コラム:日本版DBS、課題と今後の展望 2026年12月25日施行
日本版DBSは、子どもを性暴力から守るための重要な制度設計であり、性犯罪歴照会と就業制限の仕組みによって子どもに関わる現場の安全性を高めようとするものである。
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1.現状(2025年12月時点)
2024年6月に「こども性暴力防止法(学校設置者等及び民間教育保育等事業者による児童対象性暴力等の防止等のための措置に関する法律)」が国会で成立・公布し、施行期限が2026年12月25日とされた。こども家庭庁が制度設計・準備を進めており、法令・政令・運用指針類の整備、情報システム構築、各事業者への周知が進行している。対象事業者や運用上の細部はまだ確定段階であるが、子どもに関わる業務従事者の性犯罪歴を国に照会する制度(日本版DBS)が中心となる枠組みである。
日本版DBSは欧米諸国での制度(特に英国のDisclosure and Barring Service制度)を参考としているが、日本社会における法令体系、個人情報保護、職業選択の自由への配慮などとの調整が進められている段階である。政策形成段階から、対象犯罪の範囲、対象職種の決定、認定制度の運用などについて多様な意見が出ている。
2.日本版DBS(こども性暴力防止法に基づく制度)とは
日本版DBSは、「性暴力のおそれ」がある人物が子どもと接する就業を制限する仕組みを構築する目的で、性犯罪歴の照会と確認を義務化または認定制度化する法的枠組みである。通称「DBS」は英語のDisclosure and Barring Serviceを指し、英国内で長年運用されている制度をモデルとして採用したものである。
こども性暴力防止法は、子どもに教育・保育・活動等の役務を提供する事業者に対して、従事者の性犯罪歴がないことを確認する措置を講じることを義務付け、子どもへの性暴力防止を図ることを主要な目的としている。
3.2026年12月25日施行予定(運用開始)
法律自体は2026年12月25日施行と政令等で定められており、この日以降に運用が本格化する予定である。施行までに各種ガイドライン・システム・マニュアルの整備が進められているものの、対象犯罪の範囲や職種のリスト等は一部未確定の部分が残るため、実務対応に関する懸念も指摘されている。
4.制度の主な仕組み
日本版DBSは以下のプロセスを基本としている(2025年10月の制度概要資料より整理)。
1.対象事業者が「性犯罪歴照会」をこども家庭庁に申請する。
2.従事希望者は戸籍情報等をこども家庭庁に提出する。
3.こども家庭庁は法務省に照会を行い、性犯罪歴の回答を得る。
4.性犯罪歴がない場合は「犯罪事実確認書」が発行される。
5.性犯罪歴がある場合は、本人に事前通知され、2週間以内に訂正請求や辞退が可能な期間が設けられる。
6.訂正請求がなければ、事業者に性犯罪歴ありの「犯罪事実確認書」が交付され、子どもと接する業務に就かせない措置等が必要となる。
制度は性犯罪歴の確認と、確認結果に応じた就業制限・防止措置の義務付けによって構成されている。個人情報は厳重に管理され、目的外利用・第三者提供の禁止が規定される見込みである。
5.職員や採用候補者の性犯罪歴を照会
性犯罪歴照会は、採用前の候補者だけでなく、既に就業中の職員についても実施される予定である。現職者の性犯罪歴が確認された場合、子どもと接する業務からの配置転換や、配置転換が不可能な場合は解雇等の防止措置が議論されている。制度運用上、就業続行するか否かの判断や更生支援との関係についてはガイドラインで示される見込みである。
6.義務付けられる施設
法施行により義務付けられる対象は主に以下の施設・事業者である。
学校(小・中・高等学校)
幼稚園・認定こども園
認可保育所
児童養護施設
放課後等デイサービスなど児童福祉施設
これらは「学校設置者等」として義務対象となり、従事者の性犯罪歴確認が法律上必須となる。
7.任意の施設(認定制度)
一方で、学習塾、放課後児童クラブ、スポーツクラブ、スイミングスクールなどの民間教育保育等事業者は、条件を満たせば国の認定を受けて制度に参加する「認定制度」となる。認定を受けた事業者は、従業者の性犯罪歴確認を実施でき、認定マークを表示して利用者に安全性を示すことが可能である。これにより、義務化されていない事業者でも制度への参加インセンティブが生まれる構造を予定している。
8.認定マーク
こども性暴力防止法では、制度に参加する認定事業者に対して「こまもろうマーク」などの認定表示を付与する制度が設けられる予定であり、親・保護者が施設選択の際の参考にできるように配慮されている。
9.対象となる罪種と照会期間
9.1 対象となる犯罪
確認対象となる性犯罪歴は、法律上の「特定性犯罪」として定められ、主に以下が含まれる(制度設計資料参照)。
