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コラム:学校での「いじめ」が絶えない理由、社会全体の倫理と文化の問題

日本における学校のいじめが絶えない背景には、文化的価値観・集団主義・学校制度・心理的要因・社会構造が複雑に絡み合っている。
不登校のイメージ(Getty Images)

日本では学校における「いじめ」は依然として深刻な社会課題である。文部科学省が実施する「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、2024年度(令和6年度)におけるいじめの認知件数は約76万9千件で過去最多となり、重大事態の発生件数も過去最多の1405件にのぼっている。いじめが認識されてから重大事態として扱われるまでに時間を要するケースも多く、実際の発生件数はさらに多い可能性がある。さらに同調査では不登校の児童・生徒数が約35万4千人と増加傾向にあり、いじめと密接に関連した問題の大きさを物語っている。

学校種別に見ると小学校・中学校・高等学校を問わず発生しており、小中学校において特に高い件数が報告されていることが政府統計からも確認されている。


いじめが絶えない背景

いじめの発生には単一の原因ではなく、複数の文化的・制度的・社会的要因が複雑に関与している。文部科学省調査では、いじめの形態は身体的暴力に限らず、言葉による攻撃や無視・孤立など多様であり、SNS等インターネット上で行われる「ネットいじめ」も増加傾向にある。

いじめの根本的な背景を理解するためには、日本社会全体の文化特性や学校制度、教育実践の現状、さらには児童・生徒の心理的特徴や家庭・地域社会の影響を総合的に考察する必要がある。


「同質性」を尊ぶ文化と集団主義

日本社会には伝統的に「空気を読む」「周囲と調和する」ことが重視される文化がある。これは集団内の秩序維持や協調行動を促進する一方で、異質な個を排除しやすい構造的な要因となる。

文化人類学者中根千枝は、日本社会を「縦社会」や集団主義が強い社会と位置づけ、その文化的背景が人間関係や社会秩序の形成に影響していると論じた。この種の文化では、集団の価値観に適合しない者が「浮く」ことを極端に嫌う風潮があるとされる。

同調圧力は学校という小さなコミュニティの中でも強く作用する。集団主義的な価値観は協調行動を促す一方、逸脱行動や異なる価値観を排除する動きに転化することがあり、いじめを助長する文化的要因となっている可能性がある。


日本の学校教育では「みんなと同じであること」が重視される傾向がある

日本の学校制度は義務教育を基盤としており、「全員が同じ学級(クラス)」で学ぶことが原則である。これは教育の平等性を担保するためであるが、その反面で「個より集団」を優先する傾向も強い。

教育心理学の研究では、特に初等中等教育では「学級集団」が児童・生徒の社会的スキルや帰属意識を形成する主要な場であるが、集団内での序列化や役割分担はしばしば固定化しやすいとされる。この点は後述する「スクールカースト」や序列化と関連する。


閉鎖的な学級(クラス)制度

日本の学校は学級単位で教育活動が行われることが多い。この制度は教員が児童・生徒一人ひとりを把握しやすいという利点があるが、閉鎖的な集団を形成しやすいという側面もある。

閉鎖的なクラス集団では、集団の中での位置づけや序列が固定化されやすく、集団外の情報が流入しにくくなる結果としていじめが発覚しにくい構造が生じる。いじめが外部に露見する前に内部で「処理される」ことがあり、実際の発生が隠蔽されるケースも報告されている。


逃げ場がない

クラスという閉鎖環境の中でいじめが起こると、被害者はその閉鎖空間から逃げることが困難になる。休み時間や授業中にもいじめが継続されやすく、学校全体が監視体制を十分に構築できないことから逃げ場のない状況が生まれる。

このような逃げ場のなさは被害者側の心理的負担を増大させ、自尊感情の低下や不登校、さらには自殺念慮につながる重大な結果を引き起こすことがある。


同調圧力

同調圧力は日本の学校文化における中心的なキーワードである。学級集団では、「目立たないこと」「集団と同じ意見を持つこと」が望まれる傾向があり、異なる意見や行動はしばしば否定的に評価される。これは欧米型の個人主義文化とは対照的である。

