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コラム:新START失効、中国を含む「三つどもえ」の軍拡競争に

新戦略兵器削減条約(新START)の失効は、米露間の核軍縮の法的枠組みが消滅した歴史的な出来事である。
2025年8月15日/米アラスカ州の空港、トランプ大統領(右)とプーチン露大統領(ロイター通信)
現状(2026年2月時点)

2026年2月5日付で、米国とロシアの間で最後に残されていた核軍縮条約である新戦略兵器削減条約(New START)が公式に失効した。これは2010年に署名され、2021年に5年間の延長が合意された条約であり、米露双方の戦略核弾頭と配備済み戦略核兵器システムに対する上限(1,550発の配備戦略核弾頭など)を設け、相互の検証・査察を可能にしてきた枠組みである。失効を受けて、両国間の法的な軍縮制約は消滅した。現在、米ロ間で具体的な後継条約交渉はまとまっておらず、両国間には透明性の低下と相互不信の高まりが見られる状況である。国際連合のグテレス事務総長もこれを「核リスクが数十年来最も高い時期にある」と位置づけ、緊急の交渉再開を呼びかけている。


新戦略兵器削減条約(新START)とは

「新戦略兵器削減条約」は、英語名でNew START(New Strategic Arms Reduction Treaty)と呼ばれる二国間軍縮合意であり、米国とロシア両国が保有する戦略核兵器を制限する最も重要な条約の一つであった。発効当初から配備戦略核弾頭数の上限(1,550)、運搬手段(ICBM、SLBM、戦略爆撃機)の上限、そして査察・データ交換制度を規定していた。これらの制度により、双方の核戦力は透明性を持って管理され、誤算や誤認に基づくエスカレーションのリスク軽減に寄与してきた。2010年代後半以降、ロシアの同条約履行停止(査察停止など)や米ロ関係の悪化を受けて、制度は形骸化していたが、法的な拘束力は存続していた。


2026年2月5日失効

2026年2月5日、新STARTは法的効力を失効した。これは延長期間の終了に伴うものであり、条約自体の更なる延長規定は存在しない。ロシア側は前年9月に1年間の延長を提案していたが、米国側はこれに公式な回答をしなかったとされる。トランプ政権は、米露間の枠組みに中国を含めたより広範な合意を目指す方針を示しているが、具体的な交渉進展は見られていない。中国は条約加入について「米露とは核力の規模が異なる」として拒否の姿勢を明確にしている。


核開発競争が再燃する可能性は極めて高い

新START失効後、核開発競争が再燃する可能性は極めて高いと論じる立場が多い。専門家・シンクタンクや国際機関の分析では、条約失効によって制限が撤廃され、長期的な軍備管理の枠組みが脆弱化したことが、核兵器の増強や戦略態勢の見直しを促すとされている。この「競争再燃」の可能性は単なる理論的懸念ではなく、両国が実際に保有する技術的能力と政策目標の両面から現実的なシナリオとして挙げられている。


主要な検証ポイント

以下では、核開発競争再燃の可能性について検討すべき主要な視点を列挙する。

  1. 数量制限の撤廃による軍拡の加速

  2. 透明性と相互監視の喪失

  3. 相互不信の深刻化

  4. 中国を含む三極間の複雑化

  5. 米国の核政策と戦略的多角化

  6. 外交的・国際社会の動き

  7. 今後の展望


数量制限の撤廃による軍拡の加速

条約の失効は、配備核弾頭数および運搬システム数の法的上限を撤廃することを意味する。これにより、米国・ロシア両国は戦略核兵器の配備数を条約前のように制限なく増加させる余地を取り戻した。専門家は、膨大な核兵器の貯蔵量と製造能力を抱える両国が、軍事的・政治的動機によっては短期間での増強を開始できる点を指摘している。これまで、条約により抑止されていた株式上の改修やアップロード(既存のミサイルに追加戦力を搭載すること)などが活発化する可能性がある。合意の下での上限撤廃は、「量の競争」を再活性化させる条件となる。


現状

現状としては、両国が即座に大規模な核増強に踏み切る状況にはなっていない。しかし、これは条約失効前の政策決定の影響が残っているに過ぎず、条約枠組みが消失したことで、数ヵ月〜数年単位での再軍拡が理論的に可能となる状態にある。軍拡のペースは政治的判断や資源配分の制約によるが、明確な制限がないこと自体が競争原理を刺激する。さらに、テクノロジーの進展や新型兵器(低出力核弾頭、サイバー統合型核指揮統制、AI搭載システムなど)の開発が進む中で、両国は「先手必勝」的な戦略を取る可能性がある。


