランに爆弾を積み込んだ自動車が突っ込む。民間人2人が死亡、15人が負傷した

・1月2日:アフガニスタン治安部隊と武装勢力がマザリシャリフのインド領事館近くで交戦。

・1月2日:アフガニスタンのテロ対策部隊は、ナーリサラジ地区のタリバン収容施設から人質59人を解放した。

・1月5日:米軍とアフガン軍がヘルマンド州の武装勢力に対する共同作戦を実施。米兵1人が死亡、アフガン兵2人が負傷した。

・1月13日:イスラム国の戦闘員がジャララバードにあるパキスタン領事館を襲撃。9人を殺害し、12人を負傷させた。

・2月1日:首都カブールのアフガニスタン警察本部入り口付近でタリバン兵が自爆、少なくとも20人が死亡し、29人が負傷した。

・2月1日:米軍は東部ナンガルハール州で空爆を行い、イスラム国の戦闘員29人を殺害した。

・2月2日:米軍は東部パクティカ州で空爆を行い、タリバの戦闘員18人を殺害した。

・2月11日:アフガニスタン警察の署員がカンダハール州で同僚4人を射殺した。

・2月14日:ナンガルハール州の攻防が始まる。戦闘は3月初旬まで続き、アフガン米連合軍はイスラム国を後退させた。

<ナンガルハールの攻防の死亡者>
連合軍 非公開
イスラム国 200人以上
民間人 数十人

・2月17日:アフガニスタン軍出身と思われる男がヴァルダク州タンギサイダンにあるスウェーデンアフガニスタン委員会の診療所を襲撃、4人を殺害した。

・2月22日:アフガン米連合軍はナンガルハール州の対イスラム国作戦でISISの戦闘員43人を殺害した。

・2月26日:アフガニスタンの特殊部隊がヘルマンド州のタリバン収容施設を襲撃、人質35人を解放した。

・2月27日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールとクナール州を襲撃、民間人少なくとも25人が死亡した。

・3月2日:武装勢力がジャララバードのインド領事館を襲撃。武装勢力の戦闘員5人が射殺され、領事館職員9人が負傷した。

・3月6日:ナンガルハールの攻勢が終結。アシュラフ・ガニー大統領は議会演説で、イスラム国に勝利したと発表した。

・3月6日:米軍のドローンがナンガルハール州で活動していたイスラム国の小隊を空爆。戦闘員15人を殺害した。

・3月9日:タリバンの戦闘員10人がヘルマンド州の政府施設を襲撃。

・3月14日:タリバンがヘルマンド州カーナシン地区を占領。

・3月16日:ジハード組織ISIS-Kの戦闘員がナンガルハール州の検問所を襲撃、警察官6人を殺害した。

・3月30日:タリバンがウルズガン州のアフガン軍と衝突。アフガン兵15人死亡し、8人が負傷した。

・3月30日:外国人戦闘員を含むタリバンの小隊約100人がバルフ州の検問所を襲撃。警察官2人とタリバンの戦闘員8人が死亡した。その後、検問所に援軍が到着し、タリバンは後退を余儀なくされた。

・4月初旬:米軍がナンガルハール州コット地区のイスラム国拠点を空爆。その後、地区に入ったアフガン軍特殊作戦部隊が地域の一部を取り戻した。

・4月6〜9日:アフガン軍とイスラム国がナンガルハール州で衝突。ISISの司令官1人と戦闘員15人が死亡した。

・4月11日:タリバンの自爆テロ犯がジャララバードのアフガン軍バスに特攻。アフガン軍の新兵12人が死亡した。

・4月15日:アフガン米連合軍がロガール州カルワル地区のアルカイダ施設を襲撃。子供3人を含む12人を殺害した。

・4月19日:タリバンのハッカーニネットワークが首都タリバンで大規模な攻撃を展開。アフガン兵を含む71人を殺害し、360人以上が負傷した。

・5月5日:アフガンNATO連合軍がナウザド地区のタリバン収容施設を襲撃。人質60人以上を解放し、タリバンの戦闘員2人を殺害した。

・5月7日:カンダハール州のタリバン攻撃作戦に参加したルーマニアの特殊部隊工作員2人が死亡した。

・5月8日:アフガニスタン政府は民間人と治安部隊に致命的な危害を加えたタリバンの戦闘員6人を処刑した。

・5月8日:バス2台と燃料を積載したタンカーがガズニ州の高速道路で衝突、73人が死亡、50人以上が負傷した。

・5月8日:タリバンがラシュカルガー郊外の検問所を襲撃。警備員15人とタリバンの戦闘員14人が死亡した。

・5月9日:米軍のドローンがクンドゥズ州チャハールダラ地区のタリバン基地を空爆。上級司令官を含む12人を殺害した。

・5月10日:アフガン米連合部隊がアリハイダー・ギラニを救出した。アリハイダー・ギラニはパキスタンの元首相ユスフ・ラザ・ギラニの息子で、約3年前にアルカイダの関連組織に誘拐されていた。

・5月14日:武装勢力の自爆テロ犯がヘルマンド州のアフガニスタン国家警察訓練センターを襲撃。少なくとも4人が死亡、12人が負傷した。

・5月17日:米軍のドローンがザブール州のアルカイダ施設を空爆、上級司令官1人を殺害した。

・5月21日:タリバンの自爆テロ犯がパーワン州ナスローのNATO軍小隊を襲撃。民間人2人が負傷し、自爆テロ犯は爆死した。

・5月21日:タリバンの戦闘員3人がウルズガン州のアフガン警察基地を襲撃。警察官6人が死亡した。

・5月26日:米陸軍特殊部隊グリーンベレーがアフガン第3特殊作戦大隊を支援。カンダハール州エルバックの武装勢力を攻撃し、3回の空爆で戦闘員7人を殺害したが、作戦の結果はイマイチで、その後、タリバンはその地域を再び占領した。

・5月31日:タリバンの戦闘員250人以上がクンドゥズ州タカールの高速道路でバス4台、バン3台、乗用車3台に乗っていた民間人を誘拐した。民間人の犠牲者は260人以上と伝えられているが、正確な数は分かっていない。

・6月12日:ハイバル峠の国境検問所でパキスタン軍とアフガニスタン軍が衝突。アフガン軍の兵士1人が死亡、6人が負傷。パキスタン軍の兵士1人が負傷した。

・6月14日:タリバンの戦闘員がウルズガン州チャルチーノ地区の大部分を制圧し、その後アフガン米連合軍との戦闘に発展した。

・6月18〜27日:米軍のドローンがナンガルハール州アチン地区にあるイスラム国関連組織を空爆。ISISの戦闘員や支持者が多数殺害されたと伝えられている。

・6月20日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールで自爆、ネパール人警備員少なくとも14人が死亡、9人が負傷した。また、バダフシャン州北東部の市場とバダフシャン州ケシュム地区でも自爆テロが発生し、少なくとも20人が死亡、数十人が負傷した。

