アフガニスタン・イスラム首長国/国旗

目次

 基本情報

 政治

 渡航情報

 マスメディア

 軍隊

 歴史
  ・1700年代
  ・1800年代
  ・1900年~第一次世界大戦
  ・第一次世界大戦~第二次世界大戦
  ・終戦から2001年9月10日 
  ・2001年9月11日~現在

 文化

 スポーツ

 その他

基本情報(目次に戻る

国名:アフガニスタン・イスラム首長国(Islamic Emirate Afghanistan)

首都:カブール(Kabul)

人口:34,940,837人(2020年推定)

面積:652,225㎢(日本の1.72倍)

気候:大陸性気候

経済:
・後発開発途上国
・経済はほぼ機能しておらず壊滅状態。
GDPは約188億ドル
・失業率は不明。
・超インフォーマル経済。
・死亡率が高く、衛生環境は極めて悪い。
・2012年から原油生産を始めた。
・麻薬生産量世界一。収益はタリバンの重要な活動資金になっている。

人種
・パシュトゥーン人 38.5%(CIAワールドファクトブック推定)
・タジク人 21.3%
・ハザーラ人 24.5%
・ウズベク人 6.0%
・その他

言語:
・バシュトー語(公用語)
・ダリー語(公用語)
・ウズベク語
・英語
・トルクメン語
・アラビア語
・その他

宗教:
・スンニ派イスラム教 85~90%
・シーア派イスラム教 10~15%
・その他

アフガニスタン

政治(目次に戻る

タリバンの首長:ハイバトゥラー・アクンザダ(Hibatullah Akhundzada)
暫定首相:モハマド・ハッサン・アクンド(Mohammad Hassan Akhund)
暫定副首相:アブドゥル・ガニ・バラダール(Abdul Ghani Baradar)
暫定副首相:アブドゥル・サラム・ハナフィ(Abdul Salam Hanafi)

政治体制:イスラム法に基づく
・議会は2021年8月15日に消滅した。

法律:イスラム法
・2004年に独立した司法機関を設立した。
・刑務所は容疑者の拷問施設と呼ばれている。
・私刑がまかり通っていた。
・タリバン政権移行、現在の憲法がどのように扱われるかは不明。

渡航情報(目次に戻る

渡航情報:
外務省ホームページ
・退避勧告発令中(2021年8月時点)
コロナウイルス注意情報発令中(2021年8月時点)

治安:極めて危険
・自爆テロや大量殺人などの凶悪事件が全国各地で多発している。
・反政府武装勢力やイスラムジハード組織が活発に活動している。
・タリバンやイスラム国(ISIS)を含むジハード軍は2021年8月15日にアフガニスタンを乗っ取った。
・米軍とNATO軍は2021年8月末までに完全撤退する予定。
・首都カブールの空港における商用便の運航は2021年8月15日に停止された。
・国境検問所はタリバンに占領されており、2021年8月15日時点で入国できるルートはない。

2021年6月23日/アフガニスタン、首都カブール、タリバンの侵攻に備える民兵たち(Getty Images/AFP通信)

マスメディア(目次に戻る

・主要新聞社は3社。
・国営テレビ局は1社。
・民間テレビ局は200局以上あると伝えられている。
・国営ラジオ局はない。
・民間ラジオ局は250局以上。
・報道と言論の自由を保障しているが、タリバンに批判的なジャーナリストは何かしらの問題に直面する可能性がある。
・主要メディア媒体はラジオ。
・人気ソーシャルメディアはフェイスブック。
・インターネットの普及率は15~20%。
・検閲はない。
・タリバンはソーシャルメディアを積極的に活動している。
・CNN、BBC、Sky News、DD News、アルジャジーラなど、多くのグローバルニュース機関が首都カブールに地方支局を持っている。

【国営メディア/設立年】
・アフガニスタン国立テレビ 1978年

【民間メディア】
・ARIA TV
・Shamshad TV
・Sharq TV
・その他多数

軍隊(目次に戻る

2021年軍事力ランキング:75位

・軍人数:325,000人(推定)
  即戦力 175,000人
  予備兵 0人
  準軍組織 150,000人

・陸軍と空軍を保有。

・国防予算:40億ドル

2021年8月31日/アフガニスタン、首都カブールの国際空港、メディアの取材に応じるタリバン当局者(Kathy Gannon/AP通信)

歴史(目次に戻る

1700年代

・1704年:サファヴィー朝のシャー・フセインがカンダハール(アフガニスタンの一部)を支配した。

・1709年:アフガニスタン軍は、サファヴィー朝が派遣したペルシャ軍と戦い、打ち負かした。

・アフガニスタン南部のバシュトゥーン王国が独立を宣言。

・アフガニスタン軍とオスマン帝国が和平合意(ハマダーン条約)。

1800年代

・1800年代:イギリスとロシア帝国の衝突(グレートゲーム)がアフガニスタンに大きな影響を与えた。

・1839~1842年:第一次アングロアフガニスタン戦争。アフガン軍はイギリス軍に勝利した。

・1878~1880年:第二次アングロアフガニスタン戦争。アフガニスタンはイギリスの保護領になった。

・アフガニスタンの王、アブドゥル・ラーマン・カーンが現在のアフガニスタン国境を確立させた。なお、国境線を引いたのはイギリスとロシアである。

1900年~第一次世界大戦

・1900年代:国境確立、法制度の整備、そして政府の誕生により、アフガニスタンは国家として統一された。

・1901年:王位についたハビー・ブッラー・ハーンは第一次世界大戦への参加を拒否した。しかし、王の中立政策は国民に受け入れられず、政府内にも反発する者が多数いた。

・1919年2月:ハビー・ブッラー・ハーン国王暗殺。

・1919年8月19日:アングロアフガン条約に基づき、イギリスはアフガニスタンの独立を承認した。アマヌッラー・カーンが国王に就任した。

第一次世界大戦~第二次世界大戦

・独立後、アフガニスタン政府はいくつかの改革に着手し、初等教育の義務化、男女共学の学校開設、女性の使用する伝統的なイスラム教のベール廃止などを実施した。

・1928年11月:アフガニスタン内戦勃発。(政府軍vs反政府勢力)

・1929年10月:アフガニスタン内戦終結。反政府勢力が勝利し、ハビー・ブッラー・カラカーニが指導者に就任した。

・1929年11月:アマヌッラー・カーン前国王の勢力が反政府勢力を打倒。指導者のハビー・ブッラー・カラカーニは処刑された。

・1933年:モハメッド・ザヒル・シャーが新国王に就任。

・第二次世界大戦中、アフガニスタン政府は国内で発生した内戦や反乱に振り回されていた。

終戦~2001年9月10日

・1953年:モハンマド・ダウド将軍が首相に就任。経済的および軍事的支援を受ける目的でソビエト連邦に接近した。政府はパルダ(女性を公の場から隔離する慣行)などを廃止し、社会改革を実行した。

・1963年:ダウド首相が反共産主義勢力の圧力に屈し、辞任。

・1964年:立憲君主制を導入し、政治の二極化が加速した。

・1973.年:暴力を伴わないクーデターで権力を掌握したモハマド・サルダール・ダウド・カーン前首相は立憲君主制と憲法を廃止したうえで初代大統領に就任し、アフガニスタン共和国の創設を宣言した。

・1978年:アフガニスタン人民民主党(PDPA)が軍事クーデターを起こし、大統領一家を暗殺。政権を打倒し、ヌール・モハマド・タラキが書記長に就任。国名をアフガニスタン民主共和国(DRA)に変更した。

・PDPAは意に反する知識人、宗教団体、その他反政府勢力と思われる者たちを投獄、拷問、殺害した。

・1979年:バルチャム派を支援するソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻(ソビエト戦争)。10万人以上の赤軍がバルチャム派をバックアップした。しかし、これに反発するアメリカ、パキスタン、中国、イラン、サウジアラビアはムジャヒディンへの武器供給を開始し、数百億ドル相当のミサイルや兵器を提供した。

・1985年:ムジャヒディンとパキスタンが対ソビエト同盟を締結。アフガニスタンの人口の半分が戦争の影響で国外避難民になり、その多くが隣国イランやパキスタンに逃亡した。

・1986年:アメリカはムジャヒディンへのスティンガーミサイル供給を開始し、ソビエトのヘリコプターガンシップを撃墜できるようにした。

・1986年:ソビエトの支援を受けるムハンマド・ナジーブッラーが指導者に就任。

・1988年:ソビエト戦争終結。アフガニスタン、ソビエト、パキスタン、そしてアメリカが和平協定に調印し、ソビエト軍は撤退を開始した。

・1989年:アフガンに展開した最後のソビエト軍が撤退。ムジャヒディンはムハンマド・ナジーブッラー政権打倒を目指し、内戦は続いた。

・1992年:ナジーブッラー政権は崩壊したが、内戦は続いた。

・1996年、パキスタンによる軍事支援とサウジアラビアによる財政支援を受けたタリバンが首都カブールを占領、「アフガニスタン・イスラム首長国」の創設を宣言した。

・タリバンは女性の労働と学習を禁止し、石打ちや即決処決を含むイスラム復讐法(ハムラビ法典)を導入した。

・1997年:パキスタンとサウジアラビアがタリバンを合法的な政府と認める。

・1998年:アメリカはアフリカの米国大使館を爆破したとされるアルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンの基地への空爆を開始した。

・1999年:国連はアフガニスタンにウサーマ・ビン・ラーディンの引き渡しを要求し、航空禁輸と経済制裁を科した。

・2001年9月9日:タリバンの主要反対勢力で北部同盟の指導者であるアフマド・シャー・マスードが暗殺される。

・2001年9月10日:タカール州のエシュカメシュ地区とチャル地区のタリバンと北部同盟が衝突。タリバン兵135人以上が死亡した。

ソビエト・アフガニスタン戦争/ソビエト軍の兵士(Getty Images/AFP通信)

2001年9月11日~現在

2001年

・9月11日:同時多発テロ発生。ニューヨーク市の世界貿易センターに民間旅客機2機が衝突し、乗客全員とビル内にいた2,500人以上が死亡した。

・9月12日:アメリカのジョージW.ブッシュ大統領は、テロリストとテロリストを抱える国家を標的とする「テロとの戦い」を開始すると宣言した。

・9月13日:コリン・パウエル米国務長官は、ウサーマ・ビン・ラーディンが9.11の唯一の首謀者ではないことを確認したと発表した。国連といくつかの外国援助機関はアフガニスタンに対するアメリカの空爆を恐れ、撤退した。

