コラム:9.11米同時多発攻撃から24年、知っておくべきこと
2001年9月11日の同時多発テロは単なる一つの事件ではなく、世界史を転換させた出来事であった。アルカイダによる攻撃は米国の脆弱性を露呈させると同時に、国際政治における新たな対立構造を形成した。
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9.11米同時多発攻撃の概要と背景
2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロ攻撃は、現代史における最大級の衝撃を与えた事件として記憶されている。この攻撃は、国際テロ組織アルカイダによって計画され、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)、ワシントンDC近郊の国防総省(ペンタゴン)、そして未遂に終わったホワイトハウスまたは連邦議会議事堂を標的に実行された。
事件の背景には冷戦後における米国の中東政策、特にサウジアラビアへの米軍駐留、イスラエルへの強い支援、湾岸戦争後のイラク制裁政策などがあり、これらがイスラム過激派の反米感情を増幅させていた。ビンラディン率いるアルカイダは、1980年代のアフガニスタン紛争でソ連と戦ったムジャヒディーンの流れを汲むネットワークであり、米国を「イスラム世界を支配する最大の敵」と位置付けていた。
攻撃の計画と実行
アルカイダは航空機を乗っ取り、それ自体を大量破壊兵器として利用する計画を立案した。テロリスト19人は、主にサウジアラビアやエジプト出身で、ビザを取得し米国内で飛行訓練を受けていた。彼らは4機の旅客機に搭乗し、ハイジャック後に標的へと突入させる作戦を実行した。
攻撃の経緯
アメリカン航空11便:ボストン発ロサンゼルス行き。午前8時46分、ニューヨークの世界貿易センター北棟に激突。
ユナイテッド航空175便:同じくボストン発ロサンゼルス行き。午前9時03分、南棟に突入。
アメリカン航空77便:ワシントン・ダレス国際空港発ロサンゼルス行き。午前9時37分、ペンタゴンに衝突。
ユナイテッド航空93便:ニュージャージー州ニューアーク発サンフランシスコ行き。乗客がハイジャック犯に抵抗し、最終的に午前10時03分、ペンシルベニア州シャンクスヴィルの草原に墜落。
この間、ニューヨークでは北棟と南棟の高層ビルが激突から1時間余りで相次いで崩壊し、膨大な瓦礫と火災を生じさせた。
被害の規模
この攻撃で約3000人が死亡し、6000人以上が負傷した。犠牲者には米国民だけでなく、90か国以上の外国人も含まれ、国際社会全体に衝撃を与えた。また、ニューヨーク市消防局や警察の救助隊員も多数殉職し、特に崩壊直前まで救出活動を行っていた消防士の犠牲は全米に深い悲嘆をもたらした。
経済的被害も甚大であり、ニューヨーク金融街は長期間にわたり機能不全に陥った。航空業界も打撃を受け、世界経済全体に深刻な影響を及ぼした。さらに、事件に伴い米国社会は恐怖と不安に包まれ、大規模テロの時代の到来を象徴するものとなった。
米国政府の対応
即時対応
事件発生直後、ジョージ・W・ブッシュ大統領は全米に向けて「テロとの戦争」を宣言し、国家安全保障の最優先課題として対テロ戦略を打ち出した。航空機の運航は一時的に全米で停止され、空港のセキュリティは劇的に強化された。
愛国者法(USA PATRIOT Act)の制定
2001年10月には「愛国者法」が成立し、国内の監視体制が強化された。この法律は捜査当局に広範な盗聴・監視権限を与え、テロ防止を名目に市民のプライバシーが制限される結果となった。この点は後に米国内外で大きな論争を呼ぶこととなる。
アフガニスタン戦争
事件から1か月後の2001年10月、米国はNATO同盟国とともにアフガニスタンへの軍事行動を開始した。アルカイダの拠点を壊滅させ、タリバン政権を打倒することが目的であった。タリバンはアルカイダを保護していたため、米国は両者を一体と見なし軍事作戦を展開した。
