コラム:認知症を防ぐカギ!聴力チェック
認知症予防において「聴力チェック」は今や無視できない重要性を持つ。
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「認知症」は世界的な高齢化に伴い急速に増加している神経変性疾患群であり、日本国内においても高齢者の大きな健康課題となっている。認知症は記憶、注意、実行機能、認知機能全般を障害し、日常生活に重大な支障を来す疾病として社会的・医療的負担が極めて大きい。治療法は進行を遅らせる対症療法が中心であり、病態そのものを根治する手立てはまだ確立されていない。そのため、予防可能なリスク因子の同定と介入が重要視されている。
2017年・2020年に発表された『ランセット』を中心とする大規模データ解析では、認知症発症に寄与する複数の修飾可能な危険因子を挙げ、その中でも「難聴(hearing loss)」が最大の中年期における予防可能因子として位置づけられた。これは認知症予防研究にとって歴史的転換点となり聴力低下の認知症リスクへの寄与に対する研究が世界的に加速している。
このような背景の下、聴力低下と認知症の関連性、メカニズム、予防効果、そして聴力チェックの重要性が注目されている。
認知症とは
認知症は記憶障害にとどまらず、言語機能、判断力、認知遂行機能、情動制御、社会的行動など多様な認知領域を持続的に低下させる症候群である。アルツハイマー病、血管性認知症、レビー小体型認知症など複数の病型が含まれ、それぞれ病理学的特徴が異なる。しかし、臨床的には進行性の認知低下と日常生活の機能障害を共通の特徴とする。
また認知症の発症には多因子性が強く、加齢、遺伝的素因、生活習慣、環境要因の相互作用が関与する。すでに高齢化社会において認知症患者は増加傾向にあり、認知症患者を抱える家族や医療・介護システムの負担は増大する一方である。
認知症予防で「聴力」が注目される最大の理由
近年、認知症リスク要因として聴力低下の重要性が国際的に認識され、修正可能な因子の中で最大の影響力を持つ可能性があると報告されている。ランセットのレビューは、40%以上の認知症は予防可能なリスク要因に関与すると推計し、その中でも難聴が最大の中年期におけるリスク要因であると位置付けている。
具体的には以下の点が注目される:
難聴は中年期から発生し得るため、認知症予防介入の時期として適切である。
治療あるいは補聴補完による介入が可能であり、他の多くの危険因子(遺伝的素因等)と異なり修正可能である。
難聴の存在は認知症リスクを統計的に増大させると複数の疫学研究が示す。
これらの理由から、認知症予防における「聴力チェック」は重要な予防戦略として位置づけられつつある。
なぜ聴力チェックが重要なのか?
認知症予防における聴力チェックの重要性は、単なる聴力の測定を超えて「適切な介入と早期対応」のための基盤となる点にある。
まず、客観的聴力評価は主観的自覚とは異なるデータを提供する。多くの研究は自己申告による聴力障害評価と比較し、客観的な聴力検査(聴力閾値測定など)が認知症リスクの正確な評価に優れることを示している。観察研究において、自己申告ではなく客観的評価された難聴が認知症リスクと関連することが確認されている。
さらに、適切な聴力チェックは以下の点で意義がある。
リスクの早期発見と介入機会の創出
認知予備能(cognitive reserve)低下プロセスの抑制
社会的孤立やうつ傾向など二次的因子の予防効果評価
これらはすべて聞こえの変化を客観的に捉えることから始まるため、聴力チェックは予防戦略の中心となる。
リスクの増大
疫学研究は聴力低下と認知症リスクとの間に量的関係を示している。具体例として、英国で行われたコホート研究のメタ解析では、軽度の難聴でも認知症リスクが増加し、中等度・重度になるほどリスクがさらに高くなることが示された。軽度・中等度・重度の難聴者はそれぞれ通常聴力者と比較して認知症発症リスクが段階的に増加したという傾向が複数のデータセットで確認されている。
また、特定のコホート研究では認知症発症の約30%が臨床的に意味のある難聴に起因すると試算された例も報告されており、聴力低下は認知症に寄与する有意な人口寄与リスクを持つ可能性があるとの示唆もある。
予防のインパクト
認知症の予防インターベンションとして聴力への取り組みは他の予防手段と比較して相対的に大きな影響を持ちうる。難聴は高齢者に多いが、その対策として補聴器や聴覚リハビリテーションが利用可能であり、臨床的介入が意味を持つ。
