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コラム:中南米諸国における人工妊娠中絶、現状は?

中南米における中絶の現状は、進展と後退が混在する「過渡期」にある。
2024年6月15日/ブラジル、サンパウロ、妊娠後期の中絶を禁じる法案に抗議するデモ(AP通信)

中南米(ラテンアメリカおよびカリブ諸国)における人工妊娠中絶(以下「中絶」)は、法制度、医療アクセス、社会的態度が国ごとに大きく異なる複雑な状況にある。近年は一部の国で立法・司法の改革が進み合法化・非刑罰化が拡大している一方で、中米の複数国では全面禁止や厳格化が続いている。地域全体としては依然として制限的な国が多く、その結果として安全でない中絶による健康被害や社会的格差が深刻な問題となっている。世界保健機関(WHO)やガットマッハー研究所(Guttmacher Institute)の報告では、ラテンアメリカではおよそ3分の2〜3分の4の中絶が「安全でない」方法で行われていると推定され、これが女性の死亡や合併症の原因になっている。

人工妊娠中絶とは

人工妊娠中絶とは、妊娠の意図的な終了を医学的・外科的手段で行うことである。方法は薬剤(ミフェプリストン+ミソプロストール等)による医療中絶と、掻爬や吸引など手術的中絶に大別される。WHOは中絶を適切に提供すれば安全な医療行為であり、法的・医療的な障壁があると女性の健康被害が増えると指摘している。薬剤中絶の普及と適切な保健システムの整備は、安全な中絶提供の重要な要素である。

法整備が続く国

近年、南アメリカを中心に法整備や司法判断で中絶の非刑罰化・合法化が進んだ国がある。代表例はアルゼンチンとコロンビア、そしてメキシコである。

  • アルゼンチン:2020年12月に国会で「妊娠中絶の自発的中断(Interrupción Voluntaria del Embarazo, IVE)」を合法化する法が可決され、妊娠14週までの中絶が認められる制度が導入された。以降、法令整備とサービス提供の拡大が課題になっているが、法的な地盤は確立された。

  • コロンビア:2022年2月、憲法裁判所は妊娠24週までの中絶の犯罪化を撤廃する判決を下した。この判決は段階的にサービス提供の具体的ルール整備を求め、24週以降は既存の例外(母体の生命・健康の危機、レイプ、胎児致命的奇形など)が継続されるとした。

  • メキシコ:2021年の最高裁判所の判断は、妊娠中絶に対する刑事罰を憲法上不当とする方向を示した(複数の判決とその後の連鎖的な州レベルの立法改正を促進)。2023年以降、連邦レベルや裁判所の動きにより州ごとに非刑罰化や合法化が広がり、2024〜2025年にかけても州議会による立法が続いている。

これらの変化は市民運動(緑のスカーフ運動など)や国際的な人権基準の影響を受けており、法改正後も医療現場でのサービス整備、地域間格差、保健予算の配分が継続的な課題となっている。

中絶に厳しい国

一方で、中米とカリブの一部国では中絶に対して非常に厳格な刑罰や規制が存在する。エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、そして中米ではコスタリカでも最近の政策変更で制限が強まる動きがある。これらの国では中絶がほぼ全面的に禁止され、例外が極めて窮屈であるか存在しない。

厳格化の背景には宗教的保守主義、政治的保守化、憲法改正による保護規定の導入があり、刑罰強化により医療者の中絶提供への恐怖や、妊娠をめぐる刑事捜査の増加が報告されている。国際人権団体はこうした政策が女性の人権と健康を侵害すると批判している。

中絶を禁じている国

法的に中絶を全面的に禁止している国も存在する。代表的にはエルサルバドルニカラグアホンジュラスが挙げられる。これらの国では中絶を行った場合、女性本人や医療者に対して重い刑罰が科される。例えばニカラグアでは2006年に完全禁止に改正され、治療的中絶の例外も廃止された。エルサルバドルでは1990年代後半以降、刑法上厳罰化が進み、深刻な女性の有罪化事件が国際的な注目を集めた。

