コラム:肝臓をいたわろう、「生体の化学工場」
肝臓は「生体の化学工場」として栄養代謝、解毒、胆汁生成、免疫、血液管理など多面的な機能を担っており、その健全性は個人の健康のみならず社会経済的コストにも大きく影響する。
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日本の現状(2025年12月時点)
肝臓は日本においても重要な公衆衛生課題であり、従来のウイルス性肝炎対策に加えて、生活習慣病に伴う脂肪性肝疾患(MASLD/NAFLD・MASH/NASH)の増加が顕著である。近年の疫学研究は、特定健診などの普及にもかかわらず、非アルコール性脂肪肝(NAFLD)の有病率が増加傾向にあることを示している。ある大規模調査では、男性でNAFLDの有病率が長期間で増加したという報告があり、成人集団における脂肪性肝疾患の拡大が確認されている。これに伴い、肝硬変や肝癌など重篤な肝疾患の原因構成も変化しており、ウイルス性肝炎の治療進展により一部は減少している一方で、代謝性要因による肝疾患が臨床的な関心事になっている。
肝臓は「生体の化学工場」
肝臓はしばしば「生体の化学工場」と表現される。体内に入ってくる栄養素や薬物、有害物質を代謝・変換し、必要な物質を合成し、不要な物質を排泄可能な形にするなど、多岐にわたる化学反応を日々行っている臓器である。肝細胞(肝実質細胞)はこの化学反応の主体であり、糖質・脂質・タンパク質の代謝、ビタミンやミネラルの貯蔵、解毒、胆汁生成と輸送、免疫関連機能などを総合的に担っている。これらの働きが制限されると全身の恒常性が崩れ、多臓器に影響が及ぶ。
主要な働きと重要性
肝臓の主要な働きは大きく分けて次の領域に分類できる。(1)代謝機能、(2)解毒・排泄、(3)胆汁生成と消化補助、(4)免疫・血液管理である。これらはいずれも生命維持に直結する不可欠な機能であり、肝機能の低下は栄養代謝の混乱、毒性物質の蓄積、出血傾向、感染感受性の増加など多面的な問題を引き起こす。
代謝機能(栄養分の処理と貯蔵)
肝臓は摂取された栄養素を処理し、必要に応じて貯蔵し、エネルギー需要に応じて供給する役割を持つ。糖質、脂質、タンパク質それぞれについて以下のような中心的プロセスを担っている。
糖質の代謝
- 肝臓は血糖の恒常性を保つ中心的な器官である。食後はグルコースを取り込み、グリコーゲンとして肝内に貯蔵(グリコーゲン合成)し、空腹時や運動時にはグリコーゲンを分解してグルコースを供給する(グリコーゲン分解)。さらに長時間の飢餓時や低血糖時にはグルコースを新たに合成する(糖新生)機能を持ち、血糖値の急激な上下を防ぐことで脳や赤血球などの恒常性を維持する。これらの反応はホルモン(インスリン、グルカゴン、カテコールアミンなど)により精密に制御される。
脂質の代謝
- 肝臓は脂肪酸の酸化、ケトン体の生成、トリグリセリドの合成と分泌(VLDLとして)を行う。余剰のエネルギーは肝臓で中性脂肪として蓄えられるが、過剰蓄積やインスリン抵抗性が進行すると脂肪肝(脂肪沈着)が起き、炎症や線維化を介して肝障害へと進展するリスクがある。近年、肥満・糖尿病・メタボリックシンドロームの増加に伴って非アルコール性脂肪性肝疾患が増加しており、これは肝臓の代謝機能と生活習慣が密接に結びついていることを示している。
タンパク質の代謝
- 肝臓はアミノ酸を取り込み、必要なタンパク質(アルブミン、凝固因子、補体系タンパクなど)を合成する。また、過剰なアミノ酸は脱アミノ化され尿素回路を通じてアンモニアを尿素に変換し排泄可能な形にする。肝不全ではアルブミンや凝固因子の産生低下により浮腫や出血傾向が生じ、アンモニア排泄障害は肝性脳症の原因となる。肝がタンパク質合成の中心であることは臨床上極めて重要である。基礎栄養状態や慢性疾患の管理に肝合成能の評価が必要である。
解毒・排泄機能