・6月26日:米軍はチャーダラ地区のタリバン上級司令官を殺害した。また、ファリヤブ州のタリバン司令官は、進行中の軍事作戦中、政府軍に降伏した。

・7月2日:政府は1週間前に開始した対イスラム国作戦で戦闘員220人以上を殺害したと述べた。

・7月9日:米軍のドローンがジハード組織ISIL-Kの拠点を空爆。上級指導者のひとりであるウマル・ハリファと戦闘員4人を殺害した。

・7月14日:米軍のドローンがナンガルハール州のISISラジオ局を空爆、破壊した。

・7月23日:イスラム国の自爆テロ犯2人が首都カブールで自爆、少なくとも97人が死亡、260人が負傷した。

・7月26日:米軍のドローンがナンガルハール州アチン地区のISIS-K基地を空爆、上級指導者1人を殺害した。

・8月1日:武装勢力の戦闘員が首都カブールで自爆、少なくとも1人が死亡、4人が負傷した。

・8月4日:タリバンの戦闘員がヘラート州チシュティシャリフ地区で外国人観光客を襲撃。数人が負傷した。

・8月7日:ジャララバード近郊で自動車爆弾が爆発、米兵3人が軽傷を負った。

・8月12日:タリバンがバグラン州ダハナエゴリに対する協調攻撃を開始した。

・8月15日:カブールの米国大使館の近くで路傍爆弾が爆発、2人が負傷した。

・8月20日:タリバンはクンドゥズ州カナバード地区からアフガン軍を押し出した。

・8月21日:タリバンはクンドゥズ州カナバード地区を占領したが、その後アフガン軍は同地区を奪取した。

・8月24日:タリバンまたはISISの戦闘員が首都カブールの大学を襲撃、民間人12人以上を殺害し、50人以上を負傷させた。

・9月5~6日:武装勢力が首都カブールを襲撃。民間人40人以上が死亡、100人以上が負傷した。

・9月中旬:米軍はパキスタン軍から提供された情報に基づく地上襲撃で、インド亜大陸のアルカイダ(AQIS)の最高指導者ウサマ・イブラヒムを殺害した。

・9月18日:米軍のドローンがウルズガン州で攻撃先を誤り、アフガニスタンの警察官少なくとも7人が死亡した。

・9月28日:米軍のドローンがナンガルハール州の武装勢力組織を空爆。戦闘員15人と民間人3人が死亡した。

・10月2日:タリバンがクンドゥズ州に対する協調攻撃を開始した。

・10月4日:ナンガルハール州アチンで路傍爆弾が爆発。米兵1人が死亡した。

・10月8日:ナンガルハール州チャパハール地区をパトロールしていた車両が地雷に接触。米兵2人が負傷した。

・10月9日:アフガニスタン軍のヘリコプターがバグラン州のダンドゴリ地区で墜落、兵士8人が死亡した。

・10月10日:ヘルマンド州ラシュカルガーで自動車爆弾が爆発。アフガニスタンの警察官10人を含む14人が死亡した。

・10月10日:アフガン軍はクンドゥズ州からタリバンを押し出した。一方、タリバンはファラー州のアフガン軍前哨基地を取り囲んだ。

・10月11日:アフガニスタン警察が首都カブールのモスク周辺で武装勢力の戦闘員14人を殺害した。

・10月12日:マザリシャリフ州のシーア派イスラム教徒の群衆に自爆テロ犯が飛び込み、少なくとも12人が死亡、28人が負傷した。

・10月17日:米陸軍特殊部隊の支援を受けたアフガニスタン麻薬対策部隊が、ファラー州の村で麻薬密売ネットワークを襲撃。部隊は麻薬約20トンと武器を押収した。

・10月19日:アフガン軍の制服を着た武装勢力の戦闘員が首都カブールの軍事基地を襲撃。兵士1人と民間人2人が負傷し、戦闘員は射殺された。

・10月23日:米軍のドローンがクナル州のアルカイダ施設を空爆。上級指導者2人と戦闘員10人以上を殺害した。

・10月25〜30日:ゴール州フィロズコの山間部でイスラム国が民間人を誘拐。アフガン軍は人質の解放を試み、作戦の中でISISの司令官を殺害したが、人質は全員処刑された。

・10月26日:アフガン軍はナンガルハール州パチルアウアガム地区でイスラム国の戦闘員少なくとも33人を殺害したと発表した。

・10月29日:アフガン米連合軍はクナル州ダンガム地区の空爆でタリバンの戦闘員少なくとも19人を殺害した。

・11月3日:アフガンNATO連合軍はタリバンの最高司令官を標的とする空爆をクンドゥズ州で実行した。一連の作戦で米兵2人、アフガン兵4人が死亡、数人が負傷した。その後、クンドゥズ州の警察は女性と子供を含む民間人24人が空爆に巻き込まれ死亡したと発表した。

・11月10日:マザリシャリフのドイツ領事館周辺でタリバンの自爆テロ犯。民間人4人が死亡、120人以上が負傷した。

・11月12日:バグラム空軍基地の近くで自爆テロ。米兵3人が死亡し、米兵とポーランド兵少なくとも16人が負傷した。

・11月21日:イスラム国の戦闘員が首都カブールのシーア派モスクで自爆。30人以上が死亡、数十人が負傷した。

・12月18日:ファラー州の高速道路でバスと燃料タンカーが衝突。少なくとも14人が死亡した。

・12月21~22日:タリバンの戦闘員がヘルマンド州の議員の自宅を襲撃。治安部隊は戦闘員を全員殺害したが、人質8人が死亡、6人が負傷した。

・12月31日:米軍の一部がアフガニスタンから撤退。4つの駐屯地(カブール、カンダハール、バグラム、ジャララバード)の駐留米兵は約8,400人になった。

2021年8月13日/アフガニスタン、首都カブールの国内避難民キャンプ(Getty Images/AFP通信)
2017年

・1月9日:アフガン米連合軍はアルカイダの最高指導者のひとりであるQari Saifullah Akhtarとその他の戦闘員を殺害した。

・1月10日:首都カブールやカンダハール州などで自爆攻撃が発生。民間人80人以上が死亡、100人以上が負傷した。タリバンは2カ所、ハッカーニネットワークが1カ所の攻撃に関与したことを認めた。

・1月29日:アフガン米連合軍はヘルマンド州バンド村を襲撃し、武装勢力の戦闘員少なくとも6人を殺害した。また、部隊はモルヒネ1,090kg、塩化アンモニウム15,175kg、ヘロインの製造に使用される液体アヘン2,000リットルを破壊したと明らかにした。

・1月30~31日:タリバンの戦闘員がヘルマンド州サンギン地区にある政府の検問所を襲撃。アフガン軍の兵士10~20人が死亡したと伝えられている。これに対し、米軍は計15回サンギン地区を空爆した。

・2月4日: アフガニスタンとパキスタンの国境付近で大規模な雪崩が発生、少なくとも143人が死亡し、103人が負傷した。

・2月7日:首都カブールの最高裁判所近くでタリバンの戦闘員が自爆。少なくとも20人が死亡、48人が負傷した。ファラー州西部では路傍爆弾で爆発し、地域の警察トップが死亡した。

・2月8日:イスラム国は赤十字で働いていたアフガン人6人を処刑し、2人を誘拐した。

・2月9日:武装勢力がヘルマンド州の基地を襲撃、米兵1人が重傷を負った。

・2月11日:ヘルマンド州ラシュカルガーにある銀行の近くでタリバンの戦闘員が自爆。民間人7人を殺害し、20人を負傷させた。

・2月23日:タリバンはカンダハール州ショラバック地区全体を占領した。

・2月24日:イスラム国がジョウジャン州で警察官を襲撃、少なくとも10人が殺害した。

・2月26日:米軍のドローンがクンドゥズ州のタリバン施設を空爆。上級司令官と戦闘員8人を殺害した。

・3月1日:タリバンの戦闘員がカブールの警察、軍隊、諜報機関を攻撃。少なくとも15人を殺害し、数十人を負傷させた。

・3月7日:パキスタンがアフガニスタンの国境検問所につながる主要道路の交通規制を解除した。

・3月8日:ジハード組織ISIS-K(イラクのイスラム国とレバント)の戦闘員4人が首都カブール最大の軍病院を襲撃。30人以上を殺害し、50人以上を負傷させた。

・3月12日:アフガン軍がヘルマンド州ラシュカルガーのタリバン基地に対する軍事作戦を決行。少なくとも戦闘員31人を殺害した。

・3月13日:武装勢力の自爆テロ犯がカブールの通勤バスを襲撃。民間人1人が死亡、少なくとも19人が負傷した。

・3月17日:自動車爆弾がホースト州の軍事検問所に突っ込み、アフガン兵1人が死亡、10人が負傷させた

・3月19日:ヘルマンド州のショラバク空軍基地でアフガン軍の兵士が銃を乱射し、米兵3人が負傷した。

・3月19日:米軍のドローンがアルカイダ施設を空爆。指導者のひとりであるカリヤ・シンパクティカを殺害した。また、バーマル地区でも米軍のドローン攻撃でタリバンの司令官が死亡、パクティカ州ダンデパタン地区では武装勢力の戦闘員10人が死亡した。