当初の軍事行動は成功し、カブールをはじめ主要都市は比較的早期に制圧された。しかし、タリバンやアルカイダの残党は山岳地帯に潜伏し、ゲリラ戦を継続した。その後20年間にわたるアフガニスタン戦争は米国史上最も長い戦争となり、巨額の戦費と多くの人的犠牲をもたらした。
イラク戦争への拡大
9.11の衝撃は米国の対外政策を大きく転換させた。ブッシュ政権は2003年にイラクに対して軍事行動を開始し、サダム・フセイン政権を打倒した。公式には「大量破壊兵器の保有」と「テロ組織との関係」が理由とされたが、後に大量破壊兵器は存在しなかったことが判明し、正当性が疑問視された。
イラク戦争は中東地域の不安定化を加速させ、テロ組織「イスラム国(ISIS)」の台頭を招く要因ともなった。この点で9.11後の米国の戦略は、むしろ新たな混乱を生み出したとする批判が強い。
国際社会の反応
9.11直後、多くの国は米国への連帯を表明した。NATOは創設以来初めて「集団的自衛権」を発動し、加盟国全体が米国防衛に協力することを宣言した。ロシアや中国も当初は米国を支持し、国際的な反テロ協力が進んだ。
しかし、イラク戦争への拡大や「テロとの戦争」の名の下に行われた無人機攻撃、秘密収容所での拷問、グアンタナモ湾収容所における人権侵害などが国際的批判を呼び、米国の正当性は徐々に揺らいでいった。
米国社会への影響
9.11は米国社会の価値観や日常生活を大きく変えた。空港や公共施設でのセキュリティは徹底され、市民の監視が強化された。イスラム教徒やアラブ系住民に対する偏見や差別も増加し、社会の分断を深めた。
また、事件は米国の「安全神話」を打ち砕き、国土が直接攻撃されるという衝撃をもたらした。この心理的影響は大きく、国民の愛国心の高揚と同時に、政府への強い権限集中を許す土壌を形成した。
メディアと記憶
事件当日の映像、特に世界貿易センターに航空機が突入し、ビルが崩壊する場面は、全世界に生中継され衝撃を与えた。以後、9.11は「メディア時代のテロ」の象徴とされ、映像が人々の記憶に強烈に刻まれた。
ニューヨークには「9.11メモリアル」が建設され、犠牲者を追悼する場所となった。また、事件は映画や文学、報道など様々な形で語り継がれ、米社会に深いトラウマと同時に「忘れない」という決意を残した。
陰謀論と批判
9.11に関しては、政府の対応の不備や事前警告の無視、ビル崩壊の不自然さなどから数多くの陰謀論が生まれた。「自作自演説」や「内部関与説」は広く流布したが、公式調査ではアルカイダによる攻撃が明確に確認されている。ただし、米国情報機関が事前にテロの可能性を把握していながら十分な対策を取れなかったことは事実であり、この点は後に厳しく追及された。
長期的影響
9.11の影響は単に米国にとどまらず、国際政治全体を変えた。冷戦後の国際秩序が「テロとの戦争」という新たな枠組みに再編され、国家安全保障が世界的に強調されるようになった。各国は監視や情報収集の強化を進め、空港や国境でのセキュリティが格段に厳格化された。
また、米国の中東介入が長期化し、地域の不安定化を助長した結果、シリア内戦やISISの台頭など新たな紛争の火種が生じた。さらに、9.11後の「対テロ戦争」は膨大な軍事費を生み出し、米国の財政赤字や国際的影響力の低下にもつながった。
結論
2001年9月11日の同時多発テロは単なる一つの事件ではなく、世界史を転換させた出来事であった。アルカイダによる攻撃は米国の脆弱性を露呈させると同時に、国際政治における新たな対立構造を形成した。米国は「テロとの戦争」を掲げ、アフガニスタンやイラクに軍事介入したが、その過程で新たな混乱を生み、世界の安全保障環境をむしろ複雑化させた。
9.11はテロリズムがグローバル化する時代の幕開けであり、国家の安全保障と個人の自由のバランスを問い続ける象徴となった。その記憶は今日に至るまで国際政治の基盤に影響を与え続けており、21世紀を理解するうえで不可欠な事件である。