不同意性交等
不同意わいせつ
児童ポルノ関連犯罪
痴漢・盗撮等の行為(条例違反も含む場合あり)
ただし、下着窃盗やストーカー行為は現時点で特定性犯罪に含まれていないとの解釈が示されており、この点については国会審議でも拡大の検討が求められている。
9.2 照会対象期間
性犯罪歴の照会対象期間は以下のように区分されている(2025年時点の資料)。
拘禁刑(懲役・禁錮):刑の終了から20年
罰金以下:刑の終了から10年
執行猶予付き:裁判確定日から10年
この期間は子どもの安全確保と個人の更生可能性とのバランスを考慮して設定されている。
10.対象となる犯罪
前述の通り、日本版DBSでは「特定性犯罪」の犯罪歴が主な対象となるが、司法・行政の運用上、異なる罪状・判決形態(不起訴・示談等)の扱い、条例違反の扱いなどが制度運用の課題となる。
11.照会可能期間
照会可能期間とは、性犯罪歴として照会できる期間の上限であり、対象者が過去に性犯罪で処罰を受けたか否かを判定する期間区分を指す。前述のとおり、懲役・禁錮等の有罪判決から20年、罰金以下は10年などとされているが、これは性犯罪の重さ・再犯リスクを考慮した設定である。
12.犯歴が確認された場合の対応
性犯罪歴が確認された場合、事業者には以下の措置が求められる。
1.当該者を子どもと接する業務に就かせない措置
2.配置転換等の検討(可能な場合)
3.辞退・内定取消等への対応
4.適切な就業制限措置の記録管理
本人には事前通知・訂正請求の機会が付与され、個人の権利保護が制度設計上担保される。
13.日本版DBSが導入された主な背景
13.1 深刻化する子どもへの性加害
日本社会では学校・保育現場、児童施設における性加害事案が社会問題化しており、従来の法制度では性犯罪歴確認・再発防止が十分でないとの指摘が強かった。国民・専門家・被害者団体から子どもを守るための法制度整備への要請が高まり、日本版DBSの創設へと至った。
13.2 性犯罪の高い再犯率と死角
性犯罪は再犯率が高いとされる社会的認識があり、性犯罪歴者が他の職種へ移行して再就職する「死角」を埋める必要が議論された。ただし、実際の統計指標(再犯率と再犯者率の区別)については慎重な議論が求められている。
13.3 名前を変えて再就職
従来、性犯罪歴者が職歴詐称や情報非公開のまま教育・保育現場に再就職する事例が社会的懸念となっていた。この再就職の死角を是正することが制度設計の主要動機である。
13.4 法的な限界
一方で、性犯罪歴を就業制限の根拠とすることが職業選択の自由や更生支援との関係で法的な制約となる可能性があり、憲法上の権利保護との調整が課題として挙げられている。
13.5 イギリスの成功モデル(DBS)の存在
欧米諸国、特に英国のDBS制度が就業制限と照会制度として一定の成果を挙げていることが、日本版DBS導入のモデル・根拠となった。英国DBSは子どもや脆弱者に関する就業者に対して犯罪歴照会と禁止措置を運用し、雇用主が安全な採用判断を支援している。
13.6 こども家庭庁の設立と社会的要請
こども家庭庁の設立により、子ども政策全般の一元的推進体制が整備され、日本版DBS創設が強力に推進された。政策形成過程では教育現場、保護者団体、被害者支援団体等からの社会的要請が反映された。
14.問題点や課題
14.1 権利侵害と更生への影響
性犯罪歴の照会・就業制限は、職業選択の自由や更生支援の観点から権利侵害の懸念が指摘されている。個人の社会復帰と子どもの安全確保のバランスが制度的課題となる。
14.2 職業選択の自由とプライバシー
性犯罪歴は高度な個人情報であり、その扱いは個人情報保護法上「要配慮個人情報」とされる。適切な情報管理体制の整備とプライバシー保護措置が不可欠である。
14.3 「刑の消滅」原則との矛盾
日本の刑法・更生保護制度では刑の執行・満期後に一定の社会的制限が消滅する原則があるが、DBSの照会対象期間(最大20年)はそれを事実上延長する側面があり、法的整合性の議論がある。
14.4 制度の「抜け穴」と実効性の限界
個人契約のベビーシッター、家庭教師、地域ボランティア等が任意対象であり、法的義務の及ばない領域が存在することが実効性の限界として指摘されている。
14.5 初犯は防げない
犯罪歴照会は過去の有罪判決に基づく情報確認であり、初犯や未検挙の加害者を防止する効果は限定的である。この点は被害者支援団体や専門家からの批判の対象でもある。
14.6 対象範囲の漏れ
条例違反や不起訴事案が照会対象とならないケースがあり、制度の網羅性が限定的であるとの批判がある。
14.7 事業者の運用負担と判断の難しさ
制度運用には事業者側の照会申請事務、情報管理、判断のコストが発生し、中小事業者の負担増加が懸念されている。
14.8 配置転換の困難さ
