コラム:止まらぬ軍拡、核リスク増大、負のスパイラルに
軍拡の現状は「支出増・配備増・核戦力の近代化」という三位一体で進んでおり、地域紛争や大国間対立の深刻化を反映している。
-scaled.jpg)
世界的に「軍拡(軍事力の増強)」が進んでいる。国際的に最も信頼される軍事支出の統計の一つであるストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告によると、世界の軍事支出は2024年に2兆7180億ドルに達し、2015年からの10年間で37%の増加を記録した。2024年の前年比上昇率は9.4%で、少なくとも1988年以降で最大の年次上昇であった。こうした増加は地域的にはヨーロッパや中東での上昇が寄与しており、複数国が継続的に防衛予算を引き上げている。
核兵器の面でも緊張は続く。米国とロシアが世界の核兵器保有の大半を占める状況は変わらず、2025年初頭の推計で世界の核弾頭総数は約1万2241発、そのうち軍の実戦配備可能なストックは約9614発である。全体として冷戦末期から大幅に減少しているものの、近年は主要国の配備可能弾頭が部分的に増加傾向にあると推定される。
主要国の兵力・予算の例を挙げると、米国は約1.3百万の現役兵を中心に総計約210万人規模の軍人を擁するとされ、2025会計年度の国防関連要求額はおおむね8500億ドル前後である(会計上や報告の差はある)。中国は公式には2025年の国防予算を人民元1.7847兆元(約2460億ドル、発表ベース)としたが、研究機関は「政府発表を下回る実際の支出」を指摘し、実質的な軍事支出はさらに大きい可能性を指摘している。インド、ロシア、北朝鮮などもそれぞれ大規模な現役・予備兵力を維持している。
以上から、軍拡の現状は「支出増・配備増・核戦力の近代化」という三位一体で進んでおり、地域紛争や大国間対立の深刻化を反映している。
歴史(軍拡の長期的背景)
軍拡は人類史全体にわたる現象であるが、近代の世界的軍拡にはいくつかの決定的な節目がある。まず冷戦期(1947–1991)は米ソの核・通常戦力競争が最高潮にあり、世界の軍事力と兵器開発が大規模化した時期である。ソ連崩壊後、1990年代にかけて東西間で大規模な軍縮と核の削減(戦略兵器削減条約など)が進んだ結果、世界の核弾頭数は冷戦末期の約7万発から大幅に減少した。だが21世紀に入ると、テロとの戦い(特に2001年以降の米国の対テロ戦争)、地域紛争、そして中国の台頭やロシアの復活的な軍事強化などで再び軍事投資が増加傾向となった。
2000年代以降は兵器の高度化(精密誘導兵器、無人機、サイバー戦能力、ミサイル防衛、宇宙軍事能力、超音速兵器など)が進み、各国は従来の兵員数だけでなく、技術的優位を求めるようになった。これが「質的軍拡」を促進し、単なる兵員増加よりも装備近代化と新領域(サイバー・宇宙)での投資拡大をもたらした。
軍拡の経緯(近年の動きとトリガー)
近年の軍拡を促した要因は複合的である。地域紛争や国際秩序の変容(アメリカの一部地域での関与の減少や同盟関係の変化)、経済力の増大を背景にした新興国の軍近代化、技術革新による新たな軍事ドメインの出現、そして国家間の戦略的不信が挙げられる。特に2014年のロシアによるクリミア併合以降、ヨーロッパ諸国の防衛意識は高まり、NATO内でも防衛費増加が恒常化した。2019〜2024年にかけては混成的脅威(ハイブリッド戦、サイバー攻撃、情報戦)への対応も各国予算配分を変化させた。SIPRIは2015–2024年の10年で世界軍事支出が37%上昇と報告しており、これは単なる一時的上昇ではなく持続的傾向の表れである。
ロシア・ウクライナ戦争の影響
2022年のロシアによるウクライナ侵攻は世界の軍拡潮流に決定的な影響を与えた。ウクライナ戦争は欧州の安全保障環境を直接的に悪化させ、欧州諸国の防衛支出増加、兵器供与・共同開発の活発化、集団的自衛の議論の再燃をもたらした。SIPRIはロシア侵攻後のヨーロッパでの支出増が全体の増加を牽引したことを明記している。具体的にはロシア自身も戦争遂行のために軍事支出を急増させ、2023年のロシアの軍事支出は前年比24%増の約1090億ドルと推計されるなど、当事国・周辺地域双方での軍拡を誘発した。
さらにウクライナ戦争は武器の実戦使用データを提供し、無人機(ドローン)、携行型防空システム、遠距離精密誘導兵器、価格性能比の良い兵装の需要を押し上げた。多くの国が実戦で有用と確認された装備を急いで調達し、兵站(弾薬・部品)や訓練インフラへの投資も増加した。これが短期的な「急速な軍拡」につながった。
