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コラム:日本における「カスハラ」の実態、今後の展望

カスタマーハラスメントは、個人の尊厳と職場の健全性を損なう社会的問題であり、被害は接客現場にとどまらず企業組織全体に悪影響を与える。
カスハラのイメージ(Getty Images)
現状(2025年11月時点)

カスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)は、店舗やコールセンター、医療・福祉施設、運輸・郵便、小売、宿泊・サービス業など対客接点が多い職種を中心に広く発生している。厚生労働省の「職場のハラスメントに関する実態調査」では、過去3年間に「顧客等からの著しい迷惑行為」を経験した労働者は一定割合存在し、接客頻度が高いほど被害割合が高くなることが示されている。また、近年、労働施策総合推進法の一部改正が進み、事業主にカスハラ対策の措置義務を課す方向が確立されつつある。

カスハラ(カスタマーハラスメント)とは

カスハラは一般に「顧客(利用者・取引先を含む)が従業員に対して行う、社会通念上相当な範囲を超えた言動や不当要求で、労働者の就業環境を害するもの」を指す。具体的には、暴言・大声・執拗なクレーム、土下座の要求、人格否定、細かな言い違いの執拗な追及、不当な金銭要求や過剰なサービスの強要などが含まれる。厚生労働省の整理では、顧客等からの迷惑行為が「労働者の業務や就業環境を害する」点が重要視されており、単なる意見や正当なクレームとは線引きされる。

発生状況と経験率

複数の民間・労働組合の調査によれば、カスハラの経験率は調査母体や設問定義によって差があるが、いずれの調査でも相当な割合で存在することが示されている。労働組合系の大規模調査(組合員対象)では、直近2年以内にカスハラ被害に遭った人が約46.8%と報告され、半数近くの労働者が何らかの被害を経験している旨が示されている。

一方、企業や一般労働者を対象とした民間調査では、「個人顧客からのカスハラ経験が7割近く」にのぼるとする結果や、直近3年で「経験あり」が3割前後となる調査もあり、調査設計の違いで数値は変動するが、被害は決して稀ではない。こうした幅のある報告は、カスハラが職場や業種、対応方針によって発生頻度に差があることを示す。

労働者の相談・被害の傾向

労働現場では従業員からの相談件数が増加しているとの報告が散見される。企業内の相談窓口や労働組合への相談増加は、被害が増えていることに加え、職場内でカスハラを「ハラスメント」として認識・相談しやすくなった側面もある。また、事業所によってはカスハラ対応マニュアルや研修の整備が進む一方で、未整備のまま放置されている職場も多く、対応の差が被害の度合いを左右している。

被害が多発する業種

業種別では、顧客接点が多く対面・窓口業務を行う「医療・福祉」「運輸・郵便」「小売」「宿泊・飲食・サービス」などで被害が多い。厚労省の調査でも「生活関連サービス、卸売小売、宿泊飲食サービス」などが上位に挙がっており、接客頻度が被害率に直結する傾向がある。医療・福祉は利用者の要望や命に関わる判断が絡むため理不尽な要求や暴言が生起しやすく、運輸業では遅延や欠便などに対する強い抗議が現場に集中する。

行為の内容と特徴

代表的な行為と特徴は以下の通りである。

  • 暴言・大声での罵倒、威圧的な態度。公共の場で行われることが多く、従業員が心理的に追い詰められる。

  • 頻繁なクレームによる時間拘束型の行為(長時間の連絡や現場での拘束)。業務が停止し他の顧客対応に支障をきたす。

  • 土下座や謝罪を要求するなどの屈辱的行為。従業員の尊厳を著しく傷つける。

  • 人格否定や侮辱、過去の些細な言い間違いの執拗な追及。精神的負荷が長期化する。

  • 不当な金銭要求や過剰なサービスの強要(無料サービスの要求や返金を超えた請求)。

  • SNSでの拡散や誹謗中傷、個人情報晒しといったオンライン上の嫌がらせ。対面とオンラインが結びつくと被害が拡大する。

複数の調査で「威圧的な言動」「執拗な言動」「サービスの強要」などが上位を占め、行為の多くが従業員を長時間拘束し、精神的負荷を高める傾向がある。

加害者の属性(性別・年代)

