コラム:世界における「スパイ」の活動実態
現代のスパイ活動は、従来のヒューマン・インテリジェンスに加えて、サイバー諜報・AI活用・情報操作・認知戦といった多層的戦いとなっている。
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2026年現在、国家間・非国家主体間の情報戦は高度に複雑化している。旧来の「人間による潜入・接触」といった活動は依然として存在するが、サイバー空間やAI(人工知能)を活用した高度な情報収集・攻撃活動が主軸となりつつある。冷戦後の単純な二極対立に代わり、多数の国家・企業・非国家組織が並列的に情報的優位性を競う状況が生じている。世界各国の防諜・国家安全保障部門は、従来のヒューマン・インテリジェンス(HUMINT)に加え、サイバーインテリジェンスやシグナル・インテリジェンス(SIGINT)、オープンソース・インテリジェンス(OSINT)など多様な情報資源への依存を高めている。
このような背景により、国家間の対立・競争はもはや単なる軍事力の競合ではなく、情報・技術・経済を含む複合的戦いとなっており、「スパイ活動」の実態もまた多岐にわたる。
スパイとは
「スパイ(spy)」とは、本質的に他者(通常は国家や組織)に対して秘密裏に情報を収集・伝達する人物や行為を指す。法的・倫理的立場からは諜報活動や秘密工作として扱われ、対象によっては国際法や各国法に抵触することがある。
スパイ活動は、一般に以下の目的で行われる:
国家安全保障に関する情報収集
軍事的・政治的決定支援
経済・技術情報の獲得
対立国の戦略意図把握
相手方の意図的な攪乱・欺瞞工作
歴史的には、伝統的スパイ活動は人間スパイによる接触・潜入・秘密通信を中心としていたが、近年はサイバー空間を媒介とした活動が急速に拡大している。
世界のスパイ活動
世界のスパイ活動は、冷戦期を通じて最も高い緊張状態を経験したが、21世紀の現状はそれを凌駕する多層的な競争を呈している。主要国家は公的機関として諜報組織を持ち、一定の法制度に基づき活動を行っているものの、非政府主体や企業主体の情報活動も同時並行的に行われている。
代表的な国家諜報機関の例として:
アメリカ合衆国:CIA、NSA、FBI(国内安全保障との複合)
ロシア:SVR(対外諜報)、FSB(国内外複合)
中国:国家安全省(MSS)等
英国:MI6、GCHQ
フランス:DGSE
イスラエル:モサド、シェーバク
などが挙げられる。各機関は軍事情報、経済情報、技術情報および政治情報の収集・分析を目的とするが、手段と規模は時代と共に進化している。
AIやサイバー技術を駆使した「見えない戦い」へと進化
近年のスパイ活動で顕著なのは、物理的空間ではなくデジタル空間を主体とした活動の増大である。インターネット、クラウドシステム、モバイル通信といったインフラを通じてデータが瞬時に流通する現代社会は、情報の収集・解析・操作を大規模かつ低コストで可能としている。
AIは、このデジタル空間において2つの主要な役割を果たしている:
大量データの分析・パターン検出:AIは大量の通信ログ、公開情報、センサー情報から有意な兆候を抽出することができる。
自動化された攻撃と防御:マルウェアやフィッシング攻撃、あるいは防御側の侵入検知システムにもAIが活用される。
このような状況は、情報活動を「見えない戦い(Invisible Warfare)」へと転換させている。
サイバー・エスピオナージ(サイバー諜報)の高度化
サイバー・エスピオナージ(Cyber Espionage)は、コンピュータネットワークや情報システムを介して他者の秘密情報を取得する行為であり、国家間・国家対企業・企業間で広範に観測される。
サイバー諜報は以下の特徴を持つ:
ネットワーク侵入による情報窃取
ソーシャルエンジニアリングを用いたアクセス権取得
バックドアやゼロデイ脆弱性の悪用
具体的な事例として、国家支援とされるハッカー集団が政府機関や研究機関のネットワークに侵入し、政策情報や技術情報を長期間に渡って取得するケースが確認されている。