・3月20日:ヘルマンド州ゲレシュク地区の保安検査場横で自動車爆弾が爆発、民間人3人が死亡、8人が負傷した。

・3月22日:タリバンの戦闘員がクンドゥズ州北部で仲間の戦闘員9人を射殺。理由は不明。

・3月23日:アフガン軍とタリバンがヘルマンド州サンギン地区の市街地で衝突した。

・4月2日:アフガン軍がヘルマンド州ラシュカルガーの武装勢力の武器庫を爆破。爆発に巻き込まれた民間人少なくとも9人が死亡した。

・4月5日:アフガン軍はイスラム国の上級指導者のひとりであるシェド・オマー・バジャワリをテロ対策作戦中に殺害したと発表した。

・4月8日:米軍の特殊部隊グリーンベレーがナンガルハール州のイスラム国に対する軍事作戦を決行。作戦中、米兵1人が死亡した。

・4月8日:バルフ州などで路傍爆弾が爆発、アフガンの治安当局者少なくとも9人が死亡した。クンドゥズ州ではアフガン軍がタリバンの隠れ家を空爆し、戦闘員少なくとも18人を殺害した。

・4月9日:ジョウジアン州ダルザブ地区で戦闘が勃発。(ISIS-K vs タリバン vs アフガン軍)戦闘は4月末まで続き、ISIS-Kがダルザブ地区とクシュテパ地区を占領した。

<ダルザブの戦いの死亡者>
アフガン軍 4人
タリバン 90人以上
ISIS-K 15人

・4月12日:ISIL-Kの自爆テロ犯が首都カブールのアフガニスタン国防省近くで自爆、少なくとも5人が死亡、数人が負傷した。

・4月13日:米軍がナンガルハール州アチン地区のISIS-Kの施設およびトンネルを空爆。ISIS-Kの司令官4人と戦闘員少なくとも94人を殺害した。

・4月17日:アフガン軍がクンドゥズ州アルキ地区のタリバン施設を空爆、司令官を含む9人を殺害した。

・4月19日:アフガン米連合軍は、バグラン州のタリバン指導者マウラウィー・ヘラルを含む25人を殺害した。

・4月21日:タリバンがバルフ州マザリシャリフの軍事基地のモスク近くでアフガン軍を襲撃。アフガン兵少なくとも140人が死亡した。タリバンの戦闘員はアフガン軍の制服を着ていた。

・4月25~26日:ISIL-Kがジョージアン州北部でタリバンと衝突。戦闘は翌日まで続き、ISIS-Kはタリバンから2つの地区を奪取し、少なくとも76人を殺害した。

・4月26日:アフガン米連合軍はISISL-Kの首長アブドゥル・ハシブを標的とする合同作戦を決行。戦闘は数時間続き、アブドゥル・ハシブを含むISIS-Kの戦闘員数十人が死亡した。作戦中、米兵2人がドローンの空爆に巻き込まれ死亡した。

・4月28日:アフガン軍がナンガルハール州アチン地区のモマンド渓谷で対イスラム国作戦を実施。ISISの戦闘員少なくとも20人を殺害した。

・5月3日:カブールの米国大使館近くで、NATO軍の部隊を標的にしたISIS-Kの自動車爆弾が爆発。米兵3人を含む8人が死亡、20人以上が負傷した。

・5月5日:国税調査を行っていたパキスタンの調査チームがアフガニスタンとの国境付近でアフガン軍の攻撃を受けパキスタン軍が応戦、衝突に発展した。

・5月17日:ISIL-Kがジャララバードのアフガニスタン国営TVビルを襲撃。民間人6人とISIS-Kの戦闘員4人が死亡した。

・5月21日:タリバンがザブール州シャーワリコット地区でアフガン警察を襲撃。警察官少なくとも20人を殺害した。

・5月21日:武装勢力が首都カブールのゲストハウスを襲撃、ドイツ人と警備員を殺害し、フィンランド人女性が誘拐されたと伝えられている。

・5月26日:タリバンがカンダハール州の軍事基地を襲撃、アフガン兵少なくとも15人を殺害した。

・5月27日:ホースト州で自動車爆弾が爆発、民間人少なくとも13人が死亡した。

・5月31日:首都カブールのドイツ大使館近くでトラック爆弾が爆発、150人以上が死亡、413人が負傷した。政府はタリバンの犯行と主張したが、タリバンは関与を否定した。

・6月3日:武装勢力の自爆テロ犯が首都カブールの葬儀会場で自爆、少なくとも20人が死亡した。

・6月10日:タリバンがナンガルハール州アチン地区で米兵3人を殺害した。

・6月15日:武装勢力の自爆テロ犯が首都カブールのモスクで自爆、少なくとも4人が死亡した。

・6月22日:タリバンの自爆テロ犯がヘルマンド州ラシュカルガーの銀行で自爆、少なくとも34人が死亡、60人が負傷した。

・7月3日:アフガン米連合軍がヘルマンド州ナワ地区で対武装勢力作戦を実施。

・7月11日:米軍のドローンがクナル州のISIS-K基地を空爆。ISIS-Kのリーダー、アブ・サイードを含む戦闘員数十人を殺害した。

・7月17日:アフガン米連合軍がタリバンからヘルマンド州ナワ地区を奪還した。

・7月24日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールの繁華街で自爆、少なくとも35人が死亡した。

・7月31日:武装勢力がカブールのイラク大使館を襲撃。大使館職員2人が死亡、武装勢力の戦闘員4人は全員殺害された。

・8月1日:武装勢力の自爆テロ犯2人がヘラート州のモスクで自爆、少なくとも33人が死亡、60人以上が負傷した。

・8月2日:タリバンがカンダハール州のNATO軍大隊を襲撃。米兵2人が死亡、4人が負傷した。

・8月3〜5日:タリバンとISISL-Kがサレポル州サヤド地区のミルザワラン村を襲撃。地元の警察官18人、地元民兵28人、民間人50人以上が殺害された。

・8月9日:タリバンはサレプル州のミルザワラン村で拘束した住民235人を解放した。

・8月10日:米軍のドローンがクナル州のISISL-Kの基地を空爆。現地のリーダーと上級司令官3人を殺害した。

・8月12日:アフガン当局は米軍のナンガルハール州空爆で民間人16人が死亡したと発表したが、米軍はこれを否定した。

・8月16日:アフガン米連合軍がナンガルハール州のISIS-Kと戦闘。グリーンベレー1人が死亡、数十人が負傷したと伝えられている。

・8月29日:アフガン軍がヘラート州シンダンド地区のタリバン基地を空爆。戦闘員16人と民間人少なくとも13人が死亡し、数人が負傷した。

・8月29日:米軍のドローンがロガール州ダシュテバライのタリバン拠点を空爆。民間人11人が爆発に巻き込まれ、死亡した。

・9月5日:武装集団に誘拐された赤十字社の職員2人が約7か月ぶりに解放された。

・9月11日:武装勢力の自爆テロ犯がパルヴァーン州のNATO軍部隊を襲撃。米兵とNATO職員数人が負傷した。

・9月13日:カブール国際クリケットスタジアムの検問所で自爆テロ犯が自爆、少なくとも3人が死亡した。

・9月14日:5月のゲストハウス襲撃事件で誘拐されたフィンランド人女性が解放された。

・9月15日:武装勢力の自動車爆弾がカンダハール州のNATO軍部隊に突っ込み、ルーマニア兵1人が死亡、2人が死亡した。

・9月27日:アメリカのジェームズ・マティス国防長官とNATOのイェンス・ストルテンバーグ事務局長がカブールを訪問。

・9月29日:武装勢力の自爆テロ犯がカブール最大のシーア派施設近くで自爆、民間人6人が死亡した。

・10月1日:アフガン軍がヘルマンド州ゲレシュクの検問所を誤爆し、親政府民兵10人が死亡、少なくとも9人が負傷した。

・10月12日:米軍のドローンがクナル州のISIS-K施設を空爆、戦闘員14人を殺害した。

・10月18日:米軍のドローンがパクティア州の武装勢力基地を空爆、指導者を含む少なくとも10人を殺害した。

・10月20日:武装勢力がカブールのモスクを襲撃、少なくとも30人が死亡。ゴール州のモスクも襲撃を受け、少なくとも10人が殺害された。

・10月27日:米軍のヘリコプターがロガール州で墜落。兵士1人が死亡し、6人が負傷した。

・11月3日:アフガン米連合軍のドローンがクンドゥズ州チャーダラ地区の武装勢力施設を空爆。州当局者は民間人数十人が死亡したと主張したが、アフガン軍はこの主張を却下した。

