コラム:薬剤耐性菌の恐ろしさ、がんを超える脅威に
薬剤耐性菌(AMR)は現在も増加傾向にあり、世界保健機関や研究機関のデータによると、年間数百万の人々がAMR関連で死亡し、今後数十年でさらにその影響は拡大する見込みである。
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現状(2026年1月時点)
薬剤耐性菌(antimicrobial-resistant bacteria: AMR)は、抗生物質や抗菌薬などの治療薬に対して耐性を示す微生物である。世界保健機関(WHO)はAMRを「最も重大な公衆衛生上の脅威の一つ」と位置付け、国際的な対策の必要性を強調している。2019年にはAMRが直接原因となった死亡は約127万人、関連死(耐性菌が関係して死亡したケース)は約495万人と推計されている。これらは世界のあらゆる地域、所得レベルの国に影響を及ぼしている。
また、2023年以降の報告では、実際に感染症患者の6分の1(約16.7%)が標準治療薬に対して耐性を持つ細菌に感染しているというデータも報告されており、AMRの拡大が今なお進行していることが確認されている。
国内外で多くの感染症専門医・疫学者が「サイレントパンデミック(静かなパンデミック)」と表現する背景には、新規抗生物質の開発が遅れていること、既存薬に対する耐性進化が加速していることがある。
薬剤耐性菌(AMR)とは
薬剤耐性菌とは、抗生物質や抗菌薬を含む抗微生物薬が本来効くはずの病原体に対して治療効果を失った微生物を指す。抗生物質が体内で適切に用いられなかった場合、微生物内部で遺伝子変異や耐性遺伝子の水平伝播が生じることで耐性菌が増殖する。
AMRは細菌だけでなく、ウイルス、真菌、寄生虫等にも起こり得る現象であるが、特に細菌性のAMRが最も大きな死亡原因として指摘されている。WHOはAMRの主な原因として抗生物質の過剰使用、不適切使用、アニマルユース(畜産での使用)などを挙げている。
その恐ろしさ(総論)
薬剤耐性菌の怖さは、単に「薬が効かない」というレベルを超えている。AMRは感染症の治療を困難にし、手術や様々な医療処置の安全性を著しく低下させる。また、耐性菌感染は治療期間の延長、医療費の増加、死亡リスクの上昇といった医療・社会的コストの増大にも直結している。
さらにAMRは、世界保健安全保障、食糧安全保障、経済発展にも深刻な影響を及ぼすとされ、複数国の政府や国際機関が優先的に対策を講じている。
治療手段がなくなる(医療の無効化)
抗生物質は20世紀の医療革命を支えた基本的治療薬である。しかしAMRの拡大により、かつて容易に治療できた感染症が、治療不能な病態に変わりつつある。例えば多剤耐性菌(MDR)、広範囲耐性菌(XDR)、汎薬剤耐性菌(PDR)といった菌株は、一般的な抗生物質に応答しないために治療選択肢が事実上存在しなくなるケースが増えている。
近年では、カルバペネム系抗生物質や最終手段薬とされるコリスチンに対しても耐性を獲得する菌株が複数報告されており、この傾向が進行すると「ポスト抗生物質時代」と表現される状況が訪れる可能性がある。
重症化の加速
薬剤耐性菌感染は、治療効果が低下するだけでなく、感染が進行しやすく重症化する傾向がある。抗生物質に効かないため、炎症が続き免疫反応の消耗、敗血症や多臓器不全など致命的な合併症を引き起こすリスクが高くなる。
また、耐性菌は院内感染として広がることも多く、免疫力の低下した患者や長期入院者に対して重篤な影響を及ぼす。これにより、医療現場では感染予防・制御の重要性が以前にも増して高まっている。
高度医療の崩壊
AMRの拡大は高度医療の基盤を揺るがす。手術、人工透析、免疫抑制療法、化学療法などは抗生物質による感染制御が前提となっている手技である。耐性菌が増えれば、術後感染や医療関連感染が発生しやすく、手術のリスクや死亡率が高くなる。これは高度医療の有効性を根底から損なう可能性がある。
例えば骨髄移植やがん化学療法など、耐性菌感染に対して脆弱な患者集団では、感染症管理が不可能となると、治療そのものが成立しなくなる恐れがある。
予測される膨大な死者数
AMRによる将来の死亡予測は複数の研究で示されている。2019年データに基づくWHOの推計では、AMRが関連した死亡は約495万人、直接原因は約127万人とされている。
この数字はIHME(Institute for Health Metrics and Evaluation)などの最新分析にも裏付けられており、2021年時点ではAMR関連死が約471万人、直接原因死が約114万人と推定されている。
世界で年間約500万人が薬剤耐性に関連して死亡
一部の学術者やメディアは、AMR関連死を年間約500万人と試算する報告を引用しているが、これは直接原因死と関連死の両方を合算した場合の推計値であり、WHOやIHMEの公式データと同様の大規模分析によるものである。
2050年の予測
