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コラム:イスラム国とは何だったのか?誕生から崩壊、その後

イスラム国は2010年代にかけて地域的に広範な「領域支配」と強烈な暴力によって国際社会を震撼させたが、国際的軍事・地元勢力の連携によって主要な支配領域は失われた。
イスラム国の戦闘員(Getty Images)

イスラム国(Islamic State、ISIS)の「領土支配」は2010年代半ばに最大となったが、その後の軍事作戦と地元反撃により主要な都市拠点は喪失し、2019年頃までにいわゆる「カリフ制国家」としての統治機能はほぼ崩壊した。現在のISISはかつての大規模な領域国家ではなく、シリア・イラク両国の一部地域でのゲリラ・分散的テロ活動、ならびにアフリカ・アフガニスタンなど海外支部を通じた地域的脅威へと変容している。2014年夏から2015年前後にかけてはイラクとシリアの広範囲を支配下に置き、一時はイラクの約40%やシリアの約1/3を支配したとの試算が示されているが、その後2017〜2019年にかけて奪還作戦が進み、2019年のシリア東部バグズ(Baghouz)陥落は、事実上の領土的敗北の象徴となった。

同時に、ISISの出現は国際社会に大量の人的移動と人道危機をもたらした。国連人道機関(OCHA)や国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は、シリア紛争やISIS関連の戦闘による民間人死傷や避難民の大規模化について繰り返し警告しており、例えばシリア内戦における民間人死者数の累計については複数の推計が存在するが、OHCHRは2011年以降の紛争で30万人以上の民間人が死亡した公表している。

歴史(背景)

ISISの源流は2000年代中盤のイラクにおけるアルカイダ系の武装組織にまでさかのぼる。2003年のイラク戦争以降、治安の空白や宗派対立、米軍撤退後の政治的混乱は武装グループの肥大化を促した。2006年に独立組織化した「イラクのアルカイダ」は、その後指導体制や名称を幾度か変えながら成長し、2011年のシリア内戦の勃発を契機にシリアへも勢力を拡大した。2013年頃にはイラクとシリアでの連携を強め、2014年6月29日に指導者アル・バグダディが「カリフ制国家(イスラム国家)」の樹立を宣言して名実ともに国際的注目を集めるに至った。

この勃興には複数の要因があった。第一に、地域政治の不安定化と治安の空白である。イラクのシーア派主導政権とスンニ派住民の対立、シリアでの反体制運動→内戦化、さらに周辺諸国の政策が複雑に絡み合った。第二に、ISISは巧みなプロパガンダとオンライン動員を通じて、世界中から数万の「外国人戦闘員」を惹きつけた。第三に、財源(油田の搾取、税・強制徴収、略奪、誘拐身代金など)を確保し、統治機構(司法、行政、税制度)を模して「国家らしき仕組み」をつくった点がある。

誕生(ISISの国家宣言と拡大)

2014年6月のカリフ宣言以降、ISISは占領地域で行政機構を構築し、宗教警察や刑罰の実施、教育や郵便、税徴収などの「統治行為」を行った。これにより一部住民には秩序の回復と感じられた側面もあったが、同時に多数の人権侵害や虐殺、宗教・民族的少数者に対する迫害が行われ、国際的非難が集中した。ISISは都市部(モスル、ラッカなど)の支配を通じて資源を確保し、海外からの戦闘員や支持者を動員して勢力を拡大した。イラク北部の要衝モスルは2014年6月に陥落し、以降ISISはイラクで一定の支配領域を維持した。

国際的な懸念の一つは「外国人戦闘員」の数である。複数の調査・報告は、最盛期にシリア・イラクに渡った外国人戦闘員は数万人規模に上ると推計し、欧州諸国だけでも数千人単位の出稼ぎ戦闘員が確認された。EU系の分析やソウファン・グループなどの報告は、2014–2015年当時に欧州から約3000〜5000人が渡航したとの推計を示しており、これが後の欧州でのテロや治安対策上の重大課題となった。

シリアとイラクでの戦闘(主要作戦と人道被害)

ISISの支配に対し、シリア・イラク政府、クルド勢力、反政府勢力、そして国際的な有志連合(米主導の有志連合を含む)が軍事的に対抗した。代表的な戦闘は、イラクのモスル奪還作戦(2016–2017年)とシリアのラッカ奪還作戦(2017年)である。モスル奪還では多数の地上戦・市街戦が行われ、数か月にわたる激戦の末にイラク政府軍とその同盟勢力が2017年7月にモスル奪還を宣言したが、この戦闘での民間人犠牲や都市破壊は甚大であり、国連や人権団体は多数の民間人死傷・避難を報告した。モスル周辺の避難者数は数十万〜百万規模に達したとする推計もあり、IOMや国連機関は大規模な人道支援を行った。

