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コラム:ナゴルノカラバフ紛争とは何だったのか

ナゴルノカラバフ紛争は民族的・歴史的要因と領土主権の衝突が複合する紛争であり、数十年にわたる戦闘と停滞を経て、2023年のアゼルバイジャンの軍事行動とその後の大量避難、さらに2025年8月の和平合意という劇的な転換点を迎えた。
2020年9月27日/ナゴルノ・カラバフ、アルメニア軍の兵士(Getty Images/AFP通信/EPA通信)

ナゴルノカラバフを巡る紛争は、2023年9月にアゼルバイジャンが軍事行動を行い、事実上同地域の直接的統制を回復したことで事実上の軍事的決着を迎えた。多数のアルメニア人住民がアルメニアへ脱出し、数万規模の避難民が発生したと報告されている。2025年8月にはアルメニアとアゼルバイジャンによる和平合意が署名(初期合意)され、両国間の関係正常化と領域紛争の終結に向けた枠組みが打ち出された。これら一連の事態は地域の安全保障構造を大きく変化させた。

ナゴルノカラバフとは

ナゴルノカラバフは南コーカサスにある高地の地域で、法的にはアゼルバイジャン領に含まれるが、住民の多数は民族的にアルメニア人である。ソ連時代にはナゴルノカラバフ自治州としてアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内に位置づけられたが、ソ連崩壊過程で住民の帰属意識と領有権を巡る緊張が高まり、1988年以降の紛争の核心となった。1991年のソ連解体後、地域は事実上独立した「アルツァフ/ナゴルノカラバフ共和国(Artsakh)」として運営されたが、国際的にはアゼルバイジャンの領土と認められている。紛争は民族的自己決定と領土主権という二つの原則の衝突を体現している。

歴史

ナゴルノカラバフ紛争の主要な歴史的経緯は次の通りである。1988年にアルメニア系住民が自治州のアゼルバイジャンからの移管を求める運動を始め、それが武力衝突と大規模な戦闘に発展した(第一次カラバフ戦争、1988–1994)。1994年の停戦で実効支配線が形成され、事実上の分離体制が続いたが、“凍結された紛争”の状態が続く中で小規模衝突が散発した。2020年には約44日間の大規模戦闘(第二次カラバフ戦争)が発生し、アゼルバイジャンは旧来の戦略と新型兵器、無人機の活用で領土の一部を回復した。2020年の停戦協定ではロシアの平和維持部隊が介入して秩序維持に努めたが、2023年9月のアゼルバイジャンの行動はその枠組みを崩し、地域の現状を再編成した。長年にわたり死者数や避難民は多数にのぼり、地域の社会経済インフラは甚大な被害を受けた。

アルメニアの主張

アルメニア側(およびナゴルノカラバフ側)は以下の主張を行っている。第一に、ナゴルノカラバフの住民は歴史的かつ民族的にアルメニア人が多数派であり、自己決定権に基づく自治あるいは独立の権利を有すると主張することが多い。第二に、アゼルバイジャン側の軍事行動や封鎖・圧力は住民の安全と文化的・言語的権利を脅かす「民族浄化」や住民追放を招く危険があると懸念を表明している。第三に、国際的な停戦合意やロシアの平和維持の枠組みを尊重し、政治的解決を求める姿勢をとる一方で、武力による一方的解決には強く反発する立場を示してきた。アルメニア政府は避難民の受け入れ・支援を行う一方で国際社会に保護と人道支援を訴えている。

アゼルバイジャンの主張

アゼルバイジャン側は、ナゴルノカラバフは国際法上アゼルバイジャンの領土であり、一国の領土保全は侵すことのできない原則であると主張する。アゼルバイジャン政府は、1990年代にカラバフ周辺で発生したアルメニア側の占領を「不法占領」と位置づけ、領土回復は正当な国家行為であると見なす。さらに、アゼルバイジャンは国内に残る地雷や武装勢力の除去、国境の完全管理、難民や避難民の帰還のための前提条件整備を強調し、安全保障を理由に軍事行動を説明する場合が多い。アゼルバイジャンは自国の領土一体性回復を国民統合の問題として強く主張する。