民間調査や組合調査は概ね共通して「加害者は男性が多い(約8割にのぼる調査結果もある)」こと、年代は40代〜60代が目立つことを示している。具体的には50代・40代の割合が高いとの報告が多く、社会的背景・消費行動や価値観の差が影響している可能性が指摘されている。

従業員への影響

カスハラは従業員のメンタルヘルスに直接的な悪影響を与える。主な影響は以下のとおりである。

  • メンタル状態の低下、ストレス反応の増加。

  • 業務モチベーションの低下、顧客対応への恐怖感。

  • 精神疾患(うつ症状、適応障害等)や休職・長期離脱、退職に至るケース。

  • 業務効率の低下、他の顧客対応や職場の生産性悪化。

  • 職場内の人間関係悪化や、若手の離職加速。

厚労省や労働組合系の報告は、適切な対応が取られない場合に休職や退職に至るリスクが高いことを指摘している。被害が持続すると、個人だけでなく組織全体の労働力と信頼が損なわれる。

背景と課題

カスハラ増加の背景は単純ではないが、以下の要因が複合的に関与していると分析されている。

  • 社会全体の閉塞感やストレスの蓄積。経済的不安、生活環境の変化が怒りや短気を増幅する。

  • 不寛容化の傾向や他者への共感力の低下。個人の要求が強まり「消費者は常に正しい」という誤った観念が行き過ぎる場合がある。

  • デジタル・SNSによる攻撃の拡散と匿名性。対面での暴言がオンラインで拡大し二次被害を生む。

  • 事業者側の対応力不足(マニュアル・研修・通報窓口の未整備)。対応が事業所ごとにばらつくことが被害の温床となる。

また、カスハラの線引き(どこまでが正当なクレームで、どこからがハラスメントか)に関する共通理解が職場間で十分に確立していないことも課題である。

法改正と義務化(改正労働施策総合推進法:2025年6月)

2025年にかけて、カスハラ対策を含むハラスメント防止措置を事業主の雇用管理上の義務とする方向で法改正が進んでいる。改正法は、事業主に対してカスハラに関する方針策定、研修、相談窓口整備、再発防止措置等を求め、違反があった場合の助言・指導や公表措置などを可能とする仕組みを導入している。施行時期は段階的であるが、早ければ2026年秋以降の本格施行が見込まれており、企業は早期に対応を進める必要がある。法改正の趣旨は、被害者(従業員)保護と職場環境の是正である。

企業の対応(現状と課題)

企業側の対応は、次の段階をたどっている。

  1. 基本方針・マニュアルの策定:一部企業では方針や対応マニュアルを策定し、従業員への周知を開始しているが、実施率はまだ半数程度に留まる業界もある。

  2. 研修・ロールプレイ:現場対応力を高める研修を実施する企業が増えている。

  3. 相談窓口・外部連携:社内外の相談窓口設置、弁護士や労働基準監督署との連携を進める事例が増加している。

  4. 事後対応の強化:被害の記録、再発防止策、必要に応じた警察通報や法的措置を取る方針の明文化。

ただし、中小事業者には人的・資金的余力が乏しく、即時の整備が困難な場合が多い。実務的な課題としては、現場での即時対応ルール、苦情の記録方法、顧客対応における安全確保の方法など具体策の不足が挙げられる。

政府・自治体の対応

中央政府は法改正とガイドライン整備を通じて事業主の義務化を進め、厚生労働省は実態調査や業界別の指針作成を行っている。自治体レベルでも中小事業者向けの相談支援や啓発セミナー、被害者支援の窓口設置などが進められているが、地域間で支援の充実度に差がある。労働局や消費者相談窓口との連携強化が重要な課題である。

具体的な現場対応策(推奨)