- 肝臓は薬物やアルコール、環境中の化学物質などを代謝して無毒化あるいは排泄可能な形に変換する。これは主にシトクロムP450酵素系や抱合反応(グルクロン酸抱合、硫酸抱合など)を通じて行われる。解毒機能は肝の能力に依存しており、過剰な薬物投与や有害化学物質への暴露は容易に肝障害を招く。さらに、一部のハーブやサプリメントは肝毒性を持ち得るため注意が必要である。食品や栄養素による解毒反応の修飾(誘導や抑制)に関する研究も進んでいるが、現時点では科学的根拠の薄い「肝臓クレンズ」などの流行に依存するべきではないとする専門家の見解がある。
有害物質の分解と老廃物の処理
- 肝臓は血中に入った有害化合物や代謝産物を処理することで全身を守る。アンモニア→尿素変換、不要ヘモグロビンの分解産物(ビリルビン)処理、薬物代謝などが代表例である。これらの処理が破綻すると毒性物質が蓄積し、神経症状や黄疸、その他の全身症状を引き起こす。
胆汁の生成・分泌機能
肝臓は胆汁を生成し、胆道を通じて腸管に分泌することで脂溶性栄養素の消化吸収を助ける。胆汁は胆汁酸、胆汁色素(ビリルビン)、コレステロール、電解質を含む。胆汁酸は脂肪の乳化を助け、膵酵素と協調して脂肪の消化と吸収を促進する。胆汁の分泌や流れが障害されると胆汁うっ滞が起き、脂溶性ビタミン(A、D、E、K)の吸収不良や黄疸を引き起こす。
脂肪の消化との関係
- 胆汁酸の循環(腸肝循環)は脂質の消化吸収だけでなく、コレステロール恒常性の維持にも寄与する。胆汁生成の障害は栄養吸収に直結するため、肝疾患は単なる“臓器障害”にとどまらず全身栄養状態を悪化させる。
その他の重要な機能
肝臓はビタミン(特に脂溶性ビタミンやビタミンB群の一部)やミネラル(鉄、銅など)の貯蔵、血漿タンパク質やホルモン代謝、胆汁酸の合成と代謝などを担う。さらに、ストレス応答や感染時の代謝変換も肝臓が調整するため、全身の病態に対する適応力を左右する。
免疫機能
肝臓は免疫学的にも独特の役割を担っている。クッパー細胞(肝内マクロファージ)やリンパ球が常在し、腸由来の微生物や抗原に対する初期防御を行う一方で、過度の免疫応答を抑制して過剰炎症を防ぐ“寛容”の機能も持つ。このバランスが崩れると慢性炎症や自己免疫性肝疾患の発症につながる可能性がある。
血液の貯蔵と凝固因子の産生
肝臓は血液の一時的な貯蔵庫としての役割を持ち、循環血液量の変化に対応する。また、凝固因子(第I因子フィブリノーゲンやプロトロンビンなど)の多くを合成しているため、肝機能の低下は出血傾向を招く。臨床的にはPT(プロトロンビン時間)やINR、アルブミン濃度が肝合成能の指標となる。
「沈黙の臓器」と呼ばれる理由
肝臓は病気が進行しても自覚症状に乏しいことが多く、初期の肝障害では無症状であることが多いため「沈黙の臓器」と呼ばれる。脂肪沈着や初期の線維化は症状を伴わず進行するため、健診によるAST/ALT(トランスアミナーゼ)や画像検査、線維化マーカーの評価が重要である。結果として、症状が出た段階ではすでに不可逆的な線維化や肝機能低下が進んでいることがあり、早期発見・早期対策が肝臓疾患の予後を左右する。
肝臓をいたわる(生活の指針)
肝臓を守るための基本は生活習慣の改善である。以下に主要なポイントを示す。
アルコールの摂取量を適切に保つ
- 日本の厚生労働省は「節度ある適度な飲酒」として、純アルコール量で目安を示している。一般的に示される目安はおおむね1日当たり純アルコール約20g程度を念頭に置くことが推奨される一方で、疾病ごとのリスク上昇量(男性で40g/日以上、女性で20g/日以上)を示す資料もあるため、個別の病歴や体質を考慮して摂取量を決めるべきである。アルコールは肝炎、アルコール性肝障害、肝硬変の主要な原因であり、過量飲酒は肝障害を直接促進する。したがって、飲酒習慣の見直しと医療機関での相談が重要である。
バランスの取れた食事
- 適切なカロリー摂取と栄養バランスは肝臓の負担を減らす。過剰な糖質や飽和脂肪の摂取は脂肪肝を促進するため、野菜や魚、良質なタンパク質、適度な食物繊維を含む食事を心がける。体重管理はNAFLD対策の基盤であり、減量は肝炎の改善につながるというデータがある。
十分な睡眠と休息
- 睡眠不足や慢性的なストレスはホルモンバランスや代謝に悪影響を与え、肝臓の代謝負担を増大させる可能性がある。適切な睡眠は肝臓の修復・代謝バランス維持に寄与する。
適度な運動
