コラム:食パンブームとは何だったのか
日本の「食パンブーム」は消費文化の一側面を刺激して新たな市場を一時的に形成した一方で、メディアや資本の力に乗じた過剰な出店や単品特化のビジネスモデルが、需要の変化によって脆弱性を露呈した事例でもある。
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日本のいわゆる「食パンブーム」は、表面的には落ち着いたように見えるものの、その波及効果と構造的な歪みは現在も残っている。かつて好調だった高級食パン専門店の多くが集中的に閉店や縮小を余儀なくされ、チェーンによっては最盛期の店舗数から大幅に減らした事例が確認されている。だが一方で、地域密着で着実に顧客を掴む店や、商品ラインを拡充して再編を図る事業者も存在するため、「ブームの完全消滅」ではなく「業態の再編と淘汰」が進んでいると整理できる。
歴史(どこから始まり、いつピークを迎えたか)
高級食パンの芽生えは2010年代前半に遡る。コンビニエンスストアがやや高めの食パンを発売して成功を収めたことを契機に、「普段の食パンより少し贅沢なもの」を求める消費者ニーズが顕在化した。特に「焼かなくても美味しい」「生(なま)食パン」を前面に打ち出した店が注目を集め、関西の『乃が美(のがみ)』などがメディア露出を通じて火付け役となった。ブームは2010年代中盤から後半にかけて全国に波及し、2018〜2019年頃にピークを迎えたとの分析がある。
この時期、1本数百〜千円規模の価格帯が許容され、行列やSNSでの拡散が相乗効果を生んだ。高級食パンは単なる日常品から「ギフトや話題づくりのアイテム」へとポジションを変えたため、短期間で多くの新規参入を誘発した。
経緯(ブームの拡大から閉店ラッシュへ)
メディアとSNSによる需要喚起
テレビ番組、グルメサイト、インフルエンサーが「高級」「ふわふわ」「生食パン」といった語彙を繰り返し紹介したことで、短期間に消費者の認知が拡大した。話題化→行列→報道の好循環が働いたことで、実際の需要以上の「期待」が形成された。フランチャイズ/プロデュース型の急増
成功モデルに倣って外食や異業種からの参入、フランチャイズ展開が殺到した。短期間で多店舗化を図るケースが多く、オープン当初は話題で来店が増えても、その後の定着が十分に計画されていないまま出店攻勢が続いた。結果として市場の過当競争を招いた。価格とコストのミスマッチ
高級食パンは原料や製法への拘りが売りである一方、材料費(小麦粉、乳製品等)の高騰や人件費・賃料など固定費が重く、価格転嫁が難しい局面で収益圧迫を受けた。また、1種類の商品に特化した単品勝負だと来店頻度・客単価の変動に弱いという構造的リスクが明らかになった。コロナウイルスと消費行動の変化
新型コロナウイルス感染症の流行は外食・観光を直撃し、行列や「話題の買い物」を伴う消費行動を萎ませた。加えて在宅需要の変化や節約意識の高まりが、嗜好品としての高額な食パンの購買を抑えた側面もある。これらが相まって、特に多店舗展開を行ったチェーンの収益が悪化した。焦点化された「大量閉店」報道
チェーンや有名ブランドでの閉店や店舗数削減がメディアで報じられると、「ブーム終焉」というナラティブが強化された。実際には店舗の「閉店」と「整理(縮小・業態転換)」とが混在するが、短期間に目につきやすいネガティブ事象が話題を集めた。
実例とデータ(代表的なブランドと数字)
乃が美(火付け役の一つ)
創業以降、全国展開を進め一時は多数の店舗を抱えた。報道によると、フランチャイズ経営者の中には赤字を訴える声もあり、閉店や契約問題が表面化した事例がある。乃が美はブームの象徴的存在であるだけに、その動向は業界全体の指標として注目されている。銀座に志かわ(GINZA NISHIKAWA)
最盛期に国内外で多数の店舗を展開していたが、近年は組織再編や店舗数削減を行っていると報じられている。例えばある報道では最盛期の約140店舗から約50店舗にまで減少したとされ、これは「ブームから淘汰へ」の象徴的事例として取り上げられている。市場統計・開閉店動向の一断面
民間の開店閉店調査を引用する報道では、ある月にベーカリーの開店数が閉店数を上回るといったデータもあり(例:1カ月で開店66、閉店16という報告)、総体的にはベーカリー業界の出店は完全に止まってはいないとする見方もある。つまり「高級食パン専門店」だけを切り取ると閉店が目立つが、パン業界全体の動きは地域や業態によって差異がある。
問題点(構造的・社会的な観点から)
過当競争と事業計画の甘さ
短期的な話題化だけで事業規模を膨らませ、固定費回収やブランド維持のための長期計画を欠いたケースが多い。フランチャイズオーナーへの負担や本部の収益モデルの脆弱性が露呈した。単品依存のリスク
看板商品である「食パン」1本に依存するモデルは、来店頻度や客層変化に弱い。商品多様化やイートイン/サブスクリプションなどの補完策が乏しいと収益の安定化は難しい。情報過熱と消費者期待の逆回転
過度な宣伝・演出で期待が高まると、期待が消費実態に追いつかなくなったときの反動も大きい。SNS上での評判が急落すると来店が急減し、実店舗ビジネスは直撃を受ける。サプライチェーン/コスト面の脆弱性