事業者が現場ですぐ実行可能な対応策として、次が挙げられる。

  • カスハラ対応の基本方針を明文化し、ポスターや接客マニュアルで周知する。

  • 事例に基づく現場研修とロールプレイを定期実施する。

  • 被害の記録(日時・相手の特徴・行為内容・対応状況)を標準化して保存する。

  • 従業員が即時に退避・交代できるフロー(安全確保)を整備する。

  • SNS等での誹謗中傷に対する監視・法的対応方針を定める。

  • 被害者に対する産業医やカウンセリング等のケアを社内外で確保する。

これらは法令遵守だけでなく、従業員の心理的安全性確保と企業のレピュテーション保護にも資する。

今後の展望

今後は法制度整備を契機に、事業者側の対応レベルが底上げされる見込みである。しかし、法の義務化だけでは不十分で、社会全体での価値観の見直し、消費者教育、学校教育におけるコミュニケーション教育、メディアの責任ある報道も重要である。具体的には以下を提言する。

  1. 中小事業者向けの実務支援(テンプレート、研修パッケージ、相談ホットライン)の国・自治体による無償提供。

  2. 被害者支援の社会資源(産業医、メンタルヘルスケア、法律相談)の拡充。

  3. 消費者側への教育キャンペーン(正当なクレームとハラスメントの区別)。

  4. SNS上の誹謗中傷に対するプラットフォーム事業者の協力と法的対応強化。

  5. 企業に対するモニタリングと成功事例の横展開(好事例の共有)。

法改正の本格施行と並行して、これらの実効的対策を推進することが、従業員の安全確保と健全な顧客関係の維持につながる。

まとめ

カスタマーハラスメントは、個人の尊厳と職場の健全性を損なう社会的問題であり、被害は接客現場にとどまらず企業組織全体に悪影響を与える。2025年時点で法的対応の枠組み整備が進行しており、企業・自治体・社会の協働で予防・対応力を高めることが急務である。被害の早期発見と適切な支援、被害を生まない社会風土づくりが求められる。


公務員に対するカスハラの実態

発生の規模と特徴

総務省が実施した地方公共団体の職員を対象とする全国アンケート(職員アンケート調査報告書)によると、過去3年間に「カスタマーハラスメントを受けた、あるいは受けたと感じた」職員は約35.0%に達している。これは自治体職員の3人に1人以上が何らかの形でカスハラを経験している水準であり、対面窓口や電話・メール対応など住民との接点が多い職務で特に顕著である。

民間と比較すると公務現場で被害率が高い点も指摘されている。労働施策や民間調査の結果と比べて公務員の被害率が高いという論調が複数の報道・調査で示されており、ある報道では民間(厚生労働省の別調査等)のおおむね1割前後の数値と比べると、公務員側の経験率は数倍にのぼるとの分析が紹介されている。窓口に居座られて長時間業務が妨げられる事例や、個人情報の暴露をちらつかせる脅迫的言動、住民がSNSで職員個人を特定して誹謗中傷するケースなど、公務特有のリスクも確認されている。

なぜ公務現場で起きやすいのか(要因)

公務員に対するカスハラが相対的に深刻化している背景には、以下のような要因がある。

  • 「公共サービス=税金で賄われている」という認識に基づく強い要求意識や「権利主張」が行き過ぎるケース。公共性があるがゆえに住民の要求が感情的になりやすい。

  • 行政は法令・手続きに基づいて対応する必要があり、柔軟な対応が難しい場面がある。本人の不満を法律上や制度上では受け入れられない場合でも感情的な反発を招きやすい。

  • 窓口や相談係、福祉・子育て・税務など直接住民と接する業務が多く、被害が集中する点。特に生活に直結する事務(社会保障、給付、保育、福祉、税等)では当事者の切迫感が高く、クレームが激化しやすい。

  • 住民側が行政手続きやルールに不満を抱えた際、相手が「公務員」という身近で直接的な標的になりやすいこと。

行為の具体例(公務現場で頻出する類型)

実務マニュアルや自治体の報告事例から抽出される典型的な行為は次の通りである。

  • 窓口での大声・暴言、職員への侮辱・人格否定、バカ呼ばわり等。

  • 長時間の居座りや繰り返しの電話・文書での執拗な要求(時間拘束型)。

  • 個人情報を把握していることを示唆して脅す、あるいは個人情報をSNSや地域コミュニティで晒すと脅迫する行為。

  • 業務手続きや説明の些細な不備を執拗に追及して謝罪・土下座を求めるケース。

  • 不当な金銭要求や違法な“便宜”を求める行為(職務権限を超えた私的利得の要求)。

  • 書面・メール等での執拗なクレームや虚偽の申し立てを繰り返すことによる職務妨害。

従業員への影響(公務員特有の側面)