補聴器装用の早期介入が認知症進行の遅延に寄与する可能性は、複数の観察研究やコホート研究で示唆されている。ランセットの大規模レビューにおいても、補聴器の使用が長期的認知機能低下リスクを減少させる可能性が報告されるなど、有望なデータが蓄積されつつある。
難聴が認知症を引き起こす3つの仕組み
聴力低下が認知症リスクを増大させる生物学的・行動的メカニズムとして、主要に以下の3つの仮説が提唱されている。
1. 脳への刺激低下
聴覚は脳への感覚刺激として重要であり、刺激が減少することで感覚入力の低下が神経可塑性や認知リザーブに影響を与えるという仮説がある。聴覚刺激の低下は脳の灰白質体積減少や前頭葉・側頭葉の機能低下と関連すると示唆されている。こうした変化は認知機能の低下と行動変容につながる可能性がある。
2. 脳への過剰な負担(認知負荷仮説)
難聴者は聞き取りの困難性から言語理解に必要な認知リソースを過度に消費する。その結果、注意・記憶などの他の高度認知機能に割く資源が不足し、認知機能低下を加速するという理論がある。聴覚ストレスは結果として脳のネットワーク効率に悪影響を与える可能性が指摘されている。
3. 社会的孤立
難聴がコミュニケーション障害を引き起こすと、社会的活動への参加減少、孤立、うつ状態が増加し、それ自体が認知症リスクを高める行動因子となる。社会的孤立は認知機能低下を促進し、精神的刺激の欠如が神経変性を加速させる可能性がある。
具体的な対策
認知症予防における聴力対策には複数のアプローチが存在し、以下に代表的なものを挙げる。
早期発見
聴力低下は初期段階では自覚しにくい場合が多い。そのため、定期的な聴力チェック(検査)が重要である。特に中年期(40~60歳代)からの経過観察は認知症予防の観点から有効であると考えられている。
客観的な聴覚検査は純音聴力測定や語音聴力検査により行われ、これは認知機能評価と併せて統合的に評価可能である。自己申告では見逃されがちな聴力低下を科学的に捉えることができる点で、早期発見は介入に際して有効なスタートポイントとなる。
補聴器の活用
補聴器は聴力低下による感覚刺激不足やコミュニケーション障害を補う主要な道具である。研究によると補聴器の使用は長期的な認知低下リスクを低減し得ることが示唆されている。ランセットなどの大規模レビューでは補聴器の装用は認知機能低下リスクを減らす可能性が示されているが、個別の臨床試験では条件差や効果のバラつきがあるため今後さらなる精査が必要である。
補聴器の効果は個人差が大きいため、適合・調整・リハビリテーションを専門家の指導下で行うことが望ましい。補聴器の使用によって社会的参加や生活の質が改善し、行動因子としての認知症リスク軽減につながる可能性がある。
今後の展望
聴力低下が認知症リスクに寄与するメカニズムの解明は進行中であり、遺伝的手法を用いた因果関係の解明研究(メンデリアンランダム化解析)などが進展している。
将来的には聴力検査と認知機能評価を組み合わせた統合的スクリーニングツールの開発、日常生活に密着した簡易聴力チェックの普及、デジタルヘルス技術を用いたリアルタイムモニタリングなどが実用化される可能性がある。
また、補聴器以外の支援(聴覚リハビリ、コグニティブリザーブ向上プログラム、社会参加支援など)を組み合わせた多面的介入の効果検証が進むことが期待される。こうした研究は、認知症予防に向けた包括的な公衆衛生戦略としての位置付けを強化する。
まとめ
認知症予防において「聴力チェック」は今や無視できない重要性を持つ。聴力低下は修正可能なリスク因子として国際的に認識されているだけでなく、その対策としての早期発見、補聴器の活用は認知機能低下の抑制に寄与し得る可能性がある。
聴力低下が認知症のリスクを増大させる仕組みとして、脳への刺激不足、認知負荷の増大、社会的孤立といった複数のメカニズムが示唆されている。これらを踏まえた介入戦略として、定期的な聴力検査、適切な補聴器の使用、社会参加支援などが重要となる。
今後はさらに多角的な研究成果を踏まえ、より精緻な介入プログラムの策定が期待される。
参考・引用リスト
Mendelian randomization study demonstrating causal relationship between hearing impairment and dementia/cognitive decline.
