コラム:新STARTについて知っておくべきこと
新STARTは冷戦後の米ロ関係における核軍縮の最後の砦として機能してきた。
とプーチン露大統領(ロイター通信).jpg)
ロシアのプーチン(Vladimir Putin)大統領は22日、来年2月に失効の期限が迫る米国との新戦略兵器削減条約「新START」について、トランプ政権に対し、1年間の延長を提案した。
新START(New Strategic Arms Reduction Treaty、新戦略兵器削減条約)は2010年4月に米国とロシアとの間で署名され、2011年2月に発効した二国間の核軍縮条約である。この条約は冷戦後の戦略兵器制限交渉の流れを受け継ぐ最新の枠組みであり、両国の核戦力に対して数的制約を設けることで、核兵器の透明性と安定性を高めることを目的としている。
条約の主要な内容としては、以下の制限が挙げられる。
配備済み戦略核弾頭の上限:1550発
配備済み大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、および重爆撃機の数の上限:700基
配備済みおよび未配備を含む戦略発射装置の総数上限:800基
さらに、条約は単なる数値制限だけでなく、相互査察制度や情報交換を含む透明性確保措置を導入している。例えば、両国は毎年、実際の兵器数に関する詳細なデータを交換し、また現場査察を通じて相互に検証する体制を構築してきた。これは冷戦時代から続く「信頼醸成措置」の発展形であり、偶発的な誤解や不信を回避する役割を果たしている。
現状では、新STARTは2021年2月に失効する予定であったが、米ロ両国が交渉を行い、5年間の延長が合意され、2026年2月まで効力を持つこととなった。現在も有効な唯一の米ロ間の核軍縮条約である。特に、米国が2002年にABM条約から離脱し、2019年にはINF条約(中距離核戦力全廃条約)が失効した後、両国間に残る最後の「核軍縮の枠組み」として重要性を持つ。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻(2022年2月以降)は条約の運用に深刻な影響を与えている。2023年2月、ロシアは一方的に条約履行の停止を発表し、米国による査察やデータ交換を拒否する姿勢を示した。これにより、条約の実効性は大きく低下しており、実際には「名目的な存在」に近づきつつある。
歴史
新STARTは突発的に登場した条約ではなく、冷戦期から続く米ロ間の核軍縮の流れの延長にある。
1. SALT(戦略兵器制限交渉)
1960年代末から1970年代初頭にかけて、米ソ両国は急速に核戦力を拡大し、核弾頭数は数万単位に達した。これにより、双方が「相互確証破壊(MAD)」の状態に入り、戦略的安定性が議論された。この流れの中で、1969年からSALT交渉(Strategic Arms Limitation Talks)が開始された。
SALT I(1972年)では、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)の制限を定めた「ABM条約」と、ICBM・SLBM発射装置数を凍結する「暫定協定」が成立した。ただし、この段階では弾頭数の制限には至らなかった。
2. START I と START II
冷戦後の1991年、米ソはついに弾頭数そのものを削減する「START I(第一次戦略兵器削減条約)」に署名した。これは、配備済み戦略核弾頭を6000発以下、運搬手段を1600基以下とするもので、冷戦期の膨大な核兵器を段階的に減らす画期的な枠組みであった。
続いて1993年には「START II」が署名され、MIRV(多弾頭再突入体)を搭載したICBMの廃止が規定されたが、ロシア国内の政治的混乱や米国のミサイル防衛政策をめぐる対立により、最終的には発効に至らなかった。
3. SORT(モスクワ条約)
2002年には「モスクワ条約(SORT、戦略攻撃兵器削減条約)」が締結され、配備戦略核弾頭を1700~2200発に削減することが定められた。ただし、検証措置は不十分であり、実効性に疑問が呈されていた。
4. 新STARTの成立
こうした流れの中で、オバマ政権は「核なき世界」を掲げ、より透明性の高い新たな枠組みを目指した。2009年から米ロ間で交渉が進められ、2010年4月8日にプラハでオバマ大統領とメドベージェフ大統領によって署名されたのが「新START」である。これはSTART I の後継条約であり、実効性の高い査察制度を取り入れつつ、弾頭数をさらに1550発まで削減することを合意した。
経緯
