コラム:能登半島地震から2年、被災地の今
令和6年能登半島地震の被災地は、発災からまもなく2年を迎える段階でも、多くの課題を抱えている。
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現状(2025年12月時点)
2024年1月1日に発生した能登半島地震(令和6年能登半島地震)は、震度7を観測する大規模地震となり、死者・負傷者・インフラ被害・住宅損壊の甚大な被害をもたらした。その後、被災地では復旧・復興に向けた取り組みが進められているが、2025年末になっても道半ばであるとの報告が複数出ている。また、地震に続いて2024年9月に奥能登豪雨も発生し、「二重被災」の状態で復興が進行している。
能登半島地震とは
地震の概要
令和6年能登半島地震は2024年1月1日16時10分頃、石川県能登地方を震源として発生したマグニチュード7.6の大地震である。震源深さは約10–16 kmと浅く、輪島市・志賀町では震度7を観測した。
発生日時・場所
発生日時:2024年1月1日 16:10(JST)
震源地:石川県能登半島北部付近
震源深度:浅い(10–16 km)
※日本気象庁は「令和6年能登半島地震」と命名している。
規模と揺れ
地震規模はMw 7.5–7.6であり、最大震度7を観測した。沿岸部では津波も発生し、地盤の隆起・地滑り・液状化など多様な地盤災害が確認された。
原因
この地震は、フィリピン海プレートやユーラシアプレート等、複数のプレート収束帯に近接する複雑な地震活動域で発生した。地震学的には浅い逆断層型であり、近年の能登地域で観測されていた群発地震活動の延長上で発生したとされている。
関連する活動
地震後も群発的な余震活動が継続しており、2025年までに震度1以上の余震が多数発生しているとの報告がある。余震活動は復興活動にも心理的・物理的影響を及ぼしている。
被害状況(2025年12月時点)
人的被害
公式統計では、死者数は700名近くにのぼり、死者の多くは震災関連死を含む(直接死および災害関連死)。負傷者は1,400人以上に達しているとされる。これらの数字には2025年までに追加認定分も含まれる。
住宅・インフラ被害
地震による住宅全壊・半壊の数は数万棟規模と推定されており、多数の住宅が解体・撤去を必要としている。道路・橋梁・上下水道・電力・通信などインフラも大きな被害を受けた。復旧には多大な時間と費用を要している。
二重被災
2024年9月には奥能登地方で豪雨災害が発生し、地震被災地にさらに被害が加わった。これにより土砂災害・河川被害・仮設住宅需要の増加などが生じ、復旧が複雑化した。
被災地の今
住まいの状況
被災者の住宅再建は進んでいるものの、進捗率は地域により大きく差がある。仮設住宅生活や長期避難(避難所生活含む)が継続するケースもあり、被災者の居住再建は依然として課題である。
インフラと生活
道路・通信・公共交通機関の復旧は段階的に進められているが、豪雨による再被害や雪季が復興工事を遅らせる要因となっている。また、漁港・農地等の生活基盤復旧も道半ばである。
住民の意識
現地調査や支援団体の報告では、住民の多くが復旧・復興に「進捗を感じていない」と回答する状況があるという報告が出ている(具体的な統計データは自治体調査等によるが、現地感覚として進捗感の欠如が指摘されている)。
主な課題
住宅再建と「公費解体」の遅れ
自力再建が困難な住宅の公費解体が各市町で進められているが、申請・手続き・権利関係の整理の煩雑さから解体の進捗が遅延している。2025年9月時点の統計でも、全体で約88%前後の進捗にとどまる地域が散見される。
住宅の公費解体は特に輪島市・珠洲市・志賀町・穴水町・能登町等で進捗が異なる状況であり、各自治体の課題となっている。
コミュニティの維持と孤立対策
震災・豪雨による人口流出や世帯分断が進行しており、地域コミュニティの維持が大きな課題である。集落ごとに人口減少が進む中、高齢者の孤立も深刻化している。支援団体が集会・コミュニティ支援活動を継続しているが、孤立防止には長期的支援が不可欠である。
地場産業の再生
農林水産業・観光産業は能登地域の主要な産業であるが、地震や豪雨被害により生産基盤・施設が損壊した。観光需要の回復支援や補助金等による産業再生支援策があるものの、依然として業績回復には時間を要する。
二重被災への対応
地震と豪雨災害の複合影響により、土砂災害復旧や河川整備等の緊急対応が優先された結果、その他復興計画が後回しとなるケースがある。また、豪雨によるインフラ破壊は復旧作業を中断させる要因として機能している。
復興が遅れている主な理由
