コラム:シリアのアサド政権とは何だったのか、誕生から崩壊、暫定政権と復興への道筋
アサド政権は半世紀にわたり国家統制と個別特権を組み合わせて支配を維持したが、中央集権的な抑圧の持続は、社会的排除と怨嗟の累積を生み、危機時に壊滅的な反動を招いた。
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シリアのアサド政権とは、1970年のクーデターで権力を掌握したハーフィズ・アル=アサドによって確立された強権的なバース党政権の系譜であり、2000年以降は息子バシャール・アル=アサドがその地位を継承したものである。この体制は国家中心の治安装置、特権的な少数派(アラウィー派)との結びつき、国民統制のための広範な情報・治安機構、そして経済的寡占を特徴としてきた。2011年の「アラブの春」を端緒とする反体制運動が内戦へと拡大し、十年以上にわたる国際化・地域化した紛争、イスラム過激派(ISIS)や外国勢力の介入を経て、最終的にアサド政権は崩壊した。その後、反体制勢力を中心とした暫定政府が組織され、帰還と復興のフェーズへ移行している。
誕生の経緯:バース党・ハーフィズ・アサドの支配基盤
シリア現代史における「アサド政権」の起点は1970年である。1963年にバース党が政権を握ったのち、党内の抗争を経て1970年、軍人出ーのハーフィズ・アル=アサドが事実上の権力を掌握した(「正規軍のクーデター」による実権掌握)。アサドは「中央集権・治安優先」の統治モデルを採用し、軍・情報機関を要に権力を固め、支配を地方の族長層や宗派的ネットワーク(特に少数派のアラウィー派)と結び付けた。経済面では国家主導の近代化と一部市場開放を組み合わせ、統治の正当化のための雇用や配給を配ることで支配を補強した。国民的統合を掲げる一方で、反対勢力は強権で抑えられ、秘密拘禁や失踪、拷問を伴う治安措置が多用された。国際的にはソ連(ロシア)や東側諸国、地域的にはイランやイラクなどとの関係が時期や利害で変動した。
独裁体制の確立:制度化された統制と経済的寡占
アサド体制は軍と情報機関を縦糸、党組織を横糸とする強固な支配網を築いた。1990年代以降、権力の中心はさらに制度化され、官僚・軍事エリートと結び付いた経済特権層が形成された。2000年にアサドが死去すると、後継者として息子のバシャール・アル=アサドが大統領に就任した。外見上は「近代化志向の医師出身若手リーダー」のイメージであったが、実際には既存の治安機構と特権的枠組みがそのまま継承され、政治的自由化は限定的であった。抑圧的で恣意的な司法、秘密拘禁、言論統制は引き続き存在し、国際人権団体は長年これらの人権侵害を記録した。
内戦の発生:2011年からの拡大
2011年の「アラブの春」の波はシリアにも波及し、地域ごとに示威行動・反政府デモが発生した。政府の厳しい弾圧に対して抗議がさらに激化し、治安部隊と武装化した反体制勢力の衝突が拡大した。やがて複数の反政府武装勢力や地方自治組織、宗教的・地域的な武装集団が入り乱れる総力戦の様相を呈し、内戦は全国規模に拡大した。封鎖・包囲・集団的退去や都市の破壊、民間人の大量犠牲、難民・国内避難民の大量発生が続き、紛争は「国際化」していった。国連や人権団体は、政府側・反政府側双方の戦争犯罪、化学兵器使用の疑い、民間人に対する深刻な被害を報告した。
イスラム国(ISIS)の台頭とその克服
2013〜2014年にかけて、イラクとシリアの混乱の中で「イラク・シリアにおけるイスラム国(ISIS)」が出現し、2014年には一時的に広大な領域を掌握して「カリフ制」を宣言した。ISISは徹底した暴力と統治の実験を行い、地域の住民に甚大な被害を与えた。国際社会は米国主導の有志連合やクルド主導の勢力、地域勢力を通じて軍事的圧力を加え、2017〜2019年頃にかけてISISは領域支配を失っていった。しかしISISは完全に消滅したわけではなく、隠れ潜みつつ持続的なゲリラ活動・テロを続ける「非対称的脅威」として残った。2024〜2025年の時点でも、数千規模の戦闘員が残存し、断続的な襲撃やテロを続ける懸念があると分析機関は指摘している。