・9月14日:アフガニスタンの指導者たちは、アメリカが9.11の報復攻撃を行った場合、他の手段で復讐すると警告した。米国議会はジョージW.ブッシュ大統領に、9.11の攻撃を組織したテロリストに対して「必要かつ適切なすべての力」を使用することを許可した。

・9月15日:アフガニスタンの外交官は、ウサーマ・ビン・ラーディンは自由に国を離れることができるが、追放されることはないと述べた。

・9月16日:ウサーマ・ビン・ラーディンは9.11への関与を否定する声明を発表した。

・9月17日:イランの最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイは9.11を非難したうえで、アフガニスタンでの戦争に反対すると声明を発表した。

・9月18日:国連難民高等弁務官を務めていたルード・ルベルスは米国務省に対し、数百万人のアフガン人が飢餓に瀕しており、アメリカの攻撃はアフガニスタンに甚大な影響を与えると警告した。

・9月19日:ジョージW.ブッシュ大統領が「アフガニスタン戦闘地帯大統領令」を発表。アフガニスタン国内における米軍の活動が公式に決まった。

・9月20日:ジョージW.ブッシュ大統領は米国議会の演説で、タリバンにウサーマ・ビン・ラーディンの引き渡しとアルカイダの破壊を要求した。

・9月21日:アフガニスタン北部同盟はタリバンを領土内から追い払った。

・9月22日:アフガニスタン北部同盟の指導者モハメッド・ファヒムは、タジキスタンでロシア軍の高官と会談し、タリバンの扱いについて協議した。

・10月6日:現地時間午後9時、アメリカは同盟国イギリスと共にアフガニスタンへの攻撃を開始した。米軍はタリバンの軍事および通信施設とテロ容疑者の訓練キャンプに巡航ミサイルを撃ち込み、空爆した。

・10月11日:ジョージW.ブッシュ大統領は1995年以来となるゴールデンタイムの大統領記者会見を開催し、タリバンにメッセージを送った。「チャンスはまだあります。ウサーマ・ビン・ラーディン、アルカイダの高官や関係者、その他の凶悪犯や犯罪者を連れてきなさい...」

・11月8日:日本の自衛隊員数百人を乗せた3隻の軍艦がインド洋に向け出港した。日本の軍艦が他国の戦争に関与(非戦闘軍事支援)したのは第二次世界大戦以来初。

・11月12日:タリバンは北部同盟軍の前進に屈し、首都カブールを放棄した。(タリバン政権崩壊)

・11月14日:北部同盟は首都カブールを占領し、アフガニスタン北部のほぼすべてを支配下に置いた。

・11月25日:北部同盟は北部最後のタリバン要塞クンドゥーズ州の支配権を獲得した。しかし、すでにタリバンとアルカイダの戦闘員数千人はパキスタンに退避していた。

・12月17日:タリバン兵はトラボラの戦いで米軍と北部同盟連合軍に打ち負かされた。

・12月20日:国連安全保障理事会決議1386は、国連憲章に沿ってテロを根絶するための国際的な努力を支持し、2001年9月12日の決議1368を再確認した。

2002年

・1月3日〜14日:米軍の爆撃機がアフガニスタン東部のタリバンの拠点を爆撃した。

・1月9日:パキスタンを離陸した軍用機が墜落し、米海兵隊員7人が死亡した。

・1月27日:アメリカの特殊部隊は地元のアフガニスタン民兵を支援し、カンダハールの病院に収容されていたアルカイダの戦闘員6人を殺害した。

・2月2日:アフガニスタンの暫定指導者に就任したハミド・カルザイ大統領は、国の安定を脅かす暴力を調査する特別委員会を設立した。

・2月5日:アフガニスタンの暫定指導者ハミド・カルザイ大統領は国を再建するために「お互いの手を取り合う」よう呼びかけ、大統領宮殿にアフガニスタンの国旗を掲げた。(タリバンの国旗はすでに廃棄されていた)

・2月9日:カルザイ大統領は、北部のバグラン州とタカール州の州知事に、マウルヴィ・ジアウルハク・ハキヤルとサイード・イクラムディン・マソミを指名した。

・2月10日:カルザイ大統領はタリバンの兵士300人以上を解放し、別の仕事を探すよう促した。

・2月19日:米国防総省はカルザイ大統領率いるアフガン新政権に反対し、アフガニスタン民兵に対する空爆を命じた。米軍の作戦はタリバンとアルカイダに焦点を合わせていたが、この空爆で戦略が変わったことが示された。

・2月24日:ハミド・カルザイ大統領がイランのモハンマド・ハタミ大統領と会談し、アフガニスタン難民の将来を含む地域問題について意見を交換した。イランは5年間で5億6,000万ドルの復興支援を約束した。

・2月25日:新アフガニスタン軍の最初の部隊が首都カブールで訓練を開始した。米軍はアフガン軍の創設を支援していた。

・3月2日:第3特殊部隊の米陸軍准尉スタンリー・ハリマンと2人のアフガニスタン人が味方のガンシップに射殺された。ガンシップはハリマン准尉たちを敵兵と勘違いした。

・3月3日:アナコンダ作戦中に米軍のヘリコプターが撃墜され、米兵7人が死亡した。

・3月21日:ユニセフは「学校再開プロジェクト」に基づき、女子学生を含む多くの学生、学校、教師に多くの支援を提供した。

・3月28日:国連安全保障理事会はアフガニスタンにおける1年間の国連支援ミッションの創設を可決した。

・4月2日:パキスタンのムシャラフ大統領がカブールを訪問し、ハミド・カルザイ大統領と会談した。二人は両国の関係を修復し、アフガニスタンの回復を促進することに合意した。パキスタンの大統領がアフガニスタンを訪問したのは30年以上ぶりだった。

・4月13日:米軍のパトロール部隊がイスラム過激派組織の攻撃を受け、5人が死亡した。

・5月20日:日本はアフガニスタンとその周辺地域におけるアメリカ主導のテロ対策作戦への後方支援を6か月延長した。

・7月1日:ウルズガン州中部で米軍の爆撃機がアルカイダとタリバンの拠点とされる複合施設と村を攻撃した。アメリカは攻撃の正当性を主張したが、アフガニスタンは結婚披露宴に参加していた民間人48人が死亡し、117人が負傷したと発表した。

・8月7日:アルカイダの戦闘員がカブール南部郊外のアフガン軍基地を攻撃。少なくとも15人が死亡した。

・8月9日:都市ジャララバードの建設会社の倉庫近くで自動車爆弾が爆発し、25人が死亡、80人が負傷した。

・9月5日:カブールの市街地で自動車爆弾が爆発し、民間人30人以上が死亡した。

・10月28日:イラン政府は、ヘルマンド川から1秒あたり少なくとも26㎥の水をイランに提供すると約束した1972年の合意を尊重するようアフガニスタン政府に要求した。

・10月30日:アフガニスタンの国連使節であるラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会の演説で、「ハミド・カルザイ大統領率いる新アフガニスタン政府には、安全保障上の脅威を引き起こす根本的な問題に対処する手段や能力がない」と語った。

・11月10日:アフガニスタンに対する国際的な支援の一環として、高速道路の再建作業が始まった。

・11月11日:カブールで暴力的なデモが発生し、学生500人以上と治安当局が衝突した。学生たちは寮の食料不足と停電に抗議した。この衝突で学生4人が死亡し、数十人が負傷した。

・11月14日:カンダハール州とパキスタンのスピンボルダックを結ぶ高速道路の建設が始まった。

・11月28日:国連の管理下に置かれている軍縮委員会は、11月10日の軍縮計画開始以来、アフガニスタン北東部で6,000を超える小型武器と戦車30両を押収したと発表した。

・11月30日:アフガニスタンのアブドラ外相とロシアのイワノフ外相がモスクワで会談。両者は安全保障問題に焦点を当てた。

・12月10日:カブール北部の基地にあるアメリカの仮設刑務所で2人目の囚人が死亡した。(最初の囚人は12月3日に死亡)

2003年

・3月2日:ドイツはアフガニスタンからエリートKSK対テロ部隊を撤退させた。

・3月5日:米軍とイタリア軍の当局者は、アフガニスタン東部に配備された米兵約500人がイタリア兵に置きかわると発表した。

・3月8日:首都カブールのラジオ局が女性を意識したラジオプログラムの放送を開始した。

・3月9日:カルザイ大統領は声明で、「イラク戦争の回避を望んでいる」と述べた。

・3月13日:カルザイ大統領はアフガニスタンへの援助を増やすよう国際社会に呼びかけた。2002年の援助額は推定45億ドルほどだったが、政府は少なくとも150億ドルから200億ドルは必要と訴えた。

・3月19日:約200人で構成される米第82空挺師団が、カナダハール州の東約100kmに位置するサミガル山脈でヴァリアントストライク作戦を開始した。標的はウサーマ・ビン・ラーディンとアルカイダのメンバーだった。

・3月20日:イラク戦争始まる。アフガニスタンの国連事務所と大使館は、米軍のイラク侵攻を受け、安全保障上の懸念を理由に閉鎖された。

・3月21日:アフガニスタン政府はイラク戦争の即時終結をサダム・フセインに求めた。

・3月25日:サミガル山脈のヴァリアントストライク作戦を主導した米兵は4人の反政府勢力容疑者を捕らえ、武器を押収した。

・3月26日:日本政府はアフガニスタンに約2,000万ドルを寄付すると発表した。

・3月30日:アフガニスタン議会は憲法の草案をカルザイ大統領に提出した。

・4月15日:ユニセフは5歳未満の全ての指導を対象とするポリオワクチンキャンペーンを開始した。

・4月16日:北大西洋条約機構(NATO)は8月にアフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)の指揮を執ることに合意した。