現職者に性犯罪歴が確認された場合、適切な配置転換が困難な場合があるほか、更生支援と安全確保の両立が実務上の課題となる。
14.9 現場の判断コスト
現場レベルでの判断が必要な状況が増えることで、教育・保育現場の判断負担が増加する恐れがある。
14.10 照会対象の限定性、不起訴・未解決事案の除外
不起訴、示談等で公訴提起されなかった事案は照会対象外となる場合がある。このため制度が「過去の性加害行為」を網羅的に捉えきれないとの指摘がある。
15.今後の展望
今後の展望として、以下のような論点が想定される。
1.対象犯罪の拡大(条例違反・示談事案の包含)に関する議論
2.任意対象の範囲拡大(個人契約・ボランティア等)
3.更生支援と就業制限の調和に向けたガイドライン策定
4.情報管理体制の高度化・個人情報保護強化
5.自治体・民間事業者への制度周知と負担軽減策
16.まとめ
日本版DBSは、子どもを性暴力から守るための重要な制度設計であり、性犯罪歴照会と就業制限の仕組みによって子どもに関わる現場の安全性を高めようとするものである。しかし、職業選択の自由、個人情報保護、更生支援等とのバランス、対象範囲の網羅性、現場負担の課題が指摘されており、今後の法施行後の運用改善・制度拡充が不可欠である。
参考・引用リスト(主要資料)
1.こども家庭庁「こども性暴力防止法について」施行期日等。
2.一般社団法人全国PTA連絡協議会「こども性暴力防止法(日本版DBS法)」概要。
3.こども家庭庁インタビュー「日本版DBSとこども性暴力防止法の取り組み」。
4.制度概要資料「こども性暴力防止法について」等。
追記:日本における教育・保育現場での性被害の実態
日本における教育・保育現場での性被害は、頻度・形態ともに多様な実態が報告されている。性被害は教師・保育士などの専門職が加害者となるケースだけでなく、同僚、地域住民、家族等を含む広範囲な関係者によって引き起こされるケースがあり、被害は身体的な接触に留まらず、心理的圧迫、言語的不適切行為、児童ポルノ関連行為など複数の形態を含む。これらの問題は被害者・家族に重大な心理的影響を与え、学齢期の児童・幼児の発育・学習環境への不安、信頼関係の崩壊等を引き起こす。
性被害の報告事例と統計
近年、教育現場での教員による児童・生徒への性暴力事案がメディアでも大きく報じられており、懲戒処分を受ける事例も増加している。文部科学省の「公立学校教職員の人事行政状況調査」等によると、性犯罪・性暴力等による懲戒処分件数は年間数百件にのぼるとされ、この頻度は社会的な関心を集めている(例:令和4年度下いくつかの統計において242件の懲戒処分が報告される等)。具体的には、児童・生徒に対する不適切な身体接触、わいせつ行為、性的な言語表現等が確認されている。
保育・幼児教育の現場では、教員ではない保育士等による不適切接触・言動が問題となることもあり、被害の発覚が遅れるケースが存在する。また、集団生活のなかで同年代児童間の性的な不適切行為が発生することも報告されており、教育機関・保育施設における安全管理の重要性が指摘されている。
被害者の心理・行動への影響
性被害を受けた児童は、心理的トラウマ、学校・施設への不信感、学習意欲の低下、対人関係の困難といった深刻な影響を受けることがある。また、被害を公表できない、訴え出られないという内向性を持つ児童も多く、被害発覚が遅れる背景となっている。これにより被害の継続やエスカレーションが見逃されることがある。
性被害事案の発見・対応体制
教育・保育現場では、性被害を早期発見し対応するための体制整備が進められている。相談窓口の設置、被害報告ライン、定期的な職員研修等が導入されているが、現場レベルでは対応能力・リソースが不十分との指摘がある。被害者支援のための心理支援、福祉支援、家族支援の体制強化も求められている。
性被害と再発防止
性被害の再発防止には、個別事件への対応だけでなく、組織的な防止策が重要である。教育・保育機関は、性犯罪歴の有無に加え、日頃の行動観察、匿名相談制度の整備、リスク管理体制の確立等が必要である。
日本版DBSとの関係
日本版DBSは過去の性犯罪歴確認による再発防止措置として導入されるが、被害の実態からみると、初犯予防、未発見被害への対応、日常的な監視・通報体制の確立が不可欠である。初犯者のセクハラ・不適切行為は性犯罪歴が存在しないためDBS照会では把握できないことから、制度単独では不十分であり、総合的な安全対策の一部として捉える必要がある。
社会的課題と今後の展望
教育・保育現場における性被害の防止には、制度的対策と同時に、教育現場全体の文化改革、子どもへの性教育・安全教育、職員の倫理教育強化、被害者支援ネットワークの整備が求められる。学校・保育現場は子どもの安全・安心の最前線であり、性被害の早期発見・予防のための包括的な対策が今後の社会的課題となる。
