コラム:日本のがん予防・対策、最新技術の導入も
日本におけるがん予防・対策は、生活習慣改善、検診制度の強化、最新技術導入、社会的支援の体制整備という多層的アプローチによって構築されている。
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がん発生と死亡の実態
日本では高度に進展した医療制度と予防施策が展開されているが、がんは依然として年次死亡数のトップに位置する。2023年の人口動態統計によると、がん死亡者数は約38万2千人であり、死亡全体の大きな割合を占める。一生のうちにがんと診断される確率は、男性で約63%、女性で約51%と高い水準になっている。加えて高齢化が進行する日本では、がん罹患数と医療費の増加が社会保障・健康政策上の重要課題となっている。
がん対策基本法と基本計画
「がん対策基本法」(平成18年法律第98号)に基づく「がん対策推進基本計画」は、2023年3月に第4期として閣議決定された。この基本計画は、「がん予防」「がん医療」「がんとの共生」を主要な3本柱とし、国民一人ひとりががんの予防・早期発見・治療・療養支援実現に資する包括的な政策体系を示している。全体目標として「誰一人取り残さないがん対策」が掲げられ、健康格差や社会的不利益の除去も政策課題として明記される。
誰一人取り残さないがん対策
第4期基本計画は、従来の施策に加えて「全ての国民が等しく対策の恩恵を受けられる体制づくり」を強調している。具体的には、非正規雇用者や障害者、高齢者など、医療アクセスに社会的障壁を抱える人々に対する支援導入が強化された。政府は、検診受診率の地域格差解消や、保険者・自治体・民間団体との協働体制整備を進めている。
日本対がん協会等の公的団体も、「取り残される人々への目配り」を重視し、情報提供やクーポン発行等の受診勧奨策を実施している。
がんの予防と対策(総論)
がん対策は、疫学的見地から1次予防(発生を減らす)、2次予防(早期発見・治療)、および社会統合的な対策に大別される。これらは、個別施策と社会環境整備を包括する形で進められている。
世界保健機関(WHO)や国内の研究は、約30~50%のがんは予防可能なリスク要因と関連していると推定している。したがって、生活習慣の変容や検診制度の充実は、日本国内におけるがん対策の核心戦略である。
生活習慣による1次予防(発生を防ぐ)
禁煙
喫煙は肺がんのみならず、様々な消化器系がんや頭頸部がんの主要リスク因子である。日本では未成年喫煙率の低下が進む一方で、成人喫煙率は依然として対策の余地があるという指摘がある。第4期基本計画でも「喫煙率ゼロ」を掲げ、受動喫煙防止施策や禁煙支援を強化している。
節酒
アルコールは食道がん等の発生リスクを上昇させる。生活習慣改善策として節酒指導が推奨され、飲酒習慣に関する教育・啓発が実施される。高リスク飲酒者への介入もヘルスプロモーションの一環として位置付けられている。
食生活
バランスの取れた食事はがん予防に寄与する。具体的には、塩分の過剰摂取を制限し、野菜・果物を豊富に摂取することが推奨される。高塩分食品は胃がんリスクの増加に関連し、一般的に男性は1日7.5g、女性は6.5g未満が目標とされる日本のガイドラインが存在する。
身体活動
定期的な身体活動は、大腸がんや乳がんの発生リスク低減に寄与する可能性があるとして推奨されている。日常生活において歩行等の活動を可能な限り増やすことが勧められている。
適正体重の維持
肥満は複数のがんリスクを高める。日本の指針では中高年男性でBMI21~27、中高年女性でBMI21~25を推奨しているが、これを達成するための食事制御と運動が重要とされる。
感染対策
がん発生の因子として、ヒトパピローマウイルス(HPV)、肝炎ウイルス、ヘリコバクター・ピロリなどの感染症が挙げられている。感染防止と早期治療は、肝がんや子宮頸がんの発生抑制に直接関与する。特にHPVワクチンの接種率向上は、子宮頸がん予防に重要視される施策であるが、過去の推奨停止による低接種率から再推奨後の改善が進められている。