過去の紛争と被害

初期の大規模戦闘(1988–1994)では死者数は数万人、数十万人規模の難民・国内避難民が発生した。1990年代以降の占領線や軍事的緊張は地域の社会経済基盤を破壊し、医療・教育・生活インフラに深刻な被害を生じさせた。2020年の44日間の戦闘では、両軍に多数の死傷者が発生し、多くの民間施設や住宅が破壊された。国際人権団体は民間人被害、戦時中の国際人道法違反の疑い、拘束者の扱いなどへの懸念を示してきた。こうした繰り返しの紛争は世代をまたぐ心理的トラウマ、経済的停滞、そして地域社会の分断を残した。

ロシアの対応

ロシアは従来、南コーカサス地域に強い影響力を有しており、2020年の停戦合意ではロシアの仲介と平和維持部隊が重要な役割を果たした。だが、2023年のアゼルバイジャンの軍事行動に対してロシアは有効な介入を行えなかったとの批判を受けた。複数の分析は、ロシアがウクライナ侵攻以降に余力を失い、地域における影響力が低下していると指摘している。また、2024年末から2025年にかけて両国との関係で微妙な外交的駆け引きが続き、ロシアは時に仲介的立場を維持しつつも期待された安全保証を提供できなかったとの評価が出ている。ロシアとアゼルバイジャン間の関係は複雑で、エネルギー・経済・安全保障の利害が絡む。

トルコの対応

トルコは歴史的かつ文化的にアゼルバイジャンと親密な関係を持ち、「一つの民族、二つの国(one nation, two states)」という言説に代表されるようにアゼルバイジャン支持を公然と表明してきた。トルコはアゼルバイジャンの軍事行動を支持するコメントを発し、外交・軍事面での連携を強調している。西側諸国やロシアとの関係調整を行いつつ、トルコはアゼルバイジャンに対する政治的支持を外交舞台で示し、地域における自国の影響拡大を図っている。

国際社会の対応

国連や欧州安全保障協力機構(OSCE)などの国際機関は紛争の平和的解決、人道支援、被害者保護を一貫して訴えてきた。OSCEミンスク・グループ(ロシア、米国、フランスが共同議長)は1990年代以来仲介に関与したが、成果は限定的だった。人権団体(HRW、アムネスティ等)は双方に対して国際人道法と人権の順守を求める報告を出してきた。国連機関やUNHCRは避難民・国内避難民への支援と保護を行い、様々なデータ(例:2024年時点でアルメニアに登録されたカラバフからの避難者数)を公表している。国際社会は停戦や対話を促す一方で、大国間の利害が介入を複雑化させ、迅速な解決を困難にしている。

2023年9月のアゼルバイジャンの勝利

2023年9月19~20日にかけて、アゼルバイジャンは大規模な軍事行動を展開し、事実上ナゴルノカラバフの主要地域を制圧した。アゼルバイジャン政府はこれを「治安・反テロ作戦」と表現したが、相手側(アルツァフ当局)との戦闘は短期間で決着し、アゼルバイジャンの勝利と地域支配の回復につながった。結果として、自治的な政治機構は解体の圧力を受け、多くの住民が安全確保を理由にアルメニア側へ脱出した。国際報道や政府発表はこの軍事行動が従来の停戦体制を変えた決定的出来事であったと記述している。

アルメニア人の大量避難

戦闘とその直後の緊張により多数の民族アルメニア人がアルメニア本国へ移動した。国際機関やアルメニア政府の報告を総合すると、2023年秋から翌年にかけて十万人規模の避難者が登録されたり支援対象になったりしたとされる。UNHCRやアルメニア当局による登録データでは、2024年中頃時点でアルメニア国内に数万~十数万のカラバフ出身の避難民が存在するとされる。避難民は住宅・雇用・医療・教育などの面で深刻なニーズを抱え、人道支援と長期統合策が求められている。