・11月19日:アフガン米連合軍がヘルマンド州ナウザド村のタリバン収容施設を襲撃。人質15人を解放し、タリバンの戦闘員数名を拘束、爆弾の材料を破壊した。

・12月1日:アフガン米連合軍がヘルマンド州ムーサカラ地区のタリバン基地を襲撃。指導者のムラシャー・ワリと戦闘員3人を殺害した。

・12月18日: ISIS-Kがカブールの国家保安局トレーニングセンターを襲撃した。

・12月25日:武装勢力の自爆テロ犯がカブールのアフガニスタン諜報機関施設の近くで自爆、少なくとも6人外貌、3人が負傷した。

・12月28日:ISIS-Kの自爆テロ犯がカブールのシーア派文化センターで自爆、少なくとも50人が死亡、80人以上が負傷し。

2018年

・1月1日:ナンガルハール州アチン地区をパトロールしていた米軍部隊が襲撃を受け、兵士1人が死亡、4人が負傷した。

・1月1日:アフガン軍の特殊部隊がヘルマンド州ナーレサラジ地区にあるタリバンの収容施設を襲撃した。

・1月16日:タリバンの戦闘員がクンドゥズ州ゴラムサキ村のアフガン軍施設を襲撃、兵士6人と警察官2人を殺害した。

・1月18日:アフガン軍がヘルマンド州ナウザド地区のタリバン収容施設を襲撃。タリバンの戦闘員5人を殺害し、人質13人を救出した。

・1月20日:アフガン米連合軍がヘルマンド州バグラン地区にあるタリバン収容施設を襲撃。60人以上のアフガニン治安部隊を救出した。

・1月20日:タリバンまたはハッカーニネットワークの戦闘員がカブールのインターコンチネンタルホテルを襲撃。民間人40人が死亡、22人以上が負傷した。

・1月24日:イスラム国の戦闘員がジャララバードで活動していたNGOセーブ・ザ・チルドレンを襲撃。職員3人が殺害された。

・1月27日:カブールの安全地帯(政府機関と外国大使館の本拠地)と言われていた地域の検問所でタリバンの自爆テロ犯が自爆。少なくとも103人が死亡、235人が負傷した。

・1月28日:アフガン軍はジョージアン州でISIS-Kの外国人戦闘員リーダーのひとりを捕らえた。

・1月29日:イスラム国の戦闘員がカブールのファヒム国防大学を襲撃。アフガン兵11人が死亡、数十人が負傷した。戦闘員4人はその場で射殺され、1人が拘束された。

・1月31日:アフガニスタンとパキスタンの国境付近でM6.1の地震が発生。少なくとも1人が死亡し、10人が負傷したと伝えられている。

・2月1日:アフガン米連合軍がカンダハール州などのタリバン拠点を空爆。少なくとも50人が死亡した。

・2月4日:米軍のB-52がバダフシャン州のタリバン訓練キャンプに24個の精密誘導爆弾を投下した。死亡者は不明。

・2月8日:米軍のドローンがパクティア州バーマル地区の武装勢力車両を空爆、4人を殺害した。

・2月24日:タリバンがファラ州バラブルク地区のアフガン軍基地を襲撃。兵士18人を殺害した。

・3月9日:イスラム国の戦闘員が首都カブールのシーア派施設近くで銃撃。民間人少なくとも9人が死亡、18人人負傷した。

・3月9日:タリバンがタカール州のアフガン軍施設を襲撃。アフガン兵10人と警察官6人が死亡した。

・3月16日:米国のドローンがサレポル州のISIS-K基地を空爆。ISIS-Kの小隊リーダー2人を殺害した。

・3月16日:アフガン軍の特殊部隊がジョウジアン州にあるISIL-K基地を襲撃。戦闘員13人を殺害した。

・3月26~27日:アフガン米連合軍がジョウジアン州ムグル村のISIS-K基地を襲撃。司令官1人と戦闘員1人を殺害した。

・4月5日:米軍のドローンがファリヤブ州バルチラーグ地区のISIS-K基地を空爆。上級司令官1人とそのボディガードを殺害した。

・4月11日:アフガン米連合軍がジョウジアン州ダルザブ地区のISIS-K基地を襲撃、戦闘員22人を殺害した。

・4月11日:タリバンの戦闘員がガズニ州クワジャオマリ地区の警察本部を襲撃。銃撃戦は約3時間続いた。

・4月30日:米軍のパトロールチームがカピサ州タガブ地区で武装勢力の襲撃を受け、兵士1人が死亡、1人が負傷した。

・7月1日:武装勢力の自爆テロ犯がジャララバードの市場で自爆。シーア派イスラム教徒10人を含む19人が死亡した。

・7月12日:タリバンがイスラム国によるタリバン司令官の処刑に対する報復として、北部ダルザブ地区のISIS-Kへの攻撃を開始した。戦いは8月1日まで続き、タリバンはISIS-Kの戦闘員数百人を殺害、240人以上を拘束した。

<ダルザブの戦いの死亡者>
タリバン 100人以上
ISIS-K 数百人

・8月1日:タリバンがダルザブ地区のISIS-Kとの戦闘に勝利。ダルザブ地区を完全に支配した。

・8月10日:タリバンが南東部の都市ガズニで大規模な攻撃を開始した。

・8月15日:イスラム国の自爆テロ犯が首都カブールの教育センターで自爆。少なくとも48人が死亡した。

・8月26日:武装勢力がタジキスタンの国境警備員2人を殺害。

・10月18日:カンダハール州のアブドゥル・ラジク・アチャクザイ州警察署長が米軍とNATO司令官との会談後、タリバンの戦闘員に射殺された。戦闘員は攻撃を継続し、アフガン国家安全局の責任者も殺害した。

・11月:アメリカはタリバンとの和平交渉を進めながら、2019年4月の大統領選挙を一時停止するようアフガン政府に要請することを検討したと伝えられている。

・11月:ホースト州南東部のアフガン軍モスクでイスラム国の自爆テロ犯が自爆。兵士少なくとも27人が死亡し、数十人が負傷した。

・11月:イスラム国の自爆テロ犯は、首都カブールのホテルに宿泊していた55人のイスラム学者と聖職者を自爆攻撃で殺害した。

・11月27日:アフガン米連合軍のドローンがヘルマンド州ガルムシル地区の複合施設を空爆。民間人23人が死亡し、その大半は女性と子供だったと伝えられている。

・11月28日:アシュラフ・ガニー大統領はジュネーブの国際平和会議に出席し、タリバンとの和平交渉を行うチームを結成した。

・12月:アフガニスタンは世界で最もテロの多い国に認定された。2位はイラン。

・12月1日:米軍のドローンがヘルマンド州ナウザド地区のタリバン施設を空爆。ヘルマンド南部のタリバン司令官、ムラ・アブドゥル・マンナン・アホンを殺害した。

・12月6日:タリバンがヘラート州西部にある2つのアフガン軍前哨基地を襲撃。アフガン兵14人を殺害した。

・12月18日:ドナルド・トランプ大統領はアフガン駐留米軍の約半分の撤退を命じた。

・12月24日:武装勢力の戦闘員が首都カブールの政府庁舎で銃撃後自爆。40人以上が死亡した。

・12月30日:アフガニスタンの選挙当局は、2019年4月に予定されていた大統領選挙を同年7月に延期すると発表した。

・12月31日:タリバンの戦闘員がサレポル州で協調攻撃を実施。警察官少なくとも21人が殺害された。また首都カブールにはロケット弾が撃ち込まれ、民間人数人が死亡したと伝えられている。

