コラム:女性のオナニー(自慰行為)がタブー視される風潮
女性のオナニー(自慰行為)がタブー視される風潮は、日本社会に根深く存在するジェンダー規範、性教育の遅れ、歴史的道徳観念、偏見・スティグマなど複合的な要因によって支えられている。

1. 日本の現状(2025年11月現在)
まず、日本社会における性および性教育の現状を概観する。
性教育の遅れ
日本では、包括的性教育(人権・ジェンダー・多様性を含む性教育)の普及が遅れているとの指摘がある。埼玉大学の田代美江子教授(ジェンダー教育学)は、性教育が生物学的な「生殖」知識や方法論だけで終始し、性の社会・文化的側面、快楽、同意、多様性などを扱う機会が少ないと批判している。
性の話へのタブー感
性そのものを学校や家庭で話すことに抵抗がある文化が根強い。東洋経済の報道によれば、性教育を「いのちの安全教育」として扱えれば変化のきっかけになるが、多くの保護者・教育関係者にとって性の話は忌避されやすい。
社会の偏見・ジェンダーバイアス
性に関するジェンダーバイアスやタブーが社会に残存している。Business Insider Japanによると、性の話題そのものがタブー視されがちであり、特に女性の性(性欲、自分の身体、オナニーなど)は公に語られにくい。
芸術/カルチャーにおける規制と表現の困難性
たとえば、日本人アーティスト「六根だなしこ(Rokudenashiko)」が自分の膣形状をかたどったアートやカヤックを作ったところ、猥褻物として摘発を受けた。
プライベートでの調査データ
性具ブランドIrohaの調査(日本国内の女性492人対象)によると、自慰経験のある女性が多い一方で、87%が友人に自慰の話をしたことがなく、会話が非常に限られていることが分かっている。
これらの現状から、日本では性教育・文化の中で「性の快楽」や「個人の性行為(自慰を含む)」を開かれた話題にすることには多くの障壁がある。
2. 結論:女性のオナニー(自慰行為)がタブー視される風潮
女性のオナニーが社会的にタブー視されるのは、単なる無知や恥ずかしさだけでなく、深く根ざしたジェンダー・社会構造、性規範、歴史的・文化的価値観が影響している。日本を含む多くの社会では、性行為の主体性や快楽よりも、女性の役割を「性的対象」「母」「純潔の保持者」として限定する考え方が依然強く、これが女性の自慰行為を公に認めにくくさせている。
3. 主な理由
女性のオナニーがタブー視される理由には、多面的な構造がある。主なものを以下に整理する。
歴史的・道徳的規範
戦後日本では、文部省などによる「純潔教育」が行われ、特に女性に貞操を求める規範が教育制度に組み込まれてきた。
ジェンダー中心的な社会規範
性に関しては男性中心の視点が根強く、性行為の目的を生殖や男性の快楽に限定した価値観が存在する。これは、性を「コントロールされた、許容された枠内の行為」として捉える社会規範があるためである。
言葉のタブー
日本では女性器や性行為についての言葉遣いもタブー視されやすい。六根だなしこの事件も示すように、性器や性的内容を公に表現することに対する法的・文化的規制がある。
性教育の欠如・偏り
性教育が不十分または偏っており、オナニーや自慰を含む性の快楽、自分の性の主体性を学ぶ機会が少ない。
ジェンダーバイアスと偏見
女性の性欲を過小評価する・女性は性をコントロールすべきという偏見がある。性の主体として語ることを躊躇させる文化がある。Business Insiderの記事でも、性のタブー感は保守的な規範や性差別と結びついていると指摘されている。
社会的ネガティブ反応
自慰をする女性への否定的な評価(“いやらしい”、 “恥ずかしい”、 “恋人がいないからしている” といった見方)が根強く残る。若い女性の間でも「自慰について話すと引かれるかも」と感じる人が多い。Irohaの調査でも、友人に話すことがほとんどないという回答が多数を占めている。
性の目的の限定
性的行為はしばしば「生殖」や「男女関係の枠組み内のセックス」と結びついて語られ、自慰という自己完結型の行為はその枠から外れるものとして扱われやすい。
4. 男性中心的な社会規範と性の目的の限定
女性のオナニーがタブー視される背後には、性行為に関する社会的期待や役割分担が大きく影響している。
男性中心の性観