がん検診による2次予防(早期発見)
検診の意義
がん検診は症状が現れる前の段階でがんや前がん病変を発見する手段であり、死亡率低減に寄与する。近年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による検診中断の影響で受診者数が減少し、早期がん発見が低下したことが報告されている。
検診の種類と推奨
日本のがん検診制度では主要ながん種ごとに対象年齢と間隔が定められている。対象と項目は次の通りである(厚生労働省指針):
胃がん:50歳以上、2年に1回(胃部X線または内視鏡)
子宮頸がん:20歳以上、2年に1回(細胞診)
肺がん:40歳以上、1年に1回(胸部X線等)
乳がん:40歳以上、2年に1回(マンモグラフィ)
大腸がん:40歳以上、1年に1回(便潜血検査)
科学的根拠に基づくガイドラインでは、便潜血検査は大腸がん検診としてグレードAの利益があるとされているが、内視鏡検査には慎重な情報提供が求められている研究評価もある。
受診率と社会的課題
政府はがん検診受診率の全国的な底上げを目標に掲げ、全体受診率60%達成を目標値としている。これは従来の50%目標から引き上げられたものであり、検診率向上施策として受診勧奨や職域検診の整備、住民への情報提供強化が進められている。
社会的・制度的対策(2025年の動向)
制度的枠組み
がん対策は、国の基本計画に基づく施策のみならず、民間団体、自治体、企業の取り組みと連携して進む。厚生労働省、地方自治体、非営利団体が協働して啓発キャンペーンや検診受診推奨を展開している。また、データヘルスや保健事業との連携により、健康づくりとがん予防の統合的アプローチが強化されている。
受診率向上施策
検診受診率向上のため、以下のような施策が展開されている。
無料クーポン発行や受診勧奨リマインダーの導入
地域包括ケアとの連携による検診案内の充実
職域・産業保健での検診支援とフォローアップ体制
民間団体・自治体では、情報格差が生じがちな世帯へのアウトリーチも推進されている。
がんとの共生
がん患者・家族のQOL向上、就労支援、精神的ケア、患者参画型支援体制の整備が進む。医療提供体制の整備だけでなく、がん患者の社会生活維持を支援するための多様な施策が導入されている。
最新技術の導入
日本では、全ゲノム解析や分子標的治療、個別化医療(Precision Medicine)ががん診療と予防の未来技術として位置付けられている。これらは、標準治療だけでなく、予防段階での高リスク者の特定や最適な治療方針の選択に資する研究領域として急速に進展している。また、AIを用いた画像診断支援やリスク予測解析は早期発見の精度向上にも寄与している。
今後の展望
日本のがん対策は、生涯にわたる健康づくりと疾病管理を統合する方向へ進展している。具体的な将来の課題としては、以下が挙げられる。
全国的検診受診率の更なる向上
生活習慣改善施策の社会的受容と環境整備
健康格差解消への具体的介入
最新技術の普及と実装
全世代を対象とするがん教育の強化
がん対策は、多因子的なアプローチを必要とするため、医学・公衆衛生・社会政策を融合した持続可能な戦略が重要である。
結論
日本におけるがん予防・対策は、生活習慣改善、検診制度の強化、最新技術導入、社会的支援の体制整備という多層的アプローチによって構築されている。第4期がん対策推進基本計画は、現場の政策と統合的戦略の実現を目指し、「誰一人取り残さない」がん対策を標榜する。今後の展開として、検診受診率の向上、生活習慣改善の定着、感染症対策の継続、遺伝子・AI技術の臨床応用が日本のがん対策の要となるであろう。
参考・引用リスト
がん予防・がん検診の指針 | 日本がん予防学会.
日本対がん協会 2025年新年の展望.
厚生労働省 がん予防対策.
第4期がん対策推進基本計画評価指標一覧(厚生労働省).
がん統計2025(がん情報サービス).
最新がん統計まとめ(がん情報サービス).
基本計画概要解説(厚生労働省・がん対策推進基本計画).
