コラム:人類は月に居住拠点を築けるか
月への移住は「技術的に到達可能だが、持続可能な社会化には多面的な技術実証と社会的合意、長期的投資が必要」と結論づけられる。
.jpg)
現状(2025年12月時点)
人類の月探査と「月への移住」計画は、21世紀に入って加速している。NASAのアルテミス計画は月面への持続的な人間活動と拠点化を目標に掲げ、商業企業や国際パートナーと協調しながら段階的に有人飛行と軌道ステーション(Lunar Gateway)整備を進めている。ただし、具体的なスケジュールは技術的・財政的事情で変動しており、有人着陸の時期や地上拠点の設置時期は流動的である。たとえばアルテミスのクルーを乗せて月周回を予定するアルテミスIIは2026年に予定され、初の米国主導有人着陸(アルテミスIII)は当初の計画より遅延し、以後のミッション群も段階的に実行される見込みになっている。
一方で、月面の資源(特に極域の水氷)に関する観測・解析は進展している。軌道からのリモートセンシングや近年の解析で、極域の永久影領域に限らず、より広域に水や凍結水の痕跡が存在する証拠が示されている。こうした資源の存在は現地での燃料・飲料水・酸素生産(ISRU: In-Situ Resource Utilization)という月移住の基盤技術に直結する。
ただし、ミッションの個別案件では費用超過や予算制約、打ち上げ・着陸技術の遅延などが発生しており、VIPERローバーの扱いなど一部探査計画が見直された事例もある。これらは「技術はできるが経済とスケジュールが追いつかない」ことを示している。
人類は月に居住拠点を築けるか — 結論の概略
技術的には「可能性が高い」が、実現には多層的な課題(放射線、熱環境、真空・微小隕石・塵、生命維持、エネルギー供給、ISRU、低重力影響、通信、コスト、社会経済面)が残る。短期的(数年〜十年)にはパイロット的な月面滞在・半永久的ハビタットの設置が現実的で、中長期(数十年)での大規模居住は技術成熟と持続可能な経済モデルの確立が前提になる。
以下、それぞれの項目を詳述する。
目的と現状
月移住の目的は複数存在する。科学的探究(地球・太陽系起源の解明)、資源利用(特に水やレアメタルの可能性)、深宇宙(火星等)へのステッピングストーンとしての利用、地政学・国家的プレゼンス、民間商業(観光・採掘・製造)である。現状では国家機関(NASA、ESA、JAXAなど)と民間(SpaceX、Blue Originなど)の複合的アプローチが進む。軌道ステーション(Gateway)や月極域探査、試験的なモジュール展開を通じて「生きて働ける環境」の構築段階にある。
課題(概観)
月移住を阻む主な課題は次の通りである。
放射線・宇宙線被曝の管理。
極端な温度変化(昼夜約270℃変動)。
真空と微小隕石(マイクロメテオロイド)からの防護。
月の塵(レゴリス)の機材・人体への影響。
生命維持システム(空気・水の再生・廃棄物処理)。
現地資源の採掘・精製(ISRU)の実用化。
低重力(約0.16 g)が長期人体に与える影響。
通信・航行のインフラ整備。
高コストと経済性、社会的合意形成。これらは互いに関連し合い、単独での解決が困難な統合的課題である。
過酷な自然環境
月表面は大気が事実上存在しないため、昼は太陽放射で非常に高温、夜は極端に低温になる。日周(昼夜)周期は約29.5地球日で、ひとつの昼が約14地球日続き、夜も同様に長い。これにより太陽光発電は昼間に大きく依存し、夜間や永久影領域では別の電源(原子力、小型原子炉や燃料電池、極域での太陽追尾&蓄電)を用意する必要がある。構造物は熱膨張・収縮や材料疲労に耐える設計を求められる。NASAや研究者は極域(特に南極・北極付近の永久影領域)を重視しているが、そこは低温で水氷が期待できる一方で太陽光が得にくい点がある。
放射線と宇宙線
地球に比べて月表面は磁気圏に守られていないため、宇宙線(銀河宇宙線:GCR)や太陽フレア由来の高エネルギー粒子の影響を直接受ける。被曝は長期滞在で累積するため、被曝線量管理が最重要課題になる。アポロ時代の実測値や現代の放射線モデルを用いた評価では、長期滞在では癌リスクや造血系・中枢神経系への影響が懸念される。遮蔽(大量の土や水、物質による遮蔽)、地下・洞窟利用、磁気シールドや電場を使った先進的な遮蔽技術などの研究が進められている。放射線被曝に関する専門的レビューやモデル計算は多く、公的機関や査読論文で対策の指針が示されている。
