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コラム:噛む力の重要性、「健康寿命」や「老化スピード」に直結

噛む力は単なる食物の咀嚼だけでなく、消化・吸収、代謝、認知機能、全身筋機能、生活習慣病予防、老化スピード抑制など、多岐にわたる健康効果に関与している。
チョコバーを食べる女性(Getty Images)

日本を含む先進国では、高齢化とともに歯と噛む力の維持が重要な公衆衛生課題となっている。日本の高齢者では歯の喪失が依然として多く、65歳以上の多くが複数の歯を失っているという調査データがある。また、噛む力の低下は口腔機能の衰えに直結し、日常生活の質(QOL)の低下や栄養状態の悪化の原因となる。そのため、厚生労働省が推進する「8020運動」(80歳で20本以上の歯を保つ運動)をはじめとして、口腔機能の維持・向上を目指す取り組みが広がっている。8020運動においては歯の本数と健康寿命の関連が示されており、噛む力の維持は健康寿命延伸の鍵の一つと考えられている。

また、食品企業や大学共同の研究では、日常生活で噛む回数や噛む力の指標を簡便に測定し、口腔機能の低下予兆をつかむ試みも進んでいる。これらは、オーラルフレイル(口腔機能の衰え)予防の一環として日常的な噛む力の測定が推奨される背景を示している。


噛む力の重要性(総論)

噛む力(咬合力)は、単に食べ物を細かくする力として捉えられがちだが、それ以上に多次元的な健康効果を有する。消化・吸収の促進、脳機能の活性化、肥満防止、唾液分泌促進、顎・顔面筋の発達、老化予防、生活習慣病の予防など、多様な生理学的役割があるとされ、多くの疫学的研究や介入研究でその重要性が示されてきている。


消化・吸収の助け

咀嚼は消化の第一段階として非常に重要である。噛むことで食物が細かく砕かれ、唾液と混ざることにより、消化酵素であるアミラーゼが作用しやすくなる。さらに、咀嚼は消化管への神経反射を通じて胃酸や膵液の分泌を促し、消化管運動を活性化することが示されている。咀嚼刺激が少ないと消化機能が低下し、栄養吸収に悪影響を及ぼす可能性がある。


脳の活性化

咀嚼動作は単なる筋運動ではなく、神経系を介した高度な反射であり、脳血流を増加させて認知機能を刺激することが報告されている。システマティックレビューでは、咀嚼能力が低下した高齢者は認知機能検査スコアが低い傾向があり、咀嚼機能の低下が認知症リスクの増加と関連する可能性が示されている。

このことは、噛む行為が単に「食べる」という行為を超えて、神経学的な影響を持つことを示唆している。


肥満の防止

咀嚼回数と肥満との関連が疫学的研究で報告されている。唾液分泌を伴う咀嚼能力の高い人では、過体重や腹部肥満のオッズ比が低いという報告があり、噛む能力が高いと肥満リスクが減少する可能性が示唆されている。


唾液の分泌促進

噛むことは唾液の分泌を促進する。在宅臨床でも「よく噛む」ことにより唾液が増え、口腔内の清浄化や食べ物の潤滑が促されるとされる。唾液には抗菌作用や免疫グロブリン、消化酵素が含まれ、口腔内環境と消化過程の両面で重要な役割を果たす。


顎と顔の筋肉の発達

噛む行為は咀嚼筋や顔面筋を刺激し、筋力維持・発達に寄与する。とくに発育段階にある子どもでは、十分な咀嚼刺激が顎の発達に影響し、正しい歯並びや咬合形成に寄与する可能性が示唆されている。これらは、咀嚼力と口腔発達が関連するとの報告に基づいている。


全身の「健康寿命」や「老化スピード」に直結する極めて重要な指標

噛む力の低下は、全身の健康指標としても注目されている。咀嚼機能の低下は、栄養摂取の質の低下、活動力の低下、フレイルやサルコペニア(筋肉量減少症)との関連が指摘されており、健康寿命の短縮につながる可能性がある。システマティックレビューでは、咀嚼機能が低い高齢者はフレイルや栄養不良、サルコペニアリスクが高まるとの結果が報告されている。


噛む力と「健康」の関係

疾患リスクと寿命

咀嚼機能が低下すると、栄養不足や生活習慣病リスクの増加、認知機能低下など複数の疾患リスクが増加する傾向がある。例えば、噛む力の低下は糖代謝異常に関連する可能性があり、咀嚼回数を増やす指導によってBMIやインスリン抵抗性が改善されたとの報告もある。

低栄養とフレイルの防止

噛む力が低下すると硬い食品や繊維質食品の摂取が困難となり、結果としてミネラル・ビタミンなど重要栄養素の摂取不足を招きやすい。嚥下障害も加わると、低栄養状態が進行し、フレイルや要介護状態への移行が加速する。これらはサルコペニアと関連し、身体機能低下を引き起こす。