ウクライナ戦争は同時に安全保障の性格を変えた。戦争が長引くことで近隣国は自国防衛の自己強化に向かい、NATOは東側の即応態勢や増強を継続する決定を行った。これが北大西洋地域での兵器・兵員の再配備や共同演習の増加を生んだ。
米中対立(戦略的競合)と軍拡
21世紀の軍拡潮流を語る上で米中対立は中心的要因である。米中間の対立は経済、テクノロジー、外交、そして軍事面で同時進行しており、とくに台湾を巡る緊張は地域の軍事バランスに直接影響を与えている。米国はアジア太平洋における軍事プレゼンスを維持・強化する方向にあり、同時に同盟国の防衛支援を強化している。一方中国は人民解放軍(PLA)の近代化を継続している。公式発表では中国の2025年国防予算は1.7847兆元(約2460億ドル、発表値)で、対外的には「防衛的」と位置付けられているが、研究機関や米国防総省は「実際の支出は公式値より大きい」可能性を示唆している。たとえばSIPRIやCSISなどは中国の実質的軍事投資の規模がさらに大きく、ミサイル、海軍力、空軍の能力増強、戦略核の増強に重点を置いていると指摘する。これが地域的・世界的な軍拡競争の主要因となっている。
米中競争は単なる兵器調達だけでなく、先端技術(半導体、人工知能、量子技術、長距離精密兵器、極超音速兵器など)における優位性争いを通じて進行しており、研究開発投資と産業政策が軍事力形成に直結している。これにより「技術を巡る軍拡」が長期的かつ不可逆的に進行している。
米露の対立と核兵器の問題
米国とロシアの間における核戦力の存在は、軍拡のもう一つの深刻な側面である。FAS(米国の研究組織)の推計によると、2025年初頭時点での全世界の核弾頭は約1万2241発、そのうち米国とロシアが約87%を占める。米露はいずれも核戦力の近代化を進めており、戦略核だけでなく戦術核(短中距離、低出力の核兵器)やそれに関連する配備態勢の見直しも進行中である。核弾頭数自体は冷戦末の水準から大幅に減ったが、現状では「減少の勢いが鈍り、ある領域では再び増加傾向が見られる」点が危険である。
さらに、条約ベースの制約(新STARTや中距離核戦力条約の崩壊/停滞)や透明性の低下は相互信頼を損ね、結果として追加的な配備や近代化を誘発する。核戦力の近代化は単に弾頭の数だけでなく、配備形態、早期警戒・指揮統制能力、弾道弾防衛、核関連インフラの再整備といった広範な分野に波及するため、非核分野の軍事投資にも影響を与える。
欧州諸国の対応
ロシアのウクライナ侵攻以降、欧州では防衛支出と兵站・供給網の強化が進んだ。欧州防衛機関(EDA)の報告によると、EU域内の防衛支出は2024年に約3430億ユーロに達し、多くの加盟国が防衛支出を増やしている。特に東欧諸国やバルト三国、ポーランドなどはNATOおよびEUとの協調で即応態勢や陸上・空中の防衛力を拡充している。ドイツ、フランス、英国などの主要国は戦力近代化と補給能力の強化を並行して進め、域内共同調達や産業基盤の強化(軍需産業の再稼働・国内生産増強)にも注力している。
欧州では「集団防衛の再評価」と「自助能力の強化」がキーワードとなり、NATOの即応部隊(VJTFなど)の強化、弾薬備蓄の増強、共同演習の頻度増などが実行されている。これにより短中期的に軍備購買と装備の近代化が欧州全体で加速している。
EU主要国の軍拡方針(個別動向)
以下に代表的なEU主要国の方針と動向を示す(各国の政策は随時更新されるため、代表的な2024–2025年時点の傾向として提示する)。
ドイツ:伝統的に低い防衛支出の「例外」から抜け出す動きが続き、防衛装備の国産化・再整備、NATO目標に沿った防衛費増額が継続している。ドイツはまた重装備(戦車、対空システム)や弾薬生産の増強に注力している。
フランス:核抑止力を中心に維持・近代化を継続するとともに、空母を含む海軍力強化や軍需産業の競争力維持に注力している。
イギリス:独自の核戦力(トライデント)を維持しつつ、海軍・空軍の近代化、長距離打撃能力の強化、宇宙・サイバー能力の育成を進める。近年の政策では保有弾頭数の見直しや配備態勢の柔軟化議論も見られる。
ポーランド・バルト諸国:地理的な脅威認識から装甲部隊・防空・弾薬備蓄を急速に拡充している。NATOへの加盟後、同盟インフラ強化と米軍のプレゼンス確保を優先している。
これら主要国の政策は、域内の防衛産業再興、共同調達、物流網の強化などを通じて「欧州の戦時即応能力」を高める方向にある。
各国の兵力・核兵器などのデータ(代表的数字)
以下は主要国についての代表的な数値の抜粋である(数値は公表値・推計値を含む。推計には不確実性がある点に留意する)。
世界軍事支出(2024):2兆7180億ドル。
核弾頭総数(2025年初頭、世界):約1万2241発(軍のストック:約9614発)。