日本社会(および多くの文化圏)では、性行為における主導権や快楽の中心が男性にあるとされがちだ。性教育関係者が指摘するように、セックスが男性の支配行為、女性は従う・受け身という構図が強く残っている。
性の目的を生殖と快楽の道具化に限定
性行為の社会的な「正当性」は、生殖や結婚関係内での性として語られることが多く、個人の自己満足や快楽追求としての自慰行為は価値が低くみなされやすい。これは、性行為を「異性間・生殖重視」で語る社会規範が根底にあるからである。
5. 男性の快楽や生殖の道具として捉えられがち
女性の性行為が、しばしば男性の快楽や生殖手段として語られる傾向がある。
性的関係における支配構造
性が男性の主導で進められ、女性は応じる側、快楽源として扱われる。専門家の指摘では、多くの女性が自分の快楽を伝えられず、男性の好みや要求に合わせてしまうという。
身体を「道具」として見る視点
女性の身体が、生殖器としての役割や男性の性的満足のための手段として語られがちであり、自慰行為のような主体的・自己完結的な性行為は、その視点から逸脱するものとしてタブー視される。
6. 性教育における扱いの違い
性教育の内容や方法にも、男性と女性で不均衡がある。
純潔教育の継続
戦後から続く「純潔教育」では、特に女性に対して「貞操」「純潔」が求められてきた。
包括的性教育の遅れ
包括的性教育(人権・ジェンダー・自己決定などを含む)が日本では十分に普及しておらず、性の快楽や自慰が教育内容に含まれないことが多い。
学校でのジェンダー・バイアス
中学校などで実践される性教育の中には、男女別や性別役割を強化するような授業設計があるとの指摘もある。
バックラッシュの歴史
性教育を進める動きに対する保守的・批判的な反発も強い。性教育・ジェンダー教育への反発は長く、政治的・社会的な論争が続いている。
7. 各国・地域における、女性自慰に関する教育の導入
一方で、世界には女性の自慰行為や性の主体性を性教育に取り込もうとする動きもある。
国際的ガイダンス
ユネスコなどが提唱する「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(ITGSE)」では、性教育は人権・ジェンダー・性的多様性・同意・快楽などを含む包括的アプローチをとるべきとされる。
「自慰」や「自己の快楽」を扱う教材
国によっては、学校の性教育カリキュラムに自慰やマスターベーションを自己探求およびウェルネスの一部として扱う例がある(ただし日本ではまだ一般的ではない)。
8. ジェンダーバイアスと偏見
性にまつわる偏見とジェンダー・ステレオタイプが、女性の自慰に対するタブーを強化している。
性欲に対する偏見
「女性は男性ほど性欲が強くない」「性欲は男性のもの」という誤ったステレオタイプが依然存在。これにより、性欲の自己肯定や自己表現が抑えられる。
純潔観の強制
女性に対して「純潔」であること、性的に控えめであることを求める文化が根強い。性行為、特に自己の快楽のための自慰を語ることは、この観念と対立しうる。
タブー化の内面化
多くの女性が自慰を「恥ずかしい」「話せない」こととして内面化しており、友人やパートナーとも話題にしにくい。Irohaの調査では、友人に自慰の話をした人は極めて少ない。
ネガティブな社会反応
自慰をする女性が「性的にだらしない」「自己制御ができていない」などと見なされることもある。
9. 「女性は純潔であるべき?」という価値観
日本の純潔教育
前述のように、戦後から続く純潔教育は女性への貞操・純潔観を強調してきた。
性と道徳の結びつき
性行為を道徳や「正しさ」と結びつける文化があるため、自慰のような「私的」「非再生産的」な性行為は許容範囲外とみなされる。
純潔と結婚・家族観
「純潔」が結婚や出産と結びつく価値観も根強いため、それに反するとみなされうる性表現(自慰など)は敬遠される。
10. 「女性は男性よりも性欲が少ない?」という誤解
性欲のステレオタイプ
「男性の性欲は強く、女性はそれほどではない」という考えは根強く、自慰行為を持つ女性を「例外」として扱う視点にもつながっている。
研究・データの乏しさ
性欲や自慰に関する質的データ、定量データともに日本国内では十分に公開・議論されていない部分があり、こうした誤解やステレオタイプが訂正される機会が限られている。
自己報告の難しさ
タブー感や恥のためにアンケート調査でも自慰の頻度や性欲の本当の強さを正直に答えられない女性が多い可能性があり、実態と社会認識の乖離がある。