懸念

条約失効による懸念は単に兵器数の増加に留まらない。透明性の喪失によって、両国が相手方の戦力動向を正確に把握できなくなる点が挙げられる。条約下では定期的なデータ交換や査察を通じて両国の核戦力が明示されてきたが、失効によってこれらのメカニズムはなくなった。結果として、誤算や誤認の可能性が高まる。

また、軍備管理協議が行われないことで、米露間の相互不信が更に強まる危険性がある。これは単なる政治的な対立ではなく、戦略的安定性に直結する問題である。相互不信は、過剰防衛的措置(force posture)を誘発するため、安全保障のジレンマが深化する。


透明性と相互監視の喪失

新STARTは、査察・データ交換・通信チャネルを通じて戦略核兵器の配置状況をリアルタイムで把握・監視する制度を備えていた。これらの制度は、両国間の信頼醸成と透明性向上を支える重要な要素であった。失効後はこれらのメカニズムが機能しなくなるため、相互の軍備動向が「ブラックボックス化」するリスクが高まる。核戦力の配置・開発意図に関する不確実性は、危機時の誤解や過剰反応を促し、潜在的な衝突リスクを増大させる。


相互不信

条約の失効は、長年の軍縮協議の停滞を象徴する出来事である。特に、ロシア側が条約延長提案を行ったにも関わらず米国が回答しなかったとされる事態は、外交的な信頼関係を損なう結果となった。信頼関係の欠如は、今後の交渉プロセスにおいても交渉不成立や意図のすれ違いを助長する要因となる。双方が軍拡競争に適応する中で、安全保障のジレンマが強化される可能性がある。


過剰防衛

相互不信の下で核政策は「抑止」と「先制打撃能力」の両面を強調しやすい。条約があった期間は、核兵器数の議論が抑制されていたが、今後は先制的な進展(早期警戒システム、核兵器の配備と態勢強化)が競合し、戦略的安定性を損なうリスクがある。特に米露間では戦略的なバランスが変動する場合、危機時の計算誤差が致命的な結果を招く可能性が高まる。専門家はこの点を、冷戦期の軍拡競争再燃のシナリオとして分析している。


中国を含む「三つどもえ」への複雑化

条約失効が米露間の核軍備管理の枠組みを消失させることは、核政策の構造を単純な二国間から多極的な競争環境へ転換させる可能性を持つ。トランプ政権は中国の核力を今後の条約交渉の対象に含める方針を掲げているが、中国側は「米露とは核力のスケールが異なる」として参加を拒否している。結果として、三極間での不均衡と相互牽制が核政策の焦点となる可能性が高い。これは単純な米露の競争を超えて、戦略的な複雑化を招く。


米国の主張

米国側の政策立案者は、新STARTを「ロシアに有利」と見なす見解を示し、より広範な枠組みと中国を含む合意を求めている。複数の専門家は、この方向性が現実的な合意形成を困難にすると指摘する。なぜなら、中国は現段階で核兵器数を米露並みにする計画はなく、参加インセンティブが乏しいためである。


多角化

米露間の核軍縮外交は、単なる二国間交渉ではなく、NPT(核不拡散条約)第6条の義務履行や他核保有国との関係を視野に入れた多角的交渉となる必要がある。新STARTの失効は、核軍縮をめぐる多国間の枠組み強化の必要性を浮き彫りにしている。


外交的な動き

新START失効に対して、国際社会は多くの懸念を示している。中華人民共和国は遺憾の意を表明し、米露間の対話再開を求めているが、独自の立場を強調している。国連や欧州諸国などは、核軍縮の枠組み再構築の必要性を訴えている。国際的な圧力はあるものの、具体的な交渉成果はまだ形成されていない。


期限間際の交渉

新START失効の直前まで、条約延長や後継交渉に関する協議が断続的に行われていたが、合意には至らなかった。これには、米露双方の政治的優先順位の違い、中国を含めた三極交渉への対応、そして国際的な安全保障環境の複雑化が影響している。


国際社会の反応

国際社会は失効を受けて強い危機感を示している。国連事務総長は、核リスクの高まりと新たな外交努力の必要性を強調し、核軍縮の枠組み再構築を求めている。被爆国日本の地方自治体首長も、失効を「核軍拡競争の激化と核使用リスクの増大につながる」と批判的に評価している。