2019年

・1月1日:アフガン軍特殊部隊がナンガルハール州アチン地区のISIS-K基地を襲撃。指導者2人と戦闘員27人を殺害した。

・1月3日:米軍のマーク・ミリー統合参謀本部議長が首都カブールでアシュラフ・ガニー大統領と会談。

・1月4日:サレポル州北部の油井(原油を採掘するために使う井戸)に対するタリバンの攻撃が勢いを増し、アフガン兵40人が死亡した。

・1月4日:世界保健機関(WHO)はアフガニスタンとパキスタンを「ポリオウイルスの最後の拠点」と宣言した。2018年に報告された症例は30件未満だった。

・1月6日:バダフシャーン州コヒスタン地区の鉱山で地滑りと鉄砲水が発生。労働者少なくとも30人が死亡したと伝えられている。

・1月10日:タリバンがバルフ州北部の主要高速道路を封鎖し、通航車両を攻撃。アフガン軍の兵士と警察官30人以上が殺害された。その後、アフガン米連合軍は報復空爆を行い、タリバンの戦闘員を多数殺害した。

・1月10月:米軍のドローンがナンガルハール州のISIS-K基地を空爆。上級司令官1人を殺害した。

・1月11日:アフガニスタン人で米軍の元通訳であるモハシフ・モタワキルはカブールから米テキサス州ヒューストンの空港に到着した直後に拘留され、その後、妻と5人の子供とともにカブールに強制送還すると脅迫された。1週間後、モタワキルは釈放され、家族全員にビザが与えられた。

・1月14日:首都カブールの国際空港近くでタリバンのトラック爆弾が爆発。民間人4人が死亡、少なくとも40人が負傷した。

・1月15日:タリバンは米国の特別特使ザルメイ・ハリルザドがアフガニスタン政府当局者との会談のためにカブールに到着したことを受け、米政府との交渉を終了すると脅迫した。

・1月18日:バギス州ジャワンド地区での軍事作戦に参加した米兵1人が死亡した。

・1月20日:アシュラフ・ガニー大統領とアブドラ・アブドラ行政長官は、7月に予定されている大統領選挙に正式に立候補した。

・1月20日:タリバンがロガール州東部で自動車爆弾テロを決行。アフガン兵8人が死亡し、少なくとも10人が負傷した。同行していた州知事と国家保安局の州長は無事だった。

・1月21日:タリバンがヴァルダク州の国家保安局基地で自動車爆弾テロを決行。少なくとも126人が死亡し、50人以上が負傷した。犠牲者の大半は国家保安局の職員だった。タリバンは事件への関与を否定したが、アフガン米連合軍はドローンによる報復空爆でテロの首謀者であるタリバン兵を殺害した。

・1月22日:ウルズガン州タリンコウト地区での軍事作戦に参加していた米兵1人が死亡。

・1月22日:米国の特別特使ザルメイ・ハリルザドはカタールの首都ドーハでタリバンの代表と会談した。

・1月24日:タリバンは最近パキスタンの拘留から解放されたアブドゥル・ガニ・バラダールが最高指導者に就任したと発表した。

・2月4日:タリバンがバグラーン州の検問所を襲撃、少なくとも警察官10人を殺害した。

・2月5日:タリバンがクンドゥズ州北部のアフガン軍駐屯地を襲撃、少なくとも兵士23人と警察官3人を殺害した。モスクワではタリバンの交渉担当者とハミド・カルザイ前大統領を含むアフガニスタンの野党勢力が会談した。タリバンの報道官は会談後の記者会見で、すべての外国軍が撤退するまで停戦には同意しないだろうと述べた。

・2月8日:アフガン米連合軍はカンダハール州、ヘルマンド州、ナンガハール州のタリバンの司令官などを複数名殺害した。

・2月11日:アメリカのパトリック・M・シャナハン国防長官代理がカブールを訪問。その後、軍事基地に移動し、アフガン軍の指揮官と会談した。

・2月14日:全国34州のうち少なくとも20州で深刻な干ばつが発生した。国連はイランとパキスタンに36,000人以上の文書化されていないアフガニスタン難民が到着したと報告した。

・2月16日:アシュラフ・ガニー大統領がミュンヘンで開催された安全保障会議に出席。会議の主催者はアフガニスタン戦争を議題の上位に置いていなかった。元NATO事務局長のヤープ・デ・フープ・シェファーは米軍のアフガン撤退に強い懸念を表明し、元米国防長官のウィリアム・コーエンも米軍の撤退は容易ではないと述べた。

・2月17:タリバンの代表団は、パキスタンの首都イスラマバードで予定されていたイムラン・カーン首相とアメリカの交渉担当者との会談を欠席した。

・2月28日:米軍は3年から5年以内にアフガンの駐留軍を完全撤退させる計画を欧州の同盟国と策定した。また、今後数カ月以内に駐留NATO軍の兵士14,000人の約半数を撤退させ、残りはテロ対策任務にあたると発表した。

・3月1日:タリバンの戦闘員がヘルマンド州のアフガン軍基地を襲撃。アメリカとタリバンの交渉担当者を含む数十人が死亡した。

・3月3日:カンダハール州を含む南部地域で大規模な洪水が発生。子供を含む少なくとも10人が行方不明になり、民家約2,000戸が被害を受けた。

・3月6日:ISIS-Kの戦闘員がジャララバードの空港でナンガルハール州の建設会社の従業員16人とアフガン軍兵士1人を殺害した。その後、アフガン米連合は、ISIS-Kの戦闘員5人を殺害した。

・3月6日:アフガニスタン全土で洪水や雪崩災害が発生し、少なくとも59人が死亡、数千人が自宅を失った。南部ヘルマンド州とカンダハール州が最悪の被害を受けたと伝えられている。

・3月14日:アフガニスタンの国家安全保障問題担当補佐官を務めるハムドラ・モヒブは、タリバンとアメリカの和平交渉を「間違ったアプローチ」と非難した。

・3月17日:タリバンはトルクメニスタンに逃亡したアフガン兵が強制送還された後、バギス州ムルガブ地区でアフガン兵150人を拘束した。アフガン軍はその週にさらに44人の犠牲者を出し、地方の部隊は崩壊の危機に瀕していると噂された。

・3月20日:7月20日に予定されていた大統領選挙が9月28日に再延期された。

・3月21日:ISIS-Kの自爆テロ犯がカブール大学とカルテサキ寺院近くで自爆。ペルシャの新年ノウルーズを祝うシーア派イスラム教徒6人が死亡、少なくとも23人が負傷した。

・3月22日:当局者はクンドゥズ州および北部地域で任務に従事していた米兵2人が死亡したことを明らかにした。

・3月23日:ヘルマンド州のラシュカルガースタジアムでタリバンが仕掛けた爆弾が爆発。4人が死亡、少なくとも31人が負傷した。

・3月23日:国連は米軍のクンドゥズ州の空爆で子供10人を含む多数の民間人が死亡したと明らかにした。

・3月29日:南部ヘラート州などで鉄砲水が発生し、少なくとも16人が死亡、9人が負傷し、民家約400戸が被害を受けた。

・3月30日:アブドゥル・ラシッド・ドスタム副大統領の一団がジョーズジャン州で武装勢力の攻撃を受け、ボディーガード1人が死亡した。ドスタム副大統領にケガはなかった。