- 有酸素運動や筋力トレーニングはインスリン感受性を改善し、肝脂肪の減少に寄与する。日常的な活動量の増加や週数回の中等度運動がNAFLD予防・改善に有効である。
ストレスをためない
- 慢性ストレスは行動変容(過飲酒・過食)を促し、代謝疾患の悪化につながる。心理社会的サポートやストレス管理法を取り入れることが望ましい。
専門家データの活用とエビデンス
専門家や公的機関のデータは肝疾患対策において重要である。厚生労働省の飲酒ガイドラインは個人のアルコールリスクを把握するための基準を提供している。さらに、学術的調査はNAFLDの有病率上昇、MASLD/MASHの経済的負荷、肝疾患の死因寄与割合などを示しており、公衆衛生政策の再設計や医療資源配分に重要なエビデンスを与えている。例えば、国別の疾病負担やNASHの医療コスト予測は、将来の医療需要と予防戦略の必要性を示唆している。
早期発見と診断技術の進歩
肝疾患の早期発見のための血液マーカー(AST/ALT、アルブミン、ビリルビン、線維化マーカー)や非侵襲的線維化評価(FibroScan、FIB-4スコア、NAFLD fibrosis scoreなど)が臨床で広く用いられている。これにより生検を回避しつつ線維化の進展度合いを評価できる可能性が高まり、スクリーニングとフォローアップの利便性が向上している。さらに基礎研究は肝再生メカニズムや線維化抑制療法、分子標的治療の開発に注力しており、将来的にはより効果的な薬物療法が利用可能になる見込みである。
「ありがとう肝臓」—臨床と日常からの感謝
肝臓は無言で膨大な化学反応を行い、私たちの生命活動を下支えしている。健康な肝臓は無自覚で働いていることが多いが、その価値は測り知れない。日常生活における小さな配慮(飲酒量の管理、適切な食事と運動、薬やサプリメントの適切な服用、定期健診の受診)は肝臓への感謝の表現である。
今後の展望
今後の展望としては以下の点が重要である。
一次予防の強化:生活習慣改善(減量、運動、節酒)を社会全体で支援する政策が重要である。予防は医療費削減と健康寿命延伸に直結する。
スクリーニングと早期介入の普及:特定健診や職域検診において肝疾患リスクの評価を強化し、リスク高群には早期介入を行う体制整備が必要である。
治療法の革新:線維化抑制や代謝改善を標的とした新規薬剤の研究開発が進んでおり、臨床応用が期待される。基礎研究により肝再生・修復メカニズムの解明が進めば、肝不全や肝硬変に対する治療選択肢が広がる見込みである。
公衆衛生と経済的影響の評価:MASLD/MASHなど代謝性肝疾患による医療・生産性コストは今後増加すると予測されており、これに対する政策対応の優先順位付けと資源配分が課題である。
個別化医療とリスク層別化:遺伝的素因、腸内フローラ、生活習慣の複合的評価に基づく個別化予防・治療戦略の確立が期待される。
実践的アドバイス(日常ですぐできること)
定期的な健康診断で肝機能検査(AST、ALT、γ-GTP、アルブミン、ビリルビン)を受ける。異常があれば早めに専門医の診察を受ける。
飲酒は節度を守る。純アルコール量での把握(例:ビール500ml(5%)は純アルコール約20g)を行い、慢性的な過量飲酒を避ける。既往症や服用薬がある場合は医師に相談する。
体重管理に努める。肥満や内臓脂肪蓄積がある場合は減量がNAFLD改善に寄与する。
バランスの良い食事、適度な運動、十分な睡眠を日常的に取り入れる。
サプリメントや民間療法を利用する際は、肝毒性や薬剤相互作用のリスクがあるため医師や薬剤師に相談する。
まとめ:肝臓の重要性と社会的意義
肝臓は「生体の化学工場」として栄養代謝、解毒、胆汁生成、免疫、血液管理など多面的な機能を担っており、その健全性は個人の健康のみならず社会経済的コストにも大きく影響する。日本においてはウイルス性肝炎対策の進展と並行して、MASLD/NAFLDの増加に対する対策強化が急務である。個人では生活習慣の見直し、社会・医療レベルではスクリーニング・予防・治療法の整備が重要である。肝臓は沈黙の臓器であるため、無症状の段階での介入が予後を大きく改善する。日常生活の小さな配慮と科学的根拠に基づく政策が結び付くことで、肝疾患による負担を軽減できるだろう。