米国:現役兵約1,300,000人、予備含め約2,100,000人規模(2025年推計)。国防予算要求額は約8500億ドル規模(FY2025要請ベース)。
中国(PLA):総現役要員推計約2,035,000人(研究機関による推計、2024–2025年)。公式国防予算(2025):約1.7847兆元(約246–2490億ドル、発表値)だが、実際の総支出は更に大きいと分析される。
ロシア:公式・推計の差異はあるが、戦争下で兵力・動員の変化が大きい。ロシアの軍事支出は2023年に約1090億ドルと推定され、戦争遂行のために増加している。
インド:現役兵約1,400,000人程度とされ、核保有は推計約150–190発(インド政府は非公開)。
北朝鮮:正確な数は不明だが大量動員可能な軍と核・弾道ミサイル能力を持つと評価され、核弾頭の推定は近年増加している(推計で数十発規模)。
これら数値は各国の公開情報、研究機関の推計を統合したものであり、透明性の低い国については誤差が大きいことに注意が必要である。
問題点(軍拡がもたらす負の側面)
軍拡の進行は複数の重大な問題を引き起こす。
安全保障のジレンマの強化:一国が防衛力を増強すると、他国はそれを抑止力強化の脅威と受け取り報復的軍事拡を行う。これが相互不信を深化させ、軍拡の悪循環を生む。
資源の偏在と社会的コスト:軍事費増は社会の他の公共財(教育、医療、インフラ等)への配分を圧迫する。SIPRIの指摘するように世界の軍事負担(軍事支出のGDP比)は増加しており、特に中所得国にとっては経済的負担が重くなる。
核リスクの増大:核弾頭の近代化や配備態勢の強化は、誤算や偶発的衝突による核使用リスクを高める。条約や透明性の欠如はこうしたリスクをさらに高める。
地域的軍拡競争の恒常化:一地域の紛争が長引くと、周辺国が恒常的軍備拡張へ踏み切り、地域全体の軍事費・兵器在庫が増加する。中東・東欧の現象がこれに当たる。
軍需産業と政治の結びつき:軍需産業が経済・雇用面での利害を持つと、政府が軍拡を正当化しやすくなる可能性がある。政治的ロビーや産業維持が軍事投資を押し上げる構造的問題が生じる。
課題(抑止だけでない解決の難しさ)
軍拡を抑えるための課題は多岐にわたる。
信頼醸成の欠如:大国間・地域間での相互の不信をどう払拭するかが最重要。透明性の回復、相互検査、通信チャネルの維持が必要であるが、政治的対立が強まればそれらは後回しにされがちである。
条約と制度の弱体化:INF条約の崩壊や、軍備管理条約の履行・延長が不確実化していることは軍拡を促す。新たな枠組みを構築するための外交努力が必要である。
技術革新の速度:AI、量子、超音速等の技術が軍事転用されやすく、ルール作りが追いつかない。国際的なルール作りや産業界との協調が求められる。
地域的安全保障の脆弱性:小国・中域国は大国の対立に巻き込まれやすく、自国防衛のための軍拡か同盟に依存するかの難しい選択を迫られる。これにより域外の介入や軍拡が正当化される悪循環が生じる。
今後の展望(短中長期の見通し)
軍拡は短期的には続く可能性が高い。SIPRIのデータが示す通り多くの国が既に支出増を確定させており、供給チェーンの再構築や兵器プログラムの契約は短期間で止めにくい。さらに、米中の戦略的競合、ロシアとNATOの対立、地域紛争の長期化が続く限り、軍拡は構造的要因として残る。
中長期的には以下の要因が重要になる。まず技術的抑止可能性の変化である。AIや極超音速兵器は戦略均衡を変えうるため、新たな安全保障規範を国際社会が形成できるかが鍵である。次に経済的持続可能性である。高い軍事支出を維持することは経済的制約を生み、社会不安や政治的対立を誘発する可能性がある。最後に国際制度の再構築である。軍備管理・透明性・危機管理ルールの再構築が進めば軍拡の速度を緩める余地が生まれる。各国の戦略的意志と国際的リーダーシップが問われるだろう。
結論・整理
透明性と軍備管理の再構築:米露の核・戦略兵器に関する透明性を回復し、信頼醸成措置(通信チャネルの維持、データ交換、検査制度の復活)を段階的に実施する必要がある。
地域的安全保障ダイアログの強化:台湾、東欧、中東といったホットスポットでの多国間対話や軍事的エスカレーション防止のメカニズムを整備すること。国連や地域フォーラムを通じた危機管理が重要である。
軍拡に代わる安全の投資:軍事支出の一部を人的安全保障、インフラ耐久性、災害対策、サイバー防御などに振り向けることで、総合的な国家安全を高める政策が必要である。
技術と倫理の統合的規範作成:AIや自律兵器、極超音速兵器、宇宙軍備の分野で国際的なルールを模索し、軍事利用の制限や運用ルールを整備すること。