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コラム:ハイチギャング戦争の実態

ハイチにおける「ギャング戦争」は単なる犯罪集団の抗争ではなく、国家の崩壊と統治空白の中で非国家武装勢力が社会を実効支配する現象として実装されている。
2024年11月11日/ハイチ、首都ポルトープランス、ギャング間抗争が発生した現場近く(AP通信)

カリブ海に位置するハイチは長年にわたり貧困、政治的不安定、自然災害、国際的孤立といった困難を抱えてきた。その中で近年、特に深刻化しているのが「ギャング戦争」と呼ばれる武装犯罪集団による抗争と支配の拡大である。これは単なる治安問題にとどまらず、国家の統治機構を揺るがし、市民社会の根幹を破壊しつつある。

ギャングは麻薬取引や誘拐、武器密輸、恐喝などで資金を得ながら領域を拡大し、首都ポルトープランスを中心に事実上の「影の権力」を形成している。政府は警察力も軍事力も脆弱で、政治的混乱によって有効な統治を失っているため、ギャングが治安と社会秩序を牛耳る空白地帯が広がっている。この「ギャング戦争」は、実際には国家の崩壊過程における非国家アクターの支配構造の実装といえる。


1. 歴史的背景

ハイチのギャング問題は突如発生したものではない。長期的な歴史的要因が積み重なって形成された。

奴隷制と独立の影響

ハイチは1804年に奴隷反乱を経て世界初の黒人共和国として独立したが、その後の国際的孤立と賠償金支払いによって経済基盤は脆弱なまま推移した。植民地支配の遺産として社会的分断と不平等が深く根付き、それが後の社会不安の温床となった。

独裁体制と暴力の制度化

20世紀におけるフランソワ・デュヴァリエ父子の独裁政権下では、秘密警察「トントン・マクート」が反体制派を弾圧し、暴力が政治権力維持の手段として制度化された。この文化が、国家崩壊後に民間武装集団の活動を正当化する基盤となった。

民主化と国家機能の弱体化

1990年代以降、選挙を通じて民主化が試みられたが、クーデターや政争が頻発し、統治機構の安定化には至らなかった。特に2004年にジャンベルトラン・アリスティド大統領が失脚した後、国連の平和維持活動が展開されたが、治安回復は限定的であり、むしろ武装集団の地下活動を助長した面もある。


2. 政治的要因

ハイチのギャング戦争が現在進行形で展開されている最大の要因は、政治的空白と腐敗である。

権力の空白

2021年7月、モイーズ大統領が暗殺され、国家の中枢が事実上崩壊した。暫定政権は正統性を欠き、議会は機能不全に陥り、司法も腐敗が深刻で、国家全体が統治能力を失った。この空白を埋める形で、ギャングが地域社会に支配を拡大した。

政治とギャングの癒着

ハイチ政界は長年にわたり、選挙動員や暴力装置としてギャングを利用してきた。政治家は票や街頭支配のためにギャングに資金や武器を供与し、その見返りとして保護を与える。この「共犯関係」は、ギャングが政治的後ろ盾を得る仕組みを制度化し、取り締まりを困難にした。

腐敗と警察の弱体化

国家警察(PNH)は装備不足、人員不足、汚職に苦しみ、多くの警官がギャングに買収されている。結果として、治安維持機能は著しく制限され、市民は警察ではなくギャングに頼らざるを得ない状況が生じている。


3. 経済的基盤

ギャングは経済的困窮と脆弱な産業構造を背景に勢力を拡大している。

貧困と若者の流入

ハイチは西半球で最も貧しい国の一つであり、失業率は高く、特に若年層に雇用機会がない。ギャングは生活手段を失った若者を組織に取り込み、武器と最低限の収入を与えることで忠誠を確保している。

犯罪経済

麻薬密輸は主要な収入源であり、ハイチは南米から米国へのコカイン輸送の中継地として機能している。また、誘拐ビジネスが急増し、身代金要求によって市民や外国人を恐怖に陥れている。さらに、武器取引や港湾支配による物資流通の独占も資金源となっている。