原材料価格の上昇や物流コストの増加、労働力確保の困難などが重なり、薄利構造の中で体力を消耗した小規模事業者が脱落する事態が発生した。地域経済への波及と雇用問題
一気に閉店が進むエリアでは短期的に雇用喪失や商業空間の空洞化が起こり得る。フランチャイズ店舗の倒産や契約トラブルは、個別オーナーの負債問題にも直結しやすい。
各論:成功している店と失敗した店の差
成功している店舗は、以下の要素を備えていることが多い。
商品ラインナップの幅(惣菜パンや焼き菓子、ドリンクを併用)で来店動機を増やしている。
地域特性に合わせた価格帯・量の設定を行っている。
体験価値(イートイン、イベント、体験型販売)を提供しリピーターを確保している。
対して失敗例は、単一商品の過度な依存、無計画な多店舗展開、ロイヤリティや賃料など固定費負担の重さに耐えられなかったケースが多い。
教訓と今後の展望
「ブーム」は短命であることを前提に事業設計を行うべきだ。話題性での売上だけに頼らず、顧客の「日常のニーズ」にどう組み込むかを考える必要がある。
多様化と柔軟性が生存の鍵になる。商品ラインの拡充、業態転換(カフェ併設、テイクアウト以外の収益化)、地域密着化などが有効となる。
フランチャイズ契約の透明性と支援体制の強化。オーナー側の過度なリスク負担や、一方的なロイヤリティ体系は業界全体の信頼を損ないやすい。契約条件の見直しや本部の経営支援が重要だ。
消費者側の視点では、「高級」とされる商品の真価を見極める目が成熟してきている。単なる価格や話題だけでなく、品質・コスパ・利用シーンで選ばれる商品だけが残る傾向が強まる。
まとめ
日本の「食パンブーム」は消費文化の一側面を刺激して新たな市場を一時的に形成した一方で、メディアや資本の力に乗じた過剰な出店や単品特化のビジネスモデルが、需要の変化によって脆弱性を露呈した事例でもある。現在見られる大量閉店や店舗整理はブームの終焉を示す一側面だが、同時に業界の再編と成熟の始まりでもある。地域に根差して付加価値を提供できる事業者や、柔軟な事業モデルに転換できる事業者は今後も生き残り、消費者の「日常」に食パンがどう位置づけられるかに応じて市場は再び落ち着きを取り戻すと考えられる。
① ブームの数値的規模に関する補足
店舗数の推移
代表例である「銀座に志かわ」は2018年創業後に急速に拡大し、2022年頃には約140店舗に達したとされる。しかし、2024年時点では約50店舗に縮小したことが報じられている。短期間で3分の1にまで減少したことは、業界全体の縮小を象徴するデータだ。一方で「乃が美」は、全国展開により2020年時点で200店舗以上を抱えていたとされるが、その後フランチャイズ契約の解消や閉店が相次ぎ、店舗網は縮小傾向にある。
市場規模
民間調査会社の推計によると、2020年時点で「高級食パン市場」は約300億円規模に達していたと推定される。ただし、これは急成長の過程での数値であり、その後の閉店ラッシュで規模は大きく縮小したと見られる。比較すると、食パン全体の市場規模は約4000億円前後と推定されており、「高級食パン」が占める割合は1割未満にとどまっていた。つまりブームは強い話題性を持ちながらも、実際の市場全体から見るとニッチであった。
② 消費者意識に関する補足
購買理由の変化
ブーム初期は「話題性」「ギフト」「SNS映え」が購買動機の上位にあったが、2022年以降は「価格に見合うか」「日常的に買うか」という基準が強まった。特に1斤800〜1000円の商品に対し、消費者アンケートでは6割以上が『高すぎる』と回答した調査結果が報告されている。コロナ禍の影響
在宅需要は確かにパン需要を押し上げたが、安価で手軽なスーパーやコンビニ食パンにシフトする傾向も強まった。結果として「高級食パン」は贅沢品として敬遠されやすくなった。
③ 地域格差と立地条件の補足
都心部(東京・大阪・名古屋など)は競合が集中し、閉店も目立った。
地方都市や郊外では、一定の固定客を掴んで生き残るケースも見られる。特に人口規模の小さい都市では「話題性のある数少ない専門店」として存続している例がある。
④ 事業モデルに関する補足
成功事例の特徴
例として、一部のベーカリーでは「高級食パン」を軸にしながらも、惣菜パン・菓子パン・サンドイッチを導入し、朝食・昼食需要を取り込んでいる。また、コーヒーとのセット販売やサブスク(定額制)を導入して、単発の「ギフト需要」依存から脱却している。失敗事例の特徴
「食パンのみ」「広告頼み」「短期回収を狙うフランチャイズモデル」ではリピーター獲得が難しく、数年で赤字に転落しやすい。
⑤ 教訓の整理(追加強調)
「日常食」と「贅沢品」の境界線
食パンは本来、日常的に消費される主食的食品である。しかし高級路線はそのポジションから外れ、「贅沢品」に寄りすぎたために市場が限定され、持続力を欠いた。「流行消費」のリスク
日本の消費文化では「パンケーキ」「タピオカ」「高級食パン」など短期間で爆発的に人気を集める食品ブームが周期的に発生している。だが共通しているのは「ピークアウト後の急速な需要減少」である。食パンブームもその一例として、企業が「一過性ブームをどう持続ビジネスに転換するか」を学ぶ材料となった。