コラム:イスラエル政府が「右傾化」した経緯
イスラエル政府の右傾化は単一の出来事によるものではなく、長年の安全保障環境、入植地拡大、選挙制度、政党再編、経済・社会構造、そして政治家の戦術的選択が複合的に組み合わさって生じた構造的現象である。
とイスラエルのネタニヤフ首相(AP通信).jpg)
2025年10月時点で、イスラエル政治は長期的な右傾化と同時に、2023年10月7日のハマスによる大規模攻撃とそれに続く大規模な軍事作戦によって国内外の情勢が一層不安定化している。2022年の総選挙でネタニヤフ氏を中心にした右派連合が多数派を確保し、より強硬な安全保障政策と入植地政策、司法改革をめぐる右派の政策志向が政府の主要課題となった。この政治的基盤が、2023年の出来事を経てさらに強化され、ガザ地区をめぐる軍事行動が政府の中心政策となった一方で、国際社会からの人道・法的批判も高まっている。2023年10月7日の攻撃はイスラエル国内の安全保障観を劇的に変え、軍事的報復と政治的結束を促進したが、その過程で市民被害・経済被害・国際的孤立も増大している。
歴史(右傾化の長期的背景)
イスラエルの政治は創設以来、左派(労働党系)の国家建設期から始まり、1967年の領土獲得以降は安全保障・領土問題が政治の軸になった。1977年のリクード(右派)初勝利以降、保守・宗教系の勢力が徐々に政治シーンで力を持つようになった。1990年代以降の和平プロセス(オスロ合意など)とその挫折、さらに2000年代以降のパレスチナ側の武装抵抗や度重なる衝突は、安全保障優先の支持基盤を形成した。加えて、西岸(ヨルダン川西岸)におけるユダヤ人入植地の拡大と入植者コミュニティの政治動員は右派的政策を制度化する役割を果たした。入植地人口の増加やその政治力は、中道・左派勢力の影響力を相対的に弱め、政党連携や連立交渉において右派が交渉力を持つ土壌を作った。国際的には、米国の対イスラエル支援・外交的後押しが右派政策を実行しやすくする外的要因となった。
ネタニヤフ政権(復帰と戦略)
ネタニヤフ氏は1990年代末から長期にわたりイスラエル政界の中核人物であり、複数回の首相就任・退任を経て復帰した。彼の政治戦略は保守的安全保障観、経済的自由主義、そして宗教・民族的ナラティブの活用を組み合わせている。近年は自身の汚職・司法手続き(訴追)問題と政権維持の必要性が結びつき、極右・宗教政党との連携を深めて連立多数を確保するという現実的選択を取った。2022年総選挙ではネタニヤフ氏を中心とする「右派ブロック」が過半数を占め、これが司法改革提案や入植地拡大といった右派的政策の実行力を高めた。政治的には、司法改革の推進とそれに対する大規模抗議が社会分断を深めたが、その後のハマス急襲(2023年10月7日)が政権にとっては結束の契機にもなった。
2023年10月7日のハマス急襲
2023年10月7日、ハマスとその同盟勢力が南部イスラエルを越えて大規模な武装侵入・襲撃を行い、多数の民間人・兵士が殺害され、多数の人質が拉致された。この事件はイスラエル社会に深い衝撃を与え、国家安全保障の緊急事態を引き起こした。事件の衝撃は、国民の安全保障志向を強め、軍事的報復を求める声を高めた結果、政治的にも「強硬路線」が支持を得やすい環境を作った。
ガザ紛争(被害・国際的反応)
10月7日以降、イスラエルはハマス掃討を名目にガザ地区に対する大規模な軍事作戦を行った。国連機関や国際NGOは民間人被害の大規模性や人道的危機を繰り返し報告しており、国際社会からは民間人保護や人道支援の供給、国際法上の疑義に関する強い懸念が示された。国連人道調整事務所(OCHA)は犠牲者数や負傷者数、避難民・インフラ破壊のデータを継続的に公表しており、報告によると、数万単位の死者・負傷者・建物被害が生じている。報道や国連の集計は時点により差があるが、ガザ内の民間被害は甚大で、医療機関・学校・住宅の多数が損壊し、衛生・食料状況も深刻化した。これにより国際的な非難、裁判所や国連総会での議論、人道援助の拡充要求が起き、イスラエルの外交的圧力や孤立感が強まった。
