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コラム:腰痛をなめるな、兆円単位の経済損失も

腰痛は日本において高頻度で発生し、個人のQOL低下のみならず、労働生産性の低下や経済損失、医療費・介護費の増大という社会的コストをもたらしている。
腰痛のイメージ(Getty Images)
日本の現状(2025年11月現在)

日本における「腰痛」は依然として国民の健康問題の中で最大級の課題である。国の大規模調査や学会の全国調査では、腰痛の有訴者率が高く、男女とも自覚症状のトップであることが示されている。最近の全国調査報告でも、腰痛は労働生産性に負の影響を与える主要な要因となっており、就労者の仕事中の生産性低下(プレゼンティーズム)や欠勤(アブセンティーズム)に寄与していることが示されている。これらのデータは高齢化や生活様式の変化を背景に、今後も腰痛が増加あるいは社会的負担を維持しうることを示唆している。

腰痛とは

腰痛とは、腰部に感じる痛み、重さ、違和感などの総称であり、原因が特定できる「特異的腰痛」と、明確な器質的原因が見つからない「非特異的腰痛(多数派)」に大別される。世界保健機関(WHO)や国際的な疫学研究は、腰痛が生涯ほとんどの人に一度は経験される常見の症状であり、年齢や性別で発症傾向に差があると指摘している。非特異的腰痛の割合は高く、そもそも診断・評価の方法や定義が調査ごとに異なるため、有病率の比較には注意が必要である。

社会全体に与える影響(概観)

腰痛は単なる個人の不快感にとどまらず、社会全体に次のような影響を与える。労働生産性の低下、医療費の増加、介護需要の増大、職場の離職・配置転換の要因、日常生活の制限による生活の質(QOL)低下などである。成果として現れるのは、企業の経済的損失や国民医療費の増加、労働市場での人材不足や技能の流出である。これらは長期的にみると社会資本や経済成長率にまで波及する可能性がある。

体の機能的な重要性 — 体の土台・要(かなめ)としての腰

腰(腰椎・骨盤周りの構造)は人間の体において重心の位置を調整し、上体と下肢を連結する「土台」であり「動作の中心」である。立つ、座る、歩く、荷物を持ち上げる、ねじるといった日常動作はすべて腰を介して行われる。腰の安定性が失われると、姿勢保持が難しくなり、代償的に他部位(膝、股関節、頚部など)に過度な負担がかかる。したがって、腰痛は局所の問題であると同時に、全身運動学的連鎖を乱す重要な問題である。脊椎や神経、筋膜、靭帯など複数の組織が関与し、機能障害は複合的である。

動作の中心である理由

腰は体幹の安定化と可動性を同時に担う部位であり、臨床的には「安定性が足りないと疼痛を生み、過剰な動きがあると組織損傷を招く」と説明される。重心管理、床反力の伝達、力の伝播(例:手から伝わる力が足へ抜ける際の中継点)という観点からも腰の役割は中心的である。運動連鎖の観点で腰がうまく機能しないと、効率的な力発揮が損なわれ、疲労や慢性的な疼痛が生じやすくなる。

大きな負担がかかるメカニズム

腰には上からの体重、内臓の荷重、重い物を持ち上げる時の外的負荷、姿勢維持に伴う持続的な筋収縮などが重なる。特に長時間の座位、前かがみ姿勢、急激なねじり動作、反復的な重作業は腰椎の椎間板や椎間関節、筋・靭帯にストレスを集中させる。加齢に伴う椎間板の変性や筋萎縮、運動不足による体幹筋力低下も負担増大の因子である。

社会的・経済的な重要性(労働生産性の低下)

近年の日本の調査は、腰痛が就労者のプレゼンティーズム(出勤していても生産性が落ちる状態)やアブセンティーズム(欠勤)の主要因であることを示した。全国調査報告では、腰痛のある群はない群に比べて労働中の生産性低下率が有意に高く、トータルの労働障害率においても腰痛が大きく寄与していると明示している。企業単位に換算すると、腰痛による生産性損失は無視できない規模になる。産業保健分野の研究では、就労者1,000人当たり年間の生産性損失額の推計などが報告されており、産業政策・企業の健康経営にとって腰痛対策は重要な投資分野である。