・3月31日:ヘラート州を含む南部地域で大規模な洪水が発生。少なくとも35人が死亡し、子供を含む12人が行方不明になり、民家約700戸が破壊された。

・4月8日:バグラム空軍基地の近くで路傍爆弾が爆発。米兵3人が死亡し、民間人少なくとも5人が負傷した。

・4月12日:全国で大雨と降雪による大規模な洪水が発生し、少なくとも77人が死亡した。最も深刻な被害を受けた地域はヘラート州とヘルマンド州と伝えられている。

・4月18日:カタールの首都ドーハで予定されていたアフガン政府とタリバンの和平交渉は意見の不一致で崩壊した。アシュラフ・ガニー大統領はカタールの当局者を非難し、米国のザルメイ・ハリルザド特別特使は失望を表明した。

・4月20日:ISIS-Kの自爆テロ犯が首都カブールの政府庁舎近くで自爆。民間人4人と警察官3人が死亡した。

・4月26日:アメリカのザルメイ・ハリルザド特別特使は、外国軍の秩序ある撤退とタリバンのコミットメントを含む包括的なアフガニスタン主導の和平プロセスを支援するアメリ、カロシア、中国間の合意を歓迎した。

・4月30日:アフガン軍はナンガルハール州東部のISIS-Kとタリバンに対する掃討作戦を開始し、ISIS-Kの戦闘員少なくとも22人を殺害した。一方、タリバンはアフガン兵が民間人7人を殺害したと主張した。

・5月3日:アシュラフ・ガニー大統領は3,000人を超える宗教指導者、政治家、代表者に、「一方的なものでなければ休戦に合意し、175人の囚人を釈放する」と発表した。しかし、タリバンはアフガン政府との直接交渉を拒否しており、カタールの首都ドーハで進行中の和平交渉について、アメリカに武器を置き強制をやめるよう要求した。

・5月8日:タリバンの戦闘員がアメリカに本拠を置く援助組織カウンター・インターナショナル社を襲撃、民間人4人と警察官1人が死亡し、少なくとも24人が負傷した。戦闘は6時間以上続き、タリバンの戦闘員5人は全員殺害された。

・5月16日:米軍はヘルマンド州南部のラシュカルガー近郊で空爆を決行し、誤ってアフガンの警察官18人を殺害した。米軍はアフガン軍から航空支援を要請されドローンを展開したが、友軍であることを確認せずに空爆を決行した。

・5月24日:武装勢力の自爆テロが首都カブールのモスクで自爆。少なくとも3人が死亡、20人が負傷した。

・6月3日:全国でラマダンの聖なる月の終わりにテロが発生し、民間人少なくとも17人が死亡、数十人が負傷した。

・6月13日:ガズニ州東部にある建築遺産の古代の塔が自然災害の影響で崩壊した。

・6月25日:ウルズガン州中央部で活動していた米軍の兵士2人がタリバンの攻撃を受け死亡した。

・6月29日:タリバンがバグラン州北部の親政府民兵部隊を襲撃。民兵少なくとも27人が殺害された。

・6月29日:アメリカのザルメイ・ハリルザド特別特使はカタールの首都ドーハでタリバンとの第7回和平交渉を開始した。

・7月1日:タリバンの戦闘員が首都カブールのワジルアクバルカーン地区で自爆テロと銃による複合攻撃を実施。民間人40人を殺害し、100人以上が負傷した。タリバンの戦闘員も全員死亡した。

・7月7日:ガズニ州でタリバンの自動車爆弾が爆発。民間人13人が死亡、少なくとも180人が負傷した。

・7月15日:タリバンが北西部バギス州でアフガン軍を襲撃、兵士25人を殺害した。タリバンの戦闘員20人も死亡。

・7月18日:タリバンがカンダハール州警察本部を襲撃。民間人を含む12人が死亡、約90人が負傷した。

・7月19日:カブール大学の近くで路傍爆弾が爆発。民間人8人が死亡、33人が負傷した。

・8月7日:タリバンの自動車爆弾が警察署の近くで爆発。少なくとも14人が死亡、15人以上が負傷した。

・8月17日:ISIS-Kの自爆テロ犯が首都カブールの結婚式場で自爆。少なくとも92人が死亡、160人以上が負傷した。標的はシーア派イスラム教徒だった。

・8月21日:米政府当局は銃撃戦の最中に米兵の特殊部隊員2人が死亡したと発表した。

・9月2日:タリバンの自動車爆弾が多数の国際機関を収容する首都カブールの複合施設近くで爆発。少なくとも16人が死亡、100人以上が負傷した。

・9月5日:タリバンの自動車爆弾が首都カブールの米国大使館近くの外交地域で爆発。少なくとも10人が死亡、数十人が負傷した。

・9月17日:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールとチャリカールで開催されたアシュラフ・ガニー大統領主催の集会で自爆。少なくとも48人が死亡した。

・9月19日:タリバンの自動車爆弾がザブール州南部にあるカラート病院の近くで爆発。少なくとも20人が死亡、90人が負傷した。

・9月20日:米軍のドローンがナンガルハール州のISIS-K施設を空爆。報告によると、民間人30人が死亡し、少なくとも40人が負傷したという。

・9月23日:アフガン軍がヘルマンド州の結婚式を襲撃。タリバンの戦闘員22人を殺害し、14人を逮捕した。戦闘に巻き込まれた民間人40人も死亡した。

・9月28日:アフガニスタン大統領選挙。アシュラフ・ガニー大統領が有効票の50.64%を獲得し、アブドラ・アブドラを破った。しかし、アブドラは集計結果を拒否し、政府とは独立した大統領就任式を開催すると宣言した。投票率は20%に届かなかった。

2020年

・1月27日:米軍のボンバルディアグローバルエクスプレスE-11A航空機がガズニ州ディヤク地区で墜落した。

・1月29日:アフガニ軍がバギス州のバラムルガブのタリバン基地を襲撃。人質62人を解放した。

・1月29日:タリバンがクンドゥズ州で複数のアフガン軍部隊を襲撃。兵士数十人が死亡したと伝えられている。

・2月6日:大統領就任式。アシュラフ・ガニー大統領が就任を宣言。

・2月7日:パキスタンのテリク・イ・タリバンの上級司令官、シェイク・ハリド・ハッカニとカリ・サイフ・ユーニスがカブールのホテルインターコンチネンタル近くで暗殺された。

・2月8日:ナンガルハール州で任務に従事していた米陸軍特殊部隊の兵士1人が死亡した。

・2月11日:首都カブールの大学で自爆テロ。少なくとも6人が死亡した。

・2月15日:アメリカとタリバンの交渉担当者は、アフガンの暴力を7日間抑える取引に合意した。

・ 2月18日:大統領選挙に敗れたアブドラ・アブドラはアシュラフ・ガニー大統領の再選に異議を唱え、新政府を発足すると発表した。

・2月19日:アシュラフ・ガニー大統領とアメリカのザルメイ・ハリルザド特別特使が会談。和平交渉について協議した。

・2月29日:アメリカのドナルド・トランプ大統領とタリバンがアフガニスタン戦争の終結につながる可能性のある協定に合意した。

・3月6日:ISIS-Kの戦闘員2人が首都カブールで銃を乱射。民間人32人を殺害した。

・3月25日:イスラム国の戦闘員が首都カブールのグルドワラ(シーア派教徒の礼拝所)を襲撃、25人を殺害した。

・3月29日:タリバンがザブール州で6人、バグラン州で5人、合わせて11人のアフガン軍兵士と警察官を殺害した。

・3月30日:首都カブールでタリバンの自動車爆弾が爆発。その後の戦闘でアフガン兵27人とタリバンの戦闘員13人が死亡したと伝えられている。

・5月1日:イランとアフガニスタンの国境に位置するハリ川でアフガン難民少なくとも17人が溺死した。主要メディアはイランの国境警備隊がアフガン難民少なくとも70人を川に落としたと報じた。

・5月12日:全国で複数の武装勢力が自爆テロや銃によるテロを決行。民間人200人以上が殺害され、400人以上が負傷した。カブールの産科病院では複数の乳児と母親を含む24人が殺害された。