極端な温度変化
先に述べたように昼夜温度差は非常に大きい。材料と機器は極端なサイクルに耐える必要があり、熱制御(サーマルコントロール)は居住モジュール設計の基盤になる。居住区画は熱的に断熱し、外殻に放射冷却・吸熱の両方を管理する機構が必要になる。
真空と微小隕石
月には大気が無いため、微小隕石(マイクロメテオロイド)が表面や装備を直接叩く。高速度粒子による穿孔や衝撃は構造物やエアロック、居住モジュールにダメージを与えるため、多層構造(多層被覆や高強度フィルム、充填材を用いた防護)や地下・岩陰利用が有効とされる。
月の塵(レゴリス)
月塵は極めて細かく鋭利で電気的に帯電しやすく、機械の摩耗・シールの劣化・光学系の曇りや健康被害(呼吸器系リスク)が問題になる。現代の研究レビューは月塵の毒性とハードウェアへの影響を広く分析しており、NASAなども人の健康リスク評価を継続している。対策としては塵除去システム(電場やエアシャワー、磁場を利用した技術)、服の脱着やエアロックの工夫、定期的な整備プロトコルが必要になる。
技術的・インフラの課題
月面での持続的活動には以下の主要インフラが必要になる。
高信頼の打ち上げ・着陸・上昇システム(人と物資の往復)。
エネルギー源(太陽光+蓄電、原子力)と熱管理。
通信基盤(地球との高帯域通信、月内ネットワーク、遅延管理)。
建築技術(レゴリスを使った遮蔽や3Dプリントによる居住構造)。
採掘・処理技術(水氷の採掘と精製、金属抽出)。
再生型生命維持装置(空気・水の完全再生が理想)。
各分野で実証試験が進むが、現段階では多くが試験段階であり、本格的なスケールアップが課題になる。
生命維持システム
地球上の閉鎖生態系研究や国際宇宙ステーション(ISS)の再生型生命維持技術(空気再生、CO₂除去、尿・排泄物からの水回収)は基礎を提供するが、月面では資源制約・微塵問題・修理の困難さが厳しい。完全閉鎖型(ほぼ外部補給に依存しない)システムは技術的に可能性が示されているものの、故障率の低減、冗長性、現地修理技術の確立が不可欠である。植物工場の導入により食料の一部を現地生産できれば補給コストを下げられるが、光合成のための光源や水利用効率が鍵になる。
物資の現地生産(ISRU)
ISRUは月居住の鍵であり、特に水氷からの水・酸素・水素(燃料)が有望である。観測では永久影領域に氷の存在が示唆されており、これを掘削・精製する技術の実証が求められる。ただし、ミッションキャンセルや予算問題で、予定されていたローバーや掘削装置が見直される例もあるため、ISRU実証計画は民間と国際パートナーの協力が重要になる。成功すれば地上からの補給依存度を飛躍的に下げられる。
低重力の影響
月の重力は地球の約0.16倍で、これが長期の人体に与える影響は完全には解明されていない。宇宙滞在(微小重力)で確認される骨量減少、筋萎縮、心血管系の変化、神経・感覚系の変化は、月の低重力でどの程度緩和されるか不確実である。最近のレビューや研究では「0.16gが十分な刺激になるかは不明」とする見解が多く、厳格な運動プログラム、薬学的対策、補助的な機械的荷重(抵抗運動スーツ、遠心分離器による人工重力)などの対策研究が進んでいる。胎児・子どもに対する影響は倫理的・生物学的に深刻な未知領域であり、居住社会を構築する前に長期研究が必要になる。
通信の確保
地球と月の通信遅延は約1.3秒(往復で約2.6秒)程度で、即時操作や会話に支障はないが、リアルタイム高帯域通信(映像、高精細データ転送)や複数拠点間のメッシュ通信はインフラ整備が必要になる。加えて月の裏側や一部の軌道では直接地球と通信できないため、リレー衛星(Lagrange点や周回衛星)やGatewayのような中継プラットフォームが必須になる。これによって遠隔運用・監視・医療支援が可能になる。
経済的・社会的課題、コスト
