コラム:せきが止まらない、歯が溶ける…原因は胃?
「せきが止まらない」「歯が溶ける」という一見別個の症状は、胃食道逆流症(GERD)という同一の病態から生じている可能性が非常に高い。
.jpg)
現状(2026年2月時点)
せき(咳嗽)や歯が溶けるといった症状は、一般にそれぞれ呼吸器系・歯科領域の問題として扱われることが多い。しかし近年、これらが単独ではなく同一の病態(胃食道逆流症:GERD)による「胃酸」の影響として同時に生じうることが多くの臨床報告で指摘されている。特に日本や欧米の消化器学・歯科領域において、GERDが慢性咳嗽の原因のひとつとして増加していることが報告されている。また、GERDによる酸性逆流が口腔内に影響し歯のエナメル質を溶かす(酸蝕症)ことも確認されている。これらは別々の症状のように見えるが、根底に同一の生理/病理現象が存在する可能性が高い。
せきが止まらない
慢性的な咳(特に数週間以上持続する例)は、風邪後や喘息・アレルギー性疾患以外にも胃食道逆流症(GERD)による咳として現れることがあるという知見がある。GERDでは、胃酸や胃内容物が食道・咽頭まで上がることで咳反射を刺激し、これが継続的なせきの原因となることが報告されている。臨床現場では、胸やけや喉の違和感を自覚しない患者であっても、GERD関連の咳が診断される例がある。
歯が溶ける
歯の「溶ける」現象は、主に歯のエナメル質が酸によって化学的に溶解する酸蝕症(erosion)として知られる。これは虫歯(細菌性の脱灰)とは異なり、酸が「非細菌的」に歯の表面を侵食する病変である。酸蝕症は、酸性の食品・飲料にさらされる場合のほか、胃酸が口腔内に逆流すること(GERD)でも生じると指摘されている。胃酸はpHが非常に低く(pH ~2.0)、エナメル質が溶解する臨界pH(約5.5)をはるかに下回るため、慢性的な暴露があればエナメル質の化学的融解が進行する。
その原因が「胃」にある可能性は非常に高い
せきが止まらない症状と歯の酸蝕が同時に見られる場合、単独の呼吸器疾患や単なる食習慣だけでは説明がつかないケースがある。胃食道逆流症(GERD)がこれらの両方を引き起こす可能性は非常に高いことが複数の臨床研究で示されている。特に、慢性咳が主症状であり、胸やけや酸っぱい味などの典型的消化器症状が伴わないケースでも、胃酸逆流が咳の誘因であることが認識されつつある。これは「GERD関連の咳」がしばしば非典型的・孤立的な症状として現れることが多く、診断が遅れる要因となっている。
なぜ「せき」が出るのか?
胃酸の逆流がどのようにして咳を引き起こすかには、少なくとも二つのメカニズムが提唱されている。
直接的な刺激
胃酸が食道や咽頭まで逆流することで、咽頭や喉頭の粘膜に直接的な酸の刺激が加わると、これが咳反射を誘発する。この刺激は、気管支や咽頭の感覚受容体を介して咳中枢に信号を送ることで起こり、結果として持続的な咳が生じる。
神経の反射
一部の研究では、酸が食道下部にある受容体を刺激することで迷走神経を介した反射性の咳が誘発されるという「反射理論」も示されている。この場合、逆流した酸が必ずしも咽頭まで達しなくても、食道からの神経反応が咳を誘発することがあるとされる。
特徴
GERD関連の咳は、特定のタイミングで増悪しやすい特徴を持つ。たとえば食後や就寝時(特に横になるとき)に咳が強くなる、原因不明の慢性咳嗽が見られるといった特徴がある。また、胸やけ・酸っぱい液が喉に上がる感覚(呑酸)などの消化器症状の有無にかかわらず、咳が持続する場合もあるため、通常の呼吸器疾患の治療で改善しない咳がある場合には胃酸関連の咳を鑑別する必要がある。
なぜ「歯が溶ける」のか?(酸蝕症)
歯の表面は主にエナメル質(hydroxyapatite結晶)で構成されている。これらの結晶は酸に弱く、pHが低下すると溶解し始める。酸蝕症とは、外部からの酸によってエナメル質が化学的に脱灰し融解する病態である。
エナメル質の融解
通常の唾液には酸を中和し再石灰化を促す作用があるが、長時間・頻繁に酸性環境にさらされると唾液による保護が追いつかない。特に胃酸は非常に強い酸性であり、逆流が起こると口腔内のpHが低下し、持続的にエナメル質が溶ける状態を作る。
症状
酸蝕症の初期には自覚症状が乏しいが、進行すると以下のような症状が出現する。
歯が薄くなる・形が変わる
冷たいものや甘いものに対する知覚過敏
歯が光沢を失い、平らで滑らかな外観になる
歯頸部が露出し、象牙質が見える
酸蝕症は虫歯とは異なり、酸による化学的融解が主因であるため、歯の全体的な摩耗や構造変化が見られることが特徴である。
チェックリスト:他にこんな症状はありませんか?