・4月22日:カルザイ大統領を含むアフガニスタン政府高官がパキスタンのイスラマバードを訪問し、国境紛争、テロ、貿易、囚人の交換にパキスタン政府と協議した。

・4月29日:ベルギーの裁判所は、2001年9月9日に発生したアフガニスタン北部同盟の指導者アフマド・シャーマ・スード殺害事件の容疑者12人の裁判を開始した。

・4月30日:パキスタン当局はカラチでアルカイダの容疑者6人を逮捕したと発表した。

・5月1日:ドナルド・ラムズフェルド米国防長官がアフガニスタンを訪問。カブールでカルザイ大統領と会談した。

・5月7日: 国連のアフガニスタン特別代表ラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会に対し、「支援団体と支援労働者に対する反政府勢力の攻撃はアフガニスタンの将来に深刻な脅威をもたらす」と警告した。

・5月14日:イラン政府はアフガニスタンのバルフ州とヘラート州にある空港の再建を支援する協定に署名した。

・5月16日:アジア開発銀行はアフガニスタンの復興を支援する資金5億ドルを割り当てたと発表した。

・5月18日:アフガニスタン政府は2008年までに50,000人の国家警察と12,000人の国境警備隊を創設する訓練プログラムを開始した。

・6月5日:カルザイ大統領がイギリスを訪問。トニー・ブレア首相と会談した。

・6月6日:カルザイ大統領とエリザベス2世女王が会談。カルザイ大統領に名誉ナイト爵位を授与した。

・6月7日:カブールで爆発物を積んだタクシーがドイツのISAF職員を乗せたバスに衝突。ドイツ人4人が死亡し、20人以上が負傷した。

・6月18日:カルザイ大統領がイランを公式訪問した。

・6月25日:パクティア州の州都ガルデーズ近郊で米軍部隊が攻撃を受け、一等兵曹のトーマス・レッツァーが死亡し、数人が負傷した。

・6月27日:サマンガーン州の3つの村でタジク派とウズベク派が衝突、数十人が負傷した。

・6月28日:パクティカ州オルグンにある米軍基地の近くで車両が横転し、米兵1人が死亡した。

・6月29日:国際オリンピック委員会(IOC)はアフガニスタン代表の2004年アテネ五輪の出場を許可した。

・7月2日:アフガニスタン政府の支援に入った援軍約700人がアタガル山脈周辺で約60人のジハード勢力と激突。

・7月4日:トルクメニスタン政府はパキスタンとアフガニスタンに対し、世界で5番目に大きいガス田であるダウラタバードのアフガニスタン横断パイプラインの使用を保証した。

・7月7日:ニュージーランドのマーク・バートン国防相はNZL軍の兵士をアフガニスタンに12カ月間派遣すると発表した。部隊はセキュリティ環境の強化と復興に向けた活動を支援することになった。

・7月8日:パキスタン軍のアフガニスタン領土への侵入に抗議するデモ(2日目)が本格化し、500人近くが首都カブールにあるパキスタン大使館を攻撃した。大使館の2階オフィス、大使館の車の窓、テレビ、コンピュータ、建物の窓などが破壊された。

・7月10日:カンダハール州で爆弾の材料を大量に所持していた男が逮捕された。男はタリバンの元高官の兄弟と伝えられている。

・7月11日:パキスタン政府は8日に発生したアフガニスタンの大使館への攻撃を調停する国連の仲介を拒否した。

・7月12日:アフガニスタンのモハマド・カシム・ファヒム国防相は、ロシアの首都モスクワでウラジーミル・プーチン大統領と会談した。プーチン大統領はアフガニスタンの安定の重要性を再確認し、アフガン政府へのさらなる援助を約束した。

・7月14日:アフガニスタンのアブドラ・アブドラ外相がワシントンD.C.でコリン・パウエル国務長官と会談。

・7月16日:アフガニスタの兵士と警察約400人は、タリバンの戦闘員を匿ったとされるカンダハール州ゴラック地区の民家を捜索した。

・7月21日:カブールのパキスタン大使館が約2週間ぶりに再開。

・7月22日:ジャララバードで大規模な火災が発生し、地域の店舗や民家100戸以上が焼失した。

・7月24日:ベルギーのブリュッセルにあるサントクロワ教会でアフガニスタン難民200人以上がハンガーストライキを開始。難民たちはアフガニスタンに送還されるぐらいなら死ぬと主張した。

・7月27日:電気通信開発会社アフガニスタンは住民への無線電話サービスの提供を開始し、国営企業(アフガニスタン無線通信)の独占を打ち負かした。

・7月29日:国連難民高等弁務官(UNHCR)は、30万人以上のアフガニスタン難民が2003年に帰国したと発表した。

・7月31日:EUはアフガニスタン復興のために7,950万ユーロを寄付すると発表した。

・8月2日:アフガニスタン軍はジョージアン州の民兵数千人を武装解除するための作戦を開始した。

・8月3日:国連のアフガニスタン特使ラクダール・ブラヒミが、6人の委員で構成されるアフガニスタン選挙委員会と初めて会談した。

・8月6日:ヨーロッパからアフガニスタンへの直行便(民間旅客機)が首都カブールの空港に到着した。ヨーロッパからの直行便の運用はソビエトのアフガニスタン侵攻以来停止されていた。

・8月8日:武装勢力がクナル州東部アサダバードにある米軍基地にロケット弾を2発発射、死傷者や被害の報告はなかった。

・8月12日:カルザイ大統領は、親アフガニスタンの聖職者を殺害したタリバンの戦闘員を処刑すると誓った。

・8月13日:ヘルマンド州で運行中のバスが爆弾テロの標的になり、子供8人を含む17人が死亡した。

・8月17日: 200人以上の武装勢力がパキスタンから国境を越え、パクティカ州バーマル地区の警察署を襲撃。警察官8人を殺害した。アフガニスタン軍は武装勢力5人を殺害したが、その他は逃亡を許した。

・8月20日:ジャララバードに国内初のアフガン軍リクルートセンターがオープン。

・8月26日:米空軍はザーブル州のタリバン拠点を空爆し、少なくとも20人を殺害した。

・8月27日:武装勢力がパクティカ州の村シキンの近くに駐留していた連合軍を攻撃。

・8月28日:米空軍はザーブル州のタリバン拠点を戦闘機とヘリコプターで爆撃し、少なくとも40人を殺害した。

・8月31日:パクティア州で米軍と武装勢力が衝突。米兵2人と武装勢力の戦闘員4人が死亡した。

・9月2日:国連が平和維持ミッションの任務拡大を決議。ドイツ政府もアフガニスタンでの平和維持ミッションをカブール外に拡大することに合意した。

・9月5日:カナダのビル・グラハム外相とカルザイ大統領がカブールで会談。グラハム外相はカブールにカナダ大使館を開設(1979年のソビエト戦争以来閉鎖されていた)し、アフガニスタンの繊維製品の関税を引き下げる協定に署名した。

・9月7日:米国議会はアフガニスタンの活動予算(復興予算含む)に8億ドルを割り当てた。

・9月9日: 2001年に暗殺された北部同盟のアフマド・シャー・マスードを称える集会が開催され、10,000人以上が参加した。

・9月13日:イランとアフガニスタンが税関の協力を推進する覚書に署名した。

・9月14日:アフガニスタン政府は40万人以上の新たな雇用を見込む45億ドル相当の投資プロジェクトを承認したと発表した。

・9月23日:ジョージW.ブッシュ大統領が国連総会でアフガニスタンに関する演説を行った。

・9月24日:カルザイ大統領が国連総会で演説し、アフガニスタンへの広範な軍事的プレゼンスとカブール外への平和維持ミッションの拡大を求めた。

・9月30日: アフガニスタン中央銀行は、国民は米ドルやパキスタンルピーではなく、アフガニスタンの通貨を日常的に使用すべきであると発表した。

・10月2日:カブールで地雷が爆発。平和維持ミッションに参加していたカナダ兵2人が死亡し、3人が負傷した。

・10月4日:カブールのバグラム空軍基地近くで、クラスター爆弾解体中に爆発が発生。少なくとも6人が死亡し、7人が負傷した。

・10月5日:カルザイ大統領は2004年6月に政権奪取以来初の選挙を行うと提案した。

・10月10日:タリバンのメンバーを含む就任約40人が、カンダハール州の刑務所から脱獄した。

・10月11日:カルザイ大統領はクンドゥズ州の民兵の武装解除などを目的とした日本主導のプロジェクト(推定2億ドル)を承認した。

・10月13日:国連安全保障理事会は平和維持ミッションのカブール外への拡大を全会一致で承認した。

・10月20日:カブールの国連事務所近くで解雇されたアフガン兵数百人が抗議デモを行った。兵士たちは国防省の改革中に職を失ったと主張し、再雇用を要求した。

・10月21日:アフガニスタン政府はタリバンの元高官ワキル・アフマド・ムタワキルがバグラム空軍基地での拘留から解放されたと発表した。

・10月23日:反政府勢力がサマンガーン州ハイバクに向かっていたピックアップトラックにロケット弾を発射し、子供2人を含む10人が死亡した。

・10月24日:ドイツ議会はドイツ軍をアフガニスタンのクンドゥズ州に派遣すること法案を可決した。

・10月27日:パキスタン軍はアフガニスタンとの国境沿いに100以上の検問所を設置し、テロリストの入国を厳しく取り締まるパトロールを開始したと発表した。

・10月28日:国連難民高等弁務官はアフガニスタンに戻った国外避難民の数を発表した。インドから帰国した難民は約60万人、パキスタンは190万人を突破した。

・11月2日:15人の国連安全保障理事会メンバーの代表団を乗せた軍用機がパキスタンのイスラマバードからカブールの空港に到着した。

・11月12日:新しいテレビ局アイナがシェベルガーンからテスト放送を開始した。このチャンネルは、1日6時間放送され、300km圏内をカバーし、文化、社会、娯楽、政治、スポーツの番組をダリ語、パシュトゥー語、ウズベク語、トルクメン語で放送した。

・11月15日:米国の軍用機がパクティカ州バーマル地区を空爆、民間人6人が死亡した。

・11月16日:ガズニー州で国連難民高等弁務官の職員1人が殺害された。

・11月17日:国連は前日にガズニー州で国連難民高等弁務官の職員1人が殺害されたことを受けて、アフガニスタン南部と東部での活動を停止した。

・11月18日:アルカイダが自爆攻撃を開始する可能性があるとの警告を受けて、韓国はカブールの大使館を一時的に閉鎖し、外交官3人はパキスタンに避難した。韓国はアフガニスタンに兵士200人を派遣していた。

