コラム:自民党が憲法9条の改正にこだわる理由
自民党が憲法9条の改正にこだわる背景は多面的である。
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現状(2026年2月時点)
2026年2月現在、日本の政局は自民党を中心とする改憲推進勢力が衆議院で圧倒的な議席を占め、憲法改正論議が依然として主要な政治課題の一つとなっている。特に憲法第9条については、自民党党是として掲げられてきた「自衛隊を明記する改正」や「緊急事態条項の創設」などが政策的に再浮上している。政府側は「現行憲法が安全保障環境の変化に対応できない」との主張を強め、国民投票を視野に入れた議論が進んでいる。
しかし世論調査では改憲への賛否は拮抗・分断傾向にあり、野党側は立憲主義・恒久平和主義の尊重を訴える。改憲論議は安全保障論・憲法学・政治哲学・国際政治の交差点に位置する複層的な争点として国会内外で継続している。
日本国憲法9条とは
日本国憲法第9条は「戦争の放棄」、「交戦権の否認」、「戦力の不保持」を規定する条文であり、戦後日本の平和主義を象徴する条項の中心である。第1項は日本が戦争を放棄する旨を明言し、第2項は軍隊を保有せず交戦権を認めないことを定めている。この条文は戦後の安全保障政策を規定すると同時に、「侵略戦争の放棄」と平和国家の理念を法的に表明している。そのため解釈や実態との関係について憲法学・政治学の間で長年議論が続いてきた。
一方、政府は1950年代以降、自衛隊の存在を「戦力」に当たらないものとして政府解釈を積み重ね、必要最小限度の自衛力として保持してきた。この解釈は憲法と安全保障政策との関係をめぐる重要な前提である。
自民党が憲法9条改正にこだわる理由
自民党が憲法9条改正を長年にわたり党是として掲げる背景には複数の要因が重層的に絡んでいる。自民党の公式文書や党史は「自主憲法制定」を結党以来の党是と位置づけ、占領下で制定された現行憲法への批判とともに「真の主権国家」の確立を主張している点が根本にある。党公式のQ&Aでも「憲法9条を変えて自衛隊の存在を明文化するため」と明記している。
この理由を具体的に整理すると以下のようになる。
憲法と実態の「乖離」の解消(立憲主義の観点)
憲法9条は戦力不保持を規定する一方で、現実には自衛隊が組織として存在し、国内外での活動を拡大してきた。この憲法と現実の乖離は憲法学的に立憲主義(憲法が国家権力を拘束する最高法規であるという原理)との緊張関係を生んでいる。自民党はこの乖離を「憲法の現状と実態の整合性の欠如」として批判し、改正によって憲法の実効性を高めるべきだと主張する。
批評家の中には、憲法と実務が矛盾する状態が「立憲主義の危機」を招いているとの指摘もあるが、この点は議論が分かれている。
違憲論争の終止符
自衛隊の存在が憲法9条と矛盾しているか否かをめぐる違憲論争は長年続いてきた。政府は自衛隊を「必要最小限度の実力」と解釈することで合憲性を主張してきたが、野党や法律専門家の中には自衛隊そのものが「戦力」であり憲法と抵触するとする立場も存在する。このような論争を収束させ、法律的な基盤を明確化することを自民党は改正の必要性として掲げる。
自衛隊員の誇りと名誉
自民党の改憲論者は、自衛隊が現行憲法下で「違憲」とされてきた歴史的経緯を問題視し、自衛隊員の職務遂行に対する法的尊重と社会的評価を高める意味でも、憲法上に明記すべきだとする主張を繰り返している。これにより、隊員に対する法的保護や国家としての名誉を明確化したいとの意図がある。
安全保障環境の激変への対応(実務的・戦略的観点)
冷戦後の国際環境の変化、特に北朝鮮の核・ミサイル開発の進展や東アジア地域の安全保障環境の不安定化(特に中国との緊張関係の高まり)が、日本の安全政策に新たな課題を投げかけている。このような脅威の増大は自衛隊の役割拡大への要請を強め、憲法上の安全保障規定の見直しを必要とするとの論理を政策立案者に提供している。