ラッカ奪還作戦では、シリア民主軍(SDF)と有志連合の連携により2017年に市内への攻勢が始まり、最終的に同年10月にラッカはISIS支配から解放された。だがこの攻勢でも激しい空爆と地上戦が行われ、国連やNGOは大量の民間人被害と市街地の壊滅的被害を指摘した。国連はラッカや西モスルでの空爆を含む戦闘で多数の民間人が死亡した可能性を強く懸念した。

こうした軍事作戦はISISの領土消滅につながったが、その過程で都市インフラは壊滅的被害を受け、帰還・復興に膨大な費用と長期間が必要となった。メディア報道や国際調査はモスルやラッカの都市機能の破壊を「壊滅的」と評し、復旧の遅れが住民の生活再建を阻んでいる点を指摘している。

カリフ制国家(統治と暴力)

ISISは自らを「カリフ制国家」と称し、シャリア(イスラム法)に基づく統治を標榜した。占領地域では、独自の法体系や「宗教的裁判」を実施し、処罰や公開処刑、奴隷化、民族・宗教的少数者(ヤジディやキリスト教徒等)への迫害を行ったことが多数報告されている。こうした行為は国際的に戦争犯罪、人道に対する罪、あるいは一部にはジェノサイド(集団殺害)の疑いとして指摘され、国際社会や人権団体から強い非難を受けた。

またISISは税や通貨発行、公共サービスの提供、教育統制などを通じて「統治」を形作り、表面的には行政国家らしい機構を構築した。これにより一部市民には「治安回復」や経済的秩序の側面も生じたが、統治の実態は暴力と恐怖に基づくものであり、多くの住民は抑圧と人権侵害に苦しんだ。

各国の対応(軍事・法的・外交的措置)

ISISの台頭に対し、米国を中心とする国際有志連合は空爆と訓練支援、諜報支援を通じてISIS殲滅を目指した。欧州各国は自国民の帰還防止や国外戦闘員対策、社会のラディカリゼーション防止策を強化した。国連は人道支援と被害調査、戦争犯罪の調査に関与し、国連加盟各国は難民・避難民対応に義務的・人道的対応を迫られた。

一方、ロシアやイランなど地域大国はそれぞれシリアやイラクの政府側を支援し、地上戦力や空爆を通じてISISを含む反政府勢力に対抗した。トルコはクルド勢力との関係や自国の安全保障を理由に複雑な対応を取った。各国の立場や利害は交錯し、国際協調はしばしば断続的であったが、ISISという脅威に対しては大まかな「非合法化・軍事壓力・法執行強化」という共通の方向性が見られた。

崩壊(領土喪失と指導層の打撃)

ISISの領土支配は2014年から2017年にかけて頂点に達した後、連合軍や地元武装勢力の反攻により急速に縮小した。2017年以降、モスルやラッカなど主要都市を失い、2019年3月から4月にかけてシリア東部バグズ(最後の大規模な領域拠点)が制圧されたことはISISの「地上における国家」体制が崩壊した象徴的瞬間となった。以後、ISISは領土の大部分を失い、指導層の一部も殺害・捕縛され、組織の指揮系統は分断された。

だが「崩壊」とはいってもISISは完全消滅してはいない。指導者の交代や分派化、地下潜行によるゲリラ戦への転換、海外支部の独立的拡大などにより、組織は拡散し続けた。実際、アフリカ(サヘル地域やナイジェリア周辺、モザンビークなど)やアフガニスタン、フィリピンやインドネシア周辺ではISIS系やISISに連携する武装集団が活動を続けている。

その後(残存勢力・テロの輸出・帰還者問題)

領土喪失後、ISISは以下の課題と脅威を残した。第一に「残存戦闘員」とその流動性である。多くの外国人戦闘員や家族が国外へ分散し、帰還や拘束、収容所問題が発生した。ヨーロッパ各国や中東諸国は自国民の扱いを巡って法的・倫理的なジレンマに直面した。第二に「テロのネットワーク化」である。ISISはテロの「ブランド」として影響力を保ち、ソーシャルメディアや暗号化ツールを通じて海外での過激化や自発的な「自爆的犯行」を扇動し続けた。第三に「地域的分派の活性化」だ。ISISの中央組織は弱体化したが、分派化したグループが地域的問題—経済的困窮、民族紛争、宗教対立—に便乗して勢力を維持・拡大するケースが各地で観察された。

