コラム:日本のマスメディアが「マスゴミ」と呼ばれるようになった経緯
日本のマスメディアが「マスゴミ」と呼ばれるようになったのは、一過性の現象ではなく、戦後から積み重ねられてきた構造的問題と時代の変化が重なった結果である。
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日本のマスメディアは戦後から今日に至るまで、政治、経済、社会に大きな影響を与えてきた存在である。その一方で、国民の信頼を失い「マスコミ」ではなく「マスゴミ」と呼ばれるようになった歴史的経緯がある。この言葉は「マスコミュニケーション」を略した「マスコミ」に「ゴミ(trash)」を掛け合わせた揶揄であり、「役に立たない」「有害」「信頼できない」といった意味を込めて使われる。以下では、その背景を時系列的に整理しながら説明していく。
戦後のマスメディアの役割
敗戦直後、日本の新聞やラジオは連合国軍総司令部(GHQ)の検閲下に置かれ、報道は制限されていた。だが、1952年のサンフランシスコ講和条約発効以降は報道の自由が回復し、新聞、雑誌、テレビといったメディアは急速に発展した。高度経済成長期には「新聞を読まない国民はいない」と言われるほど新聞の普及率は高く、テレビも家庭に普及するにつれて「第四の権力」としての役割を担った。当時は「社会の木鐸」として、政治の腐敗を暴き、市民に正しい情報を伝える存在とみなされていた。
しかし、その一方でメディアは大企業や政府と癒着する構造を持ち、完全に独立した存在ではなかった。新聞社は広告収入に大きく依存し、テレビはスポンサー企業の意向を無視できず、記者クラブ制度によって取材対象と報道機関が密接に結びついた。この構造は次第に「メディアは権力を監視する立場でありながら、同時に権力の一部でもある」という矛盾を生み出した。
1970年代〜80年代:報道姿勢への批判の芽生え
1970年代になると、学生運動の衰退や安保闘争の挫折を経て、メディアの姿勢に批判が向けられるようになる。報道機関は社会的運動や抗議活動を「過激派」「暴力的」といったレッテルで括り、社会不安を煽る形で報じることが多かった。これにより、若者を中心に「メディアは本当のことを伝えていない」「体制に迎合している」との疑念が広がった。
1980年代にはテレビのワイドショー文化が台頭し、報道と娯楽の境界が曖昧になった。政治や社会問題よりも芸能スキャンダルや事件のセンセーショナルな側面に焦点を当てる傾向が強まり、「国民の知る権利よりも視聴率を優先している」という批判が出始めた。
1990年代:「マスゴミ」という言葉の広がり
「マスゴミ」という言葉自体は1980年代末から存在していたとされるが、インターネットや掲示板文化が広がった1990年代後半に一般化した。当時、日本のメディアはバブル崩壊後の政治不信や経済停滞の中で、その報道姿勢がますます批判されるようになった。
特に、オウム真理教事件(1995年)をめぐる報道は、マスメディアに対する不信感を一気に拡大させた。テレビは連日ワイドショー形式で事件を取り上げ、過熱報道を繰り返した。被害者や関係者への過度な取材攻勢、センセーショナルな映像の垂れ流しは「報道被害」という新しい問題を浮き彫りにした。この時期から「マスゴミ」という言葉が一般の人々の口に上るようになり、インターネット掲示板(2ちゃんねるなど)を通じて拡散していった。
2000年代:インターネットの普及と信頼失墜
2000年代に入るとインターネットが急速に普及し、個人が自由に情報を発信できる環境が整った。ブログや掲示板、のちのSNSでは、マスメディアが報じない情報や裏側が共有され、既存メディアの偏向や不正確さが批判されることが増えた。
たとえば政治報道においては、メディアが与党や大企業に配慮して重要な問題を報じないとする批判が相次いだ。また、広告収入への依存からスポンサー批判ができない構造が明らかになり、「マスゴミは真実よりも金を優先する」というイメージが強まった。テレビにおけるやらせ発覚事件(NHKや民放のドキュメンタリー番組での不正)や捏造報道も、信頼低下を加速させた。
さらに、事件報道における加害者・被害者の過剰な晒しや、政治家への「追及不足」と「偏向的な扱い」が批判され、国民の間で「マスコミはゴミだ」という表現が一般化していった。
2010年代:SNS時代の「マスゴミ」批判
2010年代にはツイッターやフェイスブックなどのSNSが普及し、マスメディアが発信するニュースに対して即座に反応し、批判を拡散できる時代となった。東日本大震災(2011年)や福島第一原発事故をめぐる報道では、政府や電力会社に追随した「不十分な情報開示」や「過小報道」が批判され、「マスゴミ」のレッテルが一層広がった。
この時期、ネット上では「ネットメディアこそ真実を伝えている」という言説が強まり、既存の大手新聞やテレビは「情報を隠す存在」として敵視されることが増えた。特に政治分野において、保守系・リベラル系の双方から「偏向報道だ」と批判されるケースが相次ぎ、マスメディアは左右両方から攻撃される立場に立たされた。
ワイドショーが芸能人の不倫やスキャンダルを過剰に報じる一方で、国会や国際問題の深い分析をほとんどしないことも「マスゴミ化」と揶揄される理由の一つとなった。
2020年代:信頼回復の試みと限界
2020年代に入ると、新聞購読者数やテレビ視聴率は下落の一途をたどり、メディアはデジタル化を進めざるを得なくなった。大手新聞社はオンライン記事の有料化やデジタル配信に注力し、テレビもネット配信を拡大している。しかし、インターネット上には膨大なオルタナティブ情報源があり、若い世代を中心に「マスメディア=信頼できない」という認識は根強いままである。
コロナ禍では、感染症に関する不安を煽る過剰報道や、政府方針に追随する姿勢が批判され、「マスゴミ」という言葉はSNSで頻繁に飛び交った。さらにフェイクニュースや陰謀論の拡散も、逆説的に「マスメディアの役割」を問う契機となったが、既存メディアは十分に信頼を回復することができていない。
「マスゴミ」と呼ばれる本質的理由
こうした経緯をまとめると、日本のマスメディアが「マスゴミ」と呼ばれるようになった背景には以下の要因がある。
権力との癒着:記者クラブ制度やスポンサー依存により、権力を十分に批判できない構造。
過熱報道と報道被害:事件・事故・芸能スキャンダルを過剰に扱い、当事者の人権を侵害。
情報の偏向・不正確さ:政治的立場や経済的利害によって報道内容が歪められる。
視聴率・部数優先:国民の知る権利よりも商業的利益を優先。
インターネットとの比較:ネット情報の台頭により、既存メディアの不十分さが露呈した。
結果として、国民の中に「マスメディアは真実を伝えず、社会を良くするどころか混乱させる存在だ」という認識が広まり、「マスコミ」から「マスゴミ」へと呼称が変化したのである。
結論
日本のマスメディアが「マスゴミ」と呼ばれるようになったのは、一過性の現象ではなく、戦後から積み重ねられてきた構造的問題と時代の変化が重なった結果である。メディアは本来、権力を監視し国民に正確な情報を届ける役割を持つはずだが、現実には商業的利益や政治的配慮に縛られ、その役割を十分に果たしてこなかった。インターネットの普及によってその矛盾が可視化され、国民の不信が言葉として定着したのが「マスゴミ」である。
今後、日本のマスメディアがこの汚名を返上できるかどうかは、権力との距離を保ちつつ、国民の知る権利を最優先に据えた報道姿勢を実現できるかにかかっている。しかし現状を見る限り、信頼の回復は容易ではなく、「マスゴミ」という言葉は当面使われ続けるだろう。