半島特有の地理的制約
能登半島は細長い地理構造と山間部・海岸線が入り組む地形であり、復旧工事や資材輸送が平坦地に比べて困難である。山地・谷地を跨ぐ道路の復旧は時間を要し、豪雨等で一部区間が再被災するケースも見られる。
アクセスの制限と近隣都市からの距離
主要都市(例えば金沢等)から距離があるため、人手や専門技術者の定着的な確保が困難である。これにより復旧工事の施工速度が低下する。
地盤の隆起と液状化
地震に伴う地盤隆起や液状化被害が広範囲で認められ、地形変動が復興計画に複雑性を付加している。土地の再評価や境界確定が必要となるため、造成や住宅再建の計画が遅れる要因となっている。
「二重被災」による計画の停滞
奥能登豪雨の被害により、復興予算や優先順位が調整される結果、元々の地震復興プロジェクトに遅延が生じるケースがある。また、豪雨被害の復旧・災害対策工事が新たな人手・資材の需要を生むため、競合状況が発生している。
2024年9月に発生した奥能登豪雨・作業の中断
奥能登豪雨は2024年9月に発生し、地震復旧途中の作業を中断させた。これにより、土砂撤去・堤防整備・河川改修など二次災害復旧作業とのバランス調整が必要になった。
追加被害と人手・資材の不足と「入札不調」
震災と豪雨被害の復旧需要が重なる中で、建設業者の不足・入札不調が報告されており、これが工事計画の延期や着工遅延の一因となっている。人材確保や資材調達の競争が激しく、復旧工事全般への影響が懸念されている。
人口流出と高齢化
震災・豪雨災害を契機に若年層の流出が加速し、高齢化が進行している。これにより地域の労働力不足が深刻化し、復興に向けた人的資源の確保が困難になっている。
権利関係の複雑化・公費解体の遅れ
被災した多数の住宅の所有権・権利関係が複雑であり、公費解体申請や土地境界確定に時間がかかる。これが住宅再建の足かせとなり、復興計画全体を遅らせている。
今後の展望
今後の復興においては、住宅再建・インフラ整備・地域産業再生・コミュニティ維持を総合的に進める必要がある。特に地域住民のニーズを反映した復興まちづくり計画の策定と実行、公費解体の迅速化、若年層定住支援が重要であるとの分析が進んでいる。公的支援と民間支援の協調、災害リスク管理の強化による次の災害への備えも喫緊の課題である。
結論
令和6年能登半島地震の被災地は、発災からまもなく2年を迎える段階でも、多くの課題を抱えている。公費解体・住宅再建・インフラ復旧の進捗はある程度進んでいるものの、地域内の格差・二重被災・人手不足・地理的制約などが重なり、「復興は道半ばである」という総括が妥当である。今後は、住民主体の再建計画と長期的な支援体制の構築、公・民の連携による包括的な復興の推進が求められる。
参考・引用リスト
– 公費解体進捗状況(令和7年9月末)石川県資料(2025)
– 奥能登豪雨と二重被災の影響(SCJ報告, 2025)
– 国土交通省「令和6年能登半島地震からの復旧・復興状況と今後の見通し」
– 現地報道・復興途上の状況(各種メディア, 2025)
– 支援団体の報告(AAR Japan, 2025)
追記:日本における地震復興の歴史
日本は「地震大国」であるという前提
日本列島はユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートという四つのプレートが交錯する地点に位置しており、世界有数の地震多発国である。この地理的・地質学的条件の下、日本社会は歴史的に幾度となく大地震と向き合い、その都度、復興のあり方を模索してきた。
地震復興の歴史は、単なるインフラ復旧の歴史ではなく、都市計画、住宅政策、社会保障、地域コミュニティの再編と密接に結びついて発展してきたと位置づけられる。
関東大震災(1923年)と近代復興政策の原型
1923年の関東大震災は、近代日本における初の大規模都市災害であり、東京・横浜を中心に10万人以上の犠牲者を出した。この震災を契機として、日本では初めて本格的な国家主導型の復興計画が実施された。
後藤新平を中心とする帝都復興計画では、道路拡幅、防火帯整備、区画整理、公園整備など、都市防災を意識した空間再編が行われた。この時期に確立された「災害復興=都市改造」という発想は、その後の復興政策に長く影響を与えることになる。
一方で、被災者の生活再建よりも都市機能の再構築が優先され、貧困層が郊外へ押し出されるなど、社会的不平等を拡大した側面も指摘されている。
阪神・淡路大震災(1995年)と「生活復興」への転換
1995年の阪神・淡路大震災は、戦後日本における復興政策の転換点となった。死者数は6,400人を超え、都市直下型地震の脆弱性が浮き彫りになった。