・11月27日: 米国上院議員のヒラリー・クリントンとジャック・リードがアフガニスタンで感謝祭を過ごした。

・11月29日:カルザイ大統領と米国中央軍のジョン・アビザイド将軍が会談。パキスタンから侵入する反政府勢力の取り締まりなどについて協議した。

・12月5日:カブールにあるトルコの建設会社の事務所に反政府勢力が乱入し、トルコ人2人とアフガニスタン人1人を誘拐した。3人は8日に解放された。

・12月6日:米軍はアフガニスタン東部と南部でアバランチ作戦(地上戦)を開始した。4つの歩兵大隊とアフガニスタン国軍および民兵からなる兵士2,000人以上が関与した。

・12月9日: ユニセフが2003年最後のポリオワクチン接種キャンペーンを開始した。19州で25,000人以上のボランティアが参加し、5歳未満の340万人にポリオワクチンが投与された。

・12月17日:カルザイ大統領は新憲法の策定の中で大統領の権限の見直し(強化)を求めたが、北部同盟の支持者たちはこれに強く反対した。

・12月18日:新憲法策定に伴い大統領権限の強化を求めたカルザイ大統領に対する広範な抗議デモが各地で開催された。

・12月27日:コーストの近くで反政府勢力がアフガニスタンの諜報員を襲撃。上級諜報員1人が死亡し、同僚2人が負傷した。

2004年

・1月4日:ロヤ・ジルガ(新憲法を審査する502人の委員)は、提案された憲法草案を採択した。

・1月6日:カンダハール州の軍事基地近くでリンゴのカートに隠された時限爆弾が爆発し、子供6人を含む少なくとも16人が死亡し、50人以上が負傷した。

・1月9日:パキスタンの南ワジリスタンにある軍キャンプにロケット弾が着弾し、パキスタン兵4人が死亡した。

・1月10日:カルザイ大統領は6月に行われる大統領選に立候補すると発表した。

・1月15日:アフガニスタンの国連特使ラクダール・ブラヒミは国連安全保障理事会に、政府とタリバンを含むジハード勢力との和平プロセスは全く進行しておらず、6月に予定されている大統領選を行うことは非現実的と警告した。

・1月17日:反政府勢力がカンダハール州でアフガニスタン軍の小隊を襲撃。反政府勢力の戦闘員3人と国軍兵士2人が死亡した。

・1月22日:カナダ兵100人がカブールに到着。6カ月間の平和維持ミッションを開始した。

・1月23日:イランは逮捕したアルカイダの容疑者12人を裁判にかけると発表した。

・1月26日:アフガニスタン保健省はユニセフと世界保健機関(WHO)の支援を受けて、5歳以下の児童約500万人を対象とする3日間の予防接種プログラムを開始した。

・1月27日:カナダの兵士ジェイミー・ブレンダン・マーフィーとアフガニスタンの民間人1人がカブールの自爆テロで死亡。カナダ兵3人と民間人9人が負傷した。

・1月28日:カブールで自動車爆弾が爆発。イギリス兵1人が死亡し、タリバンが犯行声明を発表した。

・1月29日:ガズニの軍事基地近くで爆発が発生、米兵8人が死亡し、少なくとも3人が負傷した。爆発はブービートラップによって引き起こされた可能性がある。

・2月2日:ホワイトハウスは教育、健康、インフラストラクチャ、およびアフガニスタン国軍への支援に焦点を当てた2005年の予算案を議会に提出した。なお、米軍作戦の新たな資金は含まれていなかった。

・2月7日:ミロス・クルスマノビッチ率いるアフガニスタン軍縮・復員・再統合プログラムは、約2,000人の民兵の武装解除を目的とする北部の軍縮作戦を開始した。

・2月8日:アフガニスタンの地域の代表200人以上がカブールに集まり、国内の麻薬対策を協議する国際会議に出席した。

・2月9日:NATOのヤープ・デ・フープ・シェファー事務局長がカブールを訪問し、カルザイ大統領と会談した。

・2月12日:パキスタンのペルベス・ムシャラフ大統領は、アフガニスタンで繰り広げられているテロは「パキスタン国内に逃げ込んだ」タリバンを含むジハード勢力の犯行と公の場で初めて認めた

・2月18日:タリバンの指導者ムラー・ダドゥラーは、6月に予定されている選挙に投票しないよう国民に警告した。

・2月27日:アフガニスタンはNATO、世界銀行、および国際民間航空機関からカブール国際空港の修理と更新のための援助(推定5,000万ドル)を受けることに合意した。

・2月28日:パキスタン軍は国境検問所を突っ切ろうとしたミニバスに発砲し、アフガニスタン人11人を射殺した。パキスタン当局は、ミニバスが最初に発砲したと主張した。

・3月3日:中国はカブールの中国大使館で、主要な灌漑(かんがい)再建プロジェクトへの支援を約束する契約に署名した。

・3月4日:反政府勢力はカンダハール州のアフガニスタン兵7人を殺害した。

・3月5日:米軍主導の連合軍はパキスタンとの国境近くに位置するオルガン近郊で反政府勢力の戦闘員9人を殺害した。

・3月7日:アフガニスタン政府はハジ・ムハンマド・モハキク計画大臣が大臣を辞任したと発表した。モハキクはカルザイ大統領の2004年6月の大統領選出馬に反対していた。

・3月9日:アフガニスタンのモハマド・ファヒム・カーン副首相兼国防相はトルコを訪れ、ベクディ・ゴヌル国防相と会談した。

・3月13日:反政府勢力がカンダハール州の政府機関を攻撃。アフガン兵1人と反政府勢力の戦闘員3人が死亡した。

・3月16日:パキスタン軍はアフガニスタンの国境に近い南ワジリスタンの山岳地帯でアルカイダに対する軍事作戦を開始した。戦闘の結果、パキスタン兵15人が死亡、22人が負傷、アルカイダと思われる反政府勢力の戦闘員24人が死亡した。

・3月17日:コリン・パウエル米国務長官がカブールを訪問し、カルザイ大統領と6月の選挙について協議した。

・3月19日:米軍がアフガニスタンのチャルチェノ地区の村を空爆、民間人6人が死亡し、7人が負傷した。

・3月20日:タリバンは3週間前に誘拐したトルコの高速道路技術者を殺害すると政府を脅迫し、ベティナ・ゴイスラード殺害で死刑を宣告されたタリバン兵2人を釈放するよう要求した。

・3月21日:アフガニスタンのミルワイス・サディク民間航空大臣は、ヘラート州を訪問中にロケット弾攻撃を受け死亡した。

・3月26日:国連安全保障理事会はアフガニスタンの国連支援ミッションをさらに1年延長する決議1536を満場一致で可決した。

・3月28日:カルザイ大統領は6月に予定されていた国政選挙を9月まで延期すると発表した。

・3月31日:米海兵隊の追加要員2,000人がアフガニスタンに到着。

・4月12日:イタリアのヴェローナでサッカーアフガニスタン代表の選手9人が亡命を求めてドイツとオランダに逃亡した。

・4月14日:タリバンはザブール州メザナ地区の高官と関係者数人を待ち伏せし、射殺した。

・4月16日:ナンガルハール州政府は、女性のテレビとラジオへの出演を禁じた。

・4月22日:ナンガルハール州政府はカルザイ大統領の圧力を受け、女性のテレビとラジオへの出演禁止命令を解除した。

・4月25日:カルザイ大統領がカンダハール州を約1年半ぶりに訪問。途中、手榴弾を持った男が逮捕された。

・4月30日:反政府勢力がカンダハール州パンジャウイ地区のアフガン軍を襲撃、兵士5人が死亡した。

・5月3日:カンダハール州を含む各地でアフガン兵20人以上の死亡が確認された。

・5月7日:カンダハール州の北に位置するシャーワリコット地区のビルをタリバンが襲撃。アフガン兵2人が死亡、6人が負傷した。

・5月15日:反政府勢力がヘルマンド州ギリシュク近郊で連合軍のパトロール部隊を襲撃。米兵1人が死亡し、2人が負傷した。

・5月18日:カタールのドーハで、アフガニスタン警察への財政、技術、人事関連の援助について話し合う2日間の国際フォーラムが開催された。

・5月21日:米軍ガンシップはホースト州タニ村を夜明け前に銃撃し、民間人3人を殺害した。

・5月26日:カルザイ大統領は、大統領選挙と議会選挙の公平および公正を保障する選挙法を制定した。

・6月2日:反政府勢力はバギス州カーナの近くで国境なき医師団の関係者を含む数人を殺害した。

・6月3日:国境なき医師団がアフガニスタンでの活動を中断。

・6月8日:米軍主導の連合軍とアフガン軍はザブール州デイチョッパン地区での1週間にわたる作戦を完了した。連合軍は反政府勢力の戦闘員73人を殺害し、少なくとも13人を拘束した。

