コラム:イスラエルがパレスチナを完全に併合できない理由
イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を完全に併合することは現実的に不可能に近い。
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2025年現在、イスラエルとパレスチナの関係は依然として解決の兆しが見えない状態にある。特に23年10月以降に発生したイスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃と、それに続くガザ紛争は国際社会に強烈な衝撃を与えた。イスラエルは軍事的に圧倒的な優位に立っており、ガザ地区の一部を制圧し、インフラを破壊するなどしているが、ハマスやその他の武装組織は依然として潜伏・抵抗を続けている。
ヨルダン川西岸地区では、パレスチナ自治政府(PA)が名目上の行政権を持つ一方で、イスラエルは「安全保障上の理由」から軍の駐留や入植地の拡張を継続している。国連人道問題調整事務所(OCHA)の統計によると、2022年から23年にかけて西岸地区におけるイスラエル人入植者の数は50万人を超え、治安部隊の作戦行動に伴いパレスチナ人住民の死傷者数も増加している。
このように現状を整理すると、イスラエルは軍事的・経済的に圧倒的優位を持つ一方で、ガザと西岸のパレスチナ人を政治的・社会的に統合することはきわめて困難である。完全併合の可否を論じる際には、歴史的経緯と国際法的枠組みを踏まえなければならない。
歴史
1948年のイスラエル建国以来、パレスチナ問題は中東の火薬庫として存在してきた。建国時、ユダヤ人とアラブ人の人口構成は拮抗しており、第一次中東戦争の結果として多くのパレスチナ人が難民化した。1949年の停戦後、ガザ地区はエジプト、ヨルダン川西岸はヨルダンの統治下に置かれたが、1967年の第三次中東戦争(六日戦争)によってイスラエルは両地域を占領した。
その後、国連安全保障理事会決議242号(1967年)は「領土の不占有原則」に基づきイスラエルに対し占領地からの撤退を求めたが、実際には撤退は部分的にしか実現しなかった。1979年のエジプト・イスラエル平和条約ではシナイ半島は返還されたが、ガザと西岸は残されたままである。
1993年のオスロ合意では、パレスチナ自治政府の設立や段階的な自治拡大が約束されたものの、イスラエルは入植地建設を続け、和平プロセスは停滞した。2005年、イスラエルはガザ地区から一方的に撤退したが、空港・港湾・国境管理を事実上掌握し、ガザは「封鎖下の巨大な監獄」と国際社会から批判される状況に置かれた。
歴史を振り返れば、イスラエルが併合を志向する動きは常に存在してきたが、それは国内外の政治的圧力や軍事的現実に直面して中途半端な形で止まってきた。
経緯
イスラエルの併合論は特にヨルダン川西岸に関して強く議論されてきた。2019年から2020年にかけて、ネタニヤフ政権はトランプ政権の「世紀の取引」構想を背景に、西岸の一部を正式に併合する計画を発表した。しかし国際社会の批判が強く、アラブ首長国連邦などとの国交正常化(アブラハム合意)を優先するため、正式な併合宣言は見送られた。
一方で事実上の併合は進んでいる。入植地建設、治安部隊の常駐、道路網の分断などによって、パレスチナ人居住区は飛び地化している。国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」やイスラエル国内の人権団体「ベツェレム」は、この状況を「アパルトヘイト的統治」と表現している。
ガザについては、2007年にハマスが実権を掌握して以来、イスラエルとハマスの間で断続的な戦闘が繰り返されてきた。ガザの完全併合を公然と主張するイスラエルの政治家は少なく、むしろ「封じ込め」「分離」を基本方針としてきた。ただし2023年以降の戦争において、一部の極右政党は「ガザを再占領し、住民を国外に追放すべきだ」と強硬に主張しており、国内世論の一部を動かしている。