ロシアとの関係:軍事介入と地政学的支柱
2015年9月、ロシアはシリア政府を軍事的に支援するため本格的な空爆・地上支援を開始し、これは内戦の帰趨を大きく左右した。ロシアの介入はアサド政権を軍事的に強化し、反体制勢力の多くを押し戻す契機となった。ロシアは空軍力、軍事顧問、装備提供、外交保護(国連安保理での拒否権行使)を通じてアサド体制を支えたが、一方でロシアの関与は戦争の国際化、民間被害の拡大、そして地域的対立の激化をもたらした。2015年以降、ロシアはシリアの港湾・空軍基地を拠点化し、長期的影響力を確保しようとした。こうした支援にもかかわらず、最終的には反政府連合の決定的勝利が生じ、アサド政権は崩壊した。
西側諸国との関係と制裁:孤立から差し替えられた外交
アサド政権は2011年以降、欧米諸国や多くの西側諸国からの政治的孤立と経済制裁を受けた。米国は資産凍結や追加制裁を課し、EUも同様の措置を導入した。これらの制裁は政権中枢やその経済的支援者を標的にし、外貨獲得源や再建資金の流入を阻害した。制裁は人権侵害への制裁的手段であったが、同時に一般住民の生活や復興能力を低下させる面があると批評もあった。後の政治局面では、政権崩壊後に一部制裁が緩和されたり解除されたりした。
政権崩壊に至った経緯(決定的転換点)
政権崩壊の直接的経緯は、長年の内戦での累積的疲弊、政権支持基盤の脆弱化、経済崩壊、そして複数地域での反政府連合による集中攻勢が重なったことである。報道によると、2024年12月8日を契機に大規模な反攻が成功し、ダマスカスや主要都市での政権中枢の機能が麻痺し、アサド大統領は権力を維持できなくなった。その後、治安機構の一部離反、軍事的士気の低下、国外支援の相対的不足(ロシア・同盟国の介入は続いたが、決定的な増援は得られなかった)などが重なり、政権は崩壊した。崩壊直後には、多数の情報・記録の流出、拘束施設の解放、そして国際社会による人道的懸念の表明が相次いだ。
暫定政府発足:組織化と国際的承認の動き
政権崩壊後、反体制側の主導により暫定政府が組成された。シャラア暫定大統領は閣僚を任命し、行政の基礎的機能の再開、治安の回復、帰還支援・人道支援の受け皿づくりを優先課題とした。国連や人道機関は暫定政府との協力を模索しつつ、法的正統性と包摂性、出自の多様性(宗派・地域代表)を巡り国際的な懸念と議論が続いた。主要都市での行政再建、司法の立て替え、戦争犯罪の証拠保全といった課題が急務となった。
人道・復興課題:被害規模と国連のデータ
内戦の負の遺産は甚大であり、死亡者数・行方不明者・難民・国内避難民(IDP)の規模は国際社会が常に注視する指標である。推定では数十万規模の死者(報告値には幅があるが、数十万というオーダー)が発生し、難民は近隣諸国に数百万人、国内避難民も多数に上った。政権崩壊後、帰還が進んでいるというUNHCR等の報告があり、2025年中に数十万〜数百万の帰還が予想されているが、地雷や不発弾、インフラ破壊、住宅の喪失、食料・医療体制の脆弱性が復興を大きく制約している。国連人道調整事務所(OCHA)やUNHCRのデータは、帰還の数と必要な支援の規模を示している。例えばUNHCRは、24年12月8日以降、数十万から70万以上の帰還を逐次報告している(報告時点により数字は変動)。一方で、数百万人が依然として人道支援を必要としていると国連は警告している。
戦後裁判と証拠保全:戦争犯罪への対応
政権崩壊後、国内外の人権団体や検証機関は、旧政権による拘禁・拷問・失踪・化学兵器使用の疑いなどの証拠を確保・保全する重要性を強く訴えた。ヒューマン・ライツ・ウオッチやアムネスティ・インターナショナル、国連の独立調査チームは、現場の文書・囚人・遺体・情報システムの保全を求めるとともに、公正な司法手続きを通じた説明責任の追及を支持している。だが、実際の証拠保全は混乱した現場や復旧資源の不足、反発する勢力の存在により難航しているため、国際的な協力と早急な保存措置が求められている。
