コラム:日本における「人身取引」の実態
日本で人身取引の被害を真に減らすためには、単発的な摘発や短期的保護に留まらず、制度設計の根本を問い直すこと、被害者が声を上げやすい環境を作ること、被害後の長期的自立支援と在留保障を整備することが不可欠である。
.jpg)
現状(2025年11月)
日本における「人身取引」の問題は、性的搾取や強制労働を含む多様な形態で継続している。政府レベルでは対策の枠組みや行動計画が示され、被害者認定や保護の仕組みが整備されつつある一方で、実際に認定・保護される被害者数は限られ、労働搾取を受ける外国人技能実習生や失踪者の存在、在留資格をめぐる脆弱性が指摘されている。米国務省の年次報告書や国内の有識者会議、法務省・出入国在留管理庁の統計資料などは、日本での技能実習制度に起因する労働搾取のリスクと被害認定の少なさを繰り返し指摘している。
人身取引とは
人身取引とは、一般に「移動、詐欺、脅迫、強要、交換等により、他者を搾取目的で支配・利用する行為」を指す国際的概念で、性的搾取や強制労働、強制的な服務(奉仕)、臓器摘出等を含む。日本の法体系では、人身取引に関連する犯罪は刑法や人身売買等を禁じる各種法令で扱われるが、国際的な定義(国連や「人身取引禁止・被害者保護に関する条約(パレルモ議定書)」等)に基づく概念理解が政策や現場で用いられている。被害と認定されるためには、単なる劣悪労働条件や違法就労とは異なり、移動や勧誘の過程、拘束・脅迫・搾取の存在、逃亡の自由の制限など被害者の意志に反する支配関係が重視される。
現状と課題(概観)
現状の主要な課題は以下である。①被害の潜在性が高く公的統計に現れにくいこと、②労働搾取を含む被害者認定のハードルが高いこと、③制度(技能実習制度や在留資格制度)自体の脆弱性、④被害者保護・支援(シェルターや法的支援)の不足、⑤摘発・訴追・処罰と被害予防の不十分さである。日本政府は「人身取引対策行動計画」を策定し、関係機関の連携を強めているが、被害の可視化や長期的支援、雇用構造の是正といった構造的対応が不十分であるという批判が内外から存在する。
搾取の形態
搾取の形態は大別して性的搾取と労働搾取に分かれるが、両者は重複する場合がある。性的搾取では売春やデリヘル、風俗関連産業での強制や人身斡旋、インターネットを介した勧誘・管理などが問題となる。労働搾取では長時間労働、賃金未払、身分証取り上げ、自由な転職・移動の制限、借金を利用した債務束縛などが典型である。特に外国人を対象にした搾取は、言語・情報の格差、在留資格に伴う依存関係、送出国側の仲介料(借金)が絡むことで強固な支配関係に発展する。労働搾取は建設業、農業、製造業、飲食、小売、介護など多様な産業で報告されている。国際移動を伴うケースでは、移動自体が被害の一部になっていることが多い。
被害者の認知と保護
被害者の認知とは、被害者当人や関係機関が「人身取引の被害者である」と認識し、必要な保護措置(仮の在留資格付与、医療・心理的支援、住宅保護、法的支援等)を供与することを意味する。日本では出入国在留管理庁や法務省等が一部の被害者を保護しているが、認定件数は極めて少数に留まる。例えば法務省が公表する資料では、令和5年(2023年)に出入国在留管理庁が保護の手続を執った被害者は8人であり、前年の2人から増加したとはいえ被害の潜在性と照らすと極めて限られた数である。被害者が申告に至らない要因としては、報復の恐れ、言語の壁、在留資格喪失や強制送還の懸念、雇用主への依存、文化的・経済的な帰国圧力などがある。
統計(可視化された数値と限界)
公的統計は摘発件数や被害者保護件数、検挙・起訴・有罪の数などを示すが、これらは氷山の一角を示す。内閣府や法務省等の年次報告では、2023年に検挙された人身取引事犯は115件、検挙人数は56人であったとの報告がある(被害者の年齢や国籍構成等の内訳も示される)。一方で技能実習制度に参加中の失踪者や行方不明者、過酷な労働環境下で助けを求められない者たちの数は別途存在し、公的に「被害」と認定されないケースが多い。国際機関やNGOは、被害の過小報告が深刻であると警告している。
国際的な評価
米国務省のTIP(Trafficking in Persons)レポートは各国の対策を格付けする代表的な国際評価であり、日本も同報告で技能実習制度に起因する労働搾取の問題を指摘されてきた。2024年・2025年の報告でも、日本は制度の見直しや被害防止の取り組みを進める必要があるとされ、TITP(技能実習生)に関する人数や失踪問題が言及されている。国際的評価の提示は、日本の国内議論や制度改革の圧力にもなっているが、評価は政治的・方法論的議論も呼ぶため、単一の指標で全てを判断することは適切でない。
主な問題点(分解)
潜在被害者の多さと認知の困難さ:被害は職場内や私的空間で起きることが多く、外部から見えにくい。