Systematic review of hearing loss as risk factor for dementia.
Review on mechanisms linking hearing loss and dementia.
Review on hearing loss as modifiable risk factor.
Age-related hearing loss and dementia risk.
Alzheimer's Society: Hearing loss and dementia risk.
Alzheimer’s Research UK: Hearing loss and dementia risk.
慶應義塾大学による認知症リスクとなる聴力レベルの解明。
慶大研究グループの補聴器使用と認知症予防。
追記:日本における認知症の実態
日本は世界有数の超高齢社会であり、認知症の実態は他の先進国と比較しても大きな公衆衛生課題となっている。厚生労働省等による有病率・患者数の推計によると、2022年時点の日本の65歳以上高齢者における認知症患者数は約443万人、同年齢層全体の約12.3%に相当するとのデータがある。これは高齢者の約8〜9人に1人が認知症を抱える状況である。さらに軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment)を含めると、MCIも含めて約1,000万人を超えると推計されており、65歳以上高齢者の約3.6人に1人が認知機能低下の何らかの段階にあるとされる。これらの値は日本の高齢化の進展、人口構造の変化と深く関連している。将来的には高齢者人口の増加に伴い認知症患者数はさらに増加し、2050年には600万〜700万人程度に達するとの見通しもある。厚生労働省はこうした背景を踏まえて2019年に「認知症施策推進大綱」を策定し、予防・共生戦略を推進している。
日本の臨床・保健現場においては、認知症の早期発見・介入を重視し、MCI段階から適切な支援やリスク管理を図る動きが進んでいる。こうした施策は単にケア量を減らすだけでなく、患者本人・家族の生活の質を維持することにつながると考えられる。その意味で認知症の予防可能因子の研究が重要となる。
また、日本における難聴(聴力低下)と認知症の関係性についても、国内研究グループが中年期からの聴力と認知機能の関連を検討し、一定の聴力閾値(例えば平均38.75dBHL超過)が認知機能低下リスクに関連する可能性を示すなど、 聴力管理が日本の認知症予防戦略においても現実的な介入対象として認識されつつある。
世界の認知症事情
世界的にも認知症は人口動態の変化と深く関連し、 高齢化とともに有病率は急増傾向にある。世界保健機関(WHO)のデータでは、2021年時点で世界中で約5,500〜5,700万人以上の人々が認知症を患っていると推計されている。また、2030年には約7,800万人、2050年には約1億3,900万人に達すると予測されている。認知症は世界の高齢者の主要な健康課題であり、低・中所得国における患者数が増加する傾向も示される。認知症由来の経済的損失は2020年代に入って既に1.3兆米ドル(約148兆円)に達し、今後さらに増加するとの推計もある。
このような世界的な認知症の増加は、各国の医療・介護システムに大きな負担を与えるのみならず、患者本人・家族・社会全体に深刻な影響を及ぼす。認知症はアルツハイマー型認知症が主要な割合を占め、生活習慣病や環境要因、遺伝的素因などが複合的に関与することが国際的な研究で指摘されている。加えて、認知症リスクを修正可能な因子(例:難聴・高血圧・運動不足・喫煙など)が存在し、予防介入が長期的な公衆衛生対策として重視されている。こうした国際的な研究枠組みは各国の健康政策形成に影響を与えており、認知症予防・早期発見スクリーニングプログラムの策定が進んでいる。