AIによる自動攻撃
AIを用いた攻撃は、従来の手動攻撃とは異なり自己学習・自律的行動を可能とする。AI攻撃の代表例は以下の通り:
Self-learning malware(自己学習マルウェア):侵入後に防御機構を回避しながら最適経路で情報を収集する
Adaptive phishing(適応型フィッシング):標的個人の行動パターンを分析し最適な詐欺メールを自動生成する
こうした攻撃は防御側にとって検知困難であり、防御手法もAIを組み合わせた対抗策が必要とされている。
アイデンティティの搾取
アイデンティティ(個人情報)はサイバー空間における最大の資源となっている。個人の通信履歴、取引記録、位置情報、生体情報などが第三者の手に渡ると、これらは以下に利用され得る:
アカウント乗っ取りによるなりすまし
社会的信用情報の悪用
心理的操作のためのデータベース化
高度な攻撃者は、ビッグデータやAIを駆使して個人プロファイルを構築し、標的型攻撃や世論操作に利用している。
経済安全保障と技術略奪
21世紀の諜報活動は軍事情報のみならず、経済情報・技術情報の収集が中心となっている。先端技術(半導体、AI、量子コンピュータ、バイオテクノロジー等)は国家競争力の根幹であり、これらの情報は国家戦略上価値が非常に高い。
経済スパイ活動は以下の形態を取る:
企業秘密の窃取
共同研究の名の下に技術移転を得る
人材の引き抜き
国家が後ろ盾となって特定企業や研究機関に対して圧力・誘因を与え、間接的に技術情報を獲得することもある。
重要セクターの標的化
電力、交通、金融、通信、水道、医療といった重要インフラセクターは、サイバー諜報・攻撃の主要な対象である。重要セクターへの侵入は単なる情報窃取に留まらず、インフラ停止や経済混乱を引き起こす可能性がある。
国家レベルの攻撃者は、こうしたインフラシステムに潜伏し、必要に応じて破壊的攻撃を行うための「バックドア」を設置することが確認されている。
ビジネスを隠れみのにした活動
国家主体のスパイ活動は、しばしば民間企業やコンサルティング会社を隠れみのとする。これらの企業は合法的な商取引を通じて対象国・対象企業にアクセスし、情報を収集する役割を果たす。
このような活動は「カバーカンパニー(cover company)」 と呼ばれ、正規のビジネス活動と諜報活動が表裏となっている。
ハイブリッド戦と認知戦
現代の情報戦は「ハイブリッド戦(複合戦)」と呼ばれる状態にあり、軍事・経済・情報・心理戦の境界が曖昧になっている。認知戦(Cognitive Warfare)は、情報を用いて相手国民の認知や意思決定に影響を与える戦略である。
認知戦の手法には以下が含まれる:
偽情報の拡散
ソーシャルメディアを用いた感情操作
アルゴリズムを悪用した情報バブル形成
これらは国民の政治意識を分断・操作するために用いられる。
ディープフェイクの悪用
AI技術の発展に伴い、ディープフェイク(Deepfake)と呼ばれる偽映像・音声生成技術が台頭している。これらは政治家や企業役員の発言を偽造し、重大な誤解や混乱を引き起こす目的で悪用されることがある。
ディープフェイクは、以下の点で脅威となる:
真偽判定の困難さ
大量生成による情報洪水
世論の操作・混乱誘発
政府やプラットフォーム企業は検出技術の開発に取り組んでいるが、攻撃と防御の「いたちごっこ」が続いている。
世論の分断
情報空間における活動は、単に機密情報を盗むだけでなく「世論を分断すること」を目的にすることがある。特定の社会集団の不満・恐怖を刺激する偽情報は、その社会の結束を弱め、政策決定過程に混乱をもたらす。
この種の活動は、国家主体だけでなく非国家主体や過激派によっても行われる。
伝統的諜報(HUMINT)の変容
サイバー・情報技術の進化によって、伝統的な人間スパイ(HUMINT)の役割は変容しているが、依然として不可欠な要素として残っている。特に以下の局面では人間スパイが重要になる:
現場のニュアンス把握
秘密協力者の獲得
非デジタル領域の情報