これらの国々では、妊娠に伴う合併症で入院した女性が「故意による中絶」を疑われて刑事訴追される事例が報告されており、これは妊娠合併症の適切な医療提供や助けを遅らせ、女性の健康悪化を招いている。

不平等

中絶アクセスの不平等は、都市/地方、富裕層/貧困層、教育水準、民族(先住民、アフリカ系コミュニティ等)によって顕著である。合法的あるいは安全な中絶が利用可能な国でも、サービスは都市部に集中し、地方在住や低所得層は移動費や時間、診療拒否(コンシャス・オブジェクション)によって実質的にアクセスできない場合が多い。薬剤中絶の情報や薬剤自体へのアクセスはインフォーマルな流通に頼ることが多く、その結果として不均衡が拡大している。ガットマッハー研究所やPAHOは中南米での中絶の大部分が非安全に行われている点を指摘しており、こうした不平等が女性の健康アウトカムに直結していると結論付けている。

カトリック教会の影響

中南米は歴史的にカトリックの影響が強く、教会は中絶反対の立場を堅持している。教会は政策形成、世論、政治家への働きかけを通じて法規制に影響を与えてきた。ただし、近年は宗教的帰属が必ずしも個人の中絶に対する態度と一致しないこと、世俗化の進展、プロテスタント(特に福音派)の影響など複雑な宗教状況が存在する。アルゼンチンやコロンビアのような国で法改正が実現した背景には、若年層を中心とした世代交代や市民運動の強さもある。メディア報道は教会の発言や抗議を頻繁に取り上げ、社会的議論を活性化させる役割を果たしている。

胎児の人権

「胎児の人権」や「受精時からの生命の権利」を法的・政治的に明記する動きは、妊娠中絶を規制・禁止する法的根拠として用いられることがある。いくつかの国や州の憲法・刑法・保護条項に「胎児の生命の保護」を盛り込むことで、法改正や司法判断の余地を狭める効果がある。メキシコや中南米各地で「生命の保護」を巡る法文化が争点になり、最高裁や憲法裁判所の解釈が政治的・社会的潮流を左右している。こうした規定は往々にして妊娠中の女性の権利と衝突するため、法律解釈・バランスの取り方が重要である。

母親の権利

母親(妊婦)の権利には、身体的自律、健康を守る権利、差別を受けない権利などが含まれる。国際的な人権機関や保健機関は、妊娠中絶を巡る刑事罰やアクセス制限がこれらの権利を侵害すると繰り返し指摘している。例えば、刑事化によって適切な医療が遅延し、妊婦の命や健康を危険に晒すケースが報告されている。さらに、妊娠を継続できない社会経済的状況(貧困、家庭内暴力、未成年妊娠等)においては、妊婦の選択の自由と生活権が深刻に制約される。国際的には「リプロダクティブ・ライツ(生殖に関する権利)」として母親の権利を保護する立場が強調されているが、各国の国内法と実務は乖離している。

問題点

中南米における中絶関連の主要な問題点は以下のとおりである。

  1. 安全でない中絶の継続:制限的法制のため、自己管理中絶や非衛生的な介入が行われ、合併症や死亡を招く。WHOとガットマッハー研究所のデータはこの傾向を明確に示している。

  2. 法と実務の乖離:法的に合法化されても、医療現場の準備不足、医師の良心的拒否、保健システム内の資源配分不足で実際に利用できない場合が多い。

  3. 地域間・階層間格差:都市集中、経済的バリア、教育格差によりアクセスが不均等になる。

  4. 刑事司法の介入:中絶が禁止されている国では、妊娠合併症で治療を受けた女性が捜査・逮捕されるケースがあり、医療提供も萎縮する。

  5. 情報と薬剤の流通の問題:医療的に正しい情報や薬剤へのアクセスが限定され、誤情報や危険な方法に頼るケースがある。

課題

上記問題を踏まえ、政策・実務面での課題は次のように整理できる。

  • 法整備後の実行力強化:立法や判決による合法化を実現した国では、地方自治体・医療機関への実施指針、予算配分、研修が不可欠である。アルゼンチン等では法成立後のサービス供給体制の整備が遅れ、アクセス低下の報告もある。