月移住は天文学的コストを必要とする。建設・輸送・運営のすべてが高額であり、政府予算と民間投資の組み合わせが必要になる。経済的持続可能性モデル(資源採掘の商業性、観光、製造業など)が確立されない限り、長期常駐は難しい。さらに法的・倫理的問題(資源の所有権、宇宙条約の解釈、環境保護)や人選・労働条件、社会構造の設計といった課題もある。これらは技術的解決だけではなく政治・社会制度の整備が必要になる。
持続可能性と自給自足
真の移住は部分的あるいは完全な自給自足を意味する。水・酸素・燃料・食料・建材の現地生産が進めば輸送コストは劇的に下がるが、ISRUや閉鎖生態系の信頼性が鍵になる。モジュール式で段階拡大可能なインフラ設計、継続的な資源評価、メンテナンスのための地上と現地での専門人材育成が必要になる。
心理的な影響
狭小空間、隔絶された環境、長期間にわたる同一グループでの共同生活は精神衛生に負荷を与える。孤独感、対人ストレス、時間の感覚変容、地球からの心理的距離などが問題になる。長期滞在クルーの選抜、心理サポート、レクリエーション、プライバシー確保、仮想現実等を用いた地球との“つながり”維持策が重要になる。
克服への取り組み(技術・運用)
既存の取り組みは多岐にわたる。放射線対策では地下居住やレゴリス遮蔽、厚い被覆材の採用、電磁シールド研究が進む。塵対策では電場や静電除去、物理的なエアシャワーといった技術が試験される。生命維持ではISSの経験を基にした再生技術の改良、植物工場での食料生産、循環型ウォーターシステムの冗長化が行われる。運動対策では抵抗運動機器、装着型エクソスーツ、短時間高負荷運動プロトコルの研究が進んでいる。人工重力施設(回転式居住モジュールや短腕遠心機)の概念実験や設計研究も続く。
レゴリス(月の砂)の活用
レゴリスは単なる脅威ではなく資源にもなり得る。3Dプリンティングによる建築材料(レゴリスをセメント状に固化する方法や焼結)、遮蔽材としての活用、鉱物資源の抽出などの研究が進む。特に月面基地の外殻や道路、パネル支持材などに現地材料を使えれば輸送コストを大幅に節約できる。複合材料や添加剤の開発が鍵になる。
地下洞窟(ラバ・チューブ)の利用
月の溶岩チューブ(ラバ・チューブ)は自然の遮蔽を提供するため、放射線・微小隕石・温度変動から身を守る優れた候補地になる。探査による空洞確認や入り口のアクセス整備、換気・水管理・インフラ敷設の技術が要るが、既存研究は重要な可能性を示している。地下空間を利用すれば外殻を大量に運ぶ必要がなくなる利点がある。
月面水氷の採掘
極域に蓄積された水氷は居住に不可欠な資源であり、採掘・精錬・保管の技術実証は優先課題である。掘削ローバー、熱処理による昇華回収、凍結層のイメージングや地質学的評価が必要になる。資源の分布が局所的である可能性があるため詳細な探査が続く。なお一部ミッションは予算や技術問題で見直しが生じており、国際協力や民間の参加が採掘計画実現の鍵になる。
植物工場
月面での植物工場は食糧供給と心理的効用の両方を果たす。閉鎖環境での光、温度、二酸化炭素制御、水循環の最適化が課題で、LED照明・水耕栽培・根域の管理技術が重要になる。エネルギー効率が現地生産の実現性を左右するため、太陽光+蓄電または小型原子炉との組合せの研究が続く。
特殊なエアロックシステム
塵を持ち込まない、外部からの微小粒子を遮断するエアロックやスーツデポが必要になる。二重エアロック、ドッキング式の気密チェンバ、脱塵機構、スーツの外装洗浄・除塵システムなどの運用が要る。これらは整備性・信頼性の両面で厳格な設計基準を要求する。
素材開発
極端な温度、真空、放射線、塵の影響に耐える新素材(高耐熱複合材、自己修復材料、放射線遮蔽材、低摩耗コーティング)が求められる。レゴリスの焼結やポリマー複合材とのハイブリッド利用、内部に水を含む層をもった遮蔽複合構造など研究が進む。
厳格な運動プログラムと人工重力施設の研究
筋骨格の維持のために日常的な運動が必須であり、月面での抵抗運動機器や着用型エクソスーツが研究・試験されている。また回転式遠心機を用いた部分的人工重力の実験も提案されており、これらは長期居住の健康維持に有効と期待される。
アルテミス計画(現状と意義)
アルテミス計画は月への人間活動復活と持続的プレゼンスの試金石であり、技術・法制度・国際協力の枠組みを形成する役割がある。計画は段階的であり、短期的な有人周回・着陸ミッションから始まり、徐々にGatewayや定着モジュールを追加していくビジョンである。ただし、予算や政治情勢、技術リスクにより予定は流動的であり、民間企業の関与や国際提携が計画の実現性を左右する。