甚大な経済的損失と医療費の増大

労働災害や業務関連の腰痛を含め、日本における腰痛・作業性腰痛が年単位で大きな経済損失を生んでいるとの推計がある。業務に起因する腰痛や労働災害関連の統計では、腰痛が労働災害の中心的な疾病であり、関連損失は兆円単位に達するとの試算や報告がある(業種による差は大きい)。また、慢性腰痛患者の増加は医療利用の増加を招き、医療費や介護費用の増大、リハビリや手術にかかるコスト増を招く。これらの支出は個人の家計負担だけでなく、保険制度や公的財政にも影響を及ぼす。

主な対策(全体像)

腰痛対策は一次予防(発症予防)、二次予防(早期治療・悪化防止)、三次予防(慢性化防止・機能回復)の3段階を含む多面的アプローチが必要である。具体的には、職場環境改善、教育・啓発、作業動作の改善、運動療法や体幹トレーニング、疼痛管理(薬物療法、物理療法)、リハビリテーション、必要時の専門的介入(注射療法、手術適応の精査)などを統合する必要がある。ガイドラインもこれらを支持しており、保存的治療を中心に早期の活動維持・運動療法を勧めている。

日常生活での姿勢・動作の改善(詳細)

日常生活の中で腰にかかる負担を減らすための基本的な原則を示す。姿勢や動作を小さな習慣として変えることが慢性化予防に直結する。

正しい姿勢を意識する

  • 立位では骨盤をやや前傾させ、胸を張りすぎず自然な背骨のS字カーブを保つ。座位では椅子の深さと高さを調整して股関節と膝が約90度になるように保ち、長時間の座位では1時間に数分の立位や歩行で筋肉の緊張をほぐすことが重要である。オフィスワークではディスプレイの高さ、キーボード位置、肘の角度などを調整し、前かがみや肩をすくめる姿勢を避ける。

物を持ち上げる時の注意

  • 重い物を持ち上げる際は、足を十分に開いて安定した土台を作り、腰を曲げるのではなく股関節と膝を曲げて下肢の筋力を使う。荷物は体の近くに保持し、持ち上げる前に持ち上げ経路を確認する。捻り動作は避け、必要があれば向きを変えてから持ち上げる。可能なら複数人で分担するか、台車や昇降機器を使用する。

急な動作を避ける

  • 反動をつけた急速な前屈やねじりは椎間板や筋肉に瞬間的な高負荷をかける。特に朝起床直後や長時間の座位の直後は急に屈むのではなく、軽いストレッチや準備運動を行って筋を温める。

作業環境の調整(職場)

  • 職場では作業高さの調整、荷重物の重量削減、頻度の高い動作の自動化・機械化、適切な休憩スケジュールの設定が有効である。福祉・介護現場などでの抱え上げ作業は特にリスクが高く、リフト等の支援機器導入やチーム作業のルール化が推奨される。企業の安全衛生管理において腰痛対策は優先課題であり、労働災害統計でも業種差が明確である。
適度な運動とストレッチ(予防法)

運動は腰痛予防・治療における中核的対策であり、筋力・柔軟性・持久力のバランスを改善することで腰への負担を低減する。以下に代表的な運動群を示す。

腰痛予防体操

  • 短時間で行える体操を日常に取り入れることで、体幹筋(腹横筋、多裂筋など)の活性化と姿勢保持能力の向上を図る。ブリッジ、プランク(時間を短く段階的に増やす)、骨盤ニュートラルでの腹筋トレーニングなどが有益である。

ストレッチ

  • ハムストリングス、腸腰筋、臀筋群、腰部筋膜の伸張を行うことで骨盤の可動性と筋の柔軟性を保つ。ストレッチは無理な力で行わず、呼吸を止めずにゆっくりと行う。朝晩の習慣に組み込みやすい。

全身運動

  • ウォーキング、水中歩行、サイクリングなどの有酸素運動は筋持久力を高め、肥満の予防や心肺機能の改善にも寄与するため、腰痛予防に間接的に効果がある。特に水中運動は浮力により関節負荷が小さく開始しやすい。

