コラム:サムスン電子、揺らぐ「王者」の足元
サムスン電子の苦境は単一の原因による一時的な落ち込みではなく、市場循環性×地政学リスク×技術競争×投資負担×マクロ逆風×ガバナンス課題が同時多発的に作用した結果である。
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「王者」の足元が揺らぐ構図
韓国の電機大手サムスン電子はメモリ(DRAM、NAND)を中心とする半導体事業、スマートフォンや家電といったコンシューマ事業、ファウンドリ(受託生産)など多角的な事業ポートフォリオを持つ世界的な企業である。だが2020年代に入り、(1)半導体市場の循環性と顧客需要の変動、(2)米中を軸とする地政学的制約と輸出管理、(3)ファウンドリ競争での技術差、(4)スマートフォン市場の二重攻勢、(5)経営・ガバナンスと投資負担といった複数要因が重なり、収益と成長見通しが揺らいでいる。これらは相互に影響し合い、短期の業績悪化だけでなく中長期の競争力にも疑問符を付けている。
1. 半導体(メモリ)に依存する収益構造と需給変動
サムスンの利益の大部分は半導体部門、とりわけDRAMやNANDといったメモリ製品から生じる。メモリ市場は典型的な「景気循環産業」であり、過剰投資が進むと価格が急落し、需要回復で価格が高騰するという波を描く。2022–2023年の端境期にはPC・スマホ需要の落ち込みで価格が低迷し、在庫を抱えたサプライヤーは大きな損失を被った。2024年以降はAIサーバー向け需要の回復で価格が改善した時期もあるが、AI向けの高帯域メモリ(HBM)など特定製品の需要偏重もあり、収益基盤の安定化には至っていない。こうしたボラティリティがサムスンの短期業績に大きく影を落としている。
2. AIブームは追い風であるが恩恵が均等でない
ジェネレーティブAIや大規模言語モデル(LLM)の普及はデータセンター向けメモリ・ストレージ需要を押し上げるため、理論上はサムスンにとって追い風となる。しかしAI向け半導体の設計・需要は特定の顧客(例えばエヌビディア系のAIアクセラレータ、クラウド事業者)が主導しており、そこで使われるHBMや高性能NANDの受注競争は厳しい。さらに、米国の輸出管理や顧客の調達戦略が影響して供給先が制限されるケースがあり、世界のAI需要がそのままサムスンの売上増につながるわけではない。実際、サムスンはAI関連メモリの販売が伸び悩んだ時期があり、経営に悪影響を及ぼした。
3. ファウンドリ競争 — TSMCとの差と投資プレッシャー
サムスンはDRAM/NANDに加えてロジックファウンドリ分野でのシェア拡大を目指し、先端プロセス(5nm→3nm→2nm)への巨額投資を続けている。しかし台湾積体電路製造(TSMC)が圧倒的な顧客基盤と量産実績で先行しており、歩留まりや顧客の信頼という面でサムスンは追いつき切れていないとの指摘が根強い。ファウンドリでの技術差は顧客の受注決定に直結するため、サムスンは先端プロセスでの収益化を急ぐ一方で、投資負担が増大している。投資は将来の競争力確保には不可欠だが、短期的には財務負担を重くし、業績改善の足かせとなる。
4. 米中の地政学的摩擦と輸出管理の影響
米国は半導体の国家安全保障上の重要性を掲げ、先端チップや半導体製造装置の対中輸出規制を強化してきた。これにより、中国内での先端生産を支える材料・装置の調達が困難になり、中国を主要市場とする企業の供給網は再編を余儀なくされる。サムスンは中国に生産拠点・販売拠点を持ち、これまで中国市場で重要な売上を得てきたが、輸出管理の影響により事業運営の柔軟性が低下した。さらに、米国側の規制運用や年間承認方式の検討などが報じられ、グローバル供給網の不確実性が高まっている。結果として、サムスンは市場アクセスと生産戦略の両面で制約を受ける。