新START発効以降、米ロ両国は条約履行に沿って削減を進めてきた。米国務省のデータによると、2020年時点で米国の配備済み戦略核弾頭は1373発、ロシアは1462発と、いずれも上限の1550発以下であった。
1. 延長問題
当初の条約期限は2021年2月であった。トランプ政権は延長に消極的であり、中国を含めた新たな三国協定を提案していたが、中国側は自国の核兵器数(約300発程度)が米ロに比べ圧倒的に少ないことを理由に拒否した。結果として交渉は停滞した。
しかし、バイデン政権発足直後の2021年1月、米ロ両国は新STARTの5年間延長で合意し、条約は2026年まで継続されることとなった。これにより、世界的な核軍縮の枠組みはひとまず維持された。
2. ロシアの履行停止宣言
2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、米ロ関係を決定的に悪化させた。2023年2月、プーチン大統領は「米国の非友好的行動」を理由に新START履行の停止を宣言し、査察やデータ交換を停止した。ただし、条約自体からの正式な離脱は行わず、あくまで「履行の停止」という曖昧な立場を取っている。
この背景には、米国の対ロ制裁強化、NATOの軍事支援、そしてロシアの核戦力を外交カードとして保持する意図がある。
問題点
新STARTは重要な条約である一方、以下のような問題を抱えている。
1. 二国間枠組みの限界
核兵器を保有するのは米ロだけではなく、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮などが存在する。特に中国は急速に核戦力を拡大しており、米国防総省の報告によると、2035年までに核弾頭数が1500発に達する可能性が指摘されている。新STARTが米ロに限定されていることは、現代の多極的核秩序に適応していない。
2. 非戦略核兵器の未規制
新STARTは戦略核兵器に限定されており、いわゆる「戦術核兵器(非戦略核兵器)」には適用されない。ロシアは約2000発以上の戦術核を保有していると推定されており、NATOとの局地戦シナリオではこれらが現実的な脅威となる。
3. 検証メカニズムの停止
ロシアが2023年以降に査察を拒否したことにより、透明性が著しく低下している。双方が実際にどの程度の兵器を保持しているのか、信頼性の高いデータを確認できない状況が続けば、軍拡競争の再燃を招く危険がある。
4. 新技術への対応不足
極超音速兵器、無人兵器システム、宇宙兵器といった新技術は新STARTの枠外にある。ロシアが開発を進める「アヴァンガルド」極超音速滑空兵器や「ポセイドン」原子力推進魚雷は、従来の枠組みでは規制不可能である。米国も同様に極超音速兵器開発を進めており、既存条約の無力化が懸念される。
実例・データ
配備済み戦略核弾頭数(2020年時点)
米国:1373発
ロシア:1462発
→ 条約上限1550発以下に抑制
全核弾頭数(2023年時点推計)
米国:約5244発(うち配備済み約1770発)
ロシア:約5889発(うち配備済み約1674発)
中国:約410発
その他:フランス約290発、イギリス約225発、パキスタン約170発、インド約160発、イスラエル約90発、北朝鮮約30発程度
査察実績
2011年~2019年の間、両国は互いに年間18回までの現場査察を実施
データ交換は年間2回行われ、累計で数千件の通知が交わされた
今後の展望
2026年に新STARTが失効すれば、米ロ間に有効な核兵器制限条約は完全に消滅する。その場合、以下のシナリオが想定される。
新たな包括的協定の模索
米国は中国を含めた三国協定を目指す可能性がある。しかし、中国が参加する動機は乏しく、交渉は難航することが予想される。二国間の暫定的延長
米ロ関係がある程度安定化すれば、部分的な延長や暫定協定の再構築があり得る。完全な条約空白
ロシアの強硬姿勢が続き、2026年に条約が失効すれば、1960年代以来初めて米ロ核関係に法的制約がない状態となり、軍拡競争再燃のリスクが高まる。
結論
新STARTは冷戦後の米ロ関係における核軍縮の最後の砦として機能してきた。条約の下で両国は戦略核を削減し、透明性を高め、偶発的衝突のリスクを抑えてきた点は評価に値する。しかし、現代の国際秩序においては、二国間条約の枠組みには限界があり、戦術核や新技術の問題、中国の台頭などを含めた新たな多国間枠組みが必要である。
ロシアの条約履行停止により、その実効性は大きく揺らいでいるが、依然として2026年までは存続している。今後、米ロ関係の動向、そして国際社会全体が核兵器の管理にどのような枠組みを構築できるかが、21世紀の安全保障を左右する。