今後の展望
今後十年は「試行と実証の時代」になる見込みで、小規模基地、ISRUの初期実証、長期滞在の健康データ収集が中核ミッションになる。民間企業のコスト低減努力、国際協力、地上支援技術の進化により居住の経済性が改善すれば、2030年代以降により確立した半永久居住域が形成され得る。最終的に「自治的な月コミュニティ」を成立させるためには、法整備、資源管理ルール、持続可能な経済モデル(資源利用、観光、製造、研究)が不可欠である。
まとめ(要点)
技術的には月への定住は「可能性が高い」が、放射線・塵・低重力・熱環境・真空等の複合課題が残る。
ISRU(特に水氷利用)はコスト低減と持続性確保の鍵だが、実証が必要であり一部プロジェクトは予算等で見直されている。
月塵の毒性と機材損傷は重大なリスクであり、除塵技術・エアロック設計・材料開発での対応が必須だ。
低重力の長期影響は不確定要素が多く、運動・薬学的対策と人工重力研究が重要になる。
アルテミス等の計画は進行中だが、スケジュールと資金面の不確実性が存在する。
以上の点をもって、月への移住は「技術的に到達可能だが、持続可能な社会化には多面的な技術実証と社会的合意、長期的投資が必要」と結論づけられる。具体的な「居住」がいつ大規模化するかは政策・資金・民間の技術革新に左右されるため、今後の十年〜二十年の技術実証状況と国際協力の進展を注視する必要がある。
以下に、月への居住(または「半永久的な月面基地の設置・維持」)にかかる費用を、いくつかの典型的なシナリオに分けて試算・整理する。あくまで現時点の公表データ・学術/政策推定値に基づく「モデル」であり、実際のコストは採用技術、規模、頻度、資源利用(ISRU)などによって大きく変動する可能性がある。
費用見積もりにおける基本前提と不確実性
現存の研究や報告は「有人月面探査ミッション」「最小限の月面基地」「将来の大規模基地」など、想定規模が多様。したがって「どこまでやるか」の定義によってコストが大きく異なる。
多くのコストは「地球から月への輸送質量あたりコスト」に左右される。資材・設備を地球から運ぶほど高コスト。これを下げるには現地資源利用(ISRU)や現地建設が鍵。
運用コスト(補給、維持、メンテナンス、人的コスト、エネルギー、通信、物流など)をどう賄うかで、短期の探査型ベースと長期・大規模居住とでは経済性が大きく異なる。
これらを踏まえて、以下のような代表的シナリオを定義する。
シナリオ別コスト見積もり
| シナリオ | 内容 | 初期構築コスト(開発 + 建設 + 輸送) | 年間運用コスト(維持・補給・運営) | 想定される期間・規模など |
|---|---|---|---|---|
| A. 試験的/探査型月面拠点 | 4人クルー程度で月面に短期間(数週間〜数か月)滞在し、技術・環境調査を行う拠点。地球からの補給・交代あり。 | 約 350〜3000 百万ドル(数億〜30億ドル) 程度 | —(都度ミッションごとのコスト) | 初期有人着陸〜数回の探査ミッション。将来基地化の先行ステップ。 |
| B. 小規模常駐型基地(パイロットベース) | 4人〜数人が継続または断続滞在可能な基地。補給は主に地球から。ISRUほぼ未使用。 | 約 35 億ドル(≈4,700〜5,000 億円) | 約 7.35 億ドル/年(補給・維持など) | 4人クルー、無人期間あり。初期の月面基地モデル。 |
| C. 中規模居住基地(10人〜数十人クラス) | 科学・探査・生活を兼ねた中期滞在拠点。ある程度のISRU導入(例:酸素・水・基本資材など一部現地取得)。 | 50〜数十億ドル規模(設計にもよるが、C は B を拡張した費用) | 数億〜十数億ドル/年(補給コスト低減あり) | 数か月〜数年の定住、複数クルー。将来の拠点社会構成の最初の段階。 |
