SHARE:

コラム:最低賃金1500円、達成できる?

最低賃金を全国平均で1,500円に引き上げる目標は、所得底上げや消費拡大というポジティブな効果を期待できる一方で、実現には大きな制度設計上・経済的ハードルが存在する。
日本、東京駅前(Getty Images)
現状(概観)

日本の地域別最低賃金は年度ごと、都道府県ごとに改定される仕組みで、厚生労働省が各地の答申状況をまとめている。近年は物価上昇や労働市場の逼迫を背景に引き上げが続いており、2025年度の改定では全国加重平均が1,121円となり、史上初めて全都道府県で最低賃金が時給1,000円を超えたと報告されている。都道府県間では最高額が東京都、最低額が一部の地方県となり地域差は依然として残る。政府や労使団体は最低賃金の引上げを重要課題と位置づけ、賃金底上げによる内需拡大や生活改善を政策目標としている。


2025年11月現在の状況(具体値と経緯)

2025年度の地域別最低賃金改定の結果、全国の加重平均は1,121円、全都道府県で1,000円以上となった。最高は東京都で1,226円、最低は高知・宮崎・沖縄などで1,023円(改定後)という分布になっている。改定率は全体として高めで、中央労働政策審議会の目安を上回る地域もあり、業界や地域ごとの審議では意見の隔たりが見られた。政府は「2020年代に全国平均1,500円」という大枠の目標を掲げる動きがあり、これに対して各界で実現性や手法を巡る議論が続いている。


全都道府県で時給1000円以上を達成(2025年)

2025年度改定で「全都道府県で時給1000円超え」が実現した事実は、長年の最低賃金政策の節目といえる。これは名目的には全国レベルでの底上げが達成されたことを示すが、1,000円超えが生活の最低ラインを満たすかどうかは家計構造や地域物価、労働時間などで大きく異なるため、引き続き精緻な政策評価が必要である。


政府の目標と現状の乖離

政府や一部有識者が掲げる「2020年代に全国平均1,500円」という目標は、2025年時点の全国加重平均1,121円と比べると大きな乖離がある。年平均で必要な引上げ率は相当高く、仮に2025年時点から短期間で達成しようとすると毎年7%前後の引上げが相当するという試算もあるが、実際の審議や地域経済の許容度を考えると非常に高いハードルになる。さらに、地域間の経済力差や業種差を考慮すると均一に引き上げる方式は困難が伴う。


達成可能性に関する見方(全体の俯瞰)

1,500円目標の達成可能性については楽観的な見方と懐疑的な見方が混在する。楽観的には、経済成長や生産性向上、適切な価格転嫁や政府支援を組み合わせれば、段階的に到達可能だとする主張がある。一方で、現実の企業収益や中小企業の脆弱性、地域ごとの経済事情を考えると早期達成は困難だとする見解も強い。政策的には特定産業や地域に重点的に支援を配分する「特定最低賃金(セクター別・地域別)」の活用や、賃上げとセットの生産性向上支援、補助制度の導入などが議論されている。


懐疑的な見方(課題とリスク列挙)
  1. 中小企業・小規模事業者の負担増大
     多くの中小企業は利益率が低く、賃金の一律的な上昇は直ちに人件費負担の急増をもたらす。結果として事業継続の困難、倒産・廃業の増加リスクが指摘される。特に人手を多く使う飲食、小売、宿泊、サービス業で影響が大きい。

  2. 雇用の削減と失業者増加
     企業がコスト削減のために雇用を減らす、あるいは新規採用を抑制する可能性がある。部分的には自動化・省力化への投資で代替されるが、短期的には非正規雇用の削減や就業調整が発生し、失業率の上昇を招きかねない。

  3. 価格転嫁の難しさ
     賃金上昇分を消費価格に転嫁することが難しい業界・商品がある。需要弾力性が高い消費財・サービスでは価格転嫁が販売数量の減少につながる恐れがある。政府が価格転嫁を支援する政策を講じても、市場構造の制約で効果は限定的になる可能性がある。

  4. 地域間格差の拡大
     都市と地方で生産性や支払能力に差があるため、一律引上げは地方の事業者に相対的に重い負担を強いる。結果として地方経済の疲弊や地域間の格差拡大が懸念される。


可能だとする見方(実現シナリオ)
  1. 段階的・差別化された引上げと支援の組合せ
     全国一律ではなく、地域・業種ごとに目標年次や割合を調整し、並行して中小企業支援(補助金、税制支援、低利融資)と生産性向上投資支援を実行すれば実現可能性が高まる。特定産業に対しては特定最低賃金制度を活用する案が提案されている。

  2. 生産性向上と賃上げの好循環
     賃上げのインセンティブにより労働者のモチベーションや定着率が向上し、企業が設備投資や業務改善を進めることで生産性が上がり、賃上げを吸収できるというポジティブなシナリオがある。政策的に生産性向上を後押しすれば、この循環を作れるとの見方がある。

  3. 財政・公的支援の活用
     短期的に財政支出や補助を投入して企業を下支えし、賃上げ後の調整期を設けることで衝撃を緩和する戦略が考えられる。ただし、財政負担の持続可能性が問題になる。


企業経営への影響(詳細)