生活習慣病の予防

咀嚼能力が良好な人は、満腹感を得やすく、過食を防ぐことができるため、肥満や糖尿病、メタボリックシンドロームの予防に寄与するとされる。また、咀嚼刺激は消化管ホルモンの分泌にも関与すると考えられ、全身代謝に一定の影響を与える可能性がある。


噛む力と「老化」の関係

脳の若返りと認知症予防

加齢に伴う咀嚼能力の低下は、認知機能低下と関連する。研究レビューでは、咀嚼機能が低い高齢者は認知機能検査スコアが低く、認知症リスクの増加と関連する可能性が示されている。これは咀嚼が脳血流や神経刺激に影響するためと考えられる。

見た目のアンチエイジング

咀嚼により顔面筋や咀嚼筋が刺激されることで、筋肉のハリが維持され、加齢に伴う表情筋の萎縮を防ぐ効果が期待される。顔の筋肉が維持されることは、見た目の若々しさにも寄与する。

顔の筋肉の維持

咀嚼運動は咬筋や側頭筋などの顎周囲筋を活動させ、加齢に伴う筋力低下を抑制する役割がある。口腔周囲筋群の衰えは、発音や飲み込み機能にも影響するため、咀嚼機能の維持はミドルから高齢期の健康を支える。


健康維持のための目安

専門家らは咀嚼回数や噛む力の維持を健康戦略の一部として推奨している。例えば、咀嚼回数を意識的に増やすことや、咀嚼筋のトレーニング、噛み応えのある食品の摂取を促す食育の取り組みなどが推奨されている。


8020運動の重要性

厚生労働省の「8020運動」は、80歳で20本以上の歯を保つことを目標とした国民運動であり、歯の本数と健康寿命の関連を示すデータがある。8020運動は単に歯を残すだけでなく、噛む力を維持するための基盤を作る取り組みである。


定期的なケア

噛む力を維持するには、定期的な歯科検診、適切な口腔ケア、入れ歯やインプラントなどによる機能補完、咀嚼筋トレーニングが重要である。ガム咀嚼トレーニングが高齢者の噛む力を向上させるという研究もあり、介護予防や口腔機能維持への応用が期待されている。


今後の展望

今後の研究では、噛む力と全身健康アウトカムの因果関係をより明確にする介入研究や大規模疫学研究が必要である。咀嚼能力の測定技術や簡便なセルフチェック法の普及も進んでおり、高齢化社会への対策として口腔機能のモニタリングとケアがますます重要になる。


まとめ

噛む力は単なる食物の咀嚼だけでなく、消化・吸収、代謝、認知機能、全身筋機能、生活習慣病予防、老化スピード抑制など、多岐にわたる健康効果に関与している。噛む能力を維持・強化することは、健康寿命延伸に直結する重要な鍵であり、個人・社会レベルでの取り組みが求められている。


参考・引用リスト

  • PubMed: The relationships between mastication and cognitive function: A systematic review and meta-analysis.

  • PubMed: The impact of masticatory ability as evaluated by salivary flow rates on obesity in Japanese.

  • BMC Endocrine Disorders: Effect of mastication evaluation and intervention on body composition.

  • 岡山市南区 和気歯科医院 健康通信「噛む力が健康寿命をのばす秘訣」。

  • 日本顎口腔機能学会関連研究「フィッシュソーセージを用いた咀嚼回数による口腔機能評価」など。

  • ロッテ・東京医科歯科大学 ガム咀嚼トレーニング研究。

  • システマティックレビュー「masticatory function predictive value for adverse health outcomes」。


追記:噛む力の重要性の背景とその評価:医学的知見

1. 「噛む力」が極めて重要視されるようになった歴史的経緯

1-1. 口腔機能の概念の進化

「噛む力」は歴史的に「食物を細かくする単純な機能」と見なされてきたが、近年、これが全身の健康と関連する複雑な生理機能であるとの認識に変化した。2018年には「口腔機能低下症」という病名が公的に認められ、単なる歯の喪失だけではなく、「食べる力」と総合的な口腔機能の低下が疾患と関連することが明確にされた。これにより、口腔機能と全身健康を結びつける研究が急速に進展した。

1-2. 超高齢化社会とフレイル研究の進展

日本を含む先進国では高齢化が進み、健康寿命と平均寿命のギャップ(介護や健康問題による生活機能低下の期間)が社会的課題となっている。この背景で、健康寿命の延伸には栄養・身体機能・認知機能の維持が不可欠であり、その三者を橋渡しする介入として「噛む力」が注目されるようになった。とくに口腔機能が低下するとフレイル、栄養不良、サルコペニア(筋肉量減少)などのリスクが高まるという疫学的知見が蓄積された。