以下の項目に当てはまるものが複数ある場合、GERDがせきや酸蝕の原因となっている可能性が高い。
食後に胸やけ・呑酸(酸っぱい液が喉に上がる感覚)がある
就寝時、横になるとせきが強くなる
胸部不快感やみぞおちの痛みを感じる
歯がしみる、見た目に変化がある
呼吸器治療を受けても慢性咳嗽が改善しない
口腔内の酸性感が強い、口臭が強くなった
これらは臨床的に報告されるGERD関連症状との一致点である。
今後の展望
GERDが呼吸器症状や口腔内症状を引き起こすメカニズムは、まだ完全には解明されていない部分もある。しかし、既存の疫学研究や臨床検討では、GERDと慢性咳嗽、酸蝕症には相関関係があることが示されている。今後は、消化器内科・耳鼻咽喉科・歯科が連携した診断・治療ガイドラインの整備が求められている。また、患者個々の生活習慣(食事、体位、睡眠など)も含めた統合的アプローチが重要視される。
まとめ
「せきが止まらない」「歯が溶ける」という一見別個の症状は、胃食道逆流症(GERD)という同一の病態から生じている可能性が非常に高い。胃酸の逆流は、咳反射を誘発するだけでなく、口腔内のpHを低下させることで歯のエナメル質を化学的に溶かす酸蝕症を引き起こす。これらの症状を総合的に評価し、GERDを早期に診断・治療することが重要である。
参考・引用リスト
Lazarchik DA, Filler SJ. Effects of gastroesophageal reflux on the oral cavity. Am J Med. 1997;103(5A):107S-113S.(GERDと口腔症状)
Wang G-R, et al. Relationship between dental erosion and respiratory symptoms in patients with gastro-oesophageal reflux disease. J Dent. 2010;38(11):892-898.(咳と酸蝕の相関)
Cengiz S, et al. Dental erosion caused by gastroesophageal reflux disease: a case report. Cases Journal. 2009.(GERDによる歯の侵食)
秋葉原原田歯科クリニック. 歯が溶ける「酸蝕症」とは.(酸蝕症の基礎)
市川歯科・矯正歯科. 酸蝕症.(酸蝕症の疫学と原因)
HELiCO. 近年増加中!咳の原因にもなる「逆流性食道炎」.(咳と逆流性食道炎)
追記:逆流性食道炎(GERD)および関連疾患がもたらす中長期的リスク
1. 逆流性食道炎(GERD)の危険性
1-1. GERDとは何か(再定義)
逆流性食道炎(Gastroesophageal Reflux Disease:GERD)とは、
胃内容物(主に胃酸、ペプシン、胆汁酸など)が食道内へ慢性的に逆流し、症状または粘膜障害を引き起こす疾患概念である。
重要なのは、
症状が強い例
症状がほとんどないが組織障害が進行する例
の両方が存在する点である。
1-2. GERDの本質的な危険性
GERDの危険性は、単なる「胸やけ」や「不快感」にとどまらない。主な危険性は以下の三層構造で整理できる。
(1)慢性的な炎症の固定化
胃酸は本来、食道粘膜が耐えられる物質ではない。
そのため、逆流が反復・持続すると以下が生じる。
食道上皮の炎症
微小びらん・潰瘍形成
上皮再生の異常化
この慢性炎症状態の固定化が、後述する発がんリスクの土台となる。
(2)症状と障害の乖離という危険性
GERDの臨床的に極めて重要な特徴として、
症状が軽い、あるいは自覚がないにもかかわらず、粘膜障害が進行している場合がある
という点が挙げられる。
特に日本では、
高齢者
知覚過敏が鈍化している例
咽喉頭症状が主で胸やけを自覚しない例
が多く、「気づかないまま進行するGERD」が大きな問題となっている。
(3)全身・他臓器への影響
GERDは消化管局所の病気ではない。以下のような二次的影響が確認されている。
慢性咳嗽
喘息様症状の増悪
睡眠障害
歯の酸蝕症
咽喉頭障害(LPRD)
すなわちGERDは全身症状を伴う慢性疾患として再定義されつつある。
2. 咽喉頭酸逆流症(LPRD)の危険性
2-1. LPRDとは何か
咽喉頭酸逆流症(Laryngopharyngeal Reflux Disease:LPRD)とは、
