コラム:インドとパキスタン、対立の歴史
インドとパキスタンの関係は単なる二国間の争いに留まらず、地域の安全保障、人道、経済、さらには大国間の地政学的競争をも反映する複層的な課題である。
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現状(概要)
インドとパキスタンは、1947年の英領インド分離独立以降に形成された最大級の二国間対立関係の一つであり、領土・民族・宗教・安全保障を巡る複合的紛争構造を抱えている。両国は核兵器を保有する地域大国であり、経済的・軍事的プレゼンス、地域覇権、国際的影響力を巡って競合している。2020年代に入っても断続的な軍事衝突、テロ事件、外交的応酬、そして2025年5月に発生した大規模な軍事衝突とその後の停戦合意を含む緊張の高まりが顕著になった。これらの出来事は地域の安全保障を不安定化させると同時に、国際機関や第三国を巻き込む外交的対応を誘発した。特に水資源(インダス水系)を巡る問題、越境テロ、そして中国の地域における戦略的役割が二国間関係の重要な要素となっている。2025年5月の軍事的緊張とそれに続く停戦合意は、核保有国同士の衝突が国際社会の懸念を強める例となった。
対立の歴史(概観)
インドとパキスタンの対立は帝国解体と同時に始まった。1947年の分離独立時に多数の諸侯国と住民の帰属問題が残され、特にジャンムー・カシミール州(カシミール)が最大の焦点となった。両国は1947–48年、1965年、1971年、1999年など複数回の正規戦を交え、1971年の戦争は東パキスタン(現バングラデシュ)の独立を招いた。これらの戦争や断続的な武力衝突、越境ゲリラ活動、対テロ作戦が二国間関係を長年にわたって規定してきた。国際仲介(国連決議、国際司法手続き、世界銀行仲介の条約など)も断続的に介入したが、根本的解決には至っていない。
1947年の分離独立の意義
1947年8月の英領インド分割は宗教を基軸とした二国家の形成という歴史的決断であり、数百万人規模の人々が国境を越える大移動と暴力に遭遇した。分離独立は国家アイデンティティと排他性を強め、インド側は「世俗的大国」としての多民族国家を、パキスタン側は「イスラム国家」としてのあり方をそれぞれ再定義する過程を促した。両国は独立直後からカシミール州を巡る主権を争い、初期の軍事衝突が血みどろの敵対関係を固定化した。こうした出発点が後の領土紛争、民族・宗教を巡る対立、そして両国の国内政治における「外敵」観の温存につながった。
カシミール問題(構造と現状)
カシミールは領有権争いの中心であり、印パ両国が1972年以降に実態的分断線(LoC)を事実上の管理線として維持している。地域住民の帰属意識は複雑で、独立志向、インド帰属、パキスタン帰属のいずれかを支持する勢力が混在する。カシミール問題は単なる領土問題ではなく、民族自決、自治権、宗教的少数者の保護、武装抵抗と国家治安政策が交差する多層的課題である。近年、インドは2019年にカシミールの特別地位を剥奪して中央統制を強めたが、これがさらなる緊張を誘発したという評価がある。カシミールを巡る衝突は越境テロリズムや軍事的エスカレーションの主要原因となっている。
1947年の印パ戦争(第一次印パ戦争)とその後の帰結
1947年10月に始まった第一次印パ戦争(1947–48年)はカシミールの帰属を巡る武力衝突であり、最終的に停戦と国連監視のもとで現状線(後のLoC)による実効支配が確立した。戦争の結果、カシミール地域は実効支配に基づき分割され、約3分の1が当時のパキスタン側に、残りがインド側に残った。以降、カシミールは印パ関係の火薬庫となり、紛争の火種を繰り返し供給することになった。
その後の戦争と国境衝突(1965年、1971年、1999年、その他衝突)
1965年には再びカシミールを巡る全面戦争が発生し、国際的調停で停戦となった。1971年の戦争は主に東パキスタン問題(民族・政治的分離)から発生し、最終的に東パキスタンの独立(バングラデシュ)を招き、南アジアの勢力均衡を変えた。1999年のカージャル(カルギル)紛争は高地での局地戦闘で、核抑止が存在する中での限定戦闘の危険性を示した。これら諸戦争の間に局地的衝突や砲撃、越境攻撃が常態化し、平時における相互不信が増幅した。国境地帯住民の被害や経済的損失、国内政治の軍国化といった帰結も重かった。
核兵器の存在(抑止とリスク)