この震災では、インフラ復旧は比較的早期に進んだものの、仮設住宅での孤独死や高齢者の孤立が社会問題化し、「復興とは何か」が問われることになった。これを受けて、「生活復興」「人間の復興」という概念が提唱され、住宅再建支援、コミュニティ再生、心のケアといったソフト面の重要性が認識されるようになった。
また、阪神・淡路大震災を契機に、災害ボランティア元年と呼ばれる市民参加型支援の潮流が生まれ、行政だけでなくNPO・市民社会が復興に関与する枠組みが形成された。
東日本大震災(2011年)と「長期・広域復興」
2011年の東日本大震災は、地震・津波・原子力災害が複合した未曾有の災害であり、復興は10年以上に及ぶ長期プロセスとなった。
この震災では、防潮堤整備や高台移転などの大規模公共事業型復興が進められた一方で、住民合意の形成の難しさ、帰還困難区域の問題、コミュニティ分断など、多くの課題が顕在化した。
特に「復興のスピード」と「住民の納得感」の乖離は大きな論点となり、復興政策が必ずしも被災者の実感と一致しないことが明らかになった。
能登半島地震の歴史的位置づけ
能登半島地震は、これら過去の大災害の教訓を踏まえつつも、過疎・高齢化が進行した半島地域における災害復興という新たな課題を突きつけている。
都市部中心の復興モデルや、大規模公共事業依存型の復興では対応しきれない条件下で、能登半島地震は日本の災害復興政策に対し、質的転換を迫る事例であると評価できる。
能登半島地震に対する政策提言
政策提言の基本的視点
能登半島地震の復興政策においては、以下の三点を基本原則とする必要がある。
第一に、スピードと納得感の両立である。
第二に、人口減少・高齢化を前提とした復興設計である。
第三に、災害対応と地域再生を同時に進める視点である。
以下、分野別に具体的な政策提言を示す。
住宅再建政策の抜本的見直し
現行の住宅再建支援は、自助努力を前提とする制度設計が色濃く残っており、高齢者世帯や低所得世帯にとっては負担が大きい。能登半島の実情を踏まえ、以下の対応が必要である。
・被災者生活再建支援金の増額および柔軟運用
・公費解体と住宅再建を一体的に進める「ワンストップ型支援窓口」の常設
・空き家・公営住宅を活用した「恒久的代替住宅」の拡充
特に、元の居住地に戻ることが困難な高齢者に対しては、集住型住宅や小規模コミュニティ住宅の整備が有効である。
公費解体制度の迅速化と標準化
公費解体の遅れは、復興全体のボトルネックとなっている。これに対し、
・権利関係確認の簡素化
・国主導による解体事務の代行制度
・災害時専用の解体業者登録制度
など、平時からの制度整備が必要である。特に、所有者不明土地問題と連動した制度改革は喫緊の課題である。
半島地域特有のインフラ政策
能登半島では、従来型の道路・港湾復旧に加え、以下の視点が求められる。
・代替ルート確保を前提とした多重化インフラ
・災害時に孤立しにくい小規模拠点の分散配置
・デジタルインフラ(通信・遠隔医療)の重点整備
物理的インフラだけでなく、「つながりのインフラ」を重視する政策転換が重要である。
二重被災を前提とした復興計画制度
地震と豪雨の複合災害を経験した能登では、単一災害を前提とした復興制度の限界が露呈した。
・複合災害を想定した復興交付金制度
・復旧・復興計画の柔軟な変更を可能とする法的枠組み
・災害対応の優先順位を調整する専門組織の設置
など、「重なる災害」を前提とした制度設計が求められる。
地域産業と担い手の再生支援
復興を持続可能なものとするためには、産業と雇用の再生が不可欠である。
・漁業・農業・観光業への長期的収益補償
・若者・移住者向けの起業支援と住宅支援の連動
・復興事業と地域雇用を結びつける制度設計
単なる「元に戻す復興」ではなく、「縮小社会に適応した再編型復興」が必要である。
コミュニティ再生と心の復興
最後に、復興の最終的な指標は「住民が安心して暮らせるか」にある。
・地域サロンや集会所への継続的支援
・孤立リスクの高い高齢者へのアウトリーチ型支援
・学校・医療・福祉を核とした地域拠点づくり
これらは数値化しにくいが、復興の成否を左右する重要な要素である。
まとめ
日本の地震復興の歴史は、「都市復興」から「生活復興」へ、そして「地域再生型復興」へと進化してきた。能登半島地震は、その延長線上で、人口減少社会における災害復興のモデルを問い直す試金石である。
能登の復興が成功するか否かは、今後の日本の災害政策全体に深い示唆を与えることになる。その意味で、能登半島地震は「地方災害」ではなく、「日本社会全体の課題」であると言える。
