コラム:日本における治水対策、現状と今後の展望
日本の治水対策は、従来からの堤防・ダム・河道改修といったハード対策を基盤としつつ、気候変動に伴うリスク増大に対応するために「流域治水」という広域かつ統合的なアプローチへと転換している。
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1. 現状(2025年11月時点)
近年、日本では豪雨の頻度と強度が増し、水害の激甚化・頻発化が社会問題となっている。政府の防災情報は、毎年のように台風・前線・線状降水帯による大雨被害の発生とそれに伴う人的・物的被害の報告を続けている。内閣府の防災情報でも、近年の風水害に関する被害状況や政府対応が随時公表されており、国内での大雨被害が継続的に発生している現実が確認できる。
一方で、国土交通省は「流域治水」を主要方針として掲げ、従来の河川改修(堤防やダム等のハード対策)に加え、流域単位でのソフト対策や関係者の協働によるリスク低減を強化している。流域ごとのプロジェクトを「見える化」し、リスクマップや指標で進捗を把握する取り組みを進めている。
また、気候変動に伴う極端気象の増加が指摘されており、世界的な気候科学報道でも降雨強度の増加が説明されている。国内外の気候変動の影響を前提に、従来の設計洪水や想定が見直されつつある。
これらを踏まえ、政府は河川・砂防・海岸・下水道など関連予算や施策を総合的に強化しており、2024〜2025年度の概算要求や予算配分にも流域治水や河川整備の項目が重要項目に位置付けられている。
2. 「治水対策」とは
治水対策とは、洪水や高潮、土砂災害等、水に関わる災害による被害を未然に防止・軽減するための総合的な取り組みを指す。ハード対策(堤防、ダム、河道改修など)とソフト対策(土地利用の規制・誘導、避難計画、情報提供、住民参加による対策等)を組み合わせ、流域全体でのリスク管理を行うのが現代的な考え方である。近年は単一の河川工事だけでなく、下流・中流・上流を含めた流域全体で「流出抑制」「浸透・貯留」「避難・備え」を組み合わせる流域治水の考え方が重要視されている。
3. 主な治水対策(全体像)
主要対策は概ね以下の三つに分けて整理できる。
ハード対策(従来の河川整備・ダム・堤防等) — 「流す」能力を高める・河川の受け皿を拡大する対策
「流域治水」的アプローチ(流す・留める・備えるの一体的実践) — 上流から下流までの連携、土地利用や浸透・貯留機能の強化
ソフト対策(避難・情報・都市計画・住民参加) — 被害軽減や迅速な対応を目的とした制度・運用の整備
以下、主要な手法ごとに詳述する。
4. 従来の「河川整備」を中心としたハード対策
4.1 堤防の整備・強化
従来から最も中心的な対策は堤防の建設・強化である。堤防は河道の水位が上昇した際に越水・決壊を防ぐ一次防護設備であり、設計高の見直しや断面の強化、耐震化・浸透対策(漏水対策)の実施が進められている。都市部では幅広い「高規格堤防」や親水空間を兼ねた「スーパー堤防」等の整備が紹介されており、地域のまちづくりと一体化した堤防整備も行われている。
4.2 河道掘削・拡幅
河川の流下能力を上げるための河道掘削や拡幅、堆砂除去なども主要対策である。都市部・中山間部を問わず、河川断面の改良による流下能力向上は短中期的には有効だが、流域全体の流量増加や下流での影響を考慮する必要があるため、単独の改修だけで万能とはいえない。
4.3 ダムの建設・運用
洪水調節を目的とするダムは上流からの流量ピークを抑える手段として有効である。ただし、多目的ダムは環境影響や着工の社会的制約、維持管理費用の問題がある。既存ダムの運用改善(洪水時の貯水の有効活用や連携運用)や小規模な調節機能の整備などで総合的運用を図る事例が増えている。ダム整備は時間と費用を要するため、短期的には他の対策との併用が必要である。
4.4 放水路・遊水地の設置
増水時に河川の水を一時的に逃がす放水路や都市近郊に設ける遊水地は、ピーク流量を低減する有効策である。しかし、遊水地の用地確保や周辺地域の合意形成が課題となる。遊水地を兼ねた公園や農地の一時利用など、平時と有事での二次利用を組み合わせる工夫が行われている。