将来の予測では、AMRの影響は一層深刻になる可能性がある。ランセット(Lancet)による世界的分析では、2050年にはAMRによる直接原因死が約191万人、AMRが関連した死亡が年間約822万人に達する可能性が示されている。
この予測は、感染症管理や抗生物質開発が現在のまま進展しないシナリオを仮定したものであり、耐性菌による死亡数は今後数十年で増加する見込みである。
がんを超える脅威
しばしば引用される予測として、2050年までにAMR関連死ががん死亡を上回る可能性があるという指摘がある。世界経済フォーラムなどの分析では、AMR問題が世界的死因や経済損失において重大な順位に入るとの見通しが示されている(具体的な数値は報告によって異なるが、1000万人規模の年次死亡が指摘されることが多い)。
日常生活に潜むリスク
AMRは医療現場だけの問題ではなく、日常生活にも深く関与している。不適切な抗生物質の使用(風邪などウイルス性疾患への投与、処方通りに服用しない、自己判断で中断するなど)は耐性菌の発生と拡大を促進する。
また、家畜や農業における抗生物質の過剰使用も耐性菌発生の一因である。抗生物質の使用量は世界的に増加傾向にあり、その結果として耐性菌が食物連鎖や環境中に拡散しやすくなっている。
日本での被害
日本国内でもAMRは深刻な課題である。耐性菌による院内感染例は増加傾向にあり、医療機関における対策強化が進められている。抗生物質の不適切な処方や患者側の正しい服薬行動の欠如が報告されており、国の保健当局や医療機関は啓発活動と適正使用ガイドラインの普及に努めている。
拡散の連鎖
耐性菌は人から人へ、動物から人へ、環境を介して広がる。国際間の移動、食品流通、動物飼育環境、汚水処理など、多層的な経路によって拡散し、制御が困難な状況になっている。特に国境を越えた移動が増加する現代社会では、AMRは地域問題ではなく真の意味でのグローバルヘルスの課題である。
不適切な薬の服用
抗生物質はウイルス感染症には無効であるにもかかわらず、症状緩和目的で処方されることがある。このような不適切使用は耐性菌発生を促す主因の一つであり、抗生物質は医師の指示通り正確に服用することが必要である。
薬剤耐性菌の拡大を防ぐために
AMR対策には多角的アプローチが求められる。主要な対策としては、以下のようなものが挙げられている。
抗生物質の適正使用促進(Antimicrobial Stewardship)
感染予防・制御(手洗い、衛生管理、ワクチン接種)
新規抗生物質・治療法の開発促進
疫学監視システムの強化
農業・畜産における抗生物質使用の規制
国際的な協力と情報共有体制の構築
これらはOne Healthという人・動物・環境の統合的視点から推進されている。
今後の展望
AMR問題は単なる健康問題に留まらず、経済、社会構造、医療制度全体に影響を及ぼす。今後の展望としては、国際機関と各国政府が協調し、持続可能な抗生物質利用体系の構築、効果的な新薬開発インセンティブの整備、包括的データ共有プラットフォームの運用が不可欠である。また、人工知能やゲノム科学を用いた迅速診断・耐性解析技術が普及すれば、精密で個別化された治療戦略の実現が期待できる。
まとめ
薬剤耐性菌(AMR)は現在も増加傾向にあり、世界保健機関や研究機関のデータによると、年間数百万の人々がAMR関連で死亡し、今後数十年でさらにその影響は拡大する見込みである。AMRは医療の根幹を揺るがし、日常生活にも重大なリスクをもたらす脅威である。対策には疾患管理だけでなく、社会全体での対応が必要であり、One Healthアプローチに基づく包括的な戦略が不可欠である。
参考・引用リスト
World Health Organization (WHO): Antimicrobial resistance – fact sheet (2023).
WHO: Global leaders set first targets to control antimicrobial resistance crisis (2024).
IHME: Global burden of bacterial antimicrobial resistance 1990–2021 (Lancet, 2024).
Lancet analysis: More than 39 million deaths from antibiotic-resistant infections estimated between now and 2050 (2024).
ICARS Global: Threat of AMR overview.
Livescience: Antibiotic resistance “silent pandemic” (2026).
Financial Times: One in six bacterial infections is now resistant to treatment (2025).
Guardian: UK falling short in fight against superbugs (2025).
日本製薬工業協会: STOP AMR 薬剤耐性(AMR)解説.