| D. 大規模・恒久居住基地(数百人〜数千人) | 月にほぼ「町」レベルの定住地をつくり、住民が継続生活・労働・研究・生産を行うようなコロニー。ISRU・現地建設・再利用・エネルギー自前を重視。 | 数十億〜百億ドル以上(可能であれば 100 億ドル超) | 年間数〜十数億ドル、あるいは補給コストを大幅に抑えて数億ドル台を目指す | 将来の定住社会。数十年スケール。資源採掘、製造、研究、商業などを含む月経済の形成。 |
以下、それぞれのシナリオについて根拠や考え方を説明する。
シナリオ A:試験的/探査型月面拠点
過去および現在の有人月探査は「滞在期間が短い」「少人数」「地球からの補給と交代あり」が基本。こうしたミッションは、基地建設ほど大きな構造物を必要とせず、モジュールや仮設施設、ローバーなどの輸送が主。
2024年の報道では、月に宇宙飛行士を再び送り込むだけでも約300億ドルかかる可能性があるとの見積もりが示されていた。
ただしこの300億ドルは、単一ミッションというよりも一連の戻り〜探査を含むプログラム全体費用であり、月面に短期間着陸し戻るだけで済ませるミッション単体のコストはもっと小さい。仮にカプセル1機、ロケット、着陸機、必要モジュール、運用費、地上支援などを合算しても、数億ドル〜数十億ドルオーダーが想定される。
→ したがって、「4人クルーで数週間〜数か月の探査・実験を目的とする基地/モジュール」のライフサイクルあたり数億〜数十億ドル(数億〜十億円代から十億円台後半)が初期構築コストの目安となる。
この規模は、例えば有人月面ミッションの初期フェーズや、技術試験用モジュール、ローバー支援施設などに相当する。
シナリオ B:小規模常駐型基地(パイロットベース)
政策・分析機関による「月面基地コスト見積もり」の代表例として、 Center for Strategic and International Studies (CSIS) の報告がある。彼らは4人クルーが常駐可能かつ無人期間を挟みつつ稼働する基地の初期構築に約35億ドルを必要とし、さらに運用には年間約7.35億ドル を見積もっている。
この推定は「地球からの補給に全面依存」「ISRUをほとんど使わない」「最低限の生活・研究施設」というかなり控えめな条件だが、月基地の“最小実用版”としては現実性が高い。
すなわち、このBシナリオのように、既存技術と補給に依存して「月に定期的または断続的に人を常駐させる」方式は、理論上は比較的低コストでスタート可能である。
→ 小規模な月面基地(4人クルー+無人期間あり)の場合、初期投資として約35億ドル、その後の維持・運営で年間7–8億ドル程度を見込むのが、現時点の代表的な見積もり。
ただしこの見積もりでは、食料、水、酸素、燃料などすべて地球側から補給される前提。これを改善できれば、運用コストは大きく下がる可能性がある。
シナリオ C:中規模居住基地(10人〜数十人クラス)
このシナリオは、「将来の研究拠点・試験コロニー」を意図したもの。たとえば月で数人から数十人が継続的あるいは長期に近い滞在を行い、科学研究、資源採掘、技術試験、あるいは限定的な生産などを行う場合。
初期コスト:小規模基地の延長だが、モジュール数を増やし、補給頻度を減らすための一部ISRU実装、エネルギー供給(太陽光または原子力)、発電・蓄電インフラ、生活・実験施設、通信施設などを整備する必要があるため、50億ドル台〜数十億ドルの規模になる可能性が高い。
運用コスト:地球からの補給だけでなく一部現地資源(例えば水氷、酸素、建材)を使えるようになれば、維持費は抑えられる。たとえば食料や水、酸素の一部を現地でまかない、電力は太陽光+蓄電あるいは小型原子力、レゴリスによる建材・遮蔽などを活用すれば、運用コストは数億〜十数億ドル/年で収まる可能性がある。
この段階は、将来の大規模基地に向けた“実験都市”のような性格を持つ。
シナリオ D:大規模・恒久居住基地(数百人〜数千人規模)
最終的に「月に街をつくる」「月コロニー」「月コミュニティ」といえるレベル。
初期コスト:数百人〜数千人規模となると、モジュール、居住施設、インフラ(発電、通信、輸送、貯蔵、食料生産、廃棄物処理、水処理、建材生産、交通など)を包括的に整備する必要がある。
過去のLEOや宇宙ステーションの建設コストと比べても大きく、ある専門的な試算では、宇宙供給チェーンや現地資源の利用を前提にしたとしても、国際宇宙ステーション(ISS)級の基地整備には数十億〜百億ドル以上の投資が必要とされてきた。