  • 医療従事者の教育と倫理的配慮:良心的拒否が患者のアクセス阻害にならないよう、拒否の制度的取り扱いと代替提供体制の確保が必要である。さらに、保健従事者の臨床研修や標準化ガイドライン策定が求められる。

  • 地域間格差の是正:遠隔地や先住民コミュニティへのサービス提供、移動の支援、言語や文化に配慮した保健教育が必要である。

  • 情報アクセスと安全な薬剤流通:ミフェプリストン/ミソプロストール等の安全な薬剤の供給チェーンと正確な情報提供を確保することが、公衆衛生上の優先課題である。

  • 法的保護と差別対策:妊婦が法的追及を受けることがないようにする立法・判例の整備と、性暴力被害者支援の連携が重要である。

今後の展望

将来展望は二極化の可能性がある。南米の一部国では引き続き非刑罰化・合法化の動きが進み、法的な保障と医療体制の整備が進むことが期待される。一方で、中米の保守化や政治的転換により制限強化が見られる国もある(例:コスタリカの政策変更やアルゼンチンにおける資源配分の後退といった逆風)。国際機関や市民社会の活動、司法判断が鍵を握り、国際的な人権基準(国連、地域人権裁判所等)の影響も今後の法制度形成に影響を与えるだろう。

また、技術面では薬剤中絶の普及と遠隔診療(テレヘルス)の活用が増える可能性がある。これにより医療資源が乏しい地域でも比較的安全に中絶を管理できる機会が増えるが、薬剤規制やインターネット規制、保健当局のガイドライン整備が追いつく必要がある。

政府やメディアのデータについての注記

本稿で引用した主要情報源は以下を含む:ガットマッハー研究所(地域別中絶発生率、非安全中絶の推計)、WHO/PAHO(安全でない中絶と母性死亡の統計・評価)、各国の立法・憲法裁判所・最高裁判所の判決報告、ヒューマン・ライツ・ウオッチやアムネスティ・インターナショナルなど。これらの資料は法的状況や保健指標の把握に不可欠であり、特にガットマッハー研究所とWHOは地域規模の推計データとして重用される。

まとめ

中南米における中絶の現状は、進展と後退が混在する「過渡期」にある。アルゼンチンやコロンビア、メキシコの一部の州のように法的保障が拡大した事例がある一方、エルサルバドルやニカラグア、ホンジュラスなどの全面的禁止や最近の政策的制限強化も存在する。重要なのは、単なる法改正だけでは不十分であり、医療提供体制の整備、地域間格差の是正、薬剤と情報へのアクセス保証、医療従事者の研修と倫理制度、そして司法・行政による権利保護が一体となって進められることだ。国際機関や市民社会と協調しつつ、各国は女性の生命・健康・自己決定権を守る政策を実装する必要がある。WHOやガットマッハー研究所のデータが示すように、安全な中絶のアクセスは単なる倫理論争ではなく、公共の健康と人権の問題である。


主要参考(抜粋)

  • Guttmacher Institute, “Abortion in Latin America and the Caribbean” 等。

  • World Health Organization(WHO)、Pan American Health Organization(PAHO)資料。

  • Argentina: Ley 27.610(IVE)関連報道と学術論文。

  • Colombia: Corte Constitucional 2022 判決(中絶24週まで非刑罰化)。

  • Mexico: 2021年以降の最高裁判所判断と州単位の立法動向。

  • Human Rights Watch、Amnesty等の報告(中米の禁止政策や女性の有罪化事例)。

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