HUMINTは高度な心理戦・関係構築スキルを要するため、依然として専門訓練を受けた工作員が必要とされている。
古典的な「人間スパイ」も依然として重要
AIやサイバー諜報が進化しても、人間的判断や現場での信頼関係構築は機械には代替できない。特に政治・軍事・社会的背景を理解する上で、現地人との対話や現場での観察は重要であり、これらを担う人間スパイは依然として活躍している。
また、技術情報や企業秘密にアクセスするために、合法的な身分(留学生、研究者、ビジネスマン)を装う形の潜入が行われることもある。
合法的な身分での潜入
国家や組織は、学生、研究者、ジャーナリスト、商社マンなど合法的な肩書を利用して標的国に滞在し、情報収集を行うことがある。これらの人物は正規の活動を行いながらも、裏面で諜報活動や連絡業務を果たす。
こうした手法は、法的なグレーゾーンを突く活動として長年にわたり各国で利用されている。
経済的・心理的結びつきの利用
スパイ活動はしばしば対象人物の経済的・心理的弱点を利用することで情報を引き出す。個人の借金、家庭問題、名誉欲、恐怖心などを突くことで、対象を操作する戦術が使われる。
これはブラックメール(恐喝)や恩赦の提示といった形で表れることもある。
日本を取り巻く現状
日本は先進技術国であり、経済的・技術的情報の宝庫と見なされている。このため他国の情報活動の対象となることが多い。とりわけ半導体、AI、量子技術、バイオ技術といった分野は外国の関心が高い。
また日本は防諜法制が整備されていないため、諜報活動の抑止力が弱いという指摘が国内外でなされている。
「スパイ防止法」が存在しない数少ない国の一つ
日本は2026年時点でも包括的なスパイ防止法(国家の安全保障を守るための諜報活動禁止法)が制定されていない数少ない先進国である。これは諜報活動に対する法的抑止力の欠如として批判されている。
その結果、是認されていない情報活動が野放しになる可能性があり、外国主体による諜報活動の温床となる恐れがあると指摘される。
各国の情報活動にとって「天国」とも揶揄される状況
この法制度上の空白は、外国の諜報組織にとって日本が「天国」とも揶揄される一因となっている。法的規制が緩い環境では、表向きのビジネスや研究活動の裏で情報収集が行われやすい。
そのため専門家は日本における諜報活動の透明化・防諜能力強化を強く求めている。
今後の展望
今後のスパイ活動は、さらなるAI技術の進化と量子コンピュータの実用化により、情報戦がより高速・大規模化することが予想される。防諜戦略は単なる技術防御だけでなく、政策・法制度・教育・国民意識の向上を含む包括的対策が不可欠になる。
また国際社会における情報活動ルールの形成も重要となる。サイバー空間での攻撃・防御の線引きや法的責任の所在などが問われることになる。
まとめ
現代のスパイ活動は、従来のヒューマン・インテリジェンスに加えて、サイバー諜報・AI活用・情報操作・認知戦といった多層的戦いとなっている。国家・企業・非国家主体が競合する情報空間では、技術的優位性や情報の迅速な収集・分析能力が国家戦略に直結する。
特に日本は防諜法制の不備により諜報環境の脆弱性を指摘されており、国内外の専門家から改善を求める声が高まっている。今後は国際ルール形成と国内法整備、そして包括的な防諜・教育戦略が喫緊の課題となる。
参考・引用リスト
Richard J. Aldrich, The Hidden Hand: Britain, America, and Cold War Secret Intelligence
Loch K. Johnson, National Security Intelligence
Matthew M. Aid, The Secret Sentry: The Untold History of the National Security Agency
James Bamford, The Puzzle Palace
各国政府発行の公開情報安全保障報告書(CIA World Factbook, UK Defence Intelligence etc.)