・5月14日:タリバンの自動車爆弾がパクティア州ガルデーズで爆発し、5人が死亡、14人が負傷した。

・5月23日:タリバンとアフガニスタン政府が3日間の休戦に合意した。紛争開始以来、当事者が休戦に合意したのは3回目。

・6月6日:武装勢力がバダフシャン州の治安部隊を襲撃し、兵士11人を殺害した。武装勢力の戦闘員は4人死亡。カブールでも銃撃戦が発生し、警察官3人が死亡した。

・6月12日:武装勢力の自爆テロ犯が首都カブールのモスクで自爆。4人が死亡、8人が負傷した。

・6月17日: タリバンがジョージアン州の治安部隊を襲撃し、兵士12人を殺害した。タリバンの戦闘員は少なくとも4人死亡と伝えられている。

・6月29日:武装勢力のものと思われるロケット弾がヘルマンド州の市場などに着弾。少なくとも23人が死亡した。

・7月13日:タリバンの自動車爆弾が北部サマンガーン州の政府施設近くで爆発。子供を含む民間人少なくとも11人が死亡、数人が負傷した。

・7月23日:アフガン軍がヘラート州西部のタリバン施設を空爆。報道によると、民間人を含む少なくとも45人が死亡したという。アフガン軍はその後、空爆の詳細を調査すると発表した。

・7月28日:タリバンはイスラム教徒のイードの休日に先立ち、3日間の一時停戦を宣言した。

・8月2〜3日:ISIS-Kの戦闘員が東部ナンガルハール州の刑務所を襲撃。戦闘は約20時間続き、ISIS-Kの戦闘員8人を含む29人が死亡し、約50人が負傷した。また、戦闘の混乱に乗じて囚人25人以上が逃亡し、敷地から逃げようとした囚人約1,000人が拘束された。

・8月26日:パーワン州で鉄砲水が発生。少なくとも72人が死亡し、家屋数百戸が破壊された。

・9月9日:タリバンの戦闘員が首都カブールの市街地で自爆。民間人10人が死亡し、少なくとも16人が負傷した。武装勢力が9月に決行したテロの犠牲者は200人を超え、アムルラ・サレハ第一副大統領も負傷した。

・9月12日:アフガン政府とタリバンの代表がカタールを訪問、和平交渉を開始した。アメリカのマイク・ペンス副大統領も最初の会談(就任式)に出席した。

・9月16日:武装勢力の戦闘員がタカール州カラフガン地区で自爆。2人が死亡、12人が負傷した。

・9月16日:武装勢力の戦闘員が首都カブールで政府当局者を襲撃。国家保安局の職員1人が射殺された。

・10月18日:西部ゴール州の警察本部近くで自動車爆弾が爆発。民間人13人が死亡し、120人以上が負傷した。

・10月21日:パキスタンへのビザを申請する政府主催の取り組みがジャララバードスタジアムで開催された。

・10月21日:アフガン軍がタカール州バハラク地区のタリバンモスクを空爆。タリバンは子供12人を含む多くの民間人が死亡したと主張した。

・11月2日:ISIS-Kの戦闘員3人がカブール大学を襲撃。民間人32人が死亡、50人が負傷、戦闘員3人は自爆したと伝えられている。

・11月24日:国連主催のアフガニスタン会議が開催され、約70カ国と30の国際機関が出席した。国連はアフガニスタンの和平プロセスを支援するために33億ドルの支援を約束した。

2021年3月6日/アフガニスタン、首都カブール、アシュラフ・ガニー大統領(Mariam Zuhaib/AP通信)
2021年

・1月1日:ジャーナリストで人権活動家のビスミラ・アイマークがゴール州で射殺される。

・1月5日:アフガン政府とタリバンの代表団がカタールの首都ドーハで会談、和平交渉を再開した。

・3月30日:武装勢力の戦闘員がナンガルハール州ジャララバードでポリオワクチンを住民に提供していた職員3人を射殺した。

・4月13日:アメリカのジョー・バイデン大統領が9月11日までにアフガニスタンから米軍を撤退させる計画を発表した。

・4月30日:ローガル州にあるゲストハウスの近くで爆弾が爆発。少なくとも30人が死亡し、90人以上が負傷した。

・5月1日:タリバンがアフガン政府に対する本格的な攻撃を開始。

・5月2日:タリバンはアメリカのドナルド・トランプ前大統領が約束した米軍撤退期限の5月1日が過ぎたと警告し、米軍に対する新たな攻撃を示唆した。

・5月6日:アフガニスタンの著名なジャーナリストであるニューアット・ラワンがカンダハール州で身元不明の戦闘員に射殺される。

・ タリバンの戦闘員がアフガニスタンで2番目に大きなダムと主要な軍基地を占領した。

・5月8日:首都カブールの西部にある集落の中等学校近くで自動車爆弾と路傍爆弾が爆発。死亡した68人の大半が学生だった。

・5月14日 ISIS-Kの自爆テロ犯が首都カブールのモスクで自爆。少なくとも12人のシーア派教徒が殺害され・た。

・6月1日:武装勢力の自爆テロ犯がハザラ民族を襲撃。少なくとも12人を殺害した。

・6月8日:アフガン政府はコロナウイルスを制御下に置いていると主張したが、感染者の急増は収まらなかった。

・6月17日:タリバンがファリヤブ州ドウラターバード地区を占領。その過程の中でアフガン兵24人と警察官5人を殺害した。

・6月30日:タリバンが北部地区の攻撃を加速させ、アフガン軍から軍用トラック約700台を奪取した。

・7月2日:ドイツ軍とイタリア軍が撤退任務を開始。米軍はバグラム飛行場の管理をアフガン軍に返還した。

・7月3日:アフガン国境警備隊員とアフガン軍の兵士1,000人以上が隣国タジキスタンに逃亡した。タジキスタン政府は国境を越えた兵士たちを受け入れた。この日タリバンはバダフシャン州ホーホン、シャーリ・ブズルグ、ロギストンを占領した。

・7月22日:カンダハール州スピンボルダック地区で少なくとも100人が虐殺された。犠牲者の詳細は明らかにされていない。

・8月3日:タリバンの自爆テロ犯と戦闘員がビスミッラー・ハーン・モハマディ国防相の自宅を襲撃。戦闘員5人を含む13人が死亡、モハマディ国防相は生還した。

・8月6日:タリバンがニームルーズ州の州都ザランジを占領。アフガン軍は撤退を余儀なくされた。

・8月7日:タリバンがサレポル州の州都サレポルを占領。クンドゥズ州とタカール州の州都ターロカーンでアフガン軍とタリバンの戦闘が勃発した。

・8月9日:タリバンがサマンガーン州の州都アイバクを占領。

・8月10日:タリバンが西部ファラー州の州都とバグラン州の州都を占領。

・8月11日:アフガン政府がワリ・モハマドを新たな陸軍幕僚長に指名。

・8月11日:アシュラフ・ガニー大統領はバルウ州の州都マザリシャリフを訪問。地元のウズベク人とタジク人指導者と会談した。

・8月11日:タリバンがバダフシャン州の州都フェイザバードを占領。

・8月12日:タリバンがガズニ州の州都ガズニを占領。アフガニスタン第三の都市ヘラート、第二の都市カンダハールも陥落した。

・8月13日:タリバンがアフガン経済の重要拠点と見なされているヘルマンド州の州都ラシュカルガーを占領。他の5州も陥落し、8月13日の時点でタリバンに占領された州は18になった。