さらに、輸送コストが重いため、初期状態で地球からすべてを運ぶのは非現実的。現地のレゴリスを使った建材の現地生産、太陽光または原子力による電力生成、ISRUによる水・酸素・燃料生産、食料用植物工場、水循環・再利用システムなど、多くの技術が本格運用可能であることが前提。
運用コスト:補給に全面依存しないならば、理論上は地球からの物流負担を大きく減らせる。ただし、維持管理、インフラ稼働、人件費、エネルギー、建物の補修・拡張、資源採掘・再生などが継続的に必要。これらをすべて月面で自前でまかなえるだけの成熟した技術と安定した資源が確保できれば、年間コストは数〜十数億ドル台に抑える可能性がある。しかし技術が未成熟なら、年間の補給・補修コストは大きく跳ね上がる。
この「月コロニー」は、長期的かつ持続可能な社会を築くための理想形だが、実現には技術成熟、政策・国際協力、経済モデルの確立など多くの条件をクリアする必要がある。
なぜコストに幅があるのか — 不確実性の要因
輸送コストの高低
地球から月へ物資を運ぶ「打ち上げ・着陸コスト」は非常に高い。大量の物資を運ぶほどコストが膨らむ。
ただし将来、再利用型ロケットや大型輸送船/着陸船(あるいは現地建設技術)が安定すればコストは低下する。
資源利用(ISRU)の有無と効率
月の水氷、レゴリス、放射線遮蔽可能な建材、エネルギー源(太陽光、将来的には核)などをどこまで現地で使えるかが大きなカギ。
ISRUが実用化できれば、補給依存を減らせ、維持コストを劇的に下げられる。逆にISRUが使えなければ、地球からの補給コストに支配され、経済性は悪化する。
規模と目的
単純な探査ミッションか、研究拠点か、居住地か、産業・商業を含むコロニーかで、必要な施設と資材が大きく異なる。
食料生産、インフラ、エネルギー、自給率、人的資源、生活インフラ、将来の拡張性などを考えると、コロニーは初期コストも運用コストも相応に大きくなる。
技術成熟度と安全性、冗長性
月は過酷な自然環境。放射線対策、真空・温度極端環境対策、塵対策、微小隕石対策、生命維持システム、通信インフラなど多岐にわたる。これらをすべて安全かつ信頼性高く整備するには、冗長設計やメンテナンス体制、バックアップシステムが必要であり、それがコストを押し上げる。
また、未知のリスク(例:塵の健康影響、低重力の長期影響、機械の劣化、災害、故障時対応など)を考えると、安全マージンを大きく取る必要がある。
経済性と資金源
国家による公的資金、国際協力、民間投資、商業利用(資源採掘、観光、製造、研究)など、どのように資金を賄うかによって実現性が大きく左右される。
長期的に持続可能で収益性のあるモデルを構築できなければ、投資に対する見返りが少なく、費用対効果が合わない可能性がある。
現実的なコストと最近の情勢から考える注意点
現在、 アルテミス計画 のような月探査プログラムが進行中だが、2025年においては予算削減や優先順位の見直しが報じられている。たとえば米国政府は2026会計年度でNASA予算を約24%減らす案を提示しており、月探査関連のプロジェクト(ロケット SLS、軌道ステーション Gatewayなど)の削除または見直しが検討されている。
このことは、理論上あるいは過去の見積もりで「月基地は数十億ドルで可能」「数年後には月へ人を送れる」という議論があっても、実際の実施には政治的・財政的リスクが大きいことを示す。
また、最近の研究では、月面における微小隕石(マイクロメテオロイド)の衝突頻度やその防護の必要性が改めて指摘されている。たとえば、ある2025年の論文では、月基地(100m×100m×10m程度)に対して年間 15,000–23,000件の微小隕石インパクトがあると推定されるが、現代の防護シールド(Whipple シールド)を使えば、貫通インパクトは年間0.024–0.037件に抑えられるという報告がある。
つまり、月面居住のコスト見積もりには「安全性の確保」「冗長性」「防護」「メンテナンス」「補給インフラ維持」「人的コスト」「予備資源」の確保が加味される必要があり、これらが甘ければコストは跳ね上がる。
なぜ「数十〜数百億ドル」がベースラインになりやすいか — 経済学的な観点