薬剤耐性菌にかかりやすい人
薬剤耐性菌は誰にでも感染し得るが、特に感染リスクが高く、かつ重症化しやすい集団が存在する。これらの集団は臨床疫学および公衆衛生の分野で明確に指摘されている。
第一に、高齢者である。加齢に伴う免疫機能の低下(免疫老化)により、感染防御能力が弱まる。加えて、慢性疾患の併存、複数薬剤の長期使用、入退院の繰り返しなどが耐性菌への曝露機会を増加させる。
第二に、乳幼児である。免疫系が未成熟であり、腸内細菌叢も安定していないため、耐性菌が定着しやすい。特に新生児集中治療室(NICU)では、耐性菌感染が重大な問題となっている。
第三に、免疫抑制状態の患者が挙げられる。がん化学療法、臓器移植後、自己免疫疾患治療における免疫抑制薬使用者、HIV感染者などは、通常なら排除可能な菌に対しても感染を成立させやすい。
第四に、医療機関への接触頻度が高い人である。長期入院患者、透析患者、介護施設入所者は、院内耐性菌(MRSA、VRE、CREなど)に曝露される機会が多い。医療行為そのものが感染経路となる点が特徴である。
第五に、抗生物質を頻繁に使用してきた人である。過去の抗生物質使用歴は、体内に耐性菌を保菌するリスクを高める。特に広域抗菌薬の反復使用は腸内細菌叢を破壊し、耐性菌の選択圧を強める。
今日から実践できる具体的な対策
薬剤耐性菌対策は国家レベルの政策だけでなく、個人の日常行動の積み重ねが極めて重要である。以下に、科学的根拠に基づき、今日から実践可能な具体策を整理する。
1. 抗生物質を「正しく使う」
抗生物質はウイルス感染症(風邪、インフルエンザ、COVID-19など)には無効である。この基本原則を理解し、不要な抗生物質処方を求めないことが重要である。
処方された場合には、
指示された用量・回数・期間を厳守する
症状が改善しても自己判断で中止しない
他人の薬を使用しない
という原則を徹底する必要がある。
2. 手指衛生の徹底
石鹸と流水による手洗い、またはアルコール手指消毒は、耐性菌を含む病原体の伝播を大幅に減少させる。特に以下の場面が重要である。
外出後
トイレ後
食事前
医療・介護施設訪問後
これは最も費用対効果の高いAMR対策とされている。
3. ワクチン接種
ワクチンは耐性菌そのものを防ぐだけでなく、感染症そのものの発生を減らし、抗生物質使用量を減少させるという間接的効果を持つ。肺炎球菌、インフルエンザなどのワクチン接種はAMR対策の一環である。
4. 食品・生活環境での衛生管理
食肉は十分に加熱する
生肉と調理済み食品の調理器具を分ける
ペットとの過度な接触後は手洗いを行う
耐性菌は食品や環境を介して人に伝播するため、家庭内衛生も重要である。
5. 「抗菌=良い」という誤解を捨てる
抗菌グッズの過剰使用は、環境中の耐性菌選択を助長する可能性がある。必要以上の抗菌製品使用は控え、通常の洗浄で十分な場面ではそれを選択すべきである。
公衆衛生に対する世界の脅威としての薬剤耐性菌
薬剤耐性菌は単なる感染症問題ではなく、公衆衛生・経済・安全保障を横断するグローバルリスクである。
1. サイレントパンデミックとしての特性
AMRはコロナウイルスのように急激な感染爆発を起こさない。そのため社会的危機感が醸成されにくい。しかし、死亡数は毎年確実に積み重なり、気づかぬうちにパンデミック級の被害をもたらす。この「静かさ」こそが最大の脅威である。
2. 医療システムへの慢性的圧迫
耐性菌感染は入院期間を延長させ、医療費を増大させる。医療資源が逼迫すれば、感染症以外の疾患治療にも影響が及ぶ。これは低・中所得国だけでなく、高所得国においても医療崩壊の引き金となり得る。
3. 経済損失と社会不安
世界銀行などの試算では、AMRが制御されなかった場合、2050年までに世界経済へ数兆ドル規模の損失を与える可能性があるとされる。労働人口の死亡・疾病増加は、生産性低下と社会保障制度の不安定化を招く。
4. 不平等の拡大
AMRの影響は社会的弱者に集中しやすい。医療アクセスが限られる地域では、耐性菌感染は即死的な意味を持つ。これにより、国際的・国内的健康格差が拡大する。
5. 国境を越える脅威
耐性菌は航空機、食品貿易、人の移動により容易に国境を越える。したがって、単一国家での対策には限界があり、国際協調とデータ共有が不可欠である。この点でAMRは、気候変動や核拡散と同様の「地球規模課題」に分類される。
追記まとめ
薬剤耐性菌は、特定の人だけの問題ではなく、誰もが当事者となり得る現代的リスクである。感染しやすい集団の存在を理解し、個人レベルでの行動変容を積み重ねることが、社会全体の耐性菌抑制につながる。
同時に、AMRは公衆衛生、経済、国際安全保障を脅かす構造的問題であり、短期的対処では不十分である。医療者、行政、産業界、そして市民一人ひとりが役割を担うことで初めて、この静かな危機に歯止めをかけることが可能となる。
追記分 参考・引用リスト
World Health Organization (WHO): Antimicrobial resistance fact sheets
Institute for Health Metrics and Evaluation (IHME): Global Burden of AMR
World Bank: Drug-Resistant Infections – A Threat to Our Economic Future
日本製薬工業協会(JPMA): STOP AMR 啓発資料
The Lancet: Global burden and future projections of bacterial AMR