復興への道:インフラ、経済、財政の再建
復興は単に建物や道路を再建するだけでなく、公共サービス(電力・水道・医療・教育)、法と秩序、雇用創出、通貨と銀行システムの安定化、そして包括的な政治過程の設計を含む包括的課題である。これには巨額の資金が必要であり、国際金融機関、二国間援助、民間投資の復帰が不可欠である。しかし、復興資金は戦後の司法・和解プロセス、人権問題への対応、腐敗防止策などが担保されない限り多くのドナー国が慎重になるため、政治的正統性の確立と透明性が鍵となる。2025年9月時点では、西側諸国の一部は段階的な制裁緩和や人道援助の拡充を行っているが、全面的な解除・資金投入は条件付きである。
治安の現状とISIS再興のリスク
政権崩壊に伴う権力空白や地域ごとの治安脆弱化は、過激組織にとって好機となり得る。専門機関の分析では、ISISは地上での領域支配こそ失ったものの、分散した細胞や隠れ潜む戦闘員によるゲリラ活動を続け、治安が脆弱な地域で再興するリスクが残ると指摘している。暫定政府や地域の治安組織が効果的に統治・治安維持を行えなければ、治安の再悪化と国内外へのテロリスクが高まる。国際社会の協力による安全保障支援と司法対応が必要である。
国際関係の再編:ロシア・イラン・トルコ・米欧の動き
政権崩壊は地域大国と外部勢力の影響力再配置を促した。ロシアは長年の同盟関係の継続を目指し、軍事基地や政治的影響の維持を図る一方、政権崩壊後の対応では「現実的な関与の継続」と経済的利害の保全を優先している。イランは、シリアを地域的回廊として重視してきたため、同様に影響力維持を試みる。トルコは国境治安、難民問題、反体制勢力への影響といった課題を抱え、政策を調整した。米国・EUは人権と安定の両立を条件として、限定的な経済関与や支援を段階的に回復する方向にある。こうした再編は、復興資金、治安協力、政治的正統性の承認を巡る外交交渉の中で決まっていく。
社会の再編と和解の課題
シリア社会は宗派・地域・都市/農村の分断、帰還者と残留者の間の対立、戦争犯罪の被害者と加害者の関係、土地・住宅・資産の帰属問題、そして戦時中に形成された自治・武装勢力の統合問題など、多面的な再編課題を抱えている。効果的な和解プロセス、公正な補償・再分配、地域レベルでの包摂的ガバナンスの構築が不可欠であり、国際機関は司法支援、除染(地雷処理)、インフラ再建、医療・教育復旧に重点を置いている。長年にわたる深刻な社会的裂傷を短期間に解消することは不可能であり、世代をまたいだ取り組みが必要である。
今後の展望(短期・中長期)
短期(1〜2年):治安回復と基本サービスの復旧が優先課題であり、国連・UNHCR・OCHAといった機関による人道支援が継続する。帰還は進むが、地雷・不発弾、住宅破壊、医療・教育不足が障害となる。復興資金は条件付き・限定的に流入する。
中期(3〜5年):政治的包含と司法の枠組み(戦争犯罪の扱い、真相究明、補償)が形成されるか否かで国内安定度が決まる。外資・ドナーの本格参加は透明性・説明責任の体制次第である。地方分権と安全保障部隊の統合が進めば、治安と経済が改善する可能性がある。
長期(5年以上):社会の和解、インフラの全面復旧、経済の再建により持続可能な安定が成立する可能性があるが、地政学的競合(周辺国や大国の利害)、経済的負債、人口動態の変化(若年層の失業など)が長期的課題となる。国際的な統合(加入や関係正常化)には時間と条件が必要である。
最後に:評価と教訓
アサド政権は半世紀にわたり国家統制と個別特権を組み合わせて支配を維持したが、中央集権的な抑圧の持続は、社会的排除と怨嗟の累積を生み、危機時に壊滅的な反動を招いた。国際社会の介入の影響(ロシアの軍事支援や西側の制裁)は局所的に勝敗を左右したが、最終的な社会秩序の再建は内的な包摂性と国際的な協調に依存する。復興と和解は容易ではないが、国際機関の支援、地域の安定構築、被害者中心の正義措置を組み合わせることが不可欠である。国際社会は長期的視点での支援を怠らないことが、シリアの持続的安定につながる。