過去に同規模の宇宙施設を建設した例としてISSがある。ISSの建設費用(ロシア区分を除く)の一部は、基地の開発・調達コストなどを含めて非常に高額だったとの評価がある。
ある宇宙開発の将来予測では、宇宙供給チェーンを拡張し、月や宇宙空間での資源採掘・製造・建設を行うことで、既存の国家宇宙機関の年間予算の1/3以下で月基地を構築・維持するというビジョンが示されていた。
つまり、月基地を実現するためには初期投資が巨額であっても、「長期的な供給チェーンの整備」「資源の現地化」「再利用・循環型経済の構築」があれば、一定のコスト効率化が可能という見通しがある。
リスクと不確実性がコストに与える影響
輸送コストの変動:現在の打ち上げ・着陸コストが高いままでは、初期費用が膨大になる。逆に再利用ロケット、大量輸送システム、現地建設技術が普及すれば、コストは下がる。
ISRUの実用性:もし水氷、レゴリス、放射線遮蔽材料、太陽光/原子力発電、現地リサイクルなどが安定して機能すれば、補給コストを大幅に削減できるが、これらはまだ実証段階。
安全性・冗長性の確保:放射線防護、防塵、防微小隕石、防真空、温度サイクル、生命維持、水循環、防災、通信、メンテナンスなど、すべてを高信頼で構成するには余裕を見た設計が必要。これがコストを押し上げる。
技術の成熟度:未成熟な技術(例:レゴリス焼結による建材、生物再生型食料生産、地下洞窟居住、人工重力施設など)への依存が大きければ、設計変更・失敗・追加コストのリスクが高まる。
政策・国際協力・法制度:多くのコストを国際協力や民間投資でまかなおうとする場合、政治・経済状況、法制度(宇宙条約、資源取得ルール等)の整備が必須であり、これらが整わなければ計画自体が遅延、縮小、見直しのリスクがある。
なぜ現時点で「月居住=数十億ドル〜数百億ドル」の見通しなのか — 技術と経済性のバランス
上述のように、最小限の「小規模常駐基地」でも35億ドルの初期費用と年7〜8億ドルの維持費が必要。これは決して安くないが、他の大規模インフラ(例えば大型施設、国際プロジェクト、巨大な科学施設など)と同程度のスケールであり、国家や国際コンソーシアム、民間を巻き込んだ共同事業であれば、理論的には成立しうる。
そして、ISRUや再利用、現地建設、資源・エネルギー自給などの技術を導入すれば、将来的には補給依存を減らし、運用コストを抑えて「持続可能な月面社会」を経済的に成立させる見込みがある。
つまり、初期コストは高いが、「持続可能性」と「将来性」を重視すれば、長期的な価値と可能性を持つというバランスがある。
現実の障壁と「コストだけでは語れない」事情
ただし、コストが妥当でも、以下のような非コスト要因が実現を妨げる可能性がある。
最近の報道では、国際的な政策・予算の見直しにより、月探査・基地化の優先順位が低下している。たとえばNASAの予算削減案では、重要な構成要素であるロケットSLSや軌道ステーションGatewayの廃止・縮小が提案されている。
こうした不確実性は、長期・大規模な月基地プロジェクトの信頼性を下げ、資金を投じる側(国家、民間、国際機関)が慎重になる。
また、月面での資源利用や自給自足技術(ISRU、レゴリス建築、エネルギー、食料生産、水循環など)はまだ実証段階か研究段階が多く、失敗や想定外のコスト増のリスクがある。
さらに、強固な放射線防護、塵対策、微小隕石対策、生命維持のための冗長性、メンテナンス体制、人的資源の確保、心理・社会面のケアなど、「人が住む社会」を維持するためには、単なる建物以上の仕組みが必要になる。
なぜ「コスト削減」と「段階ステップ」が多くの研究で重視されるか
多くの研究者や政策提言者は、いきなり大規模基地をつくるのではなく、段階的アプローチを提案している。まず探査型や試験型、小規模基地から開始し、技術実証、資源評価、安全性確認、補給・運用方法の確立、コスト削減を段階ごとに進めるという手法だ。これは、初期投資を抑えつつリスク管理をしやすいため。
また、コストを抑える鍵として「現地資源の活用」「現地建設」「再利用」「循環システム」「自給自足型インフラ」「長期運用によるスケールメリット」が挙げられており、月居住を持続可能な形で実現するためには、技術成熟とコスト効率化が必須である。