・6月9日:中国の支援チームの職員11人がクンドゥズ州で武装した男たちに襲われ、殺害された。タリバンの報道官は関与を否定した。

・6月15日:カルザイ大統領が米国下院議会で演説、ジョージW.ブッシュ大統領とも会談した。

・6月18日:反政府勢力は中部地域でアフガニスタン人の通訳を殺害、米兵2人ニュージーランド兵2人が負傷した。

・6月24日:反政府勢力はクナル州で、米海兵隊員2人を殺害した。

・6月25日:反政府勢力はウルズガン州でバスの乗客16人を誘拐し、その後殺害した。

・6月26日:ジャララバードからシンワル地区に向かっていたミニバスに仕掛けられた爆弾が爆発し、国連職員2人が死亡した。

・7月4日:カルザイ大統領は米ペンシルベニア州フィラデルフィアの式典でフィラデルフィア自由メダルを授与された。

・7月6日:カルザイ大統領と国連が後援する選挙委員会のメンバーがカブールで会合。

・7月9日:アフガニスタン合同選挙管理機関は大統領選挙を10月9日、議会選挙を2005年春に行うと発表した。

・7月11日:ヘラート州の市街地で爆弾が爆発、6人が死亡、34人が負傷した。

・7月21日:反政府勢力はヘルマンド州でアフガン警察の警備員11人を殺害した。

・7月22日:反政府勢力はヘルマンド州でアフガン警察の治安部長と関係者10人を殺害した。

・7月27日:カルザイ大統領は10月9日の大統領選挙への立候補を正式に宣言した。

・7月28日:ガズニ州のモスクで爆弾が爆発、国連職員2人を含む6人が死亡した。

・8月1日:米軍とアフガニスタン国軍はホースト州ザワラ近郊で反政府勢力との戦闘を開始した。

・8月10日:アフガニスタンの選挙当局は、10月7日の大統領選挙への立候補を承認された候補者リストを公表した。

・8月12日:米軍のブラックホークがホースト州で墜落し、少なくとも兵士1人が死亡、14人が負傷した。

・8月17日:国連のコフィ・アナン事務総長は、アフガニスタンの国民990万人以上が選挙投票登録を終えたと国連安全保障理事会に報告した。

・8月23日:カルザイ大統領がパキスタンを訪問、ペルベス・ムシャラフ大統領と会談した。

・9月1日:アジア開発銀行は今後3年間で6億ドルをアフガニスタンに提供すると約束した。

・9月11日:ヘラート州のイスマーイール・ハーン州知事の解任に抗議する市民数十人がハーン州知事の自宅前に集まり、米軍とアフガニスタン軍に石を投げつけた。一連の抗議で2人が死亡、4人が負傷し、4人が逮捕された。

・9月12日:ヘラート州のイスマイル・カーン州知事の解任に抗議する市民数百人が国連事務所を襲撃し、少なくとも7人が死亡、数十人が負傷した。米特殊部隊はヘラート州から撤退した。

・9月21日:カルザイ大統領がニューヨークの国連総会の開会式に出席した。

・9月26日:イランは3月20日以来、3万人以上のアフガニスタン難民がイスファハン市を離れてアフガニスタンに帰国したと発表した。

・9月28日:大統領選挙に立候補したアブドゥル・ラシッド・ドスタム将軍がシベルガンで集会を開き、選挙運動の問題について指摘した。

・10月7日:ロシア政府とフランス政府はアフガニスタンへの軍事輸送に関する協定に署名した。

・10月9日:アフガニスタン史上初の直接大統領選挙が行われ、ハミド・カルザイが大統領に選出された。

2005年

・2月:米議会代表団がアフガニスタンを訪問。共和党のジョン・マケイン上院議員(共和党)は、アフガニスタンに恒久的な米軍基地の建設するよう呼びかけた。

・3月:アメリカのリチャード・マイヤーズ統合参謀本部議長は、アフガニスタン国内に恒久的な米軍の軍事基地を建設できるかどうかを検討していると語った。

・3月末:米軍はアフガニスタンの2つの主要な空軍基地(カブールの北にあるバグラム空軍基地と南のカンダハール飛行場)に8,300万ドルを費やしたと発表した。

・4月:ドナルド・ラムズフェルド国防長官がカブールを訪問し、カルザイ大統領と会談した。両代表はアフガニスタンに米軍の恒久的な軍事基地を建設する可能性について示唆した。

・6月28日:レッドウィング作戦により、米兵19人と多くのタリバン戦闘員が死亡した。マーク・ウォールバーグ主演の映画ローン・サバイバー(2013)はレッド・ウィング作戦に基づいている。

・9月18日:33年ぶりの直接議会選挙。女性は議席の約28%を獲得した。投票率は約50%と推定され、2004年10月の大統領選挙よりもはるかに低かった。

2006年

・1月13日:中央情報局(CIA)がパキスタンの村ダマドラを空爆、少なくとも18人が死亡した。標的はアルカイダの次期指揮官と言われていたアイマン・ザワーヒリだったと伝えられているが、アメリカとパキスタンの当局者は地元の住民だけが死亡したことをその後認めた。

・2月1日:アフガニスタンと国際社会の今後5年間の枠組みであるアフガニスタン・コンパクトが策定された。

・3月6日:パキスタンのムシャラフ大統領は米ブッシュ大統領との首脳会談の中で、パキスタンからアフガニスタンに入国を試みる反政府勢力の戦闘員30,000人以上に対処しなければならないと説明した。また、国境周辺の国連平和維持軍とアフガニスタン軍が協力したとしても、パキスタンの国境付近にはそれをはるかに上回る武装勢力が潜伏していると警告した。

・3月29日:タリバンの戦闘員がNATO基地を襲撃し、アフガン兵8人、米兵1人、カナダ兵1人が死亡した。米軍の爆撃機はタリバン戦闘員の陣地を空爆し、少なくとも32人が死亡した。

・4月下旬:オランダ・AUS・アフガン連合部隊がタリバンの拠点に対する攻撃を開始。戦闘は7月16日まで続き、タリバンの戦闘員300人以上が死亡した。連合部隊ではオランダ兵1人が死亡、13人が負傷した。

・5月15日:タリバン崩壊以来最大の攻撃であるマウンテンスラスト作戦が始まる。

<マウンテンスラスト作戦の死亡者>
アフガン軍 107人
米軍 24人
英軍 6人
カナダ軍 4人
仏軍 2人
ルーマニア軍 1人
タリバン 1,134人

・5月29日:米軍車両の交通事故に反発する暴動が発生。アフガニスタン政府の推定によると、約20人が死亡したという。

・6月27日:連合軍はサンギン郊外の複合施設に潜伏しているタリバン指導者4人を拘束するイロイス作戦を実施した。戦闘の結果、タリバン指導者4人のうち2人は射殺され、残り2人は混乱に紛れて逃走した。

・7月:カナダ主導の連合部隊とパンジャウイ地区のタリバン戦闘員が衝突。戦闘は7月の第1フェーズと9月から10月の第2フェーズに分けられる。

<パンジャウイの戦いの死亡者>
カナダ軍 16人
米軍 2人
タリバン 1,000人以上

・9月2日:カナダ主導の連合部隊がメドゥーサ作戦を開始。戦闘は9月17日まで続き、その後のファルコンサミット作戦につながった。

<メドゥーサ作戦の死亡者>
英軍 14人
カナダ軍 12人
アフガン軍 3人
仏軍 1人
米軍 1人
タリバン 512人

・9月16日:NATO主導のマウンテンフューリー作戦が始まる。戦闘は2007年1月17日まで続き、連合部隊は東部州からタリバンの反乱軍を一掃した。学校、医療施設、裁判所などの復興プロジェクトを対象の州で実施することが目的。

<マウンテンフューリー作戦の死亡者>
NATO軍 107人
タリバン 1,131人

・10月:ドイツ軍の兵士が頭蓋骨にキスをする写真を公開、国際的な批判に直面した。一連のスキャンダルで兵士6人が停職になり、その後、合計23人が調査されていた。

・11月:国連安全保障理事会はタリバンの暴力の増加、違法薬物生産の増加、および脆弱な国家体制により、アフガニスタンは「失敗国家」になる可能性があると警告した。

・12月:カナダ主導の連合部隊が実施したメデューサ作戦で多くの民間人が死亡したことが明らかになった。NATOは10月の空爆で単一の拡大家族20人を含む民間人31人が死亡したと報告した。

2020年3月2日/アフガニスタンのアリンガル地区、タリバンの戦闘員(ゲッティイメージズ/ワリサ・バウン/NurPhoto)
2007年

・1月11日:NATO軍は進行中のマウンテンフューリー作戦で、タリバンの戦闘員150人を殺害した。

・1月31日:イギリス国内でテロを計画していた9人が逮捕された。容疑者たちはトニー・ブレア首相に、アフガニスタンとイラクからイギリス軍を撤退させるよう圧力をかけるつもりだった。

・2月14日:アメリカはタリバンの新たな攻撃に備えるために、第173空挺旅団をアフガニスタンに再配備した。

・2月14日:中国、インド、ロシアの外相がインドのニューデリーで会合し、アフガニスタンのテロ、麻薬密売、戦争に関して話し合った。

・2月18日:アフガニスタン南東部で連合軍のヘリコプターが墜落。米兵8人が死亡し、14人が負傷した。

・2月26日:イギリス政府がアフガニスタンに兵士1,400人を新たに派遣すると発表した。

・3月4日:タリバンはNATO国際治安支援部隊に所属するイギリス兵2人をヘルマンド州で殺害した。

・3月4日:米軍の小隊がジャララバードとパキスタン国境を結ぶ幹線道路で自動車爆弾攻撃に遭遇。米兵は周辺にいた民間人19人を殺害し、50人以上を負傷させた。事件後、アフガニスタン全土で広範な抗議デモが行われ、カルザイ大統領も米軍を批判した。

・3月10日:アメリカのブッシュ大統領は、イラクとアフガニスタンに米兵8,200人以上を追加派遣すると発表した。

・3月19日:タリバンはイタリアの日刊紙ラ・レプッブリカのジャーナリストであるダニエレ・マストロギアコモを解放した。

・3月27日:アメリカの地方裁判所は、イラクとアフガニスタンの元囚人9人が提起したドナルド・ラムズフェルド元国防長官に対する訴えを却下した。元囚人たちは逮捕後、拷問を含む違法な聴取を受けたと主張していた。

・4月3日:アフガニスタンが南アジア地域協力連合(SAARC)に加盟。

・4月8日、南部でタリバンの自動車爆弾が爆発、NATO軍の兵士7人が死亡した。

・4月14日:ホースト州で自爆テロ、民間人8人が死亡した。

・4月16日:北部クンドゥズ州で自爆テロ、アフガン警察の署員少なくとも10人が死亡した。

・4月17日:カンダハール州で自動車爆弾が爆発、ネパールの国連職員4人と運転手が死亡した。

・5月6日-ファラーフ州でタリバンとの衝突で8人のアフガニスタン警察が殺害され、少なくとも17人の武装勢力が殺害または負傷した。

・5月19日:北部クンドゥズ州で自爆テロ、ドイツ兵3人と民間人4人が死亡した。

・5月20日:パクティア州の州都ガルデーズで自爆テロ、民間人10人が死亡、32人が負傷した。

・5月30日:南部ヘルマンド州でNATO軍のミッションに参加していたチヌークヘリコプターが撃墜され、搭乗員7人(米兵5人、カナダ兵1人、イギリス兵1人)全員が死亡した。