極右政党躍進の背景
極右政党(宗教的・民族主義的な諸派を含む)が躍進した要因は複合的である。主な要因を列挙すると次の通りである。
安全保障の優先化:継続するテロや地域的脅威に対して強硬な対応を望む有権者が増えた。10月7日以降、これは圧倒的な動機となった。
社会経済的焦燥:地方や入植地の住民、経済的不安定層は国家的・宗教的アイデンティティを強める政党に惹かれやすい。
司法・制度変化:司法の権限を弱める動きや、行政の裁量拡大を求めるキャンペーンは政治的不満を政策変化に結びつけ、右派の主張が受け入れられやすくなった。
連立制度と分裂戦術:イスラエルの比例代表制は小政党が連立で力を得ることを許容するため、極右の小党でも交渉によって政策実現力を手に入れることが可能になった。2022年の選挙では右派ブロックが多数を占め、極右勢力が政策に影響力を持った。
これらの構造的要因と、事件・危機時に拡大する安全保障志向が重なって極右勢力の支持基盤を拡大させた。
ネタニヤフ政権の弱点
一方でネタニヤフ政権には明確な弱点がある。まず国内的には社会の深刻な分断である。司法改革を巡る大規模デモや職業的ストライキ(軍退役者や経済界の懸念表明など)は政権の統治正当性に疑問を投げかけた。次に国際的な正統性の喪失である。大規模な軍事行動に伴う民間被害・人道危機は国連やEU、主要国からの批判を招き、外交的な孤立・圧力が強まった。経済的には紛争長期化によるコスト増と観光・投資の落ち込みが懸念される。第三に、極右政党との連立は短期的には政権維持に寄与しても、政策的柔軟性を奪い、外交交渉や危機対応での選択肢を狭める。つまり、強硬派を取り込むことで内政の安定は得られても、中長期的な国家運営の柔軟性や国際的信用を損なうリスクがある。
極右の支持が必要な理由(政権側の視点)
ネタニヤフ氏が極右勢力の支持を必要とする理由は主に現実的政治計算に基づく。イスラエルの比例代表制では過半数を取ることが難しく、複数の小党と連立を組む必要がある。司法手続きや汚職追及で政治的危機に直面したネタニヤフ氏にとって、穏健中道だけでは政権基盤が脆弱であったため、宗教・保守・極右勢力との連携が“安定多数”を確保する手段になった。また、入植地支持層や宗教票は選挙で高い凝集性を示すため、これを取り込むことは実務的な票の確保に直結する。さらに、ハマス急襲が「強硬な対応」を政治的に有利にし、短期的に極右を含む右派連合の結束を強めた。
第2次トランプ政権誕生(米国の政治変化と影響)
2024年11月の米大統領選挙の結果、トランプ氏が当選して2025年1月に第2次政権が発足した。トランプ政権は2017–2021年期に示した対イスラエル政策(エルサレムをイスラエルの首都として承認、ゴラン高原の主権承認、アブラハム合意の仲介など)を踏襲・強化する傾向があるとの分析が多い。米国の政策がイスラエルの右派政権にとって重要なのは、軍事援助・外交的保護・国連など国際舞台での影響力を通じて、イスラエルが国際的な圧力を受けた際の緩衝材となるからである。第2次トランプ政権下では、イスラエルはより自由に軍事行動や政策展開ができる余地を期待する一方で、国際的批判の高まりには依然として対応が必要となる。
問題点(国内外の懸念)
右傾化と紛争長期化がもたらす問題は多層的である。国内では法の支配や司法の独立性の後退が民主主義の健全性を毀損するリスクがある。経済的には軍事費・復興費・難民支援などによる財政負担が増大する。社会的にはパレスチナ系住民やアラブ系市民との対立が激化し、治安・市民権の問題が長期化する。一方国際的には、人道法や戦争法規範に関する疑義、国際刑事裁判所(ICC)や国連での手続き、対イスラエル制裁や外交的孤立のリスクがある。ガザでの民間人被害に関する報告は国際社会の非難を呼び、国連やNGOのデータは紛争の性質に疑問を投げかけている。これらはイスラエルの中長期的安全保障戦略や国際的立場にとって大きな問題となる。
ガザ紛争終結なるか?