公務員がカスハラを受けた場合、民間と共通するメンタルヘルス悪化、休職・退職といった影響に加え、公務特有の以下の問題が生じやすい。

  • サービス提供の中断・遅延:窓口業務が長時間停止して他の住民サービスに支障が出る。

  • 公的信頼の棄損:職員への攻撃が住民間で注目されると、その自治体や部署全体の信頼に波及する恐れがある。

  • 二次被害の拡大:SNSや地域の口コミで職員個人への誹謗中傷が拡散すると、精神的ダメージが長期化しやすい。

  • 人事・組織運営への影響:退職や長期休職が相次ぐとノウハウの断絶や人員不足を招き、自治体の業務継続性に影響する。

中央・自治体レベルでの対応状況

総務省や関係省庁は地方公共団体に対してアンケート調査や指針作成を行い、自治体側でもカスハラ対応マニュアルの整備が進んでいる。実際に複数の自治体が職員向けマニュアルや対応フロー、危機時の警察連携、被害職員支援(カウンセリング等)を整備している事例が確認されている。マニュアルでは「危険を感じたら退去を命じる」「暴力・脅迫は警察対応を検討する」「記録を残す」など具体的対応を明記しているものが多い。

また、総務省の調査・検討報告は、地方公共団体における雇用管理上の措置や相談体制整備の必要性を指摘しており、関係省庁間の連携強化の方向性も示している。国は法令での義務化(改正労働施策総合推進法等)と並行して、マニュアルや研修教材の周知、自治体間の好事例共有を促す方策を推進している。

課題と留意点(公務分野固有の難しさ)
  • 「市民の声」への対応と職員の安全確保のバランスの取り方:住民の正当な苦情への対応は必要だが、正当な苦情とハラスメントの線引きを現場で判断するのは困難である。

  • 小規模自治体の人的余力不足:中小規模の自治体では複数名で対応する余裕がなく、職員1人で対応せざるを得ないケースがある。マニュアルはあっても実行体制が不十分な自治体が多い。

  • 法的対応の限界:違法行為(脅迫・恐喝等)であれば警察対応が可能だが、言葉による侮辱や長時間の居座りなど、直ちに刑事処分に至らない行為に対する迅速な抑止が難しい。

  • 住民サービスの公平性維持:特定の住民の執拗な要求を拒否する際に、他住民への説明責任や透明性を確保する必要がある。

実務的提言(自治体・中央向け)
  1. マニュアルと同時に「実行可能な体制」を整備する。複数名での対応や代替担当者確保、緊急時の警察連絡手順を運用可能にすることが重要である。

  2. 記録保存とエスカレーション基準の明確化。日時・行為内容・対応者・証拠(録音・ログ等)を標準化して保存することで、法的対応や人事措置につなげやすくする。

  3. 被害職員に対する心理的ケアの早期提供。産業医、専門カウンセリング、労働組合との連携などを事前に契約・整備する。

  4. 住民向け周知とルールの公開。正当な手続きとハラスメントの違いを住民に周知し、対応方針を自治体の公式説明として公開することで抑止効果を期待する。

  5. 小規模自治体への支援強化。国や広域自治体がテンプレートやオンライン研修、専門相談窓口を無償で提供し、実行力のある支援を行う。

今後の展望(公務分野)

総務省の全国調査で影響の実態が可視化されたことは、公務分野のカスハラ対策の強化につながる重要な契機である。法的義務化や国の指針整備に伴い、自治体における対応体制の整備は加速する見込みであるが、実効性のある対策を確保するためには、単なるマニュアルの配布だけでなく、人的配置、現場研修、心理ケアの仕組み化といった実務的な投資が不可欠である。住民への理解促進と同時に、自治体の業務が滞らないための業務プロセス改善やデジタル窓口の拡充も有効な抑止策となる可能性がある。

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