・6月17日:連合軍はアルカイダの基地と疑われた施設を空爆し、反政府勢力の戦闘員数人と子供を含む民間人を殺害した。

・6月17日:首都カブールで警察バスが爆破され、少なくとも35人が死亡した。

・6月29日:連合軍は南部ヘルマンド州の村ハイデラバードを空爆し、タリバンの戦闘員35~85人と、子供を含む民間人45~100人を殺害した。

・7月10日:ウルズガン州で自爆テロ、民間人少なくとも17人が死亡し、NATO軍の兵士7人を含む30人が負傷した。

・7月21日:タリバンは誘拐した韓国人18人を殺害すると韓国政府を脅迫し、年末までにアフガニスタンから撤退するよう警告した。

・7月25日:タリバンは誘拐した韓国人23人のうち8人を釈放し、1人を処刑した。

・7月26日:米軍主導の連合部隊がヘルマンド州のタリバン戦闘員50人以上を殺害。

・7月30日:タリバンはアフガン軍に捕らえられた戦闘員の一部を釈放するよう要求した。アフガン当局はこの要求を却下したうえで、誘拐された韓国人を解放する促したが、タリバンは人質を処刑した。

・8月4日:アフガニスタンとパキスタンの国境近くで戦闘が発生。タリバンの戦闘員10人とパキスタン兵4人が死亡した。同日、パキスタン北西部フロンティア州で自殺車爆弾が爆発、6人が死亡した。

・8月5日:カルザイ大統領がアメリカを訪問。キャンプデービッドでブッシュ大統領と会談し、アフガニスタンの治安が悪化していることについて協議した。

・8月7日:バングラデシュの治安当局は、アフガニスタンに向かおうとしていた過激派組織の戦闘員24人をシャージャラル国際空港で逮捕した。

・8月12日:カンダハール州でタリバンとアフガンの治安部隊が衝突。タリバンの戦闘員9人と、警察官5人が死亡した。

・8月14日:タリバンはガルデーズ近くでポーランド兵1人を殺害。

・8月16日:ポーランド軍がナンガルケルの村を襲撃、妊婦と赤ちゃんを含む民間人8人が死亡した。その後、攻撃に関与したポーランド兵7人が戦争犯罪で起訴された。

・8月18日:カンダハール州で自爆テロ、民間人少なくとも15人が死亡した。

・8月28日:カンダハール州で大規模な戦闘が発生。タリバンの戦闘員少なくとも100人が死亡した。連合軍の死者は1人だった。

・9月2日:カンダハール州およびアルガンダーブ地域で激しい戦闘が発生。タリバンの戦闘員数百人が死亡した。

・9月11日:カナダのスティーブン・ハーパー首相は、アフガニスタンへのさらなる軍隊の派遣を却下した。

・9月12日:連合軍はラマダンの初日に合わせて発生したタリバンの攻撃を鎮圧し、戦闘員40人以上を殺害した。

・9月26日:ロバート・ゲーツ米国防長官は、イラク戦争の追加費用1,900億ドルを議会に要求した。

・9月27日:ヴァルダク州で国際赤十字の職員4人が誘拐された。

・10月2日:首都カブールで警察のバスに対する自爆テロ、少なくとも11人が死亡した。

・10月22日:ブッシュ大統領はイラクとアフガニスタンで進行中の戦争の追加予算1,893億ドルを議会に要求した。

・10月27日:米軍主導の連合部隊はヘルマンド州ムーサカラでタリバンの戦闘員80人を殺害した。

・11月6日:アフガニスタン北部で自爆テロが発生。少なくとも35人が死亡し、数十人が負傷した。

・11月10日:東部地域を巡回していたNATO軍が武装勢力の攻撃を受け、米兵6人が死亡した。

・11月12日:米国がヘルマンド州を空爆。武装勢力15人と民間人3人が死亡した。

・11月19日:ニームルーズ州で自爆テロ、知事の息子を含む民間人7人が死亡した。

・11月24日:首都カブールの町パグマンで自爆テロ、子供を含む民間人6人が死亡した。

・12月5日:自爆テロ犯が首都カブールの高速道路を走行していたアフガン軍のミニバスに特攻。アフガン兵6人を含む13人が死亡した。

2008年

・1月14日:タリバンが首都カブールのカブールセレナホテルを襲撃、民間人6人を殺害した。

・1月25日:クナル州のゴワルデシュ渓谷を巡回していたロバート・ジェームズ・ミラー軍曹率いる米軍とアフガン軍の小隊は武装勢力の攻撃に直面し、航空支援を要請した。ミラー軍曹は武装勢力100人以上を待ち伏せし、少なくとも10人を殺害し、米兵7人とアフガン兵15人の撤退をサポートし、死亡した。

・2月17日:カンダハール州で自爆テロ、民間人100人以上が死亡し、数百人が負傷する大惨事になった。タリバンは関与を否定している。

・2月18日:連合軍はタリバンの指導者アブドゥル・マティンと副司令官のひとりを殺害した。

・4月4日:独立国家共同体(CIS)議会のミハイル・クロトフ書記長は、アフガニスタン政府がCISに加盟したいという意向を示したと明らかにした。アフガニスタンは2006年からCIS議会のオブザーバーとして活動していた。

・4月27日:カルザイ大統領は、1992年の軍事パレード中、ムジャヒディンが当時のアフガニスタン共産党政府に発砲した事件に関与したという疑いから正式に逃れた。銃撃戦は15分ほど続き、少なくとも3人が死亡、10人以上が負傷した。

・4月29日:米海兵隊の大隊2,300人はタリバンの拠点のひとつであるヘルマンド州の町ガルムシルを襲撃した。

・5月13〜23日:ノルウェー主導の国連平和維持軍がバギス州で軍事作戦を実施。

・6月10日:米軍がパキスタンの国境の町ゴーラプライを空爆、イスラム過激派組織とつながりのあるパキスタン民兵11人が死亡した。

・6月13日:タリバンがサルポサ刑務所を襲撃し、囚人1,000人以上を解放した。

・6月27日:NATO軍はタリバンの攻撃を主導する計画立案者のひとり、ムラー・サディクラーを殺害した。

7月6日:米軍はナンガルハール州ハスカメイナ地区にある村を空爆し、少なくとも47人を殺害した。アフガニスタン政府は結婚式に出席していた子供を含む民間人47人が死亡したと明らかにしたが、米軍はこの主張を却下した。

・7月7日:首都カブールのインド大使館に爆弾を積み込んだ自動車が突っ込み、インド人4人を含む58人が爆死した。アメリカの諜報当局はパキスタンの諜報機関ISIが攻撃を計画したと示唆したが、パキスタン政府はこの主張を却下した。事件後、タリバンとアルカイダが犯行声明を発表した。

・7月12日:イギリスの特殊部隊がタリバンの主要指導者のひとりを殺害し、ヘルマンド州北部のタリバンの指揮命令系統に大きな影響を与えた。

・7月13日:タリバンの戦闘員がNATO基地を攻撃し、米兵9人を殺害した。その後、英軍の空爆により、ムーサカラ地区周辺でタリバン戦闘員を率いていた指導者アブドゥル・ラサクが死亡した。

・8月19日:タリバンはウズビン渓谷を巡回していたフランス兵10人を殺害した。

・8月22日:米軍主導の連合部隊がヘラート州アジザバード村を空爆、民間人78~92人が死亡した。

・8月27日:イギリス主導の連合部隊がカンダハール州とヘルマンド州のタリバン戦闘員に対するイーグル作戦を開始。攻撃は9月5日まで続いた。

<イーグル作戦の死亡者>
カナダ軍 1人
タリバン 200人以上

・9月3日:米軍の特殊部隊がパキスタンへのアングルエイダを襲撃。タリバンの戦闘員20人が死亡したと伝えられている。

・10月1日:米軍のデービッド・マッキエルナン将軍は、アフガニスタンの状況はさらに悪化する可能性があると警告した。マッキエルナン将軍は、アフガニスタンの国際部隊の戦力は不足しており、タリバンから領土を保持することは難しいと認め、追加の大隊20,000人を要求した。

・10月1日:米軍のドローンがパキスタン北西フロンティア州内の過激派の基地にミサイルを発射した。この攻撃の死者は6人と伝えられている。パキスタン政府は、「米軍は領空を侵犯した」と非難した。

・11月3日:米軍がカンダハール州シャーワリコット地区にあるウェッチバグトゥ村を空爆。結婚披露宴に出席していた子供を含む民間人37人とタリバンの戦闘員26人が死亡した。空爆後、カルザイ大統領はバラク・オバマ大統領に民間人の犠牲者を出さないよう要求した。

・12月11日:イギリス主導の連合部隊がヘルマンド州のタリバンに対するレッドダガー作戦を開始。戦闘は12月16日まで続いた。

<レッドダガー作戦の死亡者>
英軍 5人以上
タリバン 少なくとも100人

・12月19日:オバマ大統領はアフガニスタンに米兵3,000人を追加派遣すると発表した。

・12月30日:パキスタン軍はハイバル峠地域を支配するタリバンに対する攻撃を開始し、敵の物資供給ルートを遮断した。

2009年

・2009年2月6〜7日:英軍とアフガニスタン軍はヘルマンド州サンギン近郊でディーゼル作戦を実施した。

<レッドダガー作戦の死亡者>
タリバン 少なくとも20人

・2月11日:タリバンが首都カブールの政府機関を襲撃、職員と民間人21人が死亡、少なくとも57人が負傷した。

・3月30日:連合軍はヌーリスターン州ドアブのタリバン拠点施設を空爆、少なくとも100人が死亡したと伝えられている。

・5月4日:米軍はファラー州のガラニ村を空爆し、民間人86~147人を殺害した。アフガニスタン政府はこの空爆で子供93人が死亡したと述べたが、正確な死亡者数は分かっていない。

・7月2日:米軍主導の連合部隊はヘルマンド州のタリバンに対するカンジャー作戦を開始した。攻撃は8月20日まで続いた。

<カンジャー作戦の死亡者>
アフガン軍 2人
タリバン 49~62人

・9月:国際安全保障開発評議会はアフガニスタの情勢について、「タリバーンは国土の約80%で恒久的に存在している」と述べた。

・9月4日:NATO軍がタリバンに乗っ取られたクンドゥズ州の2台の燃料タンカーを空爆。タリバンの戦闘員だけでなく、民間人100人以上が死亡した。

・9月9日:英軍の特殊部隊とアフガニスタン軍はクンドゥズ州で捕らえられたジャーナリストのスティーブン・ファレルを救助する作戦を開始した。作戦は成功し、ファレルは救助され、多くのタリバン戦闘員が死亡した。