・8月13日:フィンランド、デンマーク、スイスがアフガン領事館職員を撤退させると発表した。

・8月13日:イギリスはアフガニスタンから英国民およびアフガン人を避難させるピッティング作戦を開始した。

・8月14日:アシュラフ・ガニー大統領がテレビ演説を行う。

・8月14日:アメリカは避難任務を支援するために、米兵3,000人をアフガニスタンに追加配備すると発表した。

・8月14日:北部の最後の拠点であるバルフ州の州都マザリシャリフが陥落。タリバンはさらに6つの州都を占領し、全土の半分以上を支配下に置いた。

・8月15日:タリバンが首都カブールに侵攻。ほとんど抵抗を受けることなく占領した。アシュラフ・ガニー大統領は国外に逃亡した。

・8月16日:タリバンの報道官がアフガニスタン戦争の終結を宣言。

・8月18日:アシュラフ・ガニー大統領が逃亡先のアラブ首長国連邦(UAE)で声明を発表。アフガニスタンに戻るための交渉を進めていると述べた。

・8月23日:タリバンの報道官は米軍撤退期限(8月31日)の延長は望まないと警告した。

・8月24日:G7の首脳がオンラインで会談。ジョー・バイデン大統領は米軍の撤退期限を遵守すると誓った。

・8月26日:ISIS-Kの自爆テロ犯が首都カブールのハミド・カルザイ国際空港近くで自爆。民間人少なくとも169人と米兵13人が死亡した。

・8月27日:米軍のドローンが東部ナンガルハール州のISIS-K施設を空爆。当局はリーダー格2人を殺害したと発表した。

・8月29日:米軍のドローンが首都カブールのISIS-K自爆テロ犯を乗せた車両を空爆。子供を含む民間人10人以上が爆発に巻き込まれ死亡したと伝えられている。

・8月30日:武装勢力のものと思われるロケット弾が首都カブールのハミド・カルザイ国際空港に向け発射される。死傷者はいない模様。

・8月30日:米軍が撤退任務の完了を宣言。

・8月31日:タリバンが「アフガニスタン・イスラム首長国」の完全な独立を宣言。

・9月2日:西部ヘラート州の女性グループが街頭抗議デモを実施。抗議者たちは新政府に女性議員を含め、すべての働く女性の職場復帰を許可するようタリバンに求めた。デモの主催者は同様の抗議デモをアフガニスタン全土に広げることを計画していると述べた。

・9月3日:ロイター通信はタリバンの支配下に置かれていない唯一の州であるパンジシール州でタリバンとレジスタンスの戦闘が激化したと報じた。死亡者は数百人にのぼると伝えられているが、詳細は不明。タリバンは前政権時代にもパンジシール州の占領に失敗した。

・9月4日:タリバンはパンジシール州のレジスタンスに勝利し、州を支配下に置いたと主張した。

・9月4日:首都カブールを含む主要地域のタリバンの戦闘員はパンジシール州の奪取を祝って銃を空に乱射し、多くの死傷者を出した。現地メディアによると、流れ弾に当たるなどして少なくとも17人が死亡、40人が負傷したという。

・9月4日:パンジシール州のレジスタンスは主要メディアに、「戦闘は終わっておらず、州の支配権をタリバンに渡した覚えはない」と反論した。パンジシール州を取りまとめるレジスタンスは1980年代のソビエト侵攻で勝利を収め、1990年代後半にはタリバンも打ち負かした。

・9月4日:タリバンは首都カブールの大統領宮殿近くで行われた女性の権利を訴えるデモを強制解散させた。報道によると、タリバンの戦闘員は空に向けて銃を発射し、催涙ガス弾も使用したため、団体は撤退せざるを得なかったという。

・9月7日:首都カブールのパキスタン大使館の前で約200人がタリバンの支配に抗議した。タリバンの戦闘員は威嚇射撃で抗議者を解散させ、地元のカメラマンを拘束したと伝えられている。

・9月7日:女性約200人がヘラート州で抗議デモを実施。タリバンの戦闘員は一部の抗議者を鞭打ち、実弾を空に向けて発射しデモを解散させた。

・9月7日:タリバンが暫定政府の閣僚を発表し、「アフガニスタン・イスラム首長国」の樹立をあらためて宣言した。女性は選ばれず。現地の主要メディアは、「女性省は廃止された模様」と報じた。

・9月8日:首都カブールとファイザバードで抗議デモ。タリバンは威嚇射撃でデモ隊を解散させた。現地メディアによると、カブールの抗議に参加した女性たちは「権利」と「女性の政治参加」を求めたという。

・9月8日:タリバンは抗議デモに同行していた地元のジャーナリスト5人を拘束し、そのうち2人は負傷したため入院を余儀なくされた。

・9月11日:タリバンが約20年ぶりに政府庁舎にアフガニスタン・イスラム首長国の旗を掲げた。

・9月12日:タリバンの高等教育大臣が新しい教育計画を発表。女性は学校での勉強を許可されたが、男性と同じ教室で授業を受けることはできなくなった。

・9月14日:タリバンのアミール・カーン・ムタキ外相は声明で、「新政権は領土内での過激派の攻撃を許可せず、国の安全を確保するというコミットメントを維持し続ける」と約束したが、いつ民主的な選挙で新しい指導者を決めるのかという質問には答えなかった。

・9月17日:米国中央軍のフランク・マッケンジー将軍は、8月29日にアフガニスタンの首都カブールで実施したドローン空爆の死亡者はイスラム国(ISIS)関連の過激派ではなく民間人だったと認めた。子供7人を含む民間人10人が爆発に巻き込まれ死亡。

・9月17日:タリバンが勧善懲悪省の運用を再開。2001年10月の旧タリバン政権崩壊以降に発足した女性問題省は廃止された模様。

2021年8月15日/アフガニスタン、首都カブールの政府庁舎近く、タリバンの国旗を掲げる戦闘員たち(Zabi Karimi/AP通信)

文化(目次に戻る

・伝統芸能は楽器の演奏とアッタの踊りと呼ばれる国民舞踊。

【伝統楽器(抜粋)】
・ハーモニウム
・サントゥール
・チャン(ハーモニカのような形状)
・ルバーブ
・タブラ(ドラムのような形状)
・シタール

・最も人気のあるペットは鳥。首都カブールには、世界の鳥を販売する市場がある。なお、食用で購入する者も多い。

・世界遺産多数。

・アフガニスタン料理は、国の主要生産作物の小麦、トウモロコシ、大麦、米などの穀物類を使用。新鮮なドライフルーツやジャンボメロン(日本のものとは違う)も有名。

・国内の学校数は約10,000校。そのうちの約4,000校が過去10年の間に建設された。

・アメリカが教育支援を行っており、女性の就学も少しずつではあるが進んでいる。なお、紛争地の教育水準は低い。

・祝日はイスラム教の祝日とほぼ同じ。イド・アル=フィトル(断食の祭典/ラマダン)が最も有名。

2021年9月11日/アフガニスタン、首都カブールの学校、女子生徒たち(Getty Images/AFP通信/EPA通信)

スポーツ(目次に戻る

・国内のスポーツは非営利団体「アフガンスポーツ連盟」によって運営されている。

・人気スポーツはサッカー、クリケット、バスケットボール、ゴルフ、ハンドボール、ボクシング、テコンドー、陸上競技、ボーリング、スケートなど。

一番人気はサッカー。アフガニスタン代表(男子)は1922年、女子代表は2007年に結成された。

・アフガニスタン国際クリケットチームはタリバン政権時に結成、様々な国際大会で結果を残している。(ACCTwenty20カップでは4期連続優勝など)

【有名スポーツ選手】
・ロフラ・ニクパイ(Rohullah Nikpai)オリンピックメダリスト
・ネサル・アフマド・バハベ(Nesar Ahmad Bahawi)
・アバッシーン・アリーヒル(Abassin Alikhil)
・ゾヒブ・イスラム・アミリ(Zohib Islam Amiri)

その他(目次に戻る

・アフガニスタン戦争終結の見通しは立っていない。

・タリバンとの政治的和解を達成しなければ、アフガニスタン戦争は終結せず、テロとの戦いは終わらない。

・2001年のタリバン政権打倒後、これまでに500万人以上のアフガニスタン難民が本国に送還された。

アフガニスタン・イスラム首長国/女児
アフィリエイト広告
スポンサーリンク