被害の自覚不足:当人が「自分は被害者だ」と認識できないケースが多い。経済的依存や借金、文化的圧力で自己責任と解釈する場合がある。
一般の認識不足:人身取引は海外の問題という誤解が根強く、国内の労働環境や移民制度の問題としての理解が不足している。
被害者発見の手順の未整備:通報ルートの不備、行政間の連携不足、現場対応のノウハウ不足が存在する。
技能実習制度などをめぐる労働搾取:制度設計上の雇用管理や監督の甘さ、仲介業者や監理団体の不正行為が搾取を助長している。
潜在的被害者の多さと認知の困難さ
技能実習制度には多数の参加者が存在し、制度上の制約や労働市場での弱い交渉力により搾取が発生する土壌がある。米国務省の報告書や国内調査は、TITP参加者数や失踪者数を示しており(例:報告書で示された参加者数や失踪者の推計)、実際に搾取を受けながら被害として認定されない者が多数いる可能性を示唆している。被害の認知が難しい理由は、言語障害や契約の複雑さ、経済的プレッシャー、送出機関への借金返済義務、雇用主との密接な関係など多層的である。これにより被害を外部に告発するインセンティブが低下する。
被害の自覚不足
被害者自身が暴力や強要に晒されていても、それを「犯罪」としてではなく「仕事の一部」「契約上の問題」と理解してしまうことが多い。特に出稼ぎで来日した者は、初期に負わされた高額の仲介手数料(借金)が返済圧力となり、長時間労働や低賃金を受容する傾向がある。心理的な支配や羞恥心、家族への仕送り義務が被害の自覚を妨げるため、早期発見と長期的支援が不可欠である。
一般の認識不足
一般社会では人身取引のイメージが性的搾取や国境を越えた強制連行に偏りがちで、労働搾取や国内移動を伴うケースが見落とされる。メディア報道も注目性の高い性的搾取事件に集中することが多く、低賃金・長時間労働の積み重ねが人身取引に該当する可能性についての報道や教育が不足している。教育・啓発活動の強化が必要である。
被害者発見の手順の未整備
通報や発見のフローが現場で機能していないことが多い。例えば労働基準監督署、出入国在留管理庁、警察、自治体相談窓口、労働組合、NGOといった複数機関の間で情報共有や連携が十分でない場合、被害者が適切な支援につながらない。通知体制、初期対応マニュアル、通訳・翻訳体制、被害者の安全確保手順の整備が遅れている。
外国人技能実習制度などをめぐる労働搾取
技能実習制度は、本来は技能移転を目的とするが、実態としては低賃金・危険労働・長時間労働を強いられる事例が散見される。監理団体や受入企業による不正、受入側での任務と実際の作業の乖離、賃金差別、パスポートや在留カードの取り上げなどが確認されている。制度改革議論は続いており、「育成就労制度」など新しい在り方の検討が進んでいるが、抜本的な権利保護と監督体制の強化が不可欠である。
制度の脆弱性
在留資格の構造が、雇用主に対する被雇用者の依存を生むことが制度的脆弱性の核心である。在留資格を失うと強制送還や生活の崩壊に直結するため、被害者は不法残留を恐れて救済を求めにくい。さらに仲介業者による高額の手数料や借金が返済義務を作ることで、財政的な強制が成り立ち、被害者が離脱しにくくなる。政策的には在留資格の柔軟化、被害者が保護を受ける際の在留保障、匿名での通報ルート整備が課題となる。
移動の自由の制限
雇用主が住居を管理したり、物理的に外出を制限したり、パスポートを預かることにより移動の自由が事実上奪われる事例がある。これらは労働法違反であると同時に、人身取引の重要な要素である「自由の剥奪」に該当する場合がある。法的評価は個別事案で変わるが、現場での迅速な介入が重要である。
借金(債務)による強要
送出国側での仲介手数料や渡航費用の借金が、来日後の債務返済圧力となり、結果として労働条件を受容させる手段となる。債務はしばしば口頭契約や不透明な請求に基づき、減額や免除措置が得られにくい。債務を理由に逃亡できない、あるいは雇用主に従わざるを得ない状況が生まれ、人身取引の典型的条件となる。
在留資格喪失のリスク
被害者が救済措置を求める際、在留資格喪失や強制送還のリスクを恐れて通報をためらう。日本の制度では一定の条件の下で被害者に対する在留支援が可能だが、申請手続きの難しさや保護期間の短さ、一時的措置に留まる運用上の問題があり、恒久的な解決につながりにくい。被害者の保護と在留の安定は密接に関連している。
被害者保護・支援体制の課題
被害者に対する保護・支援体制は整備が進んだ面もあるが、依然として十分ではない。専門の医療・心理ケア、法的支援、通訳、長期の住居確保、職業訓練や生活再建支援といった包括的支援が不足している。多くの被害者は短期の緊急保護は受けられても、その後の社会復帰に必要な支援を得られず再被害に陥るリスクがある。NGOや市民団体が支援の空白を補っているが、資金・人手ともに限界がある。