国際援助資金の流用

ハイチは国際援助に依存しているが、その一部は腐敗を通じてギャングや政治家に流れ、逆に犯罪勢力を強化する結果となっている。


4. ギャング抗争の実態

現在のハイチでは複数の大規模ギャング連合がポルトープランスを中心に領域支配を競い合っている。

代表的勢力
  • G9 Family and Allies:元警察官ジミー・シェリジエ(通称バーベキュー)が率いる連合体。ポルトープランスの広範囲を支配し、政治的野心を公然と表明している。

  • G-Pep:G9に対抗する主要勢力で、複数の独立ギャングのゆるやかな連合。

  • その他、数百の中小規模のギャングが存在し、頻繁に同盟や裏切りを繰り返している。

戦闘の様相

ギャング同士の抗争は重火器を用いた市街戦の形を取り、住民を巻き込む無差別な暴力が多発している。道路封鎖、放火、虐殺、強姦が繰り返され、ポルトープランスでは日常生活そのものが危険にさらされている。

領域支配と統治

ギャングは単なる犯罪集団ではなく、地域社会に対して「統治者」として振る舞うこともある。食料や医療を提供する一方で、住民からの徴税や強制労働を課す。これは国家が果たせない公共サービスを代替するものであり、結果として住民はギャング支配を受け入れざるを得ない。


5. 市民社会への影響

ギャング戦争の最大の犠牲者は一般市民である。

  • 人道危機:数十万人が国内避難民となり、住居や生計を失っている。

  • 教育の崩壊:学校が閉鎖され、子供たちが武装組織にリクルートされやすくなっている。

  • 医療危機:病院は襲撃や物資不足に直面し、治療を受けられない患者が増えている。

  • ジェンダー暴力:女性や少女が性暴力の標的となり、支配の道具として利用されている。

このように、ギャング戦争は市民生活のあらゆる側面を侵食し、社会そのものを崩壊させつつある。


6. 国際社会の対応

ハイチの危機は国際社会にも大きな課題を突きつけている。

国連と域外勢力

国連は過去に平和維持活動を展開したが、成果は限定的で、逆に性的暴力やコレラ流行の原因を作ったと批判された。現在は治安支援のための多国籍部隊が派遣されているが、治安改善には至っていない。

米国と近隣諸国

米国は最大の影響力を持つが、直接介入には慎重である。武器流入規制や制裁、警察訓練支援などを行っているが、抜本的解決には至っていない。カリブ共同体(CARICOM)も仲介を試みているが、政治的合意形成は難航している。

NGOと市民社会

人道支援団体は食料・医療支援を行っているが、治安の悪化で活動が制限されている。現地住民の自衛組織が生まれているが、これも新たな暴力の連鎖を招くリスクを孕んでいる。


7. 今後の展望と課題

ハイチのギャング戦争を終結させるためには、単なる治安対策にとどまらず、国家再建の包括的アプローチが不可欠である。

  • 政治的正統性の回復:選挙を通じた正統な政権樹立が必要だが、現状では安全な投票環境すら整っていない。

  • 警察・司法改革:汚職を一掃し、装備と訓練を強化することが前提となる。

  • 経済的代替手段の提供:若者に正規の雇用を与え、ギャングへのリクルートを防ぐ政策が求められる。

  • 国際的連携:一国の介入ではなく、地域機構と国連を含めた国際的な枠組みで支援を行う必要がある。

しかし現実には、政治的意思と国際社会の協調が欠けており、短期的に解決の兆しは見えにくい。


結論

ハイチにおける「ギャング戦争」は単なる犯罪集団の抗争ではなく、国家の崩壊と統治空白の中で非国家武装勢力が社会を実効支配する現象として実装されている。歴史的な暴力文化、政治とギャングの癒着、経済的困窮、国際的無関心が複雑に絡み合い、現在の危機を形作っている。

この戦争の本質は「誰が市民を支配するか」という国家統治の根本的問題であり、警察や軍の強化だけでなく、政治改革と経済再建を同時に進めなければ終結は難しい。ハイチの未来は依然として不透明であり、ギャング戦争は当面、同国の社会を決定的に規定する要因であり続けるだろう。

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