人件費は多くのサービス業にとって最も大きなコスト項目であり、最低賃金の大幅引上げは損益計算に直撃する。具体的影響は以下の通りだ。

  • 利益率の圧迫:固定費・変動費を勘案すると、特に薄利多売の業態で利益率低下が速やかに顕在化する。

  • 採用・労働形態の見直し:非正規から正規への転換やシフト調整、労働時間短縮などで対応するが、サービス供給能力が落ちる恐れがある。

  • 価格設定の再考:原価構成と市場の価格弾力性を再評価し値上げや付加価値化を図るが、需要減少リスクと向き合う必要がある。


人件費負担の増大と事業継続リスク

中小企業における人件費負担増は、資金繰りの悪化を通じて事業継続性を脅かす。特に外部資金調達が難しい零細・小規模事業者は短期的なキャッシュフロー問題に直面しやすい。倒産・廃業リスクが高まれば、地域経済や雇用に波及効果が生じる。政府側で賃上げ期に限定した補助や税制優遇を行っても、恒常的コスト増に対する持続的対応策が求められる。


価格転嫁の難しさ(消費者行動と市場構造)

消費者が価格上昇に敏感な商品やサービスでは需要の落ち込みが予想される。特に郊外の小売や外食では、顧客の価格比較行動が強く働き、値上げが売上減少に直結するケースがある。また競争の激しい業界では一社だけの値上げは顧客流出を招くため、業界全体での調整や付加価値提供が必要になる。価格転嫁を前提にした政策設計は慎重さが求められる。


労働市場への影響(雇用・ミスマッチ)

最低賃金の急激な引上げは短期的に以下のような労働市場の変化を招く可能性がある。

  • 雇用の削減:企業が労働量を減らす、シフトを削る、パートや短時間労働者の雇用を見直す。

  • 労働力供給の増加:賃金の上昇により就労希望者が増え、求人とのミスマッチが生じる可能性がある。

  • 就業調整の発生:労働時間圧縮や職務の統合、派遣・業務委託の活用など「就業調整」が横行することで、雇用の質が低下する懸念がある。


地域間格差の拡大

地域別最低賃金は均一に引き上げられると地方の事業者に大きな負担となる。都市部は賃金上昇の吸収能力が比較的高いが、人口減少と需要縮小が進む地方では価格転嫁や生産性向上の余地が限られるため、格差が拡大しやすい。地方の経済基盤を維持するためには、地域別の段階的引上げプランや集中的支援が必要になる。


企業内賃金バランスの崩壊

最低賃金が引き上げられると企業内部での賃金テーブルに歪みが生じる。若年・新入社員の初任給が急上昇すると、既存の勤続者や管理職とのバランス調整が必要になる。結果として、賃金制度の抜本的な見直し(職務給・職能給への移行、評価制度の導入など)が求められるが、その設計と導入コストは容易ではない。


オートメーション化の加速

人件費上昇は自動化投資のインセンティブを強める。特に単純反復業務や接客の一部はロボットやセルフサービス化で代替されやすく、これにより必要な雇用数が減る一方で、高度な技能を要する職種へのシフトが進む可能性がある。ただし、自動化投資は初期費用が高く、中小企業に普及するには補助や長期融資が必要になる。


その他の影響(税・社会保障・消費)

賃金ベースの所得増は税・社会保険料のベースを変え、社会保障制度の収支に影響を与える。賃上げが可処分所得を押し上げれば消費拡大効果が期待される一方で、価格上昇や雇用調整が進むと逆効果になることもあり得る。財政面での連動措置(税制・給付調整等)も併せて検討が必要になる。


課題(政策的・制度的)
  1. 実効性ある支援策の設計:中小企業支援、価格転嫁支援、生産性向上支援を組み合わせた実行可能なパッケージが必要である。

  2. 地域・業種別の柔軟性:一律目標からの転換として、地域別・業種別の到達スケジュールや特定最賃の活用を検討する必要がある。

  3. データに基づくモニタリング:賃上げの影響を丁寧に追跡するための指標と評価体制が不可欠である。


今後の展望(シナリオ別)
  1. 現実路線(段階的引上げ+支援)
     年次で数%〜6%台の引上げを継続しつつ、中小支援と生産性投資を合わせることで2030年代中盤に向けて徐々に1,500円へ近づける路線が現実的である。この場合、地域間・業種間で到達時期に差が生じることを受け入れる必要がある。

  2. 積極路線(短期集中での引上げ)
     政府が強い財政支援と規制調整をセットで行えば短期に大幅引上げは技術的に可能だが、財政負担や市場の歪み、倒産リスクの増大といった副作用が大きく、持続可能性が疑問視される。

  3. 柔軟・参照賃金ベースへの転換
     欧州型の「賃金中央値の何%」等の相対目標を採ることで、経済実態を反映した柔軟な制度設計が可能になるとの議論がある。これにより毎年度の目安が経済指標に応じて自動調整され、達成可能性と予見性が高まる可能性がある。


まとめ

最低賃金を全国平均で1,500円に引き上げる目標は、所得底上げや消費拡大というポジティブな効果を期待できる一方で、実現には大きな制度設計上・経済的ハードルが存在する。2025年時点で全都道府県が時給1,000円以上になったことは重要な前進だが、1,500円到達までには地域差・業種差の解消、企業支援と生産性向上の両輪、そして丹念な事後評価と補正措置が不可欠である。政策は単なる「目標額の掲示」ではなく、現場の実態に即した段階的かつ柔軟な設計と、それを支える財政・制度的な裏付けを伴う必要がある。


参考(主な情報源)

  • 厚生労働省「地域別最低賃金の全国一覧」など公式資料。

  • JIL(労働政策研究・研修機構)による2025年改定のまとめ。

  • マスメディア報道(毎日新聞など)の改定報道。

  • 経済研究所(JRI)や労組系の政策提言(最低賃金引上げと支援策)。

この記事が気に入ったら
フォローしよう
最新情報をお届けします