シェルター・支援の不足
被害者向けシェルターは全国に限られた数しか存在せず、言語対応・文化的配慮・子ども連れ被害者への対応などに課題がある。公的資金の配分や制度的支援の強化が必要だが、行政による一時保護優先の方針や被害者の帰国を促す運用が問題視されることがある。被害者が長期的に安全を確保するための住居支援や恒久的な在留措置の選択肢が乏しい。
一時帰国優先の方針と在留資格付与の困難さ
行政の運用として一時帰国を重視するケースがあり、被害者保護よりも早期の帰国が優先されると批判されることがある。被害者が日本に留まって訴訟や補償を求めることを希望しても、在留資格付与が困難であるために、その選択肢が事実上制限される。被害者の意思と安全を尊重した上で、長期的に生活再建が可能な在留制度の構築が必要である。
法的・制度的な課題
法律の定義や刑罰の適用、被害者保護の法的根拠は存在するが、実務では適用限界や運用上の問題がある。人身取引に関する刑事訴追では、被害者の証言や証拠確保が難しく、供述の一貫性や脅迫・報復の恐れが訴追を妨げる。さらに、加害者側の組織的関与を立証することが困難であり、賠償や補償制度の整備も不十分である。司法と行政の連携、被害者中心の捜査手法、保護面の法的裏付け強化が求められる。
法律の定義
日本の国内法は国際基準をある程度吸収しているが、人身取引の認定要件や被害者保護の範囲などについて明確性が不足することがある。例えば、労働搾取がどの程度で「人身取引」に該当するか、自由の剥奪や強制の立証がどのように行われるかについての司法実務の統一が必要である。被害の実態を反映した法的定義の再検討と実務指針の策定が必要だ。
訴追・処罰の不十分さ
摘発件数や起訴数はある程度の伸びを示しているが、全体として訴追・処罰が被害の深刻さに見合っていないとの指摘がある。検察・警察の専門部隊やマニュアル整備、被害者保護を並行させた捜査運用が不十分な場合、加害者が適切に裁かれない事例が出る。被害者の供述保護や匿名性の確保、証拠収集技術の向上が必要である。
需要への対策
人身取引の発生は需要と供給の双方の問題であるため、需要側への介入(違法な風俗サービス需要の抑制、迫害的な雇用慣行の是正、消費者教育)も重要である。企業のサプライチェーンにおける強制労働の排除、発注者責任の明確化、監査と透明性の向上が必要だ。また、雇用慣行を変えるためには労働市場の規制強化や違反企業への厳罰化が有効である。
政府の取り組み
政府は人身取引対策行動計画や関係機関の連携、技能実習制度の見直し、外国人支援のための相談窓口整備などを進めている。出入国在留管理庁や厚労省、法務省、内閣府などが関係し、NGOとの連携や有識者会議での制度検討が続いている。ただし、被害者認定の基準や救済措置の拡充、制度改革の具体的措置については実効性を求める声が大きい。
問題点(総括)
総括すると、日本における人身取引対策は法制度の整備・政策枠組みの提示という面では進展があるが、実態把握、被害者発見、現場対応、長期的な被害者支援、制度根本の改編(特に技能実習制度や仲介構造の是正)といった構造的課題が残る。被害は国籍・産業を問わず発生しており、単に摘発を強化するだけでなく、予防・支援・社会保護の包括的なアプローチが必要である。
今後の展望
今後の展望としては、次の方向性が重要になると考える:①技能実習制度等の抜本的見直しと透明化、②被害者の在留保障と長期支援の法制度化、③地方自治体・労働監督機関・NGO・送出国機関を含む多層的ネットワークの強化、④被害の早期発見を促す通報ルートと匿名通報制度の整備、⑤企業責任の強化とサプライチェーン監査、⑥教育・啓発による需要抑制と市民の認識向上である。国際的な協力と送出国との連携も重要であり、送出国側の仲介業者の規制や出国前の情報提供強化など越境的対策も求められる。
まとめ
日本で人身取引の被害を真に減らすためには、単発的な摘発や短期的保護に留まらず、制度設計の根本を問い直すこと、被害者が声を上げやすい環境を作ること、被害後の長期的自立支援と在留保障を整備することが不可欠である。政府・自治体・司法・労働監督機関・企業・NGOが役割を分担し、被害者中心の視点で運用と資源配分を見直す必要がある。学術的調査・統計の充実と透明性のあるデータ公開も、政策評価と改善には重要である。
主要出典
U.S. Department of State, Trafficking in Persons Report — Japan(2024/2025 レポート要旨).
法務省・出入国在留管理庁 公表資料(令和5年における保護件数等).
内閣府「人身取引対策に関する概況(政府報告・年次まとめ)」等資料.
日本の人権NGO・研究機関による報告(HURights Japan 等による統計分析・メディア報告).
技能実習制度に関する有識者会議・専門報告(制度の問題点と改革案).