短期的には、実戦の継続と交渉が並行することが多く、恒久的解決は困難である。停戦や人質解放の枠組みはカタール・エジプト・国連・米国といった仲介者を介して断続的に合意されるが、根本問題(領土、国家承認、入植地、難民の帰還権、ガザの非武装化など)についての包括的合意は見えにくい。さらに、実効的なガザ再建と安全保障の両立、ハマス以外の武装勢力や非国家主体の統制、国際的資金供与と監視の確保など多くのハードルがある。国連や世界銀行などは復興費用の巨額さを指摘しており、復興は単なる物的再建を超えて政治的解決を伴わなければ持続しない。したがって、現状の力学だけで紛争が恒久的に終結する可能性は低く、段階的・条件付きの停戦→人道支援→政治交渉のサイクルが続く可能性が高い。
今後の展望(政策的選択肢とシナリオ)
今後の展望を幾つかのシナリオで整理する。
強硬継続シナリオ:ネタニヤフ+極右連合が軍事的圧力を継続し、ハマスの軍事力を削ぐことを最優先する。短期的には国内の支持を維持し得るが、国際的孤立と経済負担、復興の不履行により長期的に不安定となる。
条件付き停戦→交渉シナリオ:国際仲介(米国・エジプト・カタールなど)による停戦枠組みと限定的なガザ再建、そして政治的条件についての段階的交渉が行われる。復興資金や安全保障措置と引き換えに一時的な緩和を得る可能性があるが、根本問題が残れば再燃の恐れがある。
国内政治の再編シナリオ:司法・民主主義の問題や戦争の帰結を巡り国内の不満が高まり、選挙や連立再編で中道寄りあるいは異なる右派勢力への変化が生じる。これは長期的に政治地図を変え得るが、短期的には安全保障の懸念が再編を複雑にする。
外交的リアライメント:第2次トランプ政権のような強力な米支持が続けば、イスラエルはより大胆な政策を取りやすくなるが、主要なアラブ諸国や欧州との関係調整は別課題となる。アブラハム合意の拡大など外交的“勝ち筋”もあり得るが、地域全体の安定にはパレスチナ問題の扱いが不可欠だ。
まとめ
イスラエル政府の右傾化は単一の出来事によるものではなく、長年の安全保障環境、入植地拡大、選挙制度、政党再編、経済・社会構造、そして政治家の戦術的選択が複合的に組み合わさって生じた構造的現象である。2023年10月7日の衝撃は、こうした傾向を一層加速させたが、同時に国内外での大きな代償を伴っている。第2次トランプ政権の出現は短期的にはイスラエル右派にとって外交的な余地を広げるが、国際社会・国連・人道機関が示す懸念は消えない。恒久的な解決を得るためには、安全保障の確保と同時に政治的・経済的包摂、法の支配の回復、国際的協力による再建と監視が不可欠だ。現時点では各種の停戦と交渉が断続的に行われるものの、根本的な終結には至っていない。したがって、短期的な軍事目的の達成と長期的な政治的解決の両立という難しい課題がイスラエルとその周辺に残されている。
参考・出典
Israel Democracy Institute — 選挙と連立の分析。
- 国連人道調整事務所(OCHA): ガザ・犠牲者・人道状況データ。
Crisis Group / Al Jazeera 等の分析(ネタニヤフと右傾化の長期要因)。
ホワイトハウス、CFR 等(第2次トランプ政権と対イスラエル政策の傾向)。