・10月:米兵の死亡者は10月だけで72人に達し、28日には8人が死亡した。

・12月1日:バラク・オバマ大統領はアフガンの駐留米軍を増強すると発表した。

・12月7日:カルザイ大統領はアフガン軍がタリバンと単独で対峙するには少なくとも5年かかるかもしれないと述べた。また、アフガンの治安当局はさらに15年から20年はアメリカの支援を必要とするだろうと述べ、米軍の駐留延長を促した。

・12月17日:フランス主導の連合部隊がウズビン渓谷のタリバン基地に対するセプテントリオン作戦を開始した。

・12月27日:NATO軍はクナル州ナラン地区のガジカーンゴンディ村を襲撃し、タリバンの戦闘員10人を殺害したと主張したが、その後の調査で犠牲者は地元の学生(12歳~18歳)だったことが明らかになった。アフガニスタン政府は攻撃を厳しく非難し、首都カブールなどで大規模な抗議デモが行われた。

2010年

・1月28日:英ロンドンのランカスターハウスでアフガニスタンに関する国際会議が開催され、70を超える国、国際機関の外相や上級代表が出席した。米英主導の代表団はタリバン政権追放後のアフガニスタンの民主化に向けたペータースベルク協定のさらなる進展について協議した。

・1月下旬:フランスのベルナール・クシュナー外相は、これ以上アフガニスタンに軍隊を派遣しないと述べた。フランス国内ではアフガン戦争に反対する抗議デモが各地で行われていた。

・2月初旬:アフガニスタン軍主導の連合部隊は、ヘルマンド州マルハ村近くのタリバン要塞に対するモシュタラク作戦を開始した。作戦には米兵4,000人を含むNATO軍の大隊が参加し、2001年以来最大の共同作戦になった。作戦は2010年12月7日まで続いた。

<モシュタラク作戦の死亡者>
米軍 45人
英軍 13人
アフガン軍 2人
タリバン 120人以上

・2月12日:米軍のレンジャー部隊はパクティア県カタバ村を襲撃し、タリバンの戦闘員5人を殺害したと主張したが、その後の調査で殺害されたのは乳児と少女を含む5人だったことが明らかになった。

・2月21日:米軍のヘリコプターがウルズガンを走行していたミニバス3台を爆撃。子供1人と女性4人を含む民間人27~33人が死亡した。アフガン政府は攻撃を「不当」と呼び、厳しく非難した。

・3月12日:英陸軍とヘルマンド州のアフガニスタン労働者が建設した道路が運用を開始した。

・4月:首都カブールの北に位置する山岳地帯でM5.3の地震が発生し、少なくとも7人が死亡したことが明らかになった。

・タリバンが国連平和維持軍とNATO軍に対する攻撃を強化。首都カブールのNATO軍小隊に対する自動車爆弾攻撃ではNATO兵6人を含む18人が死亡した。

・6月6日:アフガニスタン諜報機関国家保安局のアムルラ・サレ局長が辞任した。

・6月10日:カンダハール州南部アルガンダブ地区の結婚式場で自爆テロが発生。民間人少なくとも40人が死亡した。アフガニスタン当局はタリバンを非難したが、タリバンは関与を否定した。

・6月23日:米軍のスタンリーA.マクリスタル将軍は、オバマ政権を批判する物議を醸すコメントがローリング・ストーン誌に掲載されたことを受け、辞任した。

・7月20日:首都カブールでアフガニスタンについて協議する国際会議が開催された。70以上のパートナー国、国際および地域組織、金融機関の代表者はアフガニスタンの開発、統治、安定性を改善するための政府主導の計画を審議し、承認した。

・7月23日:NATO軍はヘルマンド州の村サンギンを空爆し、民間人30~50人を殺害した。アフガン軍はその後の調査で、死亡した民間人の大多数は子供と女性だったと明らかにした。

・7月25日:ウィキリークスはアフガニスタン戦争に関連する約9万件の漏洩文書をリリースした。

・8月:アフガニスタンで活動していたキリスト教の慈善団体は、医療援助チームのメンバー10人が殺害されたにもかかわらず、地域から離れるつもりはないと述べ、メンバーたちはイスラム教徒をキリスト教に改宗させるつもりはないと強調した。10人はヌーリスターン州の貧しい村に医療を提供する2週間の任務を終えた後、殺害された。事件後、タリバンは犯行声明を発表し、「外国のスパイはイスラム教徒を改宗させようとしている」と述べた。

・8月:カルザイ大統領の補佐官であり、国家安全保障会議の管理責任者を務めるモハメッド・ジア・サレヒは中央情報局(CIA)に長年携わっていたと報じられた。

・9月18日:アフガニスタン議会選挙。選挙管理当局は10月までに結果を公表すると発表した。

・9月:カンダハール州に焦点を当てた、ハンカリ作戦と呼ばれる米軍とアフガン軍の合同作戦が始まった。

・10月:拘置所でタリバンの囚人が死亡し、その後米兵が拘留された。囚人は銃撃を受け死亡したと伝えられている。

・10月:フランス政府は2011年にアフガニスタンから軍隊を撤退させるという決定とウサーマ・ビン・ラーディンの脅迫(フランス軍への攻撃強化を示唆)は関係ないと主張した。

・11月:ヒラリー・クリントン国務長官はカルザイ大統領がホワイトハウスに米軍の兵力削減を求め、タリバンとの和平交渉が決裂したにもかからず、オバマ政権の戦略を擁護した。

・11月:NATOとカルザイ大統領は会談の中で、2014年までに戦闘作戦を段階的に廃止することに合意した。

・11月14日:NATOの兵士7人が武装勢力の攻撃を受け死亡。

・12月:アフガニスタンの選挙委員会は9月18日の議会選挙の最終集計を承認し、タリバンの影響で住民の大多数が投票できなかったガズニ州の11議席すべてをハザラ少数民族の候補者に与えると発表した。しかし、司法長官は選挙結果を非合法と宣言したうえで、両選挙委員会(アフガンおよび国際)の当局者は賄賂を受け取り選挙結果を不正に操作したと述べ、刑事捜査を開始した。

・12月:バラク・オバマ大統領がアフガニスタンを電撃訪問し、米軍関係者にテロと戦う重要な任務は成功を収めていると語った。オバマ大統領はカルザイ大統領とも会談する予定だったが、悪天候の影響で中止になった。

・12月:米ホワイトハウスがアフガニスタン戦争の戦略的評価を公表。

・12月末:ヘルマンド州サンギン地区で自動車爆弾が爆発。ミニバスに乗っていた民間人少なくとも14人が死亡した。集中

2011年

・1月:アフガニスタンの米軍司令官は、2011年夏までに兵士の総数を削減するという計画が提案されたにもかかわらず、地域の戦闘部隊を維持しなければならないと主張した。

・1月:アルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンはフランスに宛てたメッセージの中で、アフガニスタンに仏軍を駐留させるというサルコジ大統領の決定はフランス人を殺すだろうと脅迫した。

・1月:カルザイ大統領は著名なアフガニスタンの医師とその妻、そして4人の子供が首都カブールのスーパーマーケットに対する自爆テロ攻撃に巻き込まれ死亡したと述べ、全ての犠牲者に哀悼の意を表した。事件後、タリバンは犯行声明を発表した。

・1月26日:アフガニスタン国民議会発足。選出された249人の国会議員の大半は、カルザイ大統領が式典を延期すると決定したにもかかわらずインターコンチネンタルカブール(ホテル)に集まり、議会の発足に関する協議を行った。

・2月:武装勢力が各地でテロを決行。カンダハール州の警察本部に対する自爆テロでは少なくとも19人が死亡し、49人が負傷した。ジャララバードでも自動車爆弾が爆発し、民間人38人が死亡、70人以上が負傷した。

・2月:カルザイ大統領はミュンヘンの国際会議から帰国後、連合軍は州の制度を構築する努力を弱体化させたと主張し、「連合軍は国の治安維持活動をアフガニスタン軍に引き継ぐべき」と述べた。

・2月:国連を含む関係機関と人権団体は、アフガニスタンは深刻な干ばつに直面する可能性があり、それにより数百万人の貧困層が飢え、燃料供給も不安定になると警告した。

・3月:アフガニスタン南東部に駐留する第101空挺師団は、タリバンの武器庫と春の一斉攻撃に向けた準備を阻止する掃討作戦を開始した。

・3月下旬:第2大隊、第327歩兵連隊、そして第101空挺師団はクナル州バラワラカレーバレーで大規模な対タリバン掃討作戦を開始した。

・4月11日:タリバンは連合軍に対する全国規模の攻撃、バドル作戦を開始すると発表した。

・5月1日:米海軍のネイビーシールズは、パキスタン首都イスラマバードから数キロの地点に位置するアボッタバードでアルカイダの指導者ウサーマ・ビン・ラーディンを殺害した。

・5月21日:首都カブールのDaoud Khan軍病院で自爆テロ、6人が死亡、26人が負傷した。

・5月23日:クナル州で路傍爆弾が爆発、米兵4人が死亡し、1人が負傷した。

・5月28日:NATO軍は南部の武装勢力拠点を空爆し、子供12人と女性2人を含む多くの民間人が死亡したと明らかにした。

・6月:アルカイダとタリバンを監視する国連安全保障理事会制裁委員会のリチャード・バレットは、タリバンの戦闘員138人以上をブラックリストから削除するかどうかという提案が安全保障理事会に提示されると述べた。タリバンの和平交渉担当は制裁解除が和解を後押しすると主張した。ブラックリスト入りした個人は国外への旅行を禁じられ、銀行口座は凍結される。