5. 「流域治水」における新たなアプローチ
国土交通省は、気候変動により水災リスクが増大する中で、ハード・ソフトを一体化した「流域治水」を推進している。流域治水は単に河川の容量を増すだけでなく、地域や関係者が協働して流出抑制、貯留・浸透機能の向上、土地利用の見直し、避難の実効性確保などを組み合わせる総合的な取り組みである。国は流域単位でのプロジェクトの「見える化」や指標化を進め、関係自治体や事業者、住民が連携して取り組む枠組みを整備している。
流域治水の特徴は以下の点にまとめられる。
流域全体(上流〜下流)での役割分担と対策の最適化を図る。
ハード(堤防・ダム等)とソフト(避難・土地利用・浸透促進等)を組み合わせる。
流域内の複数主体(国・都道府県・市町村・企業・住民)が協働する。
水害リスクを事前に「見える化」して、投資配分や対策優先度を定量的に示す。
6. 「流す」対策(川の流れを良くする)
「流す」対策は河川の受け皿を拡大し、水の流下を阻害する要素を除去することで洪水ピークを抑える手法である。代表的なものは以下の通り。
河道掘削・拡幅:河道断面を拡大して流下能力を向上させる。
堤防の嵩上げ・強化:越水や決壊を防ぐために堤防高を確保する。
放水路・導水路の整備:洪水時に河川以外の経路へ水を分散させる。
砂防・流木対策:山地からの土砂や流木が河道を塞ぐことを防ぐ。
これらは直接的効果が見込める一方で、建設コストや景観・生態系への影響、下流域への影響(流量増加)などの問題を配慮する必要がある。河川の連続的・総合的な設計が重要になる。
7. 「留める(とどめる)」対策(雨水を一時的に貯める)
「留める」対策は降った水を上流や市街地内で一時的に貯留・浸透させ、下流への流出を抑える考え方である。代表的対策は以下。
調節池・雨水貯留施設の整備:下水道や河川とは別に雨水を貯める施設を整備し、洪水ピークを低減する。下水道の貯留機能と河川の調節池を連携させる事例もある。
都市部の雨水貯留・浸透施設:道路側溝下の小型貯留槽、貯留マンホール、雨水浸透ますなどを整備し、局所的な「内水氾濫」を防止する。
透水性舗装や緑地の増加:舗装面での浸透促進と表面流の低減を図る。透水性舗装は浸透を促すが、維持管理(目詰まり対策)が重要である。
森林保全・涵養(かんよう)機能の向上:上流での植生保全や土砂保持により、降雨の地表流出を抑える。
都市・農地・山地を通じた「留める」機能の強化は、流域治水の中心的な柱であり、土地利用との連携が鍵になる。国や自治体では、既存ストック(既存池・水路・農地等)を活用する方策や、下水道と河川の連携による貯留利用を促進している。
8. 「備える」対策(被害を減らす)
「備える」対策は、被害の発生を完全に防ぐことが難しい場合に、被害を小さくするための準備と体制を整える領域である。具体的には以下を含む。
土地利用の工夫:浸水しやすい地域への住居・重要施設の配置を避ける立地適正化、用途制限、建物の嵩上げや耐水設計の促進。
警戒避難体制の強化:自治体の避難情報システムの整備、ハザードマップの配布、避難所・避難経路の確認、高齢者や要支援者の支援体制の整備。
防災行動計画の活用:企業・自治体・地域コミュニティレベルでの行動計画・訓練の徹底。被害発生時の初動対応、情報伝達の確保、ライフライン復旧の優先順位設定など。
早期警戒・観測システム:降雨観測、河川水位計、気象情報の高度化と住民への迅速な伝達。自治体における避難判断基準の明確化。
これらは人的被害を抑える点で費用対効果が高く、特に高齢化社会においては、避難支援や安否確認の仕組みが不可欠である。国や自治体はハザード情報の整備と住民の避難行動支援を重要課題としている。
9. 課題(技術的・制度的・社会的な観点)
日本の治水対策は多面的な進展を見せる一方で、複数の課題を抱えている。主な課題は以下の通りである。
気候変動と設計基準のギャップ:極端気象の頻発化に伴い、従来の設計洪水や設計基準が現実のリスクに追いつかない課題がある。将来の降雨強度を織り込んだ設計への転換が必要である。