胃酸や胃内容物が食道を越えて咽頭・喉頭領域まで到達し、局所症状を引き起こす病態である。
LPRDはGERDの亜型、あるいは上位概念として捉えられることが多い。
2-2. LPRDの特徴的な危険性
(1)防御機構の弱い組織が標的になる
咽頭・喉頭粘膜は、
食道粘膜よりも薄い
酸に対する防御機構が乏しい
再生能力が低い
という特徴を持つ。
そのため、ごく少量・短時間の酸逆流であっても障害が生じやすい。
(2)症状が非特異的で見逃されやすい
LPRDでは以下のような症状が主体となる。
のどの違和感
慢性的な咳払い
声がれ(嗄声)
のどに何か詰まっている感覚(咽喉頭異常感症)
痰が絡む感じ
これらは、
風邪
アレルギー
ストレス
加齢変化
と誤認されやすく、長期間放置されやすい。
(3)機能障害としてのリスク
LPRDは単なる炎症ではなく、以下の機能障害を引き起こす。
声帯振動障害
発声疲労
誤嚥リスクの増加
呼吸器系への二次的影響
特に高齢者では、誤嚥性肺炎の遠因として注目されている。
3. GERD・LPRDと食道がんリスクの関係
3-1. 慢性炎症と発がんの一般原則
医学的に確立された原則として、
慢性炎症 → 細胞再生の反復 → 遺伝子損傷蓄積 → 発がん
という流れがある。
GERDおよびLPRDは、まさにこの条件を満たす病態である。
3-2. バレット食道という前がん病変
GERDが長期間持続すると、食道下部において以下の変化が生じる場合がある。
扁平上皮 → 円柱上皮への置換
これをバレット食道と呼ぶ
バレット食道は、
正常な適応反応であると同時に
食道腺がんの前がん病変
として位置づけられている。
3-3. 食道がんリスクを高める要因としてのGERD
疫学研究では、
長期GERD患者
重症GERD患者
バレット食道を有する患者
において、食道腺がんの発生率が有意に高いことが示されている。
特に以下の因子が重なるとリスクは増大する。
肥満
喫煙
アルコール摂取
男性
中高年以降
3-4. LPRDと上部消化管・咽頭領域がんの可能性
LPRDに関しては、食道腺がんほど明確な因果関係は確立されていないものの、
咽頭
喉頭
上部食道
への慢性酸刺激が、発がんリスク因子となる可能性が示唆されている。
これは今後の研究課題であるが、無視できない重要な視点である。
4. リスク構造の体系的整理
GERDおよびLPRDのリスク構造は以下のように整理できる。
胃酸逆流の慢性化
食道・咽喉頭粘膜の反復損傷
慢性炎症状態の固定
異常再生(バレット食道など)
発がんリスクの増加
この流れは段階的かつ不可逆的に進行しうる。
5. 臨床的・社会的インプリケーション
5-1. 早期介入の重要性
咳やのど症状
歯の酸蝕
原因不明の違和感
これらは軽症サインではなく初期警告である可能性がある。
5-2. 専門領域横断型アプローチの必要性
GERD/LPRDの管理には、
消化器内科
耳鼻咽喉科
歯科
の連携が不可欠である。
6. 追記まとめ
逆流性食道炎(GERD)および咽喉頭酸逆流症(LPRD)は、
単なる不快症状の病気ではなく
慢性炎症性疾患であり
中長期的に食道がんリスクを高めうる病態
である。
「せきが止まらない」「歯が溶ける」といった一見些細な症状は、
身体が発している初期警告サインである可能性が高い。
早期認識と体系的評価が、将来的な重篤疾患の予防につながる。
参考・引用リスト(追記分)
Katz PO, et al. Guidelines for the diagnosis and management of gastroesophageal reflux disease. Am J Gastroenterol.
Kahrilas PJ, et al. Chronic cough and GERD. Chest.
Vakil N, et al. The Montreal definition and classification of GERD. Am J Gastroenterol.
El-Serag HB. Barrett’s esophagus and esophageal adenocarcinoma. Gastroenterology.
Ford CN. Evaluation and management of laryngopharyngeal reflux. JAMA.
日本消化器病学会. 逆流性食道炎診療ガイドライン
日本耳鼻咽喉科学会. 咽喉頭逆流症の診断と治療