追記:日本におけるがん治療の最前線
1. 総論:がん治療の高度化と個別化
日本におけるがん治療は、従来の「手術・放射線・化学療法」という三本柱を基盤としつつ、分子生物学や情報科学の進展を背景に、急速に高度化・個別化が進展している。特に2010年代後半以降、がんを遺伝子異常の集合体として捉える考え方が一般化し、治療は「がん種別」から「遺伝子変異別」へとパラダイムシフトしつつある。第4期がん対策推進基本計画においても、科学的根拠に基づく最適ながん医療の提供と、患者中心の医療体制構築が重要課題として位置付けられている。
2. 手術療法の進歩:低侵襲化と精密化
外科的治療は、依然として多くの固形がんにおいて根治を目指す最重要治療法である。日本では、内視鏡手術やロボット支援手術の導入が進み、患者負担の軽減と治療成績の向上が同時に追求されている。特に手術支援ロボット「ダヴィンチ」に代表されるロボット手術は、前立腺がん、胃がん、大腸がん、肺がんなどで保険適用が拡大され、微細な操作による臓器温存や合併症低減が可能となっている。
また、術前画像診断やナビゲーション技術の高度化により、腫瘍の位置や浸潤範囲を正確に把握した上での精密手術が実現しつつある。これにより、治療後のQOL(生活の質)を重視した外科治療が日本のがん医療の標準となりつつある。
3. 放射線治療:高精度照射と粒子線治療
放射線治療分野では、IMRT(強度変調放射線治療)やIGRT(画像誘導放射線治療)など、高精度照射技術が全国のがん診療連携拠点病院を中心に普及している。これらの技術は、腫瘍に高線量を集中させつつ、正常組織への影響を最小限に抑えることを可能とし、根治性と安全性の両立に寄与している。
さらに、日本は粒子線治療(陽子線・重粒子線)の研究・臨床応用において世界的にも先進的な位置にある。重粒子線治療は放射線生物学的効果が高く、従来治療が困難とされたがん種に対しても有効性が示されている。2020年代に入り、適応疾患の拡大や保険適用の進展により、先進医療から実臨床への移行が加速している。
4. 薬物療法の革新:分子標的薬と免疫療法
日本のがん薬物療法における最大の変革は、分子標的治療薬および免疫チェックポイント阻害薬の導入である。EGFR、ALK、BRAFなど特定の遺伝子異常を標的とする薬剤は、肺がんや悪性黒色腫などで顕著な治療成績を示している。
免疫チェックポイント阻害薬は、がん細胞による免疫回避機構を解除し、患者自身の免疫系を活性化する治療法である。ニボルマブやペムブロリズマブに代表される薬剤は、多くのがん種で生存期間延長効果を示し、日本の標準治療に組み込まれている。一方で、免疫関連有害事象への対応や、効果予測バイオマーカーの確立が臨床課題として残されている。
5. ゲノム医療と個別化治療
2019年以降、日本ではがんゲノム医療が本格的に保険診療として開始された。がん遺伝子パネル検査により、数百の遺伝子変異を一括解析し、治療薬選択や臨床試験への参加を検討する体制が整備されている。国立がん研究センターを中核とするがんゲノム医療中核拠点病院ネットワークは、全国規模での情報共有と専門人材育成を担っている。
ただし、現時点では「有効な治療薬に結び付く割合」は限定的であり、エビデンス創出とデータ蓄積が今後の重要課題である。リアルワールドデータやAI解析の活用により、個別化医療の実効性向上が期待されている。
6. 支持療法・緩和ケアの進展
がん治療の最前線は、治癒を目指す治療だけでなく、支持療法や緩和ケアの質向上にも広がっている。日本では、診断時から緩和ケアを並行して提供する「早期緩和ケア」の考え方が普及し、疼痛管理、精神的支援、社会的支援が治療体系の一部として組み込まれている。
副作用対策、栄養管理、リハビリテーションなどの多職種連携も進み、患者が治療と生活を両立できる医療体制が重視されている。
7. 今後の課題と展望
日本におけるがん治療は世界水準にある一方で、医療費増大、地域格差、人材不足といった課題も顕在化している。今後は、治療効果だけでなく費用対効果を考慮した医療資源配分、データ駆動型医療の推進、患者参画型の意思決定支援が重要となる。
がん治療の最前線は、単なる技術革新ではなく、「患者一人ひとりの人生を支える医療」への進化の過程にあると言える。