2025年8月の和平協定締結

2025年8月にはアルメニアとアゼルバイジャンの間で「平和と国家間関係の確立に関する」合意が初期合意として締結された(初期的な署名・共同宣言の形)。合意は武力の放棄、国境の画定、外交関係の正常化、失踪者の捜索などを含む枠組みを示したとされる。この合意は長年の敵対関係を終結に向けて大きく前進させる可能性を持つ一方で、実効的な履行と信頼醸成、難民の権利保障、国境管理の具体化といった多くの課題が残ると評価されている。合意の成立は地域のパワーバランスを再構築し、外部勢力の介入や利害調整の新段階を生む。

問題点

和平合意の署名や軍事的決着は一見すると紛争の終焉を示すが、複数の問題点が残存する。第一に、避難民・難民の帰還とその安全保障が不確実である点だ。多くのカラバフ出身者が自らの安全や文化的権利を懸念して帰還を拒否する可能性がある。第二に、領域や国境の最終的画定、少数民族の権利保護、土地紛争や財産権の弁済といった複雑な法的問題が残る点だ。第三に、和平履行に対する監視・執行メカニズムの欠如や、それを担う国際的信用できる仲介者の限定が問題となる。第四に、地域大国(ロシア、トルコ、イラン、西側諸国)の利害関係が残り、外部からの政治圧力や介入が和平プロセスを不安定化させる可能性がある。

課題

具体的課題は次の通りである。

  1. 人道支援の長期化と再定住支援:避難民の住宅・就労支援・心理的ケア・教育支援の確保が必要である。国連機関やNGOとの協調が不可欠である。

  2. 国境・領域の法的確定と履行メカニズムの構築:双方が受け入れ可能な監視体制と紛争予防メカニズムを設ける必要がある。

  3. 司法的・補償的処理:戦争犯罪や人権侵害の疑いに対する透明な調査と被害者救済が必要である。国際人権機関の関与が求められる。

  4. 信頼醸成措置:文化・教育・経済レベルでの交流再開や少数民族の権利保護を通じた信頼構築が不可欠である。

今後の展望

短期的には和平合意の署名が地域の武力衝突リスクを低減する効果を持つ可能性がある。しかし、中長期では合意の具体的実施と履行、避難民の処遇、領土問題の最終決着、そして外部勢力の影響力配分が焦点になる。もし合意が実効的に履行されれば、コーカサス地域の経済連結や輸送回廊(例:南側回廊やエネルギー輸送路)の安定化につながり得る。逆に、履行が不十分であれば、新たな不満が再燃し、将来的な衝突の種になる危険がある。国際社会が監視・支援を続けること、両国が国内政治の短期的圧力に屈せず合意履行を進めることが重要である。

まとめ

ナゴルノカラバフ紛争は民族的・歴史的要因と領土主権の衝突が複合する紛争であり、数十年にわたる戦闘と停滞を経て、2023年のアゼルバイジャンの軍事行動とその後の大量避難、さらに2025年8月の和平合意という劇的な転換点を迎えた。和平は大きな前進の可能性を示す一方で、帰還・補償・法的確定・監視メカニズムの構築など多くの難題が残る。国際機関や主要国の役割が依然として重要であり、人道支援と法的・政治的解決の両面で持続的な関与が不可欠である。地域の永続的安定のためには、単なる武力決着ではなく、包摂的で実効的な平和構築プロセスが必要である。

参考・出典
  • Council on Foreign Relations(CFR)「Tensions Between Armenia and Azerbaijan(Conflict background)」。

  • 2023年アゼルバイジャンの攻勢に関する報道・まとめ。

  • UNHCR:アルメニア国内の避難者関連データ。

  • アルメニア・アゼルバイジャンの2025年和平合意に関する報道・解説(ICTJ等)。

  • ヒューマン・ライツ・ウオッチ等の人権状況報告、米国国務省報告。

  • トルコ・ロシアに関する各報道と分析(Al Jazeera、CivilNet、Carnegie等)。

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