インドとパキスタンはともに核兵器を保有する核保有国であり、核抑止が両国間の戦略構造を決定づけている。近年、両国は核態勢の近代化や運搬手段(弾道ミサイルや空中発射、巡航等)の拡充を進めており、国際シンクタンクの報告では2024年から2025年にかけてインドが核兵器数を若干増強し、新型の輸送・発射システムを開発していると評価される。核保有は戦争抑止の効果を持つ一方で、限定的衝突が核の臨界点を探るリスクも内包しており、軍事的誤判断やコントロールの失敗が甚大な被害を招く懸念がある。国際社会は印パ間の核リスクを長年にわたり注視している。
中国の存在(戦略的パートナーと地域均衡)
中国はパキスタンにとっての主要戦略的パートナーであり、経済協力(中国・パキスタン経済回廊:CPEC)や軍事協力を通じてパキスタンの国力強化を支援している。対して中国とインドは国境を巡る摩擦(ラダックの衝突など)を抱え、地域における三角関係が存在する。中国の関与はパキスタンの外交的孤立を緩和し、地域における安全保障の力学に影響を与える。中国はパキスタン支持の一方で、インドとも経済的結びつきが深く、地域秩序再編の重要プレイヤーとして振る舞っている。中国のプレゼンスは印パ二国間の交渉カードや軍事計画にも影響を及ぼしている。
2025年5月の衝突と停戦合意(事件の経緯と国際介入)
2025年4月22日にインド側で観光客を狙った大規模なテロ攻撃が発生し、多数の死傷者を出した。この事件を受け、インドは対パキスタン政策を強化し、5月初頭に大規模な軍事行動が発生して2025年5月7日から10日にかけて深刻な軍事衝突に至った。数日にわたる空爆やミサイル発射、地上砲撃が行われたと報じられ、両国とも多数の人的・物的被害を被った。米国を含む複数の国・地域が仲介を行い、最終的に2025年5月10日に停戦合意が成立した。停戦の成立には米国(外交当局高官)、サウジアラビア、イラン、UAE、英国などが関与したとされ、一時は核使用のリスクも国際的懸念となった。停戦後も双方の主張や現地での小規模な違反報告が続いたが、大規模衝突は回避された。これらの事実は複数の国際報道機関とシンクタンクが詳細に報告している。
水資源問題(インダス水条約とその余波)
インダス川水系を巡る1960年のインダス水条約(Indus Waters Treaty: IWT)は世界でも持続的に機能してきた国際水条約の一つであり、世界銀行が仲介役となって成立した。しかし、2025年4月のテロ攻撃を契機にインドが同条約の「停止」を表明したことが大きな注目を浴びた。インド側は安全保障上の問題を理由に行動したが、世界銀行は同条約について、世界銀行の役割が「仲介的」であり、条約の一方的停止はできないと指摘した。インドによる水資源管理の変更(ダムの流量管理や情報共有の停止など)は、パンジャブ平原に依存するパキスタンの農業・電力供給に重大な影響を与えうるため、両国間の緊張を水戦略面でも急速に悪化させた。国際的には、インダス水条約の信頼性と地域の食料安全保障への影響について懸念が高まった。
テロ問題(越境組織と疑念)
インドは長年にわたりパキスタンに対し、カシミールの武装組織やテロリストに対する支援・黙認を非難してきた。4月のテロ攻撃のような致命的テロ事件はインドの強硬対応を誘発し、両国間の信頼を損なう主要因となる。パキスタン側は一方で、インドによる治安・政治政策が地域不満を煽っていると主張する。国際的に認められているように、過激組織の国際ネットワークは複雑であり、国家と非国家主体の関係を断定的に結び付けるのは困難であるが、越境テロは依然として軍事的緊張と外交的断交の触媒となっている。
対話の行方(外交回路と信頼醸成)
歴史的には印パ間での直接対話、ホットライン、局地的軍事チャネル、第三国仲介(米国、英国、サウジアラビア、イラン、その他)を通じた交渉が断続的に行われてきた。2025年5月の停戦合意においても第三国が重要な役割を果たしたことから、国際的仲介の重要性は改めて浮かび上がった。だが、根本的な信頼醸成や交流再開には長期的取り組みが必要である。両国の国内政治が対外強硬姿勢を好む局面では対話の推進が困難になりやすく、信頼構築は経済・社会・文化面での相互依存を高める具体策が不可欠である。
国際社会の反応(国連・世界銀行・主要国など)
2025年の危機勃発時、国連事務総長は最大限の自制を要請し、国連安全保障理事会でも閉会協議や非公開協議が行われた。世界銀行はインダス水条約に関して仲介者としての限定的役割を主張し、条約の一方的停止については当事国間の協議が必要だと明示した。米欧や中東湾岸諸国は停戦の仲介や圧力を行い、米国は特に外交的関与を強めた。国際世論は核保有国間での戦闘拡大を重大なリスクと見なしており、国際機関は人的被害の軽減、難民・避難民支援、人道支援ルートの確保を呼びかけた。