同調圧力によって、集団に適合しない者が外されると、「仲間はずれ」「無視」といった行為が表面化しやすく、これがいじめ行為の温床となることがある。


狭いコミュニティの中で「浮く」ことを恐れる心理

いじめのメカニズムには、「異質な者を排除することで自らの立場を確保する」という心理が観察される。集団内で自分が孤立することを恐れるため、個人は他者を排除する方向に加担することがある。

この現象は「群集心理」とも呼べるもので、児童・生徒は集団の慣習や価値観を学び取り、それに反する者を排除することで自らの立場を守ろうとする。

心理学的には、集団に適合しない者に対する攻撃的行動や無視は、集団内での自尊感情を維持するための一種の防衛機制として機能する場合がある。


教育現場の多忙化と監視の限界

現代の日本の教育現場は多忙化している。教員は授業準備や生徒指導、部活動の指導、保護者対応など多様な業務を担っており、いじめの早期発見・早期対応に十分な時間を割くことが困難なケースが増えているという指摘がある。

さらに、いじめが発生しても教員が見逃してしまう、またはその兆候を軽視してしまう可能性もある。教員の過重労働はいじめ予防教育の実効性を下げる要因となっている。


潜在化

いじめは件数として報告されるが、実際の発生件数はさらに多い可能性がある。文部科学省調査のデータでも、重大事態として扱われるまでには段階的な認知が必要であり、その過程で見逃される事案が少なくない。

このような潜在化は統計上の集計だけでは把握しきれず、いじめ問題の全貌を捉える上で大きな障壁となっている。


SNSやチャットアプリを利用した「ネットいじめ」

近年では、SNSやチャットアプリを利用したいじめが顕在化している。SNS等を介したいじめは匿名性が高く、学校外でも発生するため教員や保護者の監視が及びにくい現実がある。文科省統計でもネットいじめの件数は増加傾向にあり、インターネット上での攻撃性や誹謗中傷は子どもたちの精神に重大な影響を与えることが指摘されている。


事後対応の難しさ

いじめが発覚した後の対応は複雑である。学校は加害者への指導・被害者への支援などを行わなければならないが、加害者の将来や学校の評価を気にするあまり事態を軽視するケースがあるという社会的な批判も存在する。


スクールカーストと序列化

学校という閉鎖集団においては序列化や「スクールカースト」現象が発生することがある。特に人気者や成績上位者、スポーツ選手などが上位に位置づけられ、下位者が排除される構造が生まれることがある。このような序列化は、集団内でのいじめ行為を正当化する根拠になり得る。


「目立つグループ」と「地味なグループ」

集団内の序列は、しばしば「目立つグループ」対「地味なグループ」という軸で形成されることがある。目立つグループは集団の価値観を支配しやすく、その価値観から外れる者を排除する動きが強まる。これは社会全体の価値観が学業成績や外見、スポーツ能力などで評価される傾向を反映しているとも考えられる。


上位の者が下位の者を支配しても良いという歪んだ認識

いじめの構造には、力の不均衡を利用して他者を支配するという認識が含まれることがある。このような傾向は学校だけでなく社会全般に見られることが研究でも示されており、日本の一部文化・社会構造と関連づけられる可能性が示唆されている。


個人の能力や外見を過度に比較する競争社会の反映

日本社会は学歴競争や受験競争が激しく、子どもたちも競争環境の中で自己評価を形成する。個人の能力や外見が比較されやすい競争社会の価値観は、学校内のいじめ行動に影響を与えることがある。競争の中で劣位にある児童・生徒は集団から排除されやすく、いじめの標的になりやすい。


家庭・社会のストレス

家庭環境や社会経済的なストレスも、いじめ行動の背景要因となる。家庭内のストレスや教育格差、親の過度な期待などは児童・生徒の心理状態に影響を与え、他者への攻撃性として表出する可能性がある。


自分より弱い立場の人間に攻撃を向けるという連鎖

いじめ行為はしばしば力関係の歪んだ反応として現れる。自分より弱い立場の者を攻撃することで優越感を得るという心理は、いじめが連鎖的に発生するメカニズムと結びついている。