5. スマートフォン市場の二重圧力
サムスンのモバイル部門は世界シェアで上位を占めるが、高価格帯はアップル、低〜中価格帯は中国勢(Xiaomi、OPPO、Vivoなど)にそれぞれ挟まれる構図が続く。中国メーカーはコスト競争力と機能訴求でサムスンのミドルレンジ市場を浸食し、一方でプレミアム顧客はiPhoneに流れる。サムスンは折りたたみ型など差別化製品で一定の先行性を示すが、市場全体の成長が鈍化する中で、スマホ部門だけで高い成長を確保するのは難しい。また、為替変動や部品調達コスト、サプライチェーンの断絶リスクも利益を圧迫する要因だ。
6. 経営・ガバナンスと投資判断の難しさ
サムスンの経営は創業家の影響力が強く、過去に会長らが法的問題に直面した経緯がある。最近では李在鎔(Jay Y. Lee)会長の一部訴訟での無罪判決が伝えられ、経営の不確実性は一定程度解消されたが、ガバナンス上の課題と長期戦略の一貫性確保は依然として投資家の注目点である。巨額投資(米国や韓国内でのファブ建設など)は将来の競争力を左右するが、その判断は短期業績と投資回収のトレードオフを常に抱える。特に金利上昇局面では資本コストが上がるため、大規模投資の負担感が増す。
7. サプライチェーン再編と拠点分散の負荷
半導体の地政学的リスクを受け、サムスンは生産拠点の分散(米国テキサス工場など)を進めている。これ自体はリスク分散の合理的対応だが、新規工場の立上げコスト、人材確保、現地調達サプライチェーンの再構築が必要であり、短中期的には固定費増と生産性低下のリスクを伴う。加えて、各国の補助金や規制対応が絡み、政策依存的な投資判断の複雑さが増している。
8. マクロ環境の逆風(インフレ・金利・消費冷え込み)
世界的なインフレとそれに伴う中央銀行の利上げは消費と設備投資の抑制につながる。スマホや家電の需要が抑制されればコンシューマ向け売上が減少し、企業のサーバー投資が先送りされればデータセンター向け需要も落ちる可能性がある。さらに金利上昇は企業の資本コストを押し上げ、大規模設備投資の回収見通しを悪化させる。こうしたマクロ風はサムスンの収益見通しにマイナスに働く。
9. 規制・ESG圧力とコスト負担
世界でESG(環境・社会・ガバナンス)への期待と規制が強まる中、サムスンも脱炭素や労働環境改善、サプライチェーンの透明化など追加的コストを負っている。特に半導体製造はエネルギー・水資源の大量消費産業であり、環境対策投資は不可避だ。短期の利益を犠牲にしてでも長期の持続可能性に投資する必要があり、これが当面の収益圧迫要因になっている。
10. ポジティブな要素と回復のシナリオ
とはいえ、サムスンには回復の芽もある。メモリ相場の回復、AI向け需要の本格化、テキサスなど海外ファブ稼働による顧客近接、そして大量投資による将来の技術優位確立が実現すれば、流れは好転する。実際、市場調査機関はメモリ価格が上昇傾向にあると報告しており、AI需要が継続する限り長期的な追い風も期待できる。だがこれらは「需要の持続性」「歩留まり改善」「輸出規制の影響回避」といった条件に依存する。
結論 — 複合要因が重なった「構造的」な苦境
サムスン電子の苦境は単一の原因による一時的な落ち込みではなく、市場循環性×地政学リスク×技術競争×投資負担×マクロ逆風×ガバナンス課題が同時多発的に作用した結果である。短期的には需給の改善や新製品のヒットで回復する局面はあるだろうが、中長期的に安定的な成長を取り戻すには(A)ファウンドリでの歩留まりと顧客信頼のさらなる回復、(B)メモリに依存しない利益ポートフォリオの拡充(ロジック・AIチップ等)、(C)地政学リスクに対する柔軟なサプライチェーン構築、(D)強固なコーポレートガバナンスと投資の優先順位付け、の四点が不可欠だ。これらを同時に進める難度の高さが、今の「苦境」の本質である。