米国の対応(仲介と圧力)
米国は伝統的にインドとの戦略的パートナーシップを拡大する一方で、南アジアの安定を重視してパキスタンとの安全保障協力も維持してきた。2025年の危機の際は高官レベルの直接的連絡や外交圧力を用いて停戦を後押ししたと報告されている。米国の関与は、地域的な核リスクを抑止し、国際物流や米国の地政学的利害(例えば湾岸や中国に対するアプローチ)を保護する意図があった。米国の動きは地域外の大国が地域紛争に果たす調停的役割の典型例である。
課題(短期・中期・長期)
(1)信頼喪失と情報の非対称性:両国間の情報共有と危機管理チャネルが脆弱であり、誤算や誤認がエスカレーションにつながる。
(2)核抑止と戦術的核兵器のリスク:短距離運搬手段や「戦術核」的概念が誤用される可能性がある。国際的な核安全保障の枠組みが地域特有のリスクに適用されにくい。
(3)水資源の軍事化:インダス水条約の信頼が損なわれると、季節的な水供給や農業生産が危機に瀕し、経済不安が政治的対立を助長する。
(4)テロと非国家主体の存在:越境過激組織の活動と国家の関与疑惑が抜本解決を阻む。刑事司法協力や情報共有の改善が不可欠だが、相互不信が妨げとなる。
(5)国際仲介の限界:世界銀行や国連が持つ能力・権限の限界が明らかになり、法的・政治的解決には当事国の意志が欠かせない。
国際機関や各国のデータを交えた現状評価
SIPRI等の軍縮研究所によると、インドの核能力は2024–25年にかけて緩やかに拡大しており、弾道ミサイルの近代化も進行していると評価される。国連は停戦時に即時の自制を要請し、人道支援のためのアクセス確保を促した。世界銀行の立場は、IWTに関して「仲介役に限定される」といった法的な枠組み上の見解を示した。これらのデータは、軍事能力の強化と国際制度の制約という二つの現実を同時に示している。
今後の展望(シナリオと提言)
短期的には、停戦の維持と局地的衝突の再燃回避が喫緊の課題である。両国の軍事チャネル(DGMOs間のホットラインなど)の強化、国際的監視や第三者によるホットライン運用の透明化、越境テロに対する合同捜査・情報共有の枠組み構築が望まれる。中期的には、インダス水条約の信頼回復と水管理の技術協力、農業・電力分野での相互依存を利用した経済的「平和の利益」の創出が必要である。長期的には、カシミールの住民主体の政治的解決(住民参加の統治スキームや自治権の明確化)や教育・民間交流の復活を通じた相互理解の醸成が不可欠である。
政策的提言としては次が考えられる:
・即時的信頼醸成措置(人道物資通路の確保、捕虜・拘束者の取扱い透明化、LoCでの砲撃停止)を法的に拘束力のある形で合意すること。
・インダス川の季節的データ共有と第三者技術検証制度を短期的に再確立し、条約の政治的信頼を回復すること。世界銀行や中立技術機関を通じたリアルタイム水位・流量モニタリングを導入すること。
・越境テロ対応での司法協力枠組みを強化し、証拠に基づく起訴と透明な捜査を相互に認めるメカニズムを設置すること。
・中国や米国、湾岸諸国などを含む多国間フォーラムを活用した地域安全保障対話を設け、印パ間のみでは扱いづらい問題(核リスク管理、気候変動下の水安全保障、経済連携)を包括的に議論すること。
まとめ
インドとパキスタンの関係は単なる二国間の争いに留まらず、地域の安全保障、人道、経済、さらには大国間の地政学的競争をも反映する複層的な課題である。1947年の分離独立以来の歴史、カシミール問題、核兵器の存在、水資源の脆弱性、越境テロの問題、そして2025年5月に顕在化した軍事衝突は、解決を困難にする複数の負のスパイラルを作り出している。だが同時に、停戦合意に見られるように外部の仲介と国際社会の圧力は即時的な緊張緩和を実現し得ることも示した。持続的な安定のためには、軍事抑止だけでなく、制度的枠組みの修復、経済・技術協力、住民主体の政治解決といった長期的な努力が不可欠である。国際社会は当事国の主権を尊重しつつ、透明で測定可能な信頼醸成措置を支援し、地域の平和と安定を守るための実務的支援を提供する必要がある。
参考・出典
Stimson Center, “Four Days in May: The India–Pakistan Crisis of 2025”.
SIPRI(Stockholm International Peace Research Institute)年次報告:核兵器動向に関する分析(2025年年次報告)。
国連安全保障理事会関連の報告(閉会協議等)。