11. 性的欲求を公にすべきではない、という規範
話題化への抵抗
性欲や自慰について公に話すこと自体が「下品」「行儀が悪い」と見なされる風潮がある。
プライバシーとタブー
性は個人のプライベートなものとし、公共空間(学校、メディア、家庭)で積極的に語らせるべきではない、という保守的な見方が強い。
沈黙の強制
タブー視されることで、多くの女性が自慰や性的願望を他者と共有できず、孤立感や恥を抱えやすくなる。
12. 社会的なネガティブな反応や偏見に直面
恥と内面化
多くの女性が自慰を恥ずかしいと感じ、それを語ることができず、自己肯定感や性的自己理解を深める機会を失っている。Irohaの調査結果がこれを示している。
偏見やスティグマ
自慰をする女性に対して「性的に軽い」「自己管理ができていない」などのネガティブラベルが貼られることがある。これは個人の行為の自由とウェルビーイングを阻害する要因となる。
芸術表現の弾圧
前述の六根だなしこ事件のように、性器や性的な表現を含む芸術活動が法的・文化的に制約される例がある。
教育・政策の抑制
性教育の現場で女性主体の性や自慰について話すことが敬遠され、カリキュラムや教材の整備が遅れる。保守派からの反発、バックラッシュも根強い。
13. 女性のセクシュアル・ウェルネス(性の健康と幸福)への関心の高まり
近年、性の健康(セクシュアル・ウェルネス)や性的自己決定権への関心が高まりつつある。
性の自己理解と快楽
自慰は自己の身体や性的嗜好を理解するうえで非常に重要な手段であり、それをタブー視せず肯定的に捉えることは、性的自己決定やウェルビーイングにつながる。
性教育改革の動き
包括的性教育を推進する声が教育者・NPO・市民の間で強まっている。性の多様性やジェンダー平等、同意、快楽などを含む性教育の必要性が認識されてきている。
文化・メディアの変化
アーティストや活動家が、性やオナニーに関するタブーを打破する表現活動を行っている(例:六根だなしこ)。
市場・ビジネスの広がり
性具ブランド、セクシュアルウェルネス系スタートアップが増え、女性向けセルフプレジャー(自己快楽)を肯定する商品・コミュニティが拡大している。Irohaのようなブランドの調査も、その動きの一端を示している。
政策・公的対話
性権利、性教育、女性の性の主体性に関する議論が、ジェンダー平等政策や健康政策の中で徐々に取り上げられつつある。
14. 今後の展望
今後、女性のオナニーおよび自慰行為に関するタブーを軽減し、社会における性の多様性・主体性を尊重する方向への転換には、以下のような課題と可能性がある。
性教育の包括的拡充
学校教育・家庭教育において、包括的性教育(自己決定、快楽、同意、多様性)の導入を進める必要がある。性教育カリキュラムの見直し、教師研修、保護者の理解促進が不可欠である。言論・表現の自由の確保
アート、メディア、公共対話の場で、女性の性や自慰を肯定的に語る表現を支援・保護する。法的規制(猥褻/表現規制)への再検討や緩和も含めた制度的改革が求められる。ステグマ軽減への啓発
タブー感を和らげるための公的キャンペーン、性教育プログラム、地域コミュニティ活動が重要。性に関する正しい知識と、多様な経験を認める文化を育てる。研究とデータ収集の強化
性欲、自慰行為、性的ウェルネスに関する日本国内の調査・研究を促進し、実態把握を進める。信頼できるデータを元に政策や教育の改善を図る。ジェンダー視点からの政策統合
性の主体性を女性の権利として位置づけ、性政策・健康政策・ジェンダー平等政策を統合的に進める。性教育、リプロダクティブ・ヘルス(再生産健康)、セクシュアル・ウェルビーイングを包括する視点を政策に取り入れる。社会対話の深化
タブーを変えるには対話が不可欠。市民、NPO、教育機関、宗教・文化団体などが参加する対話の場を設け、性に関する価値観をアップデートしていく。
最後に
女性のオナニー(自慰行為)がタブー視される風潮は、日本社会に根深く存在するジェンダー規範、性教育の遅れ、歴史的道徳観念、偏見・スティグマなど複合的な要因によって支えられている。しかし近年、性の主体性、快楽、ウェルネスに対する関心の高まりとともに、このタブーを乗り越えようとする動きも増えている。性教育の改革、表現の自由の拡大、スティグマの軽減、研究の強化などを通じて、女性が自分自身の性を受け入れ、肯定的に探求できる社会を目指すことが重要である。