子供は大人の振る舞いを「対人関係のモデル」として学ぶ

子どもたちは身近な大人の振る舞いを学習し、対人関係のモデルとして内面化する。大人の社会において不寛容や差別的な振る舞い、他者に対する攻撃的態度が見られる場合、子どもはそれを模倣する可能性がある。


価値観の歪み

価値観の歪みは、いじめ行為を許容する心理的基盤を形成する。特に子どもたちが大人社会の偏見や不平等な価値観を無意識のうちに学習することは、差別的態度やいじめ行為の発生に影響を与える。


差別意識の定着

日本の学校では多様性教育の重要性が高まっているものの、まだ十分とは言えない。人種、性別、障害、学力、経済格差などに基づく差別意識は、いじめ行為を正当化する要因となり得る。


大人の偏見に基づくいじめを目にすることで差別意識を無意識に形成

大人や社会が潜在的に抱える偏見を子どもが日常的に目にすることは、差別意識や偏見を無意識に学習する機会を増やす。これはいじめの発生・持続に影響を与える重要な要因である。


社会への不信感と人間関係の回避

いじめ被害を受けた児童・生徒が学校や社会への不信感を抱き、他者との関係を回避する傾向が強まると、学校生活全般に悪影響を及ぼす。


大人への不信

いじめ問題の対応において、教員や大人が適切に介入しない場合、被害者は大人への不信感を深める。これは長期的な心理的傷となり、将来の対人関係に悪影響を及ぼす可能性がある。


対人関係の困難

いじめ経験は、被害者・加害者双方に対人関係の困難を残す。被害者は不信や回避行動を深め、加害者は攻撃的行動が習慣化する危険がある。


今後の展望

いじめ問題への取り組みは、単なる事後対応だけでなく予防的な教育と支援体制の強化が不可欠である。具体的には以下のような方策が議論されている。

  1. 多様性教育・インクルーシブ教育の深化
    子どもたちの価値観形成段階から多様性・他者理解の教育を強化する。

  2. 教員の研修と支援体制の整備
    いじめの兆候を早期に察知し、適切に対応できる教員の育成と負担軽減。

  3. 保護者・地域社会との連携
    学校だけでなく家庭・地域と連携したいじめ防止策の推進。

  4. SNS時代への対応
    ネットいじめに対する監視・支援体制の強化と情報モラル教育の徹底。


まとめ

日本における学校のいじめが絶えない背景には、文化的価値観・集団主義・学校制度・心理的要因・社会構造が複雑に絡み合っている。統計データはその深刻さを示しており、いじめの種類や発生形態は多様化している。短絡的な対応ではなく、教育の根本的な価値観の再検討、学校現場の支援体制の強化、社会全体でのいじめ防止文化の醸成が必要である。


参考・引用リスト

文部科学省. 令和6年度「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」(2025年公表).
・文部科学省. 令和5年度統計結果.
・全国PTA連絡協議会「いじめ認知件数 過去最多 2024年」.
・教育研究論文「A Study of the Causes of Bullying in Japanese Schools」.
・その他政府統計(e-Stat).


追記:いじめへの対策を進める大人がいじめや嫌がらせを好むという矛盾

表向きの「いじめ撲滅」と裏側の攻撃性

日本社会において特筆すべき点は、いじめ対策を推進する立場にある大人自身が、日常的にはいじめや嫌がらせに近い行動を取っているという矛盾である。学校現場、行政、企業、メディア、さらには一般市民に至るまで、「いじめは悪である」「許されない行為である」という建前は広く共有されている。一方で、実際の社会生活に目を向けると、権力関係を利用した圧力、陰口、排除、過剰な同調要求、ネット上での集団的攻撃など、いじめと本質的に同型の行為が日常的に観察される。

この矛盾は、日本社会における「いじめ」の定義が極めて限定的に運用されていることと深く関係している。すなわち、「子ども同士が行うものだけがいじめであり、大人が行う行為は指導・指摘・正当な批判である」という無意識の線引きが存在する。この認識が、大人自身の攻撃性を不可視化し、正当化する構造を生み出している。