・6月28日:武装勢力ハッカーニネットワークは、西洋人やVIPが頻繁に利用するインターコンチネンタルカブール(ホテル)を襲撃し、少なくとも9人を殺害した。

・7月:世界食糧計画(WFP)はアフガニスタンの国民200〜300万人が干ばつの影響で深刻な飢えに直面し、多くの食糧支援を必要としていると警告した。

・7月:武装勢力は東部と南部の攻撃でNATO軍の兵士4人を殺害、別の攻撃で警察官11人が死亡した。

・7月:NATO軍は各地で自爆テロや襲撃事件が相次いでいるにもかかわらず、北部の都市マザリシャリフの支配権をアフガン軍に移譲した。

・7月17日:武装勢力はカルザイ大統領の特別顧問などを歴任したジャン・モハマド・カーンを襲撃、殺害した。

・8月6日:タリバンはヴァルダク州を飛行していた米軍のヘリコプターにRPGを撃ち込み、米兵30人、民間通訳1人、アフガン兵7人を殺害した。

・8月11日:米軍は6日に撃墜されたヘリコプターの攻撃に対する報復としてタリバンの拠点を空爆、タリバン兵11人が死亡した。一方、南部州で路肩に設置された爆弾が爆発し、国連平和維持活動の兵士5人が死亡しました。

・9月13日:ハンガリーの特殊部隊とアフガニスタン国家警察は、ヴァルダク州メイデンシャー地区の武装勢力に対する作戦を開始した。

・9月13日:タリバンは首都カブールの米国大使館、国連平和維持軍本部、警察署周辺でテロを決行し、民間人11人と警察官4人を殺害。タリバンの戦闘員は10人死亡した。

・10月4日:アフガニスタンとインドは戦略的パートナーシップ協定に署名した。

・10月:アフガニスタン政府は過去10年間で最悪の干ばつに直面していると述べ、国際機関に1億4,200万ドルの支援を要求した。

・10月:国連の報告によると、アフガニスタンのアヘン生産は2011年だけで61%も急増したという。

・10月:タリバンの自爆テロ犯が首都カブールの装甲シャトルバスを襲撃。アメリカ人12人が死亡した。

・10月30日:武装勢力がカンダハール州北部の連合軍基地を襲撃。オーストラリア兵3人とアフガニスタン人通訳1人が射殺された。

・11月:タリバン発祥地であるカンダハール州のアフガニスタン議会議員は、NATO軍から地域の治安責任を引き継ぐ準備はまだできていないと述べた。

・11月:アフガニスタンの近隣諸国は米軍撤退後のアフガニスタンの治安強化を目的とした「ロードマップ」に合意した。13カ国の外相がイスタンブールで採択した宣言は、「米軍は2014年までに完全撤退する」と想定しており、周辺地域の安定を目指す国際的な取り組みの第一歩と見なされた。

・12月6日:武装勢力は首都カブール、カンダハール州、マザリシャリフ州でテロ攻撃を実行し、子供を含むシーア派60人が死亡、推定200人が負傷した。事件後、アルカイダと同盟を結ぶ過激派組織Lashkar-e-Jhangvigが犯行声明を発表した。

・12月:タカール州北部タロカンで自爆テロ。葬儀の会葬者少なくとも10人が爆死した。

・12月:内務省は全国で複数の対テロ作戦を決行し、武装勢力の戦闘員30人を殺害したと発表した。

・12月:カルザイ大統領は、NATO軍主導の襲撃作戦による民間人の犠牲がアメリカとの戦略的パートナーシップに影響を与えていると警告した。

・12月:アフガニスタン政府は、アムダリヤ川流域における石油開発事業で中国石油天然気集団(CNPC)と契約を結んだ。この事業の収益は20年間で数十億ドルと見込まれている。

2012年

・1月3日:カンダハール州で自爆テロ、民間人4人と警察官1人が死亡した。

・1月20日:タリバンは反乱軍の施設と思われる建物に向けて米兵3人が立ち小便している姿をとらえた動画に激怒し、米軍指導部に新たな攻撃を実行すると示唆した。

・1月21日:フランス政府は東部カピサ州に駐留しているグワン部隊のフランス兵4人が殺害され、16人が負傷したことを明らかにした。この攻撃でフランスのアフガン撤退スケジュールは早まり、その後、サルコジ大統領は予定より1年早い2013年にアフガンから撤退する旨をNATOに要請すると発表した。

・1月31日:アフガニスタンのある女性は息子ではなく3人目の娘を生んだことで夫と義母から非難され、その後殺害された。このニュースは全世界に広がり、広範な怒りを引き起こした。

・2月1日:ロンドンタイムズ紙によると、パキスタンの支援を受けるタリバン指導部は、国際軍がアフガニスタンから撤退した後、政権を奪取すると主張したという。

・2月1日:パキスタン空軍はアフガニスタンとの国境近くのオラクザイ管区とクランエージェンシー地域の武装勢力を空爆し、31人を殺害したと発表した。

・2月4日:国連平和維持軍が2011年にアフガニスタン国内で死亡した民間人数を発表。確認された3,021人の大多数は武装勢力に責任があると述べた。

・2月10日:米国防省はアフガニスタンでナチスを連想させるポーズを取った海兵隊狙撃兵を調査し、適切に処理するよう命じた。

・2月21日:アフガニスタン国際治安支援部隊の長であるジョン・R・アレン将軍は、米空軍基地内でコーランが燃やされたという申し立てを調査するよう命じた。

・2月22日:首都カブールのバグラム空軍基地でコーランが燃やされた事件にアフガンの住民数百人が抗議。混乱は地域全体に広がり、カブールの米国大使館は一時的に封鎖された。

・2月23日:タリバンはコーラン燃焼事件で民間人6人が死亡したことを受け、国民に外国軍の基地を攻撃し西洋人を殺すよう命じた。

・2月23日:トルクメニスタンとの国境に設置されたノルウェー軍基地が民間人の攻撃を受ける。兵士の負傷は報告されていない。

・2月24日:コーラン燃焼事件に関連する抗議で少なくとも民間人12人が死亡した。

・2月25日:首都カブールの内務省内で米軍将校2人が殺害された。クンドゥズ州の抗議では民間人4人が死亡した。

・2月26日:フランスとドイツはカブールの内務省内で将校2人が殺害されたことを受け、アフガン政府施設から民間人スタッフを退避させた。

・2月27日:ジャララバードで自動車爆弾が爆発。民間人9人が死亡した。

・3月2日:アフガニスタン全国宗教評議会は、アフガンの女性​​は厳格な行動規範に従うべきとする決議をカルザイ大統領に提出した。決議は女性の権利活動家を激怒させた。(例:女性は学校、市場、オフィスなどで見知らぬ男性と交流してはならず、違反した場合、夫は妻を殴打できる)カルザイ大統領は評議会の決議を承認し、批判を引き起こした。

・3月11日:CNNニュースは、「カンダハール州のアロコザイ族とバラクザイ族の集落で子供9人と女性3人を含む民間人17人が米兵に殺害された」と報じた。国連平和維持軍の司令官ジョン・R・アレン将軍は民間人を狙ったものではないと主張したうえで、「平和維持軍はアフガニスタンの人々のために戦う」と述べた。

・3月11日:カンダハール州の民間人虐殺を受け、アフガン議会は「忍耐力を使い果たした」と述べ、米軍を非難した。カルザイ大統領も民間人への攻撃は許されないと非難し、タリバンは米軍を含むNATO軍に復讐すると誓った。NATO軍は事件を起こした兵士を尋問し、正義を追及すると約束した。

・4月:ファリヤブ州で自爆テロ、民間人12人が死亡し、数十人が負傷した。

・4月11日:カルザイ大統領は2014年の米軍完全撤退を考慮し、大統領選挙を2013年に1年前倒しする可能性があると述べた。

・5月1日:アメリカとアフガニスタンが戦略的パートナーシップ協定に署名。米軍は2014年までアフガニスタンに駐留することが決まった。

・5月13日:アフガニスタン最高平和評議会の主要メンバー1人が暗殺された。

・5月21日:NATOは米シカゴのNATOサミットでアフガンの出口戦略を承認した。これにより大多数の国連平和維持軍は2014年12月末までに撤退することが決まった。

・6月2日:英特殊部隊SASと米デルタフォースがアフガニスタンとタジキスタンの国境近くで共同作成を実施。武装勢力に誘拐された外国人援助スタッフ5人を救出した。

・7月7〜9日:アフガニスタンについて協議する東京会議が開催され、70か国以上が出席した。出席国はアフガニスタンに対する数十億ドルの援助を約束した。

・7月30日:ウルズガン州タリンコットのモスクで爆弾が爆発。モスクの管理者と州の裁判官が死亡し、数名が負傷した。

・8月10日:ヘルマンド州ガルムシル村にあるデリー基地内で生活することを許可されていた青年が銃を乱射し、非武装の米海兵隊員3人が殺害された。

・8月28日:米軍は南部ヘルマンド州でヘルマンドバイパー作戦を開始した。

・9月18日:アフガニスタン軍が対武装勢力作戦を開始。しかし、アフガン軍または警察の格好をした武装勢力戦闘員の反撃を受け、作戦は一時停止した。

・9月20日:米軍は軍需品約23,000品(戦闘機、戦車、ドローンなど)を撤収し、作戦強化前の戦力に戻った。

・10月1日:首都カブール近郊で自爆テロ、NATO軍の兵士3人、アフガニスタンの警察官4人、民間人7人が死亡し、数十人が負傷した。

・10月13日:首都カブール近郊で自爆テロ、米国諜報員2人とアフガン当局者4人が死亡した。

・11月23日:東部地域で自爆テロ、民間人3人が死亡し、NATO軍の兵士を含む90人以上が負傷した。

・12月2日:タリバンが東部のNATO軍基地を襲撃。アフガン兵3人が死亡し、多数のNATO兵が負傷した。

・12月8~9日:米海兵隊はタリバンに誘拐されたラグマン州のアメリカ人医師を救助した。

2013年

・1月6日:国境の町スピンボルダっくで自爆テロ、民間人4人が死亡した。

・1月16日:首都カブールのアフガニスタン国家保安局本部で自爆テロ、警備員が死亡し、17人が負傷した。

・1月26日:クンドゥズ州の市場で自爆、民間人少なくとも10人が死亡し、20人が負傷した。

・1月27日:アフガニスタン国家警察官少なくとも20人が自爆テロで死亡。カンダハール州の攻撃では警察官8人が射殺さ