聴力チェックの具体的な方法
聴力チェック(hearing test) は単なる「聞こえる/聞こえない」の判定だけではなく、「どの程度聞こえるか」「どの周波数で聞こえにくいか」「言葉をどの程度理解できるか」などを評価するための複数の検査方法が存在する。これらは臨床的評価・スクリーニング・精密聴力検査の段階に分けて実施されることが一般的である。
純音聴力検査(Pure-Tone Audiometry)
純音聴力検査は最も一般的な聴力検査方法であり、専用の音響検査室でヘッドホンを装着し、異なる周波数・異なる音量の音を順次提示し、被検者が音を「聞こえた」と応答する最小音量(聴力閾値)を測定する。こうした聴力閾値はオージオグラム(audiogram)と呼ばれるグラフに記録され、聴力レベルや難聴の程度・形状を把握する基礎データとなる。検査は一般に空気伝導と骨伝導の両方で行われ、感音性難聴(内耳・神経伝導系)と伝音性難聴(中耳機構)を区別する役割を持つ。
語音聴力検査(Speech Audiometry)
語音聴力検査は言葉の聞き取り能力を評価する検査であり、単純な音の聞こえに加えて、「話し言葉の理解度」を測定する。被検者はヘッドホンを装着し、提示される語音を聞き取り、復唱することで評価される。この検査は日常生活でのコミュニケーション能力に直結する情報を提供し、純音聴力検査単独では捉えにくい「実際の聴力機能」を反映する指標として重要である。
中耳機能検査(Tympanometry etc.)
中耳機能検査は、ティンパノメトリーなどを用いて鼓膜や中耳の状態を機械的に評価する検査である。鼓膜の動きや中耳圧の変化から中耳炎や耳管機能不全などの有無を判定し、聴力低下の原因を分類するのに役立つ。
自動聴性脳幹反応(ABR)・耳音響放射(OAE)
ABRやOAEなど生理学的検査は、主に乳児や応答が困難な対象者の評価に使用されるが、聴覚神経伝導路や内耳機能を客観的に評価する上で重要である。ABRは脳幹反応を測定し、OAEは内耳の外有毛細胞の反応を測定する。
スクリーニングと臨床評価の連携
聴力チェックは大きくスクリーニング(簡易検査)と精密検査に分けられる。スクリーニングでは簡易音聴チェックアプリや語音明瞭度チェックが用いられ、地域保健センター等でも実施されている例がある。日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会等が紹介する「聴脳力チェック」等も、高齢者の初期聴力低下の把握に資する。
臨床評価においては、純音聴力検査・語音聴力検査とともに生活上の聞こえの困難度を詳細に評価し、その上で補聴器適合・リハビリテーション戦略を策定する。
聴力チェックと認知機能評価の統合
近年の日本国内外の研究では、聴力閾値と認知機能スクリーニング検査(例:MMSE、SDMT 等)を組み合わせることで、難聴黎明期からの認知機能低下プロセスを同時に評価する試みが進んでいる。特に慶應義塾大学の研究では、平均聴力閾値(例:38.75dBHL超過)を基準に認知機能低下リスクの評価モデルを提案しており、中年期からの聴力測定と介入契機の科学的根拠を提供している。
追記まとめ
日本では約400万〜600万人規模に及ぶ認知症当事者と、その予備群である軽度認知障害者が存在し、今後さらに増加が予想される。世界的にも認知症有病者は数千万規模で高齢化とともに増加し、国際的な健康課題として取り組まれている。こうした背景から、聴力チェックは単なる聴覚評価に留まらず、認知機能のリスク評価・早期介入契機として極めて重要なツールとなっている。臨床的には純音聴力検査、語音聴力検査、中耳機能検査、ABR/OAEなど複数の検査法を組み合わせることで、聞こえの状態を正確に評価し、適切な介入につなげる必要がある。