また収容所や拘束施設の存在は長期的な安全保障リスクを残した。拘束者の再社会化、法的手続き、独房や避難民キャンプでの過酷な環境は国際的な人権・安全保障上の課題となった。加えて、戦闘により荒廃した地域の復興遅延は根本的治安改善を阻み、過激化の温床を残す恐れがある。

世界に与えた影響(地政学・治安・国際法)

ISISの出現は世界に多面的な影響を与えた。第一に地政学的影響である。シリア・イラク情勢は地域列強(米、ロシア、イラン、トルコ、サウジアラビア等)の介入を促し、中東における勢力均衡は変化した。第二に安全保障面での影響である。ISISは欧米や東南アジア、アフリカでのテロを扇動し、国境を超えたテロ対策や情報共有の必要性を喚起した。第三に国際法・人道の分野での教訓である。戦闘や占領地での大量虐殺・強制移動・性的暴力などは戦争犯罪やジェノサイドの調査対象となり、国際刑事裁判所(ICC)や国連の調査が注目される結果となった。さらに、戦後復興・巨大な避難民問題・人道支援のコストは加盟国に長期負担をもたらした。

課題(残された問題点)

ISIS関連の根本課題は複数にわたる。まず、戦後復興と統治再建の遅れが治安回復を阻害する点である。都市の物理的復興だけでなく、行政・司法・経済・社会サービスの再建が不可欠であるが、資金不足・政治的対立・腐敗などが復興を遅らせる。次に、帰還者・拘束者の法的処遇と社会復帰である。多くの外国人戦闘員や家族が拘束・収容され、法の支配に基づく公正な裁判とその後の更生プログラムが必要である。第三に、過激思想の再燃を防ぐ国内の防止対策(教育、雇用、社会包摂)の不足が懸念される。第四に、地域的分派や海外支部の存在は、テロや武装紛争が他地域へ転換するリスクをはらむ。

さらに、人道的視点からは難民・国内避難民(IDP)への持続的支援が必要である。国連機関はシリア・イラクでの数百万規模の避難民や、都市破壊に伴う長期的栄養問題、医療・教育の欠如を指摘しており、復興への国際協力が不可欠だと繰り返し訴えている。

今後の展望(対策と政策提言)

ISISという現象の教訓を踏まえ、今後求められる方策を整理する。第一に、軍事的勝利の後に直ちに続く「政治的包摂」と「統治再建」が不可欠である。単なる軍事掃討で終わらせず、包摂的な地方統治(宗派・民族を超えた代表制)と法の支配を確立することが過激化再燃を防ぐ鍵である。第二に、地域復興と雇用創出を含む経済支援が必要である。インフラ再建、都市復興、職業訓練、教育復旧により若年層の絶望を和らげることが重要である。第三に、司法と人権の回復である。戦時犯罪や人権侵害の調査と責任追及は、被害者の救済と社会的正義の回復につながる。第四に、国際的な情報共有・対テロ協力とともに、地域別の予防・更生プログラムを拡充する。特に帰還者や家族、拘束者への公正な処遇と社会復帰支援は各国の政策課題である。

さらに長期的には、ISISのような組織が生まれる構造的要因―政治的排除、経済的不平等、紛争と国家崩壊、外部介入の連鎖―に対する国際的な取り組みが求められる。単発的な軍事オプションだけでは持続的解決にならず、開発援助・ガバナンス支援・地域外交が同時に進められるべきである。

まとめ

イスラム国は2010年代にかけて地域的に広範な「領域支配」と強烈な暴力によって国際社会を震撼させたが、国際的軍事・地元勢力の連携によって主要な支配領域は失われた。しかし、領土喪失後もISISは分散化して残存活動や国外の支部を通じて影響力を及ぼし続けている。ISISの出現は、軍事対応だけでは解決できない政治的・社会的・経済的な根本原因を突きつけ、復興・司法・更生・予防のための長期的な取り組みの必要性を世界に示した。国際機関の報告や各国の統計は、人的被害・避難民の規模・外国人戦闘員の流動性などが大きな挑戦であることを示しており、今後も包括的かつ持続的な国際協力が不可欠である。

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