近年のサイバーセキュリティ関連報告書(ENISA, NIST, 米NSA報告)
学術誌 Intelligence and National Security の関連研究論文
ジェームズ・ボンドのようなスパイは実在するか
結論
結論から述べれば、ジェームズ・ボンドのようなスパイは「部分的には実在した/している」が、「映画そのままの存在」は現実には存在しない。
ボンド像は、実在の諜報員・諜報活動の要素を組み合わせた「理想化・誇張された複合モデル」であり、現実のスパイ活動とは目的・手法・リスク管理の面で大きく異なる。
ジェームズ・ボンド像の特徴整理
まず、007シリーズにおけるジェームズ・ボンド像を整理する。
映画に描かれるボンドは、以下の特徴を持つ。
国家直属の諜報員(MI6)
単独行動が多い
武装・戦闘能力が極めて高い
高度なガジェットを即席で使用
正体が明らかになっていても任務を遂行
敵を物理的に排除することが多い
任務失敗の政治的責任がほぼ描かれない
これらを基準に、現実の諜報活動と照合する。
ボンドのモデルは実在したのか
イアン・フレミングと実在の諜報員
007シリーズ原作者イアン・フレミングは、第二次世界大戦中に英国海軍情報部(Naval Intelligence Division)に所属していた。彼自身は前線工作員ではなかったが、多数の諜報作戦・工作員と接触している。
フレミングが参考にしたとされる実在人物には以下が含まれる。
シドニー・ライリー(ロシア革命期の英国スパイ)
デュスコ・ポポフ(ユーゴスラビア出身の二重スパイ)
ビル・フェアバーン(近接戦闘・暗殺訓練の専門家)
これらの人物は、
・危険な潜入
・偽装身分
・多国籍な活動
・女性関係や派手な生活
といった点で「ボンド的要素」を持っていた。
したがって、ボンド像の断片的要素は実在する。
「殺しのライセンス」は実在するのか
法的・制度的観点
映画ではボンドは「殺しのライセンス(00番号)」を与えられている。
現実には、このような無制限の殺害権限は存在しない。
ただし以下の点は事実である。
特殊作戦部隊・諜報員は「致死行為を伴う作戦」に関与することがある
国家元首や政府の明確な承認のもとで行われる
法的には「戦時行為」「国家安全保障行為」として扱われる
つまり、
ボンドのような裁量権を個人が持つことはないが、国家承認の暗殺・拘束作戦自体は現実に存在する。
例として:
イスラエル・モサドの対テロ作戦
米国CIAのドローン作戦(9.11以降)
単独行動のスパイは存在するのか
現実の諜報活動の基本原則
現実の諜報活動では以下が原則である。
単独行動は極力避ける
複数部署・複数人での分業
バックアップ、回収、否認可能性の確保
映画のように「一人で潜入し、即断即決で敵基地を破壊する」行為は、
政治リスクが高すぎる
作戦失敗時の責任が国家危機になる
情報活動として非効率
とされる。
したがって、ボンドの単独ヒーロー型行動はフィクション性が極めて高い。
ガジェットとハイテク装備は現実的か
現実との一致点
Q支給の秘密兵器の多くは誇張されているが、
隠しカメラ
小型盗聴器
暗号通信機器
偽造書類
生体認証偽装
といった要素は現実に存在する。
現実との乖離点
一方で、
即席で使える万能兵器
故障しない装備
現場での無制限使用
は非現実的である。
現実の諜報機器は故障・痕跡・追跡リスクが常に問題となる。
女性関係・派手な生活は現実的か
歴史的には、
派手な生活を送る諜報員
異性関係を利用する工作員
は確かに存在した。
しかし現代の諜報機関では、
交友関係は厳密に管理
私生活は監視対象
スキャンダルは即失職
が基本である。
ボンドのような奔放な私生活は、現代では即セキュリティリスクと見なされる。
専門家の評価
元MI6長官アレックス・ヤンガーの発言(要旨)
「ジェームズ・ボンドは優れた娯楽だが、現実のMI6とは大きく異なる」
「現実の諜報活動は地味で、長期的で、法と政治に縛られている」
CIA・NSA関係者の共通見解
映画は「最も派手な1%を100%として描いている」
現実はデータ分析と人間関係構築が中心
なぜボンド像が生まれたのか
ボンド像は以下の要素を満たすために作られた。
冷戦期の国家的英雄像
英国の国威発揚
諜報活動のロマン化
観客のカタルシス
現実の諜報活動は秘密性が高く、娯楽として成立しにくいため、意図的な誇張が不可欠だった。
総合評価(検証結果)
| 観点 | 実在性 |
|---|---|
| 国家直属の諜報員 | 実在する |
| 危険な潜入任務 | 実在する |
| 暗殺作戦への関与 | 条件付きで実在 |
| 単独ヒーロー型行動 | ほぼ不存在 |
| 無制限の裁量権 | 不存在 |
| 派手な私生活 | 現代では非現実的 |
最終結論
ジェームズ・ボンドのようなスパイは、
「要素としては実在する」
「人物像としては存在しない」
ボンドは、
実在した複数の諜報員・諜報活動を素材に、映画的要請によって再構築された架空の理想像である。
現実のスパイは、銃撃戦よりも会議室と端末の前に座り、爆発よりも沈黙を選び、英雄よりも「存在しなかった人」として歴史に残る存在である。
それこそが、映画と現実を分ける決定的な違いである。