グローバルな脅威の増大
テロリズム、地域紛争、サイバー攻撃等、従来とは異なる複合的な安全保障上の脅威の増大は、国家の防衛体制を強化する必要性を生じさせている。自民党はこれを国際標準との整合性の問題としてとらえ、「憲法が時代に即した安全保障環境に対応していない」とする立場を取る。
国際貢献の要請
国際社会における日本の役割に関して、自民党は集団安全保障や国連平和維持活動への積極的参加を想定し、憲法9条の制約がこれを阻害すると見なす。したがって、自衛権の行使を明示的に認めることで、日本の国際的責務を果たせる枠組みを整えるべきだとする主張がある。
「自主憲法制定」という党是(歴史的・イデオロギー的観点)
自民党は結党以来、現行憲法を「占領下で制定された文書」と批判し、自主的に制定された憲法に改めるべきだとする立場を維持してきた。これは国家主権の完成と国民自身による憲法制定の正統性を回復するとの理念に根ざす原則的な立場である。
「押し付け憲法」論
自民党内部には、現行憲法が第二次世界大戦後の占領期に米国主導で作られた「押し付け憲法」であるとの認識がある。これに対し、自民党は日本の歴史・文化・国民意識に即した日本独自の憲法に改めるべきだとするイデオロギー的位置づけをしている。
国家主権の完成
自主憲法制定の主張は、「真の主権国家としての完全な独立」を確立し、日本国民が自らの憲法を制定する主体であるべきだという理念的な基盤を持つ。これにより国家としての一貫性と法的正統性が高まるとの認識がある。
自民党が主張する改正案の構造
自民党が2020年代に提示する憲法改正案は、主に以下の要素で構成されることが多い:
自衛隊の明記:憲法第9条に自衛隊の存在と役割を明記することで法的整合性を図る。
緊急事態条項の創設:大規模災害や有事における政府・国会機能の継続を確保する条項の設置。
その他の補完的項目:地方公共団体との関係、教育の充実など。ただしこれらは憲法改正の必要性との関連性で評価が分かれている。
改正案は「9条1項・2項は維持しつつ自衛隊を明記する」という形式も含むが、これが結果的に戦力の容認につながるとの批判もある。
第2次高市政権(自民・維新)の狙い
2026年2月に発足した第2次高市政権は、自民党と日本維新の会の連立を組み、憲法改正を実現するための政治的条件整備を重視している。連立合意書では9条改正や緊急事態条項の導入が明記されており、改憲推進勢力として議会活動を展開する狙いが鮮明となっている。
高市政権は、自民党結党以来の改憲目標を実現する機会と捉え、国民投票に向けた議論を深化させるとの戦略をとる。
今後の展望
憲法改正は日本の政治史上最も重大な政策課題の一つであり、今後の展開には以下のような要素が関わる:
国民世論の動向:改憲支持・反対の比率や論点の浸透度が引き続き重要である。
政治的合意形成:国会での超多数派の形成と野党との建設的対話が必要である。
国際情勢の変化:地域安全保障環境の変化は改憲論議に新たな材料を提供する可能性がある。
まとめ
自民党が憲法9条の改正にこだわる背景は多面的である。「立憲主義の観点からの実態との整合性」、「違憲論争の終止符」、「安全保障環境の変化」、「国際貢献の枠組み」、「自主憲法制定」という党是としての歴史的理念などが重層的に絡み合っている。改憲案の実現は、政治的条件と国民的合意の双方を必要とし、今後の日本政治の主要な焦点であり続ける。
参考・引用リスト
朝日新聞「自民、衆院憲法審で9条改正訴え」
朝日新聞「憲法9条の最新ニュース」
Le Monde 英語版「Japan's pacifism put to test amid tensions with China」