今後の展望

今後の見通しとしては、米露間での戦略安定性を再構築するための外交努力が継続されると予想されるが、単一の条約で両国の核戦力を再び包括的に制限する道は困難を伴う。現実的な選択肢としては、以下のような方向性が考えられる。

  1. 多国間交渉の再構築
    米露間の二国間条約にとどまらず、中国やその他核保有国を含めた多国間交渉の枠組みを模索する必要がある。

  2. 透明性メカニズムの部分的復活
    条約がなくても、データ交換や情報共有の枠組みを構築することで、戦略的安定性を一定程度維持する可能性がある。

  3. 信頼醸成措置の強化
    相互不信の下では、軍事的信頼醸成措置(CBM)が不可欠となる。これには通常兵器分野を含む幅広い措置が含まれる。

  4. 地域的安全保障対話
    核を巡る競争は多極化するため、地域安全保障を巡る協議や枠組みも強化される。

これらの展望は、政治的意思と国際社会の協調に左右されるが、条約失効の影響を最小化し、核リスクを緩和する上で重要な方向性である。


まとめ

新戦略兵器削減条約(新START)の失効は、米露間の核軍縮の法的枠組みが消滅した歴史的な出来事である。核兵器数の制限・査察・透明性メカニズムが失われたことは、数量面だけでなく戦略的安定性や相互信頼の視点からも重大な影響を持つ。条約失効後の状況は、軍拡競争の再燃を促す可能性が非常に高いと多くの専門家・機関が指摘している。政策的・外交的対応を欠いたまま長期的な競争が進むと、核兵器使用リスクの増大や戦略的危機のエスカレーションが現実のものとなる可能性がある。このため、多国間交渉の枠組み構築や透明性メカニズムの再構築など、国際社会の協調努力が不可欠である。


参考・引用リスト

  • 米露の新START条約失効と核開発競争の懸念、国際社会の反応(Reuters / UN chief) –

  • 新START失効控え、中国は核開発加速か(Donga Japan) –

  • Three Truths About the End of New START (CSIS Analysis) –

  • トランプ大統領の新核軍縮枠組みの模索(WSJ / Reuters) –

  • 米国・ロシア間の唯一の核軍縮条約新START失効(TV Asahi) –

  • 米・ロシア間唯一の核軍縮条約失効と軍拡懸念(TBS / Bloomberg) –

  • 米露核軍縮条約期限切れで制限なき軍拡懸念(共同通信) –

  • 新STARTの歴史的意義と条約概要(防衛研究所 NIDS Commentary) –

  • 地方自治体首長による失効への懸念コメント(長崎市) –


追記:対立する見解の整理――「軍拡再燃」か「管理なき安定」か

新START失効後の世界をどう評価するかについて、専門家・政策当局・研究機関の間には大きく分けて三つの立場が存在する。


1. 軍拡競争再燃不可避論

最も多くの軍縮研究者が共有する立場であり、核開発競争は不可避的に再燃するとする見解である。

この立場の論拠は以下の点に集約される。

第一に、法的拘束力の消失である。新STARTは単なる政治宣言ではなく、数量上限・査察・データ交換を伴う「拘束的枠組み」であった。その消失は、抑制の制度的基盤を失わせる。

第二に、相互不信の構造化である。ロシアのウクライナ侵攻、NATO拡大、対中戦略をめぐる米国の姿勢などが複合的に作用し、米露はもはや相手の善意を前提に行動しない段階に入ったとされる。

第三に、技術革新の誘因である。低出力核弾頭、極超音速兵器、AI統合型指揮統制といった新技術は、数量制限のない環境下で競争的に導入されやすい。

この立場では、新START失効は「冷戦後の軍縮秩序の最終的崩壊」であり、量・質の双方で核競争が進行すると評価される。


2. 限定的軍拡・安定維持論

これに対し、一定数の戦略研究者や元軍関係者は、全面的な軍拡競争には至らないとする。

この見解の特徴は以下の通りである。

第一に、財政的制約である。米露ともに社会保障費・通常戦力・宇宙・サイバー分野への支出圧力が強く、冷戦期のような無制限の核増強は現実的でない。

第二に、抑止理論の成熟である。すでに相互確証破壊(MAD)は成立しており、弾頭数を増やしても戦略的利益は限定的だとする認識がある。

第三に、非公式な自制の可能性である。条約はなくとも、危機管理のための暗黙の了解やホットライン、軍同士の意思疎通は維持されると考える。

この立場では、新START失効は「危険だが直ちに破局的ではない管理不全」であり、量的増加は限定的、質的近代化が中心になるとされる。


3. 新多極安定論(ポスト二極論)