なぜ「数十億ドルでは済まない可能性」があるか — リスクと余裕の確保
防護・安全・冗長性を重視した設計、長期運用、予備資材、保守設備、医療施設、心理・社会ケア、通信・バックアップ網、エネルギー、資源の多様性などをすべて見越すと、見た目よりもはるかにコストが膨らむ可能性がある。
さらに、月面の過酷な自然環境(放射線、塵、微小隕石、温度変動、真空など)に対応するための高耐性素材、防護構造、複雑なエアロック/除塵システム、生命維持設備、メンテナンス用ロボットや人材、訓練、補給ルートの確保など、すべてをカバーするにはかなりの余剰設計が必要。
こうしたリスクを無視してコストを過小に見積もると、実際には失敗・中断・追加コストで計画が破綻する可能性が高いため、現実的な見積もりには「安全マージン」「不確実性対応費用」「予備費」が必須になる。
結論と私見
現時点でのデータ・研究・報告から言えるのは、以下のような見通しである。
小規模・試験的な月面拠点(数人〜数十人、短期〜中期滞在)は、数億〜数十億ドルの初期コストで実現可能性がある。
ある程度の継続滞在を目指す小規模基地(4人クルーなど)であれば、約35億ドルの初期投資と年間7–8億ドル程度の運営コストという試算がある。これは理論的に現実的な月面拠点の「最低ライン」のひとつ。
しかし、「定住」「コロニー」「月経済」「大規模居住」といったレベルにまで拡大するには、 数十億ドル〜百億ドル以上の初期投資が必要になる可能性が高く、かつその後の運用も相応に高コスト。
ただし、資源の現地利用(ISRU)、再利用・循環型システム、現地資材による建設、エネルギー自給、食料生産などが実用化すれば、長期的には運用コストをかなり抑えて「持続可能」な月面社会を構築する道はある。
だからこそ、多くの研究者や計画者が「段階的アプローチ」「試験基地 → 中規模基地 → コロニー」「現地資源利用優先」「コスト削減技術と循環型インフラの確立」を主張している。
なぜ日本や他国、民間の関与が重要か
現在、公的機関(国家宇宙機関)が中心となって月探査・基地化を主導しているが、コストも大きいため、単一国だけでは負担が重い。
国際協力や、民間企業の参加、民間資金・投資による参入、商業利用(資源採掘、月面製造、観光、研究インフラ提供など)の仕組みをつくることで、コスト分担とリスク分散が可能。
特に現地資源利用(ISRU)や現地建設、再利用型輸送、リサイクル、循環型社会などへの投資と技術開発は、長期的なコスト削減と持続可能性の鍵となる。
たとえば、日本や欧州、民間企業などが役割を分担して参入すれば、単独では困難な巨大プロジェクトも実行可能性が高まる。
なぜコストだけでなく「価値とビジョン」が問われるのか
単に「金をかけて月に基地をつくる」だけなら、どれだけコストをかけてもできる可能性はあるが、それが「人間が月で生き、働き、研究し、産業を持ち、持続可能な社会をつくる」というビジョンとパイロットプラン、経済モデル、技術基盤、インフラ、社会制度、人的資源、国際協力を伴わなければ、単なる「高コストな実験」で終わる。
月移住を長期的に意味あるものにするには、単なる探査・科学ではなく、「月で暮らす」「月で産業を起こす」「月で循環社会を運営する」「月を地球外の新しいフロンティアとする」という壮大な構想 — そしてそれを支える現実的なコスト計画と価値計画 — が必要になる。
まとめ
月への居住には、スケールと目的によって数億ドル〜百億ドル以上の幅広いコストが想定される。
小規模・試験的な基地なら比較的低コストで可能だが、持続可能な居住、コロニー化には大きな投資が必要。
ただし、現地資源利用(ISRU)、現地建設、再利用、循環型システム、国際協力、民間参入などを組み合わせることで、長期的にはコスト効率を高め、経済的に成立する可能性がある。
そのために重要なのは、単なる「金の投入」ではなく、「技術」「持続可能な経済モデル」「社会制度」「国際/民間体制」の構築である。
以上により、月への居住、特に「基地」「コロニー」「持続可能な社会」の構築は、単なる夢でも絵空事でもなく、技術・経済・政策の条件が整えば「実現可能性のある大プロジェクト」である。しかし、その実現には、長期間・多方面への投資と慎重な設計、国際協力、そしてビジョンと現実性の両立が不可欠だ。