「正義」を装った攻撃としてのいじめ

社会心理学の研究では、人は自らを「正義の側」に位置づけた瞬間、他者への攻撃に対する心理的ブレーキが弱まることが指摘されている。日本におけるいじめ対策の議論でも、「いじめを許さない」「問題行動を正す」という大義名分のもとで、特定の個人を過剰に糾弾したり、人格否定に近い言動を行ったりするケースが少なくない。

たとえば学校現場では、問題を起こした児童・生徒に対して「みんなの前で叱責する」「徹底的に反省文を書かせる」「集団の規範に従わせる」といった指導が行われることがある。これらは形式上は教育的指導であるが、力関係の非対称性、逃げ場のなさ、集団による圧迫という点で、いじめと構造的に類似している。

このような経験を子どもが目の当たりにすることで、「正義の名のもとなら他者を攻撃してよい」「立場が上の者は下の者を支配してよい」という歪んだ価値観が学習される。


日本社会に遍在する「大人のいじめ」

日本の職場文化においては、いじめやハラスメントが長年問題視されてきた。厚生労働省の調査でも、パワーハラスメント、モラルハラスメント、セクシュアルハラスメントは依然として高い割合で報告されている。これらは名称こそ異なるが、本質的には「立場の強い者が弱い者を心理的・社会的に追い詰める行為」であり、学校におけるいじめと連続した現象である。

日本社会では、以下のような行為が日常的に行われやすい。

・空気を読まない者を排除する
・集団の和を乱す者を陰で攻撃する
・失敗した個人を過剰に責め、責任を押し付ける
・SNSや匿名掲示板で集団的に叩く
・「みんな言っている」「常識だ」という言葉で個人を封じ込める

これらはすべて、学校で見られるいじめと同じ構造を持つ。


無自覚な欲望

重要なのは、多くの大人が自分がいじめをしているという自覚を持たないまま、他者を攻撃する快感や優越感を得ている点である。心理学的には、他者を貶めることで相対的に自己評価を高める行為は、短期的な安心感や支配感をもたらすとされる。

日本社会では、直接的な暴力や露骨な攻撃は忌避される一方で、
・皮肉
・遠回しな否定
・無視
・仲間外れ
・評価を下げる噂
といった間接的で陰湿な攻撃が容認されやすい。この文化的傾向が、「自分は正しい」「相手のためを思っている」という自己正当化を容易にし、結果としていじめ行動を助長する。


いじめ対策が機能しにくい根本理由

このような社会構造の中で、学校に対して「いじめをなくせ」と要求すること自体が矛盾を孕んでいる。なぜなら、学校は社会の縮図であり、大人社会の価値観をそのまま反映しているからである。

大人社会が以下のような状態にある限り、学校だけでいじめを根絶することは極めて困難である。

・異質な存在を排除する文化が残っている
・上下関係を当然視する価値観がある
・集団の秩序を個人の尊厳より優先する
・失敗や弱さに不寛容である

子どもは、大人が「言っていること」よりも「やっていること」を学ぶ。大人が日常的に他者を嘲笑し、排除し、攻撃している社会で、子どもだけに高い倫理観を求めることは現実的ではない。


日本社会におけるいじめの実態の本質

以上を踏まえると、日本社会におけるいじめの本質は、特定の個人の性格や家庭環境の問題ではなく、社会全体に埋め込まれた対人関係の様式にあると結論づけられる。

いじめは「逸脱行為」ではなく、
・同質性を維持するための排除装置
・不安やストレスのはけ口
・序列を確認するための儀式
として機能している側面がある。

この構造が変わらない限り、いじめは形を変えながら再生産され続ける。


最後に

いじめ対策を進める大人が、無自覚のうちにいじめや嫌がらせを好み、実践しているという矛盾は、日本社会の深層に根ざした問題である。学校のいじめは例外的な異常事態ではなく、日本社会の日常的な人間関係の延長線上にある。

真にいじめを減らすためには、
「子どもをどう指導するか」ではなく、
「大人社会がどのような対人関係モデルを示しているか」
を問い直す必要がある。

いじめ問題とは、教育問題であると同時に、社会全体の倫理と文化の問題である。

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