自民党憲法改正推進本部「自民党QA批判」
自民党「日本国憲法改正草案 Q&A」
自民党公式憲法解説「自衛隊明記」
nippon.com「憲法改正:9条をめぐる論点」
群馬大学リポジトリ「平和主義の法解釈論」
日本弁護士連合会「憲法9条等改正論議に関する意見」
Wikipedia「Constitutional reform in Japan」
戦後日本における「理想(平和主義)」と「現実(自衛力)」の構造的矛盾
日本国憲法第9条をめぐる論争の根底には、戦後日本国家が抱え続けてきた本質的な緊張関係が存在する。それは「恒久平和主義」という理念的規範と、「国家としての自衛能力」という現実的要請の間の矛盾である。
憲法9条は、戦争放棄・戦力不保持という極めて理想主義的な規範を掲げた。これは第二次世界大戦の惨禍への深い反省を背景に、国家権力を拘束する倫理的・法的宣言として位置づけられた。一方、国際政治は依然として無政府状態にあり、主権国家は自己の存立を守る責務を負う。この現実の中で、日本政府は自衛隊という実力組織を保持し続けてきた。
この二重構造は以下のような特徴を持つ。
理念としての絶対的平和主義
実務としての限定的軍事力保持
解釈による制度維持
すなわち、日本は「軍隊を持たない国家」であると同時に、「高度に組織化された自衛力を持つ国家」でもあるという独特の状態に置かれてきた。この状態は、政治的には柔軟性を提供するが、法理論的には持続的な緊張を生み出してきた。
この矛盾は単なる法技術上の問題ではなく、国家アイデンティティそのものに関わる問題である。日本は「非軍事国家」であり続けるのか、「通常の主権国家」としての軍事的性格を明確化するのかという根源的問いが常に潜在している。
「2項を残したまま自衛隊を明記する」案への理論的懸念
自民党が提唱してきた改正案の中でも、「9条2項を維持したまま自衛隊を明記する」という方式は、比較的穏健な折衷案として提示されてきた。しかし、この方式に対しては憲法学的観点から複数の深刻な疑問が提起されている。
解釈論理の整合性問題
9条2項は「戦力の不保持」を規定する条文である。ここに自衛隊を明記する場合、以下の論理的困難が発生する。
自衛隊は「戦力」なのか否か
戦力ではないならば何なのか
戦力概念の再定義は不可避か
現行解釈では、自衛隊は「戦力に当たらない実力」とされてきた。しかし、憲法に自衛隊が明記された場合、この解釈の基盤そのものが揺らぐ可能性がある。なぜなら、憲法が特定の武力組織を明文化することは、その存在を正面から承認する行為であり、「戦力ではない」という構成を維持する理論的根拠が弱まるためである。
規範構造の自己矛盾
9条2項を残しつつ自衛隊を明記する構造は、規範論的には以下のような矛盾を内包する。
戦力を保持しない
ただし、自衛隊は保持する
このような条文構造は、法規範としての一貫性を損なうとの批判がある。法理論において規範の自己矛盾は、解釈の恣意性や政治的裁量の拡大を招く危険性を持つ。
「解釈拡張」誘発リスク
自衛隊明記は一見すると制限的に見えるが、逆説的に以下の展開を許容する可能性がある。
任務範囲の拡張
武力行使基準の緩和
集団的自衛権行使の常態化
つまり、「存在の明記」が「活動の拡張」を容易にする制度的効果を持つとの懸念である。
「歯止めがなくなる」という議論の意味
改憲慎重論・反対論の中核的論点の一つが、「9条の歯止め機能」が失われるという指摘である。この議論は単なる情緒的主張ではなく、憲法の制度的役割に基づく問題提起である。
憲法の「抑制装置」としての機能
立憲主義の観点では、憲法は国家権力を制限する抑制装置である。9条はまさにその典型例とされる。
9条が果たしてきた役割には以下が含まれる。
軍事政策への厳格な制約
武力行使の政治的ハードル上昇
軍事的選択肢の限定