これらの運動は個々の体調や合併症を考慮して段階的に導入し、痛みが強い場合は専門家(理学療法士、医師)の指導を受けるべきである。ガイドラインも早期の活動継続と運動療法を支持している。

痛みへの対処(急性期と慢性期)

腰痛の対処は急性期と慢性期で方針が異なる。ガイドラインは無闇な長期安静を避け、できる限り早期に日常活動に戻ることを推奨している。

急性期の安静と温めるケア

  • 強い痛みや運動制限がある急性期には短期間の安静が必要な場合があるが、数日を超える長期臥床は推奨されない。温罨法は血流を改善し筋緊張を緩和するため有用である。急性期には鎮痛薬(NSAIDsなど)の短期使用が有効なことが多いが、薬剤の副作用や禁忌に注意する。

薬の使用

  • 市販の鎮痛消炎薬や処方薬(NSAIDs、筋弛緩薬、必要に応じて弱いオピオイドなど)は一時的な疼痛コントロールに有効である。ただし、慢性的疼痛に対しては薬物療法のみでの解決は難しく、運動や心理社会的ケアと組み合わせるべきである。長期投与や多剤併用のリスクは医学的評価のもとで管理する。

専門家への相談(いつ受診すべきか)

  • 明確なサイン(下肢の著明な麻痺、排尿・排便障害、悪性腫瘍の既往や体重減少、発熱を伴う腰痛など)がある場合は緊急受診が必要である。それ以外でも痛みが長引く、日常生活や就労に支障が大きい、自己管理で改善しない場合は整形外科医、ペインクリニック、理学療法士など専門家を受診して評価・リハビリ計画を立てるべきである。診療ガイドラインは保存療法中心だが、画像所見と臨床所見を総合して手術適応を判断することを提案している。
企業・職場の対策(産業保健的対応)

職場ではリスクアセスメントを行い、荷重作業の削減、作業方法の改善、機器導入(リフト、台車)、作業環境の人間工学的改善、労働時間・休憩の見直しを行うべきである。健康診断や職場内健康教育、早期受診の促進、復職支援プログラム、職場復帰時の段階的業務割り当て(ワークハードニング)など、多職種連携での介入が有効である。公的な指針や労働安全衛生計画でも腰痛対策が重視されている。

今後の展望

高齢化や労働力構成の変化、在宅勤務やデジタルワークの定着は腰痛の局面を変えつつある。テレワークでは自宅の作業環境が不適切なことが多く、長時間座位による腰痛増加のリスクが指摘される。一方でICTを用いた遠隔リハビリ、ウェアラブルデバイスによる姿勢フィードバック、職場での健康データ解析に基づく介入など技術的ソリューションが普及しつつある。将来的には個別化された予防・治療プログラム(バイオマーカーや運動応答性に基づく)や、労働政策と連動した健康経営の普及が鍵となる。国や学会の研究報告は、疫学・経済評価・介入研究を統合して政策立案に資するエビデンスを強化している。

まとめ

腰痛は日本において高頻度で発生し、個人のQOL低下のみならず、労働生産性の低下や経済損失、医療費・介護費の増大という社会的コストをもたらしている。腰は体の土台かつ動作の中心であり、その機能を維持することは日常生活や就労機能を保つために不可欠である。予防は日常の姿勢改善、適切な動作、職場環境の改善、定期的な運動の習慣化により一定の効果が期待できる。痛みが生じた際は早期の自己管理と必要時の専門家介入を組み合わせることが重要であり、企業や医療・行政の協働による多面的対策が求められる。今後は技術とエビデンスに基づく個別化介入や健康経営の定着が、腰痛による社会的負担を低減する鍵になる。


主要参考・出典(本文で引用した代表的資料)

  1. 「腰痛に関する全国調査 報告書 - 2023年版」日本腰痛学会等(報告書).

  2. 「腰痛診療ガイドライン2019(改訂第2版)」日本整形外科学会・日本腰痛学会.

  3. WHO(および日本WHO協会)「腰痛に関する事実」ファクトシート.

  4. 労働安全衛生や産業保健関連の資料(JoHAS等)および厚生労働省関連研究報告(労働災害と腰痛、経済的評価に関する報告).

  5. 昭和医科大学等による就労者調査と生産性損失の推計(文献・報道).

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