1-3. 疫学研究における健康アウトカムとの関連

大規模疫学研究では、咀嚼機能が低い高齢者は全死亡リスクが有意に高いことが示されている(機能性歯ユニット数の少ない群は死亡リスクが増加)。このような結果から、噛む力が単なる「噛み砕く力」ではなく、健康寿命予測の指標として有用であるとの評価が高まった。


2. 最新の知見:噛む力と全身の健康(2025–2026年)

2-1. 全死亡率との関連

最近のコホート研究では、咀嚼機能が低い人はすべての原因による死亡率が高まることが報告された。これは噛む力が低下する高齢者における栄養状態不良、免疫機能低下、活動量減少が総合的に影響していると考えられる。

2-2. 身体機能・サルコペニアとの関連

咀嚼力と身体的機能指標(歩行速度、筋力)には正の関連があり、咀嚼機能低下はサルコペニアや虚弱(フレイル)の一因とされる報告がある。また舌圧や咀嚼筋の機能低下が栄養摂取不足と結びつくことが示されている。

2-3. 栄養摂取とフレイル

咀嚼性能が低いと、咀嚼に適した食品を避ける傾向があり、エネルギー・タンパク質・ビタミン・ミネラルの摂取が低下するという報告がある。この食物選択の変化は栄養不良やフレイルの進行に寄与する可能性がある。


3. 噛む力の鍛え方および維持法(臨床的・生活レベル)

3-1. 咀嚼トレーニングの有効性

最新の介入研究では、咀嚼トレーニングが咀嚼機能を改善する可能性が示されている。とくにガム咀嚼トレーニングは舌圧や口腔機能を向上させる一方で、義歯装着者には注意が必要であるとの報告もある。

また、ガム咀嚼トレーニングは高齢者の最大咬合力を明らかに改善する可能性があるという臨床研究もある。

3-2. 日常生活でできる習慣的工夫

3-2-1. 噛む回数を意識する

一口ごとに噛む回数を意識して増やすことで、実際の咀嚼負荷を高め、口腔機能の維持に役立つ。例えばフィッシュソーセージ等を用いた簡便な咀嚼回数測定法が提案され、日常的な口腔機能の自己チェック法として有効である可能性が報告されている。

3-2-2. 食材選択

適度な歯応えを持つ食材(根菜類、繊維質の多い食品)をメニューに取り入れることは、自然な咀嚼刺激を促す。硬すぎる食材や加工食品ばかりでは咀嚼量が不足し、筋力低下を招く恐れがある。

3-3. 口腔ケアと定期受診

噛む力の維持には、天然歯の保存・適切な補綴(入れ歯やインプラント)・定期的な歯科検診・口腔衛生の徹底が重要である。これらは口腔内の感染予防、咀嚼効率の改善、さらには誤嚥リスクの低減に寄与する。

3-4. 補助的な機能訓練

口腔筋機能療法(MFT: Myofunctional Therapy)など、舌や唇、咀嚼筋群を対象としたリハビリテーションは、特に口腔機能低下が見られる患者での機能回復・維持に有用とされる。


4. 噛む力と老化プロセスの関係

4-1. 神経機能と脳血流

咀嚼動作は脳への感覚入力を伴い、脳血流を増加させ神経刺激を行うことが示される。この作用が、年齢に伴う認知機能低下の予防に寄与する可能性が指摘されている。複数の実験・臨床報告で、噛むことが認知症症状改善の一助となる可能性が示されている。

4-2. 社会性・食行動への影響

噛む力や口腔機能が低下すると、食行動の制限だけでなく社会的交流の機会が減少し、精神・社会的健康の低下につながるという報告もある。この点は全人的なエイジング研究で強調されつつある。


5. 解釈と実践のポイント(2026年時点)

5-1. 噛む力は全身健康の指標である

2026年現在、噛む力は単なる食物処理能力を超え、健康寿命・老化予測・死亡リスク評価の有用な指標として認識されるようになった。これは高齢者だけでなく、中年期からの予防的な評価対象でもある。

5-2. 定期評価と個別対応

健常成人・高齢者を問わず定期的な口腔機能評価(咀嚼力、咀嚼回数、舌圧など)が推奨される。評価に基づいた個別の咀嚼トレーニングや口腔ケアプログラムは、健康維持・老化抑制に寄与する可能性が高い。


6. 結論(追記要点の整理)
  1. 噛む力が全身健康と関連するという理解は、近年の研究で強化されている。

  2. 疫学的データは、咀嚼力低下が健康寿命短縮・死亡リスク増加と関連することを示す。

  3. 咀嚼トレーニング・口腔ケア・生活習慣の改善は噛む力維持に有効な戦略である。

  4. 噛む力は老化プロセスそのものに影響し得る指標であり、中年からの予防が重要である。

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