改正によって自衛隊が憲法上の正規制度として承認された場合、この抑制装置が実質的に緩和されるとの見方がある。
「段階的拡張」への警戒
反対論者は、制度変更の影響を単発的ではなく連続的に評価する傾向を持つ。すなわち、
自衛隊の明記
任務の拡張
武力行使基準の変化
軍事国家化の進行
という「スロープ理論」である。この議論の核心は、「一度開かれた制度的扉は容易に閉じられない」という政治制度論的認識にある。
野党が抱く主要な懸念
野党勢力の多くは、改憲論議に対して単なる反対ではなく、特定の制度的・政治的リスクを指摘している。その主な論点は以下の通りである。
① 平和主義規範の形骸化
9条は戦後日本の国家理念そのものと見なされてきた。改正によってこの規範的象徴性が弱体化し、日本の外交的信頼資産が損なわれるとの懸念がある。
ここで問題となるのは軍事力そのものではなく、
日本の国際的イメージ
非軍事国家としての独自性
外交的ソフトパワー
である。
② 軍事政策の政治的ハードル低下
憲法制約が緩和された場合、軍事政策が通常の政策領域へと移行する可能性がある。この変化は以下を意味する。
防衛力増強の常態化
軍事費拡大圧力の増大
軍事的選択肢の優先化
③ 権力集中への警戒
緊急事態条項と9条改正が連動する場合、政府権限の大幅拡張が生じる可能性がある。この点は民主主義統制との関係で問題視される。
特に以下のリスクが指摘される。
行政権限の肥大化
議会統制の相対的弱体化
市民的自由の制約拡大
④ 軍事的抑止依存構造の強化
改憲によって安全保障政策がより軍事中心的になる場合、外交・経済・地域協調といった非軍事的手段の相対的重要性が低下するとの批判もある。
世論が抱えるデメリット認識
世論調査や社会的議論を通じて観察される懸念は、必ずしもイデオロギー的ではなく、むしろ実生活や歴史意識に基づくものが多い。
不安の根源にある歴史的記憶
日本社会においては、軍事力と国家権力の結合に対する歴史的警戒感が根強い。この心理的基盤は、
戦前の軍部暴走の記憶
国家主義への警戒
権力の自己増殖への不信
に由来する。
「何が変わるのか」という疑問
多くの国民にとっての核心的疑問は、
改憲によって何が具体的に変わるのか
戦争リスクは増大するのか
税負担・徴兵制の可能性はあるのか
といった実務的・生活的関心である。
経済優先との対立
軍事政策の強化は財政配分の問題を不可避的に伴う。そのため、
社会保障との競合
防衛費拡大への懸念
経済停滞との関係
が議論される。
改憲論議の本質的対立軸
9条改正をめぐる論争は単なる条文修正の問題ではなく、国家観・安全保障観・立憲主義観の衝突である。
| 改憲推進論 | 改憲慎重・反対論 |
|---|---|
| 現実適応 | 理念維持 |
| 国家機能の明確化 | 権力抑制の維持 |
| 軍事的合理性 | 歴史的警戒 |
| 制度的整合性 | 規範的象徴性 |
この対立は単純な善悪の問題ではなく、「国家の合理性」と「立憲主義的規範」のどちらを優先的に評価するかという哲学的選択の問題である。
総括的評価
憲法9条改正論議において重要なのは、「改正すべきか否か」という二元論ではなく、以下の問いである。
どのような国家像を採用するのか
憲法の規範性をどこまで重視するのか
軍事力をどの程度制度化するのか
権力抑制装置としての憲法機能をどう維持するのか
9条は単なる安全保障条項ではなく、日本の戦後政治秩序の核心規範である。したがって、その改正は軍事政策の変更以上の意味を持つ制度転換である。
改憲推進側の論理は主として「国家の機能合理性」に基づき、慎重・反対側の論理は「憲法の規範抑制性」に基づく。この対立は立憲民主国家において不可避的に発生する健全な緊張関係とも言える。
最終的に問われているのは、「安全保障の問題」ではなく、「国家権力と憲法の関係をどう設計するか」という立憲主義の根本問題である。