問題点
1. 国際法上の問題
国連安保理決議やジュネーブ条約に基づき、武力による領土併合は違法とされる。特にヨルダン川西岸やガザ地区は「占領地」とみなされており、併合は国際的承認を得られない可能性が極めて高い。東エルサレムの一方的併合でさえ、国際社会はほぼ全面的に認めていない。
2. 人口問題
ガザ地区には約230万人、西岸地区には約300万人のパレスチナ人が暮らしている。仮にイスラエルが完全併合すれば、イスラエル国内のアラブ系住民比率は40%近くに達する可能性がある。これはイスラエルが自らを「ユダヤ人国家」と定義する上で致命的な矛盾を生む。市民権を与えなければ国際的な批判を受け、与えれば人口構成上ユダヤ人の優位が崩れる。
3. 安全保障上の問題
併合すれば、イスラエル軍は数百万人のパレスチナ人住民を日常的に統治・監視する必要に迫られる。これは治安コストを飛躍的に増大させ、国内テロや暴動のリスクを高める。特にガザのように人口密度が極めて高い地域を恒常的に管理することは現実的に困難である。
4. 経済的負担
ガザや西岸はインフラが脆弱で失業率も高い。イスラエルが完全併合すれば、教育・医療・インフラ整備の費用を負担しなければならず、国家予算に大きな影響を及ぼす。イスラエル国内の世論も、併合に伴う経済的コストについては否定的な見方が多い。
実例・データ
東エルサレムの例:1967年以降イスラエルは東エルサレムを併合したが、国際社会は認めていない。パレスチナ人住民は「永住権」を付与されただけで、市民権を持つのは少数に限られている。この「中途半端な併合」は、国際的孤立と治安問題を生んでいる。
入植地拡大:イスラエル統計局によると、西岸地区のユダヤ人入植者は1993年に11万人程度だったが、2023年には50万人を超えた。これは事実上の領土拡張であり、正式な併合をせずとも既成事実を積み重ねている。
人口統計:国連人口基金(UNFPA)のデータによると、ガザと西岸を合わせたパレスチナ人総人口は約530万人で、出生率はイスラエルのユダヤ人より高い。この人口動態の違いが、イスラエルにとって併合を躊躇させる要因となっている。
国際社会の反応
イスラエルが完全併合を試みれば、国連やEU、アラブ諸国から強い非難を受けることは確実である。米国はイスラエルの最大の支援国だが、民主党政権下では併合に反対する傾向が強い。実際、バイデン政権は西岸併合案に対して強い懸念を表明してきた。
また、国際刑事裁判所(ICC)はパレスチナ問題に関する調査を進めており、併合が「戦争犯罪」として扱われる可能性もある。こうした国際的圧力は、イスラエルの併合政策を大きく制約している。
将来の見通し
イスラエルがガザと西岸を「完全に併合」する可能性は、短期的には極めて低いと考えられる。理由は以下の通りである。
人口問題が最大の壁:ユダヤ人国家のアイデンティティと民主主義を両立できなくなる
国際的孤立のリスク:経済制裁や外交的孤立が現実化する可能性がある
治安維持の困難さ:抵抗運動が長期化し、イスラエル社会全体の安全を脅かす
しかし一方で、事実上の「部分的併合」や「管理の強化」は今後も進むだろう。入植地拡大、ガザの恒久的な軍事支配、インフラの支配などを通じて、イスラエルは統治の実態を強めつつ、正式な「併合」という言葉を避ける戦略をとる可能性が高い。
結論
以上を踏まえると、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を完全に併合することは現実的に不可能に近い。国際法、人口構成、安全保障、経済負担、外交リスクといった要因が複合的に作用し、イスラエル自身にとっても利益をもたらさないからである。
ただし「事実上の併合」と呼べる状況はすでに進行しており、特に西岸では入植地の拡大によってパレスチナ国家の成立可能性が急速に低下している。最終的にイスラエルが選ぶのは「完全併合」ではなく、「部分的・漸進的な既成事実化」である可能性が高い。