第三の立場は、失効を新たな核秩序への移行期と捉える見解である。

この立場では、米露二極構造はすでに崩れており、中国・インド・北朝鮮などを含む多極化が進行しているため、二国間条約そのものが時代遅れだと評価される。

新START失効は「混乱」ではなく、多国間枠組みを構築するための過渡的段階と位置づけられる。

ただし、この立場でも短期的リスクの増大自体は否定されていない。


各国政策の比較分析――核戦略の非対称性

新START失効後の核開発競争を理解するためには、各国の核政策の「非対称性」を把握する必要がある。


1. 米国:柔軟抑止と同盟重視

米国の核政策の特徴は以下の通りである。

  • 数量よりも信頼性・柔軟性重視

  • 核兵器を同盟抑止(extended deterrence)の中核と位置づけ

  • 中国を将来的な最大の戦略的競争相手と認識

新START失効後、米国は弾頭数の急増よりも、既存戦力のアップロード能力やB-21爆撃機、コロンビア級原潜といった近代化を重視している。


2. ロシア:核兵器依存型安全保障

ロシアの核政策は、米国とは性質が異なる。

  • 通常戦力の相対的劣位を核で補完

  • 戦術核兵器を含む使用閾値の低さ

  • 政治的威嚇手段としての核言及

新START失効は、ロシアにとって戦略的自由度の回復を意味する。経済制約はあるものの、核は「コスト効率の良い大国性の象徴」と位置づけられている。


3. 中国:最小抑止から限定競争へ

中国は新START当事国ではないが、失効の最大の間接的影響国である。

  • 長らく「最小限抑止」を掲げてきた

  • 近年は弾頭数・ICBMサイロの増設が顕著

  • 米露の動向を見て核政策を調整する「反応型」

中国は米露と同等の数的競争を望んでいないが、米露の制約消失は中国の増強を正当化する口実となる。


4. その他核保有国への波及
  • インド・パキスタン:地域抑止だが中国要因で拡張

  • 北朝鮮:核保有の既成事実化が進行

  • 英仏:米露の動向に影響されつつも独自路線維持

新START失効は、NPT体制全体の信頼性低下を通じて、これらの国の核政策にも間接的影響を与える。


数値モデルによる軍拡シナリオ解析

最後に、理論的な数値モデルを用いて、新START失効後の軍拡シナリオを整理する。

ここでは簡易モデルとして、以下の前提を置く。


1. モデルの前提条件
  • 初期値:配備戦略核弾頭数 1,550(米露)

  • 年間増減率は政策判断に依存

  • 経済制約・政治リスクを変数として考慮


2. シナリオA:高強度軍拡シナリオ
  • 年間増加率:+5%

  • 10年後:
    1,550 × (1.05¹⁰) ≒ 約2,525発

この場合、冷戦後期に近い規模への回帰が起こり、数量競争が顕在化する。


3. シナリオB:限定軍拡シナリオ
  • 年間増加率:+1~2%

  • 10年後:
    約1,720~1,880発

量的増加は限定的だが、質的近代化が進行し、危機安定性は低下する。


4. シナリオC:数量維持・質転換シナリオ
  • 数量はほぼ維持

  • 極超音速兵器・低出力核・指揮統制高度化に投資

この場合、弾頭数は安定して見えるが、使用可能性は相対的に上昇する。


5. モデル分析の含意

数値モデルが示す最も重要な点は、
「数量が増えなくても危険性は増大し得る」
という事実である。

新STARTは数量制限だけでなく、危機管理の予測可能性を提供していた。失効後は、どのシナリオにおいても戦略的不確実性が拡大する。


最後に

追記分析から導かれる結論は以下の通りである。

  • 核開発競争再燃論が最も説得力を持つが、形態は多様

  • 各国の核政策は非対称で、単純な米露競争ではない

  • 数量抑制が崩れること自体より、透明性と予測可能性の喪失が最大のリスク

新START失効後の世界は、「冷戦の再来」ではなく、
より複雑で管理困難な核秩序への移行期と位置づけられる。

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