財政と用地確保の制約:堤防改修や遊水地整備には大規模な予算と用地確保が必要であり、自治体財政や住民合意の確保が阻害要因となる。国の予算配分は増えているものの、需要に対して十分でない領域もある。
上下流・行政間の連携不足:流域は複数の自治体や利害関係者が跨ることが多く、広域調整や責任分担が難しい。流域治水の取り組みには協働の仕組み作りが不可欠である。
既存インフラの老朽化と維持管理:河川堤防や下水道など既存インフラの維持管理コストが増加している。老朽化した施設の補修・耐震化が必要であり、長期的な維持管理計画が課題となる。
地域住民の意識と避難行動:避難遅れや情報の受け取り方の差など、人の行動が被害に直結する。高齢化や単身世帯増加を踏まえた避難支援の仕組みが求められる。
生態系・環境との両立:河川改修やダム建設は生態系に影響を与えるため、環境配慮と防災効果の両立が必要である。
10. 国内外の専門家・メディアの指摘(データを交えた要点)
国土交通省は流域治水プロジェクトの「見える化」を進め、指標とリスクマップにより対策の進捗管理を行っている。これにより、地域別の優先順位付けや投資効果の可視化が可能になっている。
国土交通省の流域治水推進方針は、ハード・ソフトを組み合わせた実践の必要性を明確化しており、特定都市河川の範囲拡大や関係者協働の強化を掲げている。専門家はこの「協働」の実効化こそが今後の成否を分けると指摘している。
内閣府の公表する被害状況や報道は、毎年の風水害が依然として大きな人的・社会的コストを生んでいることを伝えており、迅速な情報提供と避難行動が被害縮小に直結するという教訓を示している。
国際的な気候科学の報道は、温暖化による大気中の水蒸気増加が極端降雨の強化に寄与している点を示しており、これを前提に設計基準や将来想定を見直す必要があると述べられている。
11. 今後の展望(政策・技術・社会の方向性)
流域治水の実装深化
流域単位での貯留・浸透・避難の連携をさらに進め、国・自治体・地域・企業が役割分担して協働する仕組みを制度面・組織面で強化する。事例の「見える化」により投資効果を示し、住民合意形成を支援する。設計基準の気候適応化
将来の降雨シナリオを取り込んだ設計洪水や運用ルールの見直し、既存施設のレジリエンス向上を図る。ダム運用や河道改修の際は将来気候を踏まえたフレキシブルな運用設計が必要である。都市インフラの多機能化とストック活用
調節池や遊水地、下水道施設、公園など既存ストックを洪水時に貯留機能として活用する設計が重要になる。都市計画段階で「平時の利活用」と「有事の貯留」を両立させる取り組みが広がる。ICT・観測技術の活用
リアルタイムの降雨・河川水位観測とAIを用いた短時間予測、住民への迅速な警戒情報伝達システムを普及させ、避難判断の精度を高める。これにより人的被害の低減が期待できる。資金調達と人材育成
大規模な治水投資を支えるための公的資金の確保に加え、民間資金の活用(PFI等)や地域の自主的な維持管理能力の向上が求められる。また、河川・都市・森林など横断的な知見を持つ専門人材の育成が必要である。地域参加型ガバナンスの強化
住民・自治体・事業者が協働でリスクを評価し、避難計画や土地利用のルール作りに参加する仕組みを普及させる。これは合意形成の早期化と実効性ある対策実施に直結する。
12. まとめ
日本の治水対策は、従来からの堤防・ダム・河道改修といったハード対策を基盤としつつ、気候変動に伴うリスク増大に対応するために「流域治水」という広域かつ統合的なアプローチへと転換している。流域全体で「流す・留める・備える」を組み合わせることで、単独の対策では対応し切れない複雑なリスクに備える方針が示されている。制度面・財源面・社会的合意形成・技術的適用といった課題は残るが、国・自治体・地域・専門家・住民が協働して実効性の高い対策を進めることが今後の鍵である。公的データや報道は、水害リスクの高さと流域治水の推進を裏付けており、これらを踏まえた具体的施策の加速が求められている。
主な参照資料(抜粋)
国土交通省「流域治水プロジェクト」「流域治水の推進」等の施策ページ。
内閣府 防災情報(風水害被害状況等)。
国土交通省 水管理・国土保全局 関連予算概要。
報道・解説(気